■旅日誌
[2004/10] こんぴら、ふねふね♪
(記:2004/10/17 改:2015/11/1)
(記:2004/10/17 改:2015/11/1)
相変わらず仕事の方では精神的な重圧に耐えながら歯を食いしばる日々が続いていました。こんな複雑な気分を味わうプロジェクトはなかなか経験できるものではありませんが、どうにかなってしまいそうだったので後先考えずにとりあえず現実逃避することにしました。タイミング的には、名古屋の方で新線開通のたよりが聞こえていたので、それを名目に遠征することに決めました。ちなみに、もう何度目か分からなくなってしまいましたが、今回もまた台風の影響を受けています。
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1日目
去年の10月の3連休には富山遠征に出掛けていたが、早いものであれからちょうど1年経ったことになる。そのときも触れていたように、ハッピーマンデーのおかげで10月の2週目には3連休がやってくる。今年も…と企んでみたものの、見事にプロジェクトがデスマーチを奏で始めていたので実は休んでいる場合ではなかった。そんな状況なだけに逃げ出したい衝動にかられ、言い訳がましく3日あるうちの2日間をどうにか自分のためにいただくことにした。
前振りの通り、名古屋で2路線同時に新規開通することが分かっていた。そのうちひとつは春先に開通した地下鉄の再延長でもありこの10月に完成をみることが分かっていたのでしばらく乗りつぶし作業はあたためてあった。さらに九州新幹線も開業からしばらく経っており、また11月の京都地下鉄延長もすぐそこまできていたので合わせて回ることを計画していた。1泊2日でのとんぼ返りを前提に1日目に名古屋→京都、夜行で一泊して大分側から九州を縦貫し熊本・八代を経由して鹿児島へ抜けるとちょうどいい感じで乗り継ぎができる。もちろん帰りは鹿児島から空路戻ることになるのだが、この流れでもう少し頑張るとはやとの風としんぺいもプランに組み入れることができる。
よしこれで…と思ったのだが、一旦計画をクリアにする。どうしてそうしたのか自分でも理由が思いつかないのだが、九州新幹線は先送りにしてまず四国へ渡り翌日に名古屋へ寄るルートに変更をかけてみた。(後日談:九州新幹線についてはこちらの旅日誌をご覧ください。)一生のうち一度は「お伊勢さま」と「こんぴらさん」をお参りしておくべきだというが(本当か?)お伊勢詣出はかなり昔だったが行ったことがあるので、今回はこんぴら参りを決め込む。というのもちょっと欲があって、その道(?)でも有名な讃岐地方の2つのケーブルカーの乗り歩きを抱き合わせて、ついでにうどんの一杯でも食して来ようという魂胆である。それから徳島と名古屋の間に中日本エアラインというローカル色の強いコミュータ航空会社(後日談:セントレアの開業でエアーセントラルと社名が変更になりました。同時にANAグループ配下の色合いが強くなり個人的にはちょっと惜しい感じがしています。)が運行する路線があってプロペラ機が就航しており、それに乗るのもまた楽しそうである。2日間という限られた時間でのアレンジには変わらないが、3連休の初日の晩に夜行=サンライズ瀬戸>で発つというのもありかもしれない。毎度ながら、旅のスケジュールを立てるのはもっとも楽しい作業でもある。
ところがところが、、、台風が去ってちょうどよかったなと思っていたら、次の台風が狙いすましてたかのように3連休を目掛けてやって来てしまった。すっかり予定も組んでしまっており、あまりにもタイミングが良過ぎる。ついに1年の台風上陸回数の新記録を塗り替えてしまった。それも、その勢力は歴史的なものだとやらで、こいつがまっすぐ関東地方に向かってくるという。(追記:今年はさらにもうひとつ台風がやってきて、そちらの被害も尋常ではなかったです。被災された方のことを思うととても心が痛みます。)すっかり落ち込んでしまったが、3連休のうち1日ずらして後半にスケジュールを組んでおいたのと、サンライズ瀬戸は端っから諦めて翌日の飛行機に予約を入れてあったので、しばらく様子をみることにした。天気予報によると台風は一気に加速して駆け抜け、翌朝には通り過ぎているようなことも言ってる。実際、関東地方は土曜に猛烈な状態で台風の直撃をくらい、ズタズタになってしまった。空の便は軒並み欠航、夜行列車も全面運休という事態で、新幹線のダイヤも深夜までボロボロという有様だった。(後日談:羽田空港の瞬間最大風速は40メートル近かったというから驚きでした。)虫のしらせという言葉があるが、無意識なままに回避スケジュールをきれいに組んでいたのはあまりにも出来すぎだったかなと、我ながら感心してしまった。
