■旅日誌
[2003/8] 台風に完敗だ!
(記:2003/8/30 改:2021/9/12)
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ゴールデンウィークと夏休みくらいしかまともな休みが取れないというのに、台風の直撃をくらってすっかり予定が狂ってしまいました。(しくしく)今回は、最後の大物乗りつぶしツアー(謎)と意気込んでスケジュールをきっちり組んでいたのですが、いきなり出端をくじかれた格好ですっかり意気消沈。それでもショートバージョンで立直しを図り、とりあえず旅立つことにしました。実は今年の夏休みに限って、職場の中で前半/後半の二手に分かれて休みを取ったのですが、前半だったら台風の直撃は免れてたいました。おまけに自分には「お盆」というものは関係なく、ただ人出が多くなるだけで何もメリットがないのでずっと前半を希望していたのですが、希望が通らず後半に回されてしまい余計残念に思えてなりませんでした。
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 0日目
ルート概略
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東京(足止め)
どこを見ても、何回見ても、天気予報は最悪のニュースを報じ続けていた。それどころか時間が経つにつれ台風の予報進路も確度が増し、まったくもって絶望的だった。台風の中心というか暴風域というか、きっちりと予定していたルートの真上をちょうどその時間帯に通りかかるではないか。おまけに遠巻きの強い雨雲というのがクセ者で中部地方から関東にかけてずーっと物凄い雨を降らせていた。これほど落ち込む連休前夜というのも経験がない。おまけに、その晩のまさに帰宅しようとPCをシャットダウンしかけた瞬間に、離れた場所にいる上司から突然仕事の依頼が舞い込んでしまい、なんとその納期が連休後半の来週末だというではないか。落ち込む気分にさらに拍車がかかり、とどめを刺されてしまった。
風雨が強まり確実に台風が近づいていることが分かった。夜中じゅう放送しているTVをみてもやっぱり予想進路は見事なまでに自分が行こうとしているところを指していた。いい加減落ち込みきったところで出発を断念するが、例の飛び込みの仕事もあってすべての行程をキャンセルするかどうか迷っていた。台風が去っても何か被害が出ていれば移動の足が奪われる可能性もあるわけで、普通に考えれば止めておくべきだとは思うのだが、夏休みを逃すと次は来年のGWまで大型連休というものはない。無理は承知でスケジュールを組み直してみることにした。とはいえ、お盆なので予約した飛行機や宿などあらためて変更するのはとても厄介なことである。とりあえずというか、やむなくというか、すっかり落ち込みきった気分でまずは目先の仕事を片付けに会社へ向かうことにした。
台風直撃でなかなか大雨と強風はおさまりそうにもない。ずぶ濡れになりながら、最寄駅へ向かいとりあえず今晩泊まるはずだった宿にキャンセルのTELを入れる。続いて黒部峡谷鉄道の予約も前もって入れてしまっていたので連絡を取ろうとするが、まったく通じない。もともとTELが通じ辛いところではあったが、50回くらいかけ直したらようやくつながった。もしかしたら台風直撃で会社が吹っ飛ばされてしまったのではないか?とも思ったが(余談:そんなわけ、、、ないですよね!)台風という事情で手数料なしで払い戻しに応じてくれることが分かった。そうこうしながら会社に到着したのは夕方近くのことだった。いつも張り切って仕事をできる人なんてそうはいないと思うが、こんなにブルーな気分で仕事をやらなければならないというのも、そうあるものでもなかろう。相変わらず外は風が強く、誰もいないオフィスはこの上なく寂しい。何だかんだで終電は行ってしまった。普段から徹夜は頻繁にしているのでそれ自体は珍しくないが、まさかこんな形で今週末も会社にお泊りになるとは夢にも思わなかった。
 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
スーパーあずさ、信濃大町、立山黒部アルペンルート、富山、糸魚川
明け方近くに仕事は片付き、ちょうどそれっぽい時間になっていた。いまさら妙だとか言っても仕方ないが、今回は会社からの出発となった。まずは新宿へと向かう。昨日は中央線の特急がすべて運休となって帰省の足にも大きな影響が出たらしい。おかげで今朝は早朝から多くの人でごった返している。駅のアナウンスも引っ切りなしに昨日の運休のことを詫びていた。思い起こせば6月末の梅雨の真っ只中にここから西へ向かったが、本当に梅雨が明けたのかどうか今年はどうもはっきりとしない。(後日談:気象庁はその後も微妙な発言を繰返してましたね。)まぁそれでも台風の置き土産もなく今朝は順調にダイヤ通りに運行されているようだ。いわゆる台風一過を期待したいところだ。
