■旅日誌
[2007/10] 火の国~熊本
(記:2007/12/29 改:2011/6/26)
(記:2007/12/29 改:2011/6/26)
夏休みも十分に取れなかったので、少しは休暇を取ろうと思い金曜と土日を使って三連休にして少し遠出することにしました。今回目指したのはなぜか熊本。これといった理由のない毎度ながらの思いつきでしたが、なぜかこれまた理由もなく途中京都に寄ってみることにしました。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
今回の出発地はなぜか成田空港である。毎度ながらの奇行ぶりではあるが、更には京成スカイライナーに乗ったことがないという理由からそいつも利用してみることにした。興味本位でインターネットから予約を入れ、当日上野で座席指定を受け取る。乗り換えは日暮里の方が楽ではあるが、折角なので始発の上野から出発することにした。小雨模様の中、京成上野と書かれた方へと早足で向かう。平日とはいえ、早い時間のためか上野駅周辺を歩く人の姿はまばらである。
ホームに降り立つとちょうど1本前のスカイライナーが出発していくところだった。入れ替わるようにしてモーニングライナーとしてやってきた特急がそのまま折り返しで成田空港へと向かう。定刻に上野を出発し、しばらく地下区間を走ったあと地上へ出て日暮里駅へ到着する。それとなく座席は埋まりカーブの多い線区を列車は東へと向かう。朝のラッシュ時に差し掛かり、どの駅も上りのホームは混雑し始めていた。スカイライナーが北総線経由で運行されるようになると相当の高速運転が可能となり、かなり時間短縮されるという。そうなると、成田へ行く選択肢になるかもしれない。(後日談:新しいスカイライナー開業後の旅日誌はこちらをご覧ください。)
いつものように成田空港駅の改札で手荷物チェックを受ける。これから海外へ出発するわけではないので、もちろんパスポートなんて持ち合わせていない。免許書を見せて改札を抜けターミナルビルへ向かう。国内線のカウンターを探し、早めにチェックインを済ませておく。これから乗る中部国際空港行きの機材はフォッカー50というエアーセントラル所有のターボプロップ機で、座席の事前指定が受けられない。その昔、中日本エアラインサービスという社名だったころに一度利用したことがあるが、かつてのかわいい赤鼻の塗装も今ではすっかりANAのトリトンブルーに塗り替えられしまい、それどころかこの機種は既に退役が進められている。近い将来すべてが一線を退くのは明らかで、一度成田空港から飛び立つF50に乗ってみておきたかった。
そういえば、これまで成田空港でひとりゆっくりと出発待ちの時間を過ごしたような記憶はない。いつもは同行者がいて、結構あわただしくしていたように思う。さて、この先海外出張なんてあるのだろうか?(後日談:思いもよらず、数ヵ月後出張で成田を利用する機会がありました。旅日誌はこちらをご覧ください。)しばらく第一ターミナルの中をウロウロしてみることにした。天気がよければ外へ出て海外のエアラインの見物なんても悪くなかったが、今日も成田空港=雨、といういつものパターンになってしまったようだ。そんなこんなで最後はラウンジでお茶しながら時間を持て余すことになってしまった。
出発時刻が近づき手続きを済ませて、搭乗口へと向かう。国内線の出発口は地階のこじんまりとしたところにあり、バスに乗って搭乗機へと向かう。この機材は仙台からやってきて名古屋を往復したあと仙台へ戻っていく筋だったと思う。こんなちっぽけなターボプロップ機のわりに、ANAコネクションの肩書きも付いてスターアライアンスのコードシェアが2つも3つも設定されているのだから妙なものである。実際にはそれっぽい乗り継ぎ客など乗っていないようだが、成田→名古屋というとどんなルートをたどるのだろうか。少し興味があるところだった。日によって革張り国際線仕様の機材が使われる日もあると聞いていたが、今日はごく普通のシートだった。7割方席は埋まっていただろうか、すぐにドアクローズ、プロペラが回りだしてやがて出発となる。