すっきりの台風一過とまではいかないものの、大暴れした台風はとりあえず去っていった。が、一晩たっても京急の一部が不通であったり、空港ではキャンセル後の予約の振り回しで混乱してるなど、よからぬニュースが聞こえてきていた。実際、羽田に着いてみると軒並みどの便も満席状態で、それでもチケットを求める人の列が折り重なって何十メートルも続いていた。機材のやりくりがつかず欠航する便もあり、そんな中運良く思い通りに旅に出られるのだから、予定を組み替えていた自分に感謝しなければならない。(後日談:不思議なことに、あとでまた感謝することになります。)まずは空路高松へ向かうことになる。そういえば羽田の第二ターミナルの使用が12月に開始されるが、あわせてモノレールが一区間延長されることになる。ということは、未乗路線が出来てしまうので片付けに来なければなければならない。(笑)
眼下の大阪空港を確認し瀬戸内海を渡ってしばらくすると高松空港へ着陸となる。台風と高松空港といえば何だか感動的な物語のような取り合わせだが、もちろん今日はそんなこととはまったく関係がない。(苦笑) この時間にはちょうどうまい具合に琴平方面へ直行するバスがあるので、そいつを利用することにする。小型ではあるが、シートピッチは広く乗り心地は悪くない。社名を見ると琴平参宮電鉄バスとある。後で知ったが、その昔鉄道を所有していた会社らしい。途中、ニューレオマワールドを経由していくのだが、世間を騒がせてから今では落ち着きを取り戻しているのだろうか?こうして初めて目の前にしても場違いの豪華さは何か違和感を覚えるし、この手のテーマパークとして果たしてこの地にポテンシャルがあるか疑問を感じる。
何度か琴電の線路と交差していくうちに、山の中腹に立つ金刀比羅宮の建物が見えてきた。JRの駅をはさんで東から西へぐるっと回る格好で琴電琴平駅前にバスは到着した。駅のすぐ隣にある高灯篭の前では、この連休に合わせて何か催しものが企画されいるらしくとても騒がしい。うるさいだけでたいして興味を覚えるものでもなく、滞在時間も限られているので足早に金刀比羅宮へと向かうことにする。連休だけあって人出が多く、あちこちお祭り状態のようだ。角を曲がり参道へ入ると『こんぴらふねふね♪♪』のお囃子にのって踊りの一団がこちらへ行進してきた。賑々しい雰囲気が何とも気持ちも掻き立ててくれる。お店が立ち並ぶ参道はやがて階段道へと変わっていく。土産店では荷物を預かってくれたり杖を無料で貸してくれてたりするのだが、もちろんそれは買い物をしてもらうための伏線でもある。まぁそんなことはどうでもいい。このこんぴら名物の階段も思いのほか急なものだった。篭に揺られて登っていく人の姿もちらほら見れた。行き交う人は皆ふーふー息を切らしながら登っていく。ご多分に漏れず自分も普段の運動不足を再認識しながら一段一段歩みを進めていく。時折振り返り他の人の様子を見るのもまた楽しいものだ。
急な階段が続いたりなだらかな道があったり、しばらく登ってくると神社の境内らしい雰囲気となった。繰り返しになるが、ちょうどこんぴらさんのお祭り期間中にあたり、また年十年振りとかいう展覧会も催されており、かなりの人出でごった返していた。ところで、こんぴらさんは海の神様である。大きな船のスクリューが奉納されているのもそれが理由なのだが、なぜこんな高い山に海の神様が祭ってあるのかはよく分からない。やがて立派な建物が見えてくるとここが最後かのように思えるが、旭社といって本宮はまだ先にある。疲れ切って諦めてここで引き返してしまう人もいるとかいないとか、、、最後にダメ出しをされたかのように急な階段を登ると、いよいよ本宮へと辿りつくことになる。最後のひと踏ん張りである。(笑) 人を掻き分けお参りを済ませ、上がった息を抑えながらあらためて遠くの景色を眺める。大げさに言うと、この素晴らしい眺望は苦労して登ってきた者に与えられたご褒美のようなものかもしれない。讃岐平野は周囲にさまざまな形の山々に囲まれており、さらには遠く瀬戸内海やその先の島々まで見渡すことができる。小学校の社会科で習ったように、雨の少ない土地を象徴するかように多くの溜池が散在している。今日もこれから何ヶ所か回ってみることにする。