信濃大町駅
スーパーあずさの自由席は列に並んだ人の分だけでちょうどいっぱいになった。八王子などの途中停車駅から乗り込んでくる人のための席など余裕はまったくない。スーパーあずさという愛称でデビューしたのは随分と前のような気がするが、今回これに乗るのは初めてである。噂どおり、振り子を効かせてぐいぐい山登りをこなしていく。おかげで普通のあずさより所要時間が短いようだ。松本で後ろの車両を落として大糸線に入る。すっかりピーカンというわけでもないが、夏らしい陽気になってきていた。
黒部ダム
信濃大町でスーパーあずさを降りて立山黒部アルペンルートを目指す。本当は昨日ここを通過する予定だったが、一日順延した形になる。結果として、黒部峡谷鉄道を諦めざるを得なくなった。(後日談:その後、あらためて訪れることにしました。)アルペンルートも黒部峡谷鉄道も両方外して、いっそ別のルートも考えたが、他にアイデアがなかったのでアルペンルートだけを縦断することにした。(後日談:夜になって筒石駅への訪問を思いつきましたが、時すでに遅しといったところでしょうか。そちらはまた別の機会に出向くことになりました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)大町駅で立山までの切符が買えるようなので購入することする。何しろ多客期は混雑して切符を買うのもひと苦労と聞いていたので迷わず買っておくことにした。大町から扇沢までは一応路線バス扱いとなっている。"ハイランド"のロゴが入った見慣れたきれいな白いバスの他にも2社あっての共同運行らしいが、次の便の座席定員分はすぐに埋まってしまった。
黒部湖
扇沢駅の窓口で本当の切符と引き換える。先程大町駅で発券してもらったのは引換券のようなものだったらしい。この先もずっと改札ではバーコードが読み込まれ、実は複数の会社でありながらとてもシステマチックに運営されてる印象を受けた。いよいよ最初のトロリーバスに乗り込む。説明するまでもないが、いま日本で走る唯一のトロリーバスというわけだ。トンネルが続くので排気ガスを処理しようとするととんでもないことになる。おまけに自然環境保護という意味でもクリーンな乗り物ということで都合がいい。最初はどんな様子かと思ったがなんのことはない、ごく普通のバスに見える。ただ車体の後ろから伸びる集電用のポールがちょっと違和感を感じる。6両というか6台というか、待機しているバスに近づき乗り込む。更新されて間もないのか、意外と新しい車体である印象を受けた。改札の前には長蛇の列ができていたが、積み残しもなく警笛を鳴らして次々と出発していく。運転席をみるとハンドルがついているので普通のバスとまったく同じなのだが、もちろんエンジン音はしない。かわりに聞こえてくるのはインバーターのモーター音だ。駅を出てから上り坂のカーブをいくつか抜けるとあとはトンネルが続いていた。電車とは違うので軌道はなく運転手がハンドルを切って方向を決めていくわけだが、結構狭く感じるトンネルをぐんぐん加速していく。何か迫力のようなものも感じた。中間地点で上下交換があるところはケーブルカーのようでもある。テープによる車内放送も興味深いものであり、黒部の大工事が密かに人気があるということもうなづけた。
黒部湖駅
終着の黒部ダム駅はまるで地底駅で、そこから何百段も階段を上ると一気に展望台へ出てくることになる。アルペンルートのおかげでこんなに気軽に3000メートル級の山々へ近づけてしまうのだからすごいことだと思う。出口を抜けいよいよ外へ出ると、雄大な黒部ダムの姿をいきなり目の当たりにすることになった。写真などでは見たことはあるが、いやぁ実物の迫力は全然違う。ここも何時間いても飽きないポイントのひとつと言えそうだ。風が強くないか心配したが、まったくそのようなこともない。天気もすっかり晴れ渡っている。時間と方角の関係から観光放水にかかる虹は展望台からは見ることはできなかったが、ダムの上を先に進んで振り返ると、きれいにを見ることができた。もっとここで粘ってもよかったが、予想以上にこの先が混雑しそうだったので先を急ぐことにした。次の乗り物は黒部湖駅からケーブルカーになる。地中のトンネルなので分かりづらいが急角度がすごい。こちらから登っていく人も、反対側から降りてくる人も相まってとても混雑していた。ポイントポイントで整理券が配られるので注意した方がいいと聞いていたが、本当に今日は混雑してるらしい。
黒部平駅
