■旅日誌
[2008/12] 寂寥なる黄昏の光の中に
(記:2009/1/3 改:2009/2/28)
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悲しいことに来春のダイヤ改正で東京発の九州夜行の廃止が正式に決まってしまいました。これで東京駅を東京駅からついにブルートレインが姿を消すことになります。0系新幹線のお別れ乗車をしたばかりですが、この先実際に乗れるチャンスもそうはないと思いますので寝台特急・富士号で大分まで行ってみることにしました。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
メトロはこね、箱根湯本、箱根桃源台、小田急箱根バス
前振りの通り、はやぶさ・富士に乗れるチャンスもあとわずかとなってしまった。0系新幹線の余韻が残っているような状態だったが、休暇が1日取れそうだったので土日を絡めて三連休にして、思い切って出掛けることにした。とはいえはやぶさ・富士号の引退は既に噂にもなっていたので、週末の指定は取りづらくなっており、特に人気の高い個室は競争率が高いらしい。今回もBソロは満席、その後も何回か照会をかけてみたが空きはまったく出てこなかった。まぁここは開放型にして本来の寝台列車の旅を楽しむことにしようと思う。
寝台特急・富士/EF65 1107
というわけで、夜の出発となったわけだが、それまでの間はまったくフリーなので、どこか寄ってから東京へ戻って来ることにした。とりあえず北陸号に乗ったときのことをふと思い出し、今日も同じように小田急ロマンスカーに乗ってみることにした。というのも、先日地下鉄に乗り入れるロマンスカーがデビューしたというのが気になっていたので、まずはそいつの予約から始める。そのときはどれくらいの知名度かまったく予想がつかなかったが、どうやら早めに予約を入れておいて正解だったようである。このロマンスカーの始発駅は地下鉄千代田線の北千住駅であり、休日は午前と午後に箱根湯本を往復する便があり、平日はいわゆるホームライナーとしての顔を持つ。もともと小田急線と千代田線は乗り入れを行っていたのでハードルはそれほど高くはなかったと思うが、いままでこういったアイデアが出てこなかったのが不思議なくらいだ。ただし地下鉄に乗り入れるということからくる制約もあって、今回新車が導入されることになり、青いロマンスカーとしてデビューを飾ることになった。
小田急ロマンスカー・MSE
どうせなら始発駅から乗ってやろう…と、それほど意気込む程のことではないが、落ち着いて考えると自宅からかなり北へ向かわなければならない。まぁ、いつものように深いことは考えないようにして、地下鉄を乗り継いで北千住まで出てきた。この駅も東武、JR、東京メトロ、TXと四社が乗り入れる一大ターミナルである。普段あまりなじみはないだけに、こういう機会でもないと降りることもない。ちなみに千代田線のホームは島式の2面しかなく、休日といえど本数は多いので、慌しい出発となることが想像できる。とりあえず先頭の様子だけは見ておくことにしたが、案の定混雑した中、乗り遅れないように前の人に付いていくのが精一杯だった。
大涌谷
乗り入れを受け入れる側の東京メトロとしても有料の優等列車を走らせるのは初めてのことであり、短い間ではあるが、専任の乗務員が任にあたっていた。列車が動き出し、その後で自分の席を探す。途中停車駅は端折っていくものの前出の通りダイヤに余裕がないので、非常にゆったりとしたペースで進んでいく。北千住を出て大手町、霞ヶ関、表参道と停車していくと、車内はほぼ満席になっていた。あっという間に代々木上原へ到着、ここで乗務員が交代する。一応通過駅なので運転停車の扱いなのだが、小田急本線のダイヤに割って入るためにタイミングを見計らっているようにも思える。思ったより長く停車していたが、後続の列車が頭を抑えられているのではないか余計なことが心配になってきた。小田急本線に入ったあとも複々線の工事が進められるところを列車は比較的のんびり進んでいた。多摩川を渡り少し余裕が出てきたところでややスピードアップしたようだったが、それでも過密ダイヤの中を縫って走っているのには変わらないようで、決してペースはいいとはいえなかった。ただ、この列車に求められているのはスピードではないので、それは問題ではない。むしろこれから始まる旅を演出する意味の方が強いので、これくらいゆっくりの方がいいのかもしれない。そういった意味でもMSEの乗り心地は申し分なかった。
芦ノ湖
