■旅日誌
[2007/7] 国境の島~対馬・壱岐
(記:2007/8/5 改:2021/7/17)
(記:2007/8/5 改:2021/7/17)
梅雨明けはまだ先と思ってたので天気が悪いことは予想できていましたが、どうにか仕事の方がピークを越えたようなところでしたので、週末土日を利用してどこかお出掛けすることにしました。全国空港めぐりも難易度を増してきましたが、今回は対馬と壱岐を目指すことにします。ところが出発間近で九州地方は大荒れ、記録的な豪雨に見舞われ、特に対馬や五島福江便は荒天のおかげで軒並み欠航、引き返しという状況でしたが思い切って出発することにしました。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
この頃になれば少しは仕事も楽になってるのではないかという願望に近い思いで航空券の予約を入れてしまっていた。前振りの通り梅雨明け前だったので天気は期待できなかったが、九州地方を中心に想像以上の荒れ模様の様相である。ちょうど対馬海峡に発達した梅雨前線が居座り、この週末もひと暴れしそうだという天気予報が出ていた。冷静になって考えることより、気分転換したいという気持ちの方が勝りとりあえず出発することにした。足止めでも喰らえば間違えなく帰ってこれなくなるのだが、不思議と何とかなるだろうという気にはなっていた。
まずは朝7時半前の便で福岡へ向かう。妙な話だが、どうも地方ローカル線ばかり利用する機会が多いため、いつもと勝手が違い幹線の大きな飛行機はものすごく楽に感じる。「本日は2007年の七夕、七並びのよき日にトリプルセブンをご利用いただきありがとうございます。」そうか、パチスロではないが、少しはめでたいのかと搭乗時のアナウンスで気がつく。しかし、そこまで話を振っておきながら何か特別なサービスでもあるのかと思えば、そんなことは全くなかった。そういえば青い機体のトリプルセブンに乗った記憶もないなぁ~。ま、そんなことはどうでもよくて、この先のことが心配でならない。福岡まではずっと雲の上にいたこともあり意外と揺れは少なかったが、なかなか博多の街並みが見えてこないところをみると、やはり視界はよろしくないようだ。着陸後、ベルト着用サインが消え、席を立とうとすると何とも気掛かりなアナウンスが入る。「対馬行きへお乗り継ぎ・ご出発のお客様は待機しております地上係員までお申し出ください、お伝えしたいことがございます」なぁにぃ?まさか欠航なんてことには…。
後方座席を選んでしまったこともあり、外に出るまでの時間が余計長く感じられた。そわそわしながらボーディングブリッジを抜けると、数人程係りの人のところに取り巻きができていた。これから何が起きるのかと不安を覚えながら待っていると「対馬便の搭乗口までご案内いたします」とのこと。どうやら福岡名物の迷路の中を外へ出ずにローカル便の搭乗口まで連れてってくれるようだ。ツアーの途中で、こんどの対馬便も引き返し条件付きでの出発であることを告げられる。まぁ、そこは運を天に任せるしかない。搭乗口の前で待っていると、その対馬便も機材繰りで出発が30分ほど遅れる見込みとのこと。多少遅れるくらいでも、飛んでくれるならそれで十分である。
A-netの青いQ400は五島福江以来だが、先程のトリプルセブンに比べると、やっぱり狭苦しく感じられた。ざっと見回した感じでも空席は見当たらない。定刻より遅れながらも福岡を出発する。ダッシュエイトは分厚い雲の中をしばらく進み、やがて着陸態勢へと入る。どうみても天気はいいとはいえない。機内は言い様のない緊迫した空気に満ち、しばらくは様子を見守るしかないといった感じだった。五島福江のときと同様、フラフラとした不気味な揺れを感じドスンという強い衝撃とともにランディング。どこからともなく「きゃぁ」という声が上がるものの、とりあえず着陸してくれればそれでよかった。(苦笑)
結局遅れは10分ほどまで短縮されていたようだったが、雨は降っていなかった。レンタカー屋の送迎を探し、事務所までマイクロバスで移動する。強い風が吹いているわけでもなく、意外と穏やかな様子にも見える。車を受け取り、早速行動開始とする。対馬は南北に大きくリアス式海岸の入り組んだ地形もあって、一日で全部まわろうとするのはちょっと無理がある。今回は上対馬を中心にざっとひと回りする程度と考えている。時間はまだ11時なので、夕方までの数時間、一番北まで行って厳原へ戻ってきてちょうどいい時間になるのではないかと踏んでいた。空港をあとにして、国道沿いに北上する。万関橋を渡り、最初に和多都美神社へ立ち寄る。入り江に並んだ鳥居がとてもいい雰囲気である。やがて団体さんがやってきてしまったので、少し先の烏帽子岳へ向かうことにしよう。山道を登り、行き着いた高い場所から見る入り組んだ景色はとても印象的だった。
