■旅日誌
[2006/6] ときめきの彼方へ
(記:2006/6/22 改:2025/2/11)
(記:2006/6/22 改:2025/2/11)
梅雨空が続く中、ちょこっとしたお出掛けをしてきました。最初はそんなに大げさに考えてなかったのですが、結局2日がかりの逃避行になってしまいました。今回の目玉は佐渡-新潟のコミュータ便に乗ってきたこと。パイロットを含めて10人乗りなので、コックピットなのかキャビンなのか、仕切りも何もありません。まるで遊覧飛行のようでとても新鮮でした。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
今でこそ知名度も上がり全国各地で見られるようになったが、朝と夜の時間帯に通勤客向けの優等列車が走っている。優等列車と言っても特急でも急行でもない、いわゆる通勤ライナーと呼ばれるものである。かつては特急列車の引上げ回送などを利用して"副業"のような間合い運用が主だったが、今ではライナーの運行を"正業"のようにやりくりしていることも珍しくない。特に東海道線には新宿発着も含めると実にバラエティーに富んだ列車が運用についている。ついこの間、何を思ったか出先からの帰りついでに、東京駅でついつい物好きモードでライナー券を買ってしまっていた。自宅は東海道沿線にないので本当に物好きとしか言いようがないのだが、乗りつぶし番外編として横浜羽沢駅を通る貨物線を経由することを企んでのことだった。(余談:相鉄線の乗り入れに続き、東急も乗り入れをするようなニュースがありましたが、この辺の横浜の事情を知ってる人にとってはちょっとした驚きでもあります。)やってきたのは中央線のかいじ・あずさで運用されている特急車両で、500円のライナー券を購入することで快適な席が保証される。ちなみに他の顔ぶれを見ると、あまりにも不評で行き場を失った2階建てダブルデッカー、踊り子からときには普通列車まで節操もなく運用される何でもアリアリのやつ、スーパーあずさにスーパービュー踊り子といったハイグレード車と実に様々だったりする。この日は藤沢あたりで戻ってくるつもりだったが、あまりにも快適だったのでつい小田原まで行ってしまった。おかげでこの区間の東海道貨物線の完乗を成し遂げたわけだが、その代償として妙に帰りが遅くなってしまったこと、余計な出費までついてしまったことは言うまでもない。(追記:定期運用から外れた旧世代の特急列車が使われるパターンもありますが、上野発にはJR西日本の能登号=往年のボンネット型の車両を使ったホームライナーがあります。出先で違った用途で使われるという珍しい使われ方をされていましたが、能登号の臨時格下げとともに489系の上野乗り入れも終了してしまいました。こちらの旅日誌もご覧ください。)
そんな変な前振りから強引に今回の話へとつながっていく。これもかなり昔のことだが、ホリデー快速に乗って武蔵野貨物線を通過したことがあったが、普段定期列車が通ることのない路線を通ったり、思いもよらないところで違う線区へ入っていく、いわゆる渡り線が人知れず存在しているが、そんなところを通過する列車があると乗りつぶし上級者(?)の行動としてしらみつぶしに走るという話もよく聞く。人間、目標を達してしまうとその次を探し求めてしまうというのも、ある意味仕方のないことなのかもしれない。ということで、今回は武蔵野線-常磐線を渡っていくぶらり鎌倉号を狙ってみることにした。行きの茨城→鎌倉は早朝の時間帯となるため、ちょっと乗りにいくのは厳しい。逆に帰りの鎌倉→茨城は遅い時間になってしまうので、自宅に帰ってくるのにひと苦労する。そこで思い切って一泊したらどうなるか?などと悪いことを考えてしまい、今回はムーンライトえちごが"宿"の候補に挙がってしまった。6月の週末だけに設定された列車なので土日きっぷを利用するといいかもしれない、、、それならば4回まで使える「座席指定」で全車指定の列車を!などと、ついついいつもの悪いクセが顔を持ち上げる。ムーンライトは全車指定でまずひとつ確定、ぶらり鎌倉号も自由席はあるがほんのわずかなのでこれも候補、あともうひとつ前々からスーパービュー踊り子には一度乗ってみたかったので決まり、、、とまぁ芋づるに。
