■旅日誌
[1998/11] 最後の全国行脚・四国編
(記:2003/1/31 改:2022/1/3)
(記:2003/1/31 改:2022/1/3)

全国行脚もいよいよ最後。それにしても週に2回も飛行機に乗って出張するなんて、バリバリのサラリーマンのようです。(ってお前はサラリーマンじゃないのか?!)四国に渡るのは2度目ですが、なんだかんだ言ってもやっぱり仕事が目的なので、ついでにただぐるっとひとまわりするだけのものでした。ただ、これで仕事の方が一区切りついた形になり、その意味で忘れられない旅でした。自分で種を蒔いて育てて刈取るプランも途中で退去勧告をくらい青田刈りをしてるようなもので、帰りの飛行機では言いようのない寂しさを感じました。
1日目
いつも羽田へ向かうときはあらためて考えることなくモノレールを利用していたが、京急で行ってみることにした。空港の真下に駅があるのはモノレールも京急も変わらないのだが、家から京急に乗るにはちょっと遠回りしなければならない。でもモノレールにしてもそれは同じことで、慣れていなかったから遠く感じただけなのかもしれない。朝のこの時間はどの便も混んでる。乗り慣れないせいもあるが、飛行機の中では何もすることがないので概してヒマなことが多い。地理的なことはよく分からないが、瀬戸内海の上空を左に旋回しながら松山空港へアプローチに入った。空港のまわりには大きな工場がたくさんあるようだ。
もちろん松山空港は初めてである。松山市街へのバスに乗るため自販機で切符を買う。松山市駅とJR松山駅は離れているが、まずJRの駅まで行ってみる。午後一からの仕事に備え軽く昼食をとっておくことにした。四国は立ち食いであってもうどんが美味しいというが、本当にそうなのだろうか?駅前から伊予鉄の路面電車で訪問先の拠点の近くまで向かうことにする。(後日談:その後、松山には何回か来たことがありますが、通るたびに何かと懐かしく思います。再訪したときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)
いつものように、一通りプレゼンを行い実際にいろいろデモなど行い意見交換をする。ここでもいつものお決まりの質問が飛んできた。「大阪と名古屋はどう思ってる?」これに対してやっぱりいつものように答える。「まず大阪でプロトタイプからβテストまで行いました。既に本番運用に移ってもらってます。細かい課題はまだありますが、おおむね好評ですよ。」営業独特の明るさというか軽い感じのノリはあるが、どこの拠点の方も非常に熱心で本音の部分ではとてもまじめである。当たり前の話だが、第一線で活躍されている方と接するときは本当にこちらも誠意を持って接しなければならないなと現場を回ってみて痛感する。ただ残念なのは、自分はもうこのプロジェクトを去る身であり、いろいろお願いしたり将来について議論したりするのだが空回りしてはいないだろうか?どこの拠点にも普段から割と頻繁にやり取りする人が何人かいる。こちらから拠点に出向くことはないので、長年お世話になっているにも関わらず「初めまして」と挨拶することも珍しくない。それどころか、今回の全国行脚では「はじめまして、さようなら」を繰返していた。松山でもそんなやりとりが何回かあった。去ることを告げると「とても残念です」と返ってくるが、お世辞だとしてもそう言っていただけるだけで少しは救われる。
仕事は無事終わった。単に今日の出張が片付いたというのではなく、全国行脚が終わったのでこれで課題だった残件はほぼ消化できたことになる。ということは、これで週明けからすることがほとんどなくなったことを意味する。新しいポジションでのミッションは何なのか、相変わらずはっきりしてこない。これじゃぁたまったものではないので、本腰を入れて就職活動にでも入ろうかと密かに考えて始めていた。とりあえず長丁場の仕事が片付いたので、あれこれ考える前にまずは息抜きをさせてもらおうじゃないか。松山に泊まってもよかったのだが、今日は高松へ移動しておくことに決めていた。行きとは逆のまわり方でJRの駅まで伊予鉄に乗る。んん?山手線でいうと行きと同じ「外回り」になるから、正確には同じまわり方かな??ややこしいが、右回りで一周したことになる。この時間からだと瀬戸内海に出る頃には恐らく日は沈んでいるだろう。高松行きの特急は大きな窓の見晴らしいのいい車両だった。それだけに途中で暗くなって景色が楽しめないのは残念なことだった。四国というと非電化のイメージが強いが、高松行きは電車特急で高速バスとはいいライバル関係なのだろうか。高松駅で外に出ると思いのほか気温は下がっていた。もうそんな季節だったか…。(後日談:高松にも何回か再訪しました。旅日誌はこちらをご覧ください。)
