■旅日誌
[2002/8] 老兵に会いに西へ
(記:2002/8/31 改:2021/12/31)
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どんなに仕事が忙しくもゴールデンウィークと夏休みだけは休むぞ!というわけで、西の果てで活躍していると風の便りに聞いた"ふたりの老兵"に会いに出かけてきました。忙しい反動でしょうね、旅に出かけたくてうずうずしながらプランをひねってたもんだから計画段階で何回も"空想の旅"に出掛けてしまいましたが(笑)、最後は出来上がった計画をただ確認するために実行したような感じでした。
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 0日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
東海道本線・伯備線・山陽本線/サンライズ出雲、米子
綿密に計画を立てておきながら、実は肝心の出だしであるサンライズ出雲の寝台券を取りに行くところでつまずいていた。指定券は1ヶ月前から販売していることも、特に夏休みは指定が取りにくいことも、サンライズはなかでも人気列車だということも、すべて百も承知だったが、出発日がなかなかFIXできず、やばいと思いつつも7/10にトライ。対応してくれた駅員さんも「う~ん、ちょっと今からじゃ辛いかもね…」などと言いながらマルスを叩いてもらい「おぉ、あった、あった、ソロ1枚あるよ、押さえますね♪」ってな感じで運良くゲット!ついていた。
サンライズ出雲
さて、寝台列車は本当に久しぶりで個室スペースの寝台は初体験だった。折角のサンライズ出雲なのでシングルを希望していたがソロ下段でも全然OKですね!!まぁ取れたことだけでもラッキーと思わなければ、、、それにしても夏休みということでやっぱり混んでいた。(後日談:その後、何回かサンライズ出雲に乗る機会がありました。旅日誌はこちらこちらをご覧ください。)
 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
境線、松江しんじ湖温泉、山陰本線/スーパーくにびき、山陰本線/いそかぜ、下関
JRの未乗区間も随分と少なくなってきたが、もちろん今回も乗りつぶしを行程に入れてある。でもっていきなり一発目が境線。境港はゲゲゲの鬼太郎のふるさとということらしく、妖怪の絵が描かれたディーゼル単行に乗り込む。赤い尾灯がさりげなく「目玉の親父」になっているのが何ともユーモラスだ。その後のスケジュールからサンライズ出雲を降りて数分の便に乗り換える必要があり、米子でうろうろすることはできなかった。境線の沿線は特に目立ったものもなく唯一米子空港沿いのところが見ものといえば見ものらしい。でも残念ながら飛行機の真下すれすれを通過するようなことはなかった。(当たり前か…)(後日談:その後、境港へ再訪する機会がありました。旅日誌はこちらをご覧ください。)
境線
境港へ降り立ち当初は妖怪の銅像めぐりでもするつもりだったが、ちょっと行程にアレンジを加えたらダッシュでバスに乗り換えるスケジュールになってしまった。そもそもこのバスは隠岐へ行く連絡船のためのものでタイミングが良かったのか悪かったのか、ガラガラ状態…というか乗客は自分ひとりだけ。境港の地形を車窓に見ながら何となく心配になったが、すれ違う逆方向のバスはことごとく満員だったので、そういうことか…と納得してちょっと安心。
松江についたらすぐさま松江ウォーカーと名づけられたいわゆるワンコインバスに乗り換える。地元利用客の掘り起こしの結果か、"松江"というネームバリューのおかげかそれなりに効果はあるようで適当な混雑ぶりだった。ほどなく一畑電鉄の駅に着くと、ちょっとおや?と思う。駅名が変わっただけでなく知らぬ間に姿形もすっかり変わっていた。遠い記憶の中のあの駅とは似ても似つかない。今度は慌てて乗り換えというパターンではなかったが、何十分も待つわけでもなく某社のセカンドユース車両に乗り込む。こうして宍道湖の風景を眺めていると、はぁ~旅をしてるんだとあらためて実感がわいてくる。ここの眺めは本当にいいですよね、、、といって写真はない。(後日談:その後、一畑電鉄を利用する機会がありましたが、旅日誌はこちらこちらこちらをご覧ください。)
