■旅日誌
[2010/3] 名残惜しき、北陸・能登~天使のゆりかご
(記:2010/3/27 改:2021/8/8)
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残念ながら、今年の春のダイヤ改正でも夜行列車が引退することになりました。今回は首都圏と北陸地方を結ぶ北陸号と能登号、利用率や車齢など単純な問題ではなかったようですが、もうひとつ同じタイミングで大糸線の北半分を走るキハ52も引退することになり、皮肉にも注目を浴びることになってしまいました。当初、惜別目的の北陸遠征は考えていませんでしたが、別の目的で構えてた日程をアレンジして急遽まわってみることになりました。それとひとつ、最後の最後に思わぬサプライズに遭遇することになります。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
仙台、IBEX3189、小松、金沢、能登
今度のダイヤ改正では寝台特急北陸と夜行の急行能登が姿を消すことになった。それともうひとつ、大糸線の非電化区間を走るキハ52という車両がひっそりと現役を退くという。毎度ながら、その筋の方々を中心ににわかに騒がしくなってきていたが、できれば1回くらい静かなところで見守りたいとは思っていた。しかし、うまいこと都合がつかず、かといって上野駅のような喧騒の渦の中へわざわざ出向くのも正直言って気が引けていた。そんな中途半端な状態でいたときに、ひとつ暖めていたネタをふと思い出し少しアレンジを考えているうちに、やっぱり行こう!と思い立ち、急遽行動に移すことにした。
寝台特急・北陸
そのベースになってる"ネタ"に少し触れておくと、去年の秋口にIBEXというエアラインが新しい機材(CRJ700)を導入し、乗り物好きとしても惹かるところがあり、ぜひ一度と考えていた。また別のところでは去年の年末に富山地鉄市内線(路面電車)が環状運転をはじめたため、いつものように新線開業=完乗タイトル防衛戦という強迫観念に駆られ、この2つを抱き合わせるべく仙台→小松→富山というスケジュールを描いていた。IBEXが導入したCRJ700の方は仙台から小松や広島へ就航しており、1日目に小松へ出て翌日富山へまわると余裕でこなせる日程が組める。ただ、冬の時期の北陸地方は天候の影響を受けやすく、週末にひょいと富山へ出掛けるのは考えもの…。特に富山空港の欠航率が高く、JR特急も運休することは珍しくない。そう思って実行に移すのは春先、桜が咲く頃と考えていたのだが、3月のダイヤ改正での引退話が確定的となり、そいつらを取り込めないかあらためて検討してみたところ、意外とうまくつながることが判明。雪など荒天による足止めリスクは拭い切れないが、そこは運を天に任せるくらいの気持ちで、日付的にも最後のチャンスとなるこの週末を狙っての遠征となった。
急行・能登
というわけで、まったくそのつもりはなかったはずの上野駅へ来てしまい、早朝の急行能登と寝台特急北陸のお出迎えをしてしまった。上野駅地下ホームへ向かうと、既に能登号は到着しており、引退前最後の週末ということもあって、案の定多くの人でごった返していた。それにしてもこの年季もん、よくもまぁ走り続けているものだと感心するばかりだ。しばらくして北陸号も到着、見るからにそのどっしりとした存在感を漂わせている。列車から降りてくる人と待ち構えていた人と入り乱れて、ホームは賑やかになっていた。そんな様子をしばらく見守っていたが、やがて両列車とも引き上げていった。後姿を見ていると、昭和がまたひとつ去っていく感じがした。
青葉城跡
でもって、上野からは何を思ったか、スーパーひたちに乗って一路仙台へ向かう。オリジナルのスケジュールだとお昼頃の新幹線で北上するつもりだったが、上野駅に朝早くいたので、ちょっとのんびり気分で在来線の旅を楽しむことにした。(余談:新幹線に比べると、多分3倍近い時間がかかってるはず…。)以前、この列車に乗ったときは平日だったせいもあってかえらく混んでいたが、週末なので臨時停車した水戸の偕楽園を過ぎてしまうとぐっと人の数も減り、終始車内は落ち着いた雰囲気だった。空模様はというと、いまひとつぱっとしない状態が続き雨が降っていてもおかしくない状態だったが、時折見える太平洋も心なしか寒々して見えた。今日は途中いわきでの分割は行わずこのままフル編成で行くとのことで、最後までゆったりと過ごすことができた。やがて、仙台へ到着、乗り継ぎに時間があるので、少しを離れてみようと思う。
青葉城跡
