■旅日誌
[2004/8] 列島縦断、北から南へ
(記:2004/8/14 改:2025/2/1)
(記:2004/8/14 改:2025/2/1)
GWでのお出かけを逃したあとでまったく予想もしていなかったプロジェクトに引っ張り込まれ、この先また何ヶ月か忙しい日々を送ることが決定してしまいました。今度は肉体的な"きつさ"はもちろん精神的なタフさも試されるようなことが続き、久々に強烈なストレスを感じてました。そんなこんなで夏休みはないものと決めつけてましたが、中途半端な時期になって休みを取れとの指示が出たこともあって、急遽「現実逃避行」を決行することにしました。ちなみに、今回も台風のあおりをくらうことになり、またひと波乱ありました。
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0日目
前振りの通り、急に休みを取ることにしたが何のプランもない。まぁ、行き当たりばったりの行動に出てもいいのだが、前回の京都の落穂拾いを受けて未乗路線のカウントダウンを進めるために北海道か沖縄へ出向く必要を感じていた。とりあえず避暑モードで2、3日北海道へ渡って日高線でも堪能してくるか…と思っていたのだが、大胆にもまったく方向違いである北海道と沖縄の両方を一度にやっつけたらどうなるか?などという奇抜なアイデアが頭を過ぎっていた。無論、札幌-沖縄なんていう直行便があるのかどうかなんて気にかけるはずもない。
詳しくは後で書くことにするが、それは"宝くじを当てた"ような出来事だった。去年、北斗星のロイヤルを経験した直後、富山遠征時に何気なくトワイライトエクスプレスを目にしたのをきっかけに、どうしてもそれに乗りたくなっていた。最近では最長切符の旅などといった企画が大々的に扱われてみたり、密かにその手の欲望をあおられてるような心境に陥ることもあった。今回は残念ながら1週間というまとまった休みが確定したときには、指定券発売開始の1ヶ月前を微妙に切っており「10時叩き」の競争には加わることができなかった。ダメ元でマルスを叩いてもらってもロイヤルどころかすべてのタイプが残席ゼロである。正直なところ「10時叩き」に参加できたとしても、ロイヤルが取れる確率はとても低かったような気もするのだが…。しばらくは某オークションサイトなどもウォッチしていたが、そんなに都合のいい出物があるわけもない。聞くところによると、意外とキャンセルは出るものだというが果たして本当だろうか?
その後も未練たらしく2、3度みどりの窓口へ寄ってみたが、当然いい結果は聞こえてこない。まぁそんなもんかなぁ、と半ば諦めながら日高線を軸に代案の準備に取り掛かるが、なぜかいまひとつ気持ちが盛り上がってこない。そこでだ、ここは自分の運を信じて1点勝負に出ることにした。(謎) 旅行会社にキャンセル待ちの手配をかけるという手もあったが、何とか自分でしてやろうじゃないか!?という不思議な決意のもと、例の代案はスパッと切捨てることにした。はっきりとは覚えていないが、ツアーのために確保された座席が2週間前に開放されたりと、何となく"2週間前"というタイミングの話を聞いたことがある。それと、払い戻し手数料が跳ね上がる3日前というのも"ひと波乱"あるらしいが、土壇場まで引っ張ったところで旅行そのものの予定が立たなくなる。(余談:なんと、乗車当日というのも狙い目らしいですね。)これといって何の根拠があるわけでもないのだが、2週間前の週末土曜の朝9時、10時あたりに狙いを絞ることにした。さらに勘をはたらかして10時5分前と決めてかかり窓口へ向かってみた。
自分:「あの~座席に空きが出てるか、見ていただきたいのですが。」
窓口氏:「はい、はい。」
自分:「この日の上りトワイライトエクスプレス、札幌-大阪、ロイヤルで…」
窓口氏:「えっと・・・(しばらく操作)お、残席1ありますね!」
自分:「あっ、、、(と、一瞬止まる)それ、お願いします!!」
窓口氏:「はい、ロイヤル取れましたよ。」
自分:「ありがとうございます(思わず笑顔)」
こうして去年の北斗星に引き続き、プラチナチケットをゲットすることができた。それにしても、発券日が1ヶ月前の同日じゃないというのがちょっと誇らしく思えてしまうのは気のせいだろうか?いやぁ、引きの強さというか、とにかく、素晴らしいではないか。(後日談:もちろん、これがどんな顛末を迎えることになるのか、このときは知る由もありませんでした。)
自分:「あの~座席に空きが出てるか、見ていただきたいのですが。」
窓口氏:「はい、はい。」
自分:「この日の上りトワイライトエクスプレス、札幌-大阪、ロイヤルで…」
窓口氏:「えっと・・・(しばらく操作)お、残席1ありますね!」
自分:「あっ、、、(と、一瞬止まる)それ、お願いします!!」
窓口氏:「はい、ロイヤル取れましたよ。」
自分:「ありがとうございます(思わず笑顔)」
こうして去年の北斗星に引き続き、プラチナチケットをゲットすることができた。それにしても、発券日が1ヶ月前の同日じゃないというのがちょっと誇らしく思えてしまうのは気のせいだろうか?いやぁ、引きの強さというか、とにかく、素晴らしいではないか。(後日談:もちろん、これがどんな顛末を迎えることになるのか、このときは知る由もありませんでした。)
さて、今回の旅のスタートはなぜか大阪である。自分は在京の人間なので、今日はわざわざ東京から飛行機に乗ってここ大阪へ乗り込んできていた。前出のトワイライトエクスプレスの話もここではまったく関係しないし、大阪の滞在時間も4時間そこそこと、相変わらずの謎の行動へ出たわけだ。建前上では、先週の土曜日から夏休みに入っていたのだが、土日と月曜の午前中は出社して、あれこれ仕事に明け暮れていた。であれば、火曜の朝あらためて出発すればいいのだが「いてもたってもいられない」という心境からか、思わず大阪行きの飛行機に乗ってしまった。
いつの頃からか何となく時刻表を見るようになっていたが、そのときどきで気になるものというのがある。なかでも急行銀河は未だに気になる存在であり、気になる=実際に乗りたくなるという気持ちをずっと持ち続けていた。東京-大阪間を「終電後に発車して始発前に到着する」という伝統的なスタイルを頑なに守り続け、これだけ新幹線が充実しまた夜行バスの認知度も上がってきたことを考えるとこの先どうなるのか逆に心配になってしまう。ということで、これまた1度は通りたいと思っていた伊丹空港へ空路大阪入りすることにした。かなり昔のことだが、旅費を抑えつつ時間を効率的に使うために、下り臨時の銀河を座席利用したことがあったが定期便の正真正銘の寝台急行を利用するのは初めてである。
