■旅日誌
[2009/7] 復活ナッチャン&SL函館大沼
(記:2009/8/14)
(記:2009/8/14)
青森-函館間に鮮烈デビューした高速フェリーナッチャンReraとナッチャンWorldですが、突然の廃止劇には驚くばかりでした。ところが、この夏、期間限定でナッチャンWorldが復活することになり、折角なのでSL函館大沼号とあわせて乗りに行くことにしました。梅雨の真っ只中のような天気でしたが、貴重な機会となりました。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
青函トンネルの開業により、青函連絡船が廃止となったあともフェリーの運航は続けられていたが、かつてのような賑わいとは程遠いものだったと思う。そんな折、大型の高速フェリーを2艘も新造して参入する会社が現れたことはちょっとした話題にもなったが、どんなものか見に行ったことがある。だが、その直後にこの高速フェリーは廃止になってしまい、それもまたショッキングなニュースだった。まさに社運をかけて…といわれてただけに、どうしたものか気にはなっていたが、利用客の伸び悩み(一見すると盛況のようでしたが)や高騰する燃料費によって大赤字は免れず、厳しい判断が下されたという。その後の動向など詳しいことはつかめてなかったが、つい先日にはナッチャンWorldが横浜に寄航するというイベントがあり、さらに期間限定で青函航路に復活するというニュースを耳にした。貴重な機会には間違いなかったが、それだけで往復にはちょっと踏ん切りがつかず、結局、SL函館大沼号と抱き合わせにして遠征することにした。
今日は新幹線で八戸まで北上し、白鳥に乗り換えて一気に青森へ向かうことにしている。大宮を出るときは座席はほぼ埋まっていたが、仙台で人の入れ替わりがあり空席が出はじめ、盛岡でぐっと人が減り、八戸まで乗り通す人はさらに少なくなっていた。そんな感じで白鳥まで乗り継いだ人はもっと減り、自由席はガラガラだった。気になる新幹線の青森伸張だが、車窓を見ると既に工事が終わっている区間もあり、着実に工事が進んでいることがうかがえる。そうなると在来線の扱いも一変するだろう。青森市街が近づきトワイライトエクスプレスの冠を付けた電気機関車がちらっと見えたりしたが、そういえば去年の7月にも同じような光景を目にしたような気がする。白鳥は定刻で青森へ到着、しばし間をおいてこの列車はこれから函館へ出発することになる。
とりあえずここでフリーな時間が1時間くらいある。ということで、青森に来たときはいつもここ!と決めてあるお店へ行ってお昼にしておこう。駅に程近いところにある何の変哲もないお店だが、なぜかお気に入りになってしまい、今回で三度目だったりする。ちょっと軽めでいくかな…と思い、けの汁ラーメンとやらを頼んでみた。野菜類がふんだんに入っていて、家庭料理らしいどこかホッとするような味わいだ。しばらくして外に出ると小雨がパラついていた。高速フェリーが就航する時期だけ臨時のアクセスバスが出ているでのそいつを利用、駅からは20分程で青森フェリーターミナルへとやってくる。出帆まではまだ時間的余裕はあるのだが、入港したばかりとみえ次から次へと中から車が出てくるところだった。こうしてみる限りは1年前のナッチャンReraとまったく様子は変わらない。さて、手続きを済ませて待合室へ向かうことにしよう。