松江しんじ湖温泉
出雲駅に着いたところで初めて気が付くが、こちらも風景がまるで変わっていて少々まごつく。ここから再び山陰線の人にもどり、今度は新鋭の特急に乗り換える。地盤を整備し軽やかな足回りの新造車は軽快な走りをするが、冷房の効きはいまいちだし何となく安っぽいとうか、貫禄不足の印象が強かった。
益田に到着すると数分で次のランナーにバトンタッチとなる。待ち構えているのは第一の老兵である。古さは否めないが、乗り込んだときの無骨な雰囲気が何ともいえない。先程の若僧に比べればはっきりいって鈍足ではあるが、特急のありがたみのような雰囲気に満ちている。夏の日本海はまるで絵はがきで、高校生のとき友人と鈍行客車で山陰線を制覇したときの記憶がもどってきた。いまではすっかり音信不通ではあるが、少なくともこんなところ(?)で感傷にふけっているような生活はしてないだろう。そんなことに想いをはせていると何やら雲行きが怪しくなってきた。あっという間にひどい雨である。勢いを増してかなりの大雨になった。が、老兵は寡黙なままに疾走し続けている。夏の通り雨にしてはすごい勢いで一時はどうなるものかと本気で心配したが、西進するにつれ徐々に雨足も弱まりどうにか止んでくれた。当初、東萩か長門市あたりから南下することも考えたがこのまま老兵のお世話になることにしてある。夕陽が沈む風景を…とも思ったが、結果的にあの雨を引きずった空模様の中ではまともな夕陽は拝めなかった。とりあえず下関に着いたがまだ明るかったのであまり意味はないが、門司まで関門トンネルを往復することにする。ここでもまた高校時代のときを思い出し、夜更けの関門トンネルへ吸い込まれる光景が鮮明に蘇ってきた。門司では何をするわけでもなくそのまま折り返して下関に戻り宿へ向かう。
いそかぜ
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
秋芳洞、秋吉台、萩、仙崎、厚狭
今日のスケジュールは観光モードだが、この地で公共交通だけでよくここまでスケジュールできたものだと我ながら関心してしまう。(笑) 小郡に宿をとってもよかったのだが、まずは新幹線に乗り継いで下関から小郡へ出る。別に洞窟に強い興味があるわけではないが、何となく秋芳洞は行ってみたかったところのひとつで、小郡駅からバスで直行する。駅前でバスを待つと期待とは違ったやや小ぶりの路線バスがやってきた。遠目に最初はこれじゃないだろうと油断してると、、、方向幕を見てこの車だったのだと認識する。やっぱりここでも他に乗客の姿はない。途中高校生ひとりと地元のおばちゃんを拾ったが、乗った数個先のバス停で降りていってしまった。路線バスを乗り通して秋芳洞入口に着く。いかにも観光地といった感じの「参道」が洞窟の入口まで続くが、朝一ということもあり若干活気がない。が、人の流れは絶え間なく続いていた。観光地化されてしまった洞窟は地底探検とまではいかないが、不思議な光景をいくつも目にしながらゆっくり周るのもそれなりに楽しいものだった。予習通り突き当りのエレベータで一気に地上へ上がり、こちらもまた違う意味で不思議な光景の秋吉台のへ出る。こうして一面広がるカルスト台地を眺めていると普段と時間の感覚がずれてくるようだ。まだまだ次のバスには時間があったので資料館をのぞきにいく。失礼な言い方だが予想以上に質が高く、ここはぜひ1度おすすめしたい。
0系新幹線 秋芳洞
