■旅日誌
[2010/7] 山間ローカル線と光る山
(記:2010/9/12 改:2021/8/14)
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三連休を利用して、中国地方のローカル線をいくつか乗ってみることにしました。近い将来、廃止されてしまうのではないか?との噂が絶えませんが、確かに利用者数は芳しくありませんでした。このままでは本当に危ないかもしれません。今回は普段の土日に比べ1日余計に使えるので、合間で石見銀山へ行って観光してくることにしました。
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 0日目
ルート概略
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サンライズ瀬戸
相変わらず忙しい日々が続き、特に今年は夏休みが取れないような予感がしていた。そんなこともあり、思い切って7月の三連休を使って遠出を試みることにする。だからといって、どうしても行きたい場所があったというわけでもなく、2泊使えることを考えて中国地方のローカル線にでも足を運ぶことにした。何回かここらを乗りつぶしたのもかなり昔のことではあるが、もう随分と時間も経っておりかなり様子も違ってきてるはずだ。それと、利用率の低さから"大粛清"があるのではないかと絶えず噂され、心のどこかで引っ掛かるものを感じていた。あまり考えたくはないが、仮にそういうことが現実におきれば人が押し寄せるのは必須??なんて頭の中を過ぎる…。とりあえず三連休を目いっぱい活用するために、連休前夜にサンライズで出発することにした。正直なところ、夜行といっても選択肢が限られてしまうのは辛いところだが、そこは受け入れるしかない。まぁ、いつものようにあまり深く考えないようにしよう。
サンライズ瀬戸
 1日目
ルート概略
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姫路、姫新線、新見、芸備線、中国勝山、木次線、宍道、松江
少々強引なスケジュールだが姫路サンライズを途中下車。さすがに5時半前にこんなところで降りる人は他にはいなかった。このままサンライズ出雲に乗り続けて米子か松江にでも…ということは当然考えていたが、今回はローカル線を乗り通すという目的もあったので、時間を優先したり快適性さを求めることは二の次で、"不便なこと"も素直に受け入れるつもりでいる。昔の乗りつぶすことばかり考えてた頃のことをちょっとだけ思い出し、何年か振りの懐かしい気分に戻る。
姫新線
というわけで、まずは姫新線から取っ掛かることにする。いまいる姫路駅もいつの間にやら高架になってしまい、ローカル線の始発駅という雰囲気はまったく感じられない。既に日差しはギラギラと挑発的で、心地よい朝日なんてことは微塵も感じられない。今年の梅雨は、梅雨というよりまるで熱帯地方の雨季のようだったが、どうやらこの三連休で梅雨明け宣言が出そうな気配である。しかし、ここ2、3日も各地で豪雨のニュースが報じられ、昨日もあちこちで土砂災害の被害が出たらしい。実はサンライズに乗ってるときもそれが気になり、時折ニュースサイトなどチェックしていたが、この先通る予定の芸備線も含め、複数箇所で影響が出てるようだ。このまま運休が解除されなければ、行程も見直さなければいけないかもしれない。
姫新線
