■旅日誌
[1998/8] 最後の全国行脚・関西編
(記:2003/2/6 改:2015/11/1)
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いろいろ仕事でお世話になった関西ともこれで最後となりました。御礼兼ねがね訪問することになりました。いつもは関西3拠点が大阪に集まっていただいているのですが、区切りということで京都と神戸の拠点も訪ねています。それにしてもこの年も猛暑で移動時はとても大変でした。
 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
京都、京橋
出張するときは九分九厘単独で行動することが多いのだが、今回は同行者を含め3名で移動することになった。このプロジェクトを進めていくにあたっては、なくてはならない存在だったのでお礼を兼ねて慰安旅行…と行きたいところだが、自分にはそんな権限はないし、あったとしてら仕事と関係のないところへ雲隠れしてるはずだ。とにかく、日常業務から物理的にちょっと離れて現実逃避でもしましょう、という程度のものだった。
冬は日が短いし北の方などの厳冬には不慣れなのであまり出歩きたくはない。一方で、真夏にジャケット+ネクタイ姿で出張にするのもとても疲れるので大変だ。時期を選んでる余裕はなかったし、先方の都合もあったので仕方なくこの時期に設定をすることになった。
新横浜から乗るか東京にするかいつも悩むのだが、今日は多少気の効いた手土産持参で行こうと考えていたので東京駅へ出ることにした。(後日談:同行した2人にあとで聞くと、そんなに気を遣わなければいけないのかと妙に感心したらしいです。)新幹線へは新横浜で合流した。ますは京都駅で降りて、軽く昼飯を済ませることにする。それにしても暑い。地下鉄を乗り継げば拠点へ行けるのは知っていたが、迷わずタクシーにした。京都といえば世界的な観光地なので行先なんて適当に伝えればどこでも行ってくれると思っていたが、何か不慣れな運ちゃんのようで結局よそ者の客が「そこは左じゃなくて、右とちゃいますか?」みたいな感じで道案内をしていた。
京都の拠点も初めてだったので、いつもお世話になっておきながら初対面の人がほとんどだった。早速いつものお決まりコースで仕事を済ませる。大阪、京都、神戸の関西三地区はパイロット導入したところだけあって、鋭い指摘や先を見越した意見などが出てくる。今日は大阪に泊まって明日は朝一からスタートする予定だ。なので夕方になってもいいから大阪の拠点に顔を出さなければならない。というか、今夜飲食いするために大阪に移動しておく、と言ったほうが正確かも。京都には同期の知合いがいたので、こっちが頼まなくても営業車をすっと出して適当な駅まで送ってくれた。この猛暑の中、実にありがたい。
大阪の拠点は京橋にあるので、京阪で移動することにした。ノンストップの特急に揺られ、あれがN玩具屋(?)、ここが京都競馬場、といった感じでしばらく談笑していればすぐについてしまう距離だった。大阪入りしてひとしきり挨拶するが、今日は本気での仕事はせずに明日あらためて出直してくることを確認する。早速、拠点の方と晩飯のために移動する。接待とかいう状況でもなく現場同士のことなので、仕事のことやら世間話やら他愛もない話題ばかりだったが、物理的にもポジション的にも距離のあるセクションの人間がこうやって一同に介して飲んでいるのはちょっと面白いなと思った。大きい会社ではあるが、結局は人とのつながりが大事だということをあらためて知ることになった。ちょっとまじめな話になってしまうが、同行した2人にも単なる下請け的な受身姿勢ではなくどうするのがbetterなのか、自分たちで方向性を感じとって欲しかったので、無理に大阪まで付き合ってもらった。それはそれで無駄にはならなかったが、ただ自分自身が蚊帳の外の人間になってしまう事実を考えるとちょっと残念に思った。
とりあえず1次会はお開きにした。同行した2人のうち1人とはときどき飲みに行くこともあったので、自然の流れとして(?)2件目以降を探していた。1件目は食べることが主だったのでホテルのバーで飲み直し、その後別に申合せていたわけではなかったが、ホテルの前に出ていたたこ焼きの屋台がすごく気になっていたので最後はそこでしめることにした。何の変哲もない屋台だったのだが、多分一生忘れないかもしれない味に遭遇することになる。まずは引き寄せられるようにその屋台に入った。先客は随分といたが空いてるところに腰をかける。すぐに先客の1人が、座席ともテーブルとも微妙な位置に置かれた発泡スチロールの中から缶ビールを取り出し「うちな、セルフサービスやけど、ビールでよろしぃか?足りんかったらあとは自分でやってやぁ」と笑顔で語りかけてきた。ぱっと見よそ者だということはすぐに分かってるのだが、さりげなく話しの輪に入り込む。店のおやじさんが「なら、まずはたこ焼きいっときますか…」と言い、ただ「はい」とだけ答える。