■旅日誌
[2010/6] やまとは国のまほろば
(記:2010/8/21 改:2010/12/12)
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前々から何かきっかけがないか気にはしていたのですが、平城京遷都1300年を機に奈良へお出掛けすることにしました。観光目的で奈良をまわってみるのは随分と久しぶりのことですが、2日目には明日香村へ足を延ばしてます。往路ではキャンペーンにあわせて運行されていた特急まほろば号を利用しましたが、人気の(?)ゆるキャラせんとくんにも遭遇、ちょっとホッとする週末になりました。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
特急・まほろば、奈良国立博物館、平城遷都1300年祭
平城遷都1300年にちなみ、この4~6月に奈良デスティネーションキャンペーンが開催され、古都奈良はちょうど注目を集めている時期だった。これまでも、時折、奈良に寄る機会はあったが、ただ通過するだけといったことが多く、何かきっかけがあれば少し時間をかけてまわってみたいと考えていた。思い起こせば奈良界隈を見てまわることなんて、中学校の修学旅行以来のような気もするので、それこそ何十年振りの話になる。(苦笑)京都などもそうだが、この歳になって多少なりとも歴史に興味を覚えたりして、あらためて歴史にちなんだ場所などまわってみたいと考えていた。GWが明けてからも、何かとバタバタし続けていたので、ちょっと仕事から離れてオフにしたいという気持ちも手伝って、思い切って週末の遠征をすることにした。(後日談:その後、再び奈良へ来る機会があり、吉野の方へ足を延ばしてみました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
特急・まほろば
というわけで、のぞみで"西"を目指すところから始める。関東地方から奈良方面に向かうなら、通常、京都で乗り換えるところだが、今回は新大阪まで乗り通すことにしている。というのも奈良DC期間にあわせて、特急まほろばという臨時列車が大和路線まわりで設定されており、それに乗ってみようというのがその理由だったりする。新大阪-奈良間なので、距離にしたら短く、わざわざ特急扱いにする必要があるのか?といった批判も上がっていたようだが、意外と利用者も多くそれなりに意味はあったのかもしれない。沿線にもカメラを構えた人の姿がところどころにあったし、JR西日本としては関西より西から新幹線を利用してもらう、というシナリオを考えればそれなりの効果はあったといっていい。
せんとくん
新大阪駅には11時過ぎに到着、寄り道する理由もないので迷わず在来線ホームへ直行する。一番端の11番線ホームは関空方面や紀勢線に向かう特急が発着するホームで、特急まほろば号もこのホームから出ていく。どういうわけか乗車目的以外の人も混じってたようだが、しばらくすると懐かしい国鉄色381系がやって来た。かつての振り子の名手もいまでは少々くたびれた感が漂っているが、まぁ、それでも特急は特急、実際乗り込んでみるとバッタン・リクライニング(?)だったりと、いい意味でも悪い意味で味がある。(謎)日根野所属のこの編成は、確か通勤ライナーにも転用されてたように思うが、新幹線乗り継ぎを使えば半額割引が適用され、指定席でも720円と、まぁ、こんなものかとここは納得しておくことにした。
特急・まほろば
列車新大阪駅を出るとすぐに淀川を渡り、本線から外れて梅田の貨物ターミナルの方へと逸れていく。紀伊半島関空方面へ向かう特急と同じルートを通り、阪神高速が丸いビルを突っ切るのを見たあと環状線と合流する。その先もしばらくはゆっくりとしたペースが続き、程なくして天王寺へ到着した。ここから大和路線に入り、車窓の様子は都会の風景から徐々に郊外のものへと変わっていく。車内の雰囲気も観光地へ向かう空気で満たされ、そこかしこで賑やかな声があがっていた。このまほろば号では、記念の乗車証も配られ、裏に印刷された通し番号の一部が記念品の当選番号なってるらしい。JR西日本にしては、なかなか気の効いたことをするものだ。ところでこの列車には、平成遷都1300年祭のマスコットせんとくんが乗り込んでくることになっていて、奈良までの短い時間を使って車内をまわるらしい。当初気持ち悪がられてたキャラクターも、逆にそれが話題となり結果的には人集めに貢献してるようだ。しばらくして、ようやくせんとくんが登場、間近で見てもやはり不気味なものは不気味?と、微妙な印象を受ける。不思議な愛嬌をひと通り振りまいたあと、せんとくんは次の車両へと移って行った。このペースじゃ最後まで行かないような気がするけど大丈夫かな?
