■旅日誌
[2005/2] 惜別、あさかぜ
(記:2005/2/16 改:2015/11/21)
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昨年の暮れ近くに来春のダイヤ改正の大綱が発表され、東京から山陽・九州方面の寝台の統廃合が大きく行われることが伝えられました。例によって「ほいそら!」といった感じで、その手の方々が行動を起こしているようでしたが、自分もちょっとだけ予定を変更してあさかぜを利用することにしました。
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 0日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
東海道本線、山陽本線/あさかぜ
前々からそのような噂はくすぶっていたが、いよいよ来たかという感じだった。それも老舗の寝台特急がこぞって看板を下ろすということで、惜別の念は否めない。今回は福岡の地下鉄の開業に合わせて3連休にちょっくら九州を往復するつもりだったが、急遽予定を組み替えてあさかぜで九州入りすることにした。とはいうものの、こういった話が流れると決まって人が殺到する。押し迫れば押し迫るほどどんどん指定も取りづらくなるので、とにかく早めに指定だけは押さえておきたい。あわよくば…と欲張ってA寝台個室を狙ってみたが、案の定"秒殺"状態でまったく話しにならなかったらしい。もちろん、キャンセル狙いで何回か照会してみたものの、やはり無駄だったようだ。
あさかぜ
ところで、あさかぜといえば老舗中の老舗だが今回はそれだけにとどまらず、もうひとつさくらも看板を下ろすことが決まった。以前にさくらを利用してみたものの、何となく寂しいものである。この2列車に限らず、最近の夜行列車の稼働率は芳しくないという。毎度ながら、終焉が決まって大騒ぎになるというのも何だかむなしいような複雑な気持ちになる。何年か前にも"リストラ"があったが、さらに残った寝台列車もかなり縮小される。このままではブルートレインという存在そのものが危うくなるのではないだろうか?東京-九州間は東日本、東海、西日本、九州と複数の会社をまたいで運行されるため、各社の思惑、足並みの乱れなど、見え隠れしないでもない。(後日談:その後も続けざまに彗星あかつきなはと姿を消していきました。気がつけばさくら出雲はやぶさはやぶさ・最後の乗車)、富士富士・最後の乗車)とすべての九州夜行が廃止されてしまいました。何とも寂しい限りです。旅日誌については、それぞれの列車名のクリックしてください。)
あさかぜ
出発の時間よりもやや早めに東京駅へやってきた。ちょうど1時間前に発車する、はやぶさ・富士が東京駅を出て行くところだった。連休ということもあって人だかりがすごいことになっていた。しばらくしてあさかぜが別のELに引かれて入線してきた。今日は13両フル編成とのことで、まさに威風堂々といった感じだろうか。あまりの人の多さに嫌気はしたものの、周囲の様子を一通り見てから指定された寝台に着いた。
あさかぜ・発車案内
外の喧騒をよそにあさかぜ19時定刻に東京駅を出発した。走り始めてしまえば、連休ということもありどの駅も普段の通勤ラッシュの光景はない。ようやく落ち着いた感じがした。向かいとその上の方とひとしきり話しをしながらしばし時間を過ごすことになった。時間もまだそう遅くもないので、晩飯など食いながらあれこれ世間話に花が咲く。皆それぞれ方々へ精力的に出向いている様子で、そういう他愛もない話で時間を過ごしていくのも悪くはない。こういう何気ない光景もどんどん減ってしまうのだろうか。妙に悲しい。そんな感じで名古屋に着く手前あたりで惜別の"談笑"は解散となった。
あさかぜ・下関行き
 1日目
ルート概略
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帆柱ケーブル、天神、七隈線、姪浜、柳川
