■旅日誌
[2007/3] ちゅら島滞在記
(記:2007/5/19 改:2021/8/7)
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もう何ヶ月も前から、この1月に大きく休みをとって八重山めぐりする予定を立ていたのですが、突如降りかかったアクシデントというか、直前になって仕事の関係で急遽取りやめざるを得なくなってしまい生活パターンも一転、正直かなりしんどい状態が続きました。幸いにも3月にあらためてお休みをいただけることになり、今回はそのやり直しという形で八重山訪問を目指します。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
宮古島、多良間島、石垣島
1月末の沖縄・粟国島や、先月の大島日帰りなど、少しはガス抜きを行っていたが、かなり限界を感じていた。土日関係なく、朝帰ってほとんどそのまま出社するというパターンを何週間も繰り返していれば、おかしくならない方がかえって変である。以前のことを考えると、そんな生活パターンも懐かしくも思ったりするが、その考え方は正しくない。と、どうでもいい話はこれくらいにして本題に入る。折角のマイルの権利を消失してしまったことなど前にも書いた通りだが、今となってはもう諦めるしかない。今回のスケジュールについては、久しぶりに真剣に考えた部類であったので、1月の時点でもあとは実行するだけというものだったが、どうせなら…ということでさらにもう少しアレンジしてみることにした。詳しいことはまた後ほど書くことにしよう。
池間大橋
さて、今回の訪問先は八重山方面である。石垣諸島といったり、先島諸島といってみたり、呼び方としては他にも言い回しがあるようだが、今回は石垣島を中心に周辺の離島を巡ってみようというものである。特に日本の最西端である与那国島と民間人が行ける最南端の波照間島の訪問は長年の夢であり、満を持してというような気の入れようだったかもしれない。他にも西表島などぜひとも足を踏み入れておきたいところも多く、到底一週間程度で回りきれるものではない。ましてや東京から行くとなれば往復するだけでも大変であり、また夏~秋の台風シーズンだけでなく冬~春も季節風が強く、天気のことを考えると長期滞在を前提とするスケジュールが望ましい。だが、とりあえず取れるだけ取れた日程のなかでやりくりしてみた。結果、気がつけばいつものように強行スケジュールとなってしまい、天気次第では現地での行程も大きく変更を迫られる可能性がある。そこはまぁ、自分の運の良さのよさを信じるくらいしかない。
東平安名岬
ようやく電車で帰れるくらいの余裕は出てきたのだが、出発前々日の徹夜に続き前日も終電ギリギリとかなり危うい状況だった。折角手に入れたお休みなので、そんなことでひるんではいけないが、毎度ながら旅支度もままならないまま当日を向かえるパターンになってしまった。そこはまぁ手馴れたもので、手際よく準備を済ませる。ただここでいつも悩むのだが、残り2~3時間を仮眠に充てるかどうかである。翌朝の出発便は羽田7:20とかなり早い。幸い自宅最寄駅から羽田へ直行するバスができたおかげである程度計算は立つのだが、それでも5時半のバスに乗らないとギリギリになってしまう。寝ないで待つ方が得策にも思えたが、じっと座ってるだけで意識を失いそうだったので、目覚ましを5時にセットして寝ることにした。
東平安名岬
確かに目覚ましで起きたのだが、時計を見ると5時半をさしていた。やばい!と思い次のバスの時刻を確かめると6時である。これならどうにか間に合うはずだ。慌てて最寄駅へ向かう。平日と休日でどう違うのか分からないが、意外とこのバスを利用する人は多い。夜明けの横浜の風景を見ながらバスは快調に羽田へ向かうことになる。いやぁ、このバスができたことには感謝々々である。実はJTAの石垣直行便というのが6時台にもあるのだがさすがにこれに合わせるのは厳しく、今回は宮古へ飛ぶ便と決めてある。平日にも関わらず早々に満席となっており、予約だけは早めに押さえておいて正解のようだった。いよいよ長旅の始まりである。
来間島大橋
今日はまず宮古島に寄って、できる範囲で一周してみようと思っている。国内線ではあるが2時間超のフライトはさすがに距離を感じる。それ程遅れることもなく宮古島へ到着し、予約してあったレンタカー会社のお出迎えで空港近くの営業所へ移動する。離島の足としてはレンタカーという選択肢がまず第一であり、この先も何回かレンタカーを利用することになるのだが、運転することが苦にならない性分で本当によかったと思う。大雑把に言ってしまうと宮古島は三角形の形をしている。まずは左側の一辺を北上し池間島を目指す。街中の何気ない風景がもう普段とまったく違っているので、そんなことからも遠くへ来たことを実感する。やがて正面向こう側に池間島に続く橋が見えてきた。まずはこの池間大橋を渡ってみて、車を止めて一息入れよう。いきなりの絶景のお出迎えにすっかり気分も晴れやかになってきた。ちょうどお昼どきだったので近くで軽く食事を済ませる。意外と観光客の姿もあり、人の出入りも少なくない。「宮古そば」と銘打って出てきたソバは沖縄地方独特の黄色い太麺で、豚の角煮のようなものがトッピングされている。こんな風景をおかずにできるだけでもう満足である。店先で生のサトウキビを絞ったジュースを売っていたので、出掛けに思わず買ってしまった。
宮古島空港
続いて池間島を後にして"三角形"の右辺を南下し東平安名岬に向かう。宮古島の中でも一番人口が少ないと思われるところを進む。当然すれ違う車は数える程で、南国の"島"の風景が延々と続く。やがて見晴らしのいいところへでてくるとそこが東平安名岬だ。海に突き出た岬の風景はこれまた絶景である。自然の造形美には恐れ入るばかりだった。最後に"三角形"の底辺を西に進み、来間島へ向かうことにした。白い砂浜、青い海、宮古島は日本でも屈指のリゾートと言っていいだろう。多少遠回りしながら来間島大橋へとでてきた。小さな島へ渡り展望台からを振り返ると、これまた絵はがきにしたくなるような風景が広がっていた。名残惜しいが適当なところで切り上げてレンタカーを返却し空港へ戻ってきた。宮古島にはあまり長居する予定はなかったので、今日はこのまま石垣へ向かうつもりである。が、宮古島を離れる前に多良間を往復できるので、今回も空港めぐりのコマをひとつ進めることにした。いつもながら惜しい気はするが今回もとんぼ返りである。何となく天気が悪くなってきてるようだが、RACのプロップ機多良間島を往復する。(後日談:その後、宮古島を再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
多良間空港
再び宮古空港へ戻ってきたときはさらに天気が悪くなっていた。どうやら石垣地方も天気がよくないらしく、石垣空港へは条件付きでの出発となってしまった。もし石垣へ下りれなければ宮古島まで戻ってくるとのこと。来て早々、洗礼を受けるもの避けたいところだが…。先程多良間空港を往復したRAC機がそのまま石垣行きになるらしい。CAを含めクルーも同じ顔ぶれだった。外の風景もよく見えないまま、とりあえず石垣までへ来たようだが着陸便、出発便が立て込んでいて上空待機を余儀なくされているとのこと。2、3回旋回を繰り返し、ようやく石垣へ着陸することができたが、石垣空港はインフラ面で余裕がないということを実感することになってしまった。
RAC・Q100
空港から路線バスで数分行ったところの比較的安いところにまずは2泊予約を入れていた。夕食をどうするかまったく考えてないまま宿まできてしまったが、他に選択肢も思いつかなかったので隣のファミレスらしきとこへ行ってみることにした。白を基調とした建物に入ると天井は高く、リゾート気分を思わせるような装飾が目立つつくりだったが、嫌味のようなものも感じず意外といい雰囲気である。簡単なセットメニューを注文し、ついでにホテルにあったドリンク券を使って泡盛をロックでもらうことにした。しばらくするとこのお店のオーナーの方だろうか、比較的若い男性が一冊の本を持って話しかけてきた。「この本には沖縄で生産されている泡盛の全銘柄が載ってるんですよ。酒造所の紹介もあって面白いですよ。」そういい残して男性は立ち去ったが、違うテーブルにも行って二言三言会話してるようである。大体食事が済んだところで再び戻ってきて会話を交わす。「こんなに見せられても、よく分かりませんよね…」こちらから何気なく明日波照間へ日帰りすることを切り出すと、泡波という銘柄の話になる。「幻のお酒って言われてますしね、島に渡って手に入れたって話は聞きますが、石垣でも手に入らないんですよ。」食事の内容は悪くなくお財布にもやさしく、意外なところで楽しい食事をすることができた。初日の晩から何かついてるような、得した気分になった。
石垣空港