もっとゆっくりしていたかったが、あまり余裕がないので"下山"することにした。本宮のさらに先には奥社というのがあるそうなのが、時間がないので今日は諦めるしかないか…。お昼どきということもあり小腹も空いてきたので本場の讃岐うどんでエネルギー補給することにする。琴電琴平駅に戻ると、お隣りの会場では高灯篭の前で売り出し中のおっさん演歌歌手がトークよろしくさほど面白くもない話しをしている。選挙じゃないんだから…。ちょうど高松築港行きが出るところだったので、それに飛び乗りしばらく体を休めることにしよう。先程バスで通ってきたルートに近いところを戻る形になる。変化の少ない風景が続き瓦町駅で志度線に乗り換える。既に琴電はすべて乗りつぶしをしてあるので、今日は必要なところだけ移動手段として使うことになる。これから向かう屋島の山は琴電だけでなくJR高徳線からもよく見えるとこにあり、一度は登ってみたいと思ってた場所だった。もちろんなかなか来れるところでもないので、念願叶ってやって来た感は大きい。
琴電屋島駅で降りて数分行ったところに屋島ケーブルの登山口駅がある。山の上の方を見上げると急な勾配を這うようにケーブルカーの線路が続いていた。何というか、登山口駅はタイムスリップをしたかのような場所であった。往復の運賃は決して安いものではないが、観光地への入園料と思えばそれ程でもない。JAF会員は10%OFFということなので窓口で割引切符を買い求める。次の便を待ってる間に気がついたのだが、なんと来週の金曜にはこのケーブルカーは休止してしまうとの告知が目に飛び込んできた。まったく予想もしてなかったのでちょっとショックである。この3連休が最後の週末となるのは信じがたいが、何か事情があってのことらしい。(後日談:後であらためて調べましたが、琴電自体が経営破たんしてしまい、グループ企業である屋島ケーブルは見放された格好になったようですね。レジャーの多様化、自動車の普及、経営難に陥る理由はいくつも思いつきますが、このまま後を引き継ぐ企業がなければ事実上廃止になってしまうとか…。とても残念です、、、更に追記:休止前の最後の運行日の出来事ですが、始業前点検でトラブルが発生し結局その日は1便も運行できなかったそうです。まるで最後の抵抗というか、妙に人間臭い感じもして、より一層複雑な気分になりました。)当初予定した通りなら、11月の京都市営地下鉄の伸張をフォローして九州新幹線に行ってしまったはずなので、何気なく思い立った四国行きへの方針変更がなければ、こんな印象深い場所に一生来ることはなかったわけだ。ここでもう一度、自分の急な心変わりに感謝する。複雑な気分のままケーブルカーで山頂を目指す。進行方向左側に高松市街の眺めがを見ることが出来る。急勾配を登りきるとそこにはまたノスタルジックな駅舎が待っていた。屋島山頂一帯は広く観光地として整備されており、かつては結構賑わったらしい。いまでは人の足は遠のき、寂しいくらいひっそりとしている。ケーブルカーが休止に追い込まれるのも仕方のないことなのかもしれない。ここからの眺めもまた格別で、源平古戦場や瀬戸内海、高松市街が一望できる。まだもう少しボーっとしていたかったが、急に天気が悪くなり小雨もぱらつき始めてしまった。第84番札所屋島寺をお参りして一通りくるっと回って麓に戻ることにする。
琴電屋島駅まで戻り、引き続き2駅先の八栗駅を目指す。先程から降り出した雨はやや強くなってきたが、八栗駅で降りて八栗ケーブルの駅まで徒歩で移動することにする。歩いて行くにはやや距離があるが、手元に地図を用意しておいたので迷うことはなかった。なだらかな坂道はさほど道幅はなく、お遍路さん気分と言っていいかもしれない。気がつけば午前中から歩きっぱなしで、疲労も蓄積してきたようだ。15分程歩いて登山口駅までやってきた。先程追い抜いていった観光バスは八栗寺を目指す一団のようで、八栗登山口でケーブルカーに乗り換えるところだった。駅員は「臨時便を出します」と山頂駅に連絡している。