姫新線を端から端まで乗り通すには3本乗り継がなければならない。新しい車両に更新が進む中、トップバターとしてやって来たのは古い車両だった。数人ばかり乗せて上月行きのキハ単行姫路駅を出発、工事中の姫路城を右手後方に見ながら列車は姫路の街を後にする。1時間ほど走り、終点ひとつ手前の佐用駅で一旦下車、ここで次の列車に乗り継ぐことにしている。佐用駅智頭急行が通るのを機に大きく作り替えられたようだが、スーパーはくとのように陰陽連絡線の一翼を担う看板列車を配していたりと、明らかにそちらの方が列車の本数も多く、単純に比べてしまうと姫新線の存在も見劣りしてしまう。とりあえずあと1時間待たないと次の列車はやって来ないし、暑い中ただじっと待つのもしんどそうだったので、一旦改札の外に出てみることにした。ホーム下に位置する待合室には人の姿はなく程よく空調効いており、しばしここで涼をとることにした。それにしても誰もいないでこの設備はちょっともったいない感じもするな…。
姫新線
ホームに戻り津山へ向かう折り返しの便に乗り込む。レールバスのような簡素なつくりのキハ120系はJR西日本のローカル線ではすっかりお馴染みの顔になってしまったが、この先もほとんどこの列車のお世話になることが予想される。県境を越え岡山県に入り、次の目的地である津山に向かって列車はひと駅ひと駅トレースしていく。車窓といっても、特に目を引くようなものもなく単調な風景をただボーっと眺めてるだけで、他にすることはそう簡単に見つかりそうにない。まぁそれが目的でやって来たようなものなので、それでよしとしよう。やがて列車は、津山へ到着、津山といえば、おととしみまさかスローライフで来たとき以来になるが、様子はまったく変わっていない。さらにここでもう1回乗り換えて先へ進むことにする。やっぱり次の列車もまったく同じのキハ単行が待ち構えていた。旅情という意味ではどこか味気ない印象は否めないが、列車自体乗り心地は悪いわけではないし、でもそれが逆に物足りなさにつながってるのかもしれない。人間、まったく贅沢なものである。
姫新線・伯備線
この先の予定としては新見駅芸備線に乗り継ぎ、最後は木次線宍道方面へ抜けることにしていたが、前出の通り、昨日の土砂災害のおかげで不通箇所がでてしまっている。ただでさえ日に数本しかない…なんてところを通過するわけで、スジを見つけるのもひと苦労だっただけに、ここで予定をご破算にしてしまうのは正直考えたくない。ここは強気に何も聞かなかったことにして、半ば賭けのような状態で先へ進むしかないだろう。そんな不安な気持ちを抱えつつ、姫新線を走破し新見駅までやって来た。新見駅は伯備線との接続駅でもあり、乗り継ぎのポイントともなる駅である。良い方へ転ぶのか、悪い方へ転ぶのか分からなかったが、まずは情報収集するところから始めよう。
芸備線
運行状況を知らせる貼紙のようなものはなかったので、改札口へ行って直接駅員へ質問をしてみると、どうやら芸備線の不通箇所はひとつはふたつではないことが分かった。意外だったのは、三次よりも広島側の方が状況が悪いようで、昨日からマヒ状態が続いているという。それでも運転再開の見通しはあるとのことで少し安心したが、肝心のこちら側である新見備後落合間は復旧に相当時間がかかると言われてしまった。そんな予感はしていたので、すぐさま代行措置がとられるのか聞き返すと、少し時間をくれといって駅員は奥へ行ってしまった。しばらく待って返ってきた答えによると、途中の東城駅までは列車を走らせて、その先でタクシー代行を手配してくれることが分かった。幸い、備後落合木次線に接続もとってくれるとのことなので、どうにかこれでスケジュールはつながる。いやぁ、危なかったな…とホッとしたところで、隣で老夫婦が同じような質問をしている。どうも要領を得ない様子だったので間に入って話を聞くと、まったく同じパターンであることが分かった。駅員に帯同する旨を伝え、東城行きとなる列車を待つことにした。
木次線