秋吉台のバス停はさほど離れておらずすぐに着いてしまったので待ち時間ができた。無人化してしまっただだっ広いバス停で相変わらずまったりしながら次の便を待つ。夏休みであろう、それなりに集まった客を乗せバスは出発する。今度は観光バスタイプの大型だったためか通りに出る直前で切り返しを行いバス停を後にした。カルスト台地の中を快調にバスは飛ばしていき、他の洞窟などの観光地に寄りながら萩へ出た。次の列車まで時間があったので街中をぶらぶらしながら昼食をとることにする。今日の山陰線は工事で区間運休があったらしく代行バスが行き交い普段と違うダイヤに困惑している人もいた。自分には影響がなかったのであまり気にはしなかったが、乗った列車は今日に限って東萩始発となっていた。おかげで乗客の姿がまったくない。昨日見た風景の中を長門市へ向かう。
秋吉台
長門市-仙崎のひと区間は山陰線の支線ではあるが、美祢線の数便がおしるし程度に延長した形で運行されている。長門市で時間を潰して仙崎までを折り返しでもよかったのだが、2キロちょいということなので歩いてみることにした。が、これは判断ミスだったことにすぐに気付く。というのもひどい猛暑の中、それも1日で一番気温の高い時間帯を選んで炎天下を海岸線に沿って歩き初めてしまったからだ。しばらく進んできてしまったため、もう元に戻るわけにもいかない。気のせいか地元系(?)の乗合バスが横を通り抜けていく。今回はあまりにも計画を密に組んでしまったためかそれともこの猛暑のせいか、その場での応用力が利かないようでバスも捕まえられない。半ばやけっぱちで青島が眺められるところまできてしまった。都合3、4キロは歩いたような気がする。スポーツドリンク系のBIGサイズ缶を一気に飲み干してから、仙崎駅に向かって折り返す。あまり予備知識はなかったが、金子みすゞの街ということでどの家も軒下に手書きの詩を記した短冊のようなものが掛かっている。日本の原風景という言葉がふさわしいとても印象深い街並みだった。このときばかりは苦労したかいがあったなと感じた。
仙崎
大変な思いはしたがうまく時間を潰した形になり、仙崎で美祢線直通の列車に乗り込む。地元の中学生、高校生ばかりを乗せた車内はとても賑やかだった。評判の悪いロングシートのキハ単行に揺られると、猛暑の中歩いた分をすぐに取り戻してあっという間に長門市へ到着する。ここでしばらく時間調整、そう例の老兵とも待ち合わせをするためでもある。2度目のご対面を果たし、こちらは美祢線へ入っていく。実はここも未乗区間である。山間の特に何も目立ったものもない道のりを過ぎ厚狭へ抜けた。支線があったころに1度来ておくべきだったかな?などと思いつつも次の行程を目指す。(後日談:仙崎へ再訪したときの様子についてはこちらの旅日誌をご覧ください。)
今日2度目の新幹線で厚狭から小郡までひと駅乗り継ぎ、やはり未乗である宇部線を目指す。小郡では接続時間が3分程とオフィシャルには不可のはずの乗り換えにチャレンジすることになってしまった。今朝方、降りる場所と道のり・距離感をつかんでおいたので大丈夫だとは思っていたが、スピードダウンして小郡へ入線する間はあまりいい気分はしなかった。結局ダッシュして目的の列車に滑り込むことができたが、今日も雨がぽつぽつときている。駅間といい路線の曲がり具体といい、宇部線は元私鉄であることがよくわかる。途中山口宇部空港を確認することができたが、宇部線がこんなに近いところを走っていたのは予想外だった。実は仕事の関係でこの空港を何度か利用したことがある。まるでローカル線の駅のような小さな空港で、変な話、新宿駅なんかの方が何百倍も立派かと思ってしまう。宿は宇部新川にとってあったが、ひと列車乗り継ぎ宇部まで往復し、これで宇部線も制覇する。宇部駅の歴史的な変遷は識者に任せるとして、宇部新川は宇部の中心である。それにしても、何回来ても寂しいところだなと感じる。
いそかぜ
 3日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
宇部新川、長門本山、山陰本線/いそかぜ、山口線/スーパーおき、唐戸、門司港