ケーブルカーに乗る前に受取った整理券で次のロープウェイに乗る順番が決まっている。ここで「う~ん、40分待ちか」と考えてはいけない。「30分くらいしたら乗れるから、そこらを散策してこよう!」と考えるのがいいようだ。眼下の黒部湖をみても分かるように、さらに標高が高いところに来ていた。再びここから大観望まで登っていく。途中に支柱がない特徴のあるロープウェイである。天気のいい日の眺めは格別だと聞いていたが、本当に素晴らしい。間違っても自分の足に頼った登山は考えられないので(笑)これは貴重な経験をさせてもらった。次は再びトロリーバスで立山の一番高いところを突き抜けることになる。先程のトロリーバスとも違う会社なので、乗り物的にも少し違う印象を受けるが、狭いトンネルを結構なスピードで進んでいくのは同じように迫力があった。さばく乗客の数もピークのようで通常のダイヤを無視して次々と臨時便を出している。おかげで多少混雑はしているが待たずに乗ることができた。
大観峰
室堂トロリーバスを降りるとそこは立山の西側にあたる。外へ出てみたら一面真っ白なガスが立ち込めていた。先程まで晴れて見通しがよかったが、台風へ向かって流れる気流が立山にぶつかって雲をつくっているのだろうか?次のポイントの美女平へ行くには高原バスに乗り換えになるのだが、整理券は要らないらしい。ここも頻繁にバスを出していたのでさほど待つ必要はなさそうだ。室堂のすぐ近くには散策コースがいくつかあり、折角なので立ち寄ることにした。ミクリガ池地獄谷を見に行くことにする。立ち込めたガスの中、長い階段を下りていくと徐々に硫黄の臭いが強くなり、異様な熱気がところどころ立ち込めブクブクと地底から温泉やら蒸気やらが噴出していた。当り前だが地図は二次元なのであまり距離がなさそうに思えたが、高低差を考えると意外と歩いたようだった。特に地獄谷までの階段が響いたようで、再び室堂へ戻ったときは、すっかり膝が笑っていた。何分か並ばされた末、再び整理券を受取って今度は普通のバスに乗る。雪の壁で有名なところだが、この時期に残ってるわけもない。相変わらず霧は晴れずにいたので、残念ながら称名滝の姿は目にすることはできなかった。
立山連峰
高原バスを美女平で降りると最後のケーブルカーに乗り換えとなる。天気が悪いのか日が傾いてきたのかやや薄暗い印象を覚えた。整理券の番号を確認して一休みすることにする。もうこんな時間になれば、富山側から登ってくる人の数はしれたものなので、お土産を買うならここが最後!とお店の方も下山するお客目当てに売り込みに励んでいた。そんな中で待ち時間をつぶして込み合ったケーブルカーで立山駅まで下りてきた。もうここまで来てしまうと、山という雰囲気はなくすっかり里の風景となっていた。里の風景といっても市街からは随分とまだ遠いところにいるので、まずは富山の中心部まで移動することにする。台風に阻まれなければ、富山地方鉄道の2日乗車券を買って黒部峡谷鉄道を絡めて乗りつぶしにあてるはずだったのだが、全部スケジュールが流れてしまった。どうしてこんなに富山とは相性が悪いのだろうか?(笑) ということで初乗となる富山地鉄に乗り込む。立山での乗り換えはほとんど同じケーブルカーの便にいた面々のようで、みな一様に疲れきった様子だった。しばらく川沿いにのんびりと進んでいく。
ミクリガ池
富山駅まで出てきたところで、予定していたスケジュールに追いついた形になる。そういえばあまり深く考えないようにしていたが、今夜は夜行を捕まえるスケジュールを立てていたのであと7、8時間は列車を待たなければならない。街歩きのようなものをしてもいいが、さすがに疲れも溜まりもう暗くなりかけているので無駄に動き回ることはしたくない。富山地鉄の市内線の乗りつぶしも考えたが、まずは晩メシでもとることにしよう。それにしても、階段を上り下りすると膝の痛みが妙に響く。その後もしばらく駅の待合室でまったりしていたが、時間つぶしも兼ねて北陸線で糸魚川までいったん戻ることにした。そうすれば夜行に乗れるのが1時間近く早くなるのだが、座席が空いてるかちょっとだけ不安になってきた。お盆時期の頭だし、昨日足止めされた人も多いはずだ。3、4時間程度で夜行を降りてしまうので当初は指定も何も考えていなかったが、こうなるとは思いもよらなかった。がら空きの普通列車に揺られ意識を失いかけていると間もなく糸魚川に到着する頃になっていた。
地獄谷
妙な膝の痛みを覚えながら駅前へ出た。確かにここは見覚えがある。そういえば車で通りかかったか、記憶を辿り東へ少し移動するとそのときに立ち寄ったスーパーがあった。更に方向を変え国道を渡るとそこは真っ暗な海が広がっていた。ここにいても全然楽しくないので、足を引きずりながらへ戻ることにした。もと来た方向へ交差点を渡り公園の脇を進むと何やら音楽が聞こえてくる。若者がひとり野宿をしていた。待合室には先客がひとりふたりいてテレビを見ているのか見ていないのかよく分からないが、時折賑やかな人たちが通り過ぎて行く。しばらくすると窓口が開いたので急行券を購入しておくことにした。改札を抜けホームに来てみると、JR西日本の大糸線のキハが眠りについていた。(後日談:その後、キハ52の引退間際に再訪する機会がありました。旅日誌はこちらをご覧ください。)