芸備線の方もやって来たのはキハ120で、車内はそれなりに混雑していた。備中神代まで伯備線を走り、ここからローカルな路線へと分け入っていく。本当に豪雨被害なんてあったのだろうか?と思いつつも、列車は東城駅で運転打切りとなった。早速改札口へ向かうと、この先備後落合方面へ向かう人に対し、駅員から代行輸送タクシーへ乗り継ぐよう促された。タクシーでの代行と聞いていたが、正確にはタクシー会社の所有するマイクロバスが駅前に乗り付けられており、先程の老夫婦を引き連れて早速車の方へと向かう。どうにかギリギリで座席は確保できたものの乗り切れない人もいて、急遽近くにいたタクシーも動員することになった。予想より多くの人が集まったものとみえ、後から声のかかったタクシーの方を優先して備後落合まで直行することに変更、再び老夫婦といっしょにそちらのタクシーへ乗り換えることになった。
木次線
救済してもらった同士、数名を乗せてタクシー備後落合へ無事到着、もしかしたら列車より早く着いてしまったかもしれない。久々の備後落合だったが、まさかこんな形で駅にたどり着くとは思わず、駅周辺には本当に何もないことを認識した。一応ここまで来ればひと安心、各自思い思いに駅の様子などを確かめていると、運転再開したばかりの芸備線三次方面からやって来た。続いて折り返しの芸備線も到着、救済処置のおかげで列車は定刻で出発することができた。三井野原駅を出てしばらくすると、あの赤い橋が視界に入り、続いて奥出雲おろちループが見えてくる。先程の老夫婦もスイッチバックを楽しみにしていたということだったが、それだけではないですよ!と解説しながら、奥出雲おろちでやって来たときのことを思い出しながら一緒に風景を楽しむことになった。そして斜面の下の方に出雲坂根駅舎が見えてくるといよいよお待ちかねのスイッチバックへと差し掛かる。運転士さんも行ったり来たりして列車は進行方向を変え出雲坂根駅に到着した。ここで列車は4分間ほど停車することになっていたのだが、急にバケツをひっくり返したような雨に見まわる。例の延命水を汲んでくる時間はあるとのことだったが、これでは外に出るのはためらってしまう。恐ろしいほどの雨というのを久しぶりに目にしたが、これが列車を止めた原因だったのかと、思わぬところで実感することになった。
木次線の車窓・おろちループ 木次線のスイッチバック
土砂降りの豪雨の中列車出雲坂根駅を出発、一時はどうなるものかと心配されたが雨脚は徐々に弱まってきた。そうこうして列車出雲横田駅で一旦小休止、時刻表上は列車番号も変わり別扱いになるのだが、実際には何十分か後にあらためて宍道行きとなる。同じ車両がそのまま運用につくので、乗ってる人もまちまちに時間つぶしすることになった。山間の下り坂を左右にカーブし、出雲平野が見えてくると終着の宍道駅は近い。波乱の"乗り"も終わってしまえば名残惜しいものだが、例の老夫婦は出雲方面へ抜けるとのことなのでここでお別れ、別れを惜しむヒマもなくすぐさまやって来た普通列車に乗り込み松江へ向かう。長い一日の締めくくりとしてはあっけなくそして慌しいものだった。さて、汽車旅から一旦離れて何か美味いものでも探しにいくことにしよう。
出雲横田駅
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
大田市、石見銀山、仁万、江津
3連休で日程に余裕があった分、2日目の今日は観光モードにあてようと思う。まずは移動の前に、朝一で松江城へ寄ってみるところから始める。当初、予定を組んでるときはスケジュールに収まり切らないと思い込んでいたが、多少のやりくりで時間が稼げることが分かったので、急遽寄り道することにした。このお城も、一度は訪ねてみたいと思いながら時間が合わずいつも諦めてたところで、今回はちょうどいいめぐり合わせとなった。今日も朝から真夏を思わせる陽気で、汗を拭いながら人通りの少ない街中を抜けていく。早速お城の敷地へと進み、9時ちょうどの開門を待つようにして天守閣へ登ってみることにした。
松江城
