■旅日誌
[2009/9] 神々の宿りし山へ
(記:2009/11/23 改:2011/6/26)
(記:2009/11/23 改:2011/6/26)
仕事の都合で夏休みが少し減ってしまい、その穴埋めとして1日休暇を取得。普段の土日に1日プラスし3連休にして紀伊半島をまわってきました。その後、まっすぐ帰るのも惜しかったので「きたぐに」に乗って新潟を経由し、米沢へ抜けるルートで大まわりしています。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
※下線部をクリックすると写真が表示されます
1日目
8月の夏休みで九州をまわってきたが、当初予定していた日数分の休みが取れなかったので、あらためて1日だけお休みをもらうことにした。今回はその1日を土日に引っ付けて三連休にしてある。これからまわろうとしているのは、もともとGWに予定してた計画の一部で、急遽中国へ行くことになったためにキャンセルをしたルートになる。多少心残りだったのをやり直す感じで、平日の金曜に早朝の羽田へと向かう。行き先は南紀白浜空港、ここも随分と久しぶりだが、この空港には、少し思い入れがある。まだ、全国空港制覇(?)なんてそんな大それたことは考えてなかった時期に、どうせなら普段行かないような空港を利用するのもいいかな?と考えた最初の場所であり、空港めぐりのきっかけになった気がしてならない。そんな妙な懐かしさがあるところでもあった。
南紀白浜へ向かうJAL便に使われる機材はMD-81で、珍しい部類に入る。元はといえばJASが乗り入れてた路線で、当時もこの機材に乗った覚えがある。そんなわけで、最近2タミではあまりお目にかからないバスからの搭乗となった。南紀白浜までの所要時間はわずか1時間20分ほど、関空の手前にあるので飛んでる時間はたかが知れている。出発する時間が比較的早かったためか、離陸待ちで時間がかかることはさほどなかった。その後も順調に飛行を続け、紀伊半島の山々と複雑にくねった川の流れを眼下に眺めながら、最後は太平洋沖へ出て180度旋回してランディングとなった。非常に滑らかなタッチダウンにMD機の身軽さをあらためて感じる。
初日の今日は1日レンタカーを使って紀伊半島の南側をまわってみることにしてる。ネットで調べてみたところ、ちょうどうまい具合に白浜で借りて新宮で返せる業者がヒットし、事前に予約を入れておいた。軽専門のいわゆる格安業者だったが、車も比較的新しめでラッキーだった。空港からの送迎も受けてもらい、世間話などしながら白浜駅前の営業所まで移動して早速手続きを済ませる。車を受け取り、すぐさま国道42号へ向かい、あとは道なりに進んでいけばよい。とにかく海岸沿いに南下する道路は1本しかないので、この先も迷うこともない。遠く太平洋を眺めながらオーシャンビューのドライブはいつもと違った開放感があって逃避行にはもってこいだった。
1時間ちょい走って串本の手前で一旦国道を離れる。潮岬方面を示す看板の指示にしたがい右折すると、その先の県道はほとんど車が走っていなかった。岬に行くにはこの寂しいところを先へと進まなければならない。しばらく行って灯台入口近くに差し掛かったが、その灯台の位置もよく分からない。道路沿いの木立が途切れると右手にはだだっ広い芝生が広がり、ここが最初の目的地であることが分かった。潮岬のランドマークである観光タワーの前の駐車場で一旦車を降りて、何はともあれ本州最南端の場所へ向かうことにした。最南端の碑は望楼の芝を突っ切ったその先ある。いい感じに風も弱く穏やかで気持ちがいい。一応、お決まりのスポットを見学して、その先の大海原に目を向ける。地図を見ると確かにここは太平洋に突き出た場所であり、こうして実際の風景を目にすると本州地球が丸いことが何となく分かる。そうだ、、、きっと夕日もきれいなんだろうな…。
