■旅日誌
[2007/5] 高い山の島~利尻/沖の島~礼文
(記:2007/6/12 改:2021/7/25)
(記:2007/6/12 改:2021/7/25)
GW中も仕事は続き、直前に中国出張があったりと、実際のところどれくらいお休みがとれるか不安でしたが、幸いにも後半数日連休にすることができました。慣れてしまったせいか、今回も休みが確定する前にヤマを掛けて予定を組んでしまうというパターンです。この際、結果オーライでも何でも構いませんが、長期の休みでないと行けそうもないところということで、利尻島と礼文島を目指します。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
1月末の沖縄・粟国島の帰りに仙台空港へは立寄ってきたのだが、仙台空港アクセス線の開業もあり、ほぼ同時に開業した大阪モノレール・彩都線の乗りつぶしもセットに片付けることから始める。東京から方角的にみて、北と西とこれまたやっかいな場所に位置しているが、まぁ、幸いにも2つとも大きな空港の近くなので、その間は飛行機で移動してしまうことが可能だ。そこで、どうせならとうことで、ちょっと毛色の違う航空会社を選んでみることにした。
中国出張から戻ったあとも忙しさは変らず、GW中に出社しなければならないことも随分と前から予定していたので、後半には休みがとれるようにとりあえず仕事に専念していた。(後日談:最近の中国では、日本のGWと同じような感じで5月の頭に連休を取る習慣があるそうです。ですが、直前の4月末の週末はお休みを返上する会社も多いと聞きました。)そのかいあってか、今日は無事出発することができる。まずは朝の適当な時間に東京駅から東北新幹線に乗り込む。いつしかはやて・こまちは全席指定となってしまい使いづらい感はあるが、えきねっとなどで気軽に予約がとれるので多少はカバーがきく。東京から仙台までは2時間もかからず、それこそ一眠りしたかどうかといったところで到着する。在来線のホームまで降りてくると、既に仙台空港まで直通する列車が待機していた。4両編成でも車内は混雑しており、多少窮屈な感じもするが、ワンマン運転するためにはこれ以上の編成は組みにくいという。SATという愛称のついた電車とJRとで相互運転が行われており、空港へのアクセスは格段に増した。途中通過する郊外にも大きな商用施設ができたり、山形あたりからも直通列車を走らせようかなどと周囲の期待も小さくない。
空港には30分もしないで到着してしまう。これでひとつ乗りつぶしを成し遂げ、駅で東京からの切符を精算しそのまま空港の建物へと向かう。確かにこれは便利だ。軽くお昼を買い込んで、セキュリティチェックを受けて搭乗口の前で待つことにした。もっと余裕はあるかなと思ったが、意外とそうでもなかった。自分で予定立てておきながらこういうのも変な話なのだが…。今日これから伊丹へ向かう便はIBEXエアラインズのリージョンジェット機で、ANA便と同等の扱いを受ける。定員30人ほどの小型機はその名の通り小回りが効き、地方路線を中心に活躍している。機体には親会社の宣伝が描かれているのだが、まったく違う業界であったりと、変り種の会社としても有名である。満席に近い予約にも関わらず、移動のバスは1台で済んでしまうほどこじんまりとしている。天気がよければもっと快適な旅になったかもしれないが、揺れが大きいのは小型機の宿命だろうか。(後日談:その後、仙台からIBEX便を利用する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