ここで歴史についてうんちくを語る気はないが、例えば戦国時代をみると分かるように、この国の成り立ちというのは各土地土地を治めていた権力者による陣取り合戦が根底にある。その中心として機能していたのがお城であり、権力構造の象徴的存在と考えていい。その後大きく時代は変わってしまったので、いまでは想像でしか語ることができないわけだが、一部にはその名残を垣間見ることができる場所がある。でも実際には、観光目当てに再興されたお城がほとんどで、ここ松江城のように古い姿が残っているのは、貴重な存在である。そんなことを思いながら、まずは下階の展示物を簡単に見学したあと、早速天守閣へと上ってみた。あらためて松江の街一望すると、毎度ながら天下を取ったような気にもなれるものだ。その向こうに見える宍道湖もまた、この素晴らしい景色を演出している。心地よい風が天守閣の中をすーっと抜けていく。いやぁ、実に気持ちのいいものだ…。
松江城からの眺め
松江城を後にして、再び徒歩で松江しんじ湖温泉駅へと向かう。ここからは一畑電鉄に揺られ宍道湖を眺めながら出雲市へ出ることにする。久方振りの一畑電車だったが、話題の映画の宣伝なども影響してか、車内は意外と多くの人で賑わっていた。言うまでもないが、ただ寂れていく姿を目にするのも胸が痛むので、こうして活気があると少なからずホッとするものだ。(後日談:その後、一畑電車を利用する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)出雲市まで乗り通し、ここで山陰線に乗り継いでいく。既にホームで待機していたのは毎度のキハ単行大田市までの区間便なので、これで十分な気もするが、後から乗り込んできたおやじが狭いだの、暑いだのさかんにぶつくさ文句を言っていた。だったら乗るな!と突っ込みたくなったが、こんなところで無用なトラブルに巻き込まれても損するだけなので、自然におとなしくなるのを待つことにした。
一畑電鉄
出雲市駅を出発したあとも、しばらくはのどかな山陰路が続く。小柄な鈍行列車は控えめにトコトコと進んでいるようだった。ルート的には去年秋にほのぼのSUN-INで通ったばかりなので、なんとなく記憶は残っていたが、今回は夏の日本海を眺めがらの移動となる。1時間ほどして大田市へ到着、ここでバスに乗り継ぎ、午後は石見銀山に滞在して観光することにしている。とりあえず次のバスを待つ時間を使って、軽くお昼を済ませておくことにしよう。
宍道湖
石見銀山界隈はユネスコ世界遺産に指定されたこともあり、最近注目されてるスポットたが、実はそれ以前から行きたいと思ってた場所のひとつだった。世界遺産に指定されるということは、ただポツンと古い観光地があるだけでは不十分で、地域全体が複合的に歴史的価値を共有していることが大事だとも言われている。石見銀山といえば、最盛期だった17世紀頃は世界有数の銀鉱山として名を馳せ、ここら一帯の地域では多くのヒト・モノ・カネが行き交ったという。一番賑わった大森地区は、いまでも歴史的な景観を残し、2、3キロに渡る古い町並み石見銀山を代表する場所で、少し離れた銀の積み出しで賑わった港近くの温泉津地区にもかつての佇まいを残したところがある。そんな感じで、単に鉱山の跡が点在しているというのではなく、方々にも見るべきところが多く、周囲一帯がひとつの"社会"を形成している。とはいっても時間に限りがあるので、今回は大森地区を中心にまわってみることにしている。まず最初に石見銀山の入口にあたる大森代官所跡バスを降りると、そこからもう雰囲気が違っていることに気付く。早速、町歩きに向かうことにしよう。
山陰線
大森のメインストリートは、その両側にそれっぽい建物が続き、奈良井宿など木曽路あたりにありそうな街道筋を髣髴させる。町中を抜けると徐々に生活感がなくなり、気がつけば渓谷沿いに整備された遊歩道を歩いていた。最終目的地まではまだまだ距離があり、途中にある清水精錬所跡に寄ってみることにした。遊歩道から一旦離れ、坂道をしばらく登っていくと、まるで遺跡のような雰囲気の建造物が忽然と姿を現わす。山の奥にしてはあまりにも立派過ぎるのでどこか違和感を感じるが、ここは銀鉱石の製錬に使われた施設である。かつての石見銀山は海の沖合いから眺めると、本当に山が光るとまで言われたらしく、それだけ銀の含有率は桁違いだったらしい。その後優良な鉱脈が枯渇してくると、より深くから銀鉱石を掘り出さざるを得なくなり、また、算出される鉱石の銀含入率も低くなったため、大掛かりな製錬施設が必要となったらしい。しかし採算性は悪く、すぐに使われなくなったという。
