■旅日誌
[2003/6] 梅雨の中休みを期待して
(記:2003/7/12 改:2021/9/18)
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何週間か前に、外出ついでに何となく金券ショップをのぞいただけなのですが、新宿-松本間のきっぷをついつい衝動買いしてしまいました。というわけで梅雨の真っ只中ではあったのですがぷらっとお出掛けすることにしました。正月休みとGWを除けば土日続けて休めたのは今年に入って2度目か3度目だったので、ここを逃すと次いつ休めるか分からない気もして無理してどこかに出掛けることにしました。それにしても何のための衝動買いだったのでしょう?
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
あずさ、松本、高山
山手線で新宿へ向かう途中に何か妙なものを感じていた。何だか知らんがカメラ小僧の姿が駅を追うごとに増えてきていた。その手の情報には疎かったので何が起こるのかよく分からなかったが、新宿駅に着いてその答えが分かった。「なつかしの165系急行アルプス復活運転」といったような看板が掲げられ、セレモニー会場が設定されていた。時刻表をめくればすぐに分かることだが、何しろ思いつきで出掛けようと決めただけで、今朝も適当な時間のあずさに新宿から乗ることだけしか頭になかった。なので、まったく気がつかなかったわけだが、気がついたところでそいつの指定がとれるわけでもないし、正直、何も今日じゃなくても…と思ってしまった。比較的朝早く家を出たのだが新宿駅の中央線の特急用ホームは既にその筋の方々で混雑し始めていた。8時ちょうどの(笑)右のスーパーあずさは既に席がふさがっていたので、左側に停車していた臨時列車に乗って早々にこの喧騒から逃れることにした。2分後を追いかける臨時あずさはまったくのガラガラで、自分の乗った自由席車両には10人も乗っていなかった。
あずさ
車両更新も一通り済んだので、このような臨時便にも更新車が運用についていた。そういえば、薄水色の元特急用の車両がちらっと見えたが臨時快速で使われているようだ。仕方のないことだが土曜とはいえこの時間の特急列車は在来の快速に頭をおさえられノロノロ運転を強いられていた。2分前のスーパー…も似たようなペースなのだろうか?最初の停車駅の八王子で10~20人ほど乗り込んできたが、全然席に余裕がある。大きなお世話かもしれないが、車内販売もこれでは仕事のやる気も失せるだろうと思ったが意外にもこの車両に限っては8割方の人が何かを買い求めていた。今朝も未明から雨が降っており、甲斐路もずっと雨模様である。なぜか中央線に乗るときは天気が悪いことが多く、西の方では大雨の予報が出ていた。こんな状態でアルプス方面を目指すのも何となく落ち着かないものだった。
しなの
松本駅に降り立つと、やっぱりこちらでも、なつかしの165系…のセレモニーが準備されていた。だが少し違うのは大糸線・普通列車の出発式となっていた。のコンコースでは使い古されたプレートやら車両の部品やらの展示即売会が行われていた。早々に新宿を発ってしまったので、高山行きのバスまで随分と時間がある。食事の時間を差し引いても1時間以上あったので、少し街歩きして松本城を見に行くことにした。幸いにもカサは要らないようだ。いわゆる山城ではなく、敷地も思ったほど広くはなかった。ふと足元を見るとお堀には巨大なコイが泳いでいた。お城に登ることも考えたが、時間がギリギリになっても困るのでここはパスとさせてもらった。
松本城
安房トンネルのおかげで松本から岐阜方面へ抜けるルートがひとつ増え、人と物の流れに影響が出たと何年か前に聞いたことがある。そういえば乗鞍スカイラインを車で通ったことがあったが今ではマイカー規制がかかって乗り入れることができなくなっている。賛否様々な意見があると思うが、これくらいの規制は仕方ないのかもしれない。安房トンネルの開通と同時に松本高山を結ぶ直通バスが設定されたことは記憶にあるが、座席予約が不要になったことは最近知った。もっとも今日はシーズンのピーク時ではないのでそれほど混雑はしていない。窓口でやや高めの切符を購入することになるが、しばらくPCをいじった後に「では、1万1千、、、」などととんでもない金額を求められた。思わず「えっ??」と聞き返すと「回数券じゃないんですか?」と返事が返ってくる。もちろん、こちらは回数券なんて一言も言ってない。「では、長野までで、、、」再び「えっえっ???」と聞き返す。おいおい、誰も長野に行きたい、なんて言ってないぞ!!噛み合わない会話の末、無事に高山までの乗車券が購入できたが、虚しく何枚ものミスプリ発券をさせてしまった。
高山・陣屋