一年ぶりの大阪・伊丹も特に用はないので、ここは素通りして早速大阪モノレールへと乗り継ぐことにする。今日もうひとつやっつけることにしてる彩都線は大阪モノレールの支線の先が延長されたもので、本当にわざわざやってきたような格好になる。万博公園駅で乗り換え、一旦彩都西まで行ったあと、折り返し途中の阪大病院前で下りて散歩気分でしばらく歩いてみる。あちこちの花や緑を見ているだけでとても気持ちがいい。路線バスを乗り継いで茨木へ方面向かう。
JR茨木駅を通り過ぎて、終点の茨木市駅まで行ってみる。特に目的があるわけでもないが乗り換えの前に街歩きでもしてみようと思い、生活感の漂う商店街を歩いてみる。こういう雰囲気も悪くない。阪急を利用して梅田まで出たあと、今夜の夕食を調達するためにいくつかある百貨店をほっつき歩いて大阪駅までやって来た。今夜のお宿は日本海1号のシングルDX、実はちょうど1ヶ月前の4月1日、何を思ったが運だめしにこの切符を狙ってマルスを叩いてもらったところ、運よく取れてしまったもので、奥尻行きも中国出張もこのあと決まったものだったりする。我ながら相変わらず怪しい行動としか思えないが、実は日本海1号のシングルDXもトワイライトエクスプレスの影に隠れて、結構人気の高い切符であるという。現に自分が買ったときも、小さな駅だったせいで、たまたま別件で10時叩きがあったお陰でその後回しになってしまい、ギリギリ残席1を確保したというくらいのものである。(余談:この駅は、何年か前にも北斗星のロイヤルを取ってくれたりと、相性のいい駅のような気がしてます。)"秒殺"というには大げさかもしれないが、スケジュール的にも危うい中、今日こうしてその切符の権利を行使できるので、お天道様にでも感謝しなければならないか…。
大阪駅は大きな工事の真っ只中で、自分の記憶とは随分と違った姿をしていた。天気は回復することもなく夕方になってしまったが、これから始まる長旅をリードする機関車に引かれ、年季の入った青い客車が入ってきた。発車までの待ち時間はあまりないので、早速指定された車両に乗り込む。ついこの間、日本海3号を利用する機会があったが、そのときも書いたように、日本海1号・4号はJR西日本の車両、2号・3号はJR東日本の車両で、シングルDXは西日本の編成に連結される。さすがにA寝台個室ともなればそれなりに値は張はるが、広々とした個室に大きなベッド、部屋の中の専用洗面台など、それ相応のサービスが受けられる。なにより一番ありがたいのは、西日本のシングルDX車両にはシャワー室が付いており、個室利用者はそれが無料で利用できることである。日もとっぷり暮れてしまった夕闇の中、ぼんやり眺めながら今夜の夕食に手をつけることにしよう。
2日目
かつて日本海1号・4号は青函トンネルを抜けて函館まで行っていた。利用率が芳しくないこともあり今では青森駅で折り返すダイヤが組まれている。東北新幹線の伸張工事も着々と進んでおり、この列車の存在そのものも危ういのではないかと心配する向きもある。とりあえず今回は運よくシングルDXを利用する機会に恵まれたが、少々複雑な思いも感じる。翌朝はゆったりとした気分で目を覚まし、非日常にあることをあらためて実感する。途中から乗り込んできた車内販売からお目当ての鳥飯弁当を買い込み、暖かい飲み物コーヒーでもうしばらく残りの貴重な時間を過ごしていく。何の因果かほんの半月前、同じ日本海に乗って青森までやって来たばかりだが、今日も雨に見舞われてしまった。日本海1号は定刻で到着、ここまで引っ張ってきた機関車は慌しく機回しされさっさと引上げてしまった。