石見銀山・大森の風景
遊歩道を登りきったところにで、坑道跡を見学することにしよう。石見銀山には間歩(まぶ)と呼ばれる坑道がいくつも掘られ、中でも龍源寺間歩は規模も大きく、構造もしっかりしており一般に開放されている。料金を払い、早速中へ入ってみる。一歩足を踏み入れただけで、気温はぐんと低くなりとても涼しい。ほぼまっすぐ掘り進められた坑道をさらに先へと進む。ところどころに横へ掘り進んだ箇所があり、外の光が差し込んでいた。薄暗い坑道はさらに奥へと続き、地下壕のような世界はその後もずっと続いていた。ひと通り見学して外へ出てくると、梅雨明けした真夏の陽気が一気に戻ってきた。
石見銀山・龍源寺間歩
代官所跡から相当距離があり、歩いてたどりつくのにひと苦労だったが、その分貴重な体験ができたように思う。帰りも川の流れに沿って木立の中を歩いてきた。ここでまだもう少し時間に余裕があったので、近くにある五百羅漢寺に寄ったあと世界遺産センターへ向かうことにした。通りを挟んで本堂の向かいに五百羅漢の石仏が収められており、扉を開けて建物の中に入ると、石窟像のような感じでぎっしりと並んでいた。その表情はどれも独特で、ふと中国の杭州でみた五百羅漢のことを思い出した。あらためて歩き出し、ちょっとした集落に出たところで近道がありそうだったので脇へ逸れてみることにする。しばらくはヘビが出てきそうな鬱蒼とした道の連続だったが、ほどなくして駐車場の脇へ到着、建物の中で少し休んで帰りのバスを待つことにした。
石見銀山
戻りは大田市駅行きではなく何となく気分で仁万駅へ向かうことにした。こちらは一日に数便しかなく、他に乗ってるお客さんもいなかったので一番前の座席を陣取ると、なぜか運転手さんと世間話に花が咲いてしまった。行きのルートとは違ってバス狭い山道を行くことになり、それでも30分もしないで仁万駅へ到着、最後に運転手さんに挨拶をしてバスを後にした。仁万駅からは、それほど待たずしてやって来る快速アクアライナーに乗り継いで江津駅まで向かうことにしている。いかにも田舎!(こりゃ失礼…)といった感じの駅だった、ホームに出てみるとここもほのぼのSUN-INで立ち寄ったような気がした。その後無事に江津駅へ到着、今日は一日順調にこなすことができたが、明日は早起きをしなければならないので、さっさと寝てしまうことを考える。久しぶりに長時間歩き通したせいか、心地よい疲労を感じながら、早々に休みをとることにした。
仁万駅
 3日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
江津、三江線、三次、福塩線、福山
3日目の今日は三江線から福塩線をまわることにしている。正直に全部を乗り通そうとすると、1日ではかなりきつい。もちろんあまりにも本数が少なく乗り継ぎが悪いのが理由だが、運よくすっと通せるスジがあったので今日はそいつに乗っかることにした。まずは早朝6時2分に江津を出発する三次行きに乗らなければならない。そのために江津駅近くに宿泊したのだが、昔懐かしいにおいのする旅館しかなく、それでもありがたく利用すると、どうやら同業者(?)の利用も多いようで、素泊まりであることを申し出たら「6時2分のに乗るの?」と逆に突っ込まれてしまった。
江津
