■旅日誌
[2003/10] 富山、リベンジ!
(記:2003/10/19 改:2021/12/31)
(記:2003/10/19 改:2021/12/31)
夏休みの台風のリベンジです。先月の北海道行きはよく分からん単なる憂さ晴らしでしたが、夏休みに予約を取っておきながら台風で流れてしまった黒部峡谷鉄道の訪問をリスケしました。時期的には紅葉にはちょっと早かった感じでしたが、3連休を狙って後先考えずに予約を入れてから何とかするという作戦に出ました。意外な難敵でもあった富山地鉄もついでに完乗を目指します。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
先月に引続き今月も月中に3連休がある。景気対策とも時短の一環ともいろいろ言われているが、法律を改正して固定された祝日を月曜日に移動し3連休にするハッピーマンデーとかいうあれだ。まぁ、いただけるものはありがたくいただきたい。しかしながら、法律は許してくれても仕事はそう簡単に許してはくれない。先月無理して北海道へ行ったものの、気がつけばこの3連休までの間で会社に行かずにお休みできた日は1日もなかった。おまけに1日おきに徹夜を繰り返していたような時期もあって、相変わらずしんどい日々を送っていた。冒頭にも書いたが、台風直撃のため黒部峡谷鉄道の予約が宙に浮いてしまっていた。とりあえず、台風なので全額返送扱いになるとのことだったが、再予約も受付けてくれるとのことだったので、いつものようにイチかバチかで10月のこの3連休にぶけてみた。そんな感じで、まわりには早々に連休を宣言していた。
今回は空路で富山へ直行することにしていた。北陸地方の各空港へは羽田から約1時間で到着してしまう。明らかに陸路に比べて分がある。前にも書いたかもしれないが、旅の楽しさを満喫するにはいろんなルートがあって楽しいが万人がそういうわけでもない。(余談:どちらかというと、前者の方がマイナーでしょうか。)ところで北陸の空港というと小松空港がまず先に思いつく。富山空港は冬になると弱い空港だと聞いたこともある。前の職場にいたときも、今の会社に移ったあとも、仕事で富山の人とお付き合いすることは多かったが、自分から富山へ出向くことは一度もなかった。ということで、空路富山入りするのは初めてである。羽田を出た飛行機は、中央アルプスを越え能登半島上空をかすめて一旦日本海へ出た後で富山湾側から神通川に沿ってのアプローチとなった。上空を飛んでる時間は1時間にも満たないので、なんとなく慌しい感じはしたが、陸路で何時間もじっとしているのが性に合わない人にとってはありがたいかもしれない。
冷夏だったわりには10月のこの時期でも寒く感じることはなかった。空港からの連絡バスに押し込まれ30分くらいで富山駅前までやってきた。梅雨のときから数えると一体何回目の富山入りになるだろうか?(笑) 今日は特にどこへ行くというわけでもなく、何となく富山地鉄の乗りつぶしでもしておこうかと思っていた。もともと夏休みのときも2日乗車券を使ってまわっておくつもりだったが、今日と明日とでひと通り乗り歩きを終えることにしていた。2日券は市内線の路面電車や特急の自由席にも乗れるので便利なのだが、少々値が張る感じもしないでもない。富山駅前から一旦大学前まで往復し、そのまま南富山も往復しておく。富山地鉄も昔廃止された路線がいくつかあり、現在は1系統しか運行していない。(余談:厳密には南富山-富山間と南富山-大学前間の2系統あるようになっているようですけど…)乗りつぶしも後半戦になって軌道線つまり路面電車に乗る機会が多くなっていたが、ここ富山が一番女性運転手が目立っていたように感じた。(後日談:富山地鉄・市内線の環状運転が開始されたときの旅日誌はこちらを、ポートラムと直通運転が開始されたときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
