■旅日誌
[2005/7] 伊豆のなつがやって来た
(記:2005/7/18 改:2021/12/29)
(記:2005/7/18 改:2021/12/29)
遠出ではありませんが地元で催しがあったのでちょっと見に行ってきました。PRのために伊豆急カラーのラッピングトレインが東横線・みなとみらい線を走るというものですが、実は往年の名車と言われた8000系の最古参の編成がこのイベントを最後に引退するという感慨深い企画でもありました。
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番外編
思い起こせば2004年2月にみなとみらい線が華々しく開業し、一部のマニアにだけではなく一般的なニュースとして扱われていたのは記憶に新しい。人気が高い東横線の行き先がみなとみらい地区へと変更になったのだから注目されないはずがない。みなとみらい線開業時には新しい車両のお披露目もあったわけだが、その影で世代交代が静かに動き出していた。「某社の車はどれも弁当箱のようで面白くない」という声はよく聞くが、今回のできごとは何十年に一度といったくらいのことで、少々思い入れのある人にとっては決して大げさ言い方でもない。
地元でその手のイベントがあるという話もあまり聞かないので、今回はもの珍しさも手伝ってわざわざ見に行くことにした。よくあるのは○○復興版などと称して昔の塗装に戻す企画であるが、行く先のことを意識して外観に手が入れられるというのはちょっと珍しいかもしれない。長年東急の主力車種としてやってきた8000系が順次引退し、そのまま解体されていくということはある意味衝撃的だったが、ここへきて8000系が伊豆急に譲渡されるというニュースが飛び込んできたこともまた、いい意味で驚きだった。そんな折、伊豆急カラーに化粧直しされた8000系がイベントとして東横線を走ると聞いてこれまた驚きを感じたが、いま東横線で走ってる8000系の中で最古参の8007Fが引退を機にこの任にあたると聞いて、これが一番インパクトがあった。
方々で情報収集したところ、この8007Fは一旦は廃車回送されたらしいのだが、この企画のために古巣の東横線へ戻されていた。まさに最後のご奉公というわけである。別に講釈をたれるわけではないが、8000系が往年の名車だといわれるゆえんはいくつかある。力行とブレーキとワンハンドルで操作するT型マスコン、当時としては画期的だった半導体技術を用いた界磁チョッパ制御による省エネ設計、本格的な20m級のオールステンレス車両、簡素だがどことなく品のあるインテリア、、、当時採用された技術などあげたら切りがないが、そのデビューが今から35年も前のことだったと考えると、あらためて関心してしまう。実際、その後の時代の潮流をつくったのは疑いもない事実である。さすがに今どきの"仕様"と見比べると時代もすっかり変わってしまったと言わざるを得ないが、それでもさほど違和感なく平然と第一線で活躍する姿はある種の美しさをも感じてしまう。耐用年数を迎え今回引退する8007Fが駆け抜けた距離はおよそ450万キロ、地球と月の間を6往復もしたというから、まったくもって頭が下がるばかりだ。それでも地方や海外への譲渡話が未だあるという。妙に人間臭いというか、いやぁ、本当に驚くばかりである。(後日談:その後、インドネシアへ譲渡されることになりました。この「伊豆のなつ」カラーのまま、異国の地を走り続けます。正直なところ、このまま華やかに廃車かな…と思ってましたが、意外なニュースにびっくりしました。ちなみに、8007Fには出会えませんでしたが、何年か後にインドネシアへ行ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
さて今回のイベントであるが、伊豆急のイメージカラーであるハワイアンブルーのラインに化粧直しされた車両が、7月の週末に東横線を1日2往復することになっている。座席や内装などの改造部分を除けば既に伊豆急に譲渡された車両と同じ姿をしている。まぁベースが同じ型の車両なので当たり前なのだが、残り少なくなった8000系のうち東横線で最古参の車両が選ばれたというのも何とも粋な計らいではないだろうか。それだけ東急の思い入れも強かったのだと思う。
さて、まずは乗ってみよう!ということで、イベント初日の7/2に日吉駅から伊豆のなつ号に乗ることにした。午後に日吉駅と渋谷駅で伊豆の観光PRイベントがあるらしいが、出発間際の11時はいつもと変わらず休日の静かな様子だった。ホームに下りると、退避側の2番線で出発を待っていた。派手な出発式のようなものはないが、伊豆急の制服を着用した乗務員が撮影などに応じていた。やがて電子音の警笛とともに伊豆のなつ号は日吉駅を出発する。走りなれた道を8007Fは用意された臨時ダイヤに沿ってトレースしていく。駅や沿線にはカメラを構えた人の姿もちらほら見える。梅雨空の曇天の下だとステンレスシルバーはあまり冴えないと思うが、写真うつりはどんなものなのだろう?車内に目を向けると、普段の広告類はすべて取っ払われており、代わりに伊豆の観光スポットの宣伝ポスターが貼られていた。扉の横のスペースは、この伊豆のなつ号の化粧直しの様子や各地で活躍する旧東急車の写真パネルが何種類もあって、狙いどころとしてはなかなかうならせるものがある。とりえず今日は元町・中華街まで往復してその足で会社に向かうことにした。悲しいかな仕事が忙しくてこのまま2往復はできそうにない。