建物を3階まで上がるとそこは待合室になっていて、ゲートの先はボーディングブリッジに直結していた。ここだけ見るとまるで空港のような雰囲気だが、思えば飛行機の方が船の"文化"を真似てるので、当たり前な話かもしれない。このフロアにはナッチャンの小さな模型が飾られていて、いかにも記念写真を撮りたくなる雰囲気がしていた。ここだけではどれ程の利用率か判断はつかないが、キャッキャッと騒ぐ子供相手にゲートに立つお姉さんはやさしく相手をしてたりと、まぁそれなりに和やかな雰囲気ではある。時間になり船内へ乗り込むことにしよう。エントランス部分は前回乗ったナッチャンReraと大差はなく、エコノミークラスも同様、ただ、エグゼクティブクラスのつくりは大きく違うということだが、どちらも入ったことがないので分からない。団体さんの予約もそれなりに入っているみたいでエコノミーはいい感じに賑やかだった。後方のビジネスクラスを含め、大幅に開放した座席を増やしたということだが、これなら盛況と言っていいと思う。まぁ、日に1往復、ピーク期でも2往復と便数を絞ってあるので、その分加味しなければならないわけだが…。
ナッチャンWorldはゆっくりと青森港を出発、港外に出ても加速している感覚があまり伝わってこない。だが、たまにすれ違う船の様子からすると、それなりにスピードが出ていることが分かる。残念ながら天気は悪くなる一方でやがて雨も降り出してきた。右手に見えた下北半島にもところどころ雲がかかり、どこか暗い雰囲気がしている。それとは対照的に船内は相変わらず賑やかだった。売店に並んでたナッチャングッズの充実振りには、逆に悲しさも覚えたが、この先いつ手に入るか分からないし、ここは貴重なチャンスだったかもしれない。一方でカフェコナーのメニューはかなり限定的だったようで、苦しい台所事情を物語っているようにも思える。今回はほとんど座席でじっとしていたが、外の様子も気になるので時折デッキにも出たりしてみた。そうこうしてるうちに時間は過ぎていき、やがて函館山が視界に入り、快適な船旅もそろそろ終わりを迎える頃となる。スピードを落とし、港の中へと進んでいくと、ナッチャンReraが係留されているのが見えた。まだ、ここにいたんだ!こんなに素晴らしい船なのに、本当にもったいない話である。ナッチャンWorldはゆっくりゆっくりと慎重に接岸、もっと乗っててもよかったが、終わってしまえば本当にあっけない。下船した後、バスを待つ間に、何となく辺りの様子を眺めみておく。フェリーから出てくる車列は切れ間なく続き、そのキャパの大きさにあらためて驚く。もっと他でもいいので、活躍の場はないのかな?降り続ける雨の中、満員のバスで函館駅へ向かうことになった。
2日目
残念ながら、今日も天気は冴えない。雨は降ってないものの、空は低い雲に覆われ、期待していた駒ケ岳の姿は拝めそうにもない。実は昨日、森駅と長万部駅の間で土砂崩れがあり、並行する国道もろとも数時間に渡り通行止めになっていた。函館駅へ寄ったときはちょっとしたパニックになっていたが、どうやら昨日のうちに復旧したようなので、今日は平静さを取り戻していた。まぁ、それだけでもよしとしなければいけないか…。少し遅い時間だし天気もいまいちなのでどうかなと思ったが、朝市の様子など確かめた後、早速ホームへと向かう。夏休みに入ったとはいえまだ早い時期なので、もっと閑散としているかと思ったが、意外と人の集まりはいいようである。補機であるディーゼル機関車と客車が先に入線しており、続いて本日の主役であるSLが入ってきた。今年はC11-171号機がSL函館大沼を牽引することになっているが、7月に限ってはC11-207号機が代役を務めるため、先月のSL常紋号に引き続き1ヶ月ぶりの再会となってしまった。連結作業も終わり、ホームではさらに人が増えてくる。函館といえば、どこかレトロな街というイメージがあり、それっぽい服装の車掌さんとはいからさんを思わせる格好をした客室乗務員の笑顔が妙に素敵(?)だったが、どうせ演出するならこれくらいでちょうどいい。今年は横浜港と同様、函館港も開港150周年という節目の年にあたり、SL函館大沼は特別なヘッドマークを掲出していた。さぁ、これから森駅まで往復してくることにしよう。