もちろん松山空港は初めてである。松山市街へのバスに乗るため自販機で切符を買う。松山市駅とJR松山駅は離れているが、まずJRの駅まで行ってみる。午後一からの仕事に備え軽く昼食をとっておくことにした。四国は立ち食いであってもうどんが美味しいというが、本当にそうなのだろうか?駅前から伊予鉄の路面電車で訪問先の拠点の近くまで向かうことにする。(後日談:その後、松山には何回か来たことがありますが、通るたびに何かと懐かしく思います。再訪したときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)
いつものように、一通りプレゼンを行い実際にいろいろデモなど行い意見交換をする。ここでもいつものお決まりの質問が飛んできた。「大阪と名古屋はどう思ってる?」これに対してやっぱりいつものように答える。「まず大阪でプロトタイプからβテストまで行いました。既に本番運用に移ってもらってます。細かい課題はまだありますが、おおむね好評ですよ。」営業独特の明るさというか軽い感じのノリはあるが、どこの拠点の方も非常に熱心で本音の部分ではとてもまじめである。当たり前の話だが、第一線で活躍されている方と接するときは本当にこちらも誠意を持って接しなければならないなと現場を回ってみて痛感する。ただ残念なのは、自分はもうこのプロジェクトを去る身であり、いろいろお願いしたり将来について議論したりするのだが空回りしてはいないだろうか?どこの拠点にも普段から割と頻繁にやり取りする人が何人かいる。こちらから拠点に出向くことはないので、長年お世話になっているにも関わらず「初めまして」と挨拶することも珍しくない。それどころか、今回の全国行脚では「はじめまして、さようなら」を繰返していた。松山でもそんなやりとりが何回かあった。去ることを告げると「とても残念です」と返ってくるが、お世辞だとしてもそう言っていただけるだけで少しは救われる。
仕事は無事終わった。単に今日の出張が片付いたというのではなく、全国行脚が終わったのでこれで課題だった残件はほぼ消化できたことになる。ということは、これで週明けからすることがほとんどなくなったことを意味する。新しいポジションでのミッションは何なのか、相変わらずはっきりしてこない。これじゃぁたまったものではないので、本腰を入れて就職活動にでも入ろうかと密かに考えて始めていた。とりあえず長丁場の仕事が片付いたので、あれこれ考える前にまずは息抜きをさせてもらおうじゃないか。松山に泊まってもよかったのだが、今日は高松へ移動しておくことに決めていた。行きとは逆のまわり方でJRの駅まで伊予鉄に乗る。んん?山手線でいうと行きと同じ「外回り」になるから、正確には同じまわり方かな??ややこしいが、右回りで一周したことになる。この時間からだと瀬戸内海に出る頃には恐らく日は沈んでいるだろう。高松行きの特急は大きな窓の見晴らしいのいい車両だった。それだけに途中で暗くなって景色が楽しめないのは残念なことだった。四国というと非電化のイメージが強いが、高松行きは電車特急で高速バスとはいいライバル関係なのだろうか。高松駅で外に出ると思いのほか気温は下がっていた。もうそんな季節だったか…。(後日談:高松にも何回か再訪しました。旅日誌はこちらをご覧ください。)
2日目
今日はまず琴電から攻めていく。簡単に言ってしまえば、星型に3方向へ伸びているので単にそれぞれ3往復しなければならない。だがそれでは面白くないのでできるだけ工夫してみる。まずJRで志度駅まで行き、そこから琴電に入ることにした。琴電の志度駅は古い作りではあったが、とても味のある駅だった。駅撮り(?)を趣とする人にとってはなかなかいい被写体になるのではないだろうか?車両についてはあまり詳しくないので素性まではよく分からないが、すれ違う車両はみなバラエティーに富んでいた。屋島あたりは瀬戸内ののんびりした空気が感じられる。時間に余裕を持って、あらためて回ってみたいものだ。(後日談:意外とこの気持ちは強かったようでしたが、随分後になって再訪することができました。何も知らないで来てみれば、偶然にも屋島ケーブル休止直前とのことで、ちょっと複雑な気分でしたね。旅日誌はこちらをご覧ください。)
