■旅日誌
[2001/8] ぐるり北海道
(記:2001/8/20 改:2021/12/31)
(記:2001/8/20 改:2021/12/31)
以前、友人とちょっとだけ函館をぷらぷらしたことがありましたが、本格的に北海道を周ったのは実はこれが初めてでした。別に美味しいものを最後までとっておく主義ではないのですが、そうですねぇ~~高校生くらいから何となく北海道は行きたいなと思っていましたが、こんなに時間がかかるとは思いませんでした。その間ローカル線のたぐいはすっかり廃止されてしまい、昔の時刻表を見るとあんなに真っ黒だったの路線図もスカスカ状態。ちょっと惜しまれます。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
いつもながら今回も夏休みがフルフルで取れるとは思っていなかったが、幸いにも長期連休を確保することができた。どうせ普段忙しいのだから大義名分が通るときに思い切って休んでしまおう!とグループメンバーで結託した成果とも言えなくはない。とはいえ早々と正式確定するわけもなく、休みが決まってから行先を考えるという順番はどうしようもなかった。なので自ずと計画を練ったりする期間は限られていた。余談だが、北海道へ行ってしまえば呼び出しがかかってもそう簡単に戻ってくることができないだろう…という言い訳を考えて渡道した人間が、グループの中に3人もいたことは笑うに笑えない。
九州ぐるり以来だろうか、この際というとで暖めておいた北海道行きを決心する。スケジュールを考える時間は本当に少なかったが、しょうがない最低限のところだけ調べ上げておくことにした。時間節約のためにも片道は飛行機にしておきたかったが、この時期都合のいい時間帯の空席はまず期待できない。それどころかどんな時間帯でもすべて満席でこりゃどうしたものか思ったが、早朝始発の千歳行きに僅かばかり空席があったので何も考えずにえいやぁ的におさえておいた。他の空港でもよかったが、大慌てで組んだスケジュールを変更するのは避けたかった。でも、よくよく考えれば羽田の始発の便に間に合うか確かめていない。そんな感じでいい加減な準備ではあったが、横浜から京急で羽田行きの直通列車が出ていることに気付き、これを捕まえればまぁ何とかなるようだった。それにしても変である。京急は蒲田で折り返しできたっけ??(後日談:その後渡り線ができましたので今じゃ問題ないですが、そのときはいったん上りホームに停車して品川方面へ進んだあと切替して後ろ向きに羽田方面のホームに入るという動きをしていました。)
寝坊することもなく無事家を出ることができ羽田空港に着いたはいいが、これでも時間に余裕がない。朝6時過ぎだというのに窓口には長蛇の列ができていて、えぇ…どうしよう?と一瞬焦ったが、そうだチケットレスなのでこっちでいいんんだ!と機械の方に並ぶ。こっちは空いていたが、何度やってもなぜかカードがけられる。えぇえぇ…どうしよう??と再び焦り始めたが、となりの機械が空いたのでそちらに移り事なきを得た。もう初っ端から大忙しだ。普段でさえ飛行機は乗り慣れないというのに、人民大移動するこの時期に居合わせたものだからどうもいまいち勝手がつかめない。乗り込んでみれば、結局朝一のこの便も満席だった。席がとれて運がよかった!といつものように前向きに考えることにする。確かに早い便だったので、おかげで初日の滞在時間が長くなった。うん、よかった、よかった。結果オーライ…大いに結構。(笑) いつも飛行機というと西の方へ向かうことばかりなので、北を目指すのはもちろん初めてである。悪い天気ではなかったが澄み切ったとは言えない空模様の中、徐々にランディング態勢に入り緑濃い陸地が分かるようになってきた。
JRの新千歳空港駅は空港ターミナルの真下にあり、現地調達を予定していたフリー切符を真っ先に購入し必要な指定券を目ぼしいところだけおさえておく。今日は夕張往復と札幌市内をうろうろすることしか考えていなかったが、夕張往復の乗り継ぎを考えるとあまり急いでも意味がなかったのでとりあえず札幌駅へ行くことにした。早速第一のランナーである快速列車に乗り込む。地上に出ると新千歳空港が遠くに見渡せ、広い広い景色の中快速列車は軽快に走りを進めていく。道がまっすぐなのと、路肩を示す[↓]な標識から、北海道であることが実感できた。札幌駅に着いたものの今ここに用はない。そういえば今日は起きてからまだ何も食べていなかったので、それらしい弁当を物色し夕張方面へ向かって、いま来た道を折り返す。未知の土地にいることに加え空腹も満たされ、至福のときというのは大げさだがささやかな幸せを感じるときである。
新夕張で夕張方面に乗り換えると、ローカル色もいよいよ濃くなってくる。開け放たれた窓からは涼風が入ってきて冷房はまったくいらない。終点の夕張駅は場所がじりじりっと変わって、こじんまりとしたこぎれいな駅舎は昔あったところから何百メートルも離れている。確かに目の前のリゾートホテルは立派だが、あまり風情は感じない。特に何するわけでもなく同じルートで新夕張まで戻ってきた。もう少し何かあるかと思ったが、無人駅だし駅前には何もない。ただ、昔の駅名の「紅葉山」を記した銘板だけが寂しげに展示してある。乗り継ぎはあまりよくなく、プラットフォームで何十分か待ったが静寂が染み入る。待ち合わせのためか長大編成の貨物列車が向こうのホームに止まっている。あらためてまわりの山々を見渡し、北海道にいることを実感した。ようやくやってきた特急で再び札幌を目指すことにする。(後日談:残念ながら、夕張支線は廃止されました。廃止直前に再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