しばらくしてアツアツのたこ焼きが出てきた。冷たいビールにでき立てのたこ焼き、、、あれだけ飲んだはずなのにまるで乾杯直後の1杯目のような爽快感だった。(笑) 隣の連れも結構料理にはうるさい奴だったが「これはちょっとやられたかも…」といったやや神妙とも思える表情をしている。あっという間に平らげビールも空けてしまった。「つぎぃ、別のいきますかぁ?」との問いかけにやっぱり「はい」とだけ答える。2本目のビールに手をつける。「はぁいっ、ねぎ焼きお待ちぃ!!」んん、今度は何だ?!とりあえずひとつほおばると、めちゃくちゃ熱い。はふ、はふ、はふ…などとやってるうちに徐々に味が分かってきた。え、何これ??あまりの衝撃に2人とも言葉を失う。そのままふたつ目を試す。こんどは熱いから…と用心して口にする。確かにたこ焼きの生地がベースのようなのだが、微妙な食感、ほのかなダシの風味、ホワイトソースのようなコク、それに香ばしいネギのかおり、、、ここまでの酔いがぶっ飛ぶほどのうまさだった。こんな…といっては失礼だが、予想外の状況で出会ったうまさは、ノーガードでストレートパンチをくらったかのようだった。(後日談:この日の出来事はいまだに語り草になってます。たまに会ったりすると、あれはすごかったなぁ~と話すことがあります。)
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
大阪、三宮、舞妓公園、岩屋、明石
もう1人の同行者に昨日の出来事を口で説明したがなかなか伝わらない。百聞は一見にしかずと言うが、まさにその通りだった。ねぎ焼きというものは、関西では一般的なのだろうか?(誰か教えて!)
朝一で拠点へ入りお決まりの内容をこなすが、京都以上にパイロットユーザとして協力しもらってたので内容は思いっきり端寄っていた。その代わり、次を見据えて同行者の方とコミュニケーションを取ってもらうようなことを行っていた。昼飯を早めに済ませ名残惜しいが慌しく神戸に移動する。個人的に思い入れのあった大阪のこのビルにはもう2度と来ないだろう。そんな気がしていた。
京橋から東西線に乗り、尼崎で乗り換える。いゃぁ~~だめだ、暑い!思わず飲み物を買ってしまう。三宮で降りて神戸の拠点へ向かう。神戸の拠点でも初めて会う馴染みの知り合いなどと挨拶を交わし、さっさとやるべきことを済ませてしまう。京都以上にフレンドリーな雰囲気がとても印象的だった。神戸の拠点が担当する顧客の情報など、事前にチェック入れておいてさりげなく話に加わる。当たり前だがこれくらいのことはできないと、本気で腹を割って話そうなんて気にはなってくれない。営業トークで、飲みに行きましょう!なんてことも言っていただいた。分かっていても嬉しいものだ。
ここまで三名だった一団はなぜか三宮で解散となった。早々に明日の休暇宣言をしておいたので、ここから自分ひとり勝手気ままな行動に入る。山陽電鉄で舞子まで行き、高速バスに乗り換えて明石大橋を渡る。理由はないが明石大橋を渡りたかったからただ渡っただけである。意外とバスの座席は埋まっていた。滞在時間はわずかだったが、淡路島初上陸となった。理由はないというのは目的がないということなので、どこにもよらずフェリーで明石港へ戻る。これから日暮れをむかえる瀬戸内海はとても穏やかだった。(後日談:後から知ったのですが、天気予報によると実は台風が近づいていました。)なぜか今日は新大阪に宿泊する。
 3日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
北近畿タンゴ鉄道/タンゴディスカバリー、天橋立、宮津、豊岡、鳥取
正直に白状すると、今日はずる休みしたと言われても仕方ないなと自覚していた。もちろん正当な手続きをとって権利を行使し正規の休暇を取得したわけだが、本当に仕事が忙しければ道義的にこんなことが許されるわけもない。というか今まではそうだったし、もし自分の周囲にそんな奴がいて要らぬ仕事が自分に振られた日にはパンチものだったろう。だが、今となっては「そうでなくなった」のだから「そうでない」行動をしてもいいと思う。何だかわけが分からないが、つまり今日は世の中的には普通の平日だったということである。なので、朝の新大阪駅は通勤電車が引っ切りなしに行き来していた。そんな中、場違いともいえる車両が合間を縫って入線してきた。時刻表などを見る限り、電車と気動車の併結であるようにしか読めなかったので実際どうだったか知りたかったが、やっぱり混成編成だった。言葉が悪いが、電車特急のケツに余計なものが引っ付いてる感じである。乗るのは後ろの列車だったが、併結して走ってるときはギアはアイドリング状態で制動が必要となったときに同期してるような感じだった。タンゴディスカバリーという名前も、落ち着いて読んでみるとカタカナの使い方が妙に思えてくる。福知山線に入ってもしばらくは通勤列車の合間を縫う形が続いていた。