話は前後するが、休みに入ったはずの土曜に徹夜して、翌日曜の朝に山手線の始発というものに初めて乗ってしまった。月曜日は事務的なことが中心だったので適当なところで切り上げることができたが、それにしても、かなりヘタってていいはずの体調はまったく問題ない。(笑) これから旅に出るという気持ちがそうさせてるに違いない。いまの仕事で飛行機に乗ることはまず考えられないが、勤務先から羽田へ出るルートはもちろん自宅からとは違ったものになる。いくつかあるルートから、りんかい線とモノレールで行くのを選択、真夏の東京を遠くに見ながら今回の長旅を切り出すことにした。羽田空港の混雑ぶりはお盆のひどい状況とまではいかないものの、夏休みということもあって午後の中途半端な時間にしては人が多いように思えた。そんな中、人だかりができているところがあり、興味を覚えて近づいてみると、タレントのKONISHIKIがこれからどこかへ向かうところだった。アロハ系の軽装になぜかウクレレを小脇に抱えて愛想を振りまいている。目的地などよくは分からないが、お付の人とともに係りの案内でバスに乗り込んでいった。VIP待遇ではあるが、それにしてもでかい。(笑)
この時間の大阪行きの飛行機は3割程度の着席率といったところで空席が目立っていた。この時間帯なら新幹線に分があるかな…。飛行時間は1時間も必要とせず、まさに上がったと思えばすぐに降りてしまう。こうして大阪の街並みを上空から眺めたのは初めてであるが、キタのビル街をかすめるようにして伊丹空港へ降り立つ。どこへ行こうか迷ったが、なんとなくモノレールを横目に見ながらバスで伊丹駅へ向かうことにした。そのあと新生(?)桜島線=ゆめ咲線に足を延ばしてみたが、暗くなってしまったせいかまわりの様子は分からず、赤いクモ男(!)の袋を手にする人でごった返していた。環状線から直通運転を行うようになっていたのは、このとき初めて知った。
大阪駅でちくまを見送り、今回の実質スタータを待つことにする。まだまだ通勤電車が行き交う時間帯なので、夜行列車といえどもホームで待機できる時間はあまりない。そんな感じでしばらく何もせずじっと立ち続け、ようやく銀河の入線となった。寝台列車とはいえ、急行なので機関車にヘッドマークは付いていない。正確には、銀河号の図柄はテールマークとして後ろ姿から確認するしかない。早速乗り込むと、家族連れなどの姿が目立つ。さらに意外だったのは、大阪よりも大津とか京都とかから拾う利用客の方が相当数いて、気が付けば周囲は満員となっていた。普段はビジネスマンが中心だろうが、どれほどの利用率なのかちょっと知りたい気もする。
銀河は到着時間をうまく合わせるために運転停車など繰り返していく。だが、睡眠不足気味だったこともあり、ほとんどそんなことは分からなかった。車内放送の再開で目を覚まし、のんびりしながら身支度を整えているうちにもう間もなく横浜というところだった。見慣れた風景がしばらく続き、急行銀河は終点東京へと滑り込む。(後日談:このときはまったく考えにも及びませんでしたが、銀河は2008年3月をもって引退することになってしまいました。最後の乗車の様子はこちらの旅日誌をご覧ください。)
1日目
東京駅から北へ向かう新幹線の指定は既に満席を示す×印が多く、ホームでは自由席を待つ列が長くなっていた。自分も指定は準備していなかったのでその列に並ぶことにする。お隣の西へ向かう新幹線に比べると、こちらはカラフルで実にさまざまな列車が出たり入ったりしている。まさに分刻みで、首都圏のラッシュ並のダイヤだ。山形新幹線には山形から先へ伸長されてから乗ったことがなかったので、今回ついでに通ってみることにした。最初は無理して新幹線を引っ張り込んだとまで言われていたが、業績面でもそこそこの数字を残しており、利用動向をみて新庄まで路線が延ばされたのは記憶に新しい。県庁所在地を通り越してその先へ伸びた新幹線という見方をすると珍しい例だそうだ。朝食を買い込み、三度目の出発気分で東京駅を後にした。
立ち客が出てしまった後も、大宮、宇都宮とさらに客を拾う。ここらで乗ろうとしても既に座席が取れないとしたらちょっと気の毒にも思う。結局山形で6、7割程度の人が降りていく。駅西側の再開発も随分と進んだものだ。様変わりした山形駅を出発すると、以前仕事でちょくちょく来ていた工場が左手に見えてくる、、、はずなのだが、昨今の事情から工場は閉鎖されてしまい、ほとんど更地のようになっていた。時代の流れとはいえ、意外とショックなものだ。たまたま乗ったのが速達タイプだったので、米沢、山形以外の駅は素通りし、あっという間に新庄駅へ到着。これで"準"未乗だった区間も乗り通したことになる。
今度は新幹線から一転して、ローカル線の旅となる。新幹線の終着駅として改装された新庄駅からは3方面へ路線が出ており、次の陸羽東線は新幹線に沿って若干戻る感じになる。ローカル線のDCといっても、いまどきの気動車は実に軽やかな足回りで快調に飛ばしていく。つばさに乗ってるときはそうでもなかったが、コトコトと単調なリズムと心地よい揺れが眠気を誘い、ぼんやりしていたら鳴子温泉へ着くところだった。鳴子温泉駅は運用の分かれ目のようで、小牛田方面とは乗り換えが必要となる。移ってみると、似たような気動車ではあるが、座席の配置がちょっと違っていた。乗りつぶしで終点まで行く必要はないので、途中古川で降りて再び新幹線へと乗り換えることにする。(後日談:その後、陸羽東線を利用する何回か機会がありました。おもいでゆけむりに乗ったときの旅日誌はこちらを、リゾートみのりに乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
東北新幹線もまた乗りつぶしをやってる間に伸長されてしまったが、今回北を目指す通り道にもなっているので盛岡-八戸間を乗っておくことにする。それにははやてという"優等列車"のお世話にならなければならないが、悲しいことにここ古川には止まってくれない。だからといって仙台に戻るのも効率が悪いので、やむなく盛岡で乗り継ぐことにした。おまけにはやては全席指定でもあり、何かと手間がかかる。
とりあえず盛岡までやってきて、西日の差し込む待合室で時間をつぶし、さらにこまちの併結の様子など眺めたりして目的のはやてをただただ待っていた。手元の特急券は古川-八戸で盛岡-八戸だけ座席指定といった妙な記述がある。さらに八戸から先の乗り継ぎ発券も必要としていたのだが、えきねっとでの指定の仕方が分からず窓口で購入しておいた。基本的に急ぐ旅ではないので焦ってはなかったが、それにしても新幹線の乗り換えのために30分も1時間も待たされるのは気分がいいものではない。
