■旅日誌
[2006/5] 遠くその先へ
(記:2006/5/15 改:2025/2/11)
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なぜか突然、北海道へ行ってきました。紋別に渡りオホーツクラインを北上し、稚内から空路札幌入りしたあと特急まりもで釧路へ向かい、最後は中標津から帰ってきました。移動距離の割にはかなりの強行スケジュールでした。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
オホーツク紋別空港、オホーツクライン、宗谷岬、稚内空港、丘珠空港
先日の種子島・屋久島の後半に、実は北海道へ行ってしまおうかという考えが頭の片隅にあった。結局、日光行きで取りやめになったが、本当の理由はちょっと違っていた。GW期間中に飛行機を利用しようとすると、割引運賃が設定されてないため今回のルートはかなりお高くついてしまう。というわけで、ANAの旅割が利用できるということだけで、この週末に渡道してみることにした。いつものように、それ以上深く考えてはいけない。
オホーツク紋別空港
羽田からオホーツク紋別空港へは、1日1往復しかない。出発時間は11時なので、ちょっとゆっくり目に羽田に向かう。1週間くらい前の話だと週末の天気はまぁまぁといっていたが、ここ2、3日の間に予報は雨に変わっていた。今朝もパラパラと雨が降ってきている。とりあえず現地の好天を祈る。今回は飛行機の時間に合わせるという制約から少々きついスケジュールを立てており、出発が遅れないかちょっとヒヤヒヤしていた。同時刻に以前利用した米子行きが出ていたが、羽田名物の出発便の"渋滞"もなく、そんな心配をよそに紋別行きのANK便は定刻に出発した。ぐずついた天気のため、多少揺れながら雲の中を抜ける。その後もしばらくは白い雲だけ見ることになった。
オホーツクライン
雲の合間から下の様子がみえてきたのは着陸体制に入ったあとで、もう随分と北海道上空を飛んできてからのことであった。大雪山系の山々は雪に覆われており、季節感が違うことが分かる。サロマ湖を右に見ながら一旦オホーツク海の上空へ出たあと、左に旋回して紋別空港へのアプローチとなる。着陸後、滑走路の先端で180度Uターンし、そのまま戻る感じで空港の建物の前まで誘導されてきた。オホーツク紋別空港は滑走路の側道もボーディングブリッジもない小さな空港である。周辺には何もなく紋別市街へ向かうシャトルバスへ乗り込み、しばらく発車時間を待つ。流氷見物のガリンコ号の出航場所からも距離がある。(後日談:あらためて冬の紋別を訪問しています。旅日誌はこちらをご覧ください。)出発時間になったがラジオはつけっぱなし、他に乗る人がいないにもかかわらず相変わらずのんびりとしている。この先時間に余裕がないので、1分でも早く出してもらえないかと思ってたところ、もう一団がやってきた。その中の一人が運転手と顔見知り(同級生?)だったようで「あれ、O君じゃないの?どうしたの、いやだわ~~懐かしぃっしょ…」などとローカルな話を始める。おいおい、こっちの気も察してくれよ…。せっかく定刻で到着したのに、そんなこんなで10分程遅れをとってしまった。
オホーツ海
紋別バスターミナルは街の中心部にあるのだが、失礼ながら十分に田舎な雰囲気だった。あとから同じバスに乗ってきた一団もどうやら同じレンタカーを利用する様子だったが、そんなことは差し置いて早速受取りの手続きに取り掛かる。担当スタッフは一人しかいないので急に慌しくなってしまったが、もしかしたら1日の仕事の大半はこの時間帯だけで終わってたかもしれない、、、などと勝手な想像をする。今回は、一度乗ってみたいと思ってたハイブリッドカーを手配していた。はっきり言って都会じゃない何もないところを走るには不向きだが、某国民大衆車と同じクラスの料金なのでどんな具合か試す機会にしたい。街中を抜けるものの、遅い車に引っ掛かりなかなかペースが上がらない。制限速度以下で走っているのは意外だったが、結果的にこれが幸いし、途中潜んでいた(?)スピード違反の取締りにも引っ掛からないで済んだようだった。(余談:本当にパトカーが道端でスタンバイしてるんですね。)
宗谷岬
この車の運転にも馴染んできたところで、徐々にペースアップを考える。時速40、50キロでチンタラ走っていては時間に間に合わなくなる。追い越しをかけてみるが、反応も悪くない。途中休憩しながら、あちこち風景でも収めたかったが、何度も言うように時間が心配だったので、何より先を急ぐことを優先する。興部、雄武と抜けると交通量も一段と少なくなるものの、時折遅い車に引っ掛かる。枝幸を過ぎてからだろうか、ペースは絶好調(意味不明?)となった。その後もオホーツク岸の何もない一本道をひた走り続ける。浜頓別に出て一瞬街らしくなり、交差点を右折するために久しぶりに車を停車させた。さらに寂しいところを突き進み、ラストスパートに差し掛かる。
稚内空港