篠山あたりまでやってくると風景も丘陵地帯の様相になり、雨も降っていたせいかしっとりとした感じになってきた。福知山で併結を解き乗務員も交代となり単独走行に入る。年配に見えた運転手は思いっきりエンジンにカツを入れ、気持ちのいい加速で列車もそれに応える。ここらは路盤が新しいこともあり軽快な走りが続く。宮津に到着しほとんどの乗客が降りていってしまった。もう1駅乗って終点の天橋立までやって来た。さて降りようかとしたところ「お仕事ですか?」と不意に横から声を掛けられる。「ええ、そうなんですが、1日余裕ができまして…」と正直に答える。天橋立駅は新しく綺麗な駅で、手が行き届いてる感じが伝わってきた。こじんまりとしてはいるが、日本屈指の観光地の窓口というのにふさわしい駅であった。駅前からすぐにお土産屋が並んでいる。もっと自由に使える足があれば展望台やもっと先の方も行ってみたかったが、ちょっとだけ天橋立に入り込んでみて引き返すことにした。何かイベントをやっていたが、奥へ奥へと進むに連れ喧騒は気にならなくなり、静寂だけの世界になってきた。適当なところで波打ち際へ出て、ふぅ~~と一息つく。素晴らしい景色を目の前にすると頭の中から余計なものは一切なくなっていた。遠くを走る船のエンジン音がかすかに聞こえてくる。雨が降ってきそうな空模様ではあったが、しばらくそこに留まり引き返すことにした。昼食をとろうと適当にお店に入ると、先ほど声を掛けてきた人とすれ違った。こちらもにっこり笑って、どうもと軽く挨拶をする。アサリ丼というものが名物らしいのでそいつをいただくことにした。(後日談:あらためて天橋立へ訪問したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
天橋立駅に戻り、西舞鶴まで往復しておくことにする。こちら方向へ向かう人は少なく列車はガラガラだった。西舞鶴は電化工事をしていたよう(後日談:その後舞鶴線は無事に電化されましたね。電化後の訪問したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)駅全体が仮設営業のようだった。今度は舞鶴湾を右に眺めながら来た道を戻る。天橋立で乗り継ぎ豊岡を目指すが、ひとつ手前の久美浜どまりが多く結局この駅で1時間待ちとなってしまった。豊岡で山陰本線に乗り換え、その後も城崎、浜坂とこまめに乗り継ぎをして鳥取までやって来た。(後日談:その後、城崎に立ち寄る機会がありました。そのきの旅日誌はこちらをご覧ください。)
 4日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
倉吉、智頭急行/スーパーはくと、新大阪
智頭急行は、いわゆる陽陰間をショートカットする最新の道として敷設された。とりわけ大阪と鳥取をつなぐ切り札として投入されたのがスーパーはくとである。しかしながら、ここに至るまでは地元の努力や苦労が絶えなかったと聞く。昨今の経済情勢などから第三セクターとして経営がなされているのはやむを得ないのかもしれない。最近は落ち着いた感があるが、開通直後は結構話題になったようだ。今日はそいつに乗ってみることにした。始発は鳥取ではないので、まずは倉吉に向かう。
目的の車両が入線してきて席を確保して発車を待つ。運転席に設置されたカメラの映像が車内にあるモニターに映し出されていた。これは面白いかもしれない。何やらホームで駅員が慌しく行ったり来たりしている。ただならぬ雰囲気のようだが、一体なんだろうか?しばらくして、一旦車内の電灯が消えますとの放送が入った。と思ったら、ディーゼルエンジンまで停止されてしまった。えぇ、、、急に静かになる。しばらく間を置いてエンジンに火が入れられた。2、3分したら再びエンジンが切られる。えぇぇぇ、、、何よ??もう発車時刻になろうとしていた。暗くて静かな車内の雰囲気がより不安感をかきたてる。(笑) 再度始動されこれから発車するとアナウンスがあった。本当に大丈夫なのだろうか?
不安を抱えながら倉吉駅を発車した。山陰本線をたどって鳥取に戻ってくると、座席はほぼ埋まっていった。因美線に入りよりローカルな雰囲気に変わる。ここまではおとなしい走りをしていたが、智頭急行に入り高規格な路線になるとどうだろう、とたんにかっ飛びモードに変わった。トンネルと高架が続く中をぐんぐん加速していく。このスピード感は結構いけてる。ただ、倉吉で2度もエンジンを切られたことがまだ気になっていた。上郡から山陽本線に入るが、ここから先は何かに頭を抑えられてしまってたようで、あまりスピードを出すようなことはなかった。
どうしていまさら山陰地方を結ぶ路線を作るのだろうと正直思っていたが、実際乗ってみるとこれは便利だと感じた。お土産を買って、この日は新大阪から新幹線で寄り道せずに帰京した。新幹線の中に時折差込む日差しは、相変わらずギラギラと強かった。