新幹線の八戸延長に伴い在来線側の乗り継ぎ特急の運用も様変わりしていた。青森を通り越して弘前と函館へ向かう2方向の特急が設定されている。いま乗ってきたはやてと接続するのは弘前行きで見慣れぬ顔をしていた。特に理由はないが、既に混雑していたので1本見送り次の函館行きで青森を目指すことにした。
今回は往復ともに陸路+青函トンネルで北海道を行き来することにしている。今夜はこのままはまなすに乗って北海道入りすることを考えていた。昨晩の銀河は後付けで行程に組み込んだため、結果として車中2連泊となってしまった。事前の準備もトワイライトエクスプレスにばかり注力していたため、はまなすのケアがまったくできていない。経験ついでにカーペットカーを取って楽に行きたいという希望は強かったが、もちろんこちらはこちらで競争率が高く、それどころかドリームカーもB寝台も取ることができなかった。若くもないしそんな無理はしたくないのだが、考えるのも億劫になっていたか普通の指定を取ってそれでおしまいになっていた。(後日談:あたてめてはまなすのカーペットカーに乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
日もとっくに暮れてしまいスーパー白鳥で青森入りしたときはすっかり夜の様相だった。最初は駅の近辺をうろうろしていたが、何か喧騒な雰囲気が感じられ、そのうち今日は青森ねぶた祭りが行われてる日であることに気付き、早速見物に行くことにした。弘前の立佞武多も有名だが、次から次へとやってくるこちらのねぶたの行進も見てて飽きることはない。お囃子の独特のリズムは踊りに狂する人々の気持ち(ハート)をより高揚させ、祭りの雰囲気をさらにヒートアップさせていく。祭りには普段人間の奥に潜んだ欲求を発散する意味もあると聞いたことがあるが、昔ながらの伝統的な激しい系の祭りには、本当にそういう効果があるのかもしれない。まったくのよそ者なので傍からこうして見ているだけなのだが、偶然とはいえいい経験をさせてもらった。そういえば去年の夏は阿波踊りを逃してしまってたっけ…。
列車の発車時刻が近づき、祭りは幕引きとなった。いやぁ、それにしても暑い。青森駅へ戻り、はまなすの入線を待つ。今日は特別にねぶた祭りのための臨時列車が各方面へ設定されていた。東北本線の上りは、なんと特急用の車両が普通列車としてあてがわれている。ところで、今日のはまなすの編成を見ると、寝台車も指定席車も増結されており長大編成となっていた。夏休みらしく自由席を求める客の数も多く、ホームの隅っこで群集ができており、駅員3名が整理に向かっていた。指定はほぼ満席とのアナウンスがあったが、着席してみると運良く自分の隣には人がやってこなかった。とはいえ、これから札幌まで一晩過ごすにはせめてドリームカーでちょっとゆったりした空間が欲しかった。かつての海峡快速を思い起こさせる急行列車は祭りの余韻を残す中、青森を出発した。
窮屈な思いをしたまま青函トンネルを抜けそのまましばらくうっつらうっつらしていると、列車は函館へと滑り込むところだった。意外だったのはかなり多くの人がここで降りてしまい、ご近所を見回してみると随分と隙間ができていて、ちゃっかり"ワンボックス"を作ってくつろいでる人もいる。前後をみて自分も座席を回転させておいたが、前列も後列も両方とも空いているようだ。函館を出発してそれでも座席を利用する気配がないので、周囲にならって自分もボックスを作ってみることにした。
結果的にドリームカーよりも立派なスペースを確保してしまったようで、函館以北は思いのほかゆったりすることができた。白々としてきた車窓を眺めながら、北海道へ渡ってきたことを実感する。同じ車両の前の方に陣取ってた団体さんは、ツアーコンダクターが手に持つ旗を見ると某大手旅行会社が募集したねぶた祭り見物ツアーらしい。子供が腰につけたままにしてあった鈴の音が時折震え、大人たちも名残惜しそうにお別れの挨拶をしていた。
2日目
今年の夏は東京でも39.5℃を記録するなど、まさに猛暑である。ここ北海道でも連日最高気温が30℃近くまで上がり、今日も朝からうんざりするような暑さだ。これでは北海道までやって来た気がしない。北海道出身の人の言葉を借りると、東京の5月、6月はもう"融けてしまう"ほど暑いらしいが、これでは蒸発してしまうのではないかと心配になる。(笑)
スーパー北斗で苫小牧までもどり、JR最後の乗りつぶしのためにいよいよ日高線へと足を踏み入れることになる。(後日談:このときは九州新幹線のことは意識しないでいましたが、あらためて九州新幹線に出向いたときの旅日誌はこちらをご覧ください。)前回はちょうど台風で壊滅的な被害を受けてしまったので日高線は諦めざるを得なかったが、今回はそういった心配はまったく必要ない。2両で入ってきたキハは1両切り落とされ、単行で終点様似を目指す。利用者はどれ程なのか予想できないが、とりあえず海側のベストポジションを確保することができた。じわっとやってくる気持ちの高ぶりが何ともいえない。「優駿浪漫」と記された日高線の車両は静かに苫小牧駅を出発した。
大きな工場がいくつか続き、気がつけば荒涼とした風景の中を列車は走っていた。夏休みのせいか、この時間でも利用客は多いとはいえない。ぽつりぽつりと降りていく人、乗ってくる人はいるものの、適当な数の人を乗せやがて海岸沿いへと出てきた。天気はあまりよくなく、目の前に広がる海もその色は冴えないグレーである。静内近くまでやってくると、単に荒涼としていた台地から人の手の行き届いた牧場が目立つようになってきた。そう日高地方は言わずと知れたサラブレッド牧場"銀座"でもある。車窓からも馬の姿を多く目にすることになるのは、実に北海道らしい風景と言っていいだろう。
静内駅で上下交換のためしばらく停車する。その後も一面の太平洋と牧場の風景が続いていた。自分で言うのも変だが、既存路線の最後が日高線となったのはちょっと感慨深いものがあった。終点の様似駅でいま一度感動を噛みしめ(笑)、折角なので定石どおり襟裳岬へ行ってみることにしよう。えりも方面へは数少なくなったJRバスで向かうことになる。日高線の延長のような形で、アポイ岳を左手に見ながら海岸線沿いの道は伸びていた。ここまでくると日高山脈の山々がそのまま海へ落ち込む形になり、険しい地形であることがよく分かる。国道から外れアップダウンを繰り返し南下し切ったところが襟裳岬である。1年中風が強くまた霧の多いところで有名だが、今日は比較的穏やかである。バスを降りて早速岬の先の方へと歩みを進める。立派な灯台の脇を通り、目の前にぱぁっと広がった太平洋の素晴らしさは何とも言葉にならない。自分が立ってるところも、断崖絶壁のような場所で、とても迫力がある。岬の先のごつごつした岩礁にはアザラシが生息しているらしいが、ウミネコの姿だけで本当にいるのかどうか分からなかった。次のバスが来るまでにはまだまだ時間があり、散策にはちょうどいい。もちろん車でやってくる人がほとんどだが、北海道らしくツーリング族も少なくない。気がつけばお昼どきだったので、事前に小耳に挟んでいた「大漁ラーメン」というのを試すことにした。ちょっと値は張るが、無骨に盛られた海の幸に程よく効いた昆布のダシの旨みがなんとも美味である。都会じゃ逆立ちしても口にすることはできないだろう…などと考えるととても贅沢な気分になってきた。
