■旅日誌
[1998/3] みたび関西へ
(記:2003/4/1 改:2022/1/3)
(記:2003/4/1 改:2022/1/3)

今年に入り大阪訪問も3度目になりました。プロジェクトの方も佳境に差し掛かってきていよいよ結果を出すフェーズに突入です。今回は無理やり迂回して寄り道もなかなかできないようなところまで強引に通り道にしてしまっています。乗りつぶしを意識し始めたのも思えばこの頃からだったのかもしれません。
1日目
1月の大雪のときの出張で約束していた、彦根工場訪問の日程調整がついたので出向くことになった。もっと早い時期に片付けておきたかったのだが、気がつけば2ヶ月もたっていた。折角なので大阪の販売拠点にも足を運ぶことにした。そうなると、ついでのついで…といった感じで、要望のあった大阪の別フロアにも面通しさせていただくことにする。とりあえず知り合いを増やしておくことは大事なことなので、いつものように笑顔で出向いて顔を売ってくることを考える。
午後一にフロア入りすればいいので、気持ち余裕があった。そうなると困ったことになぜか遠回りしたくなる。大阪を通り過ぎて環状線で西九条駅まで行き、阪神野田線に乗り換える。地下に潜って近鉄の難波へ接続する構想もあると聞いたが、そうなると姫路から難波を経由して京都、名古屋へ続くルートが理屈上できあがるわけだが、本当にそんなことあり得るのだろうか?さらにもう少し先へ行くために尼崎で本線に乗り換える。ホームで待っていると突然携帯が鳴った。いま大丈夫か?と聞かれ素直に"はい"と答えるが、いまどこにいるのかは正直に明かしたくない。(苦笑) 大した用事ではなさそうだったので安心したが、こうやって追い掛け回されるのはあまり好きじゃない。魚崎で六甲ライナーに乗り換え住吉までやってきた。震災のときには甚大な被害を被ったらしいが、いまでは何もなかったかのように使われている。窓が突然曇りガラスのようになるのは印象に残った。あとは東西線を経由して京橋まで戻り、お昼を済ませることにする。
今日ばかりはついでの訪問だったこともあり、拠点の方とは事務的なやり取りが中心だったが、別フロアの用事の方はそれなりにアピールしてくることができた。下手すりゃ今日はやることがないかも?と思っていたが、そんなこともなく気がつけば十分夕方を過ぎていた。顔を合わせればそれはそれでいろいろ話がでてくるが、結果的に効率がいいのか悪いのかはよく分からない。ともかく、今日はこれで引き上げることにする。会社でとってくれた宿は少し離れたところにあるので地下鉄での移動を考える。折角なので風変わりな路線(後日談:いまじゃミニ車両のリニアモータータイプ路線も珍しくありませんが、当時は風変わりに思えました。)に乗ってみることにした。
午後一にフロア入りすればいいので、気持ち余裕があった。そうなると困ったことになぜか遠回りしたくなる。大阪を通り過ぎて環状線で西九条駅まで行き、阪神野田線に乗り換える。地下に潜って近鉄の難波へ接続する構想もあると聞いたが、そうなると姫路から難波を経由して京都、名古屋へ続くルートが理屈上できあがるわけだが、本当にそんなことあり得るのだろうか?さらにもう少し先へ行くために尼崎で本線に乗り換える。ホームで待っていると突然携帯が鳴った。いま大丈夫か?と聞かれ素直に"はい"と答えるが、いまどこにいるのかは正直に明かしたくない。(苦笑) 大した用事ではなさそうだったので安心したが、こうやって追い掛け回されるのはあまり好きじゃない。魚崎で六甲ライナーに乗り換え住吉までやってきた。震災のときには甚大な被害を被ったらしいが、いまでは何もなかったかのように使われている。窓が突然曇りガラスのようになるのは印象に残った。あとは東西線を経由して京橋まで戻り、お昼を済ませることにする。
今日ばかりはついでの訪問だったこともあり、拠点の方とは事務的なやり取りが中心だったが、別フロアの用事の方はそれなりにアピールしてくることができた。下手すりゃ今日はやることがないかも?と思っていたが、そんなこともなく気がつけば十分夕方を過ぎていた。顔を合わせればそれはそれでいろいろ話がでてくるが、結果的に効率がいいのか悪いのかはよく分からない。ともかく、今日はこれで引き上げることにする。会社でとってくれた宿は少し離れたところにあるので地下鉄での移動を考える。折角なので風変わりな路線(後日談:いまじゃミニ車両のリニアモータータイプ路線も珍しくありませんが、当時は風変わりに思えました。)に乗ってみることにした。
2日目
