■旅日誌
[2010/2] 男前、一歩後退~ひむかの国へ
(記:2010/3/22 改:2021/8/22)
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JR西日本の500系新幹線ですが、のぞみとして東京へ乗り入れるのはこの2月末をもって終了、戦闘機を思わせる面構えは根強い人気があり、初めて時速300キロで営業運転を行ったことなど時代の先駆者として圧倒的な存在感がありました。一方でN700系のように性能と快適性を兼ね備えた後進の台頭もあり、東海道区間からは退き山陽新幹線でこだまとして運用されることが決定。今回は500系のぞみに乗って東京から博多まで乗り通しましたが、翌日には宮崎へ飛んでJR九州の新しい顔、海幸山幸に乗車してます。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
東京、のぞみ29号(500系)、博多
前振りの通り、500系新幹線の人気についてはあえてここで説明することもないが、東海道新幹線から姿を消してしまうと一般のニュースで扱われたり、意外と大きな話題になっていた。去年あたりから徐々に退役が進み、最後は1往復まで減らされ日に日に注目を集めていた。500系車両そのものがなくなってしまうわけではないが、のぞみとして16両で走る姿が見られるのもこれが最後、弾丸のように豪快にかっ飛ばすのも見納めということになる。そこで今回は、最後に東京から博多まで乗り通してみようと考えていた。
500系のぞみ
思い起こせば、初めて500系に乗ったのも随分と昔のことで、その後1回くらい利用しているはずだが、あまり記憶は定かではない。ただ、さすがに東京博多の間を一気に乗り通した経験はなく、まぁいい機会だと思って今回の惜別乗車となった。500系車両については、いろいろなところで紹介されているので、きちんとした説明はそういうところに任せるとして、とにかく時速300キロで営業運転を行った最初の新幹線としての功績は非常に大きい。高速運転に必要な技術は言うに及ばず、性能を引き出すための形状や、ブレーキや騒音対策に至るまで、細部にわたって周到な仕掛けが施されているのは既知の通り。その後の700系、N700系へと進化を遂げたのは言うまでもない。JR東日本の新幹線もまた独自の発展を遂げてきているが、戦闘機を髣髴させる正面の顔つきや円筒形の車体はあまりにも斬新で、青をベースにしたシルバーをまとった姿は人々の目をひきつけて止まない。いつしか、男前というな愛称が付くようになったが、これほど見てて格好いいなぁ~といえる新幹線500系を除いて他に見当たらない。(後日談:300系のぞみの引退に際し惜別乗車する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
500系のぞみ 500系のぞみ
話は少し逸れるが、今回の惜別乗車の前に、場所をかえて500系を見てみる機会が何回か作ってみた。家のすぐ近くだったり、田町有楽町界隈だったり、あらためて視点を変えてみるのも楽しかったように思う。中でも一番印象的だったのは日向岡へ出向いたときのことで、長い間気になってた胸の支えが取れたような気がしている。具体的にいうと、下りだと相模川を過ぎたしばらく先、上りだと小田原を通過して小さなトンネルをいくつか抜けた後、山側に見えてくる三角形のカラフルな住宅がひときわ目を引く場所がある。もう何年も前から気になってたところで、某深夜番組でも取り上げられたりと、やはり気にしてる人も少なくないらしい。その日向岡住宅だが、明らかに新幹線を意識して設計されたらしく、まぁ確信犯というわけだ。実際、その家並みの中を歩いてみると、とても閑静でなかなか洒落た街だった。当たり前だが、丘からも新幹線の姿を見下ろすことができて、その眺めもまた格別なものだった。
500系のぞみ
さて、惜別乗車の日のこと、この日ものぞみ6号は定刻の朝7時に博多を出発、順調に走り続け遅れもなく東京駅へ到着。わずか17分で再び博多へ向けてのぞみ29号として折り返していく。1本前の博多行きののぞみがガラガラだったのと対象に、のぞみ29号は自由席を中心にかなり混雑していた。人気の車両の引退というのが、これほど話題になるとは思ってもみなかった。1ヶ月前には余裕で指定が取れたが、中には東京から乗って新横浜で降りてく人もいて、注目を集めていることがあらためてよく分かった。
500系のぞみ