それこそ4000mのA滑走路は必要ないので、B滑走路へ向けてタキシングする。意外にもBラン待ちの便も少なくなく、すぐには離陸できないようだった。ようやく順番がやってきて北向きに滑走を始める。相変わらず低い雲が立ち込め、テイクオフ後、下の景色はまったく見えなくなってしまった。折角なのにちょっと残念だ。その後どれくらい飛んだだろうか、機長からのアナウンスが入ったとき雲の切れ間から一瞬だけ伊豆半島を見ることができた。知多半島あたりで方向を変え、セントレアへ向けて高度を下げながらアプローチしていくのが分かったが、周囲の景色がはっきり見えたのは本当に着陸寸前のことだった。(後日談:後日、セントレアから成田へ向かう便を利用する機会がありました。旅日誌はこちらをご覧ください。)
成田での出発遅れが響いてセントレアへの到着が定刻から15分くらい遅れてしまった。中部地方も雨模様、どうも今日は晴れ男の神通力も通じないようである。少し遅れたとはいえまぁ余裕はあったので、お昼の食事を購入して次のミュースカイを待つことにした。中部国際空港駅を出発し連絡橋へ差し掛かると、遠目にいびつな形をした大きな機体がちらっと見えた。(後日談:気になったので後で調べたら、三菱重工業で製作しているB787(ドリームライナー)の部品輸送機=ドリームリフターでした。)ミュースカイは快調に飛ばし名古屋へと到着した。
名古屋駅でJRの切符を買うつもりだったのだが、窓口が予想以上に込んでおり乗り継ごうとしていたひかり号に危うく乗り遅れるところだった。とりあえず空いてる席を探して軽く昼食にする。車窓の雨は弱くなるところか強くなる一方で、あまり晴れやかな気分にはなれない。予定を変えるわけにもいかないので、とりあえず京都でひかり号を後にする。駅の外へ出てみたものの、名古屋のときよりも明らかに雨脚は強くなっていた。やむなく傘を取り出し、バス停まで移動する。今回は特にここへ行きたいという希望もなく、何となく東山の方にでも行ってみようと思う。
銀閣寺行きのバスに乗り、しばらく京都の町並みをボーっと眺めながら雨がやむことだけを祈る。銀閣寺近くでバスを降り、傘を差しながら参道をしばらく歩いていく。銀閣寺の正式な名前は東山慈照寺、歴史で習ったことといえば、室町幕府八代将軍足利義政によって建立されたことくらいで、ここも修学旅行で来たことがあるように思うのだが、さっぱり記憶に残ってない。観音殿を含んだ寺院全体が銀閣寺と呼ばれ、国宝にも指定されている。三代将軍義満によって建立された金閣と対比されることもあるが、質素なさまと華美さ加減を比較するのもあまり意味がないように思う。雨模様の平日にも関わらず見物する人の波は絶えず、海外の方の姿も多い。紅葉にはあとひと月ほど早いとは思うのだが、しっとりとした雰囲気の中、しばらく散策することにした。
気がつけばあれほど土砂降りだった雨もすっかり止んでしまい、傘はまったく要らなくなってしまった。銀閣を後にして風情漂う参道をもどり、哲学の道と呼ばれる川沿いの小道を少しだけ歩いてみることにした。(後日談:東山へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)天気も回復してきたようだし、続いて清水にでも行ってみることにした。再びバスで京都駅方面へもどり、焼き物坂を通って三重塔が見える方角へと向かう。天気がよくなれば気分も晴れてくる。ようやく京都観光らしくなってきたな…。
さすが京都屈指の有名な場所とあって、人の数も多かった。三重塔の脇を通り、地主神社を横に見ながら早速本堂の舞台へと向かう。よくテレビなどでも見るので馴染みのある場所ではあるが、ここも修学旅行以来の訪問である。更に境内を先へ進み、奥の院の方から本堂の舞台を見渡す。京都市街が一望できるあの眺めはここから目にすることができる。遠くの方では薄日も差してきており、ようやく晴れ男の神通力が通じたようだ。そんな景色をしばらく眺めながら、何もせずにただボーっとする。さて…と思って立ち去ろうとすると、やっぱり来たシャッターお願いします攻撃に遭う。音羽の滝ではしゃぐ修学旅行生など見ながらしばらく境内の中を歩いていく。帰りはにぎやかな方の参道をお土産屋さんなどを覗きながら下りていくことにした。少し疲れたのでちょっとお茶でもしていこうか。