松本電鉄沿いの国道は以前車でも通ったことがあったので、結構記憶に残っていた。新島々でもそのときと同じように白くペイントされた元井の頭線が停留していた。ここから山岳コースに入っていくわけだが、大型の観光バスタイプの車両は右に左にと大きく揺さぶられ、時折大型バス同士のすれ違いともなると、カーブを避けてお互い譲りあうような光景に何度も遭遇した。雨が降ったり、時折日が差したり、ガスがかかったりと山の天気は目まぐるしく変化していく。霞のようにガスのかたまりが、こちらの目線に近い高さでところどころに出ていた。何箇所かあるダムの水面には水蒸気が漂って幻想的な風景のところもあり、山道はとても変化に富んでいた。平湯で途中休憩が入り高山に到着したのも定刻ぴったりであった。
高山
梅雨どきではあるが、今が1年で一番昼間が長い時期のため、時間に追い立てまくられるようなこともなく高山の町中を散策してみることができた。最初に立ち寄った陣屋の近くで、そろそろ来るかな?と覚悟していたまさにそのとき「シャッターお願いします」攻撃を受けることになる。まぁ、観光地ですからね。(笑) をれにしても、わざわざ「古い街並み:×××メートル→」のような看板があちこち出ているのにはどうも違和感を感じてしまう。だが、そういう自分もその看板をみてウロウロしてるわけなので目くじらを立てるようなことはしないでおこう。まぁ、観光地ですからね。
高山
夕どきは近かったのだが、小腹が空いてきたので"高山ラーメン"と言われるものを試してみることにした。自覚症状はないのだが、どうもご当地ラーメンと聞くと試さないわけにいかなくなる。(笑) 高地=日本そばというイメージが強いが、聞くところによると高山近辺は「そば」というと中華そばつまりラーメンを意味し、年越しそばもラーメンだという噂を聞いたことがある。それほどラーメンが好まれる土地柄だということのようだが、某所で有名になったお店を訪ねてみることにした。魚のダシがきいたどこか香ばしいしょう油ベースのスープと細めの縮れ麺の組み合わせはとても印象的で、記憶に残る味のひとつになりそうだ。(後日談:その後、随分あとに高山を再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
神岡鉄道、高岡、万葉線、金沢、北陸鉄道石川線、小松
5時ちょい過ぎにセットした目覚ましで起床した。定石どおり旅の朝は早い。今日は、1番難易度が高い神岡鉄道をメインに考え、朝一の高山線の下りに乗るのが都合いいとふんで、勇んで早起きをしていた。始発に乗り込み出発を待っていると、早朝にも関わらずどやどやとおばちゃん軍団ご一行様がやってきて妙に賑やかになった。帰りの切符を無くしただとか、○○さんはどうして来れなくなったのかなど、"やっとかめだなも"的なイントネーションでの会話が飛び交っていた。物騒がしさにも何となく慣れてきた頃、車窓の風景は山岳コースのものへと変化していた。昨日のバスから見た風景を思い起こさせられたが、雲ともガスともいえない水蒸気の塊が山々の中腹に漂っている渓谷美とのコントラストがまた美しい。
高山線
1時間程で猪谷に到着した。西日本と東海の境界に当たる駅で、西日本の車両の富山行きキハが乗り継ぎ客を待ち構えていた。入替えで上りのひだがやってくる。そういえば昔この筋に乗ったようなこともあった。いうまでもなく神岡鉄道は3セク転換路線で営業距離が20キロにも満たない程の小さな路線である。保有車両も<小振りのレールバス2両だけで、1日数往復しかない。そこだけ見ると、よくもまぁ潰れないでいられたものだと思ってしまうが、神岡鉱山から搬出される硫酸の輸送など貨物輸送の需要の占める割合が大きいという。とにかく、そんな感じなのでただ往復するだけでもスケジュールを組むのが難儀で今まで未乗で残っていた。
奥飛騨温泉口駅
前にも書いた通り貨物輸送があるため、猪谷駅ではJRとの渡り線がしっかりと存在している。川沿いに左にカーブを切ると早速トンネルへと入っていく。険しい地形の中に敷かれた路線の宿命かずっとトンネルの連続で、奥飛騨の地下鉄と揶揄されるくらいだ。歴史的にも神岡は優良鉱山として名が通っており、また最近ではノーベル賞の小柴教授で有名になったところでもある。茂住駅はそのカミオカンデの最寄駅であるにも関わらず、どうみても秘境度満点の駅であるから面白い。そんな感じでどの駅も当然のように無人駅なのだが、七福神をあしらったモニュメントがなんとも印象的だった。中心駅ともいえる神岡鉱山前駅にはJRの貨車が停留されていた。引込み線が鉱山に向かって延びているのだが、地形の関係で先がどうなっているのか見えなかった。険しい山中の路線を行く貨物列車は被写体として人気が高く、いい絵になるであろうことはすぐにうなずけた。(後日談:その後、この路線は2006年12月に廃止となりました。秘境度の高いところをいく路線でもあり、毎度ながら残念でなりません。)30分程して終点の奥飛騨温泉口駅へと到着した。最近建て直されたのだろうか、大きめの待合室のある立派な駅舎を抜けて外に出ると、現役を退いたDEがどんと鎮座していた。駅名は温泉口といっているが本当の温泉場はここから何十キロも先にあるのでバスへの乗り継ぎ拠点のようなものだ。確かに秘湯というのは不便なところにあってこそなのだろう。