途中、新札幌で降りて地下鉄に乗ってみることにする。ご存知の通り札幌の地下鉄は一風変わっており、一度でいいから実際に乗ってみたかったが、ようやく念願が叶う。毎月5の日はマイカー自粛デーとかで1日乗車券を買っている人を目撃し、じゃぁということで自分も何食わぬ顔をして購入する。これで市電にも乗れるし、頑張って一気に乗りつぶす勇気(笑)がわいてきた。ホームに降り列車が近づくと、ゴーというよりシャーという音がする。乗り心地の違いまでははっきりとは分からなかったが、車内の騒音もレールのとは全く違う。東西線を行ったり来たりして南北線に乗り継ぎ真駒内まで来た。トンネルというかドーム型の軌道をあらためて確かめる。途中地上に上がって市電でぐるっとひとまわりし、再び残りの地下鉄に乗り換え完乗を成し遂げる。(後日談:その後、環状運転後の市電に乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)街歩きをしながら大通り公園のあたりをうろうろして、さぁ~てと…ということで晩メシに何か美味いものを探しにいく。
2日目
今日は北海道を横断して東の端まで行くことにする。北海道の東端は即ち日本の東端を意味する。(当たり前?)札幌始発のスーパーおおぞらで釧路まで乗り通すが、途中までは昨日通ったままのルートである。そういえば昨日、夕張の手前の切り通しのようなところで線路端に車が滑落していたが、今日は撤去してあった。北海道はああいう事故が多いのだろうか?(誰か教えて)昨日と同様、車内で朝食をとることにする。乗り心地は抜群で文句はない。石勝線は特に駅間距離が長いので途中いくつも交換できる信号所がある。ポイント部分は風雪避けのシェルターになっていて北海道であることをこんなところでも実感する。車窓に時折確認できる牧場や牧草地などもそうである。幻の楓駅をあっという間に通過し、トマムに停車する。うわさに聞くバブルの爪痕が遠くに見える。誰も降りることもないだろうと思ったら2人も降りて行った。狩勝トンネルを抜け、この区間でもっとも山深いところを右へ左へ車体を傾きかけながらひたすら先へ進む。ちょうどボーっとしかけたところにアイスクリームを売りに来た。北海道に行ったらどこでもいいからアイスは食べておくべしと聞いたことがあったので早速買い求める。確かにコクの違いは感じたが、クセになるとかいう程のものでもなかった。それとも、車内販売しているような物じゃ不十分だったのだろうか?帯広を越えたあたりからは更に荒涼とした風景となってきた。
釧路で特急を降り、通称"花咲線"に乗り換える。接続時間はわずかばかりで、キハ単行はかなり混雑していた。時間的には便利な乗り継ぎかもしれないが、夏休みということもあり詰め込まれた感じがする。ここから先は前にも増して寂しくなってくるのが分かり、北海道を感じさせるところだとも言われている。確かに人間の生活感を感じさせない風景や、緩やかな丘、広大な牧場地は日本の風景とは思えない。残念ながら、座席を取るのが精一杯だったのであたりの景色を楽しむような余裕はあまりない。でも、何時間後かには同じ道を引き返すのでまぁよしとしよう。(後日談:花咲線へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
ようやっと根室駅までやって来た。気温は一段と低く半袖では肌寒いくらいだ。納沙布岬行きのバスは列車の到着に合わせるように待ち構えていて、往復分の乗車券を買い求めそのまま乗り込む。根室駅の近くはそれなりの街並みが続くが、車だけが行き交うばかりで人が歩いてる姿はほとんど確認できない。街並みを抜け海が見えるところまでやってくると、あとは1本道のようだ。行く先に目をやっても半島の先端は確認できない。多少アップダウンはあるが海沿いの国道を軽快に進む。いよいよ隅っこまで来た感じがする。あの辺が終点かなと思ってもなかなか行き着かない。そんなに時間がかかるものかと思ったが、地図をみれば根室駅から20~30キロはあるので当たり前と言えば当たり前だ。あまり時計は気にせずにいたが、終点にはほぼダイヤ通りに到着した。
岬の向こうには北方領土の島影が確認できる。穏やかな海には往来する船も見える。いろいろと見て回るが人の数はまばらだ。時折車が通るくらいでとても静かだ。帰りのバスまで数十分程度ではあったが、ゆっくりと過ごせた感じがした。帰りがけ最後にもう一度海の向こうにかすかに見える島影を目をやったが、とても複雑な気持ちになった。来た道をそのままバスは戻り、順調に飛ばしてやはり根室駅には定刻に到着した。今日は根室からそのまま釧路へと引き返す予定だ。
改札口前には早めに並び、出札が始まるとすぐに列車に向かう。程なく海側の席に座ることができた。車掌に尋ねる人もいたが、座席は転回式ではなかった。今度引き返す列車は各駅停車であったので根室の隣にある東根室にも停車する。座った位置がよかったのか日本で一番東に位置する駅であることを示す看板のまん前にとまった。根室に到着する手前で路線が東に回り込むので、この駅が最東端になるというわけである。根室に向かう列車は座席の数を越える程満員だったが、いま乗ってる列車は座席が埋まる程度の乗車率である。行きがけあまり景色が眺められなかったが、太平洋がよく見える。林の中の長い直線区間で、けたたましい警笛とともに列車は急停車した。乗客が一斉に前を覗き込むと、鹿が線路を横切ったとのこと。北海道らしい経験をさせてもらった。釧路に着くころは日も傾きかけていた。
3日目
この北海道一周のスケジュールを立てるにあたり、いつものようにクリティカルパスを設定していた。それが今日にあたる。釧網線から石北本線を抜けるルートあるいはその逆を考えると、どうしてもひとつかふたつのパターンになってしまい、網走で1泊するか釧路で1泊するかの選択だったが、納沙布岬往復や宗谷岬まで足を延ばすことを盛り込むとこのコース取りが都合よかった。もちろん各所各所を落ち着いて訪ねたかったのには違いなかったが、まぁ次の機会にでもということにしておく。