瓦町駅付近が繁華街の中心のようだ。ここから長尾線へ乗り換える。こちらは瀬戸内の雰囲気は感じられず、内陸部の平凡な景色が続いた。建設中の高速道路の橋脚にはなんだか違和感を覚える。終点長尾駅でちょっと駅を離れてみた。四国霊場87番目…などといった看板が目をひく。ここから再び中心部へ逆戻りし、高松築港まで戻ってきた。高松城のお堀と石垣がすぐ脇にみえる。瀬戸大橋が完成したが宇高間のフェリーのニーズは依然高いという。時間はかかっても料金が安いこと、長距離ドライバーにとってはちょうどいい休息になることなどから人気は衰えないらしい。今度いつかフェリーも利用してみたい。
次に最後の路線である琴平線を一気に乗り通す。高松で軽くうどんでもと思ったが、琴平行きが出るところだったのですぐに飛び乗った。瓦町までの複線区間は先程通ったばかりだが、そこを過ぎると徐々に寂しくなってきた。さすがにこれで"こんぴらさん"まで行く人はいないだろう。どんどん人数が減っていき、最後は数える程しかいなくなってしまった。遠くにテーマパークのようなものが見えたが、あれがレオマワールドなのだということにしばらく気がつかなかった。こんな山の中にあって経営は成り立つのだろうか?(後日談:結局残念な結果になってしまいましたが、その後再建の動きに向かったと聞いてます。)こんぴらさんをお参りするかどうか悩んだが、今日は先へ進むことにした。(後日談:やっぱりお参りしておくんだったかな…とずーっと思ってましたが、再訪を果たしています。旅日誌はこちらです。)
JRの琴平駅まで少し距離はあったがそのまま歩いてきた。それほど待たずして特急に乗り込む。災害の影響で高知の手前で運転が打ち切られている。そのため土讃本線すべての特急列車は大杉止まりになっていた。復旧には何ヶ月もかかるという。もちろんこの日も代行バスを利用することになったが、JRの事故のおかげで高速バスの知名度が上がったらしい。JRにとっては二重の痛手かもしれない。乗車券は高知から先まで通しで買えたが、特急券は大杉駅までしか買えない。というか、特急はそこで運転を打切るので特急券は不要と言われた。大杉駅は山間の閑静な駅だったが駅前にバスが入れるだけのスペースもあり高速道路のインターも近くにある。短編成とはいえ、ほとんどの人が代行バスに雪崩込み3台のバスは満員になった。急に乗り換えたせいかバスの座席は妙に窮屈に感じる。高知市街へ向けて、高速道路は緩やかな下り坂が続いていた。高知駅前は南国の雰囲気が漂っていた。今夜は高知に泊まる予定だが、まだ明るいのでもう少し先へ行ってみることにした。途切れてしまった土讃本線に再び乗り、普通列車で伊野駅までやってきた。駅前から高知方面へ路面電車が出ているのでそれで戻ることにする。ひらがなで書かれた「いの」や「ごめん」の方向幕は何か奇妙な感じがする。伊野駅前には待合室があり、しばらくそこに座って待つことにした。自分自身田舎というものを持ってないのでうまく表現できないが、こういうのが田舎なのかな?などと勝手に想像する。やがて高知方面へ折り返す電車がやって来た。道路のような専用軌道のような微妙なところがずっと続き、高知市街に戻ってきたときは既に日は暮れていた。乗り継ぎ扱いで桟橋方面まで行き、そのまま折返しで高知駅まで戻ってきた。うわさに聞くはりまや橋は、確かにこれだけ?といった感じだった。今夜はちょっと奮発して何か美味しいものでも食べにいくことにしよう。(後日談:その後、高知を再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)
瓦町駅付近が繁華街の中心のようだ。ここから長尾線へ乗り換える。こちらは瀬戸内の雰囲気は感じられず、内陸部の平凡な景色が続いた。建設中の高速道路の橋脚にはなんだか違和感を覚える。終点長尾駅でちょっと駅を離れてみた。四国霊場87番目…などといった看板が目をひく。ここから再び中心部へ逆戻りし、高松築港まで戻ってきた。高松城のお堀と石垣がすぐ脇にみえる。瀬戸大橋が完成したが宇高間のフェリーのニーズは依然高いという。時間はかかっても料金が安いこと、長距離ドライバーにとってはちょうどいい休息になることなどから人気は衰えないらしい。今度いつかフェリーも利用してみたい。