興福寺 奈良国立博物館
特急まほろば号は定刻で終点奈良へ到着した。各方面からやってくる列車をさばかなければならないので、すぐさま回送幕に変えて列車はあっという間に引き上げてしまった。駅の中に戻ると、せんとくんを囲んで撮影会が行われていた。いつ頃からなのかさっぱり分からないが、奈良駅はすっかりいまどきの駅になっていた。ところどころは未だ改装工事中といったところもあり、余計落ち着かない。昔の趣のあった雰囲気はどこにも残ってないのかな?と思って外に出ると、の隣に観光案内所が昔の駅舎のまま残されていた。どこか嬉しい雰囲気を感じながらを後にする。
東大寺
JR奈良駅はいわゆる街の中心部から外れた場所にある。少々距離があることは来る前から認識したので、まずは徒歩で移動することにした。商店が立ち並ぶ道をひたすらまっすぐ進むと、やがて猿沢の池のほとりへと出てくる。ここにやってくるのも久しぶりのような気がする。興福寺の五重塔の前を通り、ふと阿修羅像が見たくなり、国宝館に立ち寄ってみることにした。去年は思わず上野の博物館まで阿修羅展を観にいってしまったが、折角ここまで来たことだし、もう一度お目にかかることにした。そういえば、あのときはものすごい人の数だったが、今日はもう少し落ち着いて観られるだろうか。ここ興福寺の国宝館には、阿修羅像の他にも、文字通り国宝級のものが多く保存展示されている。仏様というのはもちろん仏教としての教義の象徴でもあるが、芸術品としてあるいは歴史的史料としての見方もできるわけで、何度もお目にかかりたく理由はそんなところにもあるのかもしれない。均整のとれた阿修羅像もそうだが、圧倒的な存在感ですくっとお立ちになられてる薬師如来像は特に印象的だった。予定外の寄り道だったが、おかげでどこか充足感を得られるように思う。さて、ここからが今回のお目当てのひとつ、、、国立博物館で行われてる大遣唐使展を見学することにする。この博物館に収められてるもの以外にも、世界中の博物館や美術館から貴重な史料や美術工芸品などが出展されており、非常に貴重な機会で、わざわざ奈良まで遠征する価値ありと考えてたものである。ひと通り見学したあとは、折角ここまで来たので東大寺に寄って大仏様に手を合わせておくことにした。
東大寺・大仏 奈良公園
再び街中を通って近鉄奈良駅を通り過ぎて、JR奈良駅まで戻ってきてた。ここからシャトルバスを利用して平城遷都1300年際会場へ移動する。無料のシャトルバスが出るのはGW期間中と夏休みだけと聞いていたが、今日もしっかり運行されているようだ。会場までは歩いて行けるような距離でもなく、電車での移動も面倒そうだったので、こいつは非常に助かった。満員のバスにしばらく揺られ会場に到着すると、まずは朱雀門がお出迎えとなる。赤い大きな門を過ぎた先には、だだっぴろい土地が広がっていた。ここが平城京の跡地ということらしいが、こうして実際に目にしてみて大掛かりで復原作業が行われていることを初めて知った。ただ、敷地の中近鉄線の線路が突っ切っているため、ひっきりなしに電車が行き交い、これだけは少々興ざめしてしまう。この先へ見学に行くため線路を渡って行かなければならないのだが、この現代的な人工造営物もこうしてみると邪魔なだけに思えてきた。
平城遷都1300年祭・大極殿