市内線の往復はすぐに終えてしまったが、引続き乗りつぶしを続けることにする。ちょうどタイミングよく滝上線が発車を待っていたので、南富山まわりで岩峅寺方面へ出る。昼間の時間帯は1時間に1本あるかないかなので、まずはこちらからまわることにした。南富山は先程来たばかりだが、市内線の車庫の横を通り、その先はさらに田んぼばかりの田園が続くことになる。岩峅寺駅から先の立山までは前回アルペンルートを下りてきたときに通過したので今回はパスすることにする。上りの便はすぐの接続だったので慌しく乗り換えることになる。そこから夏にも通った単調な風景の中を富山方面へもどり、寺田駅で一旦降りることにした。立山方面と宇奈月方面の分岐でもあり路線がYの字型で接続している。次の宇奈月方面の特急まではしばらく時間があるので、駅の周辺を怪しまれない程度にウロウロしてみた。ここ寺田駅もそうだが、富山地鉄には木造の古い駅舎が意外と多く、なかなか風情があっていい。だが違う言い方をすると財政的な面から建替えなどそんな余裕はないのかもしれない。
特急と言っても優等列車専用の車両がすべて運用についてるわけでもなく、ごく普通の車両の編成で半分が指定席になっているものだった。もちろん元西武のレッドアローがあることも知っていたが、何かもてあそび気味のように思えてならなかった。富山地鉄といえば一頃はJR(国鉄)からの直通列車で賑わっていたが、今は見る影もない。なぜこうなってしまったかは識者に任せるとして、結果的に寂しいものになっていると言わざるを得ない。明日はどのみち黒部峡谷鉄道に向かうために宇奈月温泉まで乗り通すことになるので、今日はフリー切符の権利を行使しつつ適当な駅にいくつか立ち寄るに留めておこう。
2日目
昨日は比較的いい天気だったが、今朝は起きたときから曇よりとした空模様だった。天気予報も何となくあまりいいことは言ってない。台風のときから数えて2ヶ月も待って折角のトロッコ列車だというのにちょっとブルー気味である。もちろん、ここまできて日付はずらしようがないので一路宇奈月を目指すことにする。富山駅前にとった宿から直行して再び地鉄電車に乗り込む。一日のうちでも珍しいようだが急行列車というクラスの便で宇奈月温泉まで乗り通す。この便は4両編成であったのだが、まったくのガラガラ状態である。平日なら朝のラッシュが起きるのか、あるいは観光シーズンともなれば富山から宇奈月温泉まで乗り通す客が増えるのか定かではなかったが、何しろ空気を運んでいるかの状態である。寺田を通過し上市で進行方向が変わる。昨日通ったばかりなので見覚えのある風景が続く。しばらくJRと並行する区間もあるが、これまでずっとJRから眺めるばかりだったので、逆から見返すのもちょっと嬉しかった。そんなこんなでボーっとしてると、トワイライトエクスプレスの深緑色の車両とすれ違った。そうだなぁ、いつかあれにも乗ってみたいものだ。(後日談:その後、トワイライトエクスプレスのロイヤルに乗る機会を得ることができました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
