■旅日誌
[1992/11] 北陸出張記
(記:2000/5/15 改:2022/1/3)
(記:2000/5/15 改:2022/1/3)

ひょんなことで福井へ出張することになりました。それほど出張する機会は多くはないのですが、たまたま偶然にもタイミングよく連絡が取れた友人と現地近くで会う約束をしました。
1日目
今回の行き先は福井である。金沢や富山と言われれば空港が近くにあるイメージがわくのだが、どうも福井は中途半端に思えてならない。実際には小松からバスで1時間程の距離なのだが、それ以上のものを感じる。そういえば福井空港というのもなくはないのらしいが、滑走路など設備はあまりにも貧弱で一時はジェット機が離着陸できるように"再生"が叫ばれた時期もあった。しかしそれも首長のメンツと一部の土建屋の利潤追求だけが目的であって、結局は計画は頓挫した…と、どこにでもあるような話しを聞いたように思う。地元住民を巻き込んでの大騒動は失うものばかりで何も得ることがなかったわけだ。いずれにせよ、今日は陸路名古屋経由で福井入りをする。名古屋で乗り継いだしらさぎは、米原で進行方向を逆にして琵琶湖の東側を北向きに進路をとる。車内で早めのお昼を済ませ、芦原温泉駅で下車する。目的地へは電車、バスで行くことができないので、ここからタクシーで移動する。そういえば、前に1回だけ来たことがあったが、小雨の中怖いくらいすっ飛ばしてくれたことを思い出した。
午後入りだったのでややスケジュールはタイトだったが、どうにかやるべきことはやり終えた。最初から日帰りの予定だったとしても、ちょっと疲れたので1泊していたかもしれない。とりあえず福井まで移動し、ゆっくりすることにした。
午後入りだったのでややスケジュールはタイトだったが、どうにかやるべきことはやり終えた。最初から日帰りの予定だったとしても、ちょっと疲れたので1泊していたかもしれない。とりあえず福井まで移動し、ゆっくりすることにした。
2日目
今日は何というか、行ったり来たりを繰り返してちょっと変わったところを歩きまわることにする。福井から越美北線を往復する。越美北線は名前の通り、越前と美濃を結ぶ路線の北側半分である。だが実際は途中がつながっていない。おまけに南線は第三セクター転換路線として切り離されてしまった。今では長良川鉄道とまったく違った名前で運営されており、恐らくこの2つの路線はもうつながることはないだろう。越美北線は福井からひとつ隣の越前花堂まで北陸線と併走し、南に向かって分岐してから越前大野を経由して九頭竜湖まで延びてる。越前大野はちょっとした城下町であり、そこから先は閉塞区間となって運転本数も間引かれている。今日乗ってきた列車も越前大野で1両切り落とされ、しばらく時間調整をしてからの出発となった。長いトンネルを抜けた先に終点の九頭竜湖駅がある。駅名にもなってる九頭竜湖はまだ少し先に位置している。山間の小さな駅ではあるが、小奇麗な駅舎は新しく建てられたもののようで、地元の人が駅前の広場にお店を出していた。手作りの農作物などいかにもといった感じのものが並んでおり、その中から山菜おこわとやらを買ってみた。しばらくウロウロして帰りの便を待つ。間違って1本逃してしまうと、きっと大変なことになるはずだ。福井に戻る途中で先程買ったおこわを開けてみた。飾りっ気のない素朴な味わいは何とも言えない。
福井に戻り北陸線で富山まで移動する。特急がひっきりなしに走っているので来たものに乗ればいいといった感じだ。ただ今日は西の方で天気が荒れ気味とのことでダイヤがちょっと遅れていた。富山に着いたときも10分以上遅れており、富山港線への接続待ちの処置がとられていた。そこに待機していた駅員に促され走って乗り換えることになる。終点岩瀬浜までの駅間距離はどこも短く、最後の手前には競輪開催日だけ営業する臨時駅がある。歴史的にどういう経緯があったのか良く分からないが、北陸地方としては珍しい直流のままの路線だ。(後日談:その後富山港線はLRT化が決定し、富山ライトレールとして生まれ変わりました。あらためて再訪したときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)雨が降りしきる中、そのまま往復し再び北陸本線で移動する。
ちょうどタイミングが合い、わずかばかりだが白鳥に乗ることになった。車両は古臭いが、何となく格の違いを感じさせる。思いのほか自由席は満員で、立ったまま高岡まで移動する。ここで城端線へ乗り換える。何の変哲もないあまり印象に残らないようなローカル線だった。雨は強くなったり、弱くなったりしているうちにあたりは徐々に暗くなってきていた。
高岡に戻り学生時代の友人と再会する。飲んだり喰ったりしながら積もる話しに明け暮れ、いつしか数時間が経っていたようだった。その場では早めに切り上げて別れたつもりだったが、宿に戻ったときはすっかり日付も変わりとんでもない時間になっていた。