よければそれに乗れるとのことなので便乗させてもらうことにした。先程の屋島ケーブルに比べると勾配は緩やかに見え、車両も比較的最近更新されたものらしい。(余談:屋島ケーブルの銘盤には昭和25年製造と書いてありました。)ケーブルカーはすぐに発車となる。車中に案内テープが流れ始めると、やがて弘法大師の歌とやらになり白装束の一団は大合唱となった。(笑) 八栗山頂へ到着し、折角なので第85番札所八栗寺のお参りをする。屋島に比べるとこちらは観光地というより、落ち着いたお寺の境内といった趣である。実際、何か理由(わけ)があってお参りを続けている人の姿も見受けられた。止みそうで止まない小雨の中、足早に山頂駅へもどりそのまま下山することにした。
琴電の駅に戻るには再び1~2キロ歩かなければならないので、手元の地図をたよりに隣の駅へ向かうことにした。きれいに舗装はされているが、お遍路道を行く感じで一人トボトボと未知の土地を歩いていく。先程登ってきた屋島の方に目をやると山頂付近はガスがかかっていた。遠くから賑やかな音が聞こえてくるように、あちこちで秋祭りをやってる時期にあるようだ。音のする方へ向かうと、地元のお祭りの真っ只中で、まるで寅さんが出てきそうな雰囲気である。雨脚も強くなってきてしまい、残念ではあるが雰囲気に浸ることはせずに駅を目指すことにした。琴電の線路沿いへ出てくるとちょうど古い型の車両がモーター音を轟かせて目の前を通り過ぎて行った。目的の六万寺駅へ到着したときは雨と汗ですっかりずぶ濡れになってしまった。遠くで踏切の音が鳴っているのでじきに電車がやってくるのかと思うと、向こうでJRの列車が通り過ぎて行った。
みたび琴電の電車に揺られ琴電志度駅までやってきた。今夜のお宿は徳島に決めてあり、JR高徳線に乗り継ぐことにする。志度駅には特急も停まってくれるので、徳島には1時間弱で着けるはずだ。定刻でやってきたうずしおに乗り込み座席に座ると、やはり乗り心地のよさを感じる。結局天気は回復することもなく、夕暮れを過ぎて徳島へ到着となった。徳島は去年の夏休み以来で、まずは予約しておいた宿に向かうことにする。幸い雨は止んでるようだ。あまり宿にこだわりはないのだが、10分ほど歩いて着いたところは予想を裏切ってずいぶんと広い部屋だった。ベッドが2台に広い和室、ユニットバスではない。窓際の小スペースからは川沿いの風景が望める。1泊1万2千円以上のところが5千円で泊まれる、という答えがこれだったのか…と理解する。お風呂は大浴場があるので、足を延ばしながら入りたい。その前に徳島ラーメンとやらを試しに行こうか。(笑)
2日目
昨日は憂鬱な空模様だったが今日はうってかわって晴れ上がっている。関東地方は台風が去った後もずっとぐずついていたようだが、こちらは気温もぐっと上がりそうだ。睡眠も十分もとれたし、若干の筋肉痛は残るものの昨日の疲れはほとんど抜けていた。こんな立派な部屋に一泊しかしないのは何かもったいないが、思わず定宿にしたくもなる。ただ、徳島という土地を考えると、地理的にも次の機会がやってくるかとても微妙だ。まぁそれはそうと、今日のスケジュールをこなしにかかる。まずは徳島駅から連絡バスで徳島空港へ向かう。朝一の東京行きにはタイミング的に間に合わないので、大きなこのバスに乗ってる人は極端に少ない。少々乱暴な加減速が気になるが、30分足らずで空港へとやってきた。繁華街近くでも見かけたが、空港にも同じような阿波踊りのモニュメントがあり人の目を引く。これから乗る名古屋行きの便は中日本エアラインという名古屋を中心としたコミュータ会社のものであり、定員50人ほどのプロペラ機が運用されている。ホームページからもアットホームな雰囲気が伝わってきて、それとなく好感が持てる。何か独立系の会社のように感じるが、実は名鉄やANAの資本が多く入っており、名古屋国際空港が開港した暁にはANAグループの一員としての色合いが強くなるらしい。いま運用してるフォッカー50というプロペラ機も新しいものに更新されるようなことが書いてあった。徳島空港にはJALとスカイマークエアラインズのカウンターしかないので、スカイマークの方で手続きをとることになる。Webでの予約はできないので電話で予約しカウンターでの発券となるのだが、なんと手書きの搭乗券が手渡され一昔前に戻ったような感じだ。搭乗手続きを済ませると、ちょうど東京行きのスカイマーク機が滑走路へ向かって動き出しているところだった。