第二の老兵については今更ここで説明を加えるまでもないが(やっぱり識者へ任せよう…)早朝そわそわしながら宇部新川駅へ向かう。運行しない日もあるとは聞いていたが、、、いた、いた。朝日に照らされて遠目にもどっしりとした存在感を漂わせてる。SLより古いかもしれないこの車両、随分前から引退がささやかれているが、ひとりまたひとりと"同僚"も去ってしまい、ついに最後に残ったのがいま目の前にいる。ノスタルジックに浸るのは人間の方の勝手だが安全運行のためには保守部品の確保は必須で、そのためにここ数年はまさに同僚が身を削って部品調達用の予備車にまわり最古老を支えてきた。いよいよそれも限界に近づいたらしい。やっぱりその筋の先客もちらほら見受けられる。(後日談:残念ながら2003年3月についに引退となりました。本当にご苦労さまでした。)
クモハ42
乗り込んでみてあらためて存在感を感じる。確かに個々のパーツは時代ものなのだが、手入れが行き届いてとても綺麗である。ガクンという衝動とともに吊り掛け音を響かせ宇部新川を発車する。その揺れに身をまかせ開け放たれた窓から朝の空気を感じる。あっという間に終点に着いてしまい、その先に目をやると瀬戸内海は朝日に照らされキラキラと輝いていた。数分した後、同じ列車で折り返すが地元利用者ですらまばらだった。バスを利用すれば用は済むらしいので、老兵とともにこの支線も廃止になってしまうのであろうか?そういう自分も次にここへ来ることはないような気がしている。
クモハ42
雀田まで戻り老兵に別れを告げ小野田へ抜ける。これで小野田線も完乗となった。それにしても宇部へは仕事で何回も来ているのに、なぜスケジュール調整して足を伸ばさなかったのが我ながら不思議である。これで今回の旅の目的をほぼ果たしてしまったことになり、あとはどうでもいいような気持ちでスケジュールを組んでいたが、再び下関へ出てもう1度>最初の老兵を捕まえる予定である。
クモハ42
お会いするのは3度目だが車番は確かめるまでもなく同じであった。車内で遅い朝食をとりながらふたたび日本海を眺めているが、ここでの乗客の数も寂しいほど少ない。これで益田まで逆方向でも乗り通し、いよいよお別れということになる。乗り継ぎがそれほど悪くないという理由だけで、益田からはあまり目的意識もなく山口線へ抜ける。ここからは例の若僧の出番となる。山口線で小郡へ抜けるルートはメジャーなルートなのか自由席は満席であった。運良く空いた席へ座り山間の風景をボーっと眺めることにしたがやはり冷房の効きがよろしくない。美祢線よりも変化に富んでるが、後方の学生さんの団体はずっとうるさいままだった。
スーパーくにびき
小郡から再び新幹線を利用して九州へ渡る予定を組んでいる。やって来たのは0系でなく100系4両編成だった。この車両もこんな使われ方をされるのかと思うと時代の流れを感じてしまう。このまま新幹線に乗ってるとすぐに九州へ着いてしまうので新下関で在来線に乗り換える。在来線のホームに降りると不思議な色合いの列車が遠くに見えるのだが、どうやら新幹線の試験車らしい。遠かったしその辺はあまり詳しくないのでよく分からなかったが、一瞬の出来事だったのでデジカメに収めておくのを忘れてしまった。
100系新幹線
そんなのあり得ない?といったルートを1周して下関に戻ってきたが、駅前からバスで唐戸へ向かう。思ったほど観光地ではなかったが街歩きに入る。うろうろしてて何か美味しそうなものであれば…とも思ったがそれほどでもなかったので、連絡船で門司港へ渡る。約5分の船旅である。レトロな街並が売り物の門司港近辺へは1度来たことがあるが、街歩きはしてなかったのでやはりうろうろしながらその辺を歩いて見てまわる。毎度もっての話でそれなりに外見は怪しいと自分でも思うのだが、やっぱりどうしたものか「シャッターお願いします」と人から声をかけられてしまう。門司港駅立派さ相変わらずの雰囲気に包まれていた。そういえば前回は駅舎内の見学コースを見てまわるのを忘れてしまい、あらためて見ておくことにした。今日の宿は小倉に予約を入れてあったが、まだ日が高かったので小倉を越えて当てずっぽうで適当なところまで行って折り返すことにする。結局これが裏目に出てしまい、携帯の着信に気付くのが遅れ(連絡船以降何回か受けていた)途中で連絡を入れると会社の方でトラブっていた様子。出てくる前にあれほど言っておいたのに見事にやってくれたようだ。前もって警告しておいたので幸いにも自分に否はなかったけど、落ち着かないので外へ夕食をとりにいくこともできず宿にこもりっきりになってしまった。(しくしく)(後日談:その後、門司港には何度か来る機会がありましたが、旅日誌はこちらをご覧ください。)