翌朝、浅い眠りから目を覚ますとゴーゴーと車輪を軋ませ左右に振られる感じで列車は走っていた。何となく西条あたりのような気がしたが、身支度を整え外を見るとやはり通称:セノハチに差し掛かっていた。車内放送が再開され洗面台から戻ってみると、向かいのお二方とも朝の支度が終わったところだった。挨拶をしてしばらくのんびりと時間を過ごす。夜明けがやや遅く感じるのは西に来たせいだが、瀬戸内の風景を見ながらしばらくボーっとした時間を過ごしていた。夜行独特の寝不足感もあってか、お互いさすがに昨晩よりも口数は少ないものの、車窓の外でカメラを構える人の姿など見るとご苦労なことで…などと言っては笑って過ごす。
帆柱ケーブル
そういえば、自分の上段にいた人の姿を一度も見ることがなかったが、今朝方広島に着いたときにはもぬけの空だった。結局、昨晩から同じメンバーで過ごしていたが、お一方は七隈線に乗って上りのあさかぜで帰京されるという。偶然にも自分も福岡を目指していたが、途中寄り道をすることを告げる。もうひとりの方は、下関から少し戻って山口線で益田に抜けいそかぜを捕まえにいくと言っていた。実はいそかぜもこのダイヤ改正で姿を消すことが決まったが、何年か前に乗りに行ったことを思い出す。あさかぜを乗り通して下関へやってきてしまうと、上りのいそかぜには寸でのところで間に合わない。なんとも皮肉なつなぎだこと。
帆柱ケーブル・山麓駅
そうこうしながら、あさかぜはほぼ定刻で下関へやってきた。到着する時間帯も何となく中途半端な感じがしないでもないが、サンライズ化(?)して東京と山陽地方のダイレクトアクセスとしてもっと売り込んでもいいような気もする。最後に簡単ではあるが下関に到着する手前であさかぜが看板を下ろすことになった経緯が案内された。繰り返すが、妙に物悲しいものだ。居合わせた者同士、最後にお互い声を掛け合い、いい旅になることをお祈りする。
皿倉山頂
ホームに出ると外の空気はひんやりとしていた。一晩過ごした室内の空気と外気との差は歴然としている。かつての栄華を偲ぶがごとく下関駅のホームは長大で立派なものであり、フル編成でやってきた老舗の看板列車も余裕で迎え入れてくれる。しばらく機関車のまわりでは撮影会となる。そんな余韻にひたりながら、関門海峡の先へと向かうことにする。(後日談:そんな下関駅ですが、翌年年明けに放火が原因で大きく消失してしまいました。あまりにも残念な出来事でした。)慌しく乗り継いだ小倉行きの普通列車の中から、先程のあさかぜが引き上げていくのがちょうど見えた。関門トンネルをあっけなく抜け、九州入りする。空は冬の寒々とした雲が立ち込めている。天気はあまりよくない。ここのところ日本列島の上を寒波が通り抜けていたが、大雪にでもなったらスケジュールがつながらなくなってしまう。そんな心配はしても仕方ないが、こんな冬の寒い時期に仕事以外で遠出した記憶はあまりない。
帆柱ケーブル
小倉で乗り継いでわずかばかり行って八幡駅で下りる。今日はこれから目の前に聳え立つ皿倉山へ向かうことしていた。一応案内などではケーブルカー乗り口まで徒歩20分とあるが、歩くにはちょっと距離がありそうだ。運良く送迎バスとやらが発車を待っていたので、素直にそれに乗ることにした。やはりシーズンオフということもあり、自分ひとりの貸切となる。しばらくするとかなり急な坂道が続き、徒歩で行くには相当つらいに違いない。
皿倉山頂
高速道路のすぐ脇に帆柱ケーブル山麓駅はあった。なぜかここのところ続くケーブルカーめぐりを今回もスケジュールに組み込んでいる。リニューアルされたというきれいな車両皿倉山頂を目指す。ここも一人貸切状態となってしまったが、緩やかなカーブを過ぎて高度が上がってくると、北九州の街並みが見えてくる。5分ほどして山上駅に到着し、さらに山頂へ登っていく。ここからリフトを利用すると簡単に行くことができる。もちろん強い寒風が吹きつけていればそんなことは考えもしなかったが、ほとんど無風のためこいつで登っていくことにした。こんな日に利用する人はほとんどいないようで、自分が乗り場に来たところでリフトが動かされた。やはり気温は相当低く、眺めはいいが支柱をつかんだ手が冷たい。2、3分して山頂へやってきた。鉄の街とも言われる北九州の街並みが一望できる。その先の海も見えるのだが、曇よりとして何か灰色がかっている。とはいえ、スペースワールドも若戸大橋も手に取るように分かる。関門海峡の地形もきれいに見てとれた。