そんなわけで釧路出発が6時前になってしまった。いつものように旅の朝は早起きに限る。ホーム向こうには季節運転で根室まで延長運転される寝台併結の特急列車が発車していった。夏休みなのであろうか、釧路湿原を目指すこの列車もそれなりに乗客がいる。しばらく北上するとやがて釧路湿原の中を通る。瀬の低い木が湿原なかずっと続く。もう少し余裕があれば1列車落としてそこらを散策してみたかったが、スケジュールがうまく出来過ぎてしまっているので諦める。いまさらここでいうことでもないが、もう少し左か右にそれていれば屈斜路湖か摩周湖か他にも風景のいいところがあったのだろう。釧路湿原を抜けると何もない山道がひたすらい続く。しばらくして斜里岳がよく見えるところに出た。今日も天気がいい。山間を抜けると一気にオホーツク海が広がった。とても穏やかで夏の青々とした海が見え隠れする。テレビで紹介されてたような記憶のある小駅へ停車をかさね網走までやってきた。網走でもひと呼吸おきたかったが、次の列車に乗り換える。乗り換え時間は30分もない。ここでも接続が悪ければ散策くらいできたのに…などと理不尽なことを考えてしまった。
やはり乗り継ぎがよすぎたのか自由席はほとんど埋まっていた。指定はおさえてあったが隅っこの通路側というあまりいい席ではなかったので、迷ったが自由席で適当なところ探し座る。指定を開放しなかったので悪いことをしたかもしれない。気がつけば起きてから何も食べてなかったので発車間際に弁当を買い込み少々遅い朝食とする。ここでも車窓をおかずに弁当に手をつける。後ろの席では幼い兄妹が騒いでいるが保護者はいないのだろうか?遠軽で方向転換となるが、幼い兄妹は何が起きたのか理解できていないようだ。徐々に街並みは途切れ途切れになり、日本でも屈指の人口密度の低い地域に差し掛かる。こんなところにも線路が通っている。先人の努力には頭が下がる思いだ。しかし数多く路線は廃止されてしまった。少々複雑な気分である。秘境駅でうわさに聞く白滝シリーズ(?)を走っていること気がついた。あまり実感はないが、もちろんここを通るのは初めてである。車窓からの眺めだけであったがその秘境度は十分感じとれた。旭川まで出てきたのでこのまま北上してもよかったのだが、今から稚内方面を目指そうとすると到着が夜になってしまうので、ひとひねり入れたスケジュールを考えていた。(後日談:冬の釧路へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。また、石北線へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
札幌まで乗り通さずに岩見沢から函館本線で苫小牧へ抜ける。函館本線といっても各駅停車しか走ってないとてもローカルなところだ。岩見沢構内には馬場の銅像があった。ここで適当に食料を追加してそのローカル線に乗り換える。乗り換え時間はわずかで、ここでも効率よく乗りつぶしを続ける。直線に走る道が交差する平野の中を抜け苫小牧へ出る。更に室蘭まで乗りつぶしのために足を延ばす。苫小牧では日高線からの列車がちょうど到着したところだったが、この旅で日高線だけはどうしても日程に組み入れることができなかった。仕方ないので次のお楽しみにとっておくことにする。もちろん、仕方ない…というのは本心ではないが。(笑)(後日談:あらためて日高線へ乗りにときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
室蘭方面へ直通する特急に乗り換えそのまま室蘭駅まで出た。室蘭でも見所はあるのだが、既に夕闇も迫っており今日はひたすら乗りつぶしに徹する。ひとまず東室蘭まで戻り、札幌行きの特急を待つ頃にはすっかり日は暮れていた。東室蘭で不意に携帯が入るが出たとたんに切れてしまう。会社からのようなので折り返してみるものの、誰が電話してきたのかなぜかよく分からない。予定通り札幌まで戻り今夜も何か美味そうなものを探しに行く。今晩は夜行で稚内を目指すことにしているが、発車時間までは間があったので手稲まで近郊型の列車で往復してみた。(後日談:その後、東室蘭に立ち寄る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
4日目
北海道の各所では夜行列車が走っているが、ひと頃に比べぐっとバリエーションは減ってしまっている。稚内を目指すこの列車も昔のような夜汽車といったような風情はあまり残っていない。とはいえ夏休み期間中に限りお座敷車両を連結して普通指定席扱いで開放している。お座敷はカーペット車のようにフルフラットで毛布と枕が準備されていた。畳の上の雑魚寝も意外と楽であるとどこかのページに書いてあったのでこいつを利用することにする。確かに畳は硬いが、身動きがとり辛い窮屈な座席に比べればはるかに楽である。全部で十数人分の「エリア」が準備されていたが、若者中心で半分くらいの利用率だった。旭川近くまで来てようやく車掌が検札に回ってきた。本当に遅くなってすいません…と謝っているので、座席の方は混雑しているようだ。この車両の利用については途中駅での乗り降りはできないようになっており、電灯も減光ではなく消灯なので列車の揺れを全身で感じているうちに眠りに落ちたようだった。(後日談:宗谷本線へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
朝目が覚めると、霞がかかった原生林のようなところを走っていた。まだ稚内到着までは時間があるようだが、周囲を見回すと既に起きてる人もいる。自分も身支度を整えしばらくボーっと外を眺めていた。高いところから下ってくるのが何となく分かる。徐々に雲が多くなってきて終点に近づいているようだ。うまく時間調整されたダイヤに乗っかり、特急利尻は稚内に定刻通り到着した。いつも思うがJRの正確さはすごいと思う。ちょっと体が痛いかな?と感じることを除けば「C寝台車」の寝心地は悪くなく寝不足も感じない。稚内駅に降り立ち、いよいよやって来たなとあらためて感じる。とっくに日は昇り切っており、あたりはすっかり朝の空気に包まれていた。稚内は港町である。礼文/利尻方面へ向かう連絡船の船着場などを見て回り、もう一度駅へ戻り立ち食いそばで朝食にした。早朝から営業しているこの駅そばのスタンドは、噂に聞く通りひっきりなしに人が入れ替わる。宗谷岬へのバス乗り場を確認して往復の乗車券を購入した。まだ時間があったので北海道からの帰りの切符を買うことにする。青森から指定をとるか迷ったが、予定変更してもいいようにいつものように自由席にしておいた。クレジットカードで支払いを済ませる。まさに日本全国で使えるのだから便利になったものだ、というよりなぜもっと早く整備されなかったのか不思議に思う。