次のバスが来るまでの2時間はあっという間に過ぎてしまった。よくあるパターンではあるが、何となく日高線から行動を共にしてきた集団は同じ方向のバスを待つ列を作っていた。自然と会話も弾んでくる。毎年必ず夏は北海道へ来るだとか、こんなに穏やかな襟裳岬は初めてだとか、今宵の宿あるいは昨晩の宿はどの列車だとか、北斗星はヘタってきたのでトワイライトエクスプレスの方が断然上だとか、その手の他愛もない話でひとしきりの待ち時間は過ぎていった。
様似からやって来た西岸をその方向に戻るのではなく、東岸を広尾方面へ抜けることにする。ここらは黄金道路と呼ばれ、いまさら説明するまでもないが地形はより一層厳しいものとなる。お昼頃に比べれば霧も出てきて見通しは悪くなっていた。この時期も途中途中で工事が行われ片側交互通行となる箇所があり、バスの定時運行も困難だと聞いていた。なので広尾から帯広へ抜けるバスへの接続ができなくなってしまうこともあるらしい。だが予想はいい方へ外れ、広尾駅でちょうどうまい乗り継ぎのタイミングとなった。広尾駅というのも違和感のある表現かもしれないが、この次に乗るバスは廃止されてしまった広尾線の転換バス路線である。帯広までの切符を買い、わずか2、3分ではあったがかつての広尾線の記録が展示されたコーナーを見学した。
去年9月のときにちょっと寄り道のような感じで幸福駅跡に来たことがあったので、この路線バスに乗るのは2度目ということになる。駅員さん(この表現も微妙?)とバスの運転手の会話によると、スムースに乗り継ぎができたのは珍しいようだ。同じルートでやってきた来た一団も疲労の度を増しているのか、みな一様に眠り込んでしまっていた。不思議と自分は目が冴えたままだったが、途中、暮れ行く中、幸福駅にあるキハたちが西日に照らし出されているのが確認できた。
帯広へ到着すると、例の一団は自然と解散となった。今日はさすがに疲れたが、帯広駅近くに投宿することにしてある。と思いきや、一団の中の一人が同じ宿へ入って行くことになり思わず苦笑いとなった。当初考えていた時間より早く帯広へ着くことができたので、例の豚丼のお店へ行くことにした。と、どうだろう、今度はあの一団の中にいた別の人の姿を見かけることになる。言葉を交わすことはなかったが、あの味を確かめについつい足が向いてしまう気持ちはまったく同じなようだ。
3日目
何というか、今日は内容的にも目立った"タマ"のない日である。富良野、旭川を経由して稚内まで北上する。去年北海道へ来たときも帯広で一泊したが、そのあと富良野に立ち寄るのが企画倒れに終わったのは苦い記憶として残っている。とりあえず、朝早い根室線の鈍行に乗り込むことにした。横からは朝一の札幌行きの特急が先の発車となるが、近づいてみると塗装はほころんでおり、かなりヘタってるようにも見える。冬の厳しさを思えば仕方ないのかもしれないが、いつまでも使い続けるのだろうか?
ゆっくりとした感じでキハは帯広を出発した。三度目とはいえ、しばらく続く高架区間も見慣れた風景になった。昨日も暑かったが、今日もまた暑くなりそうだ。まだ朝7時だというのに、既に車内は蒸し暑く感じられる。もちろん、この鈍行も非冷房車であり窓を開ければ風が入ってくるので多少楽には感じるが、今年の北海道はどうかしてしまったくらい暑い。新得で後ろ2両を落とし、単行となったキハはこのまま狩勝峠へ臨む。以前この筋を利用したときは、特急列車とのすれ違いや貨物列車に道を譲るなど繰り返し何回も待ち合わせを行っていたが、今日はほとんど信号所で止まることもなかった。それにしても、この雄大な車窓は何度目にしても飽きることはないと思った。
あと1、2ヶ月早いと富良野、美瑛近辺の散策にはベストな時期かもしれないが、今日は特に用もないので富良野は乗り換えのために降りただけで素通りとなった。富良野線には冷房車が充てられており、ちょっとだけホッとする。小高い丘が続くなかを軽快に走り、途中ノロッコ号とも交換してお昼前には旭川に到着した。(後日談:あらためて富良野に再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)実は旭川も素通りばかりで、乗り換えで慌しくホームを移動したことしか記憶にない。そんなわけでしばらく街歩きでもしてみる。小腹もすいてきたし、そういえば…といった感じで旭川ラーメンとやらを物色してみることにした。まったく予習してなかったが何となく無難な感じのお店を探し、しょう油ベースの正統派ラーメンを試すことにした。
効率重視の行程にすると今日は無駄な1日であって、実のところどうするか迷っていた。札幌へ直行してトワイライトエクスプレスを捕まえるのも別に無理なスケジュールではなかったが、ただ何となく宗谷本線で北を目指すことにしていた。特急で直行するのもあっけないので、とりあえず途中まで鈍行を乗り継いで行くことにする。まずは名寄行きに乗るが、これまた非冷房車で滅茶苦茶暑い。先程のラーメンも失敗だったか…。北上すればちょっとはマシになるかと期待はするものの、まったくダメそうである。名寄で次の鈍行に乗り換える。先程とはまた違った車種ではあったが、暑苦しさは相変わらずである。ただ、車窓の風景はみるみる変わってきており、いわゆる秘境駅が顔を見せ始める。音威子府で数十分の時間調整が行れるため、このまま鈍行に乗り続けていると稚内到着が結構遅くなってしまう。ここで生じた時間を利用して話しに聞く音威子府の駅そばを試してから特急に乗り換えることにした。この駅そばもなくなってしまうのではないかと危惧されいるという。一方的で勝手な願望かもしれないがいつまでも続けていて欲しいものだと、噂に聞く黒い色をしたソバを味わいながら思った。駅構内にある天北線の展示コーナーなど見ながらもう少し時間をつぶし、特急列車の入線を待つ。ここ音威子府でサロベツ同士の交換が行われる。以前来たときは上りのサロベツを利用したはずなのだが、まったく記憶がない。夏季限定で連結されたお座敷列車に乗り込み、残りの宗谷本線の車窓を楽しむことにする。天気はあまりよくなかったが、かすかに利尻富士を望むことができた。(後日談:利尻島へ渡ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