続いて灯台にも寄っておくことにしよう。最南端の碑がある場所から数百メール戻った感じで歩いて向かう。これだけで駐車料金を取られるのももったいないかもしれないが、それならば…ということで入館料を払って灯台の中を見学しておくことにした。狭い階段を上り外へ出て、先程とはまた少し違った太平洋の眺めを目にする。いやぁ、やっぱり海はせいせいしていいな…。毎度のようにこのまま時間でもボーっとしてられそうなので、適当なところで引き上げることにした。最後に展示物などを見学して、再び歩いて観光タワーまで戻ってきた。もうこちらのタワーには上る気もしなかったので、その代わりと言っては何だが、昼食をとっておくことにした。鯨のしぐれ煮という文字が目に留まったので、そいつを試すことにする。何だか妙に懐かしい味がした。
岬からは、もと来た道を戻るのではなく、先へと進んで国道42号へ出ることにした。途中、大島へ渡る橋があり、思わず渡ってみたくなったが、そんなことをしてると切りがないので先を急ぐことにした。といいながら、串本市街を抜けたあたりで、景勝地としても有名な橋杭岩に差し掛かり、ここは寄り道しておくことにする。奇岩が連続する風景には、見てみぬ振りをするわけにもいかず、車を停めてもっと近くへ行ってみることにした。海岸べりにどうしてこんな岩が連続して並んでいるのかさっぱり分からず、とにかく不思議な光景だ。さらに海沿いを進み大地町への分岐点にたどりつき、さらにまたここで寄り道するか悩んでしまった。大地町といえば、もちろん鯨の町として全国的にも名が通った土地なのでぜひ寄ってみたかったが、この先のことを考えて深追いしたくなる気持ちを抑えつつも、ほんのさわりだけ見ておくことにした。鯨のモニュメントのお出迎えには気持ちが流されそうになるが、そんな思いを断ち切るようにして引き返すことにした。
次に目指すのは那智勝浦、熊野地方と言い換えた方がいいだろうか。世界遺産としても名高いこの土地も、ぜひ一度は来てみたいと思っていた場所である。もっともっとたっぷりと時間があれば、太古の歴史を肌で感じるために熊野古道を歩いてみるのもいいかもしれないが、まぁ1泊2泊程度なので本格的な山歩きは現実的じゃぁない。というわけで、観光モードで熊野那智大社と那智の大滝をメインに寄り道程度に訪問することにした。国道42号から一旦県道へと分け入り、7キロほど紀伊半島の中心に向かって進んだところに目的の場所がある。さほど距離があるわけでもないが、徐々に山々が迫ってきて最後に大きなヘアピンカーブが待っていた。すると、いきなり目の前にドーンと那智滝の姿をあらわす。いやぁ、これは期待が持てるぞ!高なる気持ちを抑えつつ、車を止められる場所を探す。あちこちでお店の人が車を誘い入れようと道まで出て手招きしていたが、ある小さなお店のところで何となく引き寄せられたようにして入ってみる。気のよさそうなおばちゃんから「無料でいいですよ」と声を掛けてもらったが、あとで戻ってたときにでもお店の中を覗いてみることにしよう。「神社行くにはもう少し奥の階段を登っていってくださいね。」とりあえずその言葉通りに階段を目指すことにした。
周囲を山々に囲まれ、わずかな土地に集落が形成されている。参道となる階段は、斜面をへばりつくように上の方へと延びていた。そういえば山形の山寺もこんな雰囲気だったか、昔の人が霊験厳かに感じるのは、どこか共通点があるようにも思えた。あがる息を抑えながら階段を登っていき、熊野那智大社へ到着、ようやく来れたな…と実感する。熊野那智大社でお参りを済ませたあと、すぐ横にある青岸渡寺へと向かう。ある意味、不自然な並びは神仏分離があったためと容易に想像できる。参拝を終えて、最後に大滝の方へ足を向けることにした。