七隈線
山頂広場はあまり広くなく、一通り見てその場を後にすることにした。同じように下りのリフトも自分のために動かしてもらったようなものだった。誰もいない山上駅の駅舎内はストーブが焚かれていた。ケーブルカーで再び山麓へ戻り、先程見かけた高速バスの停留所へと向かう。時刻表を確認するとちょうどいま出て行ったばかりなのだが、きっと数分は遅れてやってくるだろうと勝手に決めつける。するとすぐに路線バスがやってきた。バスは快調に飛ばし、九州道、都市高速を経由して天神の繁華街へとたどりつく。途中でもポツポツと人を拾ってきたが、かなり席は埋まっていた。
西鉄
リニューアルされた天神地下街を抜け、天神南駅へ向かう。七隈線の駅はこれまでの天神駅とはちょっと距離があり、わざわざ天神南と別の名前が付けられていた。これまで福岡市の南西部と中心部の間を結ぶ交通機関はバスしかなかったが、道路事情をみる限り決して便利なものではなかった。この地下鉄によって飛躍的に向上したというが、どの程度なのだろうか?わずか4両のミニ地下鉄は最近よく目にするリニアモーターを利用したもので、走行音はとても静かである。ホームドアも設置されてワンマン運転ではあるのだが、どうせなら天井までふさぐタイプの方がいいようにも思った。ミニサイズの車内は新交通システムのように圧迫感があり、面白いのは運転席が塞がれていないところだ。駅間距離も短く、こまめに停車を繰り返して終点橋本までやって来た。
柳川
地上に上がると郊外の田舎駅のようで、地下鉄である必要があるのかよく分からないが、ここにいても仕方ないので戻ることを考える。地下鉄ができたとはいえ、各方面へは路線バスが出ており、これから姪浜駅へ抜けてみることにした。駅前とはちょっと離れたところに橋本のバス停はあり、何の予習もしていないとちょっと分かりづらいかもしれない。さほど待たずして目的のバスはやってきた。姪浜駅で地下鉄に乗り継ぎ、再び天神へと向かう。こうして考えると、七隈線の沿線の授かる恩恵は少なくないようだ。
柳川
一回りして天神まで戻ってきたが、今日は西鉄柳川まで南下する。30分ヘッドで大牟田行きの特急が出ているのでそいつを待つことにした。あまりタイミングがよくないかな…とも思ったが、既に人の列ができていたのでそのまま並ぶことにした。実際、発車間際にやって来た人の分まで座席の余裕はなかった。特にこれといった目的はないのだが、柳川は一度訪ねてみたいと思ってた場所である。地図を見ればわかるように、筑後川沿いは水路が網の目にように張り巡らされている。柳川といえば水郷の町として川下りが有名だが、正直なところいまは適した時期ではない。コタツを積んだゴンドラというもあるらしいが、あまり気は乗らない。まぁそんな話しはどうでもいいとして、町のたたずまいを感じながら、お花近辺を往復してみることにした。ちょっと距離はあるが、日が西に傾いて暗くなるまでは散策を楽しむことにしよう。水路と言っても、のようなところから、軒下の生活用水路のようなところまで、まさに町中入り組んだ感じである。もちろん、きれいに整備されたところ、そうでなさそうなところといろいろあるのだが、あまり細かいことを気にしても仕方ない。幹線道路は車であふれているが、ちょっと入れば静かな街並みが続く。意外と寺院が多いのも、そう感じさせてくれる理由だったのかもしれない。そうこうしているうちに、歩き回って小腹が空いてきた。川魚としてうなぎのせいろ蒸しが有名だが、時期的に外しているような気もするし、そもそも地のものがそんなにとれるとも思えないので、今日はパスにした。
柳川 柳川
いつものように調子こいて歩きまわっていたら、結構いい時間になってしまった。今日予約した宿はここから少し離れているのでバスに乗らなければならないのだが、1時間に1本しかなく後で考えればタイミングを外さなくてよかったと思った。一旦に戻りバスを待つことにした。とりあえず見所めぐりはまた明日に持ち越しになってしまうが、旧佐賀線に沿って佐賀方面を目指すことになる。
西鉄柳川駅
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