相模川を越えて丹沢の景色が近くなるともう間もなく小田原へ到着する。ここから終点まではもうあとわずか、箱根登山鉄道に入りそのまま箱根湯本を目指す。快適な時間は過ぎるのが早く、もう着いてしまったか…というのが正直なところだった。列車を降りてから、最後にMSEの精悍な面持ちを写真に収めようとしたが、先頭付近は黒山の人だかりができていた。何となく記念写真を撮りたくなる気持ちも分からないではない。といっても、あまりボヤボヤしてられなかったので、急いで次の列車に乗り換えることにした。その強羅行きの電車だが、ロマンスカーから降りてきた人が一気に押し寄せてしまい、2両編成の電車はひどい混雑となってしまった。
桃源台
強羅から先は一昨年きたときとあまり様子は変わってないのでちょっと省略して、あのときと違うのはロープウェイが新しくなったことなので、今日はロープウェイに乗って大涌谷を越えて桃源台へ抜けることにしていた。ここにやって来るのも学生以来だろうか、大涌谷の上空の眺めは非常に壮観だったように記憶している。今日は特に途中下車する予定はなく、10数人乗りのゴンドラを乗り継いでそのまま芦ノ湖のほとりまでやってきた。続いて桃源台からは高速バス新宿まで一気に戻ることにしていた。桃源台からは誰も乗ってこなかったが、途中から乗り込む人であっという間に満席となり、予約をしておかないと乗ることができないようだった。どうやら土日はほとんど満席になるらしく、予約なしの人は辛うじて補助席を使って運んでいるらしい。最初は予約制だということに気がつかなかったが、先週末に予約を入れておいて正解だったようである。この高速バスは御殿場を経由していくのだが、ロマンスカーを補完する意味でもうまく住み分けができているようだった。
新宿
バスは定刻より20分ほど遅れて新宿へ到着した。まぁもともと余裕があったのであまり気にするほどのことでもない。さて、そこらのデパ地下で夕食でも買って、今宵の汽車旅へ備えることにしよう!ちょっとウロウロしてるうちに意外と時間が過ぎてしまったが、何気なく乗り込んだのがいまでは貴重となったオレンジ色の車両だった。(後日談:このときはちょっとラッキーという程度しか思いませんでしたが、このあと思わぬサプライズが待っていました。)
中央線快速・201系
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
寝台特急・富士、大分、佐賀関、国道九四フェリー、三崎
東京駅到着後、早速10番線へ向かい、列車の入線を待つ。それにしても、ここ2、3年は、東京から夜行に乗るときはいわゆる"お別れ乗車"の機会が多いようで、銀河出雲あさかぜと、過去に3回も経験している。当初、今日は富士に乗るつもりはなかったのだが、休暇が取れたついでに1泊する余裕ができたので夜行を利用しようという考えになっていた。(後日談:その後、あらためて富士・はやぶさのお別れ乗車をしてきました。旅日誌はこちらです。)しかし、この夜行列車が廃止されたら、そんな気ままな旅もできなくなってしまう。
寝台特急・富士
廃止話が囁かれ始めたこともあって、今日も多くの人がここ東京駅の10番線に押し寄せていた。危ないからホームの内側へ下がれと盛んにアナウンスが入る中、やがて列車が品川方面から回送で入線してきた。あれ?何か変だ…。いつもならEF66型機関車が牽引しているところEF65型が引っ張っているではないか?東京駅に機回し路線がなくなったあと、かつて何本もの夜行列車が行き来していたころは、次の列車を引く機関車がひとつ前の回送列車を引いていた時代もあったが、今はそんなことはしてないはずである。おかしいと思って機関車の連結部分に近づいてみると、やっぱり富士・はやぶさのヘッドマークかかかっている…。ということは今日はこのPF型(貨物旅客用機関車)が代走するようだ。とまぁ、何となく決めた日程だったが、思わぬサプライズに遭遇することになってしまった。(後日談:前日の2レが鹿をはねたらしく機関車の修復ために急遽代走となったようですね。ちなみに翌日の帰りもこの機関車が牽引してきましたが、そんな感じでネットではざわついてました。)
寝台特急・はやぶさ