滝に向かう途中に、あの有名な三重塔があり、滝をバックにした眺めは絵はがきにしたいくらい美しかった。こんな景色はやっぱり本物に限る!しばし時を忘れそうになった。でも、これだけで満足してはいけないと思って、さらに滝の近くに行ってみることにした。古道を思わせる木立の中を下りていくと、滝つぼに通じるところまでたどり着くことができた。あらためて見上げると滝のスケールの大きさには圧倒されてしまった。折角なので、滝の一番近くまで行ってみることにしよう。霧のように舞う水しぶきを全身で受け止めながら滝の迫力を間近で感じとることができた。う~ん、確かにこいつは凄い。(後日談:あらためて熊野路へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
そうこうして滝を後にして、車を止めたところまで戻ることにする。「あれ、一周しはった?」さっきとは逆の方向から帰ってきたので、例のおばちゃんはそう思ったようだ。お店の中に入り、お土産用にここで黒のど飴をひとつに買っておく。「おおきにねぇ。」最後にまた声をかえてもらい、霊験あらたかな土地を後にした。今度は坂道を下り、国道42号のバイパス道である熊野尾鷲道路に出たところで新宮方面へ進む。高速道路並みの高規格の自動車専用道でショートカットしたおかげで、少しだけ時間節約になったようだ。新宮市街へ出たところで、再び海沿いから離れ紀伊半島に分け入っていくと、こんどは熊野川沿いに北上することになる。しばらくは快適なドライブが続き、連なる山々と木々に囲まれた国道168号を走っていく。車幅の狭い宮井大橋を渡り国道169号に入ると交通量の割りに贅沢なトンネルに出くわした。いくらでもスピードが出せそうなトンネルを抜けると様子は一変、やがてセンターラインもなくなり、くねくねとしたカーブの連続となる。国道311号に分岐したあと国道とは名ばかりで、すれ違い困難な1.5車線の道が何キロも続くようだ。さっきまでのようにお気楽にバンバン飛ばすわけにはいかなくなった。そういえば、紀伊半島には"酷道"なんてと呼ばれる道がいくつかあったなぁ…。忘れたころに対向車がやって来るくらいだったのでまだよかったが、見通しも悪く場所によっては路肩の状態もままならなかったので、すれ違いには神経を使う。でもまぁ、こんなドライブも嫌いじゃないし、それよりなにより、この抜群の景色がたまらない。なんだか、とてもいい感じになっていたぞ…。
瀞大橋へ到着すると、今晩投宿する予定のお宿はもう目と鼻の先である。とりあえずチェックインを済ませておくことにした。ここまでうまく時間を使えて来れたので、もうひとつ楽しみにしていた丸山千枚田まで足を延ばしておくことにした。もし、今日時間切れになったら、明日の早朝でもいいので絶対に見ておきたいと思っていたので、もうひとっ走りしておこう。山間の中でも紀和町の中心部はまだ少し生活感があるるが、土地勘はまったくなく無事目的地にたどり着けるか少し心配だった。先程まで走ってきた国道よりも熊野市からこちらに向かってくる県道の方が"表道"のようで、道幅も十分だしまったく普通に走れる道だった。よし、ここだろう、というところで思い切って左折し、再びすれ違いも困難な山道を進んでいくと、高台から丸山千枚田が見渡せる場所で出てきた。うゎぁ~、これかぁ!あまりにも素晴らしい景色に思わず声を上げてしまった。もうまもなく日が沈もうとしているところだが、黄金色に光る棚田は見事というばかりで、ここも一見の価値ありといっていい場所だった。