ノンストップのままろくに休憩もとらずやってきたが、気持ちゆとりが出てきたので猿払近くで一旦車を止める。遠くオホーツク海の眺めが素晴らしい。天気もまずまずだ。一部を除き、かつては鉄路でつながっていた「オホーツクライン」であるが、軒並み廃止の憂き目に遭い、今ではその面影もない。自分もその頃は本格的な"活動"なんてしてなかったので、今思えばとても惜しい気もする。この時間にここまで来れてれば、返却時間には十分間に合うだろう。ここまでずっと平坦な道のりだったが、大岬の手前数キロはちょっとした山道になる。とりあえず宗谷岬でもう一度車を止め、あたりを眺めながら休息をとる。何年か前に北海道を巡ったときにここへ立ち寄ったが、今日は特にシーズンというわけでもなく人の姿はまったくなかった。目的地の稚内空港まではあともうちょっと、空港手前で最後にあたるガソリンスタンドの位置を確認してから出発する。北海道での車の移動は時間の計算がたつというが、何となくそれが分かった。振り返ると、およそ210キロの道のりを大体3時間半で走り抜けたことになる。稚内空港へ到着したのは、それとなく見込んでいた時間だった。窓口の営業時間は17時までだったので、どうにかその前に返却手続きを済ませることができた。最後にこの車で空港まで送ってもらう。ここも営業所のスタッフは一人しかいないようだが、実にのんびりしたものである。
丘珠空港
稚内空港の周囲は、見渡す限り何もない。原野のような場所にぽつんとある感じだ。それでも東京便は日に1往復あり、そのほか札幌へは丘珠と千歳への便が出ている。(余談:礼文、利尻への離島便は廃止されていたんですね。)空港の建物は小さいものの、どことなく新しいようである。搭乗手続きを済ませ札幌丘珠行きを待つ。使用する機材は道内コミュータ用のダッシュエイト・Q300、同じボンバルディアのプロペラ機でもQ400に比べひと回り小さい。稚内空港を離陸したあと見える様子は辺境の地そのものだった。天塩山脈もまた雪に覆われており、右手にはかすかに利尻富士が見える。その眺めもまた格別だった。日本海沿いに南下し、石狩川の河口を過ぎたところで左に旋回し丘珠空港へのアプローチとなった。
札幌大通り公園
先日の広島西飛行場ではないが、ここ丘珠空港も札幌という大都会の近くにありながら、新千歳に主役の座は譲り空の窓口を担ってるわけではない。道内各地を結ぶコミュータ便の発着を受け持っているが、今日はもう出発便はないので、ひっそりとしていた。それでも札幌の中心部とを結ぶバスは、到着便ごとに発車してるようで、多少過剰サービスにも思えた。今日はそれとは別会社の路線バスで札幌のバスターミナルへと向かう。終点まで来ると、近くにテレビ塔がそびえ立ち、ライトアップされた姿がよく見えた。すっかり夜になった大通り公園を経由して札幌駅方面へ向かうことにする。気温も随分と低くなってきたので、どこか建物の中に入ろうと思う。(後日談:その後、18年ぶりに丘珠空港を利用する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
札幌駅
何となく時計台の前を通って札幌駅へと出てきた。今日のお宿であるまりも号の出発まではかなり時間があるが、適当に過ごすことにしよう。昼間あれほど時間に追われてたのがウソのようにぽかんと時間が空く。まぁ、今回のスケジュールには自由が利かないのでそれも仕方ない。とりあえず食事を済ませ、行き来する列車など見ながら時間をつぶす。先般のダイヤ改正で道内の夜行列車は軒並み廃止あるいは季節臨への降格が決まったが、残ったのは今日乗るまりもはまなすくらいである。まりもの前にはまなすが出ていくので、しばらく様子をみる。何もない週末ということを考えると、そこそこの着席率のようだ。道内用に改装された寝台車がなぜか回送連結されていたが、これは一体何のための処置だろうか?(後日談:このまりも号も夜行列車縮小の流れには逆らえず、とうとう廃止になってしまいました。使い勝手もよかっただけに残念でなりません。)
まりも
ようやくまりもがホームへ入線してきた。とりあえず、違う面構えをした先頭車最後部の姿を見ておく。自由席はそれなりに利用があるようだが、普通指定席の着席率は相対的に低い。一方寝台の需要は結構あるとみられ、自分のところのボックスも上段が2つとも埋まっていた。いわゆるオフシーズンの寝台料金は3000円と低く抑えられており、また厳冬期でも比較的安定して運行されるのでまりもは重宝されているときく。発車時刻は決して早いとは言えず、明朝の到着もとても早いので、今夜は素直に寝ることにした。寝台車をディーゼル車両に挟んで運行するというのは苦肉の策ともいえるが、発車時の衝撃は少なく乗り心地は悪くない。狭苦しい空間とはいえ、何だかんだいって寝台車は楽ちんである。心地よいレールの継ぎ目の音を聞きながら眠りにつくことになった。
まりも
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
まりも、釧路、塘路、根室、根室中標津空港
目が覚めて外を眺めると雨が降っていた。列車は定刻通りに走っている。手早く身支度を済ませ、釧路到着を待つ。今日はこの先根室へ抜ける予定だが、朝一の花咲線の快速に乗り継ぐと早く着き過ぎてしまうので、2時間ほど釧路で寄り道をする。釧網線に乗り換え、ちょうど塘路で上下交換があるのでそこまで行って戻ってくる。釧網線も一度乗り通したことがあるが、特に理由なく往復することにした。ノロッコ号にタイミングがあえば文句はないが、そううまく行き過ぎても気持ちが悪い。もっとも、今日みたいに冷たい雨の中、オープンスペースの車両に乗るのはちょっと身構えてしまうが、、、などというのは、負け惜しみか??