次に最後の路線である琴平線を一気に乗り通す。高松で軽くうどんでもと思ったが、琴平行きが出るところだったのですぐに飛び乗った。瓦町までの複線区間は先程通ったばかりだが、そこを過ぎると徐々に寂しくなってきた。さすがにこれで"こんぴらさん"まで行く人はいないだろう。どんどん人数が減っていき、最後は数える程しかいなくなってしまった。遠くにテーマパークのようなものが見えたが、あれがレオマワールドなのだということにしばらく気がつかなかった。こんな山の中にあって経営は成り立つのだろうか?(後日談:結局残念な結果になってしまいましたが、その後再建の動きに向かったと聞いてます。)こんぴらさんをお参りするかどうか悩んだが、今日は先へ進むことにした。(後日談:やっぱりお参りしておくんだったかな…とずーっと思ってましたが、再訪を果たしています。旅日誌はこちらです。)
JRの琴平駅まで少し距離はあったがそのまま歩いてきた。それほど待たずして特急に乗り込む。災害の影響で高知の手前で運転が打ち切られている。そのため土讃本線すべての特急列車は大杉止まりになっていた。復旧には何ヶ月もかかるという。もちろんこの日も代行バスを利用することになったが、JRの事故のおかげで高速バスの知名度が上がったらしい。JRにとっては二重の痛手かもしれない。乗車券は高知から先まで通しで買えたが、特急券は大杉駅までしか買えない。というか、特急はそこで運転を打切るので特急券は不要と言われた。大杉駅は山間の閑静な駅だったが駅前にバスが入れるだけのスペースもあり高速道路のインターも近くにある。短編成とはいえ、ほとんどの人が代行バスに雪崩込み3台のバスは満員になった。急に乗り換えたせいかバスの座席は妙に窮屈に感じる。高知市街へ向けて、高速道路は緩やかな下り坂が続いていた。高知駅前は南国の雰囲気が漂っていた。今夜は高知に泊まる予定だが、まだ明るいのでもう少し先へ行ってみることにした。途切れてしまった土讃本線に再び乗り、普通列車で伊野駅までやってきた。駅前から高知方面へ路面電車が出ているのでそれで戻ることにする。ひらがなで書かれた「いの」や「ごめん」の方向幕は何か奇妙な感じがする。伊野駅前には待合室があり、しばらくそこに座って待つことにした。自分自身田舎というものを持ってないのでうまく表現できないが、こういうのが田舎なのかな?などと勝手に想像する。やがて高知方面へ折り返す電車がやって来た。道路のような専用軌道のような微妙なところがずっと続き、高知市街に戻ってきたときは既に日は暮れていた。乗り継ぎ扱いで桟橋方面まで行き、そのまま折返しで高知駅まで戻ってきた。うわさに聞くはりまや橋は、確かにこれだけ?といった感じだった。今夜はちょっと奮発して何か美味しいものでも食べにいくことにしよう。(後日談:その後、高知を再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)
3日目
前にも書いた通り、災害の影響で土讃本線は変則運用を強いられていた。この先の土佐くろしお鉄道も被害者かもしれないが、上りの特急列車は高知で打切りとなり別の名前に変わって下りの便になる。こんな感じじゃ利用する人も少ないのかなと思ったが意外とそんなこともなく、自由席はほぼ埋まっていた。昨日見た風景のあたりを過ぎ、やがて太平洋を大きく望むところへ出てきた。天気がいいせいで日差しが強い。仕方なくカーテンを引くととたんに眠り込んでしまった。乗務員が交代になり土佐くろしお鉄道に入ったことが分かる。確かむかし来たときもそうだったが女性の車掌が乗務していた。そういえばJR四国の改札口でも女性の姿が目立っていたように思う。正社員かどうか分からないが、企業イメージを変えていこうとする意気込みがうかがえる。東や西の規模に比べれば、四国は中小企業に過ぎないが、地道な企業努力にはエールを送りたい。中村からは未乗だったので一応延長区間も乗り通しておくことにした。田んぼと林ばかりの田舎みちを高架とトンネルで一直線に貫く。典型的な某公団の作品とでも言うべきか。(後日談:中村に再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