時間にしてまだ8時、今回はあまり効率は重視していない。今日はとりあえず三沢へ出て空路千歳入りすることだけしか考えてない。実はここからの移動手段をどうするかは計画段階から迷ってたところで、結局最近慣れっこになってしまったレンタカーを選択していた。傘を必要とするくらい雨はしっかりと降っており、駅からやや離れたところにある営業所まで歩いてくのが、ちょっと億劫に感じる。足元が悪い中とぼとぼと歩いていき、車を受け取ったあと、一度通ってみたかった駅の上に架かるベイブリッジを越えみることにした。その先にYS-11が展示されている場所があるので、まずはそこへ行ってみる。連休谷間の平日の朝、わざわざ見物にくるような奇特な人もいるはずもなく、雨脚はまだまだ強いのでそそくさとその場をあとにする。国道4号に出てみたものの、このままバイパスを走るのも変化がないので海沿いの県道に進路を変える。浅虫温泉近くの道の駅で一旦休憩をしてあたりを眺めたあと、再び車を走らせる。このまま三沢へ直行してもちょっと時間が早すぎるので、遠回りして七戸を経由していくことにした。記憶が定かではなかったが、やはりここはかつて来たことがあり、南部縦貫鉄道が走っていた場所だった。わずかばかりではあるが、その形跡も確かに残っていた。それにしても、七戸近くで工事中の東北新幹線と交差するというのも、どうも皮肉に思えてならない。
そろそろ三沢へ近づいた頃、小川原湖近くでお昼にする。幸いにも雨はほとんど止んできていたが、あたりは霞がかかったように視界はいまひとつだった。もしかしたらハコモノ行政の地方対策の一環かもしれないが、最近はどこへいってもそこそこ立派な道の駅というものがあり、お土産の調達や食事で困ることが少なくなった。気がつくと、時折米軍機の爆音が響きわたり、基地はもうそこにあることが分かる。時間的にはまだまだ十分余裕があるので、基地手前で脇に入り施設の周囲をくるっとまわってみることにした。周りは緑が多く、基地がなければ本当に静かでいい場所なのかもしれない。一旦三沢空港へ出てその場所を確認し、近くにある三沢航空科学館へと寄ってみる。先の大戦で米軍に占領される前の三沢は太平洋へ向けた空のまちであったと言われているように、航空業界とかかわりのある場所でもある。そんな土地柄もあってか、この場所に航空科学館なるものがあるのだが、古くなって退役した戦闘機や子供相手のちょっとした体験施設がある。正直なところ強い興味があって寄ったわけでもないのだが、三沢での乗り継ぎまでの間、この施設を見物していく。
航空科学館は想像してたよりも敷地は広く、建物も思いっきり巨大だった。それもそうか、航空機を展示・保存するんだから…。早速建物の中に入ると、その一番奥にJACのYS-11がでんと鎮座しており存在感を示していた。かなり良好な状態で保管されていると聞いていたが、見事なほどきれいである。もちろん中に入ることもできるので、もし機会があれば訪れてみることをおすすめしたい。このままの状態で長く保存してもらうことを祈るばかりである。建物には展望台もあり、飛行場の滑走路を見渡すことができる。ただし一部方角=軍の施設がある方は窓にフィルムが張られており、目隠しされていた。それもいたし方のないことだろうか。