ぶらり鎌倉号はJR水戸支社が主催したパッケージ企画のためにあるようなもので、どちらかというと席の一般売りはあまり積極的ではないらしい。発売当日あっという間に指定は売り切れてしまい、今回の悪企みはなかったことにしようと一旦は気持ちが収まりかけたが、例によって後日確認すると、わずかばかり△印の残席が復活していた。すかさずそれを押さえて、引き続きスーパービュー踊り子を確保する。18きっぷシーズンではないので売り切れることはないと思うが、ムーンライトにも予約を入れておく。さて、こんなやり方で新潟へ出て何をするのかまったく考えてなかったが、それについてはあとで紹介することにしよう。バタバタして出発の前々日に切符の購入と指定券の引き換えを行うことになってしまったが、土日きっぷは出発当日の購入はできないので要注意である。ちなみに日光のときと同様、事前にえきねっとで座席の指定を行い購入時に引き換える形もOK、運よく駅窓口の対応もスムーズで助かった。
土曜の朝、スーパービュー踊り子の出発駅である池袋に向かう。どうでもいいことだが、起点は新宿ではなかった。今日も満席状態、池袋、新宿の二駅でほぼ全席が埋まる。オフシーズにしては上々の出来ではないだろうか。湘南新宿ラインの合間をぬってなので、毎度ながら慌しい出発となる。すると前の団体さんは池袋を出るなり早速乾杯と相成り、新宿に到着する前に宴たけなわとなっていた。さぁこれから…とテンションが上がるのもよく分かる。伊豆方面に向かうこの列車、側面の大きなガラス張りの窓は天井まで続き、赤と青のモケットの座席が華を添える。開閉式の荷物収納もJR東日本にしては珍しく、デザインにもこだわりが感じられる。車内はとても明るくなかなかいい雰囲気である。全車グリーン車といってもいいくらいだ。普通車でも十分だがグリーン車もさらに素晴らしい眺望が準備されている。キャビンアテンダントは5名乗務しており、さりげなくサービスにあたる。海あり、山あり、温泉あり、うまいものにはこと欠かず、冬も比較的温暖、それが東京から2、3時間の至近と絶妙なロケーションにある。あらためて思うが、伊豆・熱海は本当にいい場所だ。
横浜駅の直前でノロノロ徐行し出すと、横須賀線の路線から渡り歩いて東海道線へ入ってきた。冒頭の湘南ライナーは品川駅を出たところで東海道線から横須賀線に渡り歩いたが、意外なところに連絡できる場所はあるものだ。梅雨の真っ只中なので天気が心配されたが、南下するにつれ薄日も射してきた。海の色はさえない灰色だったが、それでも初島の島影は確認できた。伊豆急を利用するのは何年ぶりになるだろうか。心地よい時間というのは過ぎていくのが早く、それにしてもあっという間であった。今日は伊豆観光が目的ではないので、伊豆急下田駅に滞在する時間もほんのわずか、折り返していくスーパービュー踊り子を見送ったあと、その後を追う普通列車で熱海方面へ戻る。元JR(国鉄?)の列車はくたびれた様子で、引退もそう遠くないという。伊豆高原で一旦降りることにして、去年あたりからその置き換えとして東急から譲渡された車両が運用についており、折角なので今回そいつの様子もみておくことにしていた。タイミングよく次の伊豆高原始発の便がそれにあたる。外観もきれいに磨かれ、ステンレスボディーの耐久性のよさを身をもって証明している。去年の伊豆のなつ号のイベントのことを思い出すが、まさに馬車馬のように都会でがんがん働き詰めてきたところから、伊豆のような土地へやってきて第二の人生を過ごす。それも単なるリタイヤでなく、まだまだ現役で第一線に出て行く。そう考えると妙に人間臭く思えてきた。