時間があるとはいえ、そんなに遠くまで行ける余裕はないので、思いつきだったが仙台城跡へ行ってみることにした。駅前からは市内観光に便利なバスが出ており、まずは1日乗車券を購入しておく。るーぷる仙台という名前の付いたバスに乗り20分程移動して目的の場所へ到着、大きな鳥居をくぐってしばらく歩いていくと伊達政宗公の大きな像があり、その先には仙台市街が一望できる。仙台城=通称:青葉城は山の上部の敷地を使った典型的な山城である。時代は移ろいで東北随一の都市に発展した仙台は近代建築物が溢れているが、歌にも出てくる広瀬川の河岸段丘のてっぺんからあたかも手中に納めるがのごとく見えるのは、今も昔も変わらない。きっと君主と呼ばれるお殿様たちもこの眺めを見てそう思ったようにも思えてならない。そんなこんなで隣接する博物館へ行って在りし日のお城を再現したCGを見たりしてるうちに時間は経ち、適当なところでこの場所を後にした。
IBEX・CRJ700
1日乗車券を使って帰りもるーぷる仙台を利用、もう1ヶ所くらい途中下車したいところだったが、そのまま仙台駅へ戻ってきた。今日はこのまま仙台に留まるつもりはなく、別の目的でもあったCRJ700に乗るために仙台空港へ移動する。前回は、開通直後の乗りつぶしも兼ねてわざわざ仙台アクセス鉄道に乗りに来たような格好になってしまったが、まさかこんなにすぐに2度目が来るとは思わなかった。そのCRJ700だが、高知の胴体着陸など何かと話題の多いカナダのボンバルディア製で定員50~100人くらいのジェット機を指すリージョナルジェットというカテゴリーに分類される。従来ジェット機というと一番小さくても120~130人くらい、大きいと500人超なので、規模はまったく違う。定員が少ない分、便数を増やして搭乗機会を増やしたり、あるいは地方の都市間を効率よく結ぶのに適しているというわけだ。また、短距離用途に使われるプロペラ機とも一線を画している。
IBEX・FW3189便・小松行き
このIBEXという一般にはあまり耳慣れない会社だが、親会社はコンピュータソフトをつくってるJDL、物流会社の鈴与が静岡空港をベースにFDAを立ち上げたのは記憶に新しいところだが、さらに異色のエアラインである。最近のIBEXはANAとの業務提携を強めニッチな市場をターゲットとしており、「ANAコネクション」という言葉をよく使っている。これまでも50人くらいのCRJ200シリーズを使って地方を結ぶ路線を飛んでいたが、去年80人クラスのCRJ700を導入したところには、ひとつの戦略を感じる。先のFDAとJAL系の子会社J-AIRではエンブラエルというブラジルの会社の飛行機=E170を導入したが、これも同じように時代の流れといってもいい。さらには、FDAの3号機ではひとつ上の80人クラスのE175を導入しJALが撤退した地方線を引き継ぐようだし、他方、三菱が国産機で飛ばそうとしているMRJも同じく70人クラスと90人クラスのラインナップを目指してるという。世界に目を向けると、実はボーイングでもないエアバスでもない、勢力が確実に数を伸ばしていて、ようやく日本もその流れが見えはじめたように思う。
FW3189便の機内の様子
運用効率がよいということは維持コストも低く押さえられ、ついでにいうと環境負荷も低減できるというメリットもある。飛行機の世界でもダウンサイジングは時代の流れであって、なぜ日本がその流れに乗り切れてないのかというと、理由はひとつ、"羽田の縛り"にある。離着陸回数に限界があるため、小型機の乗り入れが許されておらず(一部の離島便を除く)それが大きく影響している。ところが4本目の滑走路がもう間もなくできることで、この縛りが緩和されるのではないかとみられ、そうすると50~100人乗りのリージョナルジェットが俄然注目されることになる。ところでCRJ700に乗った感想だが、第一印象は狭い、でも座ってしまえば全然気にならない…といった感じ。まぁとにかく、新車といっしょでピッカピカの新しい機材はいいものだ。仙台空港を離陸し、夕暮れの雲海の上を飛んでいると偶然にも真横を並走する機影が目にとまり、10分くらい続いただろうが、しばらく幻想的な風景を眺めていた。
FW3189便の機内の様子