稲作を取り巻く環境は年々厳しくなってることなど、いまさらここで説明するまでもないが、かつて棚田と呼ばれた場所は日本各地に見られた。ここ丸山千枚田も耕作放棄された田んぼが増え、一時は危機的な状況にまで陥ったと聞いたことがある。しかし、その後の努力のかいもあって、再び活気を満ちてきたという。数えたら千枚はなかった…と思ったら足元にあった、なんているところから千枚田と名付けられたという。丸山の千枚田には中に車が通れる道があり、邪魔しない程度に通り抜けておくことにした。近づいてみると、もう刈り入れが終わってしまった田んぼも少なくなく、どうやら明日収穫祭のようなものが行われるようで、ほぼ準備は整っていた。おおきな岩の近くで少し車を離れ、田んぼの様子をみておく。ちょっと大げさかもしれないが、静かな山間に広がる田んぼを眺めているだけで思わず涙が出てきそうだ。さて、日が暮れる前に宿に戻ることにしよう。再び細い道をいくつか通り抜け、この場所を後にした。
2日目
昨晩は瀞流荘というところに宿泊した。すぐ近くを熊野川の支流である上山川が流れており、太公望の姿もちらほらと見受けられた。周囲は山々に囲まれ、観光地っぽいものはほとんど見当たらない。そんな自然に恵まれた素晴らしい場所だった。しかし、宿泊施設としてのレベルは高く、今日は平日ということもあって格安プランで心置きなく泊まることができた。より豪華(?)なプランにすれば、名物である雉料理なんかも楽しめるみたいだったが、宿にある食事どころでは簡単ながらもしっかりとした食事が提供されていた。近くには何もないのでそこで夕食をとったが、河原でキャンプしてたような釣り人も、宿泊はしなくても食事や温泉目当てできていた様子である。隠れ家的な趣も感じられ、日本人が好きそうな条件が整っていたような気がする。そんなお金じゃ買えない贅沢な時間を過ごし、翌日も穏やかな朝を迎えていた。朝食にも素朴ながらひと工夫あって、朝から至福のときを過ごすことができた。
さて、今日はまず鉄分の補給(?)からと決め込んでいる。ここ瀞流荘の裏手から、トロッコ列車が出ていて、山を越えた向こうの湯ノ口温泉の間を往復することができる。それほど本数があるわけではないので、朝一で往復しておくことにした。ここのトロッコ列車は本当に鉱山で使われていた路線をそのまま流用していて、なかなか雰囲気のある機関車がマッチ箱のようなトロッコを引っ張っている。まるでおもちゃのような雰囲気にはどこかニンマリしたくなる。早速往復しておくことにしよう。この時間瀞流荘側から乗り込む人はまったくいないため、自ずと貸切となる。運転手は立ったまま機関車を操作し、路線のほとんどであるトンネルでもそのままの格好だった。トロッコ列車はゆっくりと走り出し、トンネルの中をゴーゴーを音を立てながら進んでいった。
途中ちょっと外に出るところがあるだけで、列車はただひたすら闇の中を走っていた。トンネルの出口のすぐ脇に湯ノ口温泉の乗り場があり、その下には小川が流れていた。「どう、目が覚めたでしょう?、帰りは30分後だからもうしばらくそのあたりでも散歩しててくださいね。」そう言って、運転手さんはそのまま機関車の付替え作業を始めた。山の斜面に囲まれた狭いところに、コテージ風の宿泊施設がいくつか建っており、これまた秘湯といった感じがたまらなくいい。う~~ん、こっちも十分にありだな…。
こんどは湯ノ口温泉からの帰りの人たちを少し乗せて、再びトンネルの中をゴーゴーと戻って来た。何てことはない乗り物だが、何だかとても楽しかった。さて、雰囲気に飲まれてあまりボヤボヤしてると後がきつくなるので、ちょっと時計を気にしておく。北山川の峡谷は瀞峡と呼ばれウォータージェットなども運航しており、紀伊半島でも有名な名勝地である。近くに乗り場もあるので、少しだけ待って船が通り過ぎるのを眺めておいた。