その三江線だが、いやぁここも相当危ない印象を受ける。あまり考えたくはないが、おのずと廃止…という二文字が頭の中を過ぎる。陰陽連絡を担うというには距離、時間ともに厳しく、山陽側の広島はまだしも山陰側の起点・終点となる地点は中途半端だし、途中沿線にもこれといった中核都市があるわけでもない。やはり地元の足として、例えば道路事情が悪くバス転換が難しいといったような背景でもなければ残れないような気もする。そう思うと、よくいままで走り続けられたものだと逆に感心してしまう。以前も芸備線に乗ったときにも経験したが、保守が間に合わずやむなく徐行する場面もやたら多く、危機的な状態にあるといわざるを得ない。日本各地に伝播しなければいいが、思わずこの国の行き先を案じてしまう。
三江線
そんなことばかり考えていても仕方ないので、気を取り直して、、、三江線江の川に沿うように進む路線で、地図をみると分かるように川の流れの通りに蛇行している。今日のように穏やかな天気であれば、のんきに景色をみながらローカル線の旅を楽しむのもいいが、自然災害のリスクは想定しなければならないだろう。さて、朝一の便に乗り込むと、やっぱりこの路線に乗ることが目的と思われる一団があとからやって来た。列車は朝日に照らされ江津駅を出発、しばらくは江の川の様子を眺めながらひと駅、またひと駅と停まっていく。ようやく浜原まできたところで、最初の上下交換が行われた。三江線は、その生い立ちから途中の山の中に高規格な新線(?)があることで有名だが、一瞬、信じられないほどのスピードでぶっ飛ばす区間がある。北の江津側と南の三次側から路線を延ばしていって、最後に残ったところをつなげるときに高スペックになったと思うのだが、お金の使い方は間違ってなかったか知りたいものである。(余談:もちろん技術の進歩によるところもあるので、一概に善し悪しは判断できまないけど…。)
江の川
そうこうしながらひたすらボーっとた時間を過ごし、やがて終点の三次へ到着。着いたのはいいが、次の福塩線府中行きまでなんと待ち時間はおよそ2時間20分、、、まぁ、ローカル線の旅なので、このくらいのことでいちいち驚いていてはいけない。こちらの路線もまた廃止されずに残ってるのが不思議なくらいだが、先程の一団も同じように乗り継ぐ様子だった。三次の町にはこれといって見ておきたいような場所もなく、どうしようか悩む一方で、とりあえず駅舎の反対側にターンテーブル跡があるようなので、そこへ行ってみることにした。なるほど駅の敷地は思いのほか広く、かつて要所として栄えていたことがうかがえる。その隅っこの方に、雑草に覆われながらも確かにターンテーブルがあったことは分かった。再び駅正面の方に戻ろうと移動してみる。途中で若宮八幡に立ち寄ってみたが、それでもまだ余裕があったので、昼食を調達するついでに冷房の効いたショッピングセンターで時間をつぶすことにした。
三次
再び三次駅へ戻り、福塩線の列車を待つ。ここもまた毎度お馴染みのキハ単行に乗り込む。定刻になり列車は三次駅を出発、3駅先の塩町までは芸備線の上を行き、そこから福塩線へと入っていく。この路線にも徐行区間が数多く存在し、たらたら走ってる感は否めなかった。少しずつではあったが、徐々に乗って来る人の数も増え、やがて終点の府中駅へと到着した。先程の三次とはうって変わってこちらは3分で慌しく乗換えなければならない。ここからは電化区間となり福山に近いこともあって本数も比較的多くなる。まぁ、その分味気なく感じてしまうのだが、、、
福塩線
今日乗った2つローカル線はともに10数年ぶりの再訪だったが、この先のことを考えると本当に不安を覚える。JR西日本はよからぬことを考えてる…などと一方的に言われているが、実際乗ってみるとそんな単純な話ではないような気もした。社会インフラとしてどう路線を維持していくのか、正直なところ判断は難しいと思う。最後は福山からのぞみで一気に帰ってきてしまったたが、サンライズで一晩かけたところを3時間半で取り返してしまうというのも複雑な思いだ。そんな感じでローカル線乗り倒しの3日間の旅もあっという間に終わってしまった。さぁ、明日になればまた普段の生活待っている。
福山