閑散とした待合室でぼーっとしていると突然自分の名前が呼び出された。ちょっとびくついて係の人のところへいくと、バランスが悪いから座席を変更したいとのこと。例の搭乗券に貼られた座席番号のシールがその場で貼り替えられた。まさか飛行機が傾くようなことはないだろうが、いったいどういうことなのだろう?徳島空港の滑走路は空港の建物からやや離れたところにあり、搭乗ロビーからは飛行機の離着陸する姿があまり見えない。出発時刻が近いというのにまったく変化がないと思ったら、いつの間にかプロペラ機が駐機場所へ先導されてくるところだった。ジェット機とは違った形をした飛行機は、普段見るメジャーな航空会社ともカラーリングが違い、ちょっと新鮮だ。低い胴体からタラップが開かれ、名古屋からやってきた乗客は地面へ降り立ち係員の先導で到着ロビーへと向かっていた。人数は数えられなかったが、意外と利用者は多いみたいだ。プロペラが止められ荷物の積み替えと燃料の補給が行われた。あまり時間に急かされることもなく、どことなくのんびりとした雰囲気がする。まぁ急いでいるわけではないのでいいのだが…。
やがて搭乗案内がアナウンスされ、やはり地べたからタラップを上っての搭乗となる。確かに機内は狭いが、大型のジェット機だって普通の国内線のシートピッチはこんなもんだろう。両翼は胴体よりも上に位置し、プロペラエンジンは座席とほぼ同じ高さにある。これから名古屋へ向かう乗客は10人強といったところだった。座席についてから右→左の順番でプロペラエンジンの始動がかかる。ブーンという音が一段と高鳴り、機内に響き渡ったところでテイクオフとなる。ジェット機に比べれば当然パワーは劣るので飛行高度も推進速度も低い。なので地上の景色が良く見えるらしい。紀伊半島を越え左に旋回し知多半島に沿って名古屋へと向かう。ちょうど名古屋国際空港(セントレア)の上空を通るので様子が手に取るように分かる。滑走路はきれいに整備され鉄道も道路もつながり、すっかり準備万端といったところだ。ということで、常滑から伸張される区間が開通すれば未乗区間となるわけで、また乗りに来なければならない。(笑) 気流や雲の影響を強く受けるのか、離陸直後と着陸直前の揺れは意外と大きかった。やがて高度を落としながら名古屋空港へアプローチとなる。空港近くの公園でこちらを見てる人の姿が確認できたが、多分この手のプロペラ機は珍しいに違いない。ジェット機ではないのでランディングしたあとの逆噴射もない。滑走路をいっぱいに使って減速し、空港の建物から少し離れたところへ先導され1時間弱のフライトは幕を閉じた。機会があればぜひもう一度乗ってみたいものだ。(後日談:セントレアの開業とともに社名も変わり、本拠地もそちらへ移りました。名古屋を中心としたコミュータ会社であることには変わりませんが、単なるANAの子会社になってしまい使用する機材も順次更新され、2009年2月末ですべて退役しました。最後にF50に乗ったときの旅日誌はこちらです。)
先程も上空から確認できたが、セントレアの運用が開始されるとここ小牧の役割はほとんどそちらへ移されるという。もしかしたら、これが最初で最後かもしれない。空港のリムジンバスは各方面へ路線が伸びているが、今日は勝川行きの路線バスを利用することにする。タイミングよく来たバスに乗り、味美を経由して勝川駅前までやってきた。勝川駅といえば、城北線が変なところから出ているので有名だが、いまは中央線の高架化工事が真っ只中といった感じで、これが完成すればひょっとして大きく様子が変わるのかもしれない。何本か通過する列車を見送って、中央線の快速で高蔵寺駅へ移動する。