レンタカーの営業所は空港の敷地のすぐ脇にあった。時間通りに返却し、わずか数十メートルではあるが建物の前まで送ってもらう。三沢空港は米軍施設の飛行場を間借りしているいわゆる軍民両用施設で、時間帯によっては米軍の飛行機や戦闘機も頻繁に離着陸する。民間機のための空港施設は隅っこの方に追いやられてるようで、滑走路へ進入する手前にゲートが設置されていたりと普通の空港とはやはり異質なものを感じる。フリースポットがあるのに気がつき、メールのチェックをしたりして時間をつぶしたあと、搭乗手続きを済ませてセキュリティチェックを受ける。そういえば、去年には、天候不良でここから東京へ帰る便が欠航になってしまい、八戸で焦ったことがあった。ということで、リベンジよろしく、あらためて空港訪問数をひとつ積み上げる。(後日談:その後、三沢航空祭を見学する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
天気は回復してきており霧による視界不良も心配することなく、到着便もオンタイムでやってきた。一度は夕方の便でここから東京へ帰ってしまう予定を組んでいたのだが、新千歳へ向かう便があったのでそいつを利用して、とりあえず北海道でもまわってみようと考え直していた。確かリストラ対象路線だったようにも思うのだが、ここも思ったよりも利用する人の数が多い。定刻でドアクローズしプッシュバックしたのはいいが、管制官から離陸の許可がおりないという。滑走路の進入方向を逆にする手続きを取ったあと、さらに米軍機が下りてくるのを優先するために進路を譲らないといけないとか…。その後、何機下りたか分からないほど、次々と戦闘機がやってきていい加減待たされる。滑走路へ進入する手前で20分ほど待ちぼうけをくう形になりようやくこのMD機は三沢空港を出発した。北上するにつれ雲は厚くなってしまい、新千歳空港はすっかり雨雲に囲まれた状態になる。実は明日もゆるい日程を組んでおり、一泊しても料金が変わらないプランがあったのでレンタカーを借りておくことにしていた。空港からマイクロバスの送迎で営業所へ向かうと、そこは石勝線脇の見覚えのある場所だった。カーナビに今夜泊まる宿の電話番号を入力すると、ピッと即座に経路検索してくれる。何とも文明の利器とは便利なものだ。(笑)
3日目
半日あるからといってレンタカーを借りてみたのはいいが、実はどこに行くかまったく決めていなかった。千歳近郊だといったい何があるのだろう。下調べも何もしてなかったので、とりあえず一番近くのICから高速に乗ってしまったが、走り出してからどこまで行けそうか考えてみる。このまま札幌の中心部へ出ても仕方ないので、道央道を旭川方面へ向けて走り続けることにした。BGMがわりにつけっぱなしにしてあったFM放送によると、道央方面は急速に天気がよくなると盛んに伝えている。確かに強い日差しというものとても久しぶりのような気がする。しばらく走り続けていくとやがて峠に差し掛かり、車の性能にややかげりが見えてきた。霧もかかって根雪が目立つようになり、明らかに周囲の車もスピードを落としている。トンネルを抜け、サミット越えの下り坂を過ぎると、もう間もなく旭川といったところまで来てしまっている。しまった、ちょっと深追いしすぎたか。当然戻ることも考えなければならないので、旭川北ICで下りたあと、ひとまわりして引き返すことにした。
予備知識もないままウロウロしてるうちに、標識に旭川空港の文字があったのでとりあえずそちらの方角へ向かってみることにした。ついこの間来たばかりだというのに、何もわざわざ来ることもないのだが。舗装もままならないような道を、ちょっと脇に入り北海道らしい風景を眺めたあと、来たときと同じルートで千歳まで戻ることにした。先程、霧に包まれてた峠もすっかり晴れ上がり、初夏を思わせるような日差しの中、再び高速道路を飛ばして千歳方面へと向かうことになった。ちょっとした風景を見に、わざわざ何時間もかけて往復したのはいったい何だったんだろう?