昨日は伊豆のなつ号の姿を確認するために午前中をつぶしてしまったこともあって結局終電まで仕事をしてしまった。それでも仕事が片付かないので日曜も出勤である。朝寝坊した結果、ちょうど伊豆のなつ号の時間にあたるので、今日は綱島から数駅間だけ乗っておくことにした。今日も綱島-日吉間の直線は時速百キロの快走である。日吉で特急の通過待ちを行うのは普段あり得ないダイヤだが、臨時急行だけど誰でも乗れますといったアナウンスがされていた。
翌週も寝坊した結果、なぜか伊豆のなつ号に乗ることになってしまった。日曜に引き続き綱島から乗り込むことにする。先週は元町・中華街へ行ったので今日は渋谷駅まで足を延ばすことにしよう。今日もカメラを構える人の姿が多く、変な騒ぎにならなければいいが東横線に合わせたようにみな静かにお行儀はいいようだった。8007Fも別に先週と変わる様子もないのだが、あらためて車内を見回してみることにしよう。昭和45年製造という銘板、薄汚れしまったBUDOカンパニーとの提携を示すパネル、普段は何気なくみていた8007という番号。量産車とはちょっと違った形をした網棚を支える金属板。ついつい妙なところに目がいってしまう。先頭の人だかりのなか目を向けると百の位に"パネル"をつけて129交番(語呂合わせで伊豆急?)とされていたり、編成番号『T-7』とさもありげな記号をテープで描いているところなど、かなりディープなところで心憎い演出がされている。先週もそうだったが、実際に乗車してみると東急の社員の方がポケットからデジカメを出して個人的に撮影されてる姿も本当に多く目にした。思い入れの強い車両だったことがあらためて分かる。
渋谷に到着すると既に野次馬の人でごった返していた。混雑が激しいとイベントを中止しますなどといった"警告"も出ていたが、折り返しの20分間は撮影会となる。ミス何とか(失念!)と伊豆急の女性運転手と東急の偉い人(?)と記念撮影ができる。小さい子供用に帽子も準備してあり、次から次へとあわただしく人の入れ替えがおきていた。数量限定で台紙付きのパスネットを売っていたので思わず購入する。子会社とはいえ他社の車両(=伊豆急8000系)が図柄として描かれているのは珍しいかもしれない。残念ながら今日も仕事に向かわなければならないのでこのまま伊豆のなつ号に乗って途中まで戻ることにする。ちょっと気になったので帰りは一番後ろに陣取ってしばらく様子をみることにした。先程撮影会に臨んでいた伊豆急の女性運転手も乗務員室に乗り込み、次のイベント会場である日吉に向かう様子である。途中自由ヶ丘の手前で緊張気味に案内放送に当たっていたが、制服の名札を見ると正真正銘の伊豆急の運転手であることが分かる。そのうち運転席の下を覗き込んだり、同乗した東急の乗務員にポケットに入っていた伊豆急のダイヤを見せていたりと余裕を見せていたが、自社勤務でないにもかかわらず駅を出るたびにホームに向かって指差し確認している姿は何ともプロ意識に徹しているのがよく分かる。制服を着てなければ乗務員には見えないかもしれないが(失礼!)その頼もしさは大事にしてもらいたい。
結果的に土日は出勤のためにむくっと起きだすとちょうど上りの伊豆のなつ号の時間に合うことが多く、何だかんだいいながら皆勤賞のようになってしまった。一度だけ鷺沼から回送される姿も目撃する機会があったが、熱心に待ち構えている人の姿も少なくなかった。後半になると伊豆急の古い時代の急行をあしらった「急」マークを掲げてみたり、東京急行/伊豆急行、社名入りのヘッドマークを付けてみたりと、なかなか手が込んできた。そうこうしているうちに最終日を迎え、例の『T-7』編成のシールははがされ、最後の最後には「さよなら8007F/1970-2005」などというHMまで出してきた。今回の企画には用意周到準備されたシナリオがあったに違いない。東急の芸の細かさには感心させれっぱなしだった。最終日はお休みが取れたので、渋谷-元町・中華街を往復してから最後の日吉行きにも乗車することができた。パニックのような大騒ぎにはならなかったのは何よりだ。
営業運転を終え、静かに日吉の引込み線に引き上げていく姿を見送る。どうも名残惜しいので、元住吉へ先回りしして回送される姿をもう一度見ておくことにした。その後用事を済ませ帰り途中に元住吉を通ると、今日はまだ鷺沼へ引き上げずに、車庫の中で乗務員スタッフ関係者が8007Fを取り囲んで最後に撮影会をやっている雰囲気だった。ちょっとじーんとくる光景でもある。とりあえず、ご苦労様でした、と声をかけてあげたい。と同時に、このような"暑い"イベントを企画してくれた東急とその関係者にも感謝したい。
ところで、話は変わるが東横線に残った8000系も数が少なくなり、どうやら終焉が近いように思えてならない。一時廃車になりかけながらも奇跡の復活を果たした8039Fは、赤帯を外されLEDの行き先表示も8021Fが使ってた方向幕に付け替えられ種別灯も準備されるなど、オリジナルに近い姿に戻された。次なる動きを感じる。また、8000系だけでなく、田園都市線の8500系も世代交代が進みつつあり、こちらは長野電鉄への譲渡が決まった。20m車ということで地方では扱いづらいのは事実だが、いずれ信濃路をいくこの車両にも会いにいきたいものである。