■旅日誌
[2012/2] 惜別300系のぞみ
(記:2012/3/31 改:2015/11/1)
(記:2012/3/31 改:2015/11/1)
毎年春先に実施されるダイヤ改正、そのたびごとに廃止や引退といったことが話題になりますが、寝台特急日本海や急行きたぐにの臨時格下げなど寂しいニュースが聞こえてくる中、今回は初代のぞみこと300系新幹線の惜別乗車となってしまいました。ここのところお出掛けする余裕もなく悶々としてましたが、帰路はなぜか神戸空港から茨城空港へ向かいました。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
足掛け2年のちょっとしたプロジェクトが終盤に差し掛かり、なかなか自由な時間がとれないでいた。週末まともに休めないながらもガス抜きと称して、少しはお出掛けする時間をつくってみたりしていたが、ここ1ヶ月は佳境な時期にありタフな生活を送っていた。ようやく山場も過ぎて徐々に落ち着きを取り戻してきたものの、これでOK!と線引きできるものでもなく、どこか気持ちも落ち着かないでいた。携帯は24時間、肌身離さず持っていなければならないし、何かあったらすぐに駆けつけなければならない、、、というのは結構きつい。まぁ、このご時勢、仕事があるだけマシと考えなければならないのだろうけど…。
変な愚痴から始まってしまったが、今年も春のダイヤ改正の時期がやって来た。前振りの通り、日本海ときたぐにの臨時格下げというのは少々寂しいニュースだったが、身動きとれる状態ではなかったので、惜別乗車もお見送りもまったくすることができなかった。ダイヤ改正とは関係ないが、時期を近くして長野電鉄の屋代線や十和田観光電鉄の廃止といった知らせもあり、どれかひとつくらいフォローできないかモヤモヤ感がくすぶっていた。そして100系・300系新幹線がひっそりと終焉を迎えるという話題だが、こっちならどうにか出来そうだったので、引退直前に設定された臨時ののぞみに乗ってみることにした。最終日のイベント(?)に参加するのは明らかに無理だったが、2月ならなんとかなりそうだ。
300系車両が東海道新幹線にデビューしたのはちょうど20年前、ひかりより速い列車としてのぞみという愛称が付けられた。これまでの最高時速=220km/hを50km/hも上回る270km/hへ引き上げ、東京-新大阪間を2時間半で結ぶことを目指して開発されたのがこの300系車両である。航空機に対抗できるだけのスペックとしてのぞみ号はいまでも引き継がれている。デビュー当時はトラブルに悩まされることも少なくなかったが、今日の新幹線のダイヤを見れば一目瞭然のぞみが中心的存在でひかりとこだまがそれを補完する形になっている。より進化した新幹線として、その礎を築いたのがまさにこの300系車両であり、高速鉄道のイノベーションであったのは紛れもない事実である。20年という年月は鉄道車両の寿命としては短い部類だが、新幹線という過酷な環境を走り続けたことに加え、スピードだけでなく居住性も視野に入れた700系やN700系といった"跡継ぎ"の台頭により、ここらでひと区切りとなったようだ。そんな先駆者に、ご苦労様!とねぎらいの声を掛けてあげたい。