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
石垣島、波照間島
宿泊した宿の玄関先には空港へ直行するバスのバス停があり、必要最低限のものだけ持って空港へ向かうことにした。天気予報によると今日の沖縄本島は一日中雨模様とのことである。八重山地方もここしばらく荒天続きだったようで、昨日も石垣から与那国へ向かった便は着陸できずに戻ってきたらしい。ところが、なぜか今日の石垣島はすっきりとした晴天である。ここが熱帯地方に属するという証拠とでもいうか、普段とはまったく違う感覚を覚える。ところで、波照間島へは、曜日指定で日に2往復RACの小型機が飛んでいる。実はこの路線も一旦廃止になりかけたと聞いていたが、その後どうにか維持されてはいたものの、やっぱり廃止になってしまうらしい。そうするとあの高速船でしか波照間へは渡る手段がなくなってしまうので、いろんな意味で厳しい状況になってしまうだろう。(後日談:エアードルフィンによるシャトル便も検討されたようでしたが、結局、就航にはいたらなかったようです。)
波照間島・日本最南端の碑
例のごとく体重測定を行って席が指定されるのを待つ。本島からフェリーされてくるのか機材の到着待ちのため出発が30分ほど遅れるとのこと。まぁ、あせっても仕方ない。お手製の搭乗券を受け取り、建物の外へ出てからも、トボトボと歩いてアイランダーへと乗り込む。予約は満席とのことだったが、コパイ席は空いていた。指定された席は4列目で、とりあえず横の窓から下の方は覗き込めるようである。三度目のアイランダーなのでびっくりはしないが、それでも何回乗っても楽しいものだ。ランウェイをもてあますようにしてふわりと浮き上がり、石垣島をあとにした。波照間島へは一直線で向かうものかと思ったが、途中、竹富島や新城島などの上空を通っていく。よくは聞き取れなかったが、キャプテンが簡単に紹介してくれた。まるで遊覧飛行のようで、この海の色は何とも言いようのない素晴らしいものだった。
RAC・BN-2B
やがて平坦で横長の島が見えてきた。波照間の語源は「はてのうるま」、果てにある珊瑚の島、という意味らしい。滑走路の位置は分かったが、一旦島の上空を通過して南側からのアプローチとなる。星空観測タワーのすぐ脇を通過して、アイランダー波照間空港へ着陸した。所要時間は大体20分くらい、着いてしまえばあまりにもあっけない。わずかばかりの乗客数にしてはやけに賑やかなお出迎えの感がある。折り返しの便でこれから石垣へ渡る人だけでなく、到着の荷物の受け取りに来た人など、この時間帯は人が集まるようだ。他の同乗者は宿の車で早々に引き上げていってしまったが、お出迎えの姿が見えないので予約してあったレンタサイクル屋へTELを入れてみる。5分もすればいきますよ、との返事があり、やがてきれいなワンボックスが到着するともう一人同じお店を利用する人がいた。お出迎えに来てくれたお店の方によると、本当に今日は天気がいいらしい。まず早い時間帯にニシ浜へ行ってみなさい、とすすめられた。帰りのために、発電所の風車を目標に集落の位置だけは覚えておいてくださいね、とアドバイスを受ける。実際に島の風景を目にすると、どこかわくわくする気が増してきた。
波照間空港
レンタサイクルにするかバイクにするか迷ったが、何となく体で空気を感じたかったので自転車を借りることにした。島の地理を大体教わって早速出発する。ニシ浜も行ってみたかったが、何はともあれ最南端の碑を見に行くことにした。ペダルをこいで海の方へ向かって坂道を下っていく。正直、自転車を思いっきりこぐなんて何年ぶりだろう?(苦笑)しばらく行って左に曲がればやがて目的の場所へとたどりつくはずだ。心地よい風を感じながらひたすら自転車を走らせていく。ああ、何というか、この爽快さはたまらない。他に迷いようもなく、最南端の碑のところへとやってきた。見物と思しき人たちも多く集まってきており、自転車やらバイクやら無造作に止められているのだが、もちろんここでは鍵などまったく無用の長物である。少し歩いていくと最南端平和の碑が見えてきた。正確にはここ波照間島は日本最南端の地ではないが、普通に民間人が行ける場所(=有人島)としては最南端の場所である。続いて、もう少し先の最南端の碑のところへといってみる。先客の集団がどっかとくつろいでいたが、しばらくして立ち去ったので、ここでボーっとしていることにした。物見の人さえいなければ、波の音しか聞こえないとても静かな場所だった。
ニシ浜
再びチャリンコに乗って、島を左まわりにまわってみようと思う。一応、星空観測タワーに寄ってから、このまま進んでいくと空港へ戻ることになる。狭い島でもあり他に道があるわけでもないので、すぐに辿りついてしまったが、先程とはうって変わって信じられないくらい静かな様子だった。島の北側にまわると遠く西表島が見えてきた。ときどきヤギの姿などもあり、離島へやってきたことをあらためて感じる。さらに進みへ立ち寄ってみる。こちらも船が着く時間帯でもないので、ただただひっそりしていた。ここで、先程レンタサイクル屋まで一緒に送迎してもらった方と再び顔を合わせ、聞くところによるニシ浜が恐ろしくきれいだとのこと。ここは早々に切り上げてへ向かってみることにした。
波照間島
目印となる自動販売機のところを曲がって坂を下っていくと白い砂浜が見えてきた。ダイビング目的の人の数は多いようだ。青い海に白い砂浜、その向こうには西表島が見える。さらに西の方に目をやると、今日は天気もよく中御神島(仲ノ神島)の島影も見ることができる。いやぁ、なんという美しさだろう。いままで見たビーチの中で文句なく一番である。何をするでもなくしばらくこの光景に見とれてしまったのは言うまでもない。何度も同じことの繰り返しになってしまうが、本当にきれいなビーチだった。
ニシ浜
一旦集落に戻りお昼にすることにした。オープンテラスのお店に入り、あまり聞いたことのないメニューを試してみる。隣のテーブルでは、同じ宿になって意気投合したと思われる二人連れが食事を楽しんでいた。これも離島ならではの光景といえよう。よそ者だから言えることかもしれないが、この雰囲気には自分も十分はまってしまいそうだった。随分と気温が上がってきたので上に羽織っていたものの数を減らし、少し身軽になる。続いてコート盛へと寄ってみた。その昔、行き来する船を見張るためのものだったというが、ちょうどいい高さで島の景色を眺め見ることができる。特にあてもなく発電所や灯台などに寄りながら再び外周道路へ出てみた。サトウキビ畑が続く中、自転車をこいでいくのは本当に気持ちがいい。続いて島の西側にある本当に小さなへ寄ってみることにした。誰も人が来ないところで、プライベートビーチのようだった。その後で底名溜池展望台へ行ってみてから、時間を見計らうようにして集落へ戻ることにした。
ニシ浜
集落をうろうろしていると郵便局があったのでとりあえず現金を下ろしておくことにした。実は準備遅れもあって手持ちの現金が少々心細かったのだが、期せずして日本最南端の郵便局を利用したことになった。すぐ近くに例の泡盛の酒造所を見つけ、ここがうわさの…と思いながら様子を伺ってみるものの人の気配はまったくない。さらに気温も上がり、何しろ運動したせいもあって喉が渇いたので何か水分補給でもすることにした。集落の中心部まできて、とりあえずどこぞの案内ブックでみたような気がする商店に入りさんぴん茶でも買ってみることにする。お店の中に入ると何とあの幻と言われていた「泡波」のミニボトルが売られてるではないか!!あらためてここで解説することでもないが、島の外ではまずお目にかかることができない代物で、逆にそれが話題となりいつしか『幻の…』なんていう肩書きまで付いてしまったという。予想だにしなかった事態に少々おどおどしてしまったが、まとめ買いご遠慮ください、のお札に従い謙虚に3本だけ購入することにした。そもそも島で消費される分しか製造されず、販売目的で店頭に並ぶことは滅多にないとのことで、それこそ何十日も島に留まっていてもお目にかかれないこともあると言われてただけに、ここは自分の運の良さに感謝する。
波照間
少なくとも一泊、本当なら何泊もしていたいところだが、今回はこれで島をあとにする。自転車を返して例の"連れ"となる方を待って空港まで送ってもらうことになった。帰り車中、お店の人によると、今日は奇跡的に天気がよくなったとのことで、あんなにきれいに晴れ上がったニシ浜が見れたのは本当にラッキーだったようだ。北の方角に目をやると低い雲が出てきており、ああいった雲が時としてスコールになって飛行機を欠航させてしまうこともあるいう。自然の中、暮らしているというのはこういうことを言ってるのだと思った。半分冗談交じりに、もし飛行機が飛ばなくても高速船はあるから連絡くださいね、とまで言ってもらう。念願かなってやってきた波照間も数時間だけの滞在だったが、とりえあず今日のところは満足して帰ることができそうだ。
ペー浜
