■旅日誌
[1989/4] 中国地方ローカル線の旅
(記:2000/5/15 改:2022/1/3)
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急に何を思ったか旅に出たくなりました。会社に入ってただ右往左往していた頃に比べれば少しは余裕も出てきましたが、GWということもあってどこか遠くへ行ってみることにしました。特にあてもなく地図を眺めた結果、西の方を目指すことにします。
 0日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
東海道本線/銀河(臨時)、大阪
社会人になって自分でお金を稼ぐようになったはいいが、自由な時間というのがほとんどなくなっていた。もちろん学生の頃もバイトをしてほんの小遣い稼ぎ程度でも収入はあったが、理系な生活(?)を送っていたため遊び呆けていられる環境にはなく、有り余るほどの自由を満喫していたわけではなかった。とはいうもののその頃とは比べものにならない程タイトな生活を送っている。そんな中、折角の長期連休でもあったのでどこか日常からかけ離れたところへ行ってみたくなった。
都会の生活にどっぷり浸かっている反動からか、ローカル線に乗ってどこかのんびりとボーっとしている自分の姿を想像していた。自分勝手な理屈だが、たまたま目にとまった中国地方がよいと考え、ひたすらぐるぐる回ることを計画してみた。(余談:その頃は乗りつぶしなんてことは想像もしてませんでした。)後になってみれば、友人に誘われてそっちの方へ出掛けたことがあったので、多少そのことが頭の片隅にあったのかもしれない。
まずは準備を整えて臨時夜行の銀河に乗る。このときは、夜汽車に乗って…というのも我ながらいいアイデアだと思った。満員とまではいかないものの、そこそこの乗車率である。途中の横浜から乗ったせいか、横の席の人からは「あれ来たの?」といった空気を感じる。発車して間もなく車掌の検札を受け「後ろはもう来ないから移っていいよ」と声をかけてもらい、軽くお礼を言ってそちらへ移る。(後日談:時代の流れでしょうか、定期便の銀河も廃止になってしまいました。最後に乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
列車の揺れに身をまかせ、外の音を子守唄に眠りについていた、、、と、言いたいところだが、熟睡できることもなくやがて夜が明けてくる頃になっていた。薄っすらと外の様子がうかがえるようになり、しばらく流れる景色に目をやる。田んぼや小高い山々が通り過ぎていく。いったいどの辺を走っているのだろうか?
 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
姫路、姫新線、中国勝山、新見、芸備線、備後落合、広島
大阪で2、3本列車を見送り、次の目的地まで確実に行ける新快速を待つ。列車の種別には不慣れでよく分かってないので多少まごつく。大阪の中心から離れるにつれ、車窓はごちゃごちゃした市街地から六甲の山並みや明石海峡など大きな景色に移り変わっていく。海沿いをしばらく行ったあと、明石、加古川など播磨地方の内陸の方へと進んで行き、やがて姫路へとやってくる。
いよいよここからローカル線の旅が始まる。朝飯に何か適当な弁当を買い発車を待つ。ディーゼルエンジンのアイドリング音を聞きながらしばらく発車を待つ。いよいよやって来たな…と実感がわいてきた。姫新線は姫路と新見を結ぶところから名前がついたのはとても分かりやすいが、かなりの距離があり直通する列車はない。それでもロングランの勝山行きに乗り、ローカル線の旅を満喫する。姫新線の車窓は特にこれといった目玉があるわけではなく、どちらかというと単調な山間を行くことになる。きっとこれが横溝正史の世界に違いない、とわけの分からないことを思い浮かべるが、もちろんこれは先入観の他なにものでもない。(笑) どこから乗っていたか分からないが、少女の集団がさかんに唄を歌っていた。「♪となりのトトロ、トトロ、、、」同じフレーズと笑い声を繰り返すだけで一向に前に進まない。車内中に賑やかな笑い声が響いていた。
中国勝山で新見行きに乗り換える。ちょっと喉がいがらっぽいので飴を買うことにした。柔らかな日差しを受け、新緑がみずみずしく感じられる。新見駅は伯備線、姫新線、芸備線が交差するちょっとした駅で、それぞれへ乗り換える人で発車案内板の前は意外と混雑していた。駅舎は古く趣のあるものでなかなか雰囲気がいい。ここで芸備線の列車に乗り換える。
