■旅日誌
[1998/9] 最後の全国行脚・東北編
(記:2003/2/7 改:2011/1/3)
(記:2003/2/7 改:2011/1/3)

全国行脚中盤の山場で一気に3ヶ所片づけることになりました。手始めに仙台からです。ついでと言っては何ですが、東北地方で残っていた三セクや中小の私鉄にも手を伸ばしてきました。
1日目
できれば1度の出張で複数箇所を済ませたいのだが、仙台を他の場所と一緒にしようとすると逆に効率が悪くなってしまうので今回は1ヶ所だけにしてある。正確には、東北地区の各拠点担当者が仙台に集まる定例の会議があるので、それに便乗させてもらった。仙台へは新幹線で直行するとあっという間についてしまう。下手すりゃ我孫子とそう時間は変わらないかもしれない。あまりにも便利過ぎるせいか、つい悪いクセでヘソ曲がりなことを考えてしまう。多少朝早いが、常磐線で仙台行きがあったのでそいつを利用することにした。
う~ん、出遅れたかもしれない。別に寝坊したわけではないが、上野は意外と遠かった。おまけに、このスーパーひたちに狙いをつけている人が多かったせいか、みなさん出足がよろしいようだ。直前に決めたことだったのでもちろん指定なんて取っていなかった。それでも運良く、窓側の席がなぜかポツンとひとつ禁煙車の方に空いていた。そこいいですか?と断って座席にかける。窓が大きく見晴らしがよい。上野を出る頃には立っているいる人も大勢いたが、構わず朝食にする。土浦、水戸と大きな駅で人を降ろしていく。その先も企業城下町が続き、ビジネス客はほとんど降りていってしまった。こう思うと、新幹線が通ってるわけでもないし朝一なら混んでも当然かもしれない。右手に太平洋が見えてくる頃になり、ようやく立ち席客がなくなった。それでもデッキに立ってる客を見つけると、車掌が空いた席がないか確認して案内している。きめ細やかなサービスというか、さりげなくこなしているところはプロだなと感じる。新幹線と違って、車窓を流れる風景のはやさはこの程度がいい。仙台に到着し、金券屋で余った回数券を現金に交換した。(後日談:同じようにスーパーひたちに乗る機会がありましたが、そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
仙台の拠点はここらで一番高い建物にあるので、初めて来る人でも道には迷わない。てっぺんに特徴のあるビルは新幹線からも判別がつく。とにかく、上を見上げて歩いてくれば着くことができると言ってもいいくらいだ。仕事の方は予定通り午後一からスタートし、特に問題なく終えることができた。ここにも知り合いが何人かいるのでついでにお別れの挨拶をしておく。ちょっと場所をお借りして、しばらく事務処理などやっつけることにした。
さて、ここで解放されても何をするかあまり思いつかなかったが、利府駅を往復することにした。いつかだったか忘れたが、昔きたときは真っ暗だったので今日まだ明るいうちに往復してみようと思った。新幹線の車両基地を横目にただ単に往復した。支線の区間だけワンマン運転になるようだが、通学帰りの高校生などで利府まで車内は満員だった。
う~ん、出遅れたかもしれない。別に寝坊したわけではないが、上野は意外と遠かった。おまけに、このスーパーひたちに狙いをつけている人が多かったせいか、みなさん出足がよろしいようだ。直前に決めたことだったのでもちろん指定なんて取っていなかった。それでも運良く、窓側の席がなぜかポツンとひとつ禁煙車の方に空いていた。そこいいですか?と断って座席にかける。窓が大きく見晴らしがよい。上野を出る頃には立っているいる人も大勢いたが、構わず朝食にする。土浦、水戸と大きな駅で人を降ろしていく。その先も企業城下町が続き、ビジネス客はほとんど降りていってしまった。こう思うと、新幹線が通ってるわけでもないし朝一なら混んでも当然かもしれない。右手に太平洋が見えてくる頃になり、ようやく立ち席客がなくなった。それでもデッキに立ってる客を見つけると、車掌が空いた席がないか確認して案内している。きめ細やかなサービスというか、さりげなくこなしているところはプロだなと感じる。新幹線と違って、車窓を流れる風景のはやさはこの程度がいい。仙台に到着し、金券屋で余った回数券を現金に交換した。(後日談:同じようにスーパーひたちに乗る機会がありましたが、そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