空港に戻って帰りの手続きを済ませる。波照間らしさを味わうためには、あのうわさに聞く乗り心地の高速船の洗礼を一度受けておくべきだったかもしれないが、帰りも飛行機にしていた。とにかく、この路線も廃止されてしまえば、次くるときは船で渡ってくるしかない。お年寄りや病人搬送のことを考えると、やはり公共の福祉の難しさを考えされられてしまう。わがままが通るかどうか分からなかったが、帰りは2B=コパイ席の後ろをリクエストしてみた。やがて帰りの便となるアイランダーが到着し、折り返し石垣行きとして乗り込むことになった。先程の雲は海の上で一雨あったようで、よくみるとになっていた。最後にこんな演出が待っていたなんて…。
アイランダー・機内からみた島々
希望通り2B席に座って、キャプテンの動きと前面の視界を楽しみながら帰ることになった。行きと同様、島々の上空を通過しながら石垣へと向かう。20分のアイランダーの旅はあまりにも短すぎる…というのは贅沢な悩みだろうか。無事石垣へ到着したものの、今日もダイヤは乱れていた。時計を見ても、夜というには全然早い時間なので空港バスで港近くの繁華街まで出てみることにした。何冊か手に入れてあったフリーペーパーなど参考にしながら、地味目だが地元系の美味しそうな石垣そばのお店に目を付けて行ってみることにする。繁華街とは少々離れていたが、期待を裏切らないその量と質に今日も感謝である。いやぁ、今日も本当に充実した一日になってよかった。
アイランダー・石垣空港へ着陸
 3日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
与那国島
昨日は気がつかなかったが、紫外線がとても強かったようで鏡を覗き込むと顔が微妙な日焼けをしていた。天気予報によると、今日も石垣地方は晴れのいい天気とのこと。これなら間違えなく与那国島へ向うことができる。二泊した宿を一旦チェックアウトして荷物をまとめて空港へ向かう。今日の波照間便は定刻近くで出発していった。与那国島へはJTAのジェット機が毎日就航しており、今日も週末にかけて結構な人が渡るようである。石垣を飛び立ち西表の上空を通過していく。与那国上空までは実に快適な飛行で、島の北側を通過したあとは西側からのアプローチとなる。最後は西崎を右手に見ながら回り込むようにして着陸することになった。
日本最西端の碑
与那国空港は狭いながらも落ち着いた感じのするなかなか雰囲気のある空港だった。泡盛の銘柄にもあるように与那国はよく「どなん」という言い方をされるが、これは「渡難=渡るのが困難な島」を意味する方言名だという。飛行機による訪問が可能となった今日であっても「どなん」であることには変らない。歌の歌詞ではないが、思えば遠くへ来たものである。お出迎えのレンタカー屋の人がいるものと思っていたが、しばらくして空港の中にブース形式のカウンターがあることが分かった。早速島探検へ繰り出すことにしよう。久部良に向かう途中でダンヌ浜という看板に惹かれ、何の気なしに寄り道してみる。どの集落からも離れてるせいか人の姿はまったくなく、とても清々しい気分になれる。久部良の漁港のすぐ近くには「日本最後の夕日が見える丘」という場所があるようだが、ここはまた後で来ることとして、とりあえず一旦車を降りて、のあたりを歩いてみることにした。ここはDr.コトー診療所でも数多く登場している場所としてあまりにも有名だが、聞くところによると日本で一番西にある漁港で、カジキマグロの水揚げは日本一だという。そういったことを知らなければただの漁港にしか見えないが、ドラマのストーリーの中でも重要なポイントで使われているので、どこか見覚えのある岸壁や西崎を見上げるアングルなど実際に自分の目でみられたのはちょっと感動ものだった。漁協の風景もドラマそのものだったが、あまりうろうろするのも気が引けたのでさりげなく通り過ぎるだけにしておいた。
Dr.コトー診療所
続いて、何はともあれ最西端の碑がある場所へと行ってみることにしよう。西崎(いりざき)は港のすぐ隣にあるので距離的にはそう遠くもないが、最後まで上り坂が続く。もちろん車なら坂道も気にならないが、自力で歩いて行こうする若者の姿もあった。駐車スペースに車を止めて、先の灯台の方を目指してあとは歩いて登っていかなければならない。白くきれいな展望台は未完成のようで近寄ることができなかったが、一番西側の見晴らしのいいところに日本最西端の碑が建っている。少々大げさかもしれないが、ついにやってきたという思いがこみ上げてきた。距離にして百キロちょい、その先はもう台湾である。年に数日、お天気の加減でその台湾が見える日もあると聞くが、いまここで見る限りはただ海が広がっているだけだった。さて、これで4つある日本最●端をすべて制覇したことになるのだが、諸事情で民間人がたどり着くことができるのはここ与那国だけでもあり、あらためて「やってきたな~」と思った。時間はたっぷりあるので、ここはまた後で来てみることにしよう。
与那国空港へ到着したJTA機
西崎へ入るところにちょうどテキサスゲートがあり、この先一帯は道路を含めて南牧場となっている。テキサスゲートは他にも何箇所か見かけることになるが、道路にギザギザの溝が掘られていて、牛や馬はここを通過できないという。スピードを出したまま、知らずに車やバイクでここに突っ込むとちょっと危ない思いをする。南牧場もDr.コトー診療所のロケで有名になった場所であり、与那国馬がたたずむ牧歌的な緑はなんとも気持ちが穏やかになってくる。途中、牛さんが道を占有してるのも実にのんびりしたものだ。海風を感じながら快調に車を飛ばし、崖上の海岸線から道路が離れてくるとそこが比川の集落である。いうまでもない、この場所こそ、Dr.コトー診療所のその"診療所"があるところである。案内板がなければ分からないないようなところを入って行くと、あのドラマで見た浜の景色が目に飛び込んできた。その先には診療所が本当にポツンとあり、何だか自分がドラマの世界に迷い込んでしまったかのような不思議な感覚になった。車を降りて誰もいない診療所へ近づいてみる。中に入ることはできなかったが、待合室の中を覗くとドラマでみた光景そのままで、ロケで使った自転車を見ることができた。屋上にも登れたのであの旗にも触れてみる。時折風に揺られる程度で今日はとても穏やかな天気だった。浜に下りて海側から眺めた風景や近くの小学校などまったくドラマのままの雰囲気で、ここも来れてよかったと素直に思った。
西崎
次にどこへ行くか迷ったが、お昼どきでもあり祖納の集落へ向かってみることにした。島を縦に抜け、何となく家の数が多いなと思ったら既に集落の中にいたようだ。役場もドラマのままでとてもいい雰囲気である。食事が取れそうなお店を探してみてみるもののお休みだったりとなかなか見つからない。そうそう、ドラマによく出てくる茉莉子さんのお店はあくまでもドラマの中の設定であって、実際には普通の民家であるらしい。やむなく空港まで戻ることにした。空港もある時間帯以外は信じられないくらい静かなもので、何もない滑走路をぼーっと眺めながらお昼を済ませることになった。あらためて今度は島の東側を回ってみよう。祖納の集落の北側を進むと浦野墓地群がある。沖縄独特の亀甲墓がたくさんあり、本土の墓地の様子とはまったく違う。そもそも死というものに対する考え方がやまとんちゅうとはまったく違うと聞いたことがあるが、実際こうやって見てみるとなるほどと思った。どこで間違ったか、このまま東崎へ行けるものと思ってたらちょっと違う道を走ってたようで、道幅はどんどん狭くなるばかりだった。方角的には間違いではないので、まぁこれもよしとして先へ進むことにした。
南牧場
風力発電の風車の向こうが東崎(あがりざき)と呼ばれる場所である。ここもドラマに登場した場所であり、実は西崎よりも思う存分"まったり時間"を過ごすのに適した場所だとも言われてる。海に向かって突き出るように岬全体が広大な牧草地のようになっており、与那国馬が放牧されている。いやぁ、実に絵になる景色だ。展望台からしばらく遠くを眺めたあと、その先の灯台の方へ向かってみることにした。誰もいない恐ろしいほど美しい緑の中、ぽつりぽつりと先へ進んでいく。海に近づいたところまでやってくると眼下は荒々し絶壁になっており、また違った意味で美しい。まだもう少し居座っておくことにするか。
Dr.コトー診療所