正午には車を返し、そのまま新千歳空港に舞い戻ってきた。次の乗り継ぎまでの間、とりあえず昼食をとることにする。今日はここから、空路利尻へ渡る予定だ。かつて稚内からの路線もあったようだが、いまは新千歳から一日一往復しかない。昨日は天気が悪く、引き返しの憂き目に遭ったらしいが、今日はまったくその心配は必要ない。離島という厳しい条件がつくと、この辺の運の良し悪しは避けて通れないところでもある。利尻空港へ向かう便はANKのジェット機、毎度お目にかかるイルカのイラストの入ったスーパードルフィンである。連休の頭ともあって満席の予約が入っていた。利尻行きはほぼ定刻に出発し順調にテイクオフしたが、新千歳周辺はかなり気流が悪く、結構な揺れがしばらく続く。日本海に面したところまで出て進路を北向きにかえると、揺れもおさまり機内サービスが始まった。所要時間はトータル50分しかないのに飲み物サービスも提供される。(余談:満席なので乗客は120人はいるはずです。この状況でも飲み物を出すなんて、さすがANAさん、太っ腹(?)ですね。さりげないことかもしれませんが、手際のよさも感心します。)
海の向こうに霞んで利尻富士が見えてきた。周囲には何もなく、大海原の中にそびえ立つその姿はまさに圧巻である。島を左手に見ながら旋回しアプローチに入る。離島につきものの気流の乱れもあってか多少フラフラしながら滑走路に向かって突っ込んでいく。この迫力というか、ドキドキ感がたまらない??(苦笑)無事着陸して外へ出てみると、いきなりの利尻富士のお出迎えに圧倒され、思わず言葉を失う。いやぁ~ついにやって来ました、、、と思いをあらため、この雄大な姿をバックに飛行機の様子をワンショット収めておく。
予約してあったレンタカー屋の送迎を受け、空港から少し離れた営業所まで移動する。その移動中に聞いた話によると、今日は午後になって本当に天気がよくなったそうで、こんなにくっきりと利尻富士が拝めるようになるとは思わなかったとのことである。手続きを済ませながら要所要所のポイントを教わり、島を時計回りに一周することにした。時間にして3時間、ひと通りしてみるのにはちょうどいい時間でしょう、とのこと。早速、鴛泊の集落を出発し、最初のポイントである姫沼へと向かう。車を止め、森の中を少し歩いていくと、小さな湖の向こうに利尻富士の頂を望むことができる。観光客の人並みが途絶えると、周囲はひっそりと静まり返り、まるで絵はがきのような美しい佇まいだった。その後も周回道路を進んで行く。ときどき見える利尻富士の姿は、見る方角によって微妙に形を変えるという。島の南側に差し掛かると、にわかに低い雲が冷たい空気とともに立ち込め始める。山というか島の天気は変わりやすく、先程の突き抜けるような青い空から一変してしまう。次のポイントまで急いで向かうことにする。
オタドマリ沼へと到着すると、大型の観光バスが何台も乗り付けており、ツアー客とみられる団体さんが何グループかそこらこちらを占拠していた。少しタイミングをずらせばよかったか…。山の天気(島の天気?)は変りやすいというが、沼の向こうに見えるはずの利尻富士の姿が雲に隠れてしまい、いまひとつの様子である。まぁ、あせっても仕方ないので、少し休憩することにした。やがて雲も途切れはじめ、そのうち時折山の頂の姿もちらっと見えるようになる。この場所から見る景色は白い恋人のパッケージにもなっており、実は有名なところらしいのだが、今日レンタカー屋で教えてもらって初めて知った。先程のように青々とした空がバックならもっと映えた絵になったかもしれないが、時間で行動しなければならない団体さんは雲が晴れるのを待たずに行ってしまったので、まぁこの程度でも見れただけよしとしよう。