小松へ向け雲の中を降下しているうちに日は暮れてしまい、気がつけばすっかり夜になっていた。1時間半ほどで小松空港へ到着、オリジナルの予定ではそう遠くもない温泉にでも…と思っていたのだが、今回はまだやり残したことがある。このまま空港にいても仕方ないのですぐに出発するバスに乗って小松駅へと向かう。さすがにこの時間ともなると気温もぐっと下がってくるのが分かった。小松駅からは北陸線の普通列車金沢駅へ移動し、ここでしばらく時間に余裕ができたのでゆっくりと晩飯にでもする。そうだなぁ、やはり海のものがいいかな?などと思いつつ、ちょっとだけ贅沢な時間にひたる。金沢駅は新幹線を受け入れることを想定して大きく作り変えていたが、準備は着々と進んでいるようだった。なんとなく心のどこかでは、今回廃止となる2列車引退は新幹線と引き換えかな?と想像していたが、こんなに早く役目を終えるとは想いのほか意外だった。特に北陸はそれなりに利用者もいると聞いてたけど、能登の成績があまり振るわず、結局2つペアでJR東日本とJR西日本で車両を持ち合ってたこともあり、一度に幕引きとなったことは容易に推測がつく。とりあえず、能登は臨時格下げでしばらく残ることにはなっているが、あのボンネット型の車両が使われることはもうない。さらに悪い話をするなら、過去の例を見ても分かるように季節運転に格下げされた列車はことごとく完全撤退の道を歩んでいる。いずれにせよ、写真でした見ることのなかった金沢駅での姿を実際に目にする機会ができたので、しっかり見届けておきたいと思う。
寝台特急・北陸/急行・能登 急行・能登
今朝の上野駅も想像以上に多くの人でごった返していたが、こちらも大して変わらない感じになっていた。ここ金沢では出発を待つ上りの北陸能登横並びになり、その絵面がお目当てというわけだ。それを承知した上で、駅ホームには撮影ポイントを印したマークが出ていた。この2列車の出発前にちょうど日本海が通り過ぎるのだが、こうして夜行列車が行き交うこと自体珍しい光景になってしまい、なんとも寂しい限りである。能登に引続き北陸が入線してくると金沢駅構内は一段と熱を帯びてきた。出発前のわずかばかりの時間ではあったが、往年の朋友の姿を記憶に留めてこの場をあとにする。22時をまわり、最初に能登が出発し続いて北陸がすぐ後を追うのだが、明日のことを考えて遅い時間でもいいから富山まで移動しておきたい、、、となれば、どうせならこの能登に乗ってしまえ!ということで記念用に指定券を確保しておき、郷愁漂うあの走りを体感しておくことにしていた。実は能登に乗ることは当初予定にはなかったのだが、いい機会になったかなと思う。ちなみにグリーン車も普通指定席もほぼ満席、しかし自由席には若干の余裕があったようだ。漆黒の闇の中、座下のモーター音に身を任せ、どこか懐かしい空気を感じながら1時間ほど走ったあと、名残惜しい気持ちを抑えつつ富山で下車する。一段と冷え込んだホームに降り立ち、すぐ後ろからやってくる北陸号を見届けて、波乱の移動だった一日の締めとした。
寝台特急・北陸/急行・能登 寝台特急・北陸
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
富山、大糸線、南小谷、富山地鉄・市内線(セントラム)
さて、昨日の謎の移動後、富山に投宿し今日もまた予定を練り直して行動することにする。当初は金沢から富山へ移動する途中、氷見へ寄って地元飯でも…と考えていたのだが、折角北陸まで来ているので、もうひとつ今度のダイヤ改正で姿を消す大糸線キハ52をひと目見に行くことにした。富山まで移動しておいたので、今朝はそれなりに余裕がある。あまり期待してなかったが、朝食には地のものがふんだんに使われていて、ちょっと得した気分になる。まずは富山発の普通列車糸魚川へ向かう。1時間ほどしてたどり着くと、既にそれらしき方々ではいっぱい、、、取り壊しが決まった赤レンガの建物をみたりしながらお目当ての列車を待っていたが、冷たい雨と風が体力を奪っていく。そんな感じで少々粘ったおかげで、無事にキハに乗って着席することができた。(後日談:その糸魚川駅のシンボルだったレンガ車庫ですが、北陸新幹線の工事によって解体されてまいました。北陸新幹線に乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
糸魚川駅
大糸線南小谷を境に様相が一変する。南側の区間は新宿から直通する特急も走っていたりとそれなりにハードもソフトも充実しているのだが、JR西日本が受け持つ北側半分は非電化となり険しい地形が待ち受けている。特にその名前とは裏腹にり暴れ川で有名な姫川は甚大な災害を引き起こすことも珍しくなく、長期にわたって不通となったのは記憶に新しいところだ。今日はその北側を糸魚川から姫川に沿ってを上っていく。そんな厳しい条件の中、老体にムチを打ちながら細々と走り続けたキハ52がとうとう引退することになった。そんな話を聞くと擬人化したくなる気持ちも分からないでもない。当然、この区間を走る列車の本数もそんなにあるわけでもなく、それでも運よく糸魚川南小谷間を1往復するスケジュールが組めたので、最後の乗り納めをしておくことにした。(後日談:このキハ52ですが、いすみ鉄道で運行されることが決まったようです。)