その後、南側を通ってとりあえず島を一周しておくことにした。島の南側には軍艦岩立神岩などの奇岩がみられるポイントがあり、展望台がある場所でそれぞれチェックしておく。有名なダイビングポイントである海底遺跡も確かこの辺だったか、海沿いは険しい地形が続く。時間が経つのも早いもので夕方近くになってきたので、一旦宿に寄って荷物を置くことにした。宿は祖納の集落にあり、周囲はきれいな町並みが続いている。そろそろ日も西に傾いていい頃だが、日本で一番西に位置しているので日没も日本で一番遅い時間ということになる。まだしばらくは明るい時間帯なので、集落近くにあるティンダハナタ崖へ行ってみることにした。不思議な形をしたは集落のどこにいても見えるので、というで逆に崖からも集落をよく見渡すことができる。レンタカーは24時間借りっぱなしなので、再び車を飛ばして比川を通ってもう一度西崎へ向かってみることにした。先程通らなかった道を経由して、赤く染まりかけた空の方向へ向かって車を走らせていく。日の入り時間が近づくにつれ、残念ながら西の方から雲がかかってしまい、きれいな夕陽が拝めた…というところまではいかなかったが、それでも日本で一番遅い夕方を体験することはできたと思う。
東崎
再び祖納の集落に戻ってきた。結構人気のあるお宿だったので1月のときは既に予約はいっぱいだったが、今日はしっかり予約を入れることができた。普通の民宿ではあるが、評判どおり食事も充実しており、今日もまたいい一日を過ごすことができた。
西崎でみた夕日
 4日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
与那国島、石垣島
今朝は雨と風の音で目が覚めることになった。窓の外を見ると暗く雲が垂れ込めている。日の入りが遅いので日の出も遅いというのはよく分かるが、出来過ぎなくらいのお天気続きも昨日までの話のようである。雨は小降りになってきたようだが、強い風がとても気になる。今日もしっかりと朝食をいただき、適当な時間に宿を発つことにした。帰りの飛行機まではまだしばらくあるので、タイミングをみながら何となくまわってみることにする。ナンタ浜を後にして、まずは南側から東の方角を目指してみる。時折強い風にあおられるが、雨はほとんど降ってないようだ。東崎の近くまで来ると遮るものもなく、風がそのまま通り抜けるような感じで風車も力強く回っていた。となると、帰りの飛行機が気にならないはずもなく、とりあえず携帯で運航予定をチェックすると予定通りとだけ表示されていた。
与那国から石垣へ戻るJTA機
東崎をあとにして、昨日とは逆方向に島の北側を東から西へ向かってみる。再び祖納の集落を抜けて与那国空港の横を通る。風向きをみる吹流しは滑走路と平行になびいているので、多少風は強くても視界さえ確保されていれば、どうにか飛行機は下りられるのではないかと勝手に想像する。久部良を通過して今日もういちど西崎へ寄ってみることにした。幸い雨はほとんど降ってないものの、ここも遮るものがないのでとても強い風が吹いていた。最西端の碑の近くまで行き遠くを見回してみると、昨日の穏やかな雰囲気とはまったく違うのがよく分かる。それでも昨日よりは見物に訪れる人の数は多いみたいだ。次ここに来る機会は果たしてあるのだろうか?などと考えながら、この地を後にすることにした。最後に、時計を気にしながら比川方面へ寄ってみる。特に意味はないが、最後の最後に診療所へやってくることになってしまったが、ここも意外と団体さんが入れ替わりやってきている。どうやら、帰りの飛行機に乗る前に寄ったという感じである。そういえば、不思議とこの入り江だけは風が弱く、地形のせいかほとんど無風状態である。先に来ていた若者の集団の中から、おどけて白衣を取り出す者がいて大いに盛り上がっていた。やがてその集団も去っていき、静けさが戻った後、診療所をぐるっと見てから引きあげることにした。
ナンタ浜
結局、特に何をするでもなく時間が過ぎてしまったが、指定されたスタンドでガソリンを満タンにする。これでもう車を返すんだなぁ~と思うと、ちょっと寂しい気もする。風も弱くなってくれればいいが、朝とそれ程変わってない。空港に着き、とりあえずレンタカーのキーを返却して、搭乗手続きをとることにした。カウンターの表示は『天候調査中』となっている。そのうちアナウンスが入り、やはり状況によっては到着便はそのまま石垣へ引き返すこともあるうるとのこと。とまぁ、これもよく聞く決まり文句だが、あまりいい気分ではない。しばらくしてもう一度カウンターへ寄ってみると先程の『天候調査中』の札は外されていた。うん、大丈夫?と自分に言い聞かせながら、建物の外に出て到着便が下りてくるのを待つことにした。
西崎から久部良漁港を見下ろす
到着予定時刻からもう既に10分たってしまったが、一向に下りてくる気配がない。雨も降り出してきたので建物の中に戻ると、どうも飛行機は上空で旋回待機しているとのこと。雨のせいか気持ち視界も悪くなってきてるようで、これはいよいよやばくなってきたか?もしここで足止めを喰らうと当然あとのスケジュールは狂ってくることになる。それもそうだが、とりあえず宿にTELしてもう一泊頼み込むことになるのかな?などと、いろんなことが頭の中を過ぎる。しかし、こういうときは悪い方へ考えをもっていってはいけない。自分は運がいい方だと思い込むに限る。(苦笑) とりあえずセキュリティチェックを受けて待合室の中で待つことにした。窓際までやって来て外の様子をうかがい、でもただ戻っていく人など、みな一様に落ち着かない様子でいる。少し明るくなってきただろうか、やがてマーシャラーなど地上スッタッフが外へ出きた。自分も外が見えるところへ移動してみると、誰とでもなく「あっ、見えた!」という声があがった。一瞬だったが、滑走路北側の海の上で機影が雲の合間を過ぎるのが見えた。海面近くの低い位置だったので、どうやら着陸を試みるようだ。たまたま隣にいた小柄なシニア世代の方と言葉を交わしながら、まさに固唾を呑んで待つことになる。「風が強いけど、飛行機は大丈夫かねぇ?」「確かに強いですけど視界は問題ないようですし、さっき見たときは風向きも向かい風のだったので多分大丈夫だと思いますよ。飛行機って、横風じゃなければ台風でも下りれるときは下りれるもんなんですよ。多分下りれれば、上がれるでしょうから、大丈夫、見守りましょう!」などと知った振りして勝手に言葉を並べる。
Dr.コトー診療所
既に定刻から30分近く経っていたが、西側に飛行機のライトが見えてきた。おー、とも、あー、とも言葉にはならないような声が上がる。(余談:個人的感想ですが、このタイミングでDr.コトー診療所のBGMが頭の中を流れてきました。)到着便は徐々に高度を下げ、待合室のほぼ正面の位置で無事ランディングすると待合室は一同拍手喝采、不思議な一体感に包まれる。思いもよらない経験をすることになった。「よかったですね、これで帰れますね!」例の横にいた方と喜びを分かち合う。「JALは不祥事続きで心配だけど、、、この飛行機ってのは大きい方かい?」「ジェット機の中では小さい部類ですね。でも、よく見てください。JALじゃなくてJTAってロゴが入ってるでしょ。アナウンスでも言ってる通り、日本トランスオーシャン航空っていって、厳密にはJALとは違うんですよ。JALの系列ですけど沖縄地方を担当する地元系の子会社なので、こんな天気でも結構気合入れて運航してくれてるのかもしれませんね。」取ってつけたような知識を並べるものの、JTAの粘り腰には感謝するばかりである。最後に「いい旅が続きますように」とお互い言葉を交わす。出発便の準備が整い、あわただしく折り返しの石垣便に乗り込んだ。(後日談:翌日、思わぬ出来事に遭遇することになります。もちろん、このときはまだ知る由もありませんでしたが。。)
Dr.コトー診療所
分厚い雲に阻まれ、あっという間に与那国の島影は視界から消えてしまったが、とりあえず予定が大きく狂うような事態にはならずに済んだ。外は真っ白で何も見えない。最初から最後まで揺られっぱなしだったが、もちろん文句などいう気にはならない。久方振りに戻った石垣がとても穏やかに見えたのはいうまでもなかった。既に何時間も遅れたような気分になっていたが、実際には40分くらいの遅れだった。お出迎えのレンタカー屋の人を探し、営業所まで送ってもらう。「結構遅れましたね。どう、揺れました?」「与那国で到着便が下りれないって聞いたときはどうなるものかと思いましたけど、無事着陸したときはまるでドラマのようでしたよ。」地元の人にとっては珍しいことではないのかもしれが、何というか、誰かに伝えずにはいられないような気分だった。
Dr.コトー診療所
手続きを済ませ、レンタカーを受け取る。波照間、与那国と先にまわってしまったため、順番としては後回しになってしまったが、今日は午後半日かけて石垣島を一周することにしていた。半日で行けるところとなればたかが知れてるかもしれないが、行き当たりばったりのドライブもまたいいかな?という程度である。そんな感じなのであまり下調べもせずに車を走らせていた。とりあえず市街地を抜けることを考え、標識の川平湾という文字を頼りに進んでいくことにした。空の上はあんな様子だったので、地上もあまり天気はよくない。といっても、雨が降ってくるような感じではない。どんよりとした感じだったが、まぁこの程度で天気は持ってくれればいい。車の数も減ってきて、気がつけば自然の中を走っていた。
比川小学校