諸富、大川、筑後川昇開橋、佐賀、伊丹空港、川西能勢口、妙見山
昨晩、投宿した宿は筑後川の中州にあり、正面には筑後川にかかる昇開橋を望むことができる。ここはかつて旧国鉄佐賀線が通っていたところだ。有明海の干満の差や、行き交う船の航行に支障をきたさないという条件を考慮し、この場所にをかけるのは当時はとても難題だったと言われている。見て分かるように、の真ん中が上下するという見事なアイデアはある技術者によって導かれた。当時は東洋一の昇開橋と言われ、デザインもさることながらエレベータのように上下させる仕組みは遊び心も持ち合わせた素晴らしい建造物といっていい。この形の昇開橋は日本に現存する唯一のであり、先ごろ、国の重要文化財にも認定された。渡し舟しかなかったような時代背景からも、開通当初は熊本方面と佐賀・長崎を結ぶ路線として大いに期待され、そして賑わったという。その後時代は流れ、上流に国道の立派な橋が架けられ急速なモータリゼーションとともにそんな華やかな話しも昔話となってしまい、ついに佐賀線は廃止されてしまった。このも一時は取り壊しが検討されたが、どうにか地元の尽力もあってこうして立派な姿を目にすることができる。いまでは『タワーブリッジ遊歩』という愛称で地元のランドマークにもなっており、橋の両端記念公園として整備されている。昇開橋も1日に何度か上げ下げされ、徒歩で渡ることができる。そんな素晴らしい場所に来ることができたのはとても嬉しいことだ。ただ残念なことに移動時間の関係から下がった状態で実際に橋を渡ることができなかったが、朝もやの中の雄姿を記憶にとどめておくことにしよう。
筑後川昇開橋 筑後川昇開橋
最初に諸富側に渡り、記念公園に残る当時の佐賀線の面影をたどってみる。真冬の日曜の早朝に歩いてる人の姿はまったくない。再び筑後川沿いに川上に向かって戻り、諸富橋、大川橋を歩いて渡り大川側へ行ってみる。気がつけば、肌寒い中とうとう雪が舞い始めていた。川べりをしばらく歩いていくと、地元の方たちだろうか、何人かで清掃をされていた。諸富側に比べるとこちらはこじんまりとしていたが、筑後若津駅があった場所は公園になっていた。この場所はバス停にもなっていて、ちょうど柳川からやってきたバスが折り返すところだった。去り際にへ登ってみて清掃をされていた方と軽く挨拶を交わす。
「とうとう雪が舞っとうねぇ?」
「はい、思いもよらずちょっと驚いちゃいましたよ」
「そうじゃろ…」
「じゃぁ、どうもご苦労さまです!」
「はい、ありがとぉ~ね!」
記念公園・諸富駅跡 筑後川昇開橋
非常に名残惜しいが、バスの時間もあったのでこの場所をあとにする。昨晩下り立った停留所に戻りバスを待つ。昨日は大渋滞でバスの時刻が大幅に狂ってしまったが、日曜の朝ともなればそんなこともないだろう。それより、降りしきる雪を考えると一刻も早くバスに来て欲しかった。諸富橋を渡ったあとも国道に沿う形で旧佐賀線は遊歩道として整備されている。途中、バスが通る国道をオーバークロスしてからも、ところどころ右手に遊歩道らしき道路を確認することができた。
筑後川昇開橋・遊歩道
そうこうしながら佐賀駅へ到着したときはまだ9時前といったところだった。今日はこれから佐賀空港を利用してみることにしている。東京行きの直行便もあるのだが、朝もっと早くか、夜思いっきり遅い時間にしかないため、正直なところあまり都合がよろしくない。これは使えないなぁ…と諦めていたところ、大阪行きの便がこの時間にあることに気付き、悪いクセで寄り道をしてみることにした。佐賀駅から空港へは直行バスが出ているのだが、昇開橋からの距離の方がはるかに近い。これならもっとギリギリまで粘ってタクシーでも利用すればよかっただろうか。まぁ、後悔しても仕方はない。佐賀駅のバスセンターはJRの高架下にあり、とてもきれいに整えられた場所だ。皮肉にもわんさか人を乗せたバスが福岡空港へ向けて出発するところだったが、直後の自分の乗った佐賀空港行きのバスはひとりだけの貸切状態でなんとも侘しいものだった。途中偶然にも一人若者を乗せたが、まぁ復路は空港からの引き取りもあるだろうし、東京行きへの連絡だったらこんなことはないのないだろう…と勝手に決めつけておくことにした。