京都へ寄る理由をあえてあげるなら、今晩のお宿に考えてた寝台特急なは号に乗ること。ご他聞に漏れず、関西から九州方面へ向かう夜行列車も縮小の一途をたどっており、今では長崎行きのあかつき号と熊本行きのなは号が併結してどうにか1本設定されるだけになってしまった。かつての彗星号は以前乗ってからしばらくして廃止になってしまい、あかつき号もA寝台個室を利用したのが最後になってしまうかもしれない。(後日談:このあとすぐにそのあかつき・なは号も廃止されることになってしまいました。実に残念です。)というわけで、今回は最後に残されたなは号に乗ってみることにした。京都駅到着後、しっかり食料調達して夜行列車がやってくるのを待つことにする。
2日目
寝台特急あかつき・なは号は定刻に京都を出発、今回予約したのはなは号のシングル・ソロで、それなりに利用者はいるようだった。開放型のB寝台は下段が埋まっている程度で、やはり少々さびしいものがある。出発と同時に少し遅い晩ご飯をいただき、いつものように明石海峡大橋のアナウンスが入る。海側とは反対の部屋だったので隣の車両へ移動してライトアップされた橋の姿を確認し、今夜は就寝することにした。あまり意識はしていなかったのだが、早朝目が覚めたので下関駅と門司駅で機関車の付替えを見ておく。小倉、博多と停車したそのあと、鳥栖であかつき号と別れを告げ、なは号は終着の熊本を目指す。
沿線ではところどころで九州新幹線の工事が行われているのが分かった。熊本駅も改良工事中で新幹線が開通したあかつきにはこの寝台列車の廃止は免れないだろう。なは号は順調にやって来て定刻で熊本へ到着した。この列車の名前は言うまでもなく沖縄県の那覇に由来する。沖縄が日本に返還されたのを機に西鹿児島行きの列車に名づけられたものだが、いつしか手前の熊本に短縮されしまい、ついには廃止話まで噂されるようになってしまった。旅情ある汽車旅の機会がまたひとつ消えていくと思うとやはりさびしいものがある。(後日談:残念ながら新幹線の開通を待たずして廃止となってしまいました。九州新幹線全通後にやって来たときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
熊本駅で切符を買いなおし、普通列車で新八代へ向かう。新八代駅は新幹線の部分開業に伴い、在来線との連絡駅として多くの人が利用しているのだが、実際にはただ通り過ぎるだけで、在来線のホームにいたっては至極簡素ではある。新幹線の駅から戻ってきてみるとちょうど九州横断特急が到着し、博多からリレーつばめでやって来たであろうCAさんがたちがここで乗り込んでいった。
新幹線は乗りつぶし目的で一度利用したことがあるが、それよりも昔に並行する在来線に乗ったことがあり、確か東シナ海の眺めが素晴らしかったように記憶している。新幹線と引き換えに並行在来線は原則廃止となるため、地元が中心となって第三セクターによる存続が行われるのが通例となっている。この区間は肥薩おれんじ鉄道という会社に経営が移管され、JR貨物もこの区間を必要としているため出資に参加している。が、しかし、その後の経営状況は決していいとは言えない。熊本側、鹿児島側ともに両端の先へ直通列車を走らせて利便性を上げることが決まったらしいが、今日は土日に運行される快速列車に乗ってみようと思っている。
しばらくしてして快速海風が折り返しのため八代側からやって来た。イベント用の車両ということで何やら外装が施されていたが、シールが窓に差し掛かっておりこれでは折角の車窓の眺めを遮ってしまう。これは明らかに失敗作だと思うのだが、本当に真剣に考えてのことだろうか?仕方なく乗り込み席に着くものの、やっぱり視界が遮られてしまい、これはいただけない、、、まったく、がっかりだ。列車は日奈久を過ぎたあたりから海沿いを進む。電化区間にも関わらずコスト削減のために車両はディーゼル車ではあるが、一応新造されたもので内装はこざっぱりしている。波立つ東シナ海を右手に見ながら、水俣、出水と経由し、再び阿久根近くで海岸線へ出てくる。東シナ海に別れを告げるとやがて終点の川内へ到着する。
今朝買った切符は、行きと帰りでそれぞれ肥薩おれんじ鉄道と新幹線が選択できるもので、肥薩おれんじ鉄道は乗降フリーになっている。結局、途中下車はしなかったが、つばめで鹿児島を往復してくることにする。川内からも新幹線が利用できるので、次のつばめで鹿児島中央へ向かう。