終点の宿毛からは宇和島方面のバスに乗り継ぐことにしていた。少々身勝手な言い方だが、四国のとんでもない外れまでやって来たなと感じる。宿毛駅はまだ新しい駅で、風景に馴染んでないような気がした。駅前のロータリーでバスを待つが、本当にバスがやってくるのか不安に思うほど寂しいところだった。ようやくやってきたバスはどちらかというの年季の入ったもので、シート間隔はとても狭かった。アップダウンあり海岸線ありと変化のあるところが続いた。途中で某社の工場の存在に気がついた。大事なお客さんなので名前はよく知っていたが、こんなところあったのかと少々びっくりした。ずっと海岸沿いにでも進むのかと思ったら、集落があるところに入ったり、バイパスの国道から外れたりもする。路線バスではよくあることだ。
宇和島駅へ来たのは2度目になるだろうか。すっかりきれいになってしまい、おまけに隣接した立派な建物もあってか、以前来たときとは雰囲気がまったく違う。ここから列車の旅を再開するが、次に乗る列車が出るまでには少し時間があるので昼飯ついでにその辺をうろうろしてみた。何気に立ち寄った本屋で何か入った袋をもらった。中をみると綺麗な包み紙にくるまれたチョコレートが数個入っていた。立ち読みをしただけだったのに、ありがとうございましたと挨拶まで付いてきて少々恐縮する。今日はこのまま松山まで戻ることにしている。ただ戻るだけでは何なので、前々から景色のよさを噂で聞いた予讃線の旧線まわりで未乗区間を経由することにしていた。通ったことのない区間はそこだけなので、前後特急でショートカットしようかと思ったが、結局は松山行きの次の普通列車でしか時間が合わないので思い切ってこいつ1本で乗切ることにした。とはいえ、レールバスタイプのロングシートの単行は少々覚悟がいる。こいつに延々乗るのは普通では考えられないが、普通じゃないので別に構わない。(笑) 時間が違えば普通のボックスシートの車両もあるのだが、、、
外の景色を見るのには適さないが、のんびりと行くのもそれはそれで"アリ"だった。広い海、みかんの段々畑、何も考えず無心にただボーっと眺めてるだけで時間は過ぎていった。上下交換待ちなど長時間停車することもあったが、トイレがないのでちょうどよい休憩なのかもしれない。乗客はほんのわずかだったので、この車両でも十分まかなえるのだろう。伊予大洲を出てから急カーブを右に折れ旧線に入る。いくつかある急カーブが、以前は車両の制限など障壁になっていたという。時間短縮のためにも優等列車は内子線経由で山側をショートカットしているが、こちらはより海沿いのルートなので景色は比べものにならないほど素晴らしい。徐々乗客も増え、松山に到着するころには満員になっていた。ぐるっと四国を一周して松山に戻ってきた。さすがにくたびれたな、というのが正直な感想だった。
終点の宿毛からは宇和島方面のバスに乗り継ぐことにしていた。少々身勝手な言い方だが、四国のとんでもない外れまでやって来たなと感じる。宿毛駅はまだ新しい駅で、風景に馴染んでないような気がした。駅前のロータリーでバスを待つが、本当にバスがやってくるのか不安に思うほど寂しいところだった。ようやくやってきたバスはどちらかというの年季の入ったもので、シート間隔はとても狭かった。アップダウンあり海岸線ありと変化のあるところが続いた。途中で某社の工場の存在に気がついた。大事なお客さんなので名前はよく知っていたが、こんなところあったのかと少々びっくりした。ずっと海岸沿いにでも進むのかと思ったら、集落があるところに入ったり、バイパスの国道から外れたりもする。路線バスではよくあることだ。
宇和島駅へ来たのは2度目になるだろうか。すっかりきれいになってしまい、おまけに隣接した立派な建物もあってか、以前来たときとは雰囲気がまったく違う。ここから列車の旅を再開するが、次に乗る列車が出るまでには少し時間があるので昼飯ついでにその辺をうろうろしてみた。何気に立ち寄った本屋で何か入った袋をもらった。中をみると綺麗な包み紙にくるまれたチョコレートが数個入っていた。立ち読みをしただけだったのに、ありがとうございましたと挨拶まで付いてきて少々恐縮する。今日はこのまま松山まで戻ることにしている。ただ戻るだけでは何なので、前々から景色のよさを噂で聞いた予讃線の旧線まわりで未乗区間を経由することにしていた。通ったことのない区間はそこだけなので、前後特急でショートカットしようかと思ったが、結局は松山行きの次の普通列車でしか時間が合わないので思い切ってこいつ1本で乗切ることにした。とはいえ、レールバスタイプのロングシートの単行は少々覚悟がいる。こいつに延々乗るのは普通では考えられないが、普通じゃないので別に構わない。(笑) 時間が違えば普通のボックスシートの車両もあるのだが、、、