記念公園・諸富駅跡
佐賀空港が開港したのはわりと最近のことだが、残念ながら無駄遣いの象徴のように言われることも少なくない。大阪から到着した小さなジェット機は約30分後に折り返しとなる。機体のロゴを見るとANKと書いてある。さて、どれほどの利用率かとても心配になってしまうが、窓側がうまって通路側にぽつぽつと人がいる程度だった。連休だというのに、これでやっていけるのか、やっぱり心配になる。降ってた雪も本格的なものではなかったのでさほど気には掛けていなかったが、きれいに晴上がるようなことはなさそうだ。そういえば、佐賀市街を抜けてくる途中で気球が2個上がっていたが、佐賀=気球のまち、というのはとても分かりやすい。(後日談:その後、随分経ってのことになりますが、佐賀空港を利用する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
記念公園・筑後若津駅跡
1時間ほどして大阪伊丹空港へとやってきた。有明海のすぐ近くを飛び立ったところはよく分かったが、雲の上だったので途中どのあたりを通ってきたのかいまひとつ分からない。最後に大阪の上空を北西から入って古墳群の真上を転回し、生駒の山々を右手に見ながら着陸することになった。そういえば、さかんにセントレアのニュースが流れていたが、今日はあちらで何か式典があるらしい。セントレアの評価が上がる一方で、伊丹の立場も微妙になって来ないだろうか?羽田ではまず考えられないが、順調に飛行してきた結果、定刻より5分以上早着となった。
筑後川昇開橋・重要文化財碑
去年の夏にはわざわざ伊丹空港に来るために飛行機を利用してしまったが、こんなすぐに2回目の訪問があるとは思わなかった。さて、寄り道といっても時間にも限りがあるのでこれからまっすぐ目的地へ向かうことにしよう。1000円分は使いそうなので、記念にスルッとKANSAIのカードを1枚だけ購入する。1駅だけだがモノレールで蛍池まで移動し、すぐさま阪急に乗り換える。乗り継ぎよく更に川西能勢口能勢電鉄へと向かう。昨日の帆柱ケーブルに引続き今日もケーブルカーめぐりと称して妙見山へ登ることにしている。以前ここへ乗りつぶしに来たときは何となくケーブルカーのために再来するような予感がしていたが、まったくその通りになってしまった。
記念公園・筑後若津駅跡
妙見口で降りたもののケーブルカーまではかなり距離がある。昨日と違って渡りに舟のような話しは転がってなかったが、山村の緩やかな坂道を登っていく。駅前からは一本道なので迷うようなことはない。とても静かなところで変に飾られた感じはまったくなく、素朴な雰囲気が心地よい。15分ほど歩いたろうか、広い通りに出てもうひと頑張りし、その先を右に曲がったところで妙見ケーブル黒川駅が見えてきた。一直線にきれいに伸びている路線は何か美しさをも感じる。お昼どきののんびりした中、人っこひとりいないのはちょっと不気味だったが、とりあえず山の上を目指して登っていくことにした。
佐賀空港
切符の自販機のおつりの音に反応して中から人が出てきた。そんな光景も、のどかでいい。(笑) 案の定貸切のまま5分ほどして山上駅へと到着した。だがここには何もないので、さらに上まで歩いていかなければならない。意を決して上り坂に挑む。あまり時間をかけるとかえって疲れるような気がしたので、ここはハイペースで一気に上ってしまうことにした。もうすぐ終わりというあたりまできて後ろから声がした。先程のケーブルカーのオペレーションを担当してた女性が電動車で後ろから追いついてきた。「あんまり速いから、声かけそびれちゃいましたよー!」こんなことならあまり焦るんじゃなかったかな?上がった息を押さえながら、「どうもありがとうございます」とだけ返答しておいた。
妙見口駅
まだ道半ばでもあり、ここからはリフトを利用して山頂まで行くことになる。そういえば連日のリフトのような気がするが、今日は昨日に比べて結構な距離がある。標高も上がっているので気温はとても低いが、体を動かしてきたせいかそれほど寒くは感じない。とはいうものの、こんな真冬にリフトに揺られる物好きは他にいるはずもない。帆柱ケーブル妙見ケーブルも冬季は土日と祝日しか運転していないのだが、まぁ、当たり前といえば当たり前だろう。