福井に戻り北陸線で富山まで移動する。特急がひっきりなしに走っているので来たものに乗ればいいといった感じだ。ただ今日は西の方で天気が荒れ気味とのことでダイヤがちょっと遅れていた。富山に着いたときも10分以上遅れており、富山港線への接続待ちの処置がとられていた。そこに待機していた駅員に促され走って乗り換えることになる。終点岩瀬浜までの駅間距離はどこも短く、最後の手前には競輪開催日だけ営業する臨時駅がある。歴史的にどういう経緯があったのか良く分からないが、北陸地方としては珍しい直流のままの路線だ。(後日談:その後富山港線はLRT化が決定し、富山ライトレールとして生まれ変わりました。あらためて再訪したときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)雨が降りしきる中、そのまま往復し再び北陸本線で移動する。
ちょうどタイミングが合い、わずかばかりだが白鳥に乗ることになった。車両は古臭いが、何となく格の違いを感じさせる。思いのほか自由席は満員で、立ったまま高岡まで移動する。ここで城端線へ乗り換える。何の変哲もないあまり印象に残らないようなローカル線だった。雨は強くなったり、弱くなったりしているうちにあたりは徐々に暗くなってきていた。
高岡に戻り学生時代の友人と再会する。飲んだり喰ったりしながら積もる話しに明け暮れ、いつしか数時間が経っていたようだった。その場では早めに切り上げて別れたつもりだったが、宿に戻ったときはすっかり日付も変わりとんでもない時間になっていた。
3日目
昨日のうっと惜しい天気とは打って変わって気持ちのいい朝だった。加越能鉄道の路面電車(後日談:その後第三セクター万葉線と名前が変わりました。)を横に見ながら、高岡駅まで歩いて来た。まず朝一に氷見線を往復しておく。広い高岡駅の構内の端に氷見線のホームがある。高岡を出るとすぐに左に大きくカーブし、工場が立ならぶ中を抜けるとやがて海が見えてくる。この先しばらく日本海沿いに路線は続き、景色の素晴らしさは全国でも屈指のところだ。ただそれもあまり長い距離が続くわけでもなく、やがて氷見へとたどり着く。
高岡駅へ戻り、特急を乗り継ぎ金沢を経由して能登半島を目指す。北陸線から見たことは何度かあったが、実際に津幡のデッドセクションを通過するのはこれが初めてだ。明らかに路盤の状態は悪くなり、列車の揺れがひどくなる。車内で買った弁当を広げ今日のお昼とする。
和倉温泉駅でのと鉄道に乗り換える。穴水から輪島方面と珠洲方面の2路線に別れるが、今日は珠洲方面に行ってみることにした。(後日談:このあと何年後かに輪島方面は廃止となってしまいました。廃止直前に乗りに行くことを計画したのですが、土壇場でNGとなり、なぜこのとき輪島に行かなかったのか、とても悔やまれるところでもあります。一方の珠洲方面も状況は厳しく、結局は廃止の憂き目にあうことになりました。廃止後ですが、あらためて輪島へやって来たときの旅日誌はこちらをご覧ください。)のと鉄道の路線は富山湾沿いに続いている。海岸線は複雑に入り組んでおり、列車の向いてる方向が変わるたびに日差しが差し込んでくる方向も変わる。時折、穏やかな海の向こうに立山連峰を眺め見ることもできた。終点の蛸島は本当に何もない駅だった。
仮に能登半島を一周しようとするととんでもないことになるだろうが、今日はこのまま来た道を戻ることにする。行きは気がつかなかったが女性の運転手が担当していた。それにしても随分と長い距離を戻ることになる。和倉温泉で再びJRの特急に乗り継ぎ、今日は富山で投宿する予定である。実は金沢に宿を予約したかったのだがどこもことごとく満室で、どうやら何かの学会でもあったようだった。ということで移動の範囲と考え、やむなく富山まで移動することにした。
高岡駅へ戻り、特急を乗り継ぎ金沢を経由して能登半島を目指す。北陸線から見たことは何度かあったが、実際に津幡のデッドセクションを通過するのはこれが初めてだ。明らかに路盤の状態は悪くなり、列車の揺れがひどくなる。車内で買った弁当を広げ今日のお昼とする。
和倉温泉駅でのと鉄道に乗り換える。穴水から輪島方面と珠洲方面の2路線に別れるが、今日は珠洲方面に行ってみることにした。(後日談:このあと何年後かに輪島方面は廃止となってしまいました。廃止直前に乗りに行くことを計画したのですが、土壇場でNGとなり、なぜこのとき輪島に行かなかったのか、とても悔やまれるところでもあります。一方の珠洲方面も状況は厳しく、結局は廃止の憂き目にあうことになりました。廃止後ですが、あらためて輪島へやって来たときの旅日誌はこちらをご覧ください。)のと鉄道の路線は富山湾沿いに続いている。海岸線は複雑に入り組んでおり、列車の向いてる方向が変わるたびに日差しが差し込んでくる方向も変わる。時折、穏やかな海の向こうに立山連峰を眺め見ることもできた。終点の蛸島は本当に何もない駅だった。