次の仏法志御崎公園へ着いた頃になると風も強くなりうねりも感じる。荒涼とした岩々に激しく波は打ちつけ、白いしぶきを上げている。あらためて自然の荒々しさを感じる。中学生の頃だったろうか、何かのパンフレットでみた風景が不思議と印象に残っていたが、どうもこの場所のそれだったようだ。ふと妙なことを思い出し、再び出発する。さらに海岸沿いを北上し、北のいつくしま弁天宮、寝熊の岩、人面岩などポイントポイントに立ち寄りながら進んでいく。この近くに麗峰湧水といわれる湧き水が出るところがあり、そこはぜひ寄っておくべきだと教えられたので、その通りに手持ちのペットボトルを満たすことにした。どこもそうだが、島の水はたっぷり消毒されているから、ぜひここだけは味わっておけ、と強くすすめられてた。さらに北上し沓形までやってくると、雲は晴れ渡り、空模様はまた穏やかになってきた。決して大きな島ではないが、これほどにも天気が変わるものだろうか。利尻富士はいうまでもなく利尻島のシンボル的存在で、島のどこにいても拝めることができる。天気がよければ、遠く北海道や礼文島からも見ることができるのだが、見る角度によって微妙に表情を変える。折角なので少しだけ登山道を登ってみると、より近くに利尻富士の姿をみることができた。その後も何箇所か止まっては山をみてを繰り返していく。程なく一周してもとの鴛泊まで戻ってきた。
最後に鴛泊港に立寄って、ペシ岬展望台へ行ってみることにした。日も西に傾きかけ、やや赤みを帯びてきた利尻富士が港の向こうに見える。ちょうど稚内へ向け最終のフェリーが警笛を上げて出帆するところだった。絵心でも持ち合わせていれば、したためておきたい眺めである。レンタカーを返して、距離にしてほんのわずかではあるがそのまま宿に送ってもらう。さすがは地元の方、レンタカー屋の人から「南の方は天気が悪かったみたいですけど、本当にいい天気になってよかったですね」といった話をうかがう。そんなことも多々あるらしい。宿は住宅街のような場所にあり、玄関口で「お客さん届けましたよー」と声をかけてもらう。地域の中はみんな知り合いのようなものらしい。そのレンタカー屋の方も「あそこはいいお宿ですよ」と言っていた通り、中は広々として食事の内容も悪くなかった。GWとはいえ夏のハイシーズンでもなく利用客は2組しかいない様子だったが、離島にありながらこんなにいい食事が出てくるのだから、良心的なお宿だったと思う。こういうちょっとしたおもてなしは、妙にうれしいものだ。
4日目
昨日、空路利尻入りして一泊したあと、今日は礼文に渡る予定である。空港訪問だけが目的なら"トンボ帰り"の往復も選択肢のひとつだが、利尻・礼文はぜひいちど訪れたいと思ってた場所だったので、今回は一泊二日で二島まわることにしている。朝一に稚内を出る礼文行きのフェリーはタイミングよく利尻を経由してくれるので、そいつを利用して今日は一日かけて礼文をまわろうと思う。夕方には稚内へ向かう便があるので、うまくスケジュールがつながる。宿の車で港まで送ってもらい、礼文行きの便を待つ。同じような感じで、これから礼文へ渡る人も随分といるようだった。ターミナル近くのお土産屋などを覗いているうちに、時間は過ぎやがて大きなフェリーが入港する。昨日とはうって変わってどんよりとした天気だった。
東日本海フェリーは奥尻へ行ったときに利用したが、利尻・礼文航路にも同じように大型フェリーが就航している。10時を少し回ったところで鴛泊港を出発し、40分ほどすると香深港へ到着となる。二つの島の間は距離にして十数キロほどしか離れておらず、天気のいい日に礼文から見られる利尻富士の姿もまた格別だという。残念ながら今日はあまり視界が効かないので、その素晴らしい眺望は期待できそうにもない。遠ざかる島影を船の上からただ見送るだけになりそうだ。夏のピーク期には、このフェリーは満員電車のように込み合うというが、今日はとても落ち着いている。一方で冬場は多少時化てても運航されることが多いと聞くが、ちょうどこの時期は外にいても寒く感じることもなく、とてもすがすがしい。