こじんまりとしたバスターミナルで宗谷岬行きのバスを待つ。これから出発する観光用の周回バスのアナウンスが何回かされていた。バスの待合所にはレンタカーの窓口も併設されており、そうかこの手もあったかな…と思うが往復券を買ってしまってあるのであまり気にもとめずにもうしばらくバスがやってくるのを待つ。これから岬を目指すバスはごく普通の路線バスだった。雰囲気というか色合いが似てるなと思ったら、東急グループ配下のバス会社であるようだ。繰り返し、観光用の周回バスはこのあと続いて来ます、と注意があったが、出発して1分くらいすると間違えて乗ってしまったと申し出ている客がいた。運転手はここからなら戻れますよね、と丁寧に応対していたが、分かりやすい間違えをやってくれる人もいるもんだ。南稚内駅付近で中学生らしい20人くらいの集団が乗り込み、おかげでバスは一気に満員になった。稚内駅から少し南下し市街を抜け左折すると、あとは海岸線沿いに岬まで1本道になる。途中、稚内空港などを寄りながらバスは快調に飛ばしほぼダイヤ通りの時刻で宗谷岬に到着した。
北の端までやってきた。まだ朝早い時間だというのに、そこそこの人出である。言われなければここが日本の一番北だということに気付かないようなところだが、確かにここが最北の地である。海岸線の国道は海のすぐ近くを通っているが、海の反対側は小高い丘のようなところがずっと続いている。冬場となれば厳しい気候になるであろうが、今日はとても静かで、そして穏やかだ。遠浅が続く海岸のその先には、ゆっくりとした潮の流れの中に何羽も鳥が止まっている。何も考えずただこうして景色を眺めて過ごしていられる時間が自分は好きだ。放っておけば多分何時間でもこうしているに違いないが、残念ながら帰りのバスの時間がすぐだったので引き返すことにする。(後日談:宗谷岬へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
結局、ここにいたのは数十分だけだったが、更に次のバスには何時間も待たなければならずその後のスケジュールも控えていたので素直に来た道を戻る。もちろん稚内で1泊すればいいのだが、今回はできるだけいろんなところを回ろうとしていたのでこの程度にしておく。ちょっと名残惜しいくらいでちょうどいいのでは…と勝手に納得しそれで済ませる。帰りのバスもやはり混んでいた。あの中学生の集団もいたが、途中南稚内近くで降りていった。タクシーに分乗すりゃよかった、えらい損してるぞ!?と変な計算を始める少年もいたが、それはちょっと違うような気もするけど…。
早々に稚内まで戻ってきてしまったが、タイミングよく乗り継げる列車はなかった。もし効率を優先するのなら7時半頃に出る新鋭スーパー宗谷で戻るのがいいのだが、あまりにも素っ気ないスケジュールになるので、何とか時間をこねくり回し宗谷岬の往復分をひねり出してあった。折角なので東の端も、北の端も自分の目で確かめておきたかったというわけである。午前中に普通列車で南下していく筋もあるのだが、札幌に戻れる時間はその次の午後の特急を利用してもたいして変わらない。となると逆に時間があきすぎてしまう。宗谷岬から戻るバスの時間がもう少しずれてくれればよかったのだが、そうはいっても仕方ないので余った時間をみて、ノシャップ岬を見てくることにした。稚内駅からバスで10分ほど行ったところにあり、景色もいいところのようなのでとりあえず行くことにした。稚内駅から北上し終点のバス停からさらに数分歩いたところに目的の地はあった。なるほどこちらも景勝地らしい。天気がよくなってきたので利尻富士がよく見える。ここでもいつものようにシャッターを切ってください、と頼まれ他人の写真をとってあげた。旅に出ると必ず1回はこういった場面に遭遇する。(余談:シャッターお願い…はこの後の旅でも出てきます。)
ノシャップ岬からのバスは1時間に何本か出ていた。あまり時間も気にせずにいたが適当なところで切り上げることにする。バス停へ向かって歩いている途中で携帯が入り、昨日の電話の主がようやく分かった。仕事の話だったが大したことではなかったのでひと安心する。休み中に出勤している人には申し訳なのいが、その程度のことでここまで追いかけられるのも…と正直思った。ちょうど乗ったバスは通常のルートを外れ駅前を迂回するものだった。まだ時間があったので防波堤の近くまで戻り、何やら催しをやっていたのでうろうろすることにした。途中露店でカニ汁を美味そうにすすっている人がいたので思わず自分も飛びついてしまった。気がつけばずっと歩き通しだったのでちょうどいい休憩になった。再び駅前まで戻り近くで昼食を済ませておくことにする。何気なく入ったお店であったが、焼き魚を頼んで見事なほっけが出てきてびっくりした。ちょうどお昼どきということもあり、手狭の食堂は相席で満員状態だった。事情はよく分からないが、時折聞こえてくる隣の父と子の会話はまるで"北の国から"のワンシーンを見ているようだ。
バスのダイヤのおかげで余った時間ができたが、ここから特急サロベツで南下する。欲を言えばスーパー宗谷で一気に行ければ時間短縮になったが、まぁとりあえず何でもよい。で、結局は昨日の晩お世話になった利尻の車両が運用にあたっていた。お座敷はそのまま自由席となって開放されていたが、今日は普通の座席にしておく。稚内を出てしばらくして見えた利尻富士の姿は見事であった。(後日談:その後、利尻島と礼文島へ訪問したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)一番のビューポイントで列車は徐行し、案内サービスとなった。この地の気候を考えるとこれほど晴れ渡ることも少ないだろう。かつての稚内ルートは何通りもあったが、いまではこの路線しかない。サロベツ原野の中をやや蛇行しながら進んでいく。天気がよすぎるせいか右からも左からも日が差してくる。途中通過する駅は秘境駅ばかりだ。要所で停車する駅から乗り込んでくる人で席はほぼ埋まり、旭川に着くころには満員になっていた。その頃には、西に傾きかけた強い日差しのおかげかカーテンを閉めたままにせざるを得なくなっていた。今日は札幌で1泊する予定なのだが、旭川で途中下車しておくべきだったかな、と思ったのは日もすっかり落ち切って札幌へ着く頃だった。