関門海峡 門司港駅
  4日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
スカイレールサービス、広島、広電宮島口
昨晩のこともあり多少不機嫌になっていたが、気を取り直して今日もスケジュールの消化にとりかかる。それにしてもこの駅、ビルのど真ん中からモノレールが出てたりして立派過ぎないか?在来線で関門トンネルを通過して下関で普通列車へ乗り換える。常識的に考えれば小倉から新幹線でひとっ飛び以外何ものでもないが、昼間の山陽線の記憶が少ないのが気になりロングランを決め込む。通勤時間帯ということもあり、徐々に乗り込んでは大きな駅で一斉に降りていくということを繰り返しながら徳山までやってきた。途中同じボックスに座った人たちは会話からJRのOBと想像されたが、どこも厳しいようでちょっとだけ同情。徳山では時間調整で10分以上停車するとのことなので、ここで飲み物を買い足す。やっぱり今日も暑い。時折見える瀬戸内海は、昨日まで見てきた日本海とまた違った表情をしていた。
小倉駅
広島を少し通り越し瀬野で降りる。スケジュールを組む中でスカイレールサービスという新しいタイプ(?)の乗り物があることを知り、それでは…ということで乗ってみることにした。外見はロープウェイのようにも見えなくはないが、ゴンドラともモノレールともどう表現していいか分からない乗り物だった。駅と急斜面の先の新興住宅地を結ぶ足という位置付けで、これまでにないコンセプトで開発された乗り物ということらしいが、何に分類されるかがはっきりしないため法的手続きに一番苦労したという話を後から知った。無人運転のその不思議な乗り物でとりあえず"山頂"と"麓"を往復してみる。監視カメラで常時監視してるため無人でも安全性は高いというが、果たしてどんなものだろう。
スカイレールサービス
好奇心からきた寄り道を無駄で終わらせないためにも、この際広島に留まり広電を一気に乗りつぶすことにした。瀬野から広島まで戻り、お約束のお好み焼きで昼食を済ませ1日乗車券を購入してなりふりかまわずから成敗(笑)していく。広電は宮島から広島への移動で1回、出張で市内を1回の計2度乗った記憶があるが、どうせなら…ということで今回すべて乗ってみることにした。移動距離はそれほどないが思いのほか時間の喰う作業だった。
広電
宮島口へ辿りついたときは暗くなってきていた。単に日が傾いたのではなく低い雨雲に覆われていた宮島口からの戻りではちょうど低床車に当たったが、やっぱり日本離れした感じがするものだ。途中夕立に見舞われたが市内に戻ると雨は止み気温も若干下がったような気がしてきた。原爆ドーム近くで一旦下車し街歩きをしてみる。仕事で来たときとそう変わっていないようだ。後で分かったことだが翌日花火大会が予定されていたらしい。運が悪かったと考えるのが普通だろうが、大変な人波に出会わなくて良かったと正直感じていた。広島のお祭りというと恐い人たちが集団で暴れて警察と衝突する光景を思い浮かべてしまうが、それはよそ者の先入観かな。
広電
  5日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
アストラムライン、井原鉄道、水島臨海鉄道、岡山電気軌道、姫路