その後ものぞみ29号は快調に走り続けていた。天気は概していい方だったが、唯一残念だったのは富士山があまり見えなかったこと。やはり、あの富士の美しい姿は心震えるものである。名古屋、新大阪と主要駅では人の入れ替えは激しく、新神戸、岡山を過ぎたあたりからは乗ってくる人より、降りて行く人の数の方が多くなっていた。N700系のように居住性の完成度という点ではかなり見劣りするものの、青をベースにしたアコモは乗ってる者に安心感を与える。指定された座席は車両の端に近かったため、足元から響いてくるモーター音を聞きながら全車M車の加速感を楽しむのもまたいいものだった。こんな風にして新幹線に乗ったのも0系の引退のような気がするが、2回ほど300キロで走ってる表示を目にした。関門海峡をトンネルで抜け九州入りすると残りはあとわずか、まだ少し明るさが残っている中、ラストスパートするようにのぞみ29号は走り続け、定刻で終点の博多へ到着した。今後、短編成へ組みかえられたあと、山陽区間をこだまとして走ることになっている。子供向けに運転台を模したアトラクションが装着されたりと、今後も人気者として活躍することを大いに期待したい。最後に後姿を見送り、栄光のトップナンバーW1編成とはこれでお別れとなった。
500系のぞみ
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
宮崎、青島、堀切峠、鵜戸神宮、飫肥、海幸山幸
さて、昨日とはガラリと気分を入れ替え、2日目は宮崎へ行くことにしている。500系のぞみの惜別乗車で福岡まで来たところで、そのまま東京へとんぼ返りすることも可能だったが、折角なのでもう1ヶ所寄っていくことにした。寄り道という割りには方向違いな感は否めないが、今回は九州内を空路ショートカットするという卑怯な手(?)を使ことにしている。
宮崎・青島
博多から宮崎までなら、ドリームにちりんという座席のみの夜行列車もあるが、体力的な消耗度を考えると次の日に支障をきたすのでそいつはパス。(夜行バスも同様)飛行機のダイヤを見ると運よく7時半頃の便があり、博多に投宿しても余裕で乗れしまうのでそいつを予約しておいた。福岡は空港が近くて助かる。まだ日も上がらぬ時間に宿を出て地下鉄を目指すことにする。泊まった場所が博多のやや東側だったので、何を思ったかお隣の東比恵まで歩いてみるとにした。意外とあっさり着いてしまい、地下鉄に乗って空港へ向かう。おとなりきっぷとやらで、1駅しか乗らない場合の運賃は100円だという。その後カードラウンジへ直行し、ちょうど開いたところで軽くパンと飲み物をいただく。少々慌しいが30分ほど滞在して第一ターミナルへ移動。そうだ、ここのターミナル間は距離があったんだっけ…。東の空がようやく白々としてくるところだった。
堀切峠
宮崎行きの便にあてがわれたフリートはMD90、毎度の小気味いい加速でエアボーンもあっという間、ふわっと浮かび上がる。早朝なので仕方ないとは思うが、着席率は20%もいってないかも、、、とにかくガラガラだった。飛んでる時間は30分ほどだったが、上空からは、博多から熊本まで新幹線の高架がつながってたのがよく見えた。九州・山陽直通新幹線さくらの早期開業を期待したいところでもある。(後日談:その後、九州新幹線さくらに乗車する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)新田原の自衛隊の滑走路を右下に見ながら一旦日向灘の沖合いまで出て、内陸に向かって着陸することになった。宮崎空港へ来るのはいつ以来のことになるだろうか?すっと、記憶の引き出しから出てこない。前回は隣接するJRの駅を利用したが、今回はレンタカーを移動の足に使う。それにしても朝の福岡とは空気がまったく違う。日向(=ひゅうが、古くはひむか、ひなたとも)とはよく言ったもので、あらためて日本語の奥ゆかしさを感じるところだが、真冬なのにポカポカ陽気、、、プロチームがキャンプ地に選ぶのもうなずける。
鵜戸神宮
レンタカーの受け取りもすんなり済んでしまい、気がつけばまだ9時前だというのに国道220号を日南方面へ向かってガンガン走っていた。一直線に延びるバイパス道路の先には、かの有名な運動総合公園があり、ちょうどいまジャイアンツがキャンプを張っている。他にも西武、ソフトバンク、広島と人気球団のキャンプが行われていたが先日の沖縄同様、これが目的ではないので、すべてパス。既に見学目的の渋滞も始まっており、人気の高さがうかがえる。まぁ、それはそれで面白いのかもしれないが、深いことは考えないようにして先を急ぐことにした。というわけで、まず最初に寄ってみることにしている青島で一旦車を離れる。植物園の中を抜けて海岸へ出ると、青い海が朝日に照らされてキラキラ輝いていた。その向こうに陸続きの島なっているのが青島で、ここに神社があるようだ。早速向かってみることにしよう。遠くには先程通ってきた運動公園も見えている。洗濯板のような岩場を横目に神社へ向かい、早速お参りをしていくことにした。
飫肥