さぁ、出発しよう。帰りも来た道をそのまま戻るので、再びあの狭い道に挑まなければならない。きついところでは対向車と鉢合わせにならないよう祈りながら先を急ぐ。不思議なもので向こうから車がやってくると退避場所がすぐ近くにあったりして、何度か対向車をやり過ごす。まぁ何とか無事に難所を通り抜け、最後に狭い橋を渡り切ると国道168号に合流、あとは下流に向かって進むだけとなった。新宮市街へ戻り、車を返却すると駅まで送ってくれるというので助かった。これから乗る予定の列車が来るまでの間、通り過ぎてく列車を見送ったり、中国風の廟を見たりして時間を過ごす。それから、車内に持ち込むお昼を買い求めるために、さらにそこらをぶらついてみた。新宮駅は西日本と東海との境界駅であり、駅舎の反対側には広い車庫がある。やがて折り返しとなるオーシャンアローが到着、ホームに入って出発の時間を待った。(後日談:新宮へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
折り返しのオーシャンアローに乗り込み、今日はこのまま新大阪まで乗り通すことにしている。(後日談:帰ってきてから紀州鉄道のキハ603の引退話に気がついたのですが、もちろんこのとき知っていれば寄り道をすることを考えたでしょう。ちなみに紀州鉄道へは急遽再訪を試みています。そのときの旅日誌はこちらです。)初めて紀勢線に乗ったのは本当に昔のことだったが、そういえばその後オーシャンアローにも一度だけ乗ったことがあったけ…。列車は新宮駅を定刻に出発、しばらくは海沿いの眺めのいいところを進んでいく。
出発直後、自由席はガラガラだったが次の紀伊勝浦でどっと人が乗り込んできた。串本あたりでほぼ席は埋まり、白浜や紀伊田辺から乗ってきた人は席がなく立ちっぱなしのようだった。思ったより利用率は高いな。和歌山へ到着すると、少し人の出入りがあり、その先は何度も各駅停車を蹴散らしてオーシャンアローは阪和線を北上、天王寺で環状線に合流したあと若干ペースを落としながら大阪市内を通過していった。西九条から貨物線に入り梅田の貨物ターミナルを右手に見ながら、列車はスローペースのまま淀川を渡る。新大阪に到着し、ここでオーシャンアローを見送ることとなった。さて、今夜の列車まで、まだ時間があるぞ…。
ちょっとだけミナミの方へ戻り、時間をつぶすことにした。以前TVで紹介されてたところで、2時間ほど休憩しておくことにしよう。カプセルホテルでもない、ビジネスホテルでもないこの場所は、どういったカテゴリーに含めたらいいのだろう?今夜は夜行列車で夜を明かす予定なので、できればひと風呂浴びておきたい。時間もあるし夕食を買い込んで、しばらく休息をとることにした。時間を見計らってあらためて出発し、地下鉄で大阪駅へと向かう。この時間なので昼間と比べると人は少ないが、さすがに大都会だけあって、あちこち賑やかである。そんな喧騒をよそに、大阪駅の10番線で急行きたぐにの入線を待った。この列車は客車ではないが、それでも夜汽車の雰囲気を残した貴重な列車である。A寝台、B寝台のほかに、普通車の自由席や座席グリーン車もあって、多彩な顔ぶれが特徴である。大阪駅は大規模な工事が行われており、あちこちでガタガタとやっていたが、そういえばこの10番線も急行あおもりに乗ったとき以来かな…。向こうの方から3点ライトを点灯させきたぐにが入ってきた。
3日目
早速乗り込み、出発を待つ。今日はB寝台の下段が取れているので、あとは横になっていれば新潟まで運んでくれる。列車の中はまるで別世界、華やかな大阪の街を後にする。きたぐにはいまでは希少価値となった急行列車で、比較的こまめに停車をしていく。暗くて外の景色はよく分からないが、それでも何となく窓の外を眺めていた。列車の揺れに身をまかせ、こうして時間は流れていった。