川平湾までやってきたが、特に目的があるわけでもなく、しばらくボーっと景色でも眺めて休憩することにした。そのうち真珠の養殖で有名だということが分かり、大型観光バスの団体がやってくる理由がそれだと分かった。あまり興味はないので素通りとなるが、その前に昼食をとることにしよう。午前中、ひと波乱あったおかげですっかり忘れていたが、落ち着いたところで空腹感を覚える。軽くソバのたぐいで済ませ再び出発することにした。よし、地図を頼りにこのまま北上し、道がなくなるところまで行ってみよう。途中でちょっと内陸に入ると大きな湖があるようなので、寄ってみることにした。立派なトンネルを抜けしばらく行くと、思いも寄らない風景を目にすることになった。このは人造のダム湖であって、まさに石垣の水がめである。水面は風にあおられ白波が立っている。景勝地ではないようだったが、そのスケールは圧巻だ。再び海岸沿いの道に戻り、北上を続ける。右側は険しい山々が続き、独特の景色が続く。途中で国道と合流するとその先は細っこい半島になっていて、地図上では海に向かって突き出るような地形にみえる。行き着いた先には灯台があるようなので、次の目的地をそこに決める。
川平湾
石垣最北の岬である平久保崎に向かうには他に主だった道路はなく、時折すれ違う車もレンタカーを示す「わ」ナンバーばかりである。平久保崎入り口という看板の先も道が続いていたので、最後まで行ってみると、まもなく「ここが終点」という標識に行き当たった。本当に突端までやってきたようだ。周囲は畑と山と海、他には何もない。Uターンしてあらためて平久保崎へ行ってみることにした。すれ違いの車が来ないことを祈りながら狭い道を進んで行くと、最後に大きく景色が開けたところが目的の灯台があるところだった。ここも風が強く立っているのがようやっとといった感じだったが、観光に来てる人の数は少なくない。キャーキャーいいながら、道がないようなところを下りて行ったりしてるが、危なくないのだろうか?それにしても、絶景の連続には圧倒されるばかりである。
平久保崎灯台
平久保からきた道を南下し、帰りは国道を通って石垣島の東側を行ってみることにした。海に山に変化のある景色の中、快調に車を飛ばしていく。やがて東の景勝地として有名な玉取崎展望台へたどり着く。周囲はハイビスカスに囲まれ、実に石垣らしいところだとも言われてる通り、一年を通じて穏やかな場所である。遠く東シナ海の眺めもまた抜群で、ここもしばらく時間を忘れてボーっとしたくなる場所だった。さらに先へ進むと山間の風景からいつしか平原のようなところに変わり、なおも快適なドライブは続く。新石垣空港はこの辺りに造られるのだろうか?やがて交通量も増え、生活感が戻ってくると島を一周してきたことが分かる。市街地に入り、何となく早く着き過ぎてしまったようなので、もう少し近場をくるっと回ってから車を返すことにした。
平久保
レンタカーで行動するパターンもすっかり板についてしまった感があるが、17時までに返却すれば宿まで送ってくれるとのことなので、それに間に合うようして戻ってきた。今日予約した宿は桟橋近くにあり、繁華街からもそう遠くない場所にある。新しい感じの立派な建物は外観だけでなく、部屋も広々として値段の割りにかなり豪勢に思えた。今夜の食事は海のものと決めていたので、地のものが味わえそうなところを探してみる。この間の石垣ソバのお店探しと同様、何種類か手元にあったフリーペーパーを参考にして行ってみることした。目的のお寿司屋さんは程よい込み具合で店の雰囲気も悪くない。石垣の近海ものを中心ににぎってもらい、さっそくパクつくことにする。何となく隣に座ってた方と話をしだし、泡盛なんかもご馳走になってしまう。地元の人とのことで「折角来たんだからね…」などといろいろ話をさせていただいた。いやぁ、このお店も大正解、今日もまた実に中身の濃い一日だった。
玉取崎展望台
  5日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
西表島、小浜島、竹富島
忙しい日々から飛び出してもう何日になるだろうか、天気は回復してきており、昨日に比べれば今日はまずまずとのこと。予想以上にグレードの高い部屋だったのでもっとゆっくりもしていたかったが、今日も朝から行動を起こすことにする。自分のなかで今日は"オプショナルツアー"と勝手に呼んでいて、西表島へ渡ってみることにしている。宿の近くの離島桟橋まで歩いていき、予約してあった西表島までのチケットを購入する。邪魔なので荷物は預けてしまい、まずは身軽になる。この離島桟橋は、文字通り石垣をベースに近くの離島を結ぶ高速船が発着する場所である。つい先日、新しい建物へと引っ越してきたばかりで、もし1月の予定がキャンセルになってなければ古い桟橋を利用していたはずだ。新しい建物はとても広々としていて、出発案内の電光掲示板だけ見ていると、まるで空港にいるかのような気分になる。予約した8時過ぎの高速船はほぼ満席、団体さんをさばく船などもひしめき合い、さしずめ朝のラッシュ時といったところだった。
離島桟橋
を出た後、高速船はグングンと加速していく。過去に乗ったことのある浮上するタイプのものとはつくりが違うみたいだが、水面を滑るように走っていく。石垣島と西表島を結ぶ線の内側は、外洋に比べても比較的波は穏やかで30~40分もすれば西表島の東の玄関口である大原港へとたどりつくことができる。ちなみにその先の上原港へ向かうには、一旦外海に出るので季節風が強い時期はほぼ欠航になるという。大原港へ接岸し予約してあったレンタカー屋の車を見つけ営業所まで乗っけてってもらおうとしたところ、確かに予約したはずなのに名前が入ってないといわれてしまった。まぁとりあえず新規扱いでいいからレンタカーを借りることにした。(後日談:数日後、この謎は解けることになります。)4WDの軽を出してもらい、今日はこれで行けるところまで行ってみることにする。帰りの船は12時半と決めてあるので、タイムリミットを12時ちょうどしておこう。
西表島・大原港
西表島は人の手の入ってない土地も多く、道路は北側の海岸沿いを半周だけ通っているような格好である。いまいる大原から西の端である白浜までは距離にして50キロ程、往復するだけでも2時間ではどうか、といったところだ。とにかく、車を走らせていこう。ジャングルのように鬱蒼とした森広大なマングローブ、変化に富んだ海岸線、、、と道路は未開の土地の中を突っ切っているので、どこをとっても景色は見飽きない。実は、日程がきつくなるので今日西表に寄るかどうか最後まで悩んでいたのだが、無理を押してでもやってきてよかったと思った。船浦湾にかかる船浦大橋は与那国へ行った飛行機からもはっきりと見えたのだが、まさに内海をまたぐ一直線の橋だった。このペースなら白浜まで行けそうなので、途中寄り道するのは後回しにしてノンストップで先へ向かうことにした。上原、祖納と通り過ぎ、最後に県道が終わるところを確かめる。終着地である白浜はそのまま港になっており、さらに南にある集落に行くには船を乗り継ぐしかない。まさに秘境といった様相を呈してくる。
西表島
終点の様子を見て車をUターンさせ、近くに車を止め一旦休憩することにする。いやぁ、よくもまぁやってきたものだと思いつつ、外へ出て背伸びなどしていると目の前に何となく見覚えのかる顔が…。「あれ?こんにちは!」思わず声を掛けられると、昨日、与那国空港の待合室でいっしょに固唾を飲んで到着便を見守ってた方とばったり遭遇する。「こんなこともあるんですねぇ~!!」あまりの偶然にお互いびっくりしながらも、しばし談笑する。その方はこれから船に乗って、4時間かけて探検気分でこの先を目指すという。自分は「車でかっとんできましたが、このままとんぼ返りですよ」などと言って、再び旅の安全をお互い祈りつつお別れすることになった。それにしても、こんな偶然あるものか?というくらいの出来事だったが、どうしてこんな場所でこんな人に会うの?なんていう経験も普段からないわけでもなく、自分には不思議な力があるのではないか?と思ってしまいそうだった。
星砂の浜
何だか不思議な気分のまま時計をみながら再び大原へ向けて戻ることにした。往路で大体の感覚はつかめたので、それなりのペースで行くことを考える。白浜から戻ったところのすぐ近くにある浦内川の展望台からみるマングローブの森はまさに圧巻であった。祖納を抜け、星砂の浜に寄って、しばらくを歩いてみる。その名の通り星砂が多く含まれており、向こうには鳩間島がすぐ近くに見える。当初から西表は"通りすがり"と決めてかかっていたものの、やはり、折角ここまで来たのになぁ…と考えてしまう。その後、ちょっとだけ上原港に寄ってみて、先ほど素通りした船浦大橋で車を止めて景色でも眺めてみることにした。行きがけには気がつかなかったが、ヒナイ川の向こうのピナイサーラの滝がはっきり見えるのが分かった。こうして何にも考えないで、ただ、ぼーっとしてるのもとても贅沢なものだなとつくづく思う。ところで、この県道は島全体を一周してるわけではないが、全線に渡ってきれいに整備されており、快適なドライブを楽しむことができる。ところが、スピードが出せることが逆に仇となって、イリオモテヤマネコの"交通事故"が後を絶たないという。ところどころで、道路には注意を促す看板や道路ペイントが施されている。車と一緒に借りた地図にも「イリオモテヤマネコの出没箇所」といった感じの案内がされていた。