気を取り直して奥へと進むことにしよう。広い敷地に入ると、遥か向こうに大極殿の姿が見えてくる。真夏のようにジリジリと照らす日差しを受けながら、その建物の方角へと歩いて向かう。平城遷都1300年事業では様々な計画があったらしいが、事業費の縮小から計画の見直しがかかり、大極殿の復原は数少ない目玉のひとつだ。復原された大極殿は一般にも公開されており、早速見学していくことにする。建物の中に入ってみると、見た目の美しさ以上にその精巧さにも目を見張るものがある。正直なところ、来るまであまり期待はしてなかったが、なかなかどうして、変なテーマパークよりよっぽどましかもしれない。人によって興味の対象や感じ方は違うと思うが、ここ1、2年で北京の紫禁城ソウルの景福宮といったところへ行く機会もあり、こういう歴史の振り返りにお金を使うのも決して無駄ではないようにも思えた。
平城遷都1300年祭・大極殿
ひと通りぐるっとまわってみてから、再び広い敷地の中を朱雀門の方へと戻ってきた。シャトルバスで到着したときに、何の気なし整理券を受け取ったのだが、そのおかげでギリギリ最後の方の時間で平城京歴史館が見学できることになり、そちらにも寄ってみることにした。歴史館の中では、平城京の成り立ちや人々の生活などが解説されており、また、復原された遣唐使船にも乗ってみることができるので、先程整理券が入手できたは運がよかったのかもしれない。3D映像で再現された平城京の様子や、遣唐使についての解説もすんなりと受け止めることができて、ここは見学しておいても損はないと思った。この平城京遷都1300年に関連して、TVでも吉備真備が取り上げられることも少なくないようだが、しっかりと歴史の勉強をしなおしたく感じてきた。最後に、もう間もなく閉館ということで歴史館を出てきて、再び朱雀門の方へと戻り閉門の儀を見学して今日の締めくくりとした。
平城遷都1300年祭・朱雀門
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
薬師寺、唐招提寺、高松塚古墳、橘寺、石舞台古墳、岡寺、飛鳥寺、国立飛鳥資料館、甘樫丘
2日目は明日香方面へ行ってみることにしている。まずその前に、薬師寺唐招提寺に寄り道する。薬師寺唐招提寺も、前々からぜひ行ってみたいと思ってた場所でもあり、ちょうど通り道にもあるので今日の予定に組み入れてあった。まず近鉄線に乗って西ノ京駅へ移動、余裕を持って出てきてたのでちょっとした眺めのいい場所へと寄ってみることにしよう。から10分ほど歩いていくと、大池越しにちょうど朝日が逆光になって、薬師寺のシルエットがよく見える。うわさ通り、実に奈良らしい美しい景色だった。
薬師寺
ぐるっとひと回りして、薬師寺南門の方へとまわり開門を待つ。ちょうど9時になり敷地の中に入ると、西二つの塔が整然と立っていた。向かって左の復原された西塔は見た目にも美しくとても目を引くが、今日は特別に公開された東塔の中も見ることができるようで、早速その内部構造を確かめておくことにした。どうやらとても貴重な機会らしく、朝から幸先がよい。続いて金堂へと向かい、薬師三尊像をお参りしておく。伽藍を抜けるとちょうどこの時期、東山魁夷によって描かれた大唐西域壁画が公開されており、折角なのでそちらにも足を延ばしておくことにした。なるほど、、、あらためて日本画の大家の素晴らしさに納得することになった。
薬師寺
薬師寺を後にして、続いて唐招提寺へ向かう。歩いても行ける距離なので、北の向かって徒歩で移動することにした。実はこれも直前になって知ったのだが、昨日と今日は年に一度の鑑真和上の坐像が公開される日で、今日も朝から大勢の人が押しかけ、既に長蛇の列ができていた。もちろん、こんな貴重な日に立ち会えるなんてそうはあることではないので、少々時間は必要としてもお目にかかっておくことにした。敷地に入る入口の前で一度並び、さらに鑑真和上坐像が公開される御影堂の手前で並び、ようやく中に進むことができる。お堂の中もずらっと列ができていたが、ここは人の流れに沿っていくことにしよう。どれくらい時間が経ったのかよく分からないなかったが、薄暗い中ようやく鑑真和上坐像と対面を果たすことになる。最初は暗くてよくわからなかったが、しばらくしてくるうちに目も慣れてきて、あの写真でしか見たことのなかったお姿が目の前にあった。在りし日の鑑真和上のお姿を鮮明に伝える天平彫刻の傑作…と例えられるように、本当に穏やかで見る者の心をも落ち着かせる表情がとても印象的だった。