神岡鉄道
猪谷まで引き返し、途中富山空港へ降り立つ飛行機を見ながら高山線をもう少し北上して富山まで出てきた。富山には何度か立ち寄ったことがあるがなぜか富山地鉄にはまったく触れたことすらない。いつかはやっつけに来なければならないと思っているところでもあるのだが、今回も残念ながら素通りだ。ということで北陸線に乗り換えこの先を目指すことにする。どう見ても普通列車より特急の方が本数が多いと感じてしまうのだが、まぁ適当なタイミングで普通列車だけ乗り継いでいくことにしていた。まずは高岡へ立ち寄る。廃止の危機にさらされていた万葉線も第三セクターでどうにか存続して営業されている。いわゆる路面電車ではあるのだが、ところどころ専用軌道になったり、大きな川も跨いだりと変化に富んだ路線といえる。基本は単線なので電停で上下交換されるようなことにもなる。ダイヤからも分かるように通学の足としての役割は大きいようだ。日曜のお昼前の閑散としたところで終点の越ノ潟までを往復する。(後日談:越ノ潟からフェリーで対岸へ渡ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
万葉線
ふたたび北陸線で今度は金沢まで移動する。まだまだこの先もこの仏頂面の普通列車は頑張るのだろうか?途中、意外にも長い距離にわたって北陸新幹線の高架が完成していたのには少々驚いた。余程の突貫工事でもない限り、計画的に造らなければならないので当り前だとは思うのだが、フル規格の新幹線の高架には圧倒されてしまう。金沢駅も着々と新幹線の受入れ工事が進んでおり、刻々と変わっている写真がパネルとなって紹介されていた。駅の南側はかなり大掛かりな工事が行われており、完成すればびっくりするほどの立派な駅構えになるのであろう。そういえば浅野川線の発着もいつの間にか地下ホームになったようだし、新幹線の与える影響がいかに大きいかそんなところからも分かった。(後日談:開業後の北陸新幹線に乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
高岡駅
そんな感じでバスの発着場所もあちこち動かされているようだが、狭苦しいところから野町駅行きのバスを探して乗り継ぐことにした。直前にざっと調べてはみたもののバスで野町駅まで行けるという情報がキャッチできずどんなもんかと思っていたが、1時間に2本も出ていることが分かってホッとした。(余談:野町まで行くバスはない、と言い切ってたサイトもありましたが…)香林坊などの繁華街を通過し、犀川を渡った先に北鉄石川線野町駅はあった。次の加賀一の宮行きまでしばらく時間があったので、近くをうろうろしていたら、折り返しの鶴来行きの列車が入ってきた。いつものように(?)見覚えのある元東急の車両ではあるが、これまた面構えがのっぺりと改造されていた。
北陸鉄道石川線
鶴来行きは見送り、次の便までもうしばらく待つことにする。その間にバスが何本か入ってきたが、金沢市内のバス運行システムはかなり高度なもののようで、次の便はどこを走っているかバス停に案内が出る仕組みになっていた。次にやってきたのも正面が改造されていて、結局、途中に停留されていた中にちょっとだけオリジナルな車両がいただけだった。それでも、全車が旧東急のもので、正面以外はほぼ元のままであったのには懐かしさを覚えた。新西金沢駅近くで大きくカーブしている以外はずっと直線の区間が続き、田植えが終わったばかりの新緑の中をとてものんびりと走っていた。まさに第二の人生を悠悠自適に過ごしていると言っていいのかもしれない。昔はまだこの先まで路線が続いていたようだが加賀一の宮で今日は折り返し、これでまたひとつ未乗路線が片付いた。帰りは新西金沢で降りることにする。
北陸鉄道石川線
何しろ1泊2日なのでこの程度だろうという感じはしていた。実際乗りつぶしにあてたのは今日1日だけだったが、こうして非日常に十分浸ることができたので短期決戦もまたありかな?と感じていた。西金沢からみたび北陸線小松まで移動する。ここも最近高架に建て直されたのであろうか、小松駅はかなり立派な駅だった。から路線バス空港に向かうのだが、どんな立派なバスが来るかと思いきや、思いっきり小振りのマイクロバスが止まっていて、逆に妙なギャップに驚いていた。日も西に傾きかけてきていたが、富山あたりからはずっと晴れたままで気温もとても過ごしやすく清々しい気候に恵まれ本当によかった。帰りはもちろん飛行機の利用になるのだが、効率的にまわれるコース取りも見つけられゲリラ的(?)に1泊2日で遠出するのもクセになりそうな予感が十分していた。
北陸線