仮に能登半島を一周しようとするととんでもないことになるだろうが、今日はこのまま来た道を戻ることにする。行きは気がつかなかったが女性の運転手が担当していた。それにしても随分と長い距離を戻ることになる。和倉温泉で再びJRの特急に乗り継ぎ、今日は富山で投宿する予定である。実は金沢に宿を予約したかったのだがどこもことごとく満室で、どうやら何かの学会でもあったようだった。ということで移動の範囲と考え、やむなく富山まで移動することにした。
4日目
ちょうど連休になったことで今日は混雑が予想された。昨日の経緯の結果、一旦金沢へ戻ることになる。あらためて金沢始発の北越で東へ移動する。ボンネット型の車両もちょっと珍しく感じる。乗り換えのため直江津に降り立つ。ここで何か雰囲気が変わるのは気のせいではない。JR東日本とJR西日本の境界駅で駅票などは東日本のものに変わるからだ。ここから上野へ直行する特急も出ているが、とりあえず普通列車で長野まで移動することにした。一見地味な路線のように思うが、そんなことはなく信越線の中でも意外と変化のある区間にあたる。かつてはスイッチバックを必要とするほど勾配がきつかったり、決して穏やかな地形ではない。
長野駅に来てみるとかなりの人でごった返していた。特急を待つ人の波はホームから溢れんばかりで、長蛇の列をつくっている。よく見るとそれも2重にできていて、次のそのまた次まで待っても席が確保できるか微妙なくらいだった。臨時列車を出して増便はしているものの、待っても仕方ないようなのでとりあえず今度出る列車に乗り込んだ。
運良く途中で目の前の席が空いたのですかさず着席する。そういえばあさまで横軽を通過するのは初めてのような気がした。(後日談:横軽区間は長野新幹線の開業で廃止されましたが、なつかしいところですね。その後、横川へ来たときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)この急勾配を上り下りするための助っ人として有名な専用の電気機関車が連結され、空気バネからエアーが抜かれる。電源も切り替わり、列車はまるで全身麻酔を打たれたような状態になる。ゆっくりとした速度で軽井沢を出発し、ガックンガックンと下から突き上げる感じで線路の振動が直接伝わってくる。紅葉が進んだ森の中、列車はいくつもトンネルを抜けていく。急勾配は続き、座っていても車両が傾いているのがよく分かる。
横川に到着すると、名物の釜飯を買いに求める人が殺到していた。機関車付け替えのための停車時間はわずかで、ましてや今日のように超満員の状態だとホームはとても慌しくなる。電源が復活し電車は息を吹き返すと、やがて出発となる。釜飯売りの方のお辞儀に見送られ、目覚めた列車は軽快に走り始めた。新幹線が開業すれば、この風景も消え失せてしまうのだろうか。久しぶりの友人との再会などもあり、ちょっとノスタルジックな気分になってしまった。
長野駅に来てみるとかなりの人でごった返していた。特急を待つ人の波はホームから溢れんばかりで、長蛇の列をつくっている。よく見るとそれも2重にできていて、次のそのまた次まで待っても席が確保できるか微妙なくらいだった。臨時列車を出して増便はしているものの、待っても仕方ないようなのでとりあえず今度出る列車に乗り込んだ。
運良く途中で目の前の席が空いたのですかさず着席する。そういえばあさまで横軽を通過するのは初めてのような気がした。(後日談:横軽区間は長野新幹線の開業で廃止されましたが、なつかしいところですね。その後、横川へ来たときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)この急勾配を上り下りするための助っ人として有名な専用の電気機関車が連結され、空気バネからエアーが抜かれる。電源も切り替わり、列車はまるで全身麻酔を打たれたような状態になる。ゆっくりとした速度で軽井沢を出発し、ガックンガックンと下から突き上げる感じで線路の振動が直接伝わってくる。紅葉が進んだ森の中、列車はいくつもトンネルを抜けていく。急勾配は続き、座っていても車両が傾いているのがよく分かる。
横川に到着すると、名物の釜飯を買いに求める人が殺到していた。機関車付け替えのための停車時間はわずかで、ましてや今日のように超満員の状態だとホームはとても慌しくなる。電源が復活し電車は息を吹き返すと、やがて出発となる。釜飯売りの方のお辞儀に見送られ、目覚めた列車は軽快に走り始めた。新幹線が開業すれば、この風景も消え失せてしまうのだろうか。久しぶりの友人との再会などもあり、ちょっとノスタルジックな気分になってしまった。