列車は定刻に出発、五稜郭を過ぎるとあたりの緑も増えてくる。ここからはだらだらとした上り坂が続き、大きな畑が目立つようになる。SL単独でスムーズに走るのは厳しいと思うけど、石炭が燃える独特の匂いを漂わせ機関車は黒い煙を吐きながら前へ前へと進んでいた。車窓は北海道らしい広大な風景が続き、やがて景勝地でもある大沼公園へと差し掛かる。やっぱり駒ケ岳は姿を見せてくれなかったが、列車は大沼・小沼の間をぬっていく。SL函館大沼では、カフェカーの営業はもちろん、沿線の案内放送やイベントなど、盛りだくさんのプログラムが用意されていた。カウンターではSLグッズの他にも、森駅名物のいかめしの他にも、函館開港150周年を記念した「はこだて開港サンド」やスィーツ類に北海道定番のアイスクリーム、ヨーグルトなど、思わず購入意欲を駆り立てるものがふんだんに用意されていた。(余談:他人が食べてるサンドウィッチを見て、思わず買ってしまいました。いろんな国のレシピのサンドウィッチが入っていて、とても美味しかったです。)
大半の人は大沼公園駅で降りてしまったが、1時間半ほどで森駅へ到着、毎度ながら快適な時間はあっけなく過ぎていってしまった。あらためてSLの様子をうかがいつつ、少し遠くからも列車の姿を眺めておく。今日は復路もこのSLを利用することにしているのだが、折り返しまでしばらく時間があり、ちょっとだけ駅を離れてみようと思う。といっても、何か見に行くような場所があるわけでもなく、とりあえず国道沿いの道の駅にでも行ってみることにした。地図をみると、駅前から道沿いにそのまま進んでいけばいいようである。ところが、いざ歩いてみると、結構な距離があることに気がつく。北海道では距離感を見誤ることも多々あるが、地図上の縮尺と自分の感覚が微妙にズレたりするのは頭の片隅にでも意識しておいた方がいい。人通りのないところを20分ほど歩いただろうか、ようやく国道5号に出くわし左に曲がったその先に目を向けてみたが、目的の場所はまだ少し先のようだ。ふぅ、、、思わず息をついてしまった。
道の駅(YOU・遊・もり)に到着、来る前から予想はしていたが、何か特別面白いものがあるわけでもないか…。お土産品の他にも地元で採れた野菜など売っていたが、買い物が目的ではないのでひと通り眺めただけですぐに出てきてしまった。最近、食事ができる場所ができたとお知らせが出ていていたが、先程森駅で買ってきたいかめしを手にしていたのでこっちにも用はない。ということで建物の中に留まっていても仕方ないので、その先の森らしき方へ行ってみることにした。いまさら説明するまでもないが、北海道は人の手によって切り拓かれた土地であり、こういった公園にもどこかそんな雰囲気を感じとることができる。とまぁ勝手な解釈はそれくらいにして、適当な場所まで散策してみて、例のいかめしにありつくことにしよう。これもまた、特別に美味しいというわけでもないが、定番中の定番、ついつい手が出てしまう"しろもの"だ。いやいや、何だかんだで美味い!ペロッと平らげてしまったところで、正午の鐘がどこからか聞こえてきた。それにしても平和だな。(笑)さて、駅まで戻るか…。
駅まで続いているかどうか分からなかったが、先程とは違う道を行ってみることにした。そんなわけで静かな住宅街をトボトボと歩いてみる。暖房用の燃料タンクがあること、煙突が付いてること、そして玄関が二重になってること、というのが北海道らしい家の特徴だが、何というか家と家の感覚が広く取られているのも、どことなく他の地方と違うところだ。曇ってるせいもあるが気温はそれほど高いこともなく、真昼間に東京でこんなに歩いたら、間違えなく汗だくになっていることだろう。結局、いい感じで駅前まで来れてしまった。SLはまだ折り返しの準備途中のようで、至近距離からその様子を見ることができる。黒光りした機関車は体全体に熱を帯びており、シューシューと息を上げながらたたずむ姿はまるで生き物のようである。準備も整い、そろそろ入れ替えのために動き出すと、スーパー北斗がすぐ脇を通っていったりと、少しだけ賑やかになってきた。入線していったのを確かめて、駅へ戻ることにしよう。
