■旅日誌
[2010/8] みちのく浄土
(記:2010/9/18 改:2024/11/17)
(記:2010/9/18 改:2024/11/17)
結局、今年の夏はまとまった休みもとれず、どこか治まりが悪かったので土日だけでもと思い北の方角を目指すことにしました。お盆のピーク前ではありましたが、思いつきでは飛行機などとれるわけもなく、渋滞覚悟で車の移動を決心しました。というわけで、1泊2日で松島と平泉をまわっています。
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1日目
残念ながら夏休みが取れないという予感は的中、理由は忙しいから…と言ってしまえばそれまでなのだが、何だか納得がいかず、とりあえずあまり深いことは考えず軽い気持ちでどこか気晴らしにでも出掛けることにした。だからと言って先月同様、ここぞ!という場所があったわけでもなく、何となく思いついたのが東北地方、渋滞は覚悟の上、車で往復してみることにする。とはいうものの、できることなら渋滞何十キロなんていう混乱はさけたい。そんな思いもあって早朝の出発を決意、6時には首都高に乗っていた。普段の土日の様子を知らないので何とも言えないが、早朝なら走ってる車の数はもっと少ないと思っていたが、交通量も多くペースはあまりよくない。
川口から東北道に入ったものの首都高のペースの悪さを引きずったままで、団子状態にあっては速度も一向に上がりそうにない。まぁ、走ってるだけマシか、と自分に言い聞かせながら、事故渋滞だけは勘弁…と心の中で祈る。恐らく自然渋滞は避けられないだろうけど、とんでもない大渋滞に巻き込まれる前には厄介な"名所"は通過しておきたい。しかし、ところどころで既に流れは滞っており、できるだけ先へ進んでおきたいという気持ちと、どうせペースが落ちるならPAかSAで休んでおくか、という気持ちが交錯する。一度だけ"休憩"の選択肢を選んでみたものの、車を止めるスペースがないほどの混雑ぶりで素通りを余儀なくされた。どうやら、これは腹を括らないといけないようだ。
関東圏を抜ければ少しはよくなるかなと期待したが、なかなか順調といったペースにはなっていかない。混雑を理由に制限速度は80キロに抑えられ、結果的には80キロくらいでダラダラ走ってることが多かった。それでも朝早かった分だけ、まだ"軽症"で済んだようで、どうにか無難に東北道に別れを告げる。仙台南ICから仙台南部道路へ入ると対面2車線となり仙台市街を避けるように東へと進む。仙台若林JCTで仙台東部道路に合流、こちらは2車線のゆったりとした道だった。仙台市を抜け郊外へ出てくると視界も開け、しばらくすると前方に新幹線の車庫らしきものが目に入った。運転中なので凝視することはできなかったが、はやぶさ(E5系)の緑色の車体も見える。こいつが営業運転に入ったときにはぜひ乗っておきたいものだ。三陸自動車道の松島海岸ICで一般道へ降りると目的地は近い。下調べしておいた通り松島の手前にある町営駐車場に車を停めて、あとは徒歩で移動することにした。多少距離はあるが、混雑した中心部まで車で入るよりも賢い方法だという。
渋滞する車列を横目に、坂道を下ながら東北線の線路を越えると仙石線の松島海岸駅の裏手に出てくる。実はこれまで車窓から見るくらいで、こうやって松島に立寄るのは初めてのことになる。ちょうど駅に差し掛かると、仙石線の電車が近づいているとアナウンスが入り仙台方面に向かう快速と下りの普通列車がこの駅で交換していくところだった。しばらくその様子を見守っていたが、かつて山手線を走っていた電車が派手めのカラーリングを施され、こんなところで第二の人生を過ごしているというのも時の流れを感じる。多くの観光客で賑わう松島海岸駅を後にして早速、観光することにしよう。(後日談:その後、新しいルートとなる東北仙石ラインが開業しました。乗車したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