定刻に稚内へ到着、今日はここで一泊する。時間的にも観光する余裕はないものと最初から考えてたし、宗谷岬往復などは省略して何か旨いものでも喰って今日はおしまいとしよう。(追記:宗谷岬へ行ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)稚内駅近くをウロウロしていたら、久しぶりにシャッターお願いします攻撃に遭う。最近はデジカメが主流であるようだ。何気なく入ったお店で地の物に舌鼓を打つことにした。はい、サービスだよ、といって目の前の板さんからさばいたばかりのカニを少々余計にいただいた。何とも至福のときである。今日の稚内"オプション"は正解だったかな?(笑)
4日目
稚内滞在は1日余計に取ったものだったが、結果的には大満足だった。さて、ここから一気に南下することになる。南下と言っても本当に何千キロもの移動で、まずは長距離バスで札幌へ向かう。朝早い時間に特急利尻が到着したのを横目にバスの発着所へ回る。偶然にも襟裳岬の一団にいた人を見かけたが、利尻でやってきたのだろうか。鉄路スーパー宗谷で札幌へ直行してもいいのだが、ちょっとアクセントを付ける意味で今日はこちらのバスを利用することにした。サロベツ原野を抜け、日本海沿いに何十キロも進む車窓は圧巻だと聞いたことがあったので、ぜひ確かめなければならない。(笑)
この都市間バスは完全予約制で、座席や設備のグレードがちょっとだけ高めなのがそれとなく分かる。稚内駅前を出るときはこの程度の利用者?と思ったが、途中2、3ヶ所拾ったところで程よく席は埋まった。これだけの利用率ならまぁまぁだといえるだろう。しばらくは宗谷本線に近いところを走るので、車窓を流れる景色は昨日目にしたのとたいして変わらない。稚内市街を抜けると原野のような風景が広がる。人造的な建造物はほとんどなくなり信号の数も極端に少ない。バスはノンストップで何十キロも走り続けた。しばらくして日本海沿いに出てきたものの、その頃から霧が出始める。残念ながら視界はあまりよろしくない。ところどころで目につく風力発電の羽も止まったままのものが多く無風状態であることが分かる。オロロンラインと名付けられた道路を南下し、羽幌で1回目の休憩となった。
海に一番近いところでも波打ち際がかろうじて見える程度だったが、留萌に近づくあたりから徐々に霧は晴れ視界が開けてきた。ただ真っ白なだけで終わってしまわなくてよかった。今度は留萌線に沿うような形で内陸へ入り込み、滝川近くから高速道路に乗る。2回目の休憩を途中SAでとって、あとは一路札幌を目指すことになる。空はすっかり晴上がり気温もここ連日のように30℃を超えそうだ。そうこうして、ほぼ6時間かけてバスは稚内から札幌へとやってきた。
実はここまで来る間で非常に気になることがあった。大阪を出発する頃はまったく気にかけてなかったのだが、小型ながら台風が北上しており2、3日前には近畿地方を中心に大雨を降らせていた。その後日本海に抜けて勢力も弱まり熱帯低気圧になったらしいが、進路を東向きに変え東北地方を横断すると天気予報では言っていた。今年は単に猛暑なだけなく台風の当たり年でもあり、新潟や福井などでは何十年に一度といった大雨を記録していた。去年も台風には随分泣かされたので今回もとても心配していたが、ここへきて現実のものになってしまった。今朝のローカルニュースではトワイライトエクスプレスと日本海に遅れが出たらしいと言っていたが、果たしてどれくらいの遅れなのだろうか?バスの中でもそれがとても気掛かりでいた。
札幌に到着してすぐさま駅員にたずねるととんでもない答えが返ってきた。「昨晩のトワイライトエクスプレスは6時間遅れで、函館駅で運転が打切られまして…。」ひやぁ~~そ、そんな、、、(絶句) これまで順調過ぎるくらいにスケジュールをこなしてきたが、肝心なところでこうなるとはまったく予想もしてなかった。よく知られてるように、トワイライトエクスプレスはJR西日本の持ち物なので、大阪から下りで札幌へやってきた車両がその日の上りとなって大阪へ戻る形になる。よって、それなりの時刻に札幌に到着していなければ、定刻での折り返しが厳しいことになる。それどころか昨晩は途中で運転が打切られているので、札幌発の上りというのは絶対に有り得ない。一瞬頭が真っ白になったが、トラブルに遭ったときにどう対処するかが腕の見せどころである。(謎) ロイヤルのチケットを入手するのに運を使い果たしてしまったのかどうか分からないが、とにかくリカバリープランを立てなければならない。さらに駅員に聞くと、下りの運転は打切られたが代車が出て札幌に向かっており、上りも代行列車を出してどうにか函館からトワイライトエクスプレスの運転を再開させたいらしい。トータルでどれだけの遅れになるのかがとても気になる。
その後も案内放送や伝言ボードを気に掛けていたが、代行運転の臨時列車が16時過ぎに札幌に到着したあと、すぐに上りとして折り返すことが決まった。函館の乗り継ぎもトワイライトエクスプレスが発車を待ち構える形で行われるという。とすると、定刻から2時間半程度の遅れと予想ができる。トワイライトエクスプレスのような特別な列車は回復運転が望めないから更に遅れるかもしれないが、代行列車の頑張りによっては北海道内での所要時間の短縮も期待できる。もともと大阪で1時間のバッファーを見ていたしトワイライトエクスプレスが3~4時間遅れたとしても、予約していた関空発・那覇行きには4時間後にもう1便あるのを知っていたのでそいつに差し替えればどうにかスケジュールはつながる。ということで、シンプルに結論を出し関空発の飛行機を1便遅らせるだけにした。運良く若干の空席があるとのことなので電話一本でことは済んだ。これでさらにトワイライトエクスプレスに遅れが出るようなら、まったくの御破算にするしかないだろうが、とりあえずこの案で腹をくくることにした。
というわけで皮肉にも前回の北斗星と同様、台風のあおりを喰って札幌で2、3時間余裕が出きてしまった。前回は羊が丘の展望台を見物しに行ったが、今回はとりあえず小樽にでも行ってみることにする。これといった理由はないのだが、強いて言えばトワイライトエクスプレスが取れずに考えてた代替案ではなぜか小樽に立ち寄ることになっており、それが頭の片隅にあったからかもしれない。往復で1時間とみても昼飯を入れて1~2時間は滞在できそうだ。ということで、早速快速に乗って小樽を目指すことにした。途中、苗穂工場では見学会が催されており、多くの人で賑わっていた。さまざまな車両の中に北斗星の姿も見て取れたが、もしかしたらトワイライトエクスプレスの車両も"出演"していたのだろうか?何の因果か、思いもよらず午前中に引き続き日本海沿いを行くことになったが、北海道とは到底思えない陽気の中、あちこちで海水浴を楽しむ光景が見られた。まさか張碓駅を目指しているとは思いたくはないが、線路脇を歩く人の姿もありハラハラした。以前小樽に来たときはただバスに乗っただけで何もしなかったが、今回は街歩きをしてみることにした。腰を据えてしまうとあっというまに時間が過ぎてしまうので、昼メシは軽く済ませることにする。小樽運河や手宮線跡などひと通りみて回り、その辺のお店ものぞきながらぶらぶらして時間を過ごす。メジャーな観光地なので人出が多いのは仕方がないが、まぁよしとしよう。