糸魚川駅
押し迫ってのことなので同じようなことを考えるやからも多く、いつもと違って2両連結しての運行らしい。糸魚川を出発してしばらくすると、そのうち雨もとなっていた。骨董品のような車両は唸りを上げて、山の中へと分け入っていく。気がつけばすっかり真冬の様相になってしまい、あらためて自然の厳しさを感じる。風光明媚というより、険しい山々の姿に目を奪われる。こんなコンディションだというのに沿線で撮影されてる方の姿も多く、本当にご苦労様なことだ。大糸線のこの区間には過去にも利用したことがあるが、普段では有り得ない程の混みようだ。降りしきる雪の中、1、2分の遅れ程度で南小谷へ到着。1本落として次を待ちたい気持ちを抑えつつ、慌しくこのまま折り返していくことにした。(後日談:その後、大糸線を再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
大糸線・キハ52
糸魚川へ戻り、後ろ髪を引かれる思いを抑えて再び富山へ向かうことにする。南小谷からそのまま南下して帰ってしまうと、もともと計画して2つめの富山の路面電車の乗りつぶしが果たせないで舞い戻らなければならない。というわけで、往路をまったく逆にたどって富山駅まで戻ってきた。最近、地球に優しく、人にも優しい乗り物という点でライトレール(LRT=路面電車はその代表選手)が見直されてきている。よく、富山は引き合いに出されるが、コンパクトな街づくりを目指して、富山港線を廃止してポートラムという路面電車に作り変えたのは記憶に新しい。便数も増え利便性が上がったことにより利用者も増えたとかで、実際には通学の足として、買い物など普段の足として、そしてお年寄りなど交通弱者の味方にもなったといわれている。今回は富山地鉄の市内線の一部をショートカットするような形で結ばれた環状線の初乗りを果たすことにしている。
大糸線・キハ52
とりあえず、富山駅前環状運転する便を待つ。この区間便にはセントラムという愛称がつけられた真新しい低床車で運行されることになった。運賃は一律200円で、他区間への乗り継ぎも考慮され、文字通り人にもやさしい乗り物として受け入れられたようだ。雨の中、早速やって来た便に乗り込みまずは1周しておくことにする。丸の内駅から先、大手モール方面へは単線となって既存の路線から別れるのだが、足元もおぼつかないお年寄りがよたよた降りようとしてたところ、近くにいた一見とっぽい(?)兄ちゃんが大声で「待って、まだ降りる人いますよ!」と運転手さんに知らせていた。何気ない場面だが、いまの日本に必要なのは、ダムでもなく高速道路でもなく、こういうことだと思う。やはり、新しいものはいいな…というのが正直な感想だった。
大糸線・キハ52
あっけなく1周してしまい、終わってしまえばこんなもんかなと思う。新幹線がやって来て富山駅も大きく変貌したところで、ポートラムを乗り入れる構想もあるということだが、大いに期待したい。(後日談:その後、ポートラムと直通運転が開始されました。延伸開業時に再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)ところで、昨日、仙台から小松まで乗ったCRJ700とこのセントラムだが、何か共通点があるような気がしてならない。これからの日本を考えると「コンパクトな社会」はひとつのキーワードだと思うのだが、交通行政もそれに合わせて人にやさしく、そして地球にやさしい方向を目指すべきだと思う。素人考えなので、本当にそれで合ってるか分からないが、身の丈にあった姿を目指すというところはすごく大事なことのように思えて仕方なかった。
大糸線・キハ52
もう少し天気がよければ街中を歩いてみてもよかったが、残念ながら雨は止みそうになかったので空港まで移動してしまおう、、、中途半端な時間のためかバスはがらがらの貸切状態だ。富山空港に来るのは2度目、ちょっと遅いお昼でもとりながら時間をつぶすことにする。何気なく運行状況を調べてみると、、、ありゃぁ、東京からの便は視界不良で引き返しあるいは小松へダイバートの可能性あり、という条件付きらしい。とにかく、足止めだけは勘弁願いたい。ラウンジに入ってしばらくたつと、心配していた東京からの便は無事したというアナウンスがあった。早速手続きを済ませ、いつものように乗り込むと意外と席は埋まっていた。B767という比較的大きな機種だったが、着席率は悪くない。ほぼ定刻でドアクローズすると、早速機長の挨拶が入る。「お休みの方には大変申し訳ございませんが、機長の山形がコックピットよりひと言ご挨拶いたします。優秀な地上スッタフと皆様のキビキビとした行動のおかげで無事定刻に出発の準備が整いましたが、東京・羽田管制の指示で出発をしばらく見合わせております…。」なんだかよくしゃべる機長さんねぇ~、、、う~ん、確かに!!となりの席のおばちゃんも異変に気がつたようである。