5日目
今朝の出発も早い。学園都市線と愛称が付けられた札幌の近郊路線から今日の乗り歩きが始まる。桑園で函館本線を離れたあともしばらくは高架区間が続き、長編成の列車も行き交うので電化しても不思議ではないくらいだが、近郊路線といっても本数が多いのは石狩当別まででその先は1日数本になってしまう。終点で乗り継ぎのないこの路線も往復には何時間もかかりクリティカルパスのひとつであった。が、スケジュールを立ててる途中で、新十津川と滝川の間の距離がわずかであることに気がつき、うまくいけばバスで乗り継げることが分かった。そこで、旭川付近を通過するタイミングやら留萌本線往復をどう組み込むかなど迷った結果、今日片付けることにしてあった。
学園都市線は予定していた便よりひとつ前のものに間に合ったしまったのでとりあえず乗り込むことにする。石狩当別で待ち時間があるのでどっちにしろ同じなのだが、通勤客とは逆方向の下り列車はまったく空いていた。あらかじめ買っておいた朝ごはんを軽く済ませしばらく外を眺めていたが、風が強く雲行きが怪しくなってきていた。石狩当別へ着くとこの列車の先頭1両だけ切り落とされ新十津川行きになるとアナウンスがあった。札幌からの列車の一部だけが直通するのではと予想していたが、1本前だったというのは予想できなかった。発車まで時間があったが、車掌の乗っててもいいよの一言で車内で待つことにする。その後の便からの乗り継ぎ客で車内は混雑したが、次の大学駅でほとんど降りてしまった。その先の駅でも降りる人はいても乗ってくる人はほとんどいなかった。結局終点の新十津川では、乗り通すのが目的と思われる人々だけがわずかに残った形であった。札沼線の名の通りもともと石狩沼田を目指したこの路線ではあるが、結局貫通することはなくこれでは利用者の少ない区間はいつ廃止されてもおかしくないと思った。(後日談:残念ながら、2020年5月に新十津川-北海道医療大学間が廃止されました。)
新十津川駅は終着駅らしい風情のある駅だった。バスは駅前まで乗り入れているわけではないので、少し離れた国道まで出なければならない。前もって下調べはしてあったので迷うことなくバス停を見つけることができたが、なんとなく街並みは建物と建物の間隔が広いように感じた。同じ列車に乗ってきてしばらく駅近辺にいた少年がはるか先の方を歩いている。バス停で次のバスの時間を確認するが、中央バスとJRバスが1分違いで来るようだ。先程の少年はバス停を通り越えてかなり先へ行ってしまってる。滝川まで歩き通すつもりなのだろうか?歩いて行けない距離ではないが、途中石狩川の大きな橋を越えなければならないはずだ。バスはやや遅れてやってきたが、1分後のJRバスの方が先に来てしまった。フリー切符を利用していたので実はこちらの方が都合がよい。石狩川を越えるあたりで、先程の少年がこのバスに気がついたらしく、なぜか慌てたように走り出していた。バスは程なく滝川駅についたが、駅近くの人通りはここでもまばらだった。
石狩川べりであろうか、遠くでグライダーが飛んでいるのが見える。滝川から函館本線を少し乗り継ぎ留萌本線に乗り換える。朝が早かったせいもありなんとなく早めに食料調達しておく。すずらん弁当という名前はいかにもという感じがしないでもないが、単に幕の内弁当として片付けていいレベルではないと思った。深川から乗り込んだ列車は2両編成だったが徐々に混んできて結構座席は埋まってしまった。幸いにも(?)1ボックス占有した形にあったのでゆっくり弁当を広げることができた。難読駅が続き、若者の集団が駅名にうけていて写真を撮って喜んでいる。いい悪いは別にしても、まるで小学生のようだ。NHKのドラマで有名になった恵比島駅を通過するあたりから、雨がポツリポツリと降り出していた。この列車は途中留萌どまりである。一旦外に出て様子を見ていると、前1両は別番で引続き先を目指すが、後1両は折り返しでもと来た道を目指す運用だった。留萌駅ではドラマすずらんにちなんだ写真がパネルで数多く紹介されていた。先程の列車にあらためて乗り直してもうしばらく先を目指す。上下入れ替えで向こうからSL編成が戻ってくるらしいが、DLにひっぱられ逆向きでやってきた。SLの勇ましい姿を想像していたが、行き止まりから後ろ向きに戻ってくるのだから当たり前か。行くとこまで行ってたどり着いた増毛は駅日本海が望める小さな終着駅であった。(後日談:残念ながら、2016年12月に留萌-増毛間が廃止されました。)
いつしか雨は止んでいた。並行している道路に恵比島駅が"明日萌駅"として案内された標識があちこち出されていた。恵比島駅では記念撮影に興じる人もいたが、ひと頃はもっと人の集まりも多かったに違いない。先程はよく見えなかったが、駅舎では萌えちゃんがこちらを振り返っていた。途中何もないようだが高速道路と並行する区間もあった。そんなに高速道路の需要はあるのだろうか?深川まで戻り函館本線でまた少し先へ進み旭川から富良野線を目指す。
旭川での乗り継ぎ時間はわずかだったが、ここでも乗り継ぎがよすぎたせいか、旭川駅でちょこっと降りてみる余裕がほとんどない。昨日途中下車しておくべきだったかもしれない。次の富良野線の列車はキハ単行だが新しい車両であった。季節運用のホリデー快速というやつで、このまま帯広まで通して行けてしまう。途中余計な駅は通過してくれるので都合がよい。タイミング的に具合がよいと、やっぱり席はいっぱいに埋まってしまってるものだが、運がよかったかすぐに降りる人と入れ替わりにさっと席を得ることができた。富良野もとりあえず素通りで、今日は帯広で1泊することにしてある。地図を見る限り根室本線の乗りつぶしも併せてやっつけられそうだが、スケジュールを組むには意外と厄介なところであった。そこでこの夜は適当なところでひと区切りすることして翌日のスケジュールを考え帯広に宿を取っておいた。今日も気温は低めで、前から狙ってた豚丼が1日の締めくくりとなる。(後日談:あらためて初夏の富良野線に乗りにきたときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