JRより海側を走った後、黒部駅付近で大きく右側に曲がり山登り区間へと入っていく。車窓も山間のものとなり、じりじりっと標高を上げていく。やがて列車は宇奈月温泉駅に到着した。先程までは気がつかなかったが、しとしとと小雨が降り出していた。これから乗るのはもちろんトロッコ列車である。雨が降ればそれなりの覚悟も必要だが、雨かっぱなどあらかじめ用意しているはずもない。さすがに3連休である。既に多くの観光客でごった返していた。駅前の駐車場も大型観光バスで溢れかえっている。なので団体さんも多く、余計混雑に拍車をかけていた。山の天気は変わりやすいというが、"峡谷かっぱ"などと銘打った簡易ビニールがっぱを手にする人が目につく。まったくうまい商売かもしれない。黒部峡谷鉄道の宇奈月駅は、ここが単なる観光トロッコ列車の始発駅とは思えない程大きくとても立派な駅である。予約もいっぱいのようで、予想通り当日券は既に午後の遅い便まで埋まっていた。行きもそうだが、帰りの折り返しも限られてしまうようだ。やはり多客期は予約がなくてはダメというのは本当だった。予約といっても座席まで指定されたものではないので、改札口には次の便の出札を待つ人の列でここでも混雑がひどかった。自分の1本前の列が掃けたところでさっと並ぶことにした。ふと外に目をやると雨が強く降っているではないか。「あちゃぁ~こりゃやられたか?」などと考えていると、近くの人が駅員さんと雨について会話していて、その内容が聞こえてきた。「なぁに、全然大したことないですよ。こんなのすぐに止みますよ…」
自分の予約した便の出札が始まり、みな一斉に列車へめがけてダッシュしていた。なぜかこういうときは、自分も負けちゃいけないと思って小走りで向かうことにする。進行方向右側の眺めがいいことは周知の事実のようだが、考える間もなくすぐに全部の座席は埋まってしまった。もちろんきちんと勘定はしているのであぶれてしまうといったことはないのだが、何となく団体さんもそれなりに集まって座れてるようだから不思議なものだ。とりあえず右側の座席に座ってみたものの、よくよく考えれば雨でずぶ濡れになる可能性もある。そこはまぁいいかと割り切ることにする。発車までのわずかな時間ではあるが、ありがちな物売りの商売人が右往左往していた。それはいいが、記念写真はいかがでしょうか?とカメラを向けてる商売まである。さすがにこれにはほとんどの人が拒否反応を示していた。
満席のトロッコ列車は定刻に出発となった。説明するまでもないが、ここ黒部峡谷鉄道の車両にはいくつかのグレードがあって、一番ノーマルの普通車両はまさに吹き抜けの車両である。座席も長いすのような感じで横一列に5人が座れるスペースがあるだけで、まるでテーマパークのアトラクションのようでもある。行きに予約した車両は一般車両だったのだが、予想通り雨が吹き込んできていた。だが、あの駅員の予言してた通りに雨はじきに止んできていた。宇奈月駅を出ると、すぐにそこから渓谷の景色となる。天下の急流黒部川をせき止めて造られたダムがいくつもあり、それぞれ歴史を感じさせるものばかりだ。紅葉の季節にはちょっと早いようだが、湖や山間の渓谷美は確かに見ててとても美しいものだった。その辺を走っている電車なんかに比べれれば車両はひとまわり小さいナロータイプであるが、結構ダイヤもきっちり組まれていて、停まる駅ごとにすれ違いが行われていた。気温は思ったほど低くはないが、でもトンネルの中はちょっと寒い。もうこれからの先の時期は気温もぐんと下がってくるであろうが、夏の暑い盛りにこの吹き抜けの車両で風を感じるのは爽快に違いないと思った。