富山地鉄・市内線
ANAにそういう方がいらっしゃるというのはどこかで聞いたような気がしするのだが、単なるウワサか、都市伝説くらいにしか思ってなかった。ところが、、、どうやら、この便でその伝説の機長に当たったらしい。(余談:「ANA 山形機長」でぜひ検索してみてください。)地上の灯りは春を待つ花々のようだとか、自分のところの全日空のスッタフを世界一優秀だといってみたり、でもそれが嫌味じゃなく絶妙な喋りが何とも客の心を掴んでいるようだ。「天使のいたずらにより時折揺れることがあるかもしれませんが、ぜっ・・・・・・たいに安全ですで、どうかご安心ください!」この5秒くらいの合間も決まり文句らしく、単に面白おかしく話をしてるだけではなく完璧なパニックコントロールだったというのもあとで気がついた。
富山地鉄・市内環状線、セントラム
でもって、サービス精神以上にすごかったのはその技術。最近、すっかり飛行機マニアと化してる自分も偉そうに書いているが、今回ばかりは久々に興奮を覚えた。冬の富山空港といえば欠航率も高くいわゆる"難所"、この日も降りれない可能性があったのは既に書いた通りだが、オンタイムで到着、折り返しの羽田便もほぼ定刻でドアクローズ、、、と、ここまでは、ふ~~んと言ったところ。B6という大きな機種なのに、いきなりスタンィングテイクオフ気味に、スタート位置でエンジン出力を上げ、パッとブレーキをリリース、一気に加速してスーッと上昇悪天候の中を少しでも安定させて抜けようとするのが想像できる。と、ここまででも、へぇ~~やるじゃん!くらいなのだが、本当に驚いたのはそのあと、、、水平飛行に入って再び名物アナウンスが始まり、途中から耳を疑うような発言が…。今日の羽田は横風が強くハンガーの影響で気流が乱れ大きく揺れるかもしれない、だから隣の離陸用の滑走路をリクエストしてます…って、えぇぇぇ!!まさかC滑走路の34Rを着陸に使うってこと??確かに機長の判断でリクエストしてもいいことにはなっているが、まだ離陸機も空いてもない混雑時にそんなのアリ?って感じだ。本当かな?って半ば疑っていたが、上から見る海ほたるの角度がいつもと違ってるのが何となく分かった。機内のスクリーンを見ても間違えなくC滑走路めがけてアプローチしている。最後に、来るぞ、来るぞ、、、って感じでタッチダウン、路面のコンディションが悪かったせいでブレーキングでかなり振られたが、機体をうまく押さえ込んで減速。実は、管制から航行速度の減速を指示されてたとも言っていたが、オンタイムでいく、と妙に自信ありげでどこに勝算があったのか?と後で考えてみると、34Rに降りたおかげ目の前はANAのある第二ターミナル、なのでタキシングしてる時間は最小、おまけに出口に近い60番スポットに入れましょう!というわけであっという間にスポットインとう段取りが成立した。そこのけ、そこのけ…と言わんばかりに離陸機を蹴散らしすのも気分が良かったが、管制も山形機長だということが分かっていたのだろうか?おかげでこんなコンディションにもかかわらず6分の早着となった。しばらくして考え直してみると、あとから気づくことばかりで、そういうことだったか…と舌を巻くばかりだった。いやぁ、あっぱれ!!
富山空港 富山空港
喋りの最後には必ず一句詠んで締めるのがお決まりのようで、この日も4句くらい披露されていた。機内は笑いあり、拍手ありの和やかな空気となり、そんなのドラマの中だけだと思っていたが、本当にあったんだ!ということが分かった。最後にボーディングブリッジからコックピットの様子がチラッと見えたが、白髪のダンディーな紳士がこちらに向かって両手で思いっきり手を振っていた。(後日談:後から知りましたが、これもうわさ通りでした。)この山形機長だが、いったん定年退職されたあと、厳しい試験にパスし見事復活されいまだ現役を続けているという。あちこち公演などにも引っ張りダコだというのもよく分かる。山形機長の便に乗れただけでも貴重だというのに、34Rへ下ろしてもらったりと、波乱の2日間の締め括りにふさわしい前代未聞の感動もののフライトになった。
富山空港での昼食