騒々しい中、9番線の回送列車への連結作業を見守って列車に乗り込んだ。指定された寝台に腰を下ろし出発を待つ。同じボックスの方々と軽く挨拶してから富士はやぶさ号は東京駅を出発した。ガクンという衝撃はまったくなく、相変わらずの"東"の運転手のウデのよさには関心してしまう。列車は非常にゆっくりと加速し、都心の駅を通過していった。日が短い時期なので外はもうすっかり暗くなってしまっている。あとはのんびり汽車旅を楽しむことにしよう。まずは、晩飯から…。その後、暗い中でもかすかに見える流れる車窓をぼんやりと眺めていた。普段なら長時間何もせずにじっとしてることなどまずない。そんな非日常がたまらない。21時過ぎにおやすみ放送が入る。何となく携帯からネットの日記を更新し、寝台をセットすることにした。狭いながらもカーテンで仕切った空間に身を置いていると妙に落ち着くものだ。今日は早めに寝てしまうことにしよう。小気味よく流れるジョイント音を感じながら、眠りにつくことにした。
寝台特急・富士、B寝台
いつもなら何回か目を覚ますところほとんど熟睡してしまったようで、セノハチを通過したことも覚えがなく、おはよう放送で朝だということに気がつく。列車は約7分遅れで走っているとのこと。まだ外は暗かったがここで身支度を整える。停車のたびに遅れの案内が入るのだが、EF65ではパワー不足なのか、遅れは広がるばかりで回復する兆しはなかった。徐々に明るくなってくると沿線でカメラを構える人の数も増えてきているようだった。徳山から車内販売が始まり、早速朝食を購入する。途中歩いていきながら混み具合を確かめてみたが、下段はすべて埋まっているものお上段はぼちぼちといったところだろうか、週末だということを考えるともっと乗車率は高くてもいいような気がした。やがて列車下関へ到着、ここで機関車が交換される。急遽代役を任されることになったEF65 1107号機を見送る。偶然にも珍しい列車に乗ることができたのだが、それにしてもこの機関車、なかなか絵になるものである。
寝台特急・富士
関門海峡を渡り、門司駅はやぶさ号富士号>に分割される。先にはやぶさが出発し、富士がその後を追うようにして門司駅を後にした。小倉を出たあと日豊線に入ると、よりきついダイヤのためか遅れはさらに広がり、大分到着は定刻よりも20分以上遅れる見通しだとのこと、ここまできて慌てても仕方ない。途中、後続のソニックに道を譲ったあとも、富士はマイペースで走っていた。今日も天気はとてもよく、入り込む日差しがとてもまぶしい。同じボックスの人は途中で降りてしまったこともあり、ワンボックス独占したまま朝食を済ませたりして時間が過ぎていくのを楽しんでいた。
寝台特急・富士
別府湾を見たあと、やがて列車大分へ到着。当初は列車の写真を撮るくらい余裕はみていたのだが、すぐさま次の普通列車に乗り継がなければならない。そんな感じで余韻に浸る余裕もなく、慌しい乗り換えになってしまった。だが、そのおかげで遅れはここで解消、予定していた行程はこなせそうである。ちょっと危ういスケジュールを組んでいただけに少しホッとする。これまで長時間客車の列車に乗っていたせいか、この普通列車の加速、減速が妙に忙しく感じてしまうのは気のせいだろうか。列車は終点の幸崎へ到着、まわりを見回しても何もない田舎の駅である。
国道九四フェリー
ここに本当に目的のバスがやってくるのか心配になってきたが、バスは時刻通りやってきた。大分始発のバスだが列車を利用することでここで追いつき、さらに次の行程へとつながっていく。よしよし、とまずは自分に言い聞かせるものの、まだまだ気は抜けない。バスはやがて海岸沿いに出てきたが、降りるバス停を間違えないように注意しておかなければならない。予定通り古宮というバス停で下車し、目の前に停まっているフェリーに乗り換えることにする。出航まであと10分、よかったここもクリアだ。
豊予海峡
ここ佐賀関から国道九四フェリーで四国の三崎を目指す。船内は思ったより混雑しており、落ち着いていられそうな場所があまりなかったのでデッキに出てみた。風は強かったが、それほど寒さは感じないのでしばらくの間景色を眺めながら過ごすことにした。この区間はいわゆる海上国道で、国道197号が海の上を通っていることになっている。このフェリーは1時間に1本と本数も多く、所要時間はわずか70分と便利なのだが、両端のアクセスを考えると車以外の徒歩客にはあまり実用的ではないようだ。だからこそヘソ曲がり者にとっては気になってしまうのかもしれないが…。さて、佐賀関といえば、関あじ、関さばで有名なところで、四国の最西端で細く延びた佐田岬と挟まれた豊予海峡は潮の流れがはやいところでもある。実際このフェリーに乗ったときもデッキに出て海の様子をみていたが、横方向の海流に対して舵をコントロールしていることが実感できた。
伊予鉄バス