最後の方は多少窮屈な思いも感じてきたが、車窓を眺めてのトロッコ列車の旅はなかなかのものだった。ダム建設のために敷かれたルートとはいえ、よくもこんなものを造ったものだと先人の努力には敬意を表したい。当然、冬場ともなれば半端じゃない豪雪となるわけだが、こうして観光路線として険しい山々を身近なものにしてくれることには素直に感謝しなければならないだろう。一応、終点の欅平でこの路線は終わりとなるのだが、実はこの先も工事保守用にトンネルが掘られている。いまさら説明するまでもないが、クロヨンダムへのルートだ。1シーズンに何回か抽選で見学会も行われてるというが、人気も高く結構な競争率になると聞いた。ここへ来る途中の温泉地へ寄るか、トロッコ列車目当てでただ折り返すか、人それぞれであろうが、もちろんここ欅平は白馬連峰などへの登山の中継地でもある。ありきたりな感想だが、橋や川の風景はどこもとても素晴らしいものだった。
帰りの便はちょっと早めに予約を入れておいたので、お昼過ぎに欅平を出発となる。発着はだいたい20分おきなのだが、時折関西電力専用車というのが合間に入っている。ちょうどひとつ前がその便に当たっており、大きいリュックを背負った人たちがロング缶のビールを片手に改札を抜けていくのが印象的だった。そんな光景を横目に見ながら、出発までの間に何か食べておくことにした。といっても食堂とスタンドの立ち食いソバしかないのだが、こんな山奥でこれだけあればある意味十分でもある。食堂の方はどうも団体さんの予約が多く貸切に近いような様子だ。立ち食いソバというのも嫌いな方じゃないので、迷わずこちらにする。それにしても、普段都会で何気なく利用しているとこなどに比べると、はるかに美味しく感じるから不思議だ。もちろん東京の街中にあるようなものとは、材料からして違うことは間違えないと思うのだが、この場の雰囲気がそう感じさせるのか、何しろたまらなくありがたい一杯だった。
帰りの出札が始まった。行きにここへ到着したときはかなりの人出でごった返していたが、いまは少々閑散としている。帰りの座席は前もって車両の指定を受けておく必要があるとのことだったが、いまなら全然余裕があるように感じた。お昼どきの今は狙いかもしれない。帰りの便は特別車両を予約しておいた。吹き抜けの一般車と比べると、席幅は余裕があり何しろ壁と天井がしっかりしている。この車両も一般車と同様、座席番号の指定ではなく車両単位での指定となる。車両の指定も前からきっちりと人数分だけ取ってあるのだが、なぜか自分は一番後ろの指定となっていた。同じ車両に乗って来る人の数が妙に少なく、先の駅で乗ってくるのかな?と思ったら終点まで余裕の状態だった。
3日目
昨日は幸いにもそれなりに天気がもってくれたが、今朝は天気予報通り雨が降っていた。その予報も正しければ、残念ながら今日はしっかり雨のままということになる。昨日は早めに"下山"してきたので、夕方の飛行機にでも乗れば余裕で東京に戻れたのだが、3連休でもあったし行きと同じルートでただ暗闇の上空を移動するのもつまらないので、今日はちょっとだけ寄り道して帰ることにしていた。夏休みのことを振り返ると、乗りつぶしのフォローだけできればとりあえず気持ち的にはOKだったのだが、何か他にはないかということで、最近開港した能登空港へ行ってみることにした。まずは富山から金沢まで約1時間の移動になる。普段の平日なら通勤通学でそれなりに混雑すると思うのだが、今日もお休みということで朝の時間帯の列車はガラ空きだった。ここも、気がつけば3度目ということで無意味といえばそうかもしれない。そんなことはまぁいつものことなのでどうでもいいのだが、倶利伽羅峠越えも横殴りの雨の中となってしまった。特に急ぐでもなく鈍行に揺られ、まったりしながら金沢へと到着した。駅前は新幹線の受入のためだろうか、相変わらずスケールのでかい工事が進行中である。分相応に…という考え方はないのだろうか?