うわさには聞いていたが、駅の売店では本当にいかめしグッズがいっぱい売られていた。ここ森駅には転車台はないので、帰りはSLが緩急車と向かい合わせにして後ろ向きに付けられている。来るまではあまり気にしていなかったが、帰りの指定はカフェカーの3号車(スハシ44)が取れていた。今どきの列車とはまるで違い、"古きよき時代"を感じとることができそうだ。帰りは海線経由で函館を目指すことになり、行きとあわせてちょうど駒ケ岳をぐるっとひと回りしてくる格好になるのだが、この先も駒ケ岳は姿を見せてくれることはなかった。(後日談:そういえばかなり前のことになりますが、初めて函館本線に乗ったときもジョイフルトレインで海線を通りましたが、信じられないほど駒ケ岳の姿が美しかったことを思い出します。)海線を行くのも随分と久しぶりのことのだったが、流山温泉の駅に新幹線が鎮座してることなどすっかり忘れていた。途中の駅で間合いを取るように停車を繰り返し、大沼へ到着、一旦バックして大沼公園駅へ引き上げ、あらためて函館へ向けて出発することになった。振り返ってみても駒ケ岳の姿はなく、見えたはずの風景を想像しながら戻ってくるだけとなった。列車は何事もなかったかのように定刻に函館へ到着、名残惜しいがこれで余韻の残るホームに別れを告げる。
東京へは空路函館空港から戻ることにしている。空港までは海岸沿いを湯の川温泉に向かってバスで20分ほど行けば着くことができる。今回はタイミングだけ考えてADO便の予約を入れていたが、どうも機種変更があったようで変な位置へ座席が変更されていた。直前になって気がついたので再び違うところに指定しなおしたが、出発予定時間は16:45と、さほど余裕はない。それでも搭乗機を外から見ておくくらいの時間はあったので、展望デッキへ上がってみる。おや、JALのジャンボ機が5番スポットで佇んでるけど、何かおかしいぞ。翼の先の切れ長のアンテナを見れば、今月末で引退するクラシックジャンボ(B747-300)だということはすぐに分かった。どんなに頑張ってもこいつに間に合うことはないのに、あらためて確認すると15時出発予定のところ1時間半以上経った今も「整備中」のままであることが判明、機体のレジ番号を見ると「JA813J」、、、やっぱりそうだ。最後のお勤めで函館便に入る可能性はあると聞いていたが、1月に台湾から帰ってくるときに乗ったシップだ。それにしても、どうしたんだろう?まさか、このまま退役なんてことにならなければいいけど。(後日談:この時点で搭乗予定のお客さんはセキュリティエリアから解放「待たせてごめんね…お食事券」まで配られてしまったようです。)
時間になり搭乗機へ乗り込んだが、どうやら振替も開始されてたようで、こっちのADO便にも流れてきた人で一気に満席、手続きに時間がかかったとみえ、出発が15分以上遅れてしまった。待ってる間も隣のクラシックジャンボが気になって仕方なかったが、とうとう諦めたかCAさんたちが降りてく姿もみえた。フライトキャンセルは決定的とみていいかもしれない。最後に思わぬハプニングが待っていたが、まさかこんな形で最後のご対面をするとは思わなかった。それにしても、一体、何が起きたんだろう??(後日談:帰宅後あらためて調べてみましたが、やはり欠航になってました。JALもこの日残りの1便を急遽大型のB777-300に差替え他社への振替とあわせて積み残しなくどうにか裁き切ったようですが、それにしてもそんなに迅速にシップチェンジできるなんて、ちょっとすごいことかもしれません。ちなみにJA813J号機ですが、その後運用に復帰し、最終日は新千歳-成田便で有終の美を飾った模様です。成田ではホノルルから戻ってきたJA812号機を迎えて盛大なセレモニーがあったようですが、これで3人クルーの機材が日本の空から姿を消しました。40年間、本当にお疲れ様でした!)