今回は、300系の引退を記念し週末金曜に設定された臨時ののぞみに乗って東京-新大阪を乗り通してみることにした。今から十数年前くらいだろうか、ふと昔のことを思い出すと、たまに仕事で新幹線に乗ることがあり、ワンランク上ののぞみを利用することはほとんどなくもっぱら100系ひかりに乗っていた。料金にも差があり全車指定ということで敷居が高く、確かに当時は特別な存在であった。その後、700系が大量に投入されると300系はひかりやこだまに充当されるようになり、たまに乗ってみると妙に懐かしいものだった。いままでそんなことは意識したことはなかったが、意外と身近な存在だったのかもしれない。昔話ばかりですっかり前置きが長くなってしまったが、とある週の金曜、その日は運よく半ドンで仕事を切り上げることができたので、お昼もロクに済ませず、東京駅へ直行することにした。
平日にも関わらず、東京駅の新幹線ホームには多くの人であふれていた。そういえば500系のぞみのときもこんなだっただろうか?ちょっと情報に疎い状態が続いていたこともあり、いつのまにか定期運用に就く300系はほとんど姿を消してしまっていた。目的の300系のぞみの直前にJR西日本編成の300系車両がこだま650号としてがやって来るようなので、最初にそちらの様子を見ておく。これも見納めかぁ~などと感傷にふける間もなく、続いてのぞみ371号として充当される300系がやってきた。引退前のカウントダウンではないが、回送されてきたJ55編成には特別なペイントが施されている。あまり実感が沸かなかったが「ありがとう LASTRUN 300SERIES」と書かれた文字を見てようやく引退なんだな~という気持ちになってきた。落ち着いて写真を撮るのも難しそうだったので、適当なところで切り上げ、指定された6号車へ向かうことにした。
15時をまわり、先に折り返しのひかり477号が出発、多くの人に見守られながら、続いてのぞみ371号が定刻で東京駅を後にした。大きな窓とインバータ独特のモーター音にどこか懐かしさを覚える。確かにN700系に比べれば居住性は格段に落ちてしまうのは否めないが、唯一大きな窓だけは断然こっちの勝ちと言ってもよい。午前中、仕事をしてたこともあり久々にスーツ姿&ネクタイのいでたちで新幹線に乗ることとなった。傍目には出張帰りのサラリーマンくらいにしか見えだろうが、一応オフモードではある。そのせいか昔の仕事のことを思い出してみたり、何か中途半端な気分で落ち着かない。しかしながら、一旦走り出してしまえば東京駅のお祭り騒ぎも、こっちの感情とも無関係に列車は淡々と進んでいく。あらためてのぞみ371号のダイヤを確認すると、15時過ぎに東京を出発し、夕方比較的早い時間に新大阪へと到着する。週末の午後ともなれば名古屋や大阪に戻る人も多くいるようで、のぞみ371号は普通に混雑していた。見慣れた風景を横目に列車は品川へ到着、さらに多くの人が乗ってきた。ぱっと見回しても空席は数えるくらいしかない。ここまで時間なく過ごしてきたので、先程東京駅で買った特製弁当でちょとと遅めのお昼にした。300系デビュー当時の幕の内弁当を再現したメニューになってるとのことだが、ベーシックでありながら飽きが来ない…というのはこういうことをいうのだろうか?行く先々で個性豊かなお弁当を目の前にするのは確かに楽しいが、迷ったときは幕の内!というのもあながちウソではない。
本当に今日は平日?と思うくらい、途中の通過駅や沿線には多くのギャラリーの姿があった。やがて名古屋駅へ到着、空模様の方はいまひとつぱっとせず富士山は望めなかったが、関が原を過ぎたあとには日がさす場面もあり、滋賀あたりで沈む夕日を眺めることができた。やがて列車は京都へ到着、そして最後のひと区間をラストスパート、、、1分の狂いもなく終点の新大阪へ到着した。こちらもお出迎えの人でホームはいっぱいだったが、過密ダイヤの中、あっという間に300系・J55編成は引き上げてしまった。0系新幹線の引退のときのことをふと思いつつ、これで300系新幹線とはお別れとなる。さようなら、そして、ご苦労でした!