ところで、かつては輪島まで鉄道で移動することができたが、いまでは途中までしか行くことができない。輪島といえば能登の中心的な観光スポットだし全国的にも名が通ったところだと思っていたが、採算性の問題でここも廃止されてしまったらしい。その昔、能登地方では観光ブームと言われた時代があったが、鉄道の足は国鉄から3セクへ転換されついにはそれも途絶えてしまった。実は廃止が決まったとき、その前に乗りに来ようと思っていたのだが、あまりにも忙しくて折角取った飛行機も宿も前日になって泣く泣くキャンセルしたという苦い記憶がある。やきもきしながら廃止直前の最後の週末にようやく粘ってスケジュールを合わせたのだが、逆に間際だったのでそこを逃してしまったことにより「輪島行きの列車」というものには二度と乗ることができなくなってしまった。更に記憶をたどると、のと鉄道には3セク移管後に一度だけ乗りに来たことがあったが、そのときはまた来ればいいや…程度で蛸島の方を往復していたため、よりによって輪島方面が未乗のまま廃止となってしまったわけだ。(後日談:その穴水から先、蛸島までの区間も廃止になってしまいました。残念です。)そんな意味でも、ここは何か残念な記憶のことしか頭にない。
金沢駅からは特急バスというのが能登半島方面に何路線か出ている。輪島にも直行する便が一日にいくつか設定されていた。工事中の駅前の端の方に路線バスのバス停がごちゃごちゃと集められていて、発車予定時刻間際になって裏の方から大型のバスが姿を現した。比較的新しい車でもあり乗り心地は悪くない。乗客は十数人程度であろうか、何千円も料金が取られるこの手の路線にしてはそれなりの利用者率と言えるだろう。大雨の中、金沢駅を出て海側へバスは進んでいく。途中、県庁を経由するのだが、どうしてどこもかしこも役所の庁舎というのは場違いのスケールで造ってしまうのだろうか?雨もひどいが、それより何より白髪の運転手は乱暴な運転でひたすらかっ飛ばしていた。海沿いの有料道路を一気北上すれば、能登半島へはそう時間をかけずにたどり着くことができる。有料道路と高速道路の違いがいまひとつわからないが、一般人にはただ高規格な高速道路と目に映る。海岸線のすぐ近くを通っており、時折波打ち際も見ることができる。荒れた日本海はまるで冬のような感じだ。途中、砂浜が道路になって有名なところ(余談:正しい名称は失念してしまいました。誰か教えて!)が並行しているのが見て取れたが、さすがにこの天気なのでそちらを走っている車はまったくなかった。やがて単調な海岸線を離れると山間を右に左にと結構変化が出てきた。アップダウンも繰返しながら、標高もあがってきたようだ。休憩を1回はさみ、有料道路を下りればあとは一般道で一路輪島を目指すことになる。ここらはちょうど、廃線前ののと鉄道の路線に沿っており、橋梁跡や盛土などははっきりそれと分かって取れるものが数多く目についた。何か物悲しげにもとれる。
元の輪島駅は何やら観光案内施設のようなものになっていた。そのままバスは降りずに終点まで行ってみることにした。正午前ギリギリで輪島の朝市の様子がうかがえたが、途中やみかけていたはずの雨が再びひどくなりどこもそそくさと店じまいに入っていた。そんな中でも商魂たくましい方々は声を掛けてきたが、こっちはきゃしゃな折りたたみ傘にしがみついてるのが精一杯で観光どころではなかった。結局、何も見ることもなく、何も味わうこともなく(?)とぼとぼと雨宿りできそうな場所を探しながら、先程の輪島駅のところまで徒歩で戻ってきてしまった。ここはお決まりコースでもあるが、のと鉄道の"跡地"の見学をすることにする。この施設ができる前はもっと駅らしい雰囲気でその姿が保存されていたようだが、今となってはほんの気持ちだけ駅の名残を感じ取れる程度になっていた。それにしても、いかにも嘘っぽいパネルが余計もの悲しさを覚える。かつての勇姿が納められた写真の展示コーナーもあったが、それも厄介もののように隅に追いやられてしまってる。時代の流れとはそういうものなのだろうか。
感傷に浸っていても腹が減ることには変わりない。お昼も少しまわったところで、この旅最後の食事をそこらで済ませることにした。一瞬弱くはなったかな?と思っても雨の降り具合はさほど変わることもなく、食事のためのご近所探検もやる気をそがれてしまった。ここへ来て時間も持て余し気味になってしまったが、何をするでもなく半ばボーっとしながらバスを待つことになる。3連休の最終日だというのに、周囲に活気がないことに気がつく。ロータリーの向かいの看板に大きく路線バスのことが書いてあったが、輪島→小松空港という文字が消されたことが見てうかがえる。折角の能登空港も、このありさまで果たして大丈夫なのだろうか?