今日のアポも午後一からだったので余裕がある。となると、、、やっぱり何か考えたくなってしまう。(笑) とはいえ肝心な方に遅刻してしまっては話しにならないので、ちょっとだけ道を逸れるルートがないか探してみた。
新大阪で地下鉄から東海道線に乗り継ぎ、まずは石山駅までやってきた。今日はここにある工場には用はないのだが、なぜかこの駅で下車している自分がいる。ここから信楽へ抜けるバスが出ているのでそれを捕まえることにしていた。最初はそれなりに人が乗っていたが、石山寺付近のいかにも門前町といったところを抜け、気がつけばほんのわずかばかりの人しか残っていなかった。やがてすれ違いもできないほどの道幅になってきて、どこをどう走っているのかさっぱり分からなくなる。時折、集落のようなところで乗客を拾い、タヌキの置物が目立つようになってきて終点が近いことが理解できた。
信楽高原鉄道はいわゆる第三セクターへの転換路線だが、不幸な事故があったことは記憶に新しい。焼きものの町らしく信楽駅はその類のものがたくさん展示されていた。運行本数は決して多いとは言えず少々待たされたが、見込んでた列車に乗り込み先へ進むことにする。最後の1区間だけ駅間距離が妙に長く、だらだらと下り続けている。あの事故があったのもこの場所である。事故は偶然が重なって起きるというが、そう間単に済まされるものでもないと思った。近江鉄道に乗り換え八日市を経由して彦根までやってきた。いうまでもないが、気持ちをお仕事モードに切り替える。
新大阪で地下鉄から東海道線に乗り継ぎ、まずは石山駅までやってきた。今日はここにある工場には用はないのだが、なぜかこの駅で下車している自分がいる。ここから信楽へ抜けるバスが出ているのでそれを捕まえることにしていた。最初はそれなりに人が乗っていたが、石山寺付近のいかにも門前町といったところを抜け、気がつけばほんのわずかばかりの人しか残っていなかった。やがてすれ違いもできないほどの道幅になってきて、どこをどう走っているのかさっぱり分からなくなる。時折、集落のようなところで乗客を拾い、タヌキの置物が目立つようになってきて終点が近いことが理解できた。
信楽高原鉄道はいわゆる第三セクターへの転換路線だが、不幸な事故があったことは記憶に新しい。焼きものの町らしく信楽駅はその類のものがたくさん展示されていた。運行本数は決して多いとは言えず少々待たされたが、見込んでた列車に乗り込み先へ進むことにする。最後の1区間だけ駅間距離が妙に長く、だらだらと下り続けている。あの事故があったのもこの場所である。事故は偶然が重なって起きるというが、そう間単に済まされるものでもないと思った。近江鉄道に乗り換え八日市を経由して彦根までやってきた。いうまでもないが、気持ちをお仕事モードに切り替える。
3日目
最近、新大阪のこのホテルは大阪の定宿のような感じになっていたが、今日は阪急の南方駅まで歩いて出てみた。意外と近い。特に深い意味はないが、今日は福井まで行こうと決めていた。阪急電車を乗り継いで嵐山まで出る。桂から先の嵐山線は単線区間で、見渡すと京都の山々を近くに感じる。各社まちまちの嵐山駅があるようだが、阪急の駅は桂川の南側にあった。朝の日差しと空気を感じながら玉砂利の上をしばらく行き渡月橋を渡る。その先も京都らしい街並みが続く。嵐電の嵐山駅まで多少距離はあったが迷わずたどり着くことができた。ここを走る京福線は路地裏を抜け路面電車のようなところが多い。ガタゴト揺られしばらくゆったりとした時間が流れていく。少し距離はあるが、終点の四条大宮からJRの二条駅まで歩いて出てることにした。高架になった二条駅は見違えるほど立派な駅になっていた。
昨日は近江鉄道を半分かじったような形だったので、今日残り半分をまわってみることにする。近江八幡駅でみんなダッシュしているので、きっと乗り継ぎ時間がわずかだろうと思い自分もダッシュする。切符を買って無事乗り換えることができたが、ダイヤ上は1分しか間隔がないようだった。八日市まで昨日通ったところを逆に進み、しばらく米原方面の列車を待つことにする。ライオンズのロゴをあしらった車両が停留しているので、西武グループだということは傍目にもすぐ分かる。近江八幡駅であれほど慌てさせれたわりに、ここではいい加減待たされた。やはり土曜の午後ということもあってか、乗客の大半は学生だった。いつも新幹線から見下ろしてた並走区間を今日は逆から眺めることができた。新幹線の盛り土のおかげで車窓の景色が悪くなったとひと悶着したという話を聞いたことがあるが、本当なのだろうか?さすがに、米原、彦根まで乗り通す人はいなかったが、途中で支線の1区間だけ未乗で残ってしまうことに気がついた。こういう形で乗り残した区間は、後になって利いてくるように思えてならない。(後日談:やはり苦労しましたが、そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