松島といえば、日本三景にも数えられた風光明媚な場所で、いまさらここでどうこう説明する必要もないだろう。(余談:関係ありませんが「松島や ああ松島や 松島や」は松尾芭蕉の句ではないというです!)やはり一番の見どころは松島湾に点在する島々の風景で、今日も観光船に乗ってひと回りしてみようと思っている。と、その前に、予約した時間まで少し余裕があったので、近くを散策してみることにした。まず最初に瑞巌寺の境内を抜けていくと鬱蒼とした杉木立の中は、すーっと気温も下がり気分も落ち着く。いまどきの表現(?)をするならパワースポットとでも言うべきだろうか?海岸の方に出て、五大堂に寄ったあと、遠くに見えた赤い橋が気になったのでそちらの方まで足を延ばすことにした。そこは福浦橋という有料の橋で福浦島まで歩いて行くことができる。折角なので福浦島まで渡ってみると島の向こう側には展望台があって、また違う角度から松島湾を眺めることができた。
なんだか夏休みっぽい気分になってきたところで観光船乗り場の桟橋まで戻ってきた。今日は1時間弱で湾内を一周してみることにしているが、塩竈方面へ行く便など複数の会社で多くの船を出している。やはり夏のこの時期は書き入れ時とみられ多くの人でごった返しており、観光船もほぼ満席、事前にネット経由で予約しておくと割引も効くし正解のようだ。出航した後は、海上から松島湾に浮かぶ島々を見てまわる。今日は天気もよく快適な船旅となり、大小様々な奇岩など見学していく。最後に船尾へ出て、この観光船の名物でもあるウミネコに餌をやる様子を見物しながら戻ってきた。その後、ちょっと遅いお昼を済ませ、国道45号から県道を抜けて大和ICへ向かう。再び東北道に乗り、今日の最終目的地である平泉へ向けて北上を続けることにした。
2日目
今回は平泉に投宿して、2日目に中尊寺と毛越寺に寄ることにしている。宿泊に使ったのはごくごく普通の民宿といったところだったが、口コミ情報にもあったすごい食事というのが気になり、実は平泉に行くならここと決めてあった。今回も思い立ったのが直前だったにも関わらずたまたま空きがあり、すかさず予約を入れてみたところ、そのうわさ通り、いや期待以上の豪勢な内容には大満足だった。ちなみにこの日の夕食は前沢牛のステーキがデーンと2枚、アナゴの寿司に生マグロの刺身、そしてサンマ一尾とちょっとしたお鍋、締めは冷たいモロヘイヤうどんで最後にデザート、、、と次から次へと出てくること…。特にメインの前沢牛のステーキは、いきなり無造作に出てきて、塩コショウしてお客さん勝手に焼いて…というもので、久々に一級品の牛肉を口にした気がした。これで食事込み8000円代というのも驚きだが、都会ならステーキだけでも8000円はいってしまうのではないだろうか?方々を歩き回ってるつもりだが、安価でありながらこれほど豪勢な食事にありついた記憶はない。
明けて翌日、朝一で中尊寺に向かう。さすがにこの時間だとまだ人の数も少ない。まずは本堂に寄って、その後、杉木立の道を通って奥へと進む。中尊寺というと、奥州藤原氏三代の栄華をいまに伝える場所として有名だが、藤原氏滅亡後は勢いもなく寂れていく時代もあった。この中尊寺で一番名が通っているのは、言うまでもなく金色堂であり、もちろん今日のお目当てもここである。中は撮影禁止なので写真には残せなかったが、金箔張りの豪華絢爛な大伽藍は実に見ごたえがあり、華やかだった当時の様子を偲ばせる。単純な比較はできないが、奈良で見てきたことを思い出すと、歴史というものは何百年という時代の流れの積み重ねであって、そして今があるということをあらためて認識した。
帰京する前に中尊寺に続いて毛越寺へ行ってみることにした。中尊寺からもそれほど離れているわけでもなく、数分の移動で到着、早速、敷地の中へと入っていくと大きな池を中心に整然とした庭園がぐるっと続いていた。近くにあった蓮の花が咲く小さな池を皮切りに、池に沿って一周してみることにする。ここ毛越寺は平安時代に建てられたといわれ、国特別史跡と特別名勝に指定されている。奥州藤原文化を色濃く残す庭園は一時代の華やかさを思い起こさせる。いまとなっては残ってないが、当時にあった遺構など、あらためてこうして見てまわみるのも興味深いものだ。
最後の最後に平泉駅に寄ってみよう。新幹線だと全然離れた場所をあっという間に通過してしまうが、こちらはまさにのどかなローカル線の駅といった風情である。そういえば、一度JTで通ったことがあったが、そのときの記憶をたどってみる。去り際に、外人さんがガイドブック片手にタクシーの運転手さんと会話を試みてるのを見掛けたが、もし自分がよその国に行って、こんな田舎町でもあんなふうに旅をすることができたらどんなに素晴らしいか、、、ふとそんなことも考えてしまった。