広島へ寄り道した理由はもうひとつある。昨日そのまま先へ進んでもよかったのだが、帰路の途中で井原鉄道水島臨海鉄道に効率よく寄ろうとすると広島を朝立つパターンがいいと思えたためである。が、それほど早く広島を出る必要もなく、ついでのついででいわゆる新交通のたぐいのアストラムラインに乗ってみることにする。本通り駅は地下にあり、10時前の便から今日はスタートする。地図からも分かるようにぐるっと郊外をまわる格好で、将来的には西広島辺りまで延びるようだ。単なる往復はやめて途中大町で可部線に乗り継ぐ。今日も山陽線に比較長く乗るため広島の手前から乗り込みさっと席をとるのにも都合がいい。昨日も書いたが、徐々に増え続けた乗客は大きな駅で一斉に降りていくことが予想されるためだ。
井原鉄道
横川から乗り込んだこの列車も案の定混雑していたが、広島で一斉入替えが起こり無事座席を確保できた。広島前後で一応快速運転をするが、基本的に在来線の普通列車である。ここまで順調にスケジュールをこなしてきたがこの列車で初めてトラブルらしきものに見舞われた。昨日寄り道した瀬野の手前で何の予告もなく抑止をくってしまう。4両編成の列車の中を車掌が1往復半したのちしばらくして停止信号のまま身動きが取れなくなったとアナウンスがあった。ちょうどカーブにさしかかったところだったので自分の座った席からも先の赤信号が確認できる。真横の急斜面では昨日乗ったゴンドラが何往復かしていった。こういうときの時間感覚はとてもいい加減でおまけに時計を持たない主義なので正確なことはわからないが5分程止まっていたであろうか、先方の信号が黄色に変わって恐る恐る動き出した。徐行運転のまま瀬野駅の構内まで進入はしたものの、もう一度抑止状態になる。瀬野は通過駅であり、更にいつもは入線しないホームに列車が入ってきたせいかみんなこちらをキョロキョロみている。車内放送では車両故障でも人身事故でもないので信号が変わり次第運転再開可能とアナウンスされるが、本来の旅客列車の通り道である横のホームには貨物列車が止まっていた。"セノハチ"を前に、どうやらこいつが何かしでかしたらしい。運転再開にはなったが相変わらず徐行運転のままで、何分遅れになったのかが気になるところだ。ただ、何時間も足止めを食ったわけではないので、まぁ何とかなるだろうと直感的に感じていた。その後も回復運転するとのアナウンスはあったが、足場を軋ませながら右に左にワインディングする有名な区間なので停車時間を短くすることくらいしかできない。白市へ着きふと見回すと懐かしさを感じる。初めて広島へ出張にきたときは広島空港の不便さに閉口したが、その後市内の営業拠点への出張は無くもっぱら西条の工場(といっても西条駅からかなり遠い)へ仕事へ来ることが多くなった。なので白市経由のこのルートは馴染みがあった。とはいうものの、今となっては会社を移ってしまったのでもう広島に出張にくることはまずないのだが。
結局、福山へは6~7分の遅れであったが、途中接続すべき列車にはすべて接続できたようだった。福山へも何度か来たことがあり1回は福山城へ登ったことがあったので、ここでも懐かしさを感じる。何気なく入った駅下のラーメン屋はお昼時のせいかそれなりに混んでいたが、なるほど味もサービスも上々で人気の店であることはすぐに納得できた。JRと接続のよい三セクは大きな駅で切符を買うとオレンジカードが使えることが多く、井原鉄道も例外でなくオレンジカードの消化に充てる。今度乗り換える列車は福塩線に乗入れる便で既に入線していた。右往曲折して開通したこの線区はまだ新しく、直線に近い高架が田舎の郊外を突き抜けている。明らかに某公営企業が設計・施工した路線である。ワンマン運転といいながらいつまでも初老の車掌が乗車していた。突き抜ける工事をしておきながらなぜか総社に接続せずひとつ手前の清音で伯備線に乗り換えた。こうしないと1本ロスすることになるからだ。思えばサンライズでここを通っているわけだが、井原鉄道へ分岐するこの立派な橋はそういえば見覚えがあった。
水島臨海鉄道