札幌駅に戻ってきて、代行列車を待つことにする。隣のプラットフォームにはカシオペアが入線してきたが、トワイライトエクスプレスに乗りたくなったのもこうしてふと目にしたことがきかっけだったりするので、とりあえずはやる気持ちを抑えることする。(苦笑) それにしても、夏休みとはいえカシオペアの乗客に親子連れが多いのに驚く。貧乏家系(?)に育った人間には信じられないが、なんて贅沢なガキどもだ。こっちはロイヤル個室を取れる身分になるのに何十年もかかったというのに。(後日談:カシオペアは2016年に運行を終了しましたが、団体ツアー専用の臨時列車「カシオペア紀行」として運用されています。カシオペア紀行に乗車したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
案内板には『16:28大阪行き トワイライトエクスプレス』と出ているが、こういうときはどんな代車がやってくるのか、妙に興味を覚えたりするものだ。と、どうだろう。国鉄色の最古参が入ってきた。正直、驚いた。えぇ、まさか、これ?といったような、とんでもない車両をJR北海道は引っ張り出してきたものである。これをトワイライトエクスプレスと思え!と言われても、何というか、あまりのギャップについつい笑ってしまった。6時間遅れで函館に着いた挙句にこいつに押し込められたのだから、下りでやってきた人たちもある意味気の毒なものである。というか、今度は自分の番である。やっぱり、あまりのおかしさにもう一度笑ってしまった。
手の付けようがないほどオンボロというわけでもないが、イベント用にでもとっておいたのかJNRのロゴまで入っている。予備車とはこんなもんなのだろうか?4両という不思議な編成は普通車だけで、どこでもいいから座ってください…とだけ言われた。4両編成に押し込まれたにも関わらず、座席はまったく余裕がありトワイライトエクスプレス自体がどんなに贅沢なものなのかがよく分かる。ブルブルっと低いエンジン音を震わせ、国鉄色のばったもんトワイライトエクスプレスは札幌駅を出発した。本来トワイライトエクスプレスに乗務するはずの車掌がそのまま乗り込み、指定の確認とお詫びの挨拶回りに奔走していた。
千歳線内は普通列車に頭を押さえられているのか、まったくスピードが出せないでいた。だが、きっちりと筋は引かれているらしくそれぞれの停車駅では「臨時特急」との案内で発車時刻まで正確に表示されていた。途中、苫小牧で食堂車の担当客室乗務員が乗り込んできて食事が遅れてしまうことの説明や夕食を予約してない人のフォローなど、こちらも奔走していた。自分も日本海会席御膳を予約していたので申し出ると、どうみても遅れは2~3時間だろうから明日の昼食にまわしてみてどうか?との申し出にそのまま承諾した。今夜の夕食については予約なし用の弁当を手配してもらうことで済ませ、あわせて朝食の予約も入れておいた。お弁当は函館で積み込みますのでウェルカムドリンクと一緒にお持ちします、とのこと。何気なく話をしてみたが、もちろんこんな経験は初めてで苦笑いしながら「段取りも立たず参りますわぁ、もぉ、やってみないことには、どうなるか分かりしません…」とはベテラン風の男性アテンダントの言葉である。こういう状況での人懐っこい関西弁は、妙にはまるものだと正直思った。
代行列車は定刻から3時間遅れのまま順調に(?)走っていた。皮肉にも洞爺近くの景色のいいところで最高の夕暮れ(トワイライト)を迎えることになってしまった。それにしても、窓が薄汚れていて外の景色がよく見えない。急なこととはいえ、洗車くらいしておいて欲しかった。車内の空気も「もういい加減疲れました、限界です…」といったところで21時過ぎに函館駅へ到着した。途中真っ暗になりながらも目を凝らしていたら、ご丁寧にも渡島まわりの忠実なルートだった。
函館にトワイライトエクスプレスが入線するということは普段あり得ないことで、この貴重な光景を記念に2、3ショット撮っておく。突然やってきたニセモノ(?)とのご対面の姿が妙におかしい。乗り継ぎ時間は7分とのことで、みなそそくさと乗り換えていった。もう7時間も"お預け"になってしまったトワイライトエクスプレスのロイヤルにようやく辿り着くことができた。襟裳岬で聞いた話の通り北斗星のロイヤルは使い込まれて古くなってしまっているが、こちらはリニューアルされたこともありとてもきれいな落ち着きのある部屋だった。函館駅を出発するとすぐにウェルカムドリンクと予約しておいたお弁当が届けられた。早速パチリと記念撮影しておく。例の車内アテンダントと入れ替わる格好で車掌が案内にやってきた。代車の中で既に検札を受けルームキーも受け取っていたので特に用事はないが、一応部屋の設備の案内ということらしい。北海道の乗務員は青森までの乗務なのでかなりバタバタしており、そのあおりか青函トンネルの案内はなくなってしまった。食堂車も状況は似た感じで、すぐに食事の提供を始めるとのこと。車掌から乗車記念のオレンジカードを購入しついでに裏話的に聞いたところによると、もちろんこんな運用は経験したことがなく、まさかあんな代車が出てくるとは思わなかった、とこちらも苦笑いしていた。
北海道用の青いカマに引かれた姿を見ることもなく、函館始発大阪行きの豪華寝台特急は日本海と同じ運用になってしまった。ところで、ひょんなことで手にした予約なし向けの弁当は噂どおり質が高く満足のいくものだった。もし東京駅で3倍の値段で売ったとしても、十分やっていけるのではないだろうか?感傷に浸るヒマもなく青函トンネルを抜け、あまりにもあっけなく本州入りしてしまった。食堂車もギリギリのところで予約のディナーをこなせたようで、スタッフも安心してるに違いない。車掌もJR西日本に担当が替わりこの先の到着予定時刻の案内があったが、結論的には何も決まっておらず、とりあえずこのまま先を行くらしい。直江津を越えて西日本エリアに入ったところで順次決めていくとだけ放送があった。とはいうものの、恐らく3時間程度の遅れで大阪に着くようなことも言っている。無事トワイライトエクスプレスに乗れたし、こうしてしっかり走っているのでシャワーでも浴びて寝ることにしよう。奥羽本線から羽越本線にかけては足回りが悪いと聞いていたが、それにしてもよく揺れる。決して回復運転のためにぶっ飛ばしてるわけではないだろうが…。