船浦大橋
だんだん余裕がなくなってきたが、由布島へ渡る牛車だけは見ておきたかったので、ここだけは寄り道しておくことにした。あと2、3時間あれば由布島へ渡ることを考えてもよかったが、まぁ端からみておくだけにしておこう。どうしたものか、どうも団体さんの数が多く、これでもかというくらい牛車が出ていたので、のんびりしてるといった印象はあまりない。何だか動物虐待のようにも見えてしまうけど…。そんな様子をしばらく見たあと、起点の大原港へと車を向かわせた。気持ち早く到着することができたので、港を越えてその先へも行けるだけ行ってみようと思う。西表島南端の集落である豊原で県道は終わっているのだが、その先も細い農道が続き、最後まで行き着いた先には南風見田(はえみた)浜という浜がある。そこにある忘勿石は、戦時中の波照間からの強制疎開とマラリアの被害のことを忘れないように…と、いまに伝えるものだという。さすがにここまで来ると、地元の車もほとんど入ってこないようで「車はここまで!」という看板で道が途絶える。その先はというと鬱蒼としていて秘境めいた感じがして、これもまたなかなかいい雰囲気である。おそるおそる歩いていくと目の前が急にぱぁっと開け、思いも寄らない見事な砂浜が広がっていた。果たして自分がいまどこにいるのか?そんなことなどどうでもよくなるほど、信じられない景色だった。
ピナイサーラの滝
この景色を目の前にしていると、我を忘れてどうでもよく思えてきてしまうが、やっぱりそうも言ってられないので時計を気にしつつ戻ることにした。指定されたガソリンスタンドで満タンにして営業所に到着したときは正午ぴったりだった。自分でも驚くほど正確ななタイミングになってしまったが、とりあえずまで送ってもらう。無理だったらまぁいいやと思っていた昼食も、軽くなら済ませそうなので、近くの売店でいつものようにソバをいただくことにした。先人が開拓してきた苦労を考えると、こうやって気軽に食事ができるのもとてもありがたいことなのかな?と思った。
イリオモテヤマネコ注意
船着場には既に目的のが停泊していたが、乗船券を扱う窓口に人の姿はなく『荷降しのため不在』と乱雑に携帯の番号だけが記されている。これも島の生活ペースというものだろうか。出発直前になって乗船券を購入し、小浜島に向かう高速船に乗り込む。当初、単純に石垣-西表間を往復するつもりだったが、時刻表をみると小浜島、竹富島と寄り道しながら戻って来れるスジがあり、最後に欲張ってみることにしていた。とはいえ、それぞれ滞在時間が1時間程度とこれまた慌しいものになってしまうのだが、いつものように、まぁそれはそれでよしと考える。お隣の小浜島へは30分くらい、島の南側から回り込むようして島の北東部にある港へと船は進んでいく。
由布島
定刻からやや遅れたものの、下船すると同時に港近くのレンタサイクル屋へ向かうことにした。波照間に続き2度目の自転車だが、最初の坂道がちょっときつく、やや辛い出だしとなってしまった。前述通り時間的余裕がないので、目的地は1ヶ所だけに絞っている。といいながら、まずはシュガーロードを経由して集落の中心部へと向かう。小浜島はドラマちゅらさんのロケで有名になった場所だが、正直なところドラマ自体あまり思い入れがなかったので、ふ~ん、といった程度の感想しか持つことができなかった。そんな具合で集落を抜け、大岳(うふだき)の展望台へと向かう。この展望台は小高い山の頂上あり、ほぼ八重山の中心に位置するので、方々の島を見渡せすことができる。展望台のところまではそれ程時間もかからずやって来れたのだが、最後に階段を登っていかなければならないことは計算に入れてなかったので大慌てで駆け上っていくことになってしまった。ふぅふぅ言いながらも頂上まで登りつめ、周囲の風景を見渡す。確かにこうやって島々を見渡すのも悪くはない。さて、あとは船の時間に間に合うように戻らなければならない。一応、西側を回ってから港に戻ろうと考えてみる。あともうちょっと余裕があればその西側にあるちゅらさん展望台にも寄ってみたかったのだが、時間が心配になってきたので結局ダッシュするような感じで自転車をこぐことになってしまった。最後は下り坂でよかった…などと考えながら、駆け込むようにしてレンタサイクル屋へ飛び込む。その先も小走りで船の乗り場へ向かい、慌てて乗船券を購入する。
小浜島
思いのほかギリギリになってしまったが、乗船して1分もしないうちに出航することとなった。次の竹富島までも20分くらいと、今度もそれほど時間はかからない。なので、外のデッキ席で過ごすことにした。最初は排ガスで息苦しかったものの、トップスピードにのるとまったく気にはならない。高速船は大きく水しぶきを上げ、まさに疾走している感じだ。途中石垣へ向かう船と競うように併走してみたりと、スピード感もありなかなか迫力がある。竹富島へ到着し、ここでも余裕がないながらも島の中を散策してみようと思う。島の中心部まで向かう手段を決め切れてなかったので、自分の足で歩いていくことにする。しばらくして集落が近くなると周囲の雰囲気も段々それっぽくなってきた。ここ竹富島の町並みは八重山の島々の中でも一番美しいところ言われてるように、とても風情があるところである。特に観光地として何かがあるわけでもなく、大事に保存されている町の景観そのものがひとつの大きな見所である。家々はどれも八重山独特の風情を残し、時折観光客を乗せた牛車が通り過ぎていく。中心部にはなごみの塔とよばれる人ひとりが登れるくらいの塔が立っていて、唯一の見所と言ってもいいようである。やはり有名なだけあった、長い人の列ができていた。とりあえず自分も登ってみて周囲を見回してみることにした。
小浜島
結局こちらも、石垣へ戻るにタイミングを合わせるために最後は慌しく港へ移動してくることになってしまった。予想通り時間的余裕があまりなくあまり落ち着かなかったが、西表島に加え、運よく小浜島と竹富島に寄れたので今日もまた気分よく過ごすことができた。もうひとつ、黒島にも行けたら…などと考えてはみたものの、さすがにそこまでうまくはいかない。そうだな、新しい石垣空港ができたときにでもやって来るのがいいだろうか。(後日談:その新石垣空港の開港を機に再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)それにしてもいろいろあり過ぎて、今朝ここ石垣港を発ったのがまるでウソのように思えてきた。預けた荷物を受け取り、最後の最後までバタバタしながら空港へ向かうバスの乗り場へと移動する。どうせ今日も飛行機は遅れるだろう…と高をくくってみたもものの、出発の手続きは時間通り済ませなければならないので、バスに乗って空港へ直行することにした。これでいよいよ最後かと思うとやっぱり寂しいものがある。見慣れた石垣市街の風景をぼんやり眺めながらそんなことを考えていた。
竹富島
今回の空の足はほとんど"赤組"で構成されてたが、次の石垣-那覇便だけはうまく予約が取れなかったので"青組"の出番である。石垣空港はボーディングブリッジもなく、狭苦しいところに無理に駐機場を設けたような実に窮屈な空港である。燃料補給設備も整ってないため、本土との直行便は必ず行きか帰りに宮古島に寄らなければならないという制約までついている。おまけにターミナルビルもとても手狭で、JAL系の古い建物の横に無理してANA用の建物を増築したような、かなり苦しいつくりになっていた。待合室もお世辞にも広いとはいえないが、逆にこの雰囲気の中でまったり待つのもまたいいという見方もある。しかし、待合室から搭乗機まで行列を組んで歩いてみたり、数十メートルだけバスに乗ったりとやはりこれだけは不便だと思う。いずれにせよ、現在のこの空港を利用するのはこれが最初で最後だと思うので、今回の八重山訪問の締めくくりとして記憶に留めておくことにした。今日はそれ程ひどい遅れではなかったが、それでも到着便の遅れの影響でダイヤは遅れ気味である。沖縄那覇へ向かう便はAIR NEXTのロゴが入ったスーパードルフィン、と、どうでもいいことを気にしながら、後ろの入り口から機内へ入っていく。まだまだ午後の日差しが残る中、石垣空港を離陸し見覚えのある景色がどんどんと遠ざかっていった。
竹富島
  6日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
那覇、南大東島、北大東島