倉敷での乗り換えもスムースを通り越し慌しいものであった。水島臨海鉄道で終点まで往復するが、工業地帯を通るこの線の主人公は旅客ではない。それも終点のひとつ手前の水島が実質の終点と言ってもいいわけで、乗りつぶしにこだわるためにはこのタイミングか朝晩のラッシュで往復しなければならない。井原鉄道の直通便と水島臨海鉄道の乗りつぶしが1度にできる筋があったから、朝広島を出るスケジュールを組んだというわけである。ところで水島臨海鉄道は、なぜか恐ろしく鈍かった。それと貨物列車の交換のためであろうか、駅の構内区間の距離が長かった。この地の滞在時間はほとんどなく倉敷にもどりダッシュで山陽線に乗り換える。(後日談:その後、倉敷へ再訪する機会がありました。旅日誌はこちらをご覧ください。)
岡山電気鉄道
もうあとは姫路まで行けば今日はどうでもよかったが、岡山に軌道線(路面電車)があったのでそれを片付けることにしている。岡山はかなり昔に立ち寄ったことがあるが、あのときは体調を崩してしまいボロボロの旅だった。あまりぼやぼやしていると日が傾いてくるので、できるだけ早くと気持ちも急いてくるが、乗りつぶしに専念しすぎると気持ちに余裕がなくなる。岡山駅前から2方向へ路線が出ており、片方の終点からもう片方の終点へ歩いてみることにした。仙崎のときに比べれば多少はましかもしれないが、清輝橋から歩き出して東山に着くとやっぱり汗だくになっていた。ロング缶=ビールという図式が当たり前のように脳裏をかすめるが、火照り過ぎた体にアルコールは危険なので水分の吸収がよさそうなものにしておく。東山から岡山へ戻る便で桃太郎電車を期待してみたが当たらなかった。途中女性の運転手も見かけたが、鹿児島でも見たことがあり別に珍しくはないようだ。ただ、どうしても運転手の制服が作業服に見えてしまうのだが、これで正解なのだろうか??
レールスター
岡山に戻ると意外と余裕がなくなっていた。窓口に並ぶより自販機の方が早そうだったのでそちらで自由席特急券を購入する。クレジットカードを使ったので、お札を出したりお釣りをかき集めたりすることもなく手間が最小で済んだ。なぜ岡山から姫路までショートカットしなければならないのか、そもそも岡山から姫路までなら在来線でもいいのに…と思われるかもしれないが、答えはレールスターに1区間でもいいから乗っておきたかったからというわけで、何のことはない。(笑) で、念願のレールスターに乗る。暖色系のアコモは"東"や"中"の会社にはない"西"のセンスだなと強く感じた。もっと乗っていたかったが、姫路にはすぐについてしまった。日は西に傾き、夕陽となって今日の最終ランナーを照らしていた。(後日談:その後、姫路を訪れる機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
播但線
  6日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
網干、三木鉄道、北条鉄道、神戸
折角姫路で1泊したので白鷺城見学&廃線モノレールの探索にもひかれたのだが、今日中に帰っておきたかったので諦める。さて、老兵に会うというテーマもすっかり忘れ、後半はひたすら西から東へ横断しながらの未乗区間潰しに徹してしまっているが、今日も最後のあがきを予定している。まず手始めに山陽電鉄の網干までの区間を制覇する。関西へ来てもなかなかここまで足を伸ばすことができなかったので、今回は渡りに舟でもあった。さすがに電鉄網干からJR網干までは歩き通せそうもないのでバスを利用するが、日曜の早朝ということもあり、またもや乗客は自分ひとりだけだった。お世辞にも愛想がいいとは思えない若い運転士は明らかに不機嫌のオーラを発しており、何かこっちが悪いことをしてるみたいでとても居心地が悪かった。こんなことならタクシーにしておけばよかったか。
山陽電鉄