やがてフェリーは香深港に到着、最果ての北の島、礼文に上陸を果たす。ここも移動の手段としてはレンタカーに頼るのが一番手っ取り早いので、予約してあった車を受け取りに港にある営業所へと向かう。昨日もそうだったが、ガソリン代込みの一発料金となっている。が、礼文の方がかなり高めの価格設定となっていた。利尻島は丸い形をしており周回道路も整備されているが、礼文島は細長い形で、東寄りの海岸沿いに一本があるだけである。島全体の印象も、利尻はわりと手が入っているのに対し、礼文は手付かずの場所が多くを占める。まずは北の端に向かって行くことにしよう。南北を結ぶ唯一の道路はとても狭く、ところどころセンターラインもなくなる。山の斜面が海岸沿いまで迫ってるところなど、その山肌の色は普段馴染みのあるものとは明らかに違い、ここはもう日本ではないと言ってもいい。気温が低いため、本州などでみられる高山植物が海抜ゼロメートルの地域から生息しており、礼文島は別名「花の浮島」とも言われてる。ただこの時期は、開花のピークではないので、どこも荒涼とした風景が続いていた。
とりあえず最初に、礼文島の一番北にあるスコトン岬へとやって来た。緯度的には宗谷岬の方が北に位置するので北海道最北ではないが、最果ての地と呼ぶにはこちらの方がふさわしいかもしれない。有名な最北のトイレや売店がある場所の先へ歩いていくと、海驢(とど)島を見下ろす展望台へと出てくる。本当に遠くまでやってきたなとあらためて実感する。しばらくこの荒涼とした風景の中に身を置いたあと、ここから南下していくことにした。スコトン岬がある場所はある程度高さがあり島の南の方を見渡すことができる。下り坂を下りてきて、澄海岬へと向かう。背の低い植物しか見えない小高い丘の中を行き、西側に開けたところへ下っていくと澄んだ入り江と断崖に囲まれた美しい場所へと出てくる。あまり観光地らしくないところで、とても静かな場所だった。
久種湖は礼文島唯一の湖で周辺はミズバショウの群生地となっており、道すがら寄ってく人も多いようだった。その手前まで戻り、金田ノ岬方面へまわり道してみることにする。途中、礼文空港に向かう道ががあるので、さらにもう少し寄り道していく。もう随分と前に定期路線は廃止されてしまい、いまは緊急時以外使われることはなく、まるで見捨てられてしまったかのような雰囲気すら感じる。北に面したこんな高台にあっては、冬の気象条件を考えるとかなり厳しい運用になるのはどうしようもないと思う。そんなことを考えると、余計もの哀しさを感じてしまう。礼文空港から引き返して、食事ができそうなところで一休みする。
先ほどと同じ道を香深まで戻り、そこから西の方へ向かう道へと入っていく。くねくねとした山道を大型の観光バスの後ろを追いかけるようにしてしばらく進むと、桃岩展望台へ向かう登山口が見えてきた。バスの団体さんは一旦ここで降りるようだ。一般車両が駐車できそうな十分なスペースも見当たらず、かなり本格的な山歩きになりそうだったのでとりあえずここは通過して、そのまま西岸まで行くことにした。急坂を下りてくると、大きく様子がかわり、桃岩や猫岩と呼ばれる断崖が大きく迫る風景に圧倒される。ちょっと予想外の迫力に思わず言葉を失う。桃岩周辺はこれから初夏にかけて高山植物が咲き乱れて、礼文を代表する景勝地として有名な場所でもある。また、そこから見る利尻富士も格別だというが、今日はどちらも見ることはできない。車を下りて、少しだけでも周囲を眺めて行くことにしよう。
礼文島の西側には北にも南にも抜ける道路はなく、いま通ってきたところが元地の集落と香深を結ぶの道である。その道も車が入って行かれないところまでくると地蔵岩が見えてくる。地蔵岩は、お地蔵様が合掌している姿に見えるところからその名が付けられた。元地海岸は別名メノウ海岸とも言われ、かつてはメノウ石が多く見られた場所だという。やや観光地化されてはいるが、ここまでくると秘境めいた感じも漂ってくる。少し消化不良気味ではあるた、時計をみながら適当なところで切り上げることにした。