1月の最初の予定では、最終日は石垣から東京へ帰るスケジュールにしていたが、今回は1日追加してさらに足を延ばすことを考えていた。昨晩は那覇へ投宿し、今日は南大東島を日帰りしてから東京へ戻るスケジュールを立てている。いつしか大きな目標になってしまった全国空港めぐりも、おそらく最後まで苦労するだろうと見込んでた南大東空港北大東空港について、この際やっつけてしまおうと企んでのことである。そもそも沖縄までやってくる機会もそうそうあるものでもないし、今回はGWでも夏休みでもないところで長期休暇が取れたので、この先こんなチャンスはそう無かろうと思ってひとつ行程を追加していた。今日メインで据えてる目的地は南大東島、北大東島へは行きか帰りに経由して上陸だけでも果たそうと考えている。南大東島へは午前中に直行便が一往復、午後に那覇-北大東-南大東の三角運航があり、曜日によって順番が逆になる。使用される機材は39人乗りのプロップ機だが、燃料の都合で定員すべてを乗せることはしない。ただでさえ便数が少ない上にそんな制約もついて、チケットが非常に取りづらい便としても有名である。なので今回は見切りでかなり早めに予約を入れてしまっていた。
RAC・Q100
まずは午前中の便で南大東島へと渡り、数時間滞在した後、午後、北大東経由で戻ってくる予定でいる。今日の午後の復路は北大東経由なのだが、もちろんそれも計算にいれてのことだ。大東地方へ向かう便はRACのダッシュエイト-Q100、ひところ使われた機種に比べると格段に性能は上がったものの、それでも30人ちょいしか運べないので、島に渡るのがいかに大変かが分かる。もっとも、船便を利用しようとすると、だいとうという名前の船が週に1往復するくらいで、それも天候の影響を受けやすく、そう気軽に利用できるものではない。那覇空港のRAC専用カウンターで搭乗手続きを取り、手元のチケットを専用の搭乗券に引き換える。重たい荷物を持って歩く必要もないので、先に東京行きに乗せてしまうことにした。粟国行き以来となるバスラウンジで出発を待つことになった。
南大東空港
今日はあまり天気がよくないようで、朝一の粟国行きは天候調査中のまま運航のメドが立たないらしい。それでも無理してあと2時間くらいは先延ばしして様子をみるというようなことを言っていた。それにしてもRACの職員の数が多いなぁと思ったら、なんと午前の南大東行きはオーバーブッキングが解消できずに「午後の便に振替え可能な方を募ってます」というアナウンスが入る。キャンセルを見越して多めに予約を入れるというのはよくある話だが、南大東空港行きというある意味特殊な状況で予約超過になるというのも珍しいと思う。なので、そう簡単に手をあげられる人もいるはずもなく、焦りながら職員が待合室を説得にまわるというとんでもない事態になってしまった。もちろん自分も応じる気はない。ここで報奨金を1万円くらいもらっても割が合うはずもなく、そんなことよりも今日諦めたらもう二度と大東地方に渡る機会などやって来ないかもしれない。攻め立てられるように説得を受けてる女子高生も可愛そうで見てられないが、こちらに矛先を向けられても困るので、ひたすら知らんぷりを決め込む。これから仕事へ向かう集団だろうか「私、諦めようかしら…」「何いってるんだ、バカヤロー!」などと冗談めいた会話も聞こえくる。使用機材の準備遅れも重なり、そうこうしてるうちに出発時刻をとうに過ぎてしまった。
南大東島中心部の集落
このままの状態が続いたら一体どうなるのだろう?と不安を覚えはじめたころ、ある二人連れが申し出をしたようで、どうにか出発できる見通しとなった。いつしか降り出した雨の中、バスで使用する機材へと向かう。Q100には宮古-多良間往復の後、石垣へ向かうときに乗ったばかりだが、シーサーのワンポイントのデザインはいつ見ても印象的である。かなり遅れたものの、ようやく離陸できるなと思いきや、滑走路が空かないためしばらくこのまま待機するとのこと。出発便をひとつ、到着便をふたつ見送ってさらに待っていると、戦闘機らしき機影が目の前をタッチアンドゴーで通り過ぎていった。良くも悪くも沖縄らしい光景である。もう何分遅れか分からなくなったが、しまいには飛んでくれるだけでいいとさえ思うようになってきた。
南大東島の道路
何だかんだいってもダッシュエイトの性能、とりわけ巡航速度の優位性は認めざるを得ない。海と雲しか見えないところを1時間近く飛び続け、ようやく島影が見えてきた。お隣の北大東島もしっかりと確認ができる。南大東島の上空で何回か旋回し高度を落としてから南大東空港へ無事着陸することになった。新しい空港は移転してそれほど時間が経ってないこともあり、ここだけ見ると離島へやってきたという実感はそれほどわいてこない。当たり前のように島には公共の交通機関はなく、移動の足としてはレンタカーに頼るのが一番手っ取り早い。予約したとき言われたとおりに売店で車のキーを受取り、レンタカーの手続きを取るために集落まで自分で運転していくことになる。他にも車を借りている人がいたが、みな常連のようで手馴れたものだった。ただひとり、飛び込みでレンタカーはないか?とたずねていたが、どうも無理っぽい様子だ。その後どうしたのだろうか?
製糖工場
駐車場へ行ってみると、お世辞にも体裁がいいとはいえないごく普通の車が止めてあった。とはいえ、さすが国民的大衆車、軽自動車やリッターカーに比べればはるかに運転は楽だ。車体のところどころにサビが見え隠れしていたが、猛烈な台風に見舞われたときなど、島のどこにいても海のしぶきを感じるくらいだというから無理もないのかもしれない。とりあえず指示通りに集落のある中心部へと向かう。空港を離れると、やがてサトウキビ畑の中の赤茶けた道を行くことになる。同じ沖縄の離島でもまったく雰囲気が違う。というか、今まで訪れたどの島とも違う印象を受ける。決して大げさではなく、もはやこれは日本ではないと思った。4、5キロは走っただろうか、目印の大きな製糖工場の近くを通り、集落らしき中へと入ってきた。すぐ分かると言ってたけど…と多少不安を覚えつつも、何とかお店の前にはたどり着くことができた。中で手続きを済ませ料金を払うと、あとはもうご自由にということになった。ガス代、配車代など諸々込みで一括払いでおしまいとのこと。島の広さもたかが知れてるし、送迎するにもそっちの方が面倒なのか、まぁある意味合理的な考え方と言えなくもない。那覇で出発に手間取った分、時間も押してきてしまい、もうお昼に近かったので近くで、最初に食事を済ませることにした。お目当ては名物の大東そばと決めていて、集落の中を探してみるとすぐに目的のお店は見つかった。独自の灰汁を利用しているためソバの色は黄色ではなく灰白色をしている。味は沖縄風の味付けだが、評判どおりなかなかのひと品だった。本場地元の大東寿司も…といきたいところだったが、予約を入れてなかったのでこちらは諦めることにした。
南大東の道路
腹ごしらえもできたので、あとは時間が許す限りひたすら見てまわることにしよう。とりあえず空港方面へ戻ることにして車を走らせる。途中公園のようなところにいくつか池が点在する場所があった。南大東島は周囲がやや高く海岸はほとんどが断崖絶壁、島の内側はくぼ地状になっているため、このように大小数多くの池が方々に見られる。さらに車を走らせ、まずは海軍棒プールへといってみることにした。海に面したところは崖ばかりで砂浜といったような場所はまったくない。やや平坦なところを掘って、プール上にしたのがここ海軍棒プールだという。他にも同じような場所はいくつかあるが、そんな感じなので港の様子も随分と雰囲気が違う。南大東島は外洋に面しているため、普段から波は高く、打ち寄せる波の迫力には圧倒されるものがあるという。そんなことを思いながらしばらくこの絶景を眺めていると、ひとり訪問者がやってきて写真を撮りたそうな雰囲気だったので、今日はこちらから声を掛けることにした。「シャッター押しましょうか?」
海軍棒プール
島の広さがどれほどなのかまだ感触がつかめてないので、あとどれくらい時間があればいいのかよく分かってないが、続いて日の丸山展望台へ行ってみることにした。ここ日の丸山展望台は、島の様子が360度見渡せる場所として有名で、見所ポイントのひとつにあげられる。先客などいるわけもなく、誰にも邪魔されないでこの景色を独り占めにする。一面さとうきび畑が広がり、土地の形状からその先の海は視界に入ってこないため、まるで十勝かどこかの広大な農耕地にいるような気分になる。何だか不思議な感覚を覚える。続いて近くのある南の港にも寄ってみることにした。南大東島には、メインとなる西の港の他に南と北にも港があり、風向きによってそれぞれ使い分けられるという。険しい地形からどの港も船は着岸することができないので、人も荷物も大型クレーンのゴンドラに吊り下げられて乗り降りする。そんな光景も、一度は見てみたいものである。さて、次は西の港へ行ってみよう。
日の丸山展望台からの眺め