なぜか姫路を通り過ぎて網干始発の快速で加古川へ出る。以前、加古川にも寄り立ったことがあるが、駅舎は工事中でばたばたしており、きっと次来るときがあればまた風景は違っているのだろう。加古川線でちょっと横道にそれ厄神へ出て三木鉄道に乗り換える。新しそうに見えた車も走りは非力で何か物足りない。車内も沿線ものんびりとした空気につつまれ、それでも終点三木にはあっという間到着してしまった。ここから神戸電鉄の三木駅の方へ徒歩で抜ける。あらかじめ地図を用意しておいたので全く迷うことはなかったが、これでまた汗だくになってしまう。1000円以上は足代に使うだろうと思って姫路でスルッとKANSAIを買っておき、ここでもそれを利用する。程なく粟生行きがやってきた。粟生駅は3社集まる乗換駅なのだが、いかにもローカル駅の風情である。ここで北条鉄道に乗り換える。三木鉄道北条鉄道も第三セクターで国鉄からの転換路線である。いつものように詳しいことは識者に譲るとするが、JRと線路は物理的に切り離されていた。北条鉄道の車両もレールバスで今日の担当はロングシートの方であった。(後日談:残念ながら三木鉄道は2008年4月に廃止されました。)
三木鉄道
終点の北条町まで往復するが、まさに乗りつぶし以外の何ものでもない。行きがけに初老の女性が運転手に向かって「西濃運輸のあるハンジョウ町へ行きたいのですがどうしたらいいでしょう?」と聞いていた。年配の運転手にも適当な答えが見当たらず終点からタクシーかね?などと返答に困っていた。結局乗合わせた人全員に尋問を始めてしまう。自分の番も来たが、もちろんよそ者なので答えられるわけがない。途中から乗ってきた地元客のおばちゃんがどこぞで降りてタクシーを呼ぶとよかろう、みたいなことを答えていたが何かとても心配になった。戻るときには例の女性はその駅にいなかったので無事行けたのだろうと思うが、気になって後日地図を調べると「繁昌町」はかなり遠いところにあった。粟生でも北条町でも結局タクシーを飛ばしていかなければ辿りつかないところのようだった。(後日談:その後、北条鉄道を再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
北条鉄道
粟生まで戻りいよいよこの長旅もクライマックスである。粟生から出るこの路線の終点が神戸の繁華街のど真ん中というのも信じられない感じがする。とはいうものの、1本道ではあるのだが所要時間はそれなりに必要だ。さすがに粟生から乗り込む客はまばらだったが、これで神鉄も未乗でなくなる。先程逆方向に乗り込んだ三木駅を越えるあたりから徐々に乗客は増えてきて、神鉄名物の下り勾配ではすっかり満員電車になっていた。
粟生駅
さて、あと新幹線で東京まで帰るだけだ。新神戸で乗降りしたことがなかったのでそちらへまわってもよかったのだが、先に新大阪からの特急券を買ってしまったので仕方なく新大阪へ出ることを考える。まだ時間の余裕が少々あったので湊川からJR神戸駅まで歩いてみる。地下道になぜか卓球場があったり派手なラーメン屋があったり実に不思議な場所だった。神戸で軽く昼食を済ませ新快速でそのまま新大阪へ向かう。さらに欲張って未乗区間を探して冒険してもよかったのだがこれといって思い当たるところもなく、さすがに京都あたりまで出るのも億劫だったので、正直に新大阪に直行した。これからお盆休みのピークを迎えるのだろうか、新大阪は多くの人でごった返していたが、取り立てて東京方面の列車が混雑してるような感じもせず新大阪始発に乗れば余裕で座れる程度の人出だった。何のことはない、普段の休日ってやつだ。別にのぞみにする必然性もなくもちろん指定もとっていなかったので何本か見送り、折角なので700系の新大阪始発のひかりを選ぶ。車内に入るとかすかに新車の匂いがしてが、そのアコモはレールスターのものとは明らかに違った。どっちがいいかは個人的な好みなので何も意見を言うつもりはないが、新車は定刻通りに東へ出発した。富士山がまったく拝めなかったのが残念であったが、それは贅沢な話というというべきであろう。今回はかなりの長丁場であったが、山陽線の数分遅れをのぞけば計画したスケジュールを完璧にこなしたことになる。今日は新横浜で降りることに決めておいたが、定刻着であったことはいうまでもない。
神戸駅 700系新幹線