妙見ケーブル
リフトの降り口から山頂に通じるは2、300メートルほどあったが、薄っすらと雪が積もっていた。妙見山の山頂へは道路も通じており、そちらの駐車場はそれなりに車が止まっているようだった。バスもなくはないが、日に1、2本程度で、それも都会へ乗り継ぎができるバス停との間を往復するだけであまり使い物になりそうもない。俗化された観光地という雰囲気ではないが、とりあえずそこらを一周しておくことにした。境内はきれいに手入れが行き届いており、頂上に出ると立派な休憩所があった。あまり時間に余裕はないので、一休みさせていただいてすぐに下山することにした。木々の中を違う道を伝って最初の鳥居のところまで戻ってきた。おや?ここはお寺で、神社じゃないのでは??(余談:詳しいことはよく分かりませんが、かつて神仏分離がされたそうですね。)再び足場の悪い山道をリフト乗り場まで戻り、寒空の中下りていくことにした。幸いにも今日も無風であったが、これで少しでも風があれば体感温度はぐっと低かったに違いない。10分ほどかかったろうか、リフトを下りて何気なく時計を気にするとケーブルカーの発車時刻が迫っていた。駆け下りるようにして下り坂を下り切って慌ててケーブルカーに飛び乗る。先程のオペレータとは違う女性の方だったが、ちょっとだけ待ってくれたようだ。これを逃すと次の便まで20分待たなければならないので、素直にお礼を言って下りてくることにした。
妙見ケーブル・黒川駅 妙見ケーブル
もう一度振り返り、ケーブルカーの駅の方に目をやる。相変わらずとても静かなところに、不思議ともいえる空間がそこにはあった。次にここへ立ち寄る機会があるかどうか分からないが、本当に来てよかったと思う。登ってきた道をそのまま逆にたどり妙見口駅まで戻ってきた。小さなお土産屋さんが2、3件ある程度でとてもひっそりとしている。能勢電鉄の電車も区間便を含めると、意外と本数が出ているのであまり待つことはない。大阪空港で買ったカードをちょうど使い切り、川西能勢口まで戻ってきた。わずか2、30分の距離だというのに、そこは人で溢れ返った都会の風景だ。気合を入れて歩き回ったせいか、気がつけば何も食べてなかったので適当に遅めの昼食とする。
妙見山
今回もいろいろと凝縮して回り続けてしまったが、これで一区切りして帰ることを考える。駅の西側の阪急デパートを抜けるとJRの川西池田駅がすぐ近くにある。これから新幹線に乗るということもあるが、帰路はここからJRを乗り継ぐことにした。川西能勢口駅が立派過ぎるせいか、あちらの駅と比べてはいけない。一回りも二回りも小さな駅で列車を待つ。ちょうどうまい具合に東西線の快速と東海道線の普通列車が待ち合わせとなり、後発の普通列車に乗り込んだ。反対側の下りは北近畿方面へ向かう特急列車が通過していった。
妙見山
弱い日差しが西から差し込む中、見たことのある風景が目に入ってくるとそこは伊丹駅である。ここも去年の夏に通ったばかりなので、確かに記憶に新しい。しばらくして、すっかり様子の変わった尼崎を経由し(後日談:およそ3ヶ月後のことですが、この場所で信じられない事故が起きてしまいました。亡くなられた方々に深い哀悼の意を表すとともに、負傷された方々の一日も早い回復をお祈り申し上げます。)東海道線に入って新大阪駅までやってきた。あとは新幹線に乗って帰京するばかりだ。連休最終日の夕方どきということもあり、軒並み指定は満席である。今回は時間が読めなかったので指定は取ってなかったが、ちょっと早めに来て新大阪始発ののぞみの自由席の列に並ぶ。時間の余裕を見ていたので運良く席に着くことができたが、立ったままの人の姿も多かった。あさかぜの惜別乗車はとてもは残念な行事となってしまったが、非日常の中、総じてのんびりすることができてよかったと思う。そういえば、先週末は風邪で4日近くダウンしてしまっていたが、すっかり復活できたようだ。毎度ながら病は気から…とはよく言ったものである。いつものように週末小紀行は強行スケジュールになってしまったが、ぜひ次も計画しなければならない。
妙見山