目が覚めると夜はすっかり明けていた。1回目の朝食の案内放送が入るのを聞きながら身支度をしていると、中途半端なところでモーニングコーヒーのデリバリーが来てしまった。北斗星のときは前もって時間を聞かれてたので安心しきってたら、こちらは自己申告しなければならなかったらしい。予約しておいた2回目の案内放送が入ったところで食堂車へ向かう。席はアレンジしてあって、早速朝食とする。ちょっと優越感に浸れる瞬間でもある。決してお安いものではないが、ホテルで中途半端な朝食をするくらいなら対価価値は断然こちらの方がある。落ち着いて外に目をやると早朝に通ってしまうはずの長岡に未だ到着したところだった。窓の向こうで小柄な女性車掌が普通列車を仕切っている姿が見て取れた。昨晩はあまりにもばたばたしていたので、ようやく列車旅の実感がわいてきたような気がした。
富山での時間調整停車で一通り外っつらを確かめたりして、ついでに車掌には大阪での乗り継ぎの確認をしてもらった。既に手元にはいろんな人の切符が集まってきてて、変更手続きに追われているようだ。とりあえずいまは遠慮して福井を出たところで西日本のオレンジカードを購入することにした。ここでも話しを聞かせてもらったが、特に北海道の代車については評判が悪く、クレームも3、4件寄せられたとか。西日本の車掌にとってみれば「そんなにひどかったですか?」といってしまうのも無理はない。「写真撮りました?」とも聞かれたので「しっかり撮っちゃいましたよ。」と返答する。続けて「それもホームページとかに載せちゃうんでしょうねぇ??」と微笑みながら聞かれたので「はい、しっかりとね♪」とだけ答えた。というわけで、しっかり載せてしまいました、、、ごめんなさい。
5日目
やはりきれいな筋ではなかったので、ところどころ速度が抑え込まれたりサンダーバードに抜かれたりしていた。トワイライトエクスプレスの楽しみというと、要所々々でその土地の案内をしてくれるというものがあるが、ダイヤ調整や乗り継ぎ列車の手配など車掌も忙しかったようで所々省略されてしまったらしい。福井でサンダーバードへの振替もできたようだが、ロイヤルと昼食(御膳)の権利を放棄してまでも1時間くらい短縮したところであまり意味はないので当然やめておく。そのあと敦賀で通常通り機関車の交換が行われ、結局、大阪へ到着したのは定刻からちょうど3時間遅れのことだった。波乱に満ちたトワイライトエクスプレスの列車旅もこうして幕を閉じることになった。やはり消化不良気味というか、これではもう一度乗らなければならない。(爆) 今度はぜひ下りにしようと思う。ちなみに、最後に流れた放送のBGMは「三都物語」ではなく「いい日旅立ち」だった。(後日談:そんなトワイライトエクスプレスですが、残念ながら2015年3月をもって運行が終了しました。)
何日かぶりに戻った大阪もめっちゃ暑く、これはかなわんなぁ~と思わず声を上げてしまった。大阪駅で一旦帰路を区切る形にして、あらためて新大阪へ向かうことにする。次は関空特急はるかに乗り継ぐ。外から目にしたことは何度かあったが、実際に乗り込むのはこれが初めてである。淀川を渡り切ったところで右にカーブし東海道線と離れ、梅田の貨物駅の北ヤードを通過する。大阪駅を迂回するルートであり、強いて言えばここも微妙に未乗区間のようなところでちょっと興味を覚える場所だ。再び東海道線の下をくぐり、踏切による平面交差をいくつか通過するとやがて環状線と合流する。西九条駅からは例の赤いクモ男(!)の図柄の袋を抱えた人の姿が目立ち、USJの効果が大きいことが分かる。これでもかといわんばかりに阪和線の水色の各駅停車を追い抜きながらはるかはすっ飛ばしてきた。はるかの乗り心地は悪くはないが、アーバンネットワークを構成するJR西日本ご自慢の快速とあまり変わり映えはしないようにも思う。ただ単に着席が保証された列車…というのなら特急である必要があるのか、そこはよく分からない。新大阪や京都とのアクセスを考えると確かに便利だが、コストパフォーマンスだけ重視するとラピートの方がいいかもしれない。
連絡橋を渡り関空へやってきた。別に大阪伊丹からの便でもよかったのだがはるかにも乗っておきたかったし、何となく別の空港を利用したかったので今回は関空-那覇便を選択した。本当ならもっと早い時間に来れていたはずなのだが、こればかりは仕方ない。まぁ、まったく間に合わなかったことを考えれば少しはましか…ということにしておこう。搭乗口の近くまで来て何か雰囲気が違うことに気がついた。建物が立派過ぎて、、、という理由もあるが、海外からの乗り継ぎコードシェア便という扱いのためか利用者のほとんどが外人さんで、それもほぼ満席である。長旅に疲れ切ったのかイスで横になって待ってる人も少なくない。そんな事情は知るはずもなかったが、とりあえずそんなことはどうでもいい。遠くで雷がピカピカ光る中、沖縄行きの便は関空を飛び立った。しばらくは紀伊水道の上空を行き、高知の足摺岬をあとにして一路太平洋を渡っていく。隣の席に座った人は、分厚いActiveServerPagesの入門書に見入っていた。自分もWebに関係したエンジニアの端くれではあるが、そんな基礎知識はすっ飛ばし実践あるのみ!と意気込んで乗り切ってきていたので関心できたものではない。それに比べ、いやぁ実に勉強熱心ですな。
実は日本の都道府県で唯一足を踏み入れたことがなかったのがここ沖縄県だ。ということで、初上陸を果たす。だが、すっかり夜も更け周囲の様子はまったく分からない。あのような飛行機に乗せられてしまい、大げさかもしれないが異国の地に連れてこられたような錯覚にも陥る。とりあえず今日はこのまま宿に向かうことにしよう。(後日談:その後、八重山地方を巡ることがありました。こちらの旅日誌もご覧ください。また、沖縄本島をまわったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
6日目
いやぁ、それにしても、本当に北海道から沖縄へ来てしまった。乗りつぶしの極みというか、ゆいレールを片付けるのが目的だが、さすがにそれだけではもったいない、、、が、その割には一泊しかしないのだが…。ということで、まずは首里城見物に出掛けることにした。