鹿児島中央での滞在時間はほんのわずか、とんぼ返りで熊本へ引き返す。つばめの車内でお昼にするものの、あっという間に新八代に到着しリレーつばめに乗り換える。まさに新幹線の実力をまざまざと見せ付けられた気分だ。さっきのつばめでお年寄りの方に声を掛けていたCAさんが、リレーつばめの車内まで手を引いて席を案内していた。走りはじめたリレーつばめの外では先程のCAさんが笑顔で手を振っている。「新幹線」というものそれ自体が確立されたブランドであり、ハード面でもソフト面でも質の高いサービスが提供されているのがよく分かる。
新幹線ばかりに目を奪われてしまったが、リレーつばめの足回りも健在で、軽やかな走りとともに熊本へ戻ってきた。今回の汽車旅はこれでひと区切りとして、次の移動手段として予約していたレンタカーを受け取るために2、3分歩いたところにある駅近くの営業所を探す。早速手続きをしようとすると、ひとつ前の客が予定していた車で"コツン"とやってしまったらしく整備工場入りしたとのことで、代わりにワン・ランク上の車を同額で出すというのでそれで即決する。乗り込んでみると走行距離わずかの新車だった。
何となく以前から熊本城には行ってみたいと思っていたのだが、なかなかそのチャンスもなく今回その機会が訪れたような格好になった。車をどこに止めたらいいか分からず、しばらく市街をウロウロしてしまったが、お城から少し離れた場所に車を止めて、そこから歩いていくことにした。藤崎台球場を目印に緑多い高台を目指す。二の丸側から公園に入るとだだっ広い緑地が広がり、その向こうに城郭が見えてきた。近づくと思ったより立派な姿をしており、下から見上げてしまった。まず最初に宇土櫓に寄ってから天守閣へ上ってみることにした。
「熊本城築城400年祭」と大きく記されていて、近くでは何か催しがとり行われていた。あらためて目の前の立派な天守閣を眺める。黒っぽい城壁は無骨さを感じさせる。お城といっても建て替えられたものなので中は近代的な建造物になっており、展示品などを見物しながら上の階へと向かう。それにしても日本語じゃない言葉がこれほど飛び交っているとは思わなかった。狭くて急傾斜な階段をいくつも昇り、最上階へ出ると熊本の街並みが目に飛び込んできた。四方を遮るものはなく、東の方角には阿蘇の山並みも眺めみることができる。天下取ったり!とお決まりの殿様気分というのもまさにこのことだろうか。この眺めを目に焼き付けておく。
絶景を目の前にどれくらいいただろうか。時間を忘れて居続けるわけにもいかない、お城を降りて今日のお宿へと向かうことにしよう。ここから先は車での移動なのであまり時間のことを計算に入れてなかったが、意外と距離がありそうだ。車を止めたところまでもどる途中に、新幹線の工事をしてる脇をちょうどはやぶさが通り過ぎていった。(後日談:その後、はやぶさは引退することになってしまいましたが、最後に乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)カーナビに宿の電話番号を入力してルート検索すると、、、やっぱり遠いいなぁ。ざっとルートを頭に叩き込み、熊本市街を後にした。この先バイパスを行くのも少し物足りないので、カーナビの指示をひたすら無視しながら豊肥線沿いに進んで行くことにした。車窓から目にしたことのあるところを今日は逆に外から列車をみることになった。そんな調子だったため、立野のスイッチバック近くで日が落ちてしまった。最終目的地である内牧温泉へ到着したとき、あたりはすっかり暗くなっていたが、遠く阿蘇五岳の紫紺のシルエットはとても印象的だった。(後日談:その後、内牧温泉は再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
3日目
少し寄り道してしまったが、豊肥線の阿蘇駅近くから県道へ入り阿蘇の火口方面へ向かう。朝日がまぶしく、険しい根子岳の稜線は逆光になってあまりよく見えない。通る車もほとんどなく山道を快調に飛ばしていく。山の中腹からみえる遠くの景色はとても雄大で自分の存在なんて本当にちっぽけとしか思えない。しばらくして阿蘇山西駅へ出てきたところで一旦車を止める。この先を行くといよいよ阿蘇山の火口である。ここからは有料道路かロープウェーで行くことになるのだが、今日はロープウェーで上ってみることにした。