路線図を見ると米原駅は要所のように思えるが、駅の周辺にはほとんどなにもない。ただ交差する路線や留置線が入り乱れて土地だけものすごく広く感じる。大阪、京都から北陸へ向かうときは琵琶湖の西岸を湖西線でショートカットするが、名古屋から北陸方面へ抜けるには、ここ米原を経由することになる。ただ、西から来た東海道線は長浜まで入ってきて折り返すパターンも多く、実際には東海道線がちょこっと入り込んだ感じといってもいい。交直のデッドセクションもそこにある。新快速を待っていると、SLが煙を上げて入ってきた。走るSLを間近で見る機会はなかなかないが、それにしてもものすごい煙だった。長浜で次の鈍行に乗り換え、ますますローカル色が強くなる。比較的長距離を乗り通す人もいるようで、同じボックスに相席となった強面系(?)の団体さんも腰を据えて宴会を始めてしまった。まぁ嫌な顔をしても仕方ないのでいつものように流れる車窓に目をやっていたら、ひょいとビールを渡されてしまった。アルコールに拒否反応を示す体質でもないし、どんちゃん騒ぎするのもどちらかというの嫌いな方ではないのだが、ちょっと恐そうな初対面の人たちと積極的にコミュニケーションをとる自信はなかった。付いていくだけでも辛い話題に愛想笑いを浮かべ(余談:なので、何を話したかは覚えてません。)その場を過ごすことになる。そのうち皆さんお疲れモードに入り、しばらくして自分は予定通り鯖江で降りることにした。起こさぬようそっと立ち上がったのだがひとりだけお気づきになられてしまい、軽く会釈すると「おぅ…」とだけ低く返事が返ってきた。
鯖江駅から20~30メートル外れたところに福井鉄道の駅がある。駅名の由来は分からないが、"鯖江新"ということになっている。かなり使込まれた車両はモーター音を響かせ田舎道を進んでいく。福井市街に差し掛かると、軌道線となりスピードはぐっと落ちたようだ。バスで用は済みそうだが、地球にやさしい乗り物には違いない。福井駅前まで乗り通す。
昨日は近江鉄道を半分かじったような形だったので、今日残り半分をまわってみることにする。近江八幡駅でみんなダッシュしているので、きっと乗り継ぎ時間がわずかだろうと思い自分もダッシュする。切符を買って無事乗り換えることができたが、ダイヤ上は1分しか間隔がないようだった。八日市まで昨日通ったところを逆に進み、しばらく米原方面の列車を待つことにする。ライオンズのロゴをあしらった車両が停留しているので、西武グループだということは傍目にもすぐ分かる。近江八幡駅であれほど慌てさせれたわりに、ここではいい加減待たされた。やはり土曜の午後ということもあってか、乗客の大半は学生だった。いつも新幹線から見下ろしてた並走区間を今日は逆から眺めることができた。新幹線の盛り土のおかげで車窓の景色が悪くなったとひと悶着したという話を聞いたことがあるが、本当なのだろうか?さすがに、米原、彦根まで乗り通す人はいなかったが、途中で支線の1区間だけ未乗で残ってしまうことに気がついた。こういう形で乗り残した区間は、後になって利いてくるように思えてならない。(後日談:やはり苦労しましたが、そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
路線図を見ると米原駅は要所のように思えるが、駅の周辺にはほとんどなにもない。ただ交差する路線や留置線が入り乱れて土地だけものすごく広く感じる。大阪、京都から北陸へ向かうときは琵琶湖の西岸を湖西線でショートカットするが、名古屋から北陸方面へ抜けるには、ここ米原を経由することになる。ただ、西から来た東海道線は長浜まで入ってきて折り返すパターンも多く、実際には東海道線がちょこっと入り込んだ感じといってもいい。交直のデッドセクションもそこにある。新快速を待っていると、SLが煙を上げて入ってきた。走るSLを間近で見る機会はなかなかないが、それにしてもものすごい煙だった。長浜で次の鈍行に乗り換え、ますますローカル色が強くなる。比較的長距離を乗り通す人もいるようで、同じボックスに相席となった強面系(?)の団体さんも腰を据えて宴会を始めてしまった。