仙台の拠点はここらで一番高い建物にあるので、初めて来る人でも道には迷わない。てっぺんに特徴のあるビルは新幹線からも判別がつく。とにかく、上を見上げて歩いてくれば着くことができると言ってもいいくらいだ。仕事の方は予定通り午後一からスタートし、特に問題なく終えることができた。ここにも知り合いが何人かいるのでついでにお別れの挨拶をしておく。ちょっと場所をお借りして、しばらく事務処理などやっつけることにした。
さて、ここで解放されても何をするかあまり思いつかなかったが、利府駅を往復することにした。いつかだったか忘れたが、昔きたときは真っ暗だったので今日まだ明るいうちに往復してみようと思った。新幹線の車両基地を横目にただ単に往復した。支線の区間だけワンマン運転になるようだが、通学帰りの高校生などで利府まで車内は満員だった。
2日目
土日使えるフリー切符を手に久しぶりに北の方をぐるっとまわることにした。まずは秋田を目指す。8時過ぎのこまちは速達タイプのやつで東京から乗り通す人で満員だった。当然座ることはできない。我慢できない距離ではないが、もっと早起きして仙台始発の便にしておくべきだったかなと多少後悔する。田沢湖駅でたまたま目の前の席が空いたので座る。秋田までそのまま乗り通し、羽越本線の普通列車で羽後本荘まで南下する。ロングシートの味気ない車両だが、相変わらず走りっぷりは申し分ない。羽後本荘駅ではちょっと時間があったので軽く昼飯をとることにした。
由利高原鉄道とおしゃれな名前がついているが、矢島線からの三セク転換路線は細々と走るローカル路線だ。地元の強い要請があったのだろうか、盲腸路線ではあるが地元の足として生き残っている。羽後本荘の改札口はJRと別々になっているのだが、同じラチ内に入り跨線橋を渡り由利高原鉄道のホームへ向かう。本当に乗りにくるためだけにやってきた。右、左とカーブを切るごとに左右の窓から強い日差しが車内に差し込んできていた。終点の矢島駅の駅前広場では何か催し物をやっていた。
他に動きようがないので、来た車両でそのまま折り返すことにする。なぜだかわからないが、駅事務所の中で電Go!ゲームをやってる様子がうかがえる。まさか本職の運転手が勤務時間中にやってないよね?(笑) 羽後本荘まで戻って秋田へ向かう列車を待つことにする。ところが、次の列車が到着する時間になってもやってくる気配がない。行先表示板がカタカタカタと回ってその次の列車を指してしまってる。えっ運休?そんな~! ようやくホームに案内が入り、ダイヤが乱れて多少遅れてやってくることが分かった。その後、秋田で青森行きの特急に乗り換える。売店もない臨時列車用のホームのようなところから出ていた。
由利高原鉄道とおしゃれな名前がついているが、矢島線からの三セク転換路線は細々と走るローカル路線だ。地元の強い要請があったのだろうか、盲腸路線ではあるが地元の足として生き残っている。羽後本荘の改札口はJRと別々になっているのだが、同じラチ内に入り跨線橋を渡り由利高原鉄道のホームへ向かう。本当に乗りにくるためだけにやってきた。右、左とカーブを切るごとに左右の窓から強い日差しが車内に差し込んできていた。終点の矢島駅の駅前広場では何か催し物をやっていた。
他に動きようがないので、来た車両でそのまま折り返すことにする。なぜだかわからないが、駅事務所の中で電Go!ゲームをやってる様子がうかがえる。まさか本職の運転手が勤務時間中にやってないよね?(笑) 羽後本荘まで戻って秋田へ向かう列車を待つことにする。ところが、次の列車が到着する時間になってもやってくる気配がない。行先表示板がカタカタカタと回ってその次の列車を指してしまってる。えっ運休?そんな~! ようやくホームに案内が入り、ダイヤが乱れて多少遅れてやってくることが分かった。その後、秋田で青森行きの特急に乗り換える。売店もない臨時列車用のホームのようなところから出ていた。
3日目
今日も乗り歩きを行いながら帰京することにしている。まずは青森から特急で三沢まで移動する。並行する道路がやけに混雑している。混雑というより、まったく動かないのではないかと思うくらいの渋滞だ。三沢駅で降りて初めて理由が分かったが、ちょうど三沢基地航空祭とかいう催しが行われていてそれに向かう車のようだった。三沢駅からそこへバスを使って向かう人も多く、かなりの人でごった返していた。十和田観光鉄道の駅はJRに隣接しており、表に出るとバスの発着場になっている。十和田市までの行きか帰りにバスを利用してもよかったが、あの渋滞を考えるとバスには乗らない方が正解だろう。東北本線から見ると小牧温泉の大きな旅館が目立ったところにあるが、十和田観光鉄道はその裏手を通っている。