糸魚川駅
やがて遠くの方から3点ライトが近づいて来た。急行きたぐには定刻でやってきた。自分の他にふたり程糸魚川から乗り込んだようだった。中に入ると予想通り空きボックスはなく、適当な空席も見つからない。禁煙車はまったくダメなようなのでやむなく隣の車両に移ったところ、1ヶ所だけ確保できそうな空間を見つけることができた。対面は既に横になられてるようなので、邪魔しないように"相席"させてもらう。空調が回っていないのか空気は淀んでいるようにも思えたが、今年は真夏だというのに気温が上がっていないことがよく分かる。足を抱え込んだ体勢をとってみたりしたが、幸いにもヒザの痛みはさほど感じない。少しでも楽な体勢を探ってみる。どうせ検札は来るだろうからそこは早めに済ませてほしかったが、うっつらうっつらしてる中で切符を見せたのは何時間も経った後のことだった。目を閉じて遠い記憶に思いを馳せれば、高校生のときに友人とこの夜行に乗り込んだことがあった。そのときは客車だった時代で、座席指定を陣取った記憶がある。きたぐには急行ということもあって眠りかけるとこまめに停車を繰返すことで有名だが(後日談:だから寝台はとっちゃいけない…という説は正しいものでしょうか?ちなみにあらためてきたぐにを利用したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)確か高校生のときも停車駅ごとに駅へ降りたっていたような気がする。決して眠りは深くなかったが、さすがに徹夜明けで山登りもしただけあって割と寝ていたようだった。
糸魚川
 2日目
ルート概略
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きたぐに、彦根、はしだて・北近畿、餘部鉄橋、鳥取
寝ぼけ眼から意識がはっきりと戻ったときには、あと数分もすれば米原といったところを走っていた。本格的なお泊りモードではなかったので、身支度は簡単に済ませることができた。米原で東海道本線に入りひと駅先の彦根に停車するので、今回の乗りつぶしにもこれは都合がよかった。夜汽車の雰囲気を堪能させてもらったきたぐににお礼を言い、彦根駅に降り立つと夜はすっかり明けていた。とはいえ、始発が動くかどうかといった時間なので、目的の近江鉄道の便まではもう少し待たなければならない。もちろん彦根見物などできるわけもないが、ここはしばらく待つことにする。やっぱり階段を昇り降りすると、ヒザに違和感が残っている。う~ん、まだまだ先だけど、そういえば今日も坂が待っているな…(笑)
急行きたぐに
いつも言うように、何でいまここにいるのか?などと真剣に考えてはいけない。何年前になるか分からないが、近江鉄道ここを通ったときに「やばいな、苦労するな…」と直感した通りに、ひと区間だけ残った路線に乗りに来たというわけだ。こんな時間に高宮から多賀大社前行きの支線に乗る人などいるわけもなく、自分ひとりの貸切となった。これで現存する近江鉄道の路線も完乗となった。折り返しの便でそのまま戻ってもよかったが、多少余裕があるので違う戻り方を探す。乗りつぶしをやっていると、ついついそんなことを考えてしまうことが多く、現に脱出方法(?)を紹介するページも探してみると結構あったりするものだ。ということで、そんなに待たずに朝一の彦根方面のバスがあるので、そいつを捕まえることにしていた。ただ、これで彦根駅まで戻ろうとするとぐるぐる迂回をしてしまうので、南彦根駅で降りることにしていた。(後日談:その後、彦根城を訪れる機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
近江鉄道
お盆休み期間中ではあったが、平日なので朝のラッシュに差し掛かっていた。京都で満員の新快速を降りて、次の乗り継ぎである山陰本線へと向かう。実は、滋賀、京都近くにも微妙に未乗路線があるのだが、今回は割り切ることにしていた。とはいうもの、台風が来ることがもっと早く分かっていれば違ったスケジュールにしていたかもしれない。(余談:そりゃぁ、無理な注文か?)まだまだ時間はあるな、などと考えて外へ出たりしていたが、山陰線のホームには自由席を待つ列が既に長く伸びていた。京都駅の山陰線のホームというと昔から隅っこの薄暗いところというイメージが強かったが、隣にははるかの白い車両なども見えて、多少違った印象を受けた。ただ、山陰線自体を行き来する特急は割と昔のままなので、いまひとつ垢抜けた感じはしない。
餘部鉄橋