唐招提寺
その後、唐招提寺の中をしばらく歩き、最後に講堂の様子を確かめるようにしてお寺を後にすることにした。来た道を歩いて戻り、再び西ノ京駅から近鉄線で移動する。橿原神宮駅で一度乗り換えて、飛鳥駅まで進み、今日はレンタサイクルでここらをひとまわりする予定でいる。駅前脇のお店で通行手形とやらを100円出して買っておくと、各所で入場割引が受けられるらしい。それ自体、案内書なので、参考にしながらまわることにした。早速レンタサイクルを申し込むと、通行手形の割引で100円引かれるのでこれだけで元は取れてしまう。(余談:この先も各施設、お寺などで割引が効きました。これはおすすめです。)
高松塚古墳
まずは高松塚古墳へと向かう。飛鳥駅を後にして緩やかな坂道を登ると、目的の場所はすぐ近くにあった。どうやらここら一帯が国営飛鳥歴史公園の一部として管理されており、古墳に隣接する高松塚壁画館には石室の壁画を模写したものが展示されている。その施設の中には石室の発掘の様子なども紹介されており、高松塚古墳の全貌を知ることができる。その裏手にまわると、こんもりとした形の古墳が実際に見学できるようになって、なるほどこうやって足を運んでみるとなかなか興味を覚えるものだ。さらにその先には文武天皇陵があるそうなので、そこにも寄ってみることにした。
橘寺
高松塚古墳を後にして、次の場所は向かう途中には持統天皇陵があり、そちらにも見学しておくことにした。いったん自転車を降りて、上の方まで続く階段を登ってみる。これまでもこうして古墳に直接触れることなど経験もなく、何か不思議な感覚を覚える。さらに自転車をこいで橘寺へと向かう。橘寺は聖徳太子生誕の地といわれる場所で、有名なお寺ではあったがこれまで立ち寄った記憶はなく初めての訪問である。明日香地方ののどかな田園風景に溶け込んだ古寺といった感じで、なかなか雰囲気があっていい。重要文化財にも指定された聖徳太子坐像が安置された本堂を見学し橘寺を後にした。この先は車の通りが多い道を避けるようにサイクリングロードが整備されており、静かな山間を進んでいく。突然ヘビが足元をチョロチョロっと通り過ぎていったりしたが、まぁ自然とはこういうものなのだろうか。しばらくして石舞台古墳へと到着、ここも説明するまでもなく明日香地方を代表する有名な場所であり、確か中学のときに来ているはずだが、こんなに観光地っぽかったか、まったく記憶がつながらない。とりあえず石舞台古墳の周囲をひとまわりして、石室の中も見学しておく。石舞台古墳の周囲は、広く公園のようになっていて、ちょうど昼どきでもあったので持参した柿の葉すしでお昼にすることにした。今日は気温もぐんと上がり夏を先取ったような天気で、青空のもと遠足気分でお弁当を広げるのも悪くはない。
石舞台古墳 岡寺