旅に出る直前に何気なく探し当てたのだが、乗合タクシーというものがあって能登半島の要所と空港を往復してくれるサービスがあるらしい。というのも、路線バスは本数も時間もあまり都合がよろしくなく、おまけに乗合タクシーの方が若干お得な料金設定になっていた。当初はこれも考えたのだが、前々日までにTELして予約して、おまけに前日の夕方にはコールバックをやきもきしながら待たなくてはいけない、というのを知って面倒になって遠慮してしまった。どうしてTEL一発で来てくれないのか、そんなフットワークではお客はついて来ないような気もするが、まぁ一度限りのことなのでどうでもいいと片付ける。でもって、やって来たバスは先程と同じ車、同じ運転手だった。途中まではあの廃線跡沿いの国道を進み、横に逸れて空港を目指すことになる。本当にとんでもないところに空港を作ってしまったものだ、と冷ややかに見る目も少なくないが、3連休ということもあり当初はキャンセル待ちで今日も実際来てみると満席と繁盛してるではないか。涙ぐましい努力をしてる姿などよくTVで紹介されているが、ささやかながらここではエールを贈っておきたい。
前にも書いたようにバスの時間が合わないこともあって、更に空港でも時間を潰すことにしていた。案内など見ると、建物の上の階は空港と直接は関係のない施設も入っているらしい。唯一の航空会社であるANAの受付窓口で搭乗手続きを済ませる。横にはオレンジ色のつなぎを着た整備関係と見て取れる若い方が募金箱を持って立っていた。んん、正確にはANK便しかやって来ないのに看板にはANAの文字だけ?などと細かい突っ込みを心の中でしながら建物の中をぐるっとまわってみる。何の用事があるのか、意外と人がいるように思える。(苦笑) 案内放送が入り、東京の荒天の影響で今度の便の到着が20、30分遅れるとのことだった。ということは東京に引返す便も出発が遅れることになる。いつしか見学デッキは人だかりの山となっていた。飛行機の離着陸の姿はそんなに珍しいものでもないと思うが、遠くに飛行機のライトが見えてくると、わぁっと歓声のようなものが上がった気がした。やがてずんぐりした小振りのジェット機が滑走路に降りてきた。さすがに拍手でお出迎えといったことはなかったが、いまでもこの混雑ぶりなら開港時は相当盛り上がったに違いない。と、自分は地元の人に混じってこんなところにいてはいけないので、搭乗口へまわることにした。急いでるわけではないのだが、なぜだが荷物がX線の検査に何回も引っ掛かり、中身を小分けにして2、3度通すハメになった。別段怪しいものも、人前にさらすには恥ずかしいようなものも持っているはずはないのだが、無造作にバラされた持ち物をまたひとつにまとめるのは面倒な話だった。もちろん、いままでこんな経験したことはない。
半渇きの折りたたみの傘をしまい込み、これから搭乗することになる。先程、搭乗手続きのときに窓口にいたお姉さん(失礼!)が今度は搭乗案内口で慌しくしていた。とにかく少ない人数で大変だと思う。機内に乗り込み客室乗務員のユニフォームがいつものちょっと違った印象だったのであらためて気がついたが、そういえばANK機に乗るのは初めてである。タラップを離れターミナルに目をやると、まだ大勢の人だかりがこちらを見ていた。先程募金箱を抱えてた整備士も、窓口から搭乗口にまわってた女性も含めて総勢で…といっても4名でお見送りのお手振りである。あらためて地方空港の大変さ加減が分かる。無駄だ!との批判も多いが"投資"がなければ世の中(=銭)は動かないわけで、東京との間をわずか1日2往復だけの定期路線ではあるが、ぜひぜひ地元のためにも頑張ってもらいたいものである。よそ者の自分がこんなことを言うのもおこがましいが、一面真っ白に波打った雲海を見下ろしながら、そう祈らずにはいられなかった。