正直言ってこれ程利用する人がいるとは思わなかったが、座席はすっかり埋まっていた。実は、京都からしばらく先の山陰線というのは自分でも気になっていたところではある。というのも、旧線から切替わって電化された山陰線というのに乗ったことがない。その先の方は何度か足をのばしたことはあるが、福知山まわりの方が便がいいからというのもないわけではない。思い起こせば、あのきたぐにに乗った高校生のとき以来の訪問である。それも、当時は山陰号という鈍行の夜行があった時代で、夏休みに京都からずっと乗り通した経験がある。もちろん冷房もなく、窓を開ければ虫は入ってくるし、トンネルではディーゼル機関車の煙が車内に充満してきたたことを覚えている。あのときもお盆の時期だっただろうか、通勤電車並みに混み合った車内で立ったままじっと耐えてる人も少なくなく、普段の日常では体験のできない不思議な空間にいたことを強烈に覚えている。そんなノスタルジックな思い出が強いところでもあり、京都から福知山まではまったくの未乗区間のようにも思えていた。嵯峨野を過ぎると京都盆地も終わりとなり、山にぶつかればトンネルとなる。時折トンネルの合間で保津川沿いの旧線と直角に交差する。説明するまでもないが、旧線はトロッコ観光列車として川下りと合わせて人気が高いところである。いつかは乗りに来なければならないとは思うが、どちらかというと乗りつぶしというよりも景色を楽しみにのんびり来たい。(後日談:その後、あらためてトロッコ列車への訪問は果たしています。旅日誌はこちらをご覧ください。)直線に近い形で新しく敷かれた区間を抜けると、しばらくは田園風景が続く。景色が単調たなめ、眠気が襲ってきた。無謀にも(?)徹夜明けに続いて座席夜行で過ごしているのだから無理もないか…若くもないのに。(笑)
餘部駅 いそかぜ
前にも書いたが、福知山線の方がむしろ便がいいので綾部、福知山あたりで何種類かの特急が交差する。このまま山陰線で城崎方面へ、また一方で宮津、天橋立方面へ抜けることもできるので大阪方面から多くの観光客がここを通過していく。そういう自分も福知山で城崎行きの特急に乗り換えた。途中下車しなければ特急料金も通しでいいことになっている。天橋立方面へは一度来たので今回は素通りとしてもう少し先を目指すことにしていた。さらに普通列車に乗り換え、ここも前々から来たいと思っていた餘部鉄橋を見にいくことに決めている。やはりお盆ということだろうか、2両編成の普通列車は多くの客で既に満員だった。小説ではないが、鎧駅を越えトンネルと抜けるとそこは息を飲むような光景が広がっていた。
餘部鉄橋
よくある観光列車のように徐行運転のサービスも期待したいところだが、ここは明るい話ばかりではない。言うまでもないが素直にははしゃげないところでもあり、どことなく暗い雰囲気もする場所である。ともかく、念願かなって餘部駅で降りることにした。一緒に降りていく人の様子をみると、意外だったのはごくごく普通の観光客がほとんどで、マニアックな雰囲気を漂わせてる人種の方が少なかったことだ。駅自体はこじんまりとしていて、また清掃も行き届いておりとても印象のいい場所であった。近畿の駅百選にも選ばれたとあるが、それもうなずける。そんなことより、肝心の鉄橋に目をむける。そっと足元の方を覗き込むと確かに高さを感じる。駅の裏手の雑木林を登っていくと通称「お立ち台」という有名な撮影ポイントがあるのは知っていたが、先客がたくさんいそうだったし何しろ獣道のような階段を登っていくのは気がひけていた。
餘部鉄橋
ここまで乗ってきた下りの便とこの先で交換して、入れ違いに上りが直ぐにやってくるのでもうしばらく待つことにした。さっきまでいた人はみな"下界"へ下りていってしまい誰もいなくなったが、セミの合唱だけが響き渡りとても静かである。(余談:まさに岩に染み入る蝉の声…の世界でした。ところで、欧米人の脳ミソはセミの声を"やかましい"と感じるらしいですね。)やがて上りのキハ単行が逆方向からやってきた。先程と同じように見物客とおぼしき人たちを数名降ろし、ゴォーっという音を残して鉄橋の向こうのトンネルへと姿を消していった。さらにこの先で、こいつと特急いそかぜが交換してやってくるのでそれまで待つことにする。やはり有名なためか、こんどは待ち構えている人が多い。やがて定刻通りにお目当ての列車は通過していってしまった。オリジナルの国鉄色から塗り替えられてしまってはいるが、あの無骨な車両はとても存在感があり、いつまでもこの風景の中を走ってもらいたいものだ。しばらく通過する便はないはずなので、ここらで下へおりてみることにした。
餘部鉄橋