地図を見ても分かるように対馬の50キロほど先はもう韓国である。歴史的にも朝鮮半島とのつながりは強く、いまも韓国の観光客の姿を多くみることになる。(余談:レンタカー屋の方からうかがいましたが、街中を集団で歩いてるのは韓国のお客さん、走ってるのは自衛隊の方…だそうです。妙に納得しました。)少し国道を外れ、異国の見える丘展望台というところに行ってみることにした。あれほど気になった天気もやがて日が差すくらいまで回復してきており、ぱぁっと開けた海沿いの山道を進み展望台へとやってきた。さすがに韓国が見えたわけではないが、ここは国境の海、わずか先はもう韓国だと思うと不思議な気分になる。さらに先へ向かい韓国展望台でひと呼吸おくことにした。それっぽい建物の中には、釜山の夜景のパネルが展示されていて、天気がよければ海の先にはこんな景色が見えるのかと感心する。さらに比田勝まで進み、ちょっと遅いが軽く昼食にすることにした。(後日談:その後、韓国・釜山へ行く機会がありました。そのときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)
比田勝にいても何となく韓国の雰囲気を感じとることができる。港には韓国と九州を結ぶジェットフォイル(ビートル)が停泊しており、町中もハングルの看板を多く見かける。思った通り島は大きく、これから厳原まで戻らなければならないので、ペースを落とさず先へ進むことにした。地図を見ると国道とは別の県道でも途中まで行けそうなので、ちょっと狭そうだがそちらを回ってみる。いかにも観光地といったような名所があるわけでもないが、紅葉で有名な山道を抜け、朝日山古墳、琴の大銀杏など見ながら走り続けてきた。厳原の手前で上見坂園地がある丘に登り予定通り5時に車を返した。
まだ少し日が高かったので、辺りを散策してみよう。自分はこんなにも晴れ男だったろうか、降水確率80%もすっかりいい方に外れ、とてもすがすがしい天気になってしまった。朝鮮通信遣ゆかりの地や石垣などみていると、この地の歴史を感じずにはいられない。特に名産品があるわけではないが、とはいえ四方は海ばかり。何か地のものでも探しにいくことにしよう。
2日目
予報によると、今日も九州地方は梅雨前線の影響を強く受けて天気はよくないらしい。ここ対馬は今朝も晴れのいい天気なのだが、これから向かう壱岐は九州本土に近いこともあって、好天は期待できそうにない。7時半過ぎに厳原港を出発し、9時前には壱岐・芦辺港へ着くジェットフォイルがあるので、今日はそいつを利用する。夕方の飛行機で発つことを考えると、数時間は島に滞在することができる。本当は対馬よりも壱岐で一泊したかったのだが、二島の滞在時間を最大限にすることを考えてこの行程でまわることにしていた。九州郵船のジェットフォイルは、最高時速は80キロ、波の影響も受けにくい浮上型の高速船で他のところでもよくみられるものである。比田勝始発で厳原港と隠岐を経由して福岡へ向かい、厳原を出たところでは着席率は50%くらいだった。どんよりとした中、船は快調に進み、やがて壱岐島の島影が見えてくると右旋回しながら芦辺港へと入港する。結局、ここで降りたのは自分ひとりだけだった。
「他に降りた人、いませんでしたね~」笑顔のお迎えとともに、ターミナルの駐車場でレンタカーを受け取る。立ち話でもするような雰囲気でその場で書類にサインし、免許証の番号をメモる程度であとはお金を渡してしまえば手続きはおしまい。のんびりとしたものである。といっても移動の手段は車のほかは考えられないので、今日一日この子のお世話にならなければならない。壱岐島は対馬に比べるとはるかに小さく、おそらく半日もあればめぼしいところは回れそうな気がする。行政的には長崎県下にあるのだが、地理的には佐賀県の北に位置し、フェリーや高速艇の出発地は福岡と、人や物の流れという意味ではやはり福岡とのつながりの方が強い。壱岐島は対馬に比べると観光地として手が入っている印象を受けるが、距離的にも近いこともあって比較的気軽に来れる場所でもあるようだ。
清石浜を通って、まず最初にはらほげ地蔵を見ておく。誰か来るような様子もなくとても静かな入り江だった。左京鼻に寄ってから、あとはどこをどう行ったかよく分からないが、印通寺港へ出てきた。とりあえず、島唯一の国道である382号を走って北の方角へ向かうことにした。時折、小雨もぱらつき、今日の晴れは期待できそうにもない。道路事情はそれほど悪くもなく、市街では大きな観光バスともすれ違う。それ程走った感じもしないうちに、北の勝本へ行き着いてしまった。港の方へ向い、しばらくこの小さな漁村の様子を見ておくことにしよう。イカ釣り船だろうか、多くの船が泊まっている。町中を少し歩いて聖母宮をみて、もう少し先にある水族館の方へと行ってみることにした。海沿いの静かな道を行ってみたものの、特に興味があるわけでもないので、そのまま引き返すことにした。