は定刻に三崎港へ到着、しばらくそこらをウロウロしてみたが何もないので、ただボーっとしていた。西日の逆光の中佐賀関へ向けて折り返していくフェリーを見送って次のバスを待つ。松山市まで直行するバスは日に3本、決して便利とは言えないが、うまい具合にタイミングがあったで今日は松山まで行くことにしていた。このバス佐田岬半島を縦走したあと、八幡浜、大洲、内子を経由していく。八幡浜までの間は佐田岬メロディーラインという愛称がついており、佐田岬の尾根沿いを立派な道路になっていたが、伊方原発の見返りで整備されたらしく、瀬戸内と宇和海左右どちらも美しい海の景色が続いていた。そんなバスの旅も乗客はわずか三人、それも一人は途中で乗ってきてすぐに降りてしまったが、これで2400円程度の運賃でやっていけるのか他人事ながら心配になってしまった。バスは途中高速を利用することもなく、渋滞の影響も受けて松山市へ到着したのは予定の時刻よりも30分も遅れてのことだった。
宇和海
 3日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
松山、伊予鉄・坊ちゃん列車、松山空港
松山にはGWのときに来たばかりだったが、今日はそのとき行けなかったところへちょっとだけ寄り道してみようと思う。折角もらったお休みだし…。朝、適当な時間に出発し、まずは道後温泉へ向かう。今日も天気がよく朝の日差しが気持ちいい。最初は電車を乗り継いでいくつもりだったが、気持ちがいいのでそのまま歩ききってしまうことにした。大通りからちょっと脇に入って、住宅街の中をぬっていくことにしよう。
伊予鉄
道後温泉に到着し、しばらく辺りを歩いてお土産など物色することにした。ここへ来るのはいつ以来になるだろうか?前にもこんな風にして歩いたこともあったな…。道後温泉本館の前を通り、折り返して道後温泉駅まで戻ってきた。のほど近くにあるからくり時計を見たりしてしばらくボーっとしたあと、坊ちゃん列車の整理券を買っておくことにした。
道後温泉・本館
しばらくして坊ちゃん列車へ入ってきた。の先にある車庫で折り返しの方向転換が行われるのだが、手作業で行われる。最初に機関車を切り離したあと、ジャッキアップしてその場で回転し、続いて客車を手で押していく。原始的な方法と言えばそれまでだが、うまいつくりになっているものである。その後、駅前の専用引込み線にまわされ、記念の撮影の対象になっていた。
伊予鉄・道後温泉駅
予約を入れてあった時間になり、坊ちゃん列車の入線を待つ。小説『坊ちゃん』の中では「乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ」というくだりがあるが、中に入ってみると本当にちっちゃな車両だった。昔、本当に走っていたのは蒸気機関車だったが、復元された機関車はディーゼル機関車でなかなかハイテクなつくりをしてるらしい。時折鳴らす警笛もまた可愛らしく、ガタゴトガタゴトと揺られる様はまるで遊園地のアトラクションのようだった。坊ちゃん列車が復元されたのはおよそ7年前だが、なかなかよくできている。停車駅の案内も放送ではなく、車掌さんの肉声によって行われていた。ちなみに、客車にはレトロなトロリーがついているが、これは集電のためではなく進路を決める装置を叩くためのものだとか。やっぱりただのアトラクションではないようだ。
坊ちゃん列車
坊ちゃん列車は大街道を経由して松山市へ到着、ここでも乗務員の方による手作業方向転換が行われ、折り返しに備えて停留されていた。今日はこれでもう用事が済んだのであとは引き上げることにしようと思う。ここからはバスで空港へ向かうことにする。そういえば、あのときもこうして空港行きのバスに乗ったな…。ちょっとだけ懐かしい気分になっていた。
坊ちゃん列車
空港に着いたあとも、少し時間があったので、お昼を済ませたあとも飛び立つ飛行機なんかをしばらく眺めていた松山空港を利用するのは、その仕事で来たとき以来、随分と久しぶりのことになる。海外のエアラインも来てるんだ…何てことも考えながら帰りの便を待っていると、USJ塗装機がやって来た。今年はFLY!パンダといいお花ジャンボといい、何となく特別塗装機に当たることが多かったような気がする。
ANA・NH592便・羽田行き
今日は天気もよく比較的早い時間の便だったので、外の様子を見ることができた。富士山がちょこんと雲の上に頭を出してるところ、大島空港の滑走路、房総半島を真南から見たところはまるでジオラマのようだった。最後は西日を正面から受けるように旋回して東京湾を横切り、Dランの工事現場の上をかすめて34Lへランディング。今回は休暇を付けて2泊3日だったが、たった1日の差だが随分と余裕を持ってまわれたような気がした。
大島上空