九十九折の山中の坂道は裏山の小道といった感じだが、遠目にみる大きい建造物はある意味美しさも感じるものだった。あらためて真下から見上げたりして少しウロウロしながら、全景が見渡せそうなところまで移動してきた。こうして見ると高さだけではなく、長さも結構あるように感じる。同じことを何度もいうようだが、建造物の造形美とはこういうことをさすのだろう。橋と交差する国道はそれなりの車の往来もあり、鉄橋の真下はちょっとした公園にもなっている。車でやって来てここに立ち寄る人も少なくない。というか、列車の本数が限られているのでむしろこちらの方が多いことは明らかだ。冬の厳しさはについては人の話を聞いたりするだけなので実感はないが、今日はゆったりとした時間の中のんびりと過ごすことができた。コンビニなどなさそうなことは予想できたので、京都で買っておいた弁当を開けることにした。小さな幸せを感じる瞬間でもある。(笑) もう少し海に近い方まで移動すると山側をバックに全景を眺めることができる。この角度も絵になると聞いていた。まさに列車が空中を通っているようだ。最近になってまた鉄橋の架け替えの噂を耳にするが、本当にできるのだろうか?しばらく列車の通過もなく少しぷらぷらして駅に戻り下りの列車を待つことにした。念願の餘部鉄橋訪問を果たし、ちょっと余韻を残した気分で今日はこのまま鳥取へ移動することにしていた。(後日談:その後、架け替えられた餘部鉄橋へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
餘部駅
 3日目
ルート概略
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若桜鉄道、智頭、宇野、宇高フェリー、高松
鳥取に寄ったのは餘部鉄橋見物の他にもうひとつ理由がある。山陰方面から中国山脈を越え瀬戸内海を渡り太平洋へ縦断するというルートが、乗りつぶしとはあまり関係なくかなり昔からアイデアとしてあった。もちろん乗りつぶしという意味では、若桜鉄道という路線がポツンと残っていたのでいつか来てみてようとは思っていた。また、宇野線の端の方も足を踏み入れたことがなく、それから四国の南の方でも阿佐海岸鉄道が未乗のままで、更に新しいところでごめん・なはり線が開通してから立ち寄ったことがなかった。ということで、ちょうどというか、無理矢理というか、目論みが縦断ルートとマッチしたわけである。ただ、当初の予定から狂い、夏休みがお盆の時期に差し掛かってしまったため、徳島に泊まろうというところだけは外れてしまった。そう、ちょうど阿波踊りの時期に当たってしまったため宿がまったく取れなかった。もっとも、計画的に段取りが組めていれば阿波踊り見物もできただけに、これは少々残念なことだったかもしれない。そうはいっても仕方ないので高松で一旦移動の区切りを入れることにした。
鳥取
智頭急行の開通で鳥取方面から関西に抜ける利便性が劇的に向上したのは前に通ったとき実感していたが、それとトレードオフというわけではないが因美線津山線を経由して岡山へ抜けるかつてのルートがとても寂れてしまった。となると逆に気になってしまい、今回はそちらをトライすることにした。朝の時間帯でまずは若桜鉄道を往復しておく。3セク転換後も利便性を考慮してだろうか、JR直通の鳥取駅発着便が数多く設定されている。それと因美線の普通列車が智頭急行の車両だったのもちょっと変な感じがした。郡家駅で分岐するとわずか数百メートルで次の八頭高校前に停車する。3セク転換後に駅が新設されることは多いが、ここもそのようだ。料金表をみるとひと駅で60円とある。こんなところにも地道な努力が感じられる。夏休み真っ最中なのでそうでもないが、普段の平日ならこの時間は高校生で満員になってることであろう。さらに先へ進むと中国山地が迫ってくるのが実感できる。あまり天気は良くないが緑の濃さは印象的でしっとりと水分を蓄えているのがよく分かる。
因美線
終点の若桜に到着した。路線の歴史はとても古いと聞いたことがあるが、典型的な盲腸線の終点とも言える雰囲気のある駅だった。まだこの先を目指していたのかもしれないが、それを阻むかのように地形はより山岳のものとなっている。鳥取方面へは国道も併走しており、路線バスが通っている。うまく役割分担をしないと共倒れになりはしないか心配になった。ここでは盲腸線脱出の"捻り技"が見出せなかったので、そのまま戻ることにした。先程見かけた宮本武蔵のマークをつけた智頭急行の普通列車に乗り継いで因美線を先に進む。智頭駅で、さらにもう一度乗り継ぎをしなければならないのだが乗り換え時間があったので、駅を離れてうろうろしてみることにした。何の変哲もない静かな山間の小さな町だったが、清潔な印象が強く落ち着いた感じのする町並みだった。駅へもどり折り返しの津山行きを待つ。何を考えてるのかよく分からないが、不機嫌そうな面をした若者が、突然ホームを下りたかと思うと線路を横切って改札の方向へ行ってしまった。すぐに駅員が近づきかなりの勢いで説教をしている。う~ん、何だかな、、、
若桜駅