6日目
今朝もまた朝が早い。日が昇って間もない時間帯なのでほとんど人は歩いていない。高架になった帯広駅は新しく思えた。札幌行きの特急が先に出て行くのだが、これから乗る池田始発の鈍行の方がずっと先に入線していた。通勤通学のためか3両編成は長く感じるが、後ろ2両は新得止まりだ。1番前の車両に乗り込み車内で朝食にする。しばらくこの列車とお付き合いになる。高架の区間を過ぎても昨日通ったばっかりなので見覚えのある景色がしばらく続く。新得を出ての山越えも通算3度目になるが、ここからの景色は何度見ても見飽きない。昨日の快速は普通列車でも比較的優等生扱いだったのでので気にならなかったが、今日乗ったこの列車は行き違いのため信号所やら何やらと出発が後回しにされる。快適な特急列車もいいが、こうやってのんびりといくのもまた楽しい。貨物列車など長編成の列車の行き違いを考慮して引き込み線の有効長が長いため、1両編成では多少もてあそび気味になる。途中停車中に外を見回すと人工的な建造物は何もない。列車の中にいるという状況を考えると当たり前だが、この地この場所にいるのは不思議にも思える。昨日はよく分からなかったが、十勝の大回りも新清水トンネルでの石勝線との分岐点も確認ができた。
映画ぽっぽやのロケ地で有名になった幾寅駅は朝から観光客の姿がちらほら見えた。新得では切り離しのためにしばらく停車していたが、古いキハに似せたぽっぽや号の姿も確認できた。いまは真夏だがいちど冬の時期にも来てみたいと思わずにはいられない。幾寅を出た後も各駅で少しずつ客を拾い、富良野に着くころは1両編成の普通列車は立客で満員になっていた。地元客であろうか、蒸し暑い蒸し暑いと繰り返している。確かに混み合ってたので車内の温度は上がっていたが、大騒ぎするほどでもないと自分は感じてしまう。北海道の人は暑がりだというが、こんなところで実感するとは思わなかった。富良野からは駅間距離も縮まり程なく滝川へ到着した。
今日はこの先函館本線を一気に乗り通し函館まで行く予定だ。滝川から札幌まで適当な列車で行けばよいだけだが、タイミングを合わせスーパーホワイトアローとスーパー宗谷に乗り継ぐ。新しい車両はやはり居住性の点でとても快適だ。札幌での乗り換えはわずか数分であるが、このあと札幌に舞い戻ることはないのでこれで札幌駅も最後である。空港からの直通快速で小樽を目指す。フリー切符の権利を行使して指定をとっておいた。やがて海沿いの区間に出たが今日も海はとても穏やかな表情をしている。小樽からはいわゆる山線経由で函館方面へ抜けるルートを考えていたがここでも本数がぐっと減ってしまうため、どの行程に組み入れるか少々悩んだ。小樽も街歩きをしたいところであったが、計画段階で時間的余裕がほとんどなくなっていた。直感的に次の列車は混みそうな予感がしていたので早めに並ぶことは覚悟していたが、それでもどこか見れるところはないか考えてみた。あまりよく分からなかったので、とりあえず駅近辺を一周するバスに乗ってみた。全部乗り通しても1時間程なので、まぁ座ってるだけでもいいか…。結局はただなんとなく一周してしまったが、結構人通りも多く身動きをとるのも大変のようなところも多かった。今度は時間をかけてじっくりと見て回りたいと思う。(後日談:その後、小樽へ立ち寄る機会がありました、そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
小樽駅に戻りすぐに目的の列車に並ぶことにした。ホームの向こうには長万部のサボを付けたキハ単行がアイドリングしてスタンバっている。やっぱりあれかなと思い、徐々に増えてく待ち合わせ客の数を考えるととても混雑するであろうことは簡単に予想がついた。やはり早めに列に並んでおいて正解だった。座席はあっという間に埋まり、立ち席で通路もいっぱいになる。すぐに降りる人はデッキ留まろうとするが、乗り込む人は増えるばかりで、最後にとどめを差すかのように若者の集団が大挙してやってきた。ぎゃぁーとか大声を発してるやつもいるが、どうでもいいから早く乗ってくれ。(笑) 発車定刻になったが、まだ最後の乗客を無理矢理押し込もうと駅員が必死になっている。まるで都会の通勤ラッシュのようだ。どうにか発車にまでこぎつけたが、これではこの先の乗り降りは容易ではない。案の定ひとつ目の停車駅から前後両扉開けて運転手はあっちへ行ったりこっちへ来たりと大忙しである。運悪く夏休み期間中であったため、有効期間外の定期で横着しようとする高校生から料金を徴収したり、ワンマン運転の運転手は文字通り孤軍奮闘あった。ふたつ目の蘭島で先程の集団は降りていき、随分余裕は出てきたがまだ立ち客はいる。余市で更に降りていき、徐々に駅間も長くなり客の数も減ってきた。ディーゼル音を唸らせながら山深い区間をひたすら登っていく。日が西に傾きかけ雄大な羊蹄山の姿を映し出している。とても絵になる風景だ。途中で2両増結されたが、小樽を出るときの方が必要だったに違いない。長万部に着くころにはほとんど日は沈んでいた。(後日談:その後、SLニセコ号に乗る機会があり、海線経由で長万部へ行くことがありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
長万部という地名はよく耳にするが、失礼だが駅周辺には何もなかった。まもなくすると改札も無人扱いになってしまうようだ。駅弁も駅には売っておらず直売している店舗へ直接行けと案内が出ている。想像していたのよりはるかに寂しい。それでも今日は祭りがあるというらしい。長万部で乗り換えた列車から人の波がどこかへ向かっているのが分かった。もうすっかり夕闇に包まれ、海岸沿いの車窓は何も見えなかった。今日はこのまま函館へ出て1泊する。