きたぐには快調な走りを続け、定刻で走っていた。夜が明けて、新津で快速列車となり、そのまま新潟へ滑り込む。途中、意識が戻った記憶もなく、ほどよく熟睡していたようだ。次の列車へは乗り継ぎ時間がわずかしかないので、慌しく仕度を整え準備を済ませる。新潟へ着くや否や、きたぐにを後にして次の列車へ向かって足早に移動した。階段を通って真っ先に駆けつけたが、すでにべにばなの座席は程よく埋まっている。席がないよりはましか…そう思って、適当な座席へ座る。
快速べにばなは新潟と米沢を結んでおり、かつては優等列車として走っていたが、いまでは快速に格下げされ、おまけに1往復まで減便されてしまった。新潟を出ると、しばらくは白新線・羽越本線を進み、坂町から米坂線へと入る。ここからはより一層ローカル線の様相を呈してくる。米坂線は沿線の風景の素晴らしさにも定評があり、個人的にもお気に入りの路線のひとつである。しかしながら、おいそれと簡単に来れる場所ではないので、今回はいい機会だと思ってルートに組み入れてあった。いつだったか真冬に通ったことがあったが、そのときのことは強烈に印象に残っている。車両もすっかり新しくなってるし、閑散としてるより人は多いにこしたことがないが、正直なところもう少しのんびりしてた方がよかったかな??まぁ、人間勝手なものだ。
何となくどんよりしたまま過ごしてしまったが、列車は終点の米沢駅へ到着した。新幹線の軌道幅に合わせてるため米坂線の線路は0番ホームの末端でぷっつり途切れている。次の乗り継ぎまで少し余裕を見てあったので、少しだけ駅を離れてみることにした。ここのところの天地人ブームに乗って米沢周辺もどことなく盛り上がりを見せているようだが、上杉神社へ向かうことにした。天気もよく、乗りっぱなしでじっとしてるのももったいない。少し距離はあるが20分程で歩いて行ける場所なので、ここは自分の足を使って往復してみることにした。落ち着いた町並みを抜けていくと、いかにも観光地…といった感じに整備されたところに出てくる。この際いいわるいは別にして、神社の中へと進んでいく。上杉像の前で写真を撮ってる人など尻目に、境内の中を先へと進んでいく。折角なので、お参りを済ませ、緑に囲まれた境内を散策して、再び駅まで戻ることにした。
気がつけばもうお昼時だったが、今日も昼食は列車の中でとると決めてあったので駅前のお店で米沢らしい弁当を購入しておくことにした。一見お土産屋さんのようなお店だったが、駅弁の製造元でもあり、包みの袋を通じてほのかに温かさが伝わってくる。ここからなら新幹線で一気に東京へ戻れてしまうけど、もう少しだけ旅気分にひたっておきたい。そう思って、数少ない普通列車で福島方面へ向かうことにした。言うまでもなくこの区間は難所として数えられる場所だが、かつてはスイッチバックを繰り返しながら電気機関車が客車をえっちらおっちら引いていた。いまでは信じられないことだが、わずかばかりの名残として峠駅では、峠の力餅の駅売りがある。そんな場所なので景色も抜群、汽車旅にはもって来いのところだ。この区間は地元利用者もほとんどなく、極端に本数の少ないところだったが、今回はうまくタイミングを合わせることができた。山形方面からの接続を待って、普通列車は福島へ向けて出発した。
沿線の景色は最大のおかず…なんてことをよく言うが、贅沢にお弁当をほお張りながら、ひそかに満足感を感じていた。やがて福島に到着、ここからなら、さらに新幹線の本数が増えるが、もう少しだけ普通列車で先へ進むことにした。とはいえ、ロングシートの味気ない車両ばかりで、結果的にはただ満員電車の中で爆睡してるだけになってしまった。もちろん、最後まで"下"でいくつもりはないので、ここ郡山から新幹線に乗り換えることにしよう。