次に猿岩といわれるところへ行ってみることにする。壱岐島の海岸線も入り組んでおり、海沿いの景色は変化があって遠くから見てても飽きることはない。猿岩は文字通り猿の形をした奇岩のことで、有名な観光スポットだけあって多くの人が集まっていた。すぐ近くに展望台があり、少々足場が悪いが登ってみる。みんな分かっていたのが、苦労して登ったわりには、何か少し物足りない感じもする。近くの砲台跡は地震で崩れる恐れがあるとのことで立ち入り禁止になっていた。来た道を戻るのもつまらないので、少し勘をはたらかして違う道へ回ってみることにした。島巡りも回数を重ねるごとにコツを掴んできてるようで、こうやって地理的な感覚を体で感じ取る。
何だかんだでお昼近くになっていたので、郷ノ浦まで戻り昼食にすることにする。折角なので、地のもので少し贅沢をしておこうと思う。ここに来るまで知らなかったが、壱岐は蕎麦焼酎発祥の地とやらで、惹かれるものを感じたがここで飲んでしまっては車に乗ることができなくなるのでもちろん見送る。雨は相変わらず降ったり止んだりを繰り返していたが、車を降りて外に出るときは不思議と雨は止んでいる。次に向かったのは鬼の足跡という場所で、ここも奇岩で有名な場所であるらしい。緑が映えるとてもきれいな場所の先に、入り江状に大きく口が開いた様子が不思議な景色をかもし出す。しばらく近くを散策し、のんびりとした時間を過ごす。
車に乗って出発するとまた雨が降り出した。白浜の様子を見て郷ノ浦港沿いに少し道に迷ったあと、島の南の端である海豚崎へ行ってみることにした。道は狭くなり、さすがに観光地という雰囲気もなくなり、生活感のないかなり寂しいところをしばらく進む。説明によると海沿いの岸壁は溶岩が直接海水に接触するという珍しい場所だという。案内地図を見ながら、めぼしいところは回ってきたが、もう少し時間があるので、最後にまた北の方へ向かってみることにした。壱岐は古代から人が住んでいたということらしく、古墳などの遺跡も見つかっており、途中百合畑古墳園に立ち寄ってから、赤瀬鼻の先の方まで来てみた。地図にはのっていたものの、あまり人が近づくような場所ではなく、駐車場の先に展望台らしきものが見えたのだが、ヤブの中を進む勇気はなく、何となく海の方を見てこのまま引き返すことにした。
思ったより早く時間は過ぎ、壱岐空港へ向かうことにした。返却場所は空港にしていたのだが、近くにガソリンスタンドがないと教えられてたので、印通寺市街で給油しておく。最後の空港に通じる道ものんびりとしたものだったが、これでもう帰るのかと思うと少し寂しい気もしてくる。ほぼ予定していた時間に車を返し、歩いて空港の建物へと向かう。結局、一日中はっきりしない天気だったが、飛行機の運航に支障をきたすようなひどい天気でもなかった。時折雨には見舞われたが、結局傘の出番は全くなしで済んでしまい、運がよかったとしか言いようがない。出発1時間前だというのに、空港には人の姿がまったくなかった。
オリエンタルエアブリッジと社名を変えてから搭乗者が100万人を越えたとかで、今月はキャンペーン価格で乗ることができるらしい。手続きを済ませてボーっとしながら待っていると、折り返しの到着便は30分ほど遅れるとのアナウンスが入った。この先、時間の余裕はあるのでまったく心配はしていない。徐々に人が増えて賑やかになってくると、遅れた到着便がやってきた。遅れ気味のままORCのダッシュエイトで長崎へ向かう。天気はあまりよくなく、雲の中を30分ほど飛んで長崎空港へと到着した。
あとは東京へ帰るだけなのだが、今日も悪天候の影響で各地で遅れが出てるようだった。今日予約したのはスカイネットアジアの便、これで新興航空会社を制覇したことになる。少し前にANAの747の東京行きがあるのだが、以前に国際線仕様のスーパーシートに乗ったことを思い出す。今日はわざわざひとつ落としてSNA便選んだものの、やはり冷遇されているのだろうか、出発の準備が整ったあとも羽田の許可が下りずそのまま30分ほど待たされることになってしまった。羽田到着のときも、少し様子が変だなと思うと、なぜかB滑走路へ下ろされた。どう考えても横風が強いとは思えなかったが、へぇ~そんなこともあるんだな、と関心する。羽田にはかなりの遅れで到着となり、機を降りたあと、スカイネット最悪…なんて連絡を取ってる人もいた。それはそうと、今回は本当に運にも恵まれたようで、天に感謝しなければならない。わずか二日間ではあったが、少し日本を離れたような不思議な気分を味わうことができた。