7日目
実は、当初ここらで切り上げて帰ることを考えていた。昨日、一昨日にあたるルート決めの段階で帯広に1泊しひと区切りすることに決めた結果、おのずと函館あたりで1泊するようになってしまったが、まだフリー切符の有効期限が残っていたので思い切って函館近辺で1日過ごすことにした。冒頭にも書いたが、函館には一度友人に案内されて十分市内観光をさせてもらったので、今回は乗りに徹して未乗区間をつぶすことにしていた。
今朝はゆっくりしていてもよかったのだが、いつものように早起きして朝市へ向かう。前回友人と来たときは、夜更けまで喰い歩き(飲み歩き?)した上、朝一のフェリーで戻る予定だったので朝市どころではなかった。別にお土産を買うわけでもなく、もちろん自分は商売人でもないので何が目的というわけではないのだが、こうして普段とはまったく関係のない非日常なところにいるのがとても好きだ。地元の人間に言わせれば、観光客相手に俗化されてしまってるらしいが、あまり深いことは考えないことにして、ちょっと贅沢な朝食をとる。
函館から北海道に入る、あるいは函館から北海道を出ることを考えると、室蘭本線を経由して函館-札幌間を移動するのが当たり前だと思うが、今回は室蘭本線を乗り通していなかった。3日目で苫小牧から室蘭を往復していたので、今日はまず東室蘭まで行ってそのまま戻ってくることにしている。そのままといっても、乗りつぶしということで渡島まわりも考慮しなければならないし特急の本数も限られ、午後には江差線を往復しようと欲張っていたので筋を探すのはパズルを解くような感じだった。結局、朝一のスーパー北斗で東室蘭へ行き、すぐに折り返して淡々とスケジュールをこなすのが意外とすんなりいくようだった。
朝一番の札幌行きの自由席はほぼ満席に近かった。通路を挟んで隣に座った女性2人が会話しているが何かちょっと違う。どうやら台湾からやってきた旅行客らしい。チケットを整理しているのが見えて分かった。そういえば、長期滞在で北海道をまわるのが流行っていると聞いたことがある。昨日は暗闇で何も見えなかったが、今日も天気がとてもよくとてもすがすがしい。七飯からの迂回道もこの先ずっと続いているのが見渡せた。何しろ天気がいいので駒ケ岳がくっきり見える。大沼での景色も見事だ。できればここでもゆっくり過ごしたいと思った。隣のお客様は寝てしまっている。折角のすばらしい景色なのに。確か札幌行きの切符を車掌に見せていたが長万部で降りていった。まさかそっちまわり??
東室蘭で折り返すと、これで室蘭本線も完乗である。一旦改札の外へ出たが、携帯がなったときのことを思い出した。待合室ではなぜか若い女の子が横になって寝ている。すぐに逆方向のスーパー北斗に乗り込み来た道をそのまま戻っていく。時間があれば洞爺方面へも足を延ばしたいとやっぱりここでも思った。森駅まで戻って渡島方面の列車に乗り換えを考えていたところ、渡りに舟的に臨時列車が設定されていたのでそれを利用することにする。マウントレーク大沼と名付けられたその列車は函館を出て駒ケ岳を挟んでぐるっとひとまわりして函館に戻ってくる観光案内列車のようだった。森駅で元祖(!)いか飯を買い込み、早速乗り込む。マウントレークは既に入線していたので混み具合が心配だったが、幸いにも1ヶ所横並びに配置された方の座席が空いていたので確保する。朝ご飯が早かったので、この時間のいか飯はちょうどよかった。駒ケ岳が近づくと盛んに観光案内のアナウンスが入る。駒ケ岳の姿は見る方向によって少しずつ違っている。アナウンスの中でも言っていたが、こんなにきれいにずっと長い間駒ケ岳が見られるのは珍しいという。九州博多は明太子がブランド的に有名だというが実はこの辺で採れたタラコを向こうへ持っていって加工しているとか、室蘭までの距離がどうだとか、ふむふむと関心しながら聞いていたが、森駅に出るまでもいろんなことを話していたに違いない。それぞれの駅で少し長めの停車時間が設定されていたので、車内だけでなく停車駅ごとにうろうろするようなこともしていた。大沼から一旦大沼公園まで戻ってひと休止してから函館まで戻ってきた。
室蘭本線の残りも効率よくこなせたので、余裕をもって江差線まで足を延ばすことができる。マウントレークから次の江差線まで少し間があったので、市電の1日乗車券を買っておきまずは谷地頭を往復しておく。あらためて江差を目指すが江差行きの直通列車ではないので、木古内までは津軽海峡線の快速を利用する。別に理由はないが何となくカーペットカーに乗ってみた。出稼ぎ風の父親が幼い娘の面倒を見ている。乗ったことはないが連絡船の一般的な船室はこんな雰囲気だったのだろうか。単線区間が続くので各駅では貨物列車の長い編成を考慮して交換区間の距離は長く取ってあったようだが、駅のプラットフォームは十分ではないので乗り降りできるドアが限られアンバランスのところも多かった。
木古内で降りる人の数は意外と多かった。すぐの乗り換えだったので歩を急ぐ。江差方面へ乗り換える人はいないか、駅員が大声で案内している。よく分からないが自分ももちろん江差方面へ乗り継ぐのでその旨伝えると、無線で何やら連絡を取り合っていた。確かにカーペット車両を降りた位置からだとかなり距離があった。その間に座席は埋まっちゃうだろうなと思ったが、江差行きはとても空いていた。もう随分乗り回してきたのでどんなところかわくわく感のようなものはあまりなかったが、山間の秘境度たっぷりのところばかりだった。特にサミット越えの一区間は心細くなるほど寂しいところだった。終点の江差が近づくとぱぁっと景色が広がり日本海が見渡せる。先程も津軽海峡がとてもきれいだったが、天気がよくて本当にどこも見事な眺めだった。乗ってきたキハ1両編成で江差から再び木古内まで戻る。木古内からも接続よく同様に快速で函館まで戻る。夏休みだけあって増結してあるにもかかわらず快速は予想通り座席は満員だった。函館までそんなに時間はかからないので立ち通したままでもよかったのだが、フリー切符の権利を行使して指定をとっておいて正解のようだった。隣は学生の集団であろうか。まっすぐした道、路肩を示す目印、縦並びの信号が北海道らしいだろ、と北海道初上陸らしい友人に向かって盛んに説明をしている。はるか先には駒ケ岳が西日に照らされていた。(後日談:その後、江差線が廃止されることになり再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