外観だけでなく内装もきれいに作り変えられており、海側半分がセミクロスシートになっていた。足回りの健脚ぶりもまだまだ健在であり、この時代の車両の頑強さがうかがえる。これまで朝晩の運用が中心だったが、これから主力車種として置き換えが進むことになるのだろうか。何となく気になっていたので、今日はいい機会になった。熱海から再び東海道線で戻っていく。ここもタイミングよく踊り子が捕まえられるので、土日きっぷの権利を行使して特急を利用して大船まで戻る。三島・修善寺からやってきた5両に伊豆急からの7両が併結する。これが日曜ならもっと混雑していただろうが、今日は土曜なのでまだちょっと余裕がある。行きのリゾート列車とは違って味も素っ気もないが、普通列車を蹴散らし大船までショートカットするには都合がよかった。
2駅ばかりだが、横須賀線で鎌倉へ移動する。と、その合間に根岸線と横須賀線の間にある引込み線を渡り歩く横浜線直通の列車にちょうどタイミングがあうので、意味もなく往復しておく。後で見たら、この渡り線の頻度はそう高くなく、雑草の中にさびの目立つレールが敷かれていた。例のホリデー快速を見送り、ぶらり鎌倉号がやってくるまでの間、駅の近くを散策する。屈指の観光地だけあって、相変わらずの賑わいである。鎌倉駅はホームが狭くいつも混雑してるイメージが強い。側線を移動させてホームを拡張してもいいのではないだろうか?逗子側から急行列車が入ってきた。
一線を退いた車両は廃車処分にされる場合がほとんどだが、運がいいと改造されたり様変わりすることも珍しくない。全国各地を駆け抜けた特急列車は状態がよければ転身していくことが多い。この列車もどういう遍歴だかは分からないが、車内もゆったりとしたものに改装されていた。ルートをざっと説明すると、鎌倉を出ると大船を経由して東海道線から貨物線に入り、武蔵野貨物線から武蔵野線に合流してぐるっと郊外を抜けていく。その後松戸の先で常磐線に入った後、終点のいわきを目指す。最後まで行ってしまうと、今日は戻ってこれなくなるので、土浦で折り返すことにしていた。途中まではホリデー快速と同じルートであり、鶴見駅の運転停車は単なる時間待ちだけでなく運転手も交代することが分かった。その後も運転手の交代は3、4回あったように思う。急行列車という肩書きを持っているので一応優等列車ではあるのだが、臨時列車のためか途中スピードも上げずに流してる場面も多い。横浜駅では東海道線の普通列車を先に行かせたが、珍しい列車とみえて、きょろきょろとこちらに向けられる視線を感じる。横須賀線や湘南新宿ラインの列車がバンバン追い抜いていくのは恨めしくも思うが、まぁ目くじらを立てることでもない。新川崎の先でトンネルに入りようやくペースが上がってきた。
例のパック旅行の参加者だけでなく、ぶらり鎌倉号の利用者ひとりひとりにJR職員からパンフレットとアンケートが配布されてきた。この臨時列車も、毎号盛況なので人気企画と見受けられる。車内販売も乗っており、なぜか横浜シュウマイと浅草人形焼のお土産を積んでいてそれがまた妙に売れていた。うまい便乗商法といったところか。そのうち日も暮れて、常磐線に渡った場所の様子はあまりよく分からなかった。その後も快調に飛ばし、とりあえず目的としていた土浦駅でこの列車を後にする。機会があればまたこういった企画ものの列車を利用してみるのもいいかもしれない。