首里城はゆいレールの終点首里駅から徒歩で行けるところにある。ということは、那覇空港からここまでモノレールで移動したので乗りつぶしは終わったことになる。(苦笑) そんなことはとりあえずおいといて話しを元に戻す。モノレールの導入については、慢性的な渋滞の解消など、詳しいことはそれなりの情報を参考にしていただくとして、デビューしたときの沖縄の人たちの驚きは容易に想像がつく。結構高いところを走っているようで、この空中散歩はよそからやってきた人間からしても目を見張るものがある。車両自体はとても簡素で運転手の動きを見てるとマニュアル操作が多いことが分かる。2両編成のワンマン運転なのだが、ドアの開け閉めも駅に止まるたびにいちいち席を離れて運転手が行っている。運転台での遠隔操作も、プラットフォームの様子を写すコンソールモニターもない。運転操作もATOのようにボタンひとつで済ませるようなものではなく、加速、減速はマスコン操作によるものだ。無理してシステム化して無人運転にするようなものでもなかったのだろう。導入コストを抑えることが目的かどうかわからないが、逆に手作り感が伝わってきて不思議と好感が持てる。
終点に近くづくにつれ一段と高いところをモノレールは走る。やがて右手には首里城の赤い屋根が見え、振り返れば那覇市街の向こうに遠く青い海が広がっている。停車駅の案内放送で流れる何気ない沖縄音楽のメロディーは慣れない訪問者の気持ちをやさしく揺さぶり、見るもの聞くもの全てが遠くからやってきた旅人の記憶の奥深いところへ静かに訴えかけてくる。モノレールを降りて外を歩き出すと、緯度が低いせいだろうかじりじりと紫外線の強さを感じる。これは間違えなく日焼けしてるな…。(後日談:その後、延伸されたゆいレールを乗りに来る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)路肩の案内板に従い移動し、首里城の入り口近くまでやってきた。
龍潭池の向こうに首里城の赤い建物が見えてきた。守礼門を通り城郭へと向かう。ここ沖縄はいまでは日本の一行政区域だが、かつては琉球王国と呼ばれ独自の歴史と文化を培ってきた場所である。専門家でもないのでここで詳しい解説をする気はないが、沖縄は先の大戦でとても不幸な時期を経験し、ここ首里城も壊滅的な破壊を受けたという。首里城は、いまではすっかり立派な建物として再建され、サミットをきっかけに世界的にも有名になった場所でもある。独特の雰囲気を漂わせた門をいくつか通り本殿までやってきた。中には貴重な資料も展示されており、早速見学することにする。にわかではあったが琉球文化に触れるいい機会になった。那覇空港で3、4時間待ち時間があれば十分見学できますよ、と案内されていたが、確かにここはおすすめの場所と言っていいだろう。(後日談:この首里城ですが、火災で焼失するというとても残念なことが起きてしまいました。いち早い再建を願いたいところです。)
城郭の中を見てまわり琉球舞踊の舞台なども見学したあと、西側の高台に出てみた。風が強かったが那覇市街とその先の東シナ海が一段とよく見渡せる。南国の雰囲気という言葉がぴったり合う。ちょっと遠回りして石畳道を通り抜けてみることにした。歴史的にも意味があると、ここでもにわか仕込みの知識を得ることになる。ドラマのちゅらさんの撮影に使われた場所とやらを見ながら首里近辺をあとにした。
もう少し時間があるので、繁華街のあたりへ行ってみることにした。国際通りに行けば沖縄土産は一通り揃うと言われてる。さらに中心部の「通り」と呼ばれる路地街に入るともっと身近に沖縄を肌で感じることができる。今回の長旅の締めくくりとしてその辺を街歩きしてみることにした。いくつかある通りは複雑に入り組んでおり、多少なりとも前もって予習はしておいた方がいいようだ。
ちょうどお昼どきとなったが、何事も腹ごしらえが基本であろう。(笑) 何気なく公設市場入口という看板を目にして中に入ると、屋台風のお店がいくつも出ていて沖縄そばを試すことにした。もっといろんな食べ物も注文したかったが、人も多くごった返していたので早めにそこは立ち去ることにした。見たこともない食材や、あるいはテレビで見たことはあっても実物に目にしたことはないものや(余談:そう、ブタの顔のあれとか…。)まったく違う世界に入り込んでしまったようでとても興味深い。沖縄限定といったお菓子の類も数多く、街角の自動販売機や見慣れたコンビニで売ってるジュース、お茶の類も微妙に違っている。午前中の首里城のときもそうだったが、暑かったせいもあり飲み物は何種類も試してしまった。国際通りは県庁側から入って一通り歩き通して、最後にゆいレールを数ショット撮っておくことにする。そうこうして本当におしまいということで、もう一度首里駅まで行って折り返すことにした。
最後にゆいレールを乗り通して那覇空港までやってきた。ここ那覇空港駅は日本最西端の駅であり、つい先日記念碑が建ったという。ちなみに、ひとつ手前の赤嶺駅は日本最南端の駅である。気がつけばこのモノレールも開業1周年ということで、記念カードが売られていた。相変わらず日差しは強く、今日の天気も申し分ない。それこそここで台風にでもあって足止めをくらったらたまったものではない。まずはお天道様に感謝する。首里城見物と街歩きとで時間を目いっぱい使ったため、飛行機の出発まであまり時間がない。名残惜しいがこれだけで沖縄をあとにしなければならない。
夏のこの時間帯は東京、大阪へ向かう便が集中しているにも関わらず、軒並み満席である。予約しておいた便も定刻の離陸となった。眼下の景色はみるみる小さくなり、奄美大島の上空を経由して太平洋をひたすら北上していく。途中逆方向の便とすれ違うという珍しい光景も目にした。やがて三宅島上空を通過し、噴煙が風に流されてる様子が確認できた。(後日談:三宅島を空路往復したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)順調に飛行を続け、珍しく定刻で羽田空港へ到着することになった。こうして戻って来てしまうと不思議と疲労を覚えるものだ。最近自宅の最寄り駅へ直行バスが走るようになったことを思い出し、ちょうどいいので今回初めて利用してみることにした。(後日談:残念ながらそのバスは廃止になってしまいました。)
何の反動からか今回の長旅はあまりにも多くのものを一度に詰めすぎた感じがするが、まぁそれはそうと途中ハプニングありと非常に変化の多いものだった。特に最後の沖縄遠征はとても印象深く、前半の方の記憶が霞んでしまう程だった。ところで乗りつぶしの方だが、既存路線で最後だった日高線を走破できたことと、最大の難関と思っていた沖縄都市モノレール(ゆいレール)も片付けられたことでいよいよ完乗に王手をかけた気分だ。次は九州新幹線を攻めに行かなければならないが、それよりも明日から現実に引き戻されてしまうのかと思うととても寂しくなってしまう。逃避行はいいのだが、この反動が実は一番怖い。毎度ながら頭の痛いところでもある。(後日談:九州新幹線へ出向いたときの旅日誌はこちらをご覧ください。)