林の中を抜けると、平坦なところがずっと続く。学校やさまざまな施設が沿線にあり、名前にあるような観光目的よりも地元の足として使われているようだ。終点の十和田市駅は新しく建て直されたようで、バスターミナルにもなっていた。やはりここでも特に何をするわけでもなく、そのまま折り返してくる。そんなにびっくりするほどのスピードは感じられないのだが「めちゃくちゃ速くない?うけるよね??」などと地元の高校生が会話していた。それにしてもなぜそれが「うける」のか、その感覚がおじさんにはいまいち分からない。(後日談:再度、十和田市から三沢まで乗車する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
三沢駅に戻り、再び東北本線に乗り換える。ちょうどいいタイミングで特急が捕まえられる筋であることは前もって確認しておいた。乗車率は40~50%くらいといったところだろうか。そのまま盛岡まで向かい、新幹線に乗り換える。この先、乗り継ぎ等で中途半端に時間があまりそうだったが、落ち着いたところでお昼をとっておくことにした。盛岡で弁当を買って新幹線の車内でそれを食べることにする。盛岡名物の駅弁激戦区を一通り眺める。やや値段は張るものの種類も豊富で質が高い。落ち着いて…と思ったが、程なく一関に到着する。ここで再び在来線に乗り換える。嫌われ者の普通列車に乗り、数個先の石越駅へは20分程で到着する。
くりはら田園鉄道については、まったく知識がなく正体不明の存在だった。知っていることといえば、昔は電化されていたのにあとで非電化に変更されたということくらいだった。確かに運行されているのはレールバスなのに架線が残っていたのはちょっと変かもしれない。典型的な東北の風景がずっと続く。米どころだけあって、一面田んぼといったところである。高速道路、新幹線と交差して、田んぼの風景が山間の姿に変り、終点の細倉マインパーク前へ到着した。駅名が示す通り昔は鉱山だったようで、賑やかな一団がそちらに向かって移動していた。帰りのルートでは途中で降りてバスを乗り継いでくりこま高原へ出るルートなど考えてみたが、時間がうまくあわず結局そのまま石越まで乗り通すことにした。石越からもそのまま東北本線の在来線で一関まで直行する。
日曜日のこの時間なので一関からじゃ新幹線の席は空いてないだろうと予想していた。実際に、空いてないどころか立ってる人でいっぱいだった。時間は余計にかかってしまうが、当然のように仙台始発の便に乗り換えることにする。立ったままで2、3時間というのはゴメンだ。今月はまだ先が長そうなので体力は温存しておこう。
三沢駅に戻り、再び東北本線に乗り換える。ちょうどいいタイミングで特急が捕まえられる筋であることは前もって確認しておいた。乗車率は40~50%くらいといったところだろうか。そのまま盛岡まで向かい、新幹線に乗り換える。この先、乗り継ぎ等で中途半端に時間があまりそうだったが、落ち着いたところでお昼をとっておくことにした。盛岡で弁当を買って新幹線の車内でそれを食べることにする。盛岡名物の駅弁激戦区を一通り眺める。やや値段は張るものの種類も豊富で質が高い。落ち着いて…と思ったが、程なく一関に到着する。ここで再び在来線に乗り換える。嫌われ者の普通列車に乗り、数個先の石越駅へは20分程で到着する。
くりはら田園鉄道については、まったく知識がなく正体不明の存在だった。知っていることといえば、昔は電化されていたのにあとで非電化に変更されたということくらいだった。確かに運行されているのはレールバスなのに架線が残っていたのはちょっと変かもしれない。典型的な東北の風景がずっと続く。米どころだけあって、一面田んぼといったところである。高速道路、新幹線と交差して、田んぼの風景が山間の姿に変り、終点の細倉マインパーク前へ到着した。駅名が示す通り昔は鉱山だったようで、賑やかな一団がそちらに向かって移動していた。帰りのルートでは途中で降りてバスを乗り継いでくりこま高原へ出るルートなど考えてみたが、時間がうまくあわず結局そのまま石越まで乗り通すことにした。石越からもそのまま東北本線の在来線で一関まで直行する。
日曜日のこの時間なので一関からじゃ新幹線の席は空いてないだろうと予想していた。実際に、空いてないどころか立ってる人でいっぱいだった。時間は余計にかかってしまうが、当然のように仙台始発の便に乗り換えることにする。立ったままで2、3時間というのはゴメンだ。今月はまだ先が長そうなので体力は温存しておこう。