途中まで伯備線の上を行き、再び山間へと分け入っていく。備後落合駅で乗り継ぎのため、途中下車する。木次線の乗り換え駅でもあり、ちょっとした要所駅である。広い構内や給水塔の名残り、レンガ造りの建物など在りし日の様子が偲ばれる。駅のホームでおでんのようなうどんのようなものを売っていたので何となく買ってみることにした。後で知ったが「おでんうどん」というのはここの名物だったらしい。木次線は本数の少なさもあってうまい筋を探すのが大変そうだが、ぜひ一度は乗ってみたいものだ。今日はここからひたすら芸備線で広島を目指すことになる。広島に着くまでに時折増結がなされていた。なるほど、そういった運用をするのか…とちょっと関心していた。(後日談:木次線に再訪したときの旅日誌はこちらこちらをご覧ください。)
ちょっと無理なスケジュールを引いてしまったかもしれないが、今日も夜行列車での車中泊となる。あまり知られてないのか、広島発、大阪行きの季節運転の列車は普通扱いなのでただ乗車券を持っていい。大垣夜行をついつい想像してしまうが、まったく人の気配もなく、結局1車両に数名程度と寂しい限りだった。おかげで場所取りには苦労しなかった。
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
姫路、播但線/但馬、鳥取、鳥取砂丘、因美線・津山線/砂丘、岡山、吉備線、総社
さすがに昨晩は眠っていた時間も長かったようだ。ただ何となく喉の調子がよくない。あまり深く考えずに今日もスケジュールをこなしにかかる。一旦大阪に出ておきながら、昨日とまったく同じルートで姫路へ戻る。何だか振り出しにもどった感じだ。
今日は播但線経由で鳥取方面へ向かう。この時間にちょうどうまい具合に急行列車で鳥取まで乗り通すことができる。姫路駅を出ると左手に姫路城を見ることができる。しばらくすると播但線の車窓は原野を思わせるようなところもあり、相も変わらず外をボーっと眺めていた。和田山で山陰線と合流し、城崎、餘部鉄橋を通っていく。車窓を見てるだけも飽きない区間だ。
鳥取駅で降り立ち、今日はちょっと寄り道をすることにしている。駅前から砂丘方面のバスに乗り、20分弱もすると鳥取砂丘近くに辿り着くことができる。観光センターのようなところにバス停はあり、その先には砂の世界が広がっていた。観光客相手のらくだが実に自然に鎮座していた。鳥取砂丘は日本でも珍しい本格的な砂丘だが、見る方向によっては砂漠ではないかと見間違う程である。歩みを進めていくと、小高い丘のふもとに行き着き、そのまま上に登ってみる。その先には日本海が広がっていた。振り返れば広大な砂の台地が広がっており、風紋の中に人々が歩いてきた足跡が続いていた。この不思議な風景に見とれているだけで何時間もいられそうだったが、適当な時間で切り上げることにした。
再びバスで鳥取駅に戻り、列車旅を再開する。因美線から津山線を経由する急行で一気に岡山まで行く。前半の因美線もまた中国山地の景色が続き、途中タブレット交換が見られる珍しい路線でもある。(後日談:その後、智頭急行の開業で陰陽連絡線の地図が大きく塗り替えられてましたが、このようなルートを行く急行というのも今では考えられない程貴重な存在だったかもしれません。智頭急行に乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
急行砂丘で岡山まで乗り通し、今日はもう少し寄り道をしてみる。岡山駅もまた交通の要所で瀬戸大橋ができてから更に四国方面への玄関口として大いに賑わっていた。そんな様子とはちょっと違った感じで、吉備線のホームで総社行きの発車を待っていた。鈍足のキハは多くの地元の人を乗せ、ゆっくりと進んでいく。こういうのもまたローカル線の旅と言っていいかもしれない。走り出してしまえば30分程で終点総社へと辿りつくことができる。ここからは伯備線で岡山まで戻ることにする。(後日談:その後、随分と経ったあとですが、岡山から瀬戸大橋へ向かったときの旅日誌はこちらこちら、そしてこちらをご覧ください。)
 3日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
瀬戸大橋線、坂出、赤穂線、相生、三宮、梅田、なんば
今朝起きたところで、何となく違和感を感じていた。もしかしたら風邪をひいたかもしれない。まぁ何とかなるか…と思い、先へ進むことにする。岡山駅へ戻り、折角なので瀬戸大橋を通ってみることにした。といっても、四国に渡ってどこかへ行くつもりはなかったので、本当に記念に往復だけしておくことにした。なので、高松の手前でのとんぼ返りとしておく。瀬戸大橋の建設は青函トンネルもそうだが、誰もが認める国家レベルのビッグ・プロジェクトであり、それらについてはここでどうこう言うまでもない。