そんな楽しい汽車旅(?)もここで一旦引き上げる形にして、都心へ戻ることを考える。結論からいうとこれも計算づくなのだが、すぐやってくる上りのフレッシュひたちを待つ。この時間なので混雑してるようなことはないだろう。あっけなく上野まで舞い戻ったときは、雨が降り出していた。運よく昼間はどうにか持ちこたえていたようだ。途中晩飯を済ませたりしながら新宿までやってきた。次のムーンライトえちごは、かつての急行車両のお古を改造したイメージが強かったが、いまは特急の車両で運用されている。座席は新幹線のものとほぼ同じで、安価な夜行バスよりもこちらの方が楽かもしれない。かなり強くなってきた雨の中、ムーンライトが入ってきた。
山手線の遅れの影響で発車が数分遅れる。だがこの先、かなり余裕のあるダイヤが引かれてるので問題はないはずだ。最近は寝台車に乗ることが多くなったが、座席の夜行列車も久方ぶりのような気がする。前にも書いたように18きっぷシーズンではないが、それでも着席率は50%といったところで、2人以上の団体さんでないところは2席占有で、トータルとしてはどの列も埋まっているといった具合だった。日付が変わり、高崎で最初の小休止となる。ここで能登号を先に行かせる。まだ眠るには早いのでホームへ出て能登号が出て行くのを見送ることにした。ムーンライトは適度に運転停車を繰り返しながら、明日の早朝に新潟へ到着することになる。快適な熟睡はできないだろうが、とりあえず一休みすることにしよう。(後日談:このムーンライトえちごですが、2009年3月のダイヤ改正でムーンライトながらとともに臨時列車へと降格されてしまいました。さらには、2010年3月のダイヤ改正で能登号が廃止と嬉しくないニュースが続くことになりました。能登号についてはこちらの旅日誌もご覧ください。)
2日目
ムーンライトは薄明るくなってきた田んぼの中を走っていた。どうも霧がかかってるようである。一応、車内は減光されていたが、停車駅の放送は行われており、途中"長岡"という駅名を耳にしたのは何となく覚えていた。そんな感じで時折意識が戻り、どこかでトワイライトエクスプレスの姿も見たような気もする。最後はおかしな格好で横たわってたせいか、首筋が痛い。とりあえず顔を洗って目を覚ます。あらためて外を見ると遠くの景色がはっきりしない、、、なんだ?鉄塔の先の方が霧でかすんでるようにも見えるけど、待てよ、濃霧というのはこの先都合が悪いんだけど…。
新潟には定刻での到着となった。最初は、2時間ほど何もせずまったり過ごすつもりだったが、どうもこの霧が気になりムーンライトに接続する列車でちょっとだけ新潟駅を離れてみることにした。ということで、ロングシートの味気ない列車に乗り込む。ムーンライトから乗り継いで来た人たちの表情は一様に冴えず、車内の空気もどこかどんよりとしている。外の様子はというと、風はまったくなくところどころ濃い霧が立ち込めている。特に阿賀野川沿いは視界が悪いようにも思えた。心配しても仕方ないので、とりあえず新発田から新潟へ舞い戻ることにした。
実はこれから佐渡島往復を企んでいた。時間がないので佐渡観光はお預け、それは次の機会にするとして、今日はジェットフォイルで渡って、飛行機で折り返してくることだけしか考えていない。もったいないと言えばもったいないのだが、新潟へ来たのも降って沸いたような話なので、まぁそれでよしとしよう。というわけで、海でも空でも濃霧で欠航…なんてことになるとちょっとショックは大きい。とはいうものの運は強い方と信じてるので、あまり深くは考えないことにする。意味もなく駅の周囲をぐるっと回ってきたあと、バッテリーが切れたような人ばかりに占有された待合室で少し時間をつぶす。
駅前から7時過ぎの佐渡汽船行きのバスに乗る。万代島ターミナルというところからジェットフォイルは出ている。前もって予約しておいたのでそのまま窓口で乗船券を購入する。昨今の原油価格の上昇の影響を受け燃料代が運賃に跳ね返ってくることが多くなったが、今回はWebからの予約ということでそれなりの割引率が適用されていた。「一応出航の予定ですが、もし濃霧がひどくなったら欠航の可能性もありますので了承しておいてください」そんな縁起でもない話は聞かなかったことにして、まずは朝食でもとっておこう。TVでは某隣国のミサイル実験のニュースを盛んにやっていた。多少値も張ったが、ちょっと贅沢な朝ごはんをおいしくいただいき乗り場の方へと向かう。乗船カードとやらに氏名と連絡先を書いて改札の係員に渡す。そういうしきたりがあることをはじめて知った。