眼下に広がる風景を見ながらロープウェーは火口西駅へ向かう。有毒ガスについての警告があちこちに張り出されており、高鳴る気持ちを抑えつつ多くの人が向かう方向へと歩いていく。煙が上がる高台のその先に噴火口があるようだ。坂道を登ってきて下を眺めると青々とした火口がブクブクとやっており、絶え間なく蒸気が上がっていた。かすかな硫黄の匂いが漂い、そのさまにしばらく見入ってしまった。
しばらくして、あたりを一周したあともう一度噴火口を覗き込んでおく。さて、今日も時間が限られているので名残惜しいが出発することにしようか。別の方角のに目をやると有料道路を行き来する車が走っているのが見えた。ちょうど団体さんと鉢合わせになってしまい、一本見送って阿蘇山西駅まで下りてきた。
凄いものを見たな…という満足感に浸りながら再び車を飛ばしていく。昨日と同じルートというのも少しつまらないので、帰りは南の方角へ向かって下りていこうと思う。空港までは1時間もかからないだろうか、通り道からは少し外れるが高森駅へ寄ってみることもできそうだ。カーナビをセットしなおしてエンブレを効かせながら連続した坂道を下りてきた。国道を空港とは反対の方角へ曲がり、少しいった先を右に曲がると少し見覚えのある風景となり高森駅でひと呼吸おく。高千穂へ寄ったとき以来の訪問ながらこの駅で乗り換えをした記憶がもどってくる。と言っても、特に用事があるわけでもないので、そのまま通り過ぎるだけになってしまった。そうこうしてるうちに、だんだん残り時間も少なくなってきたので、あとは空港へ向けてもどることにしよう。(後日談:その後、高森駅へ再訪する機会がありましたが、旅日誌はこちらをご覧ください。)
阿蘇の山々を右手に見ながら、狭い県道を進んでいく。途中、どうも人が多いなと思うと、JRのウォーキングラリーとかいう企画のノボリがあるのに気がつく。西へ進むにつれ道幅も広がり、最後は立派な道路になっていた。俵山のトンネルを抜けると、広大な緑が遥か先まで見通せる。上にはハングライダーが気持ちよさそうに飛んでいた。指定されたガソリンスタンドは空港脇の分かりづらいところにあり、順番待ちで少し時間をくってしまった。空港の敷地内を抜けて正午ちょうどにレンタカーを返却する。距離的にはほんのわずかだが、営業所から空港までワンボックスで送ってもらう。途中、運転手さんの言葉によると今日は本当に信じられないくらい天気がよかったそうで、プロゴルフのツアーも無事できてよかった…みたいなことを繰り返していた。今回も晴れ男ぶりが証明される格好になった。
全国空港めぐりはついこの間達成することができたが、実はここ熊本空港を利用したのはかなり昔のことであり、あまり記憶に残っていなかった。会社に入ってからそれほど年数も経たない頃に二度ばかし来たくらいで、確かJASの派手な飛行機に乗ったような気がする。となると随分と間が空いてのことになる。今日はこれから東京へ戻ってもいいのだが、何となくJEX便を利用したかったので、わざわざ大阪行きの便を予約してあった。今回の旅もあまり余裕なくスケジュールを組んでいたので、事前の予約で空いてる座席がほとんどなくクラスJで窓側の席がひとつあったので安易にそいつに決めてあった。小ぶりの搭乗機に乗り込みすぐに出発するものと思ったら、前の席でチャイルドシートの取り付けに手間取っている様子で、格闘するグランドさんを赤いジャケットのCAさんが遠巻きに見守っていた。
伊丹行きのJEX便は定刻より少々遅れて出発することになった。熊本空港を飛び立つと眼下は阿蘇の山並みが続いている。さっきまであの中を走ってきたわけだが、今日も天気に恵まれて本当によかった。遅れは取り戻せないまま大阪に到着、本当はここから新幹線で帰京するつもりだったが、飛行機も意外と安いので今日は乗り継ぎで羽田へ向かうことにしている。だったらなおさら熊本から羽田へ一本で帰るべきではあるが、それでも料金的にはあまり変わらないようだった。さすが東京-大阪はそれなりの料金設定がされているようである。何だか次もまた利用してしまいそうだ。東京に向かう空路も視界良好で、今日は富士山の姿がよく見えた。「お客様、今日は富士山がきれいに見えますね!」おっと、こっちの心まで読んでるのか、、、さすがプロである。