岡山からはまず橋の開通に合わせて配備された快速を利用することにする。本州側はしばらく宇野線を行くことになるが、単線で頻繁に交換が行われる。これでは頑張って目一杯の路線密度にしたところで限界がありそうだし、何かちょっとでもアクシデントがあればひとたまりもないだろう。高架になった茶屋町を過ぎると高規格の路線をひたすら飛ばしていく。瀬戸内は山地が海抜より低くなった地形とってもいいように、非常に変化のあるところである。また瀬戸大橋自体が高い場所に建てられているため、高さを稼ぐ必要もある。なので当然と言えばそうかもしれないが、瀬戸内海へ出るのにいくつかものトンネルを抜けることになる。そんな理屈っぽい話しはどうでもいいとして、やがて列車は最初の大きな橋へ差し掛かる。まさに海の上空いく光景は圧巻である。多少かすみがかってはいるが、遠くまで見渡せる景色には圧倒される。ある程度速度は制限されているにしろ、列車からこのような風景が堪能できるのは何とも言葉にならない。続けていくつかの橋を通過し、四国側へ上陸したところで列車をあとにした。
何か中途半端な感じだが、坂出駅で折り返しの岡山行きを待つことにする。すぐ先に目をやると讃岐富士のきれいな稜線が視界に入ってくる。午前中のこの時間はやや逆光になるのか白っぽくも見える。やがてやって来た折り返しの快速に乗ってそのまま岡山へ戻ることにした。岡山からは赤穂線まわりで大阪方面へ移動することにする。瀬戸内沿いにのんびりと行く路線であり、片上や日生などあまりメジャーではないがちょっと立ち寄りたくもなる場所もいくつかある。南側から差し込んでくる日差しのせいでボーっとしていたが、熱っぽいのかどうもそれだけじゃないような気もしてきた。相生で山陽線に合流したあと、その後も乗り継ぎをして途中三宮で降りてちょっと遅めの昼食にした。
ちょっと大回りしながら時間を過ごし、大阪の中心部へとやって来た。生駒トンネルなどを往復した後で、地下鉄を乗り継いでミナミの方面へ移動する。やっぱり朝から不調気味ではあったが、何となく元気がなくなってきたので今日はここらでおとなしく休むことにしよう。
 4日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
関西本線、木津、関西本線/かすが、亀山、名古屋、静岡、東海道本線/東海
今朝も寝起きはぱっとしなかった。昨日は気がつかなかったが、宿泊したところのすぐ近くに大阪球場の"残骸"があった。噂には聞いていたが、球場の建物が一部だけ残ったその姿は異様である。湊町駅(余談:言うまでもなく、今のJR難波駅ですね。今ではあか抜けてお洒落な街並みになってしまいましたが、その頃は何か薄暗いどちらかというと不気味な駅だったようにも思います。)で関西線の普通電車の発車を待つ。近郊区間は何の変哲もない通勤型の電車である。やがて非電化区間に入るため、木津駅で乗り換えをしなければならない。当然本数も減ってしまうため、乗り継ぎの人でわんさか賑わっていた。
名阪間の移動手段にはいくつかあるが、この行き方がもっともマイナーであろう。急行かすがと優等列車のような名前が付けられているが、古臭い気動車なだけに上り勾配では鈍足だし上下交換のためちょくちょく停車はするし…と、決して褒められたものではない。ようやく亀山に着いて名古屋行きの電車へと乗り換える。西日本と東海の境界駅でもあり、ここからは電化されているので余計に軽やかになった感じがした。(後日談:関西線へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
名古屋からは地道に東海道線を乗り継いで帰ることにする。何となく食欲も落ちてきているような気もするが、とりあえず目の前にあった立ち食いできしめんを食べておくことにする。だるさも増してきているので熱が上がってしまってるかもしれない。静岡で急行東海に乗り継ぎ、ちょっとだけ"加速"をつける。(後日談:その後、特急にグレードアップしましたが、まさにこれぞ「急行」といった感じで、いま思うととても懐かしいです。)先に進むにつれ徐々に体調も芳しくなく思えてきたが、空模様も怪しくなってきた。そのうち大雨になり、かなり激しい雷雨になってしまった。社会人になってから初めての気まま旅行だったはずが、最後はとても苦いものになってしまい、ちょっと悔いの残る感じがしていた。