その後、堀切峠鵜戸神宮と日南地方屈指の絶景ポイントを満喫していく。特に鵜戸神宮は素晴らしく、前々から気になってた場所だったので、ちょうどいい機会になった。所々に国道から外れる感じで脇道に逸れて走ってみたが、恐らく走りやすいように改修されたのが本線となり、海沿いに残されたのが旧道として扱われてるものと想像できる。そんな感じで敢えて変化のある道を選んでみたりした。鵜戸神宮に通じる道も、日向灘沿いに一本外れたようところをしばらく走った後、最後にすごく狭い山道を通って行かなければならない。そんな感じで、鵜戸神宮変化のある地形の真ん中に位置し、洞穴のようなところにあるお社や、奇岩の数々は見てて飽きないものだった。今日は一段と気温も上昇してきて、春を思わせる陽気に早咲きの山桜もいっそう華やいで心和ませてもらった。
海幸山幸
今回は比較的ゆるいスケジュールを立てていたが、午前中のうちに余裕で飫肥へ到着、早めのお昼に本場の「おび天」をいただき、今日のメインでもある、JR九州の新しい顔海幸山幸に乗車することにしている。宮崎から全部乗り通したいところではあるが、途中飫肥駅から30分ばかりではあるが乗車の機会としておきたい。その海幸山幸だが、JR九州お得意の再生型(?)の観光特急で、ハード的に特急を名乗るにはちょっとベースが貧弱だが、元々、高千穂鉄道のトロッコ列車だったのを改造して"再生"させたのは有名な話、、、高千穂鉄道を襲った悲劇から見事引っ張り上げたものである。外装に使った飫肥杉はことさら異彩を放ち、内装も他の観光列車と違わぬ洗練された仕上りになっている。毎度ながら、よくぞやってくれました!と拍手を贈りたい。日南地方は、観光資源として十分なポテンシャルがありながらJR九州としてはあまり力が入れられてなかったのは事実で、今回はそこへ掘り起こしを行ったと明確にコンセプトを打ち出しており、SL人吉然り、ビジョンある戦略は好感が持てる。
海幸山幸
とまぁ、お固い話はそれくらいにして、、、一旦飫肥に車を置いてきてしまったため、南郷から戻らなければならない。ところが、日南線の帰りの列車は2時間くらい待たなければならないという始末。(苦笑)そこは抜け目なく下調べしてあって、タイミングよく来る路線バスでつないで飫肥城下まで戻ることにしていた。ちなみにJRなら270円で済むところ、バスだと750円もかかってしまうが、出費を惜しむ場面ではないのでガマン。というか、地元の路線バスにも乗れた!と前向きに考えるべし!!といったところか?南郷から飫肥へ戻る途中、広島カープのキャンプ見物渋滞に巻き込まれるというハプニングもあったが、幸い大事には至らず無事飫肥に戻り、町歩きを再開することができた。
海幸山幸
知らなきゃ読めない飫肥(おび)の町だが、NHK朝の連ドラ「わかば」の舞台にもなったところで、歴史のたたずまいを色濃く残す土地である。まだまだ素朴な空気が随所に息づき、町並みだけでなく、地元の方々のおもてなしの心も十分伝わってきて、とても居心地のいい場所だった。飫肥城の天守閣があったとされる場所の周囲にも、立派な飫肥杉が伸びていた。その後も散策しながら町並みをこの雰囲気は、いつまでも大切にしてもらいたいものだと思う。
飫肥
と、ここまでのほほんと過ごしてきたが、ずっとこのままでいられるわけでもないので、15時過ぎになったところで帰路に着くことにした。行きは海沿いのドライブだったので、帰りは山道と決め込み、交通量の少ない県道(一部険道?)を攻めることにしてみる。またまたいつもの悪いクセで、離合困難な鬱蒼とした山道をハラハラドキドキしながら走ることになってしまったが、どうもこいつがやめられない。ところで、県道に出る前に、広域農道を通ったのだが、これがまたオーバースペックもいいところ、とんでもない山奥に時速100キロでも走れそうな道路で、まぁ驚いたこと…。そう、これが縦割り行政の賜物なわけだ。(農道は農水省がつくって管轄している)
県道27号
話が逸れてしまったが、宮崎から羽田まで、普段あまり乗る機会のないSNA便を選択。たまには違ったエアラインを利用するのもありかな?と思う。(余談:その後、ソラシドエアとブランド名が変わりましたが、新しい機材に乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)ちょうど春節休みが終わるタイミングだったのか、宮崎空港には海外からの団体さんがわんさかいたが、某県知事がトップセールスを行った韓国へ戻るOZ便は特に盛況だったように思います。みんながみんなカートにスーツケース2、3つと大きなゴルフバッグを抱えていた。そんな感じで空港ではちょっとまったりした時間を過ごしてしまったが、最後に冷汁を味見、、、何て感想を述べたらいいかよく分からなかったが、まぁそういうものかと納得してきた。とまぁ、鉄分に、空分に、道分、、、さらには、絶景あり、町歩きあり、地元の味とふんだんに散りばめ贅沢なオフを過ごすことができたような気がする。(余談:温泉が抜けたか、、、って、旅番組か?!)先週は体力面よりも精神的にきつい1週間だったので、何とかリセット効いた気がした。
ソラシドエア・SNA64便・羽田行き