確か愛知博覧会の開催は来年の3月のはずだが、それに合わせて新交通(リニモ)が開業する。ということで、乗りつぶし"防衛戦"として、セントレア連絡線と合わせてきっと乗りに来ることになるだろう。まぁ、先のことは置いといて、今日は2、3日前に開業した路線を乗っておくことに専念する。高蔵寺駅からは愛知環状鉄道が出ている。恐らく万博の開催期間中も輸送強化のため増発されるであろう。以前ここにやってきたはいつ頃のことだったかあまりはっきり覚えていないが、車両は新造のものに変わっている。今日はこいつに用はなく、ゆとりーとラインで大曽根へ行くことにしている。ここから大曽根まで行けばゆとりーとラインの乗りつぶしができたような気分になれそうなので、乗っておくことにした。一見したところでただのバスなのだが、いわゆるオートマ・ノークラッチなので、ギアのシフトアップ、ダウンはちょっと変な感じがする。ちなみにこの車は某Dブランド製のようで、右側後部座席・非常口付近の座席が「国土交通省のお達し」というおふれで使用禁止となっていた。
大曽根近くでお昼を済ませ、地下鉄に乗り換える。駅前はまだ大掛かりな工事をやっている。ところで、今回開通した地下鉄は日本全国で初めての環状運転ということになる。おや、大江戸線は?と思うところだが、あちらは微妙に"環状線"ではない。無理して都庁前駅に引き込んだがために、上下線が同じ方向に合流した形になる。もとはといえば、牛込方面からやってきた方が大回りする予定だったらしいが、用地買収やら工事費用やらが相当かさむらしく諦めたと聞いたことがある。もっと言うと、都庁前ではなく新宿駅あたりで合流すれば"環状"が成り立っていて、すっきりとした運用が可能になったとも言われている。結局は都のメンツと勝手な利便性だけが優先されたというのがもっぱらの噂だ。大江戸線の話しはここではどうでもいいとして、名城線は"右回り"、"左回り"という表現が使われていた。まだ馴染みは薄いらしく、ちょっと分かりづらい…といった声もちらほら聞こえていた。今回開通した区間を含めて未乗区間を乗り終え桜通線に乗り換えて名古屋駅へ向かう。
地下鉄は新線だろうがなんだろうが車窓に景色はないので、はっきりいって面白くはない。だが、次のあおなみ線は港の景色を楽しむことができるはずだ。敢えてここでも詳しい説明はしないが、もともと貨物線だったところを流用し、途中から高架に移して金城ふ頭までの区間を通っている。使われないで"無用の長物"として放置されてたところをリサイクルしたわけだ。かつては工場地帯だったところも今ではベットタウンとして人口が増えており、またこういった路線が開通することによって開発も進むのだろう。それと、沿線にあるイベント会場への"足"としての期待も大きいに違いない。今日は開通してから初めての週末ということもあって、その筋の方(?)以上に数多くの見物客が詰め掛けていた。早速名古屋駅から乗り通しを始めることにする。編成はわずか4両ではあるが、いまどきの路線らしくワンマン&ホームドア方式である。
名古屋駅を出たあとはしばらくJRの貨物線の敷地内を走っていくことになる。やがて高架になるといよいよ港が近づいてくる。伊勢道の大きな橋と交差すると終点の金城ふ頭へ到着となる。広大な土地にはこれから世界中に輸出されている新車がずらっと置いてあり、遠くには大きな工場の建物が見える。今日はちょうど自動車の輸送船が泊まっていたが、これ程大きなものだとは思わなかった。一旦、駅の外へ出てみるものの、ポートメッセ以外何もない。路線はここでぷっつりと切れていたが、湾を越えてセントレア方面へ連絡させるという構想もあるらしい。いくらお金がかかるか知らないが、夢は大きく持とう!とでも言うことか?(苦笑) これで乗りつぶしを果たすことができたので、今日はこのまま引き返すことにする。(後日談:リニア・鉄道館を訪れたときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
まっすぐ名古屋に戻り、今日はこのまま新幹線で東京へ帰ることにする。東海道新幹線の品川駅が開業してから一度も利用したことがなかったので、ついでにといった感じで足を延ばすことにした。ちらっと予約状況を確認したところ、この時間の指定は軒並み塞がっており、早めに席を押さえておいて正解のようだった。気がつけば日も短くなってきており、おまけに天気もあまりよくなく、東へ進むにつれ車窓は徐々に暗くなってしまった。今回は久々に強運に恵まれた感じがするが、短期間の割りに非常に盛りだくさんでとても1泊2日とは思えないほどであった。ただいつものように、逃避行が終って現実に引き戻される感覚はこの上なく寂しいものだ。暗くなって視界がなくなった車窓に映る自分の顔を見ながら、いつの間にか仕事のことをぼんやり考え出していた。