津山行きのキハ単行はJR西日本の中でもあまり評判のよくないタイプのやつだ。極端に乗客が少ないわけでもないので、何か押し込められた感じがしないでもない。まさにリストラというわけか。それでも津山から先は多少本数が多くなり、岡山との間で快速の便も設定されている。津山から他の都市を結ぶ高速バスでもあるのだろう。今度の岡山行きも快速だったが、乗り換え時間がほんのわずかで忙しなく乗り換えると随分と席は埋まっていた。ボックスシートの車両は、この程度の混み様が一番座りづらい。まぁそんなに何時間も乗ってるわけでもないし、立ったままよりましということで適当なところに座っていくことにする。単調な景色のせいもあってか、うつらうつらしていたら間もなく岡山へ着くところだった。(後日談:その後、津山線を利用する機会がありました。旅日誌についてはこちらをご覧ください。)
若桜鉄道
岡山はいろんな路線が乗り入れており、その道(?)では有名なところだが、今回はここから宇野線を目指すことにしている。言うまでもなく瀬戸大橋の開通でその役割は大きく変わった。ひとつの大きなメインルートができたわけだが、その影で主役の座を譲ったものもある。とはいうものの瀬戸大橋の通行料の高さを嫌ってか、1時間休んで移動できるということからか、長距離トラックのドライバーを中心にフェリーに対するニーズが高く、いまでも3社が宇野と高松の間を結んでいる。それも20、30分おきに24時間運航しているというから立派なもの(?)だ。茶屋町までJR四国の普通列車でまずは移動する。垢抜けた新造車両は単線上を器用に組まれたダイヤを縫って快調に飛ばしていく。茶屋町は予想通り場違いとも言える立派な駅構えだ。この先の乗り換えで待っていたのは、ちょっと昔に地方用に配備されたロングシートのワンマン車両だった。湘南色のやつを勝手に予想していたのでちょっと意外だった。瀬戸大橋線から東向きに離れ平坦なところを進んでいく。思えばこれが本州のJRの最後の路線になる。もっというと、北海道の日高線を残してこれがJRのラス前というわけだ。(後日談:実は後で知ったのですが、例の台風の影響で日高線にかなり大きな被害がでてしまい、数ヶ月の運休という事態になってしまいました。順調と思ってた乗りつぶしも足踏みでしたが、あらためて訪問したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
スーパーはくと
終着の宇野駅瀬戸内に面したところにあったが、意外と小ぢんまりとしていた。もしかしたら、宇高連絡船が全盛だった時代にはもっと賑やかで海に近いところに駅舎があったのかもしれない。そんなことを思いながら、折角なので今日はフェリーで四国へ渡ることにした。前にも書いたように3社あるのでどれでもよかったのだが、一番近くの乗り場のフェリーがすぐに出航するとのことで、そいつに飛び乗った。予想を反してまったくのガラ空き状態である。お盆の時期なのでむしろ長距離トラックなどは走ってないのかもしれない。船内はゆったりとしており、橋を渡るのに高いお金を払ってちょっとくらいの時間短縮だったら、ここで小休止して安上がりでいく方のが好まれるのも十分うなづける気がした。
瀬戸内海
 4日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
うずしお、剣山、海部、阿佐海岸鉄道、甲浦、室戸岬、奈半利、土佐くろしお鉄道、御免、高知
まだ完成形ではないかもしれないが、高松駅は立派な駅に生まれ変わっていた。昔から、四国の玄関口と言われているが、現代のそれにふさわしいものになりつつあるようだ。前回来たときは構内も工事の真っ只中といった感じだったが、すっかり落ち着いている。松山方面の電化が整備されたためであろうか、ガンガン走るあのDC特急が、"玉突き"されて高徳本線の運用につくようになったみたいだ。朝一の徳島行きは普段なら3両の運転であるが、今日は5両まで増結されている。なので、ほとんどの駅でホームからはみ出てしまうとのんびりしたことも言っていた。
高松駅
高徳線から牟岐線に直通する列車もいまはなく、徳島でちょっと時間があったので駅の外へ出てみた。朝なので祭りの華やかさは伝わってこないが、人通りも多くどことなく賑やかな感じがしていた。もう何年経つかよく分からなくなってしまったが、四国を一周しようと思って訪れたときがあり、当時は乗りつぶしなどあまり考えていなかったので牟岐線は途中で引き返してしまったいた。そんなこともあってか、今回は更にその先まで行ってみることにしている。そのときは徳島から急行で徳島線を吉野川沿いに上っていったが、今日これから乗り継ぐのは徳島線からの直通の特急である。ちょっと時間の隔たりを感じてしまったが、駅舎と反対側にある留置線の向こうの古びた建物を見たときは、逆にそのときに引き戻された気分がした。
琴平電鉄