まぁ嫌な顔をしても仕方ないのでいつものように流れる車窓に目をやっていたら、ひょいとビールを渡されてしまった。アルコールに拒否反応を示す体質でもないし、どんちゃん騒ぎするのもどちらかというの嫌いな方ではないのだが、ちょっと恐そうな初対面の人たちと積極的にコミュニケーションをとる自信はなかった。付いていくだけでも辛い話題に愛想笑いを浮かべ(余談:なので、何を話したかは覚えてません。)その場を過ごすことになる。そのうち皆さんお疲れモードに入り、しばらくして自分は予定通り鯖江で降りることにした。起こさぬようそっと立ち上がったのだがひとりだけお気づきになられてしまい、軽く会釈すると「おぅ…」とだけ低く返事が返ってきた。
鯖江駅から20~30メートル外れたところに福井鉄道の駅がある。駅名の由来は分からないが、"鯖江新"ということになっている。かなり使込まれた車両はモーター音を響かせ田舎道を進んでいく。福井市街に差し掛かると、軌道線となりスピードはぐっと落ちたようだ。バスで用は済みそうだが、地球にやさしい乗り物には違いない。福井駅前まで乗り通す。
4日目
大阪から北陸まわりで帰るのも変な話ではあるが、まぁそういう物好きな部類なのだから仕方ない。朝、気持ちよく起きて福井駅までちょっと歩く。日曜の朝ということもあり人通りはまったくない。勝手な思い込みかもしれないが、福井駅の周辺は繁華街とは違って目を引くものというか、目立ったものが少ないように感じる。
北陸まわりで帰ろうと思ったのは、1度ほくほく線に乗ってみたかったからでもある。時刻表を追ってみて福井始発のはくたかも設定されていることが分かった。ほくほく線についてはここで詳しい説明も必要ないと思うが、上越新幹線を利用して北陸地方と関東地方をショートカットするために敷かれた路線である。ただ、本命というべき北陸新幹線の存在を考えると、どうしてこのルートが計画されたのかよく分からない節もある。スーパー特急も受入可能な高規格の路線が、千メートル級の山々を一直線で突っ切るルートは豪快だが、さらに沿線が日本有数の豪雪地帯ときたもんで、この鉄道の存在は陸の孤島にあらたな橋をかけたともいえる。
福井駅のホームに上がり、朝一のはくたかを待つ。白い車両がゆっくり入線してきた。早速乗り込み感触を確かめる。北陸線を東に進み、直江津のひとつ先の駅からほくほく線に入る。田んぼの真ん中を部相応とも思える立派な高架が一直線に延びていた。最初気がつかなかったが、単線区間が続いている。ここからが本領発揮、150~160キロ運転にシフトする。弾丸ライナーでトンネルに突っ込み、気圧の変化を強く感じる。ちょっとスピードを緩めたようだが、ガンガン進んでいくのがよく分かった。十日町付近で一瞬開けた感じになるが、他は山の中、トンネルの連続だった。新幹線の接続駅でもある終点の越後湯沢駅にはお昼前に着くことができた。このまま帰ってもいいのだけれども、もう少し寄り道できそうだ。この時期はまだガーラ湯沢行きの列車が設定されていたが、気持ち的にそちらは乗りつぶしの対象にしたくないので無視する。(後日談:ここも無視したはいいが忘れ物のようにずーっと見落としていて、あるときふと思い立ってわざわざ遠征することになりました。旅日誌はこちらです。)
1、2本、新幹線を見送ってMAXの2階部分に乗り込む。ガーラ湯沢始発だったが、ほとんどの車両が空気だけを運んでいた。近くに座った若者は「すげぇー、最高の乗り心地じゃん??」を連発している。確かに眺めはいいが、決して極上の乗り心地とはいえないと思う。どちらかといえば、そういうものは多少犠牲にしてキャパを優先させるつくりになってはいないか?それに、眺めといっても高崎までの区間はほとんどがトンネルなので車窓を楽しもうという気にもなかなかなれない。
そんなこんなで大宮までやってきた。最初からここで途中下車するつもりだったので、大阪から北陸線回りで大宮行きという切符を使ってここまでやってきた。よくある地元への見返りというやつで、東北新幹線、上越新幹線の側道に新交通システムが引いてある。新幹線は図体もでかくあの通りのスピードなのでこちらはオモチャのように見えてしまう。前々から何となく眺めていたので、今回乗ってみることにした。大宮駅のホームは横向きに1面だけしかなく、上から見るとUの字型に左から入ってきて右へ出て行くようなつくりだった。新幹線の傍らを通っているので、壁と逆側の見晴らしはとてもよい。時折ビューんと新幹線が通過していくが、こちらはとてものんびりとした雰囲気だ。終点のホームは2面で交互に発着を繰返していた。特に見るものもないので、そのまま大宮まで戻ってきた。(後日談:その後、鉄道博物館があらたに開業しました。旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)