着席するなりシートベルトを着用するよう促された。タービンエンジンの音がかすかにするだけで船内はとても静かだ。ジェットフォイルは滑らかに走り出した。新潟港の外に出ても波は穏やかで、心配された霧もそう気になる程ではなかった。最高速度は約80キロ、詳しいことはよく分からないが基本的にトッピーなんかとも原理はそう変わらないはずだ。浮いてるというか飛んでるような状態なので、少々の波ならほとんど影響は受けない。梅雨空の日本海をジェットフォイルは快調に飛ばし、気がつけば佐渡島の島影が近づいていた。山肌は雲に覆われている。ちょうど1時間、定刻で両津港へ到着する。高速艇の実力は絶大だ。隣には大きなカーフェリーが新潟港へ向けて出航を待っていた。こちらは大きさという意味で圧倒される。今度はぜひ車で来て、島内を回ってみたいものだと思った。
佐渡島に上陸し1時間程だがそれでもフリーな時間があるので、近くを散策することにした。両津港の裏手は加茂湖となっているので、そちらに向かってみよう。遠くの山々と湖の景色を見ると、ここが離島であることを忘れそうになる。もっとも、日本で一番大きな島なので当たり前なのだが、やっぱりこのまま帰ってしまうのは少々惜しい気がした。バス路線もそれなりに整っているが、ひとつ足りないのは、そう"空路"、具体的に言うと空港である。一応、佐渡空港というのが存在するものの、唯一の滑走路は1000メートルにも満たない。これではちょっとしたプロップ機も離着陸できず、実際には10人程度しか乗れない小型機しか利用することができない。ジェット機が降りれるように2000メートル級の滑走路を整備しようという計画もあるにはあるらしいが、どうも頓挫したままらしい。観光誘致を積極的に行うなら東京との直行便が必要という意見もあるし、海が時化たら飛行機に頼るしかないので空のインフラ整備は必要という声もある。一方で、静かな生活環境を大切にしたという意見もあるだろう。
そんなわけで空港に向かう路線バスは存在せず、タクシーか自家用車しか手段はない。が、ちょっと調べてみたところ、相川本線のバス路線に比較的近くに停留所があるを見つける。タイミング的にも何とかなりそうなので、両津からそいつで移動することにした。両津港を通過するバスに乗り、そのまま国道350号を進む。加茂湖を左手に見ながら10分程行ったところに目的のバス停があった。近くにはこれといった目印があるわけでもなく田舎の地味なバス停で、何も知らずに降りるにはちょっと勇気がいる。信号のある交差点には、確かに佐渡空港入口という看板が出ているので間違えはないだろう。不安を感じるくらい寂しい道をとぼとぼと進む。カーブを曲がった先に佐渡空港の建物が見えてきたときは正直ほっとした。まるでローカル線の無人駅のようで、そこに空港と書いてなければ誰もここがそうだとは思えない雰囲気である。中に入ると一応先客がいて、自分ひとりの貸切ではないことが分かった。中からつなぎ姿の女性スタッフが出てきて、待ってましたとばかりにいきなり名前を呼ばれる。用紙類に必要事項を記入し、料金を払って出発を待つ。これが搭乗手続きということになるのだが、渡された搭乗券はその辺の色つき用紙に普通コピーされた程度のもので、蛍光ペンで座席の位置がマークされていた。徳島のNAL(当時)や函館のエアトランセのときも驚きを感じたが、この手作り感はその比ではない。