海南あたりを越えるとすっかり田舎の様相となり、時折見える海も何かのんびりとしたものを感じさせてくれる。牟岐駅でしばらく停車し、そのまま各駅停車に成り下がって(?)終点の海部を目指す。ここでほとんどの人が降りていってしまったが、何人かの人はさらに先へと行くようだ。やがて阿佐東線の単行が向こう側からやってきた。ここ海部駅もよくある"いかにも"という高架の駅で、いま乗ってきた特急(余談:厳密には普通列車ですね。)とご対面となる。上りの徳島方面へは接続するとすぐに出て行ってしまった。こちらはというと、中は数多くの風鈴がぶら下がっており窓もすだれがかかっていてどうやら夏の風物列車ということらしい。おかげで外の景色が見えなかったが、トンネルと直線高架のぶち抜き路線のたった2駅はあっという間に通り過ぎてしまい阿佐海岸鉄道も完乗となった。終点の甲浦駅もまた高架の駅で、もしかしたらこの先も続きますよ!といった感じでぶつ切りのようなつくりである。駅舎の建物は比較的新しいもので有人の売店もあるようだが、お盆期間中はお店もお休みとの張り紙がしてあった。四国外周を鉄道で結ぼうという半ば無謀な構想があったことは有名な話だが、すっかり寂れた様子の風景の中にいると明らかにそれは無理であることがよくわかる。ここから室戸岬へはバスで行かなければならない。室戸岬太平洋に向かって突き出た形になっており、海沿いの国道をバスは快調に走り続けていた。
うずしお
室戸岬は台風のメッカなどと揶揄されることもあるくらい有名な場所であるが、実際来てみるとほとんど何もない場所だった。ここでバスを1便落としても何とか時間がやりくりできそうなので途中下車してみることにした。山が海岸まで際立っている地形のため人が生活しやすい平地がほとんどない。岬の灯台も随分と高いところにあり、海岸からはその姿がほとんど見えない。見晴らしのきく展望台があったのでそこへ行ってみた。目の前のパノラマは水平線がずーっと見渡せ、地球が丸いことを感じさせてくれる。続いて下へおりて海の近くまで行ってみることにした。ごつごつとした岩ばかりがあり、海水浴に向いたような砂浜はまったくないようだ。そうこうしているうちに雨がポツポツと降り出してきた。雨を凌ぐようなところもなく早く次のバスが来ないものかとじっと待つ羽目になってしまった。
剣山
甲浦からのバスは中型の新車だったが、次の高知行きの急行バスは古めの大型でかなり印象が違う。ところどころバイパスの国道を外れて町中へ入っていくため、図体のでかさが逆に仇とも思えた。バスの行先は高知駅だが、今回最後の未乗区間の乗りつぶしのために奈半利で途中下車しなければならない。下調べの段階では少々余裕があるつもりでいたが、気がつけば10分くらい定刻から遅れている。このままだと次のごめん・なはり線を捕まえるのもギリギリになってしまう。バスはこれがあるからあまり好きではないのだが、焦っても仕方がない。仮に1本乗り遅れても飛行機には間に合うだろうが、土佐電まわりで高知にたどり着くのが微妙になってしまう。やきもきしながらそのまま乗っていたが、奈半利駅へ着いたときは乗り継ぎを予定していた便の発車1分前くらいだった。
甲浦駅
おかげで駅の様子を見ることもできず、発車を待ってた便も既にほとんどの席が埋まっていた。発車間際に乗り込んでくる人は思った以上に多く、車窓を楽しむ余裕もほとんどなくなってしまった。ここも例によって高架が続くので眺めが素晴らしいと聞いていただけに少々残念である。真新しい車両は快調に走り続け、途中まだまだ乗客を拾い続けていった。車内はますます混雑の度合いを増していくのだが、普段からこれほど利用者がいるのかどうかはよく分からない。後免駅でJRと合流し、このまま直通で高知まで行けるのだが、一旦ここで降りることにした。というのも土電の一部区間が気になっていたのでそちらへ足を延ばすことにしていた。後免町まで一駅戻り、ここから路面電車に乗り換える。ひらがなで「ごめん」と書かれた方向幕が印象的だったが、高知の中心部から東側の区間に乗ったことがなかったので今回そちらも見ておくことにしていた。こうみると土電の営業距離というのも随分とあるものだが、今回これで無事乗り通すことができた。やはり地理的な隔たりというのは乗りつぶしを続けるうえで一番の難敵だというのが実感できる。土電の乗りつぶしも終えることができたので、はりまや橋で空港方面のバスに乗り換えてもいいのだが、とりあえず高知駅へ向かう。
甲浦駅
高知空港は市街から少々距離があり、道路も混雑していたためバスに乗ってる時間も予定よりかかってしまった。もちろん、ここまでくれば飛行機に間に合わないということもないのでもう焦る必要もない。基本的に運は悪い方ではないと信じていたが、これほど予定が狂ってしまった経験は過去にしたことがないように思う。なので今回はやや不満が残るものになってしまった。まぁしかし、逆にそれが乗りつぶしの"課題"になって残り、次の旅の目的ができたね♪くらいに思えば楽しいのかもしれない。このご時世、何にだってストレスになってしまうので、そこは生来のお気楽モードでいければとつくづく思った。(後日談:その後、あらためて高知を訪問したときの旅日誌はこちらこちらをご覧ください。)
土佐電鉄