まりも
釧路湿原車窓に見ながら往復すると1時間ほど経過していた。外はすっかり雨模様で外に出る気がおきない。釧路駅を出て行く列車など眺めながら、先ほど買ってきたお弁当で朝食にする。折り返しで根室に向かう普通列車が運よく早めに入ってきたので、しばらく車内で待つことにした。釧路を出発したときに乗っていたのは10人にも満たず、平日なら通勤通学にあたってたかもしれないが日曜朝の利用客は極端に少ない。もちろん旅行シーズンでもないので、そういった人の姿もほとんど見かけない。厚岸でほとんどの人が降りてしまい、根室まで向かうと思われる旅行者と自分だけの貸切となってしまった。列車はひたすら寂しいところを走っていた。厚岸近くの海岸沿い以外は特に見所があるわけでもなく、荒涼とした寂寥感が漂う風景がずーっと続いていた。
まりも
根室へ到着し花咲線の列車を降りる。最東端の駅であることを示す看板をちらっと見て外へ出る。ここまで来ても、相変わらずの雨模様である。天気がよく気温も上がっていれば、そこらを散策してもよかったが、この陽気なので一本バスを早めて空港へ行ってしまうことにした。
釧路湿原
国道44号線沿いの道の駅に景色のよさそうな場所があり途中下車でもと思ったが、何度もいうように寒々とした雨が降り続いていたのでそのまま通過するだけにした。バスは厚床を経由して途中中標津に立ち寄る。ここもかつては鉄路が続いていたところだが、その形跡はまったくない。何もない牧歌的な風景が続き、寝不足でところどころ意識が飛びながらも時間は経ち、気がつけば見覚えのある場所へとやってきた。中標津のバスセンターは去年の知床の帰りに寄った場所なので記憶に新しい。まさかこんなすぐに再訪するとは思わなかったが、空港はもう目と鼻の先である。
花咲線
根室中標津空港もまた日に1度だけ東京往復便がある。木目調のアクセントの効いた建物がとても印象的だ。予定より早く来てしまったこともあり、空港の中で昼食をとることにした。が、広くもないので食事ができるお店は1件だけで、残念ながら他に選択の余地はない。食事の途中に出発していった札幌行きは確かにジェット機で、丘珠を目指すプロペラ機ではなく降りる先は新千歳のようだ。その乗客を追い出したところで東京行きの搭乗手続きが始まった。某大手旅行社が主催した大阪からの団体さんのお陰で満席に近い予約が入っていたとみられ、何だか知らないが至るところ人でごった返していた。おまけに搭乗機の準備に手間取ってるとかで、結局、搭乗できたのは出発時間を過ぎてのことだった。
根室
雨が降りしきる中中標津空港を離陸し上空に上がるとすぐ雲の中に突っ込んでしまった。この先向かい風が強く、さらに羽田到着が遅れるという。飛行機には何回も乗ってるが、そういう言われ方をされたのもあまり記憶にない。ようやく雲が切れて下の様子が見えてくると、太平洋の上空を飛んでいた。やがて陸地が見えてきたので、どの辺なのか予想してみる。三陸海岸のようだったが、大きくループする道路が見えたので釜石あたりと推測する。その後の松島、仙台空港ははっきりと確認ができた。特に大きな川の流域では、本格的な田植えの時期を控え、広大な田んぼには水が湛えられていた。結局羽田に降り立ったのは定刻よりも30分以上遅れたが、これが行きの行程でなくてよかった。大阪からの団体さんは乗り継ぎの便に間に合うか微妙のようで、特別に専用のバスがタラップの近くに横付けされていた。以前、お遊び程度に計画を立てたときは今回とは逆まわりで、札幌-稚内のタイムテーブルが大きく変わりこのスケジュールとなった。ちょっと冒険気味だったので、できればこういう無理なスケジュールは控えようと思う。
根室中標津空港