東武自体あまり馴染みがないのでまったく詳しくないが、大宮から野田線が出ているのでそちらを経由して帰ることにした。外見には分からなかったが、吊り掛け音を響かせて疾走していく。野田線は春日部駅を跨いでその先まで延びているが、そちらには乗ったことがあるのでこれで僅かばかりだが未乗区間を減らすことができた。日曜の午後、春を感じとれるほどのポカポカ陽気の1日が過ぎようとしていた。
北陸まわりで帰ろうと思ったのは、1度ほくほく線に乗ってみたかったからでもある。時刻表を追ってみて福井始発のはくたかも設定されていることが分かった。ほくほく線についてはここで詳しい説明も必要ないと思うが、上越新幹線を利用して北陸地方と関東地方をショートカットするために敷かれた路線である。ただ、本命というべき北陸新幹線の存在を考えると、どうしてこのルートが計画されたのかよく分からない節もある。スーパー特急も受入可能な高規格の路線が、千メートル級の山々を一直線で突っ切るルートは豪快だが、さらに沿線が日本有数の豪雪地帯ときたもんで、この鉄道の存在は陸の孤島にあらたな橋をかけたともいえる。
福井駅のホームに上がり、朝一のはくたかを待つ。白い車両がゆっくり入線してきた。早速乗り込み感触を確かめる。北陸線を東に進み、直江津のひとつ先の駅からほくほく線に入る。田んぼの真ん中を部相応とも思える立派な高架が一直線に延びていた。最初気がつかなかったが、単線区間が続いている。ここからが本領発揮、150~160キロ運転にシフトする。弾丸ライナーでトンネルに突っ込み、気圧の変化を強く感じる。ちょっとスピードを緩めたようだが、ガンガン進んでいくのがよく分かった。十日町付近で一瞬開けた感じになるが、他は山の中、トンネルの連続だった。新幹線の接続駅でもある終点の越後湯沢駅にはお昼前に着くことができた。このまま帰ってもいいのだけれども、もう少し寄り道できそうだ。この時期はまだガーラ湯沢行きの列車が設定されていたが、気持ち的にそちらは乗りつぶしの対象にしたくないので無視する。(後日談:ここも無視したはいいが忘れ物のようにずーっと見落としていて、あるときふと思い立ってわざわざ遠征することになりました。旅日誌はこちらです。)
1、2本、新幹線を見送ってMAXの2階部分に乗り込む。ガーラ湯沢始発だったが、ほとんどの車両が空気だけを運んでいた。近くに座った若者は「すげぇー、最高の乗り心地じゃん??」を連発している。確かに眺めはいいが、決して極上の乗り心地とはいえないと思う。どちらかといえば、そういうものは多少犠牲にしてキャパを優先させるつくりになってはいないか?それに、眺めといっても高崎までの区間はほとんどがトンネルなので車窓を楽しもうという気にもなかなかなれない。
そんなこんなで大宮までやってきた。最初からここで途中下車するつもりだったので、大阪から北陸線回りで大宮行きという切符を使ってここまでやってきた。よくある地元への見返りというやつで、東北新幹線、上越新幹線の側道に新交通システムが引いてある。新幹線は図体もでかくあの通りのスピードなのでこちらはオモチャのように見えてしまう。前々から何となく眺めていたので、今回乗ってみることにした。大宮駅のホームは横向きに1面だけしかなく、上から見るとUの字型に左から入ってきて右へ出て行くようなつくりだった。新幹線の傍らを通っているので、壁と逆側の見晴らしはとてもよい。時折ビューんと新幹線が通過していくが、こちらはとてものんびりとした雰囲気だ。終点のホームは2面で交互に発着を繰返していた。特に見るものもないので、そのまま大宮まで戻ってきた。(後日談:その後、鉄道博物館があらたに開業しました。旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)
東武自体あまり馴染みがないのでまったく詳しくないが、大宮から野田線が出ているのでそちらを経由して帰ることにした。外見には分からなかったが、吊り掛け音を響かせて疾走していく。野田線は春日部駅を跨いでその先まで延びているが、そちらには乗ったことがあるのでこれで僅かばかりだが未乗区間を減らすことができた。日曜の午後、春を感じとれるほどのポカポカ陽気の1日が過ぎようとしていた。