函館に戻り市電でまだ未乗の区間を往復した。湯の川に着くころにはすっかり日も暮れていた。北海道最後の夜、今日も何か美味そうなものを探しに行くことにしよう。(後日談:その後、函館へ再訪する機会は何度かありましたが、旅日誌はこちら、あるいはこちらをご覧ください。)
8日目
結局、今朝も早起きしていた。とりあえずまた朝市まできて昨日とはちょっと違ったものを探して朝食にする。長かった北海道一周であったが、今日は東京へ向けて帰るだけだ。北海道は2度目だったが、前回は大間からフェリー往復、今回も往路は空路だったので実は青函トンネルを利用したことがない。そこで復路は陸路と決めていた。もちろん青森に渡ってからもいろいろなルートが考えられたが、もう十分回ったので東北新幹線経由でそのまま帰ることにした。それにしても朝北海道を発って陸路でも余裕で帰れてしまうのだから便利になったものだ。
ここ函館から盛岡まで直通するはつかりも数多く設定されているが、今回は東北新幹線の開業で廃止されてしまうと噂されている快速と決めておいた。昨日もこの客車の編成に乗ったが、なんか名残惜しい気もする。(後日談:その後、この客車編成の快速は引退してしまいました。)どれくらい混むか分からなかったのでやや早めに並んでおくことにした。いつものように面倒だという理由半分で指定は取っていない。並ぼうかと思ったら既に入線しており先客もいた。早いかな?と思っていたがそうでもない。適当な位置に座席を確保できたが、この編成も指定席車両を何両も増結してあった。季節変動は大きいにしてもニーズは相当あるようだ。向かいのホームに夜行列車が入ってきた。帰省客だろうか、大勢降りていく。快速列車の自由席はじきに満席となったが、それでもまだ乗り込んでくる。結局立ち客を乗せて函館を出発した。
今日も素晴らしく天気がいい。津軽海峡が青々と輝いている。昨日乗り換えた木古内からは高架とトンネルで直線区間となる。某公団の工事した"作品"だということがここでも分かる。知内に停車するが誰も降りない。戸籍上は江差線ということになっているが、青函トンネルの開通で路線図は一新された。ここ知内が北海道最後の駅となった。車内の入り口扉の上にトンネルを示した掲示板があり、列車がいまどこを通っているかが分かるようになっている。トンネルに入り列車は緩やかに下っていく。思ったほどスピードは出していないようだが、それともスピードを感じないだけだったのだろうか。吉岡海底駅、竜飛海底駅の両方に停車すると、夏休みだけあってここを訪れる見学者も多いようだ。青函トンネルは瀬戸大橋とほぼ同時に利用が開始された。歴史的快挙としては同じくらいの価値があるはずなのにどうしても橋とトンネルとでは派手さが違うと、その道の方(?)がおっしゃってたが、確かにトンネルは真っ暗闇をひたすらまっすぐ行くだけで景色も何もない。やがて長いトンネルを出て何事もなかったかのように本州側へ出てきた。振り返れば海の向こうに北海道が見える。程なく津軽二股に停車する。開通当時はトンネルの入り口も観光地のようだったと聞くが、何となくよそ者のような人がその辺をうろうろしている。やがて蟹田に到着し乗務員が北海道から東へ引継がれた。路盤も一気にローカル線の様相になる。本当に、ここに新幹線が通る日がやってくるのだろうか?(後日談:その後、北海道新幹線に乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
青森で乗り換えるはつかりは速達タイプで野辺地と八戸にしか止まらない。この快速からの乗り継ぎもよかったので指定を取っておくべきだったかもしれないが、早足で乗り込むとそこそこ自由席も空いていた。まぁ結果オーライとする。東北新幹線の八戸伸張も順調に進んでいるとのことで、この区間の運行体系もすっかり様変わりするはずだ。今回ははつかりの乗りおさめのような気がする。八戸で多少入れ替えがあったが立ち客の姿もある。この筋で盛岡から接続する新幹線も停車駅が少ない速達タイプのものだ。東京がますます近く感じる。
仙台での途中下車は北海道行き決行直前のほんの思いつきだった。仙石線の地下区間が開通して1駅間だけだったがあたらしく開通した区間があったので帰り道を利用して乗っておくことにしていた。盛岡で忙しく乗り換えて、1時間もすれば仙台へと到着する。一旦ラチ外へ出てあおば通り駅を目指す。仙台は前回仕事で来て以来なので何年ぶりだろうか。地下道を歩いていくとあおば通り駅はすぐだった。地上へ出て適当なところで折返す。山手線で使っている車両の更新・交換によって押し出された車両がここへやってくるらしい。再び仙石線で仙台駅まで戻ってきてあとは本当に東京へ帰るだけになった。時間の余裕はあるので仙台始発の適当な便で帰ることにするが、何も考えないで乗った臨時列車は車両も古くほとんど駅に止まるものだった。ひと頃は臨時列車といえば上野発着であったが、いつからかほとんどが東京発着になってしまったような気がする。
東京についてしまえばいつもと変わらぬ風景がそこにあるだけだった。1週間でこれだけ乗りつぶしができるとは思っていなかったが、逆にそれほど北海道の鉄路がスカスカになってしまったとも言える。そう思うとちょっと寂しい気もする。とりあえず今回乗れなかったのは日高線だけだったが、そのうちにちほく高原鉄道と抱合せで訪れようかと思っている。(後日談:その後、ちほく高原鉄道に乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちら、あるいはこちらをご覧ください。)