新潟から飛んで来た便からは数名乗客が降りてきた。実際に飛行機を見ると本当に小さい。小さいながらも手の届くような距離でマーシャリング(腕振り)はきちんと行われていた。「とき」の絵柄が描かれた機体が、またかわいい印象を受ける。搭乗口は単なる出入り口でX線検査の装置もセキュリティエリアもない。手持ちの検査器で体の金属反応をみて荷物の中をざっと確認してチェックは終わりである。歴史的な変遷は置いといて、いま佐渡と新潟の間を運行しているのは旭伸航空という会社で、日本一のミニ航空会社とも言われてる。使用する機材BN-2Bはアイランダーという愛称で世界中で活躍しており、同種機は1200機以上、30年に渡るベストセラーだそうだ。日本でもRACが導入してたかと思う。さて、チェックを受けた後、スタッフに案内され外に出る。といっても、すぐ目の前にある飛行機に乗り込むだけなのだが。(後日談:その後、RACのBN-2Bに乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)
機内はワンボックスカーのようにキャビンとコックピットの仕切りがまったくなく、5列10人分の座席しかない。そのうち1列はキャプテンが操縦桿を握る席である。横は副操縦士が座る席だと思うのだが、乗務員はそのキャプテンひとりしかいないので隣は空席となる。というか、9人目の予約があった場合、そこも座席として使うらしい。まぁ言ってみれば、超特等席である。指定された席は2列目、目の前は計器類で前景と操縦する様子が手に取るように分かる。タクシーでも室内が仕切られてることがあるというのに、この臨場感は何だ?!電車じゃあるまいが、まさか飛行機で"かぶりつき"をするとは思いもよらなかった。残念ながらデジカメの使用は止められてたのでその様子を写すことはできなかったが、期せずして貴重な体験をさせてもらうことになった。わずか30分ばかりだったが、管制官との交信や操縦の一挙手一投足、生で見ることができたのはそうそうあることではない。
アイランダーの巡航速度は時速2百数十キロ、高度は2~4千メートルといったところで、新幹線がその辺の山の上を飛んでるようなものである。残念ながら天気がよくなかったので遠くの景色までは堪能できなかったが、それでも十分満足できるものだった。雲(霧?)にさえぎられ、上空からは本土の姿がよく分からなかったが、雲を抜けると目の前に新潟空港の滑走路が迫ってきていた。やや左斜めからのアプローチで、ランディングの瞬間までのライブ感は何とも例えようがない。その手のシミュレーションゲームに興じる趣味もないので何だが、知り合いにはまってる人間でもいたら自慢のひとつくらいしてみたい気分だった。そんな楽しい時間はあっという間に過ぎ、搭乗機は旭伸航空の格納庫前に誘導された。空港のターミナルビルには案内されずに、格納庫内の事務所から出入りするような感じである。一応、ワンボックスのバンでターミナルビルまでは送迎してもらえることになっている。(後日談:残念ながら、旭伸航空の新潟-佐渡便は廃止になってしまいましたが、新潟をベースに新しいエアライン「トキエア」が立ち上がってます。トキエアの便に搭乗したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
まだ早いかもしれないが空港で昼食を済ませておくことにした。ちょっと大きい地方空港くらいにしか考えてなかったが、国際線もそれなりに出ており、かなり立派な空港である。時間的にもまだどこか寄り道ができそうだったが、今日はこの辺で帰ることにする。と言いつつ、新潟駅に向かう直行バスはやめて、少し離れたバス停まで歩いて出る。背後からは、食事中に到着案内されてた大阪行きのQ400のプロペラ音が聞こえてきた。空港を出て600~700メートル行くと国道との交差点があり、確かそこに空港入口というバス停があるはずだ。そこから市役所行きのバスに乗る。昼間でも1時間に4本は来るのでそれほど待つことはなかった。終点の市役所前は信濃川をはさんで新潟駅とは離れたところにあるが、そう遠くもないところに越後線の白山駅があるのでそこまで歩いてくことにしていた。まったく知らない土地で、そんな無意味な散歩をするのも実は気に入ってたりするのだが、ひどい雨だったらきっとやめていたに違いない。