西の港でも釣りをする人の数は多く、外洋の様子を見るとここが本当に絶海の孤島だということが分かる。この日「だいとう」の入港は予定されてないようだったが、生活物資のほとんどが船に頼っているため、船の入港タイミングに合わせて生活パターンがまわっているという。塩屋プールを見たあと、これからどこへ向かうか悩んだが、とりあえず北側を通って島を一周しておくことにした。相変わらずの赤茶けた道路をひたすら走り、北の港へと向かう。他の港と同様、最後にへ出る道は急な下り坂になっていた。一番海に近いところまで出てくると、足元は波に洗われ滑って転びそうな状態になっている。近くの高台からは、海の向こうに北大東島がはっきりと見えた。直線距離で7キロほどだというが、ふたつの島の間は2000メートル級の深さまで落ち込んでいる。二本の指を突き出したほんの先っぽだけが海面の上に顔を覗かせてるような状態だという。
大東島港
地図を見ると、バリバリ岩という耳慣れない場所が近くにあるので、ちょっと寄ってみることにした。南大東島も北大東島も大陸へつながっていたことがなく、動植物も独自の進化と遂げてるらしい。そのひとつがあの有名なダイトウコウモリである。南大東島も北大東島も、太平洋プレート上をさまように移動しているため地殻変動の影響を受けやすく、ひとつの岩が裂けてできたのがバリバリ岩だと言われている。ちょっと怖いような感じのする藪の中に入り、不思議な姿を目にする。まったく想像もつかないような話だ。とりあえず一周してきてみて、ようやく地理的感覚がつかめてきたので、あとは残り時間と相談してどこへ行けるかを考えてみた。旧南大東空港の近くにある島まるごと館はパスとして、大池へ行ってみることにした。オヒルギの群落という看板を頼りに狭い道を進むと、大きな池とマングローブ状の森が広がり、展望台に登ると不思議な景色を見渡すことができる。普通マングローブというと、海と川の水がぶつかり合うようなところというイメージが強いが、中央が窪んでできた南大東島の地形の生い立ちを物語ってるといってもいいかもしれない。
大東港
次に向かった場所は星野鍾乳洞、とりあえず入場料を払い、管理人さんから懐中電灯と解説用のテープレコーダを受け取り、鍵を開けてもらってから中へ入る。随分厳重なんだなと思ったが、保存状態を維持するためにもこれくらい必要らしい。鍾乳洞というと、入ったときヒヤッとした感覚を覚えるが、ここはまったく違う。高温多湿で何とも異質なものを感じる。ちなみに土地の持ち主が星野さんという方だったので、星野洞という名前が付いられたという。サンゴ礁が重なり合っては地殻変動を繰り返したという長い長い歴史を経た結果、南大東島の内陸部には大小多くの鍾乳洞があるという。なかでもここ星野鍾乳洞は最大級で、規模だけでなくその姿にも圧倒される。もっとゆっくり時間をかけたかったが、適当なところで引き上げることにした。
星野鍾乳洞
鍾乳洞の管理人さんから「旅行関係の方ですか?」と声を掛けられたが、そんな風に見えたのだろうか?いよいよ時間も押してきたので、最後にシュガートレインが展示されてる場所を聞いてこの場所を後にした。集落にある文化センターの近くに展示されているとのことだったが、ここで聞かなければ場所が分からずじまいになったかもしれない。場所も分かったので、途中、大東神社に寄ってみることにした。南大東島は行政区分としては沖縄県に所属しているが、いまからおよそ100年前、八丈島からやってきた入植者によって開拓された島である。サトウキビをもとにした製糖業はいまでも島の基幹産業であるが、苦労の末、成功を収めたといっても過言ではない。その後、沖縄からやってきた人々にも支えられ、今日に至っている。沖縄にはみられない神社があるのもそのせいで、文化的にも純粋な琉球的なものとはちょっと違う。大東寿司も八丈でみられる島寿司とほとんど同じであり、そういった背景があってのことと想像できる。そんなことにも思いを馳せながら、鬱蒼とした森の中、大東神社をお参りしておくことにした。
大東神社
あとで気がついたことだが、神社の前の道路はかつて鉄道が走っていた場所のようだった。サトウキビを積み出すのに使われていたのが通称シュガートレインと呼ばれるもので、道路が整備されトラックが使われるようになってからは廃止の憂き目に遭っているのだが、その名残が展示されてる場所がある。屋根のあるところに蒸気機関車ディーゼル機関車が置かれており、積み出しに使われた貨車なども保存されている。あのサトウキビ畑の中をこれが走ってた姿を想像すると、なかなか感慨深いものがある。もうほとんど残り時間がなくなってきたが、帰り際に文化センターの隣にあるスーパー=Aコープに入ってみる。肉類は冷凍ものばかりだったが、食材など品数は多く普段の生活にそれ程不自由はないようにも思えた。
シュガートレイン
空港に戻り、午前中言われたように車のカギを売店の方に返却する。搭乗手続きを済ませるとポツリポツリと人がやって来だした。座席を示すシールを貼ってもらった搭乗券には半券が2枚ついており、南大東で1枚、北大東で1枚ちぎってもらうことになる。待合室のテレビは今日、高知空港で起きたQ400の胴体着陸の事故を伝えるニュースを盛んに伝えている。何かとダッシュエイトシリーズはお騒がせごとが多いようだが、これから乗るQ100も同じボンバルディア製であり、あまり気分がいいものではない。建物の上階から屋外に出ると、滑走路が展望できるようなオープンスペースになっており、その先の島の様子も見ることができる。今日一日だけだったが、念願の南大東島にやって来れたという充足感をあらためて感じる。やがて、帰りの便となるQ100が上空を過ぎていき、何回か旋回してから目の前の滑走路へと下りてきた。
シュガートレイン
前述通り、今日の午後は南大東-北大東-沖縄の順番でまわる日なので、同じ飛行機、同じ座席で搭乗券が一枚であっても、北大東行きの便と沖縄行きの2便を乗り継ぐ形になる。同様に沖縄から北大東へ渡る場合も、一旦ここ南大東で飛行機を降りてからあらためて搭乗する形をとる。ちなみに、南大東=北大東間は、日本で一番短い定期路線である。風向きによって、2つの空港間を直線的にI字型に飛ぶ場合とS字型にまわり込む場合があるが、今日はストレートに一直線に向かうフライトだった。いよいよテイクオフ、離陸して島を離れると本当にすぐに着陸体制となる。あっという間のフライトで一旦機を降りることになった。北大東空港の待合室は南大東に比べるとはるかに小さくとても狭い。乗り継ぎを待つ間、一瞬だけだったが建物の外へ出てみた。島の様子は南大東とそれ程変らないというが、島の大きさはこちら北大東の方が小さい。荷物の積み下ろしなど見守った後、混雑した中、通常通りセキュリティチェックを受け、ここ北大東を後にすることになった。
北大東島空港
沖縄行きの便は北大東を離陸し、みるみると島影は小さくなっていった。帰りの所要時間も一時間強、再び何もない海の上をひたすら飛び続ける。次の機会というのがやって来るのか来ないのかまったく分からないが、こうして南大東日帰りは幕を閉じた。ちょっと遅れ気味ではあったが、那覇空港へ到着したときはもう夕方近くになっていた。東京へ戻る便は少し余裕を持って7時半頃を予約してある。この旅最後の食事は空港でとることにした。いつもの悪いクセで"これでもか"というくらい押し込んでしまったが、過ぎてしまえば6日間はあっという間だった。それにしても、こんな強行スケジュールがうまくつながったのも運が味方してくれてのことだったと思う。ここでも、到着遅れの影響で出発時刻が変更になる便が多く、目的の便も出発が20分近く遅れるようだ。もうここまでくれば多少前後しても構わないが、締めくくりの最後の東京行きは、機種を見比べてジャンボジェットのクラスJを予約していた。同じような時刻に東京行きがあったのだが、どうも耳慣れない便数だと思ったら臨時便のようである。そのせいか、あちらの便はお客さんの集まりが悪く、お行儀の悪い団体さんでも乗せるのだろうか、折角定刻に出発できるはずだったのが、ずるずると遅れてしまっていた。まぁ人のことは気にしても仕方ない。
北大東島
B747のクラスJは快適そのものだった。長時間のフライトなのでこの選択は正解だったかもしれない。東京に到着すると遅れは数分程度まで回復していた。直前を行ってた例の臨時便は、途中で追い抜いてきたようだ。さすがパワーのある機種は違う。今回は1月にぽしゃったリベンジだったが、リスケした分見直しも掛けられて非常に満足がいくものだった。ところで、全国空港めぐりも荒稼ぎ状態で、難易度の高い離島を中心に数稼ぎできたのも大きな収穫だった。おや、ちょっと待てよ。そういえば沖縄本島って、あまり回ったことがないな…。さて、この課題はいつ解決しようか??(後日談:かなり後になってのことですが、あらためて沖縄本島を再訪しました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
RAC・ダッシュエイト-Q100