お昼を食べながら午後のルートについて少し考えてみて、まずは岡寺を経由していくことにする。地図でみると岡寺まではそんなに離れてなかったが、いざ行ってみると自転車ではちょっとつらい坂道が山門まで待ち受けていた。本堂にある観音坐像もまた立派なもので、これだけでも苦労して登ってくるだけの価値がある。続いて今回一番行きたいと思ってた飛鳥寺へと向かう。周囲は田んぼに囲まれ、ここもどこかのんびりとしたようなところにある。飛鳥寺といえば日本最古のお寺ともいわれ、その歴史はとても古い。中でも飛鳥大佛の通称で呼ばれる釈迦如来坐像は大変貴重なもので、ぜひ一度お目にかかりたいと思っていた。早速、本堂の中へと入り、飛鳥大佛との対面を果たすと、ちょうどお寺の方の解説があるとのことで、しばらく説明を聞かさせていただくことにした。ややふっくらとした表情は大陸系の仏様を髣髴させ、その後の日本の一般的な細面の仏様とはあきらかに印象が違う。かつてこのお寺はかなり大規模な伽藍を配していたということだが、その後朽ち果てそうになった時期もあり、いまではこじんまりとした配置に落ち着いているという。いま目の前にしているこの仏様はここから動かされたという記録がなく、何百年もの間、この場所でこうして人々と向かい合っていたことになる。想像するに、あの聖徳太子も国づくりに思い、悩み、この大仏様の前に座っていたのかもしれない、そしていま私たちもこうして悩みを抱えながら仏様に手を合わせる、、、最後にここに居合わせた人々のことを祈念してお経をあげていただき、あらためて我に返ると、どこか心の中がスッと落ち着く感じがしてきた。(余談:特に断りがなかったので大仏様の写真を撮らさせていただきました。)
飛鳥寺 飛鳥寺・飛鳥大佛
飛鳥寺敷地のすぐ近くにある首塚を見学したあとで飛鳥寺を後にした。既に盛りだくさんでいろいろなところをまわってきたが、あともうひとつ飛鳥資料館へ足を延ばしておくことにしておく。というのも、ちょうどいまキトラ古墳壁画の四神の特別展示が行われており、レプリカでなく実物を見ることができるこれまた貴重なチャンスだったので、行ってみることにした。予想通りここも多くの人が押しかけており、かなりの待ち時間を必要としたが、青龍、白虎、朱雀、玄武すべてが揃うとあって、並ぶだけの価値は十分にあった。正直なところ保存状態はあまりよくなかったが、それでも手の届きそうな間近なところで本物を見る、というのはそうそうあることではない。実はこの展示も最初は予定に入れておらず、直前になって気がついたのだが、見過ごさなくて本当によかった。
明日香地方・甘樫丘
さて、そろそろ帰りのことを気にしなければならない時間になってきた。自転車は橿原神宮駅前で返すことにして、最後に今日の締めとして甘樫丘に登ってみようと思う。こんもりとした丘の上に上がると、いい感じで明日香地方の様子を一望することができる。田園地帯に点在する古墳群、芸術的ともいえる美しい姿をした大和三山、郷愁漂う風景はまさに日本の原風景であり、ここから日本の国の歴史が始まったのだ、ということをあらためて認識する。そんな穏やかな時間がなにかとてもありがたく思えてきた。
近鉄南大阪線
橿原神宮へ戻り自転車を返し帰路に着く。帰りは近鉄南大阪線大阪阿倍野橋へ出て、南海線関空へと移動し、今日は空路、東京へ戻ることにしている。関西空港から羽田に戻ったというのはあまり経験がない。何となく行き交う飛行機を眺めながらしばらく時間をつぶし、これから搭乗するSFJ便をちらっと見ておく。黒の機体が相変わらずクールな印象を受ける。JAL、ANAが機内サービスをことごとく簡素化してしまたので、いつものサービスがどこか嬉しい。そうこうして1時間ちょいのフライトはあっという間に終わってしまった。今回はあまり事前に情報収集していなかったが、大遣唐使展以外のところでも、薬師寺の東塔唐招提寺の鑑真和上坐像、キトラ古墳の特別展示など、絶妙なタイミングで貴重なものを見られたように思う。2日かけて明日香地方を中心にまわってみたが、奈良県にはまだまだ行ってみたい場所があるので、また機会を見つけてまわってみたいものだ。
スターフライヤー・SFJ28便・羽田行き