新大阪到着後、そのままとんぼ返りでもよかったのだが、何となく気忙しい日常から離れたかったので大阪に一泊してしまうことにした。とりあえずお隣の大阪駅へ移動してみようと思う。そういえば新装後の大阪駅に立ち寄るのは初めてだったかな?大阪駅の乗り換えといえば、あの狭苦しい地下連絡道が思い浮かんでくるが、一段高い場所にある通路から見渡す風景はどこか新鮮だった。関東近郊ではもう見られなくなったオレンジ色の電車に惹かれるように環状線のホームへと降りていく。満員の電車に乗ったいいが、天王寺で下ろされてしまった。何かあてがあるわけでもなく、乗り継いでいるうちにJR難波駅に到着、どういうわけかグリコのネオンサインが見たくなり、戎橋方面を目指していく。自分の記憶が正しければ、確かワールドカップ開催のとき以来だが、、、でも、どうしてここにいるんだ?まぁ、そんなことはどうでもいいじゃないか…。
2日目
というわけで、2日目は大阪難波駅からの出発となった。開業以来二度目となる阪神なんば線で西の方を目指す。昨日に引続き今日もまたあいにくの空模様で、ところどころで弱い雨が降っていた。その阪神電車に乗ったまま三宮へ到着、特にするでもなくポートライナーに乗り継ぎ神戸空港へとやって来た。ちなみに、今日神戸空港でなければならない理由はまったくなく、新幹線で戻るのも芸がないので帰りは空路にと考えてたところ、ふと思いつたのが神戸空港だった。
さらにもうひとひねり入れて、神戸空港からはスカイマークで茨城空港へ向かうことにした。空港めぐり以来二度目の神戸空港なら、茨城も開港以来二度目となる。(後日談:三度目は海外からの帰国で利用しました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)もちろん、何か無駄なことしてる?などと考えてはいけない。(苦笑)ただ、以前来たときと違うのはスカイマークの存在が馴染んでるように見えたことだろうか。というわけで、自動チェックイン機で搭乗手続きを済ませる。
先日の沖縄に引続き、偶然にもスカイマークを利用することになった。実は茨城便の利用者数がちょっと気になっていたのだが、今日の茨城便の着席率はかなり高いように見えた。機材の到着が少し遅れ気味だったこともあり、定刻よりやや遅れて出発する。SKY184便は西に向かってテイクオフ、パワーを抑え明石海峡上空の低いところをしばらく飛行し、舞子ポイントで進路を東に変える。複雑に入り組んだ空域を抜けなければならない事情は以前とまったく変わってないようだ。その後、徐々に高度を上げ、分厚い雲の上へと出てくる。気流が安定しているところまで来てしまえば揺れはさほどない。時折、西の方角へ向かう機影を見たりして、しばらく空の時間を過ごす。
関東上空に来てもコンディションは回復していなかった。SKY184便は時折大きな揺れを伴い、真っ白な雲に突っ込んでいく。ほとんど視界がなかったので、どこを飛んでるかまったく分からなかったが、最後は霞ヶ浦側からのアプローチのようだった。お昼をまわり、とりあえず無事に茨城空港へ到着、タラップを降りて徒歩で到着ロビーへ向かう。幸い雨は止んでたものの、今日のように雨の日はどうなってしまうのだろうか?SKY184便を追うようにして、春秋航空の上海便がすぐ隣のスポットへ到着する。こうして飛行機が間近で見られるのも新鮮かもしれない。アシアナ航空が運休していることを除けば、空港の建物の中は以前とあまり変わってない様子だった。うわさには聞いていたが、立ち寄りの場として地元の姿も見られる。先程乗ってきた機材が神戸へ向けて飛び立つのを展望デッキから見送ってみたが、意外とギャラリーはいるもので、もっと飛行機が見られれば楽しいのに…といった声も聞こえてきていた。
さて、茨城へ来たはいいが、東京方面へ移動しなければならない。まぁ、時間はたっぷりあるのでいいのだが…。事前に情報収集したところ、空港利用者は、500円で東京駅を往復するバスを利用できるというので、前もって予約を入れておいた。破格の料金について言えば地元が補助金を出るとしか思えないが、バスの運行は関東鉄道が担当し、2時間ほどで東京駅へ行くことができる。予約なしでも座席に余裕があれば利用はできるとのことで、後からやって来た上海便に乗ってた旅行客らしき人が長い列を作っていた。それを見込んでかバスは2台で運行されており、もっともっと知名度を上げれば、この空港も生き残りの道は開けるのではないだろうか?それこそ、LCCの聖地として大化けしたら面白いに違いない、、、常磐自動車道から首都高に入り、完成間近のスカイツリーを見ながらそんなことを考えてみた。