越後線の普通列車で信濃川を渡り新潟駅へ戻ってきた。わずか数時間の間の出来事だったが、中身はかなり濃かったかもしれない。土日きっぷの最後の1指定分は帰りの新幹線に当ててあったので、座席の心配はしなくていい。実のところ上越新幹線はあまりなじみがないので様子が分からなかったが、日曜のこの時間は意外と混雑している。東京-新潟間は大体1時間に1本、多客期はもっと増発されるだろうが、明らかに自由席は定員オーバー、車掌を困らせる客もちらほら見かけられた。ここまでどうにか天気が持ってよかったが、東京に近づくにつれ雨脚が強まってきた。
今回はこれでもう終わりにするつもりだったが、出発直前に妙なことに気がつき今日この足で寄り道をしていく。東京駅の地下ホームから京葉線経由の特急に乗り蘇我へ向かう。普段ならこの区間で特急を利用することもないが、もちろん土日きっぷを持ってるからのことである。よそ者がこんな使い方をするなんて、地元に帰る人には申し訳ないが。雨のなか30分ほどで蘇我までやってきた。ここから内房線の普通列車で一駅だけ戻り、本千葉駅で下車する。あれ、雨は止んでる?正面には千葉県庁の異様にでかい建物がそびえ立っていた。実は千葉駅とこの県庁前駅の区間のモノレールに乗った自信がないので、わざわざここに寄ることにしていた。自信がないというのも変な話だが、正確に記録を取ってるわけではないのでそこは勘弁してもらうとして、一度だけ千葉みなとから千城台まで千葉都市モノレールに乗ったのは確かで、でもどう考えてもそれが県庁前開業前の時期なので伸長区間は未乗ということになる。ということで、気分が悪いのでこうやってわざわざ出向いてきてしまった。それにしても県庁といい、モノレールといい、立派過ぎて本当にこれでいいのか疑問に思えてしまう。噂によると千葉駅から県庁まではワンコインバスが走っており、この区間だけモノレールを利用する人はまずいないらしい。県庁前から先も路線を伸ばす計画があるが、コストに見合った需要が見込まれず実質話が頓挫してるようなこともあとから知った。
最後はわけが分からなくなってしまったが、不思議と雨の方が自分を避けてくれてたようで一度も傘を差すことはなかった。それにしても、佐渡-新潟のあの飛行機は忘れることができない体験だったかもしれない。ひょんなことから思わぬ経験をすることになったが、千葉のモノレールのように本当に忘れ物がないか、思い込みで何か見落としてないか考えてみないといけないかもしれない。(苦笑) 今回は、単なる乗りつぶしでは飽き足らずへそ曲がり的な思いに端を発してるが、実はそれとは違う見方があって、、、というのも、現在、日本の空港はおおよそ100あり、法律的にいくつかカテゴリはあるものの、とにかく私用目的以外のいわゆる公的なものはそれくらいある。そのうち定期路線が設定されているのは84、今まで利用した空港を数えるとちょうど半分の42であった。毎度々々口癖になってる"折角なので…"というノリが功を奏したか、わざわざ遠回りしてまで利用した地方空港も数を積み上げれば結構な数になっていた。今回の佐渡空港が、ある意味ちょうど折り返しとなった、、、なんていい方をすると乗りつぶしに代わる次の目標ができてしまったように勘違いしそうだが、南西諸島や伊豆諸島などの離島空港を攻め出すと切りがない。しかし、難易度が高い方が…なんてことでやる気に火が点いてしまいそうでもある。(余談:結局、その空港めぐりをやってしまうことになるのですが…。)