車を返す前に、香深より先を行けるところまで行ってみることにした。集落を抜けるともう観光地と呼べるような場所はなく、道路はますます狭くなり沿道の様子はいわゆる漁師町へと変わる。この集落の地名は知床で、確かアイヌの言葉で大地の先(岬)という意味だったと思うが、最後には本当に道が途切れてしまい、その先の海岸を歩いて行くにはかなり勇気が必要だと思った。結局そのまま香深まで折り返していくことにした。今日もあっという間に時間が過ぎていってしまった。あとは夕方の便で稚内まで戻るだけであるが、夏休みのハイシーズンにはそれこそ満員電車のようになることもあるという。大型フェリーでゆったり過ごす2時間もまた非日常の貴重な時間に思えてならなかった。
5日目
昨晩、宿でちょっとしたトラブルに巻き込まれそうになり嫌な思いをしたが、どこへ行っても旅先の酔客ほど厄介なものはない。とまぁそこは気分を取り直して出発することにする。今日はただ東京へ向けて帰るだけである。空路、稚内から直行するという手もあるのだが、そんなにあせる必要はないので朝一の宗谷線の特急で札幌へ向かい、その後新千歳から帰京することにしていた。スーパー宗谷は朝7時をまわったところで稚内を出発する。いつものように"旅先の早起き"になってしまったが、駅の立ち食いソバで朝食を済ませる。初めて稚内へ来たときも、夜行列車を下りてこの立ち食いソバを利用した。そういえば、その夜行列車も季節臨となってしまった。
スーパー宗谷は指定席、自由席ともに増結してやってきた。このように、GWのような多客期にはJR北海道は柔軟な対応をとることが多い。稚内からの利用なので、特に指定をとる必要もなく自由席で十分だった。そういえば稚内から札幌へ抜けるのはこれが初めてではなく、かれこれ4回度になる。最初にきたときは今日と同じようにサロベツを乗りとおし、2回目はバスを利用、3回目は稚内空港から丘珠空港へ飛行機を利用した。と、どうでもいいことを考えながら、先へ進むことにする。
サロベツを利用したときは利尻富士の姿が見えたが、今日は残念ながらその姿は見れそうにない。が、宗谷線沿線の景色の素晴らしさは北海道でも屈指のものであり、何度来ても飽きるようなことはないと感じている。このスーパー宗谷は先頭の眺めが見られることでも有名だが、サロベツ原野を通過する途中、ちょっとのぞいてみることにした。その後、停車を繰り返すごとに乗客の数は増えてきて、旭川へ着く頃にはすっかり満席になっていた。車窓を眺めてること以外には弁当を食べたことくらいしか覚えてないのだが、5時間近い汽車旅はあっという間に過ぎてしまったようである。
札幌で下りて、未だ多少時間に余裕があるのでその辺をうろつく。札幌から新千歳へは直通の快速が頻繁に出ており、移動には不自由しない。今日は、旭川から来てここでスーパーホワイトアローから列車名が変わる快速に乗ってみることにする。ホームで到着をまっていると、向かいのホームではトワイライトエクスプレスが出発を待っているところだった。ここ札幌でトワイライトエクスプレスといえば、苦い思い出があるが、そう簡単に利用できるものでもないので羨ましくも思う。スーパーホワイトアローは定刻よりやや遅れて入ってきた。新千歳までは30分強、小樽からやってくる"普通のやつ"よりは確かに乗り得感がある。ほんの2、3日しか経っていないのに、随分しばらく振りな感じがした。GW真っ只中ということもありJALもANAもバーゲン型の切符の設定はなく、そんなこんなで今日はSKYMARKを利用してみることにしている。SKY便が札幌へ進出したのは最近のことで、自分自身SKY便に乗るのは実は初めてである。機内サービスを簡素化したり、徹底的なコストダウンを図ってるというがどんなものか確かめておきたい。安いだけあってSKY便の切符も早々に売り切れてしまい、どの便も満席の予約が入っている。気まぐれで日本海1号の切符がとれたところから始まったこの旅だが、あわせてこちらのチケットも押さえておいて正解だったようだった。当初の乗りつぶし防衛線という目的も前半で果たしてしまったので、後半はいつものように空港制覇に勤しんでしまったが、今回も三沢と利尻を制覇、着実に数をこなしてきている。これで残りは10というところまでたどり着いた。旅は未だ終わってないが、早速次の作戦を立てなければ…。(苦笑)