外の景色を見るのには適さないが、のんびりと行くのもそれはそれで"アリ"だった。広い海、みかんの段々畑、何も考えず無心にただボーっと眺めてるだけで時間は過ぎていった。上下交換待ちなど長時間停車することもあったが、トイレがないのでちょうどよい休憩なのかもしれない。乗客はほんのわずかだったので、この車両でも十分まかなえるのだろう。伊予大洲を出てから急カーブを右に折れ旧線に入る。いくつかある急カーブが、以前は車両の制限など障壁になっていたという。時間短縮のためにも優等列車は内子線経由で山側をショートカットしているが、こちらはより海沿いのルートなので景色は比べものにならないほど素晴らしい。徐々乗客も増え、松山に到着するころには満員になっていた。ぐるっと四国を一周して松山に戻ってきた。さすがにくたびれたな、というのが正直な感想だった。
4日目
今日も天気はよさそうだ。最後の締めくくりにふさわしい。荷物を松山市駅のコインロッカーに預け身軽になった。松山から入って四国をぐるっとまわって最後に松山市街を…というのも効率が悪そうに思えたが、スケジュールをざっと組んでみたところ意外にもこのパターンがしっくりきていた。
伊予鉄道は松山の中心部を巡る路面電車=市内線と、郊外の3方向へ延びる郊外線とで大きく分けられている。先に郊外線を端から攻めていく。伊予鉄のプリカを記念品代わりに購入し早速使うことにする。まずは横河原を往復して松山市に戻り、あらためて南下する。終点の郡中港駅はJRの伊予市駅に程近いところにあるのでそこからはJRで松山駅へ戻ってきた。少し距離があるが大手町駅まで歩き、北へ延びる郊外線の高浜線に乗り換える。駅のところで市内線の路面電車と郊外線とが平面交差している。この配線は珍しいかもしれない。(よね?誰か教えて!)道幅の広い国道バイパスやJRの路線を立体交差で乗り越える。新参者は諸先輩方に敬意を表して道を譲り、上をまたぐしきたりがあると聞いたが、はたしてそうなのか?終点の高浜は松山観光港に接続するような形でここから航路が続く。とりあえず今回は引換えすことにするが、消防車が何台か止まっていて野次馬らしき群集もいたので火事でもあったのだろうか?一旦途中で降りてJRの三津浜駅へ歩くことも可能のようだったが、JRの方の本数が少ないのでやめておく。終点の松山市駅まで戻ってきて郊外線は完乗となった。
市内線は初日にぐるっと一周していたのでそこは省略し、まずは道後温泉へ行ってみることにした。もう少し余裕があれば温泉に浸かってもよかったが、今回はパスにしておく。駅近辺の温泉街はお土産屋などがところ狭しと軒を連ねている。目的などなくこういう華やかなところをいろいろ見てまわるのは楽しい。ちょうど正午になり、からくり時計のデモンストレーションを見物することができた。観光客ばかりが取り囲んでいる。昼食に四国最後のうどんを食べる。どこで食べても四国のうどんはハズレが少ない。食後のデザートにかわいいミカンがちょこんとついていた。愛媛らしい演出とでも言っておこう。最後に残った1系統を乗り通し、これで伊予鉄道はまわり切ったことになる。
まだまだ時間に余裕があるが、飛行機の予約も取れているので安心してられる。前々から目をつけていた松山城へ登ってみることにした。乗り継ぎ券をもらい民家の軒下のようなところをもう少し移動し、適当なところで降りてみた。松山城は小高い丘の頂上に位置しロープウェイで上まで登ることができる。少し歩いてみてロープウェイ乗り場はすぐに見つかった。山の上といっても台地のようなところで、城の敷地はとても広い。土産屋や休憩所が数多く並び、3連休ということもあって多くの観光客が押し寄せていた。当然ここまで来たのだから城の中も見学させてもらうことにする。狭い階段を上り天守閣の一番高いところまでやってきた。天気がよく気温も上がっていたので天晴れ、爽快!ってな感じだった。遠く海の方から内陸の道後温泉の方まで何も遮るものはないので、見晴らしは最高だった。一方で、どんなに考えてみても今日は帰らなければならないという現実は揺るがない。ふと我に返り寂寥感を覚える。何十分くらいいたか分からないが、後ろ髪を引かれつつこの絶景を後にする。(後日談:松山に再訪したときの旅日誌はこちら、あるいはこちらをご覧ください。)
ロープウェイを下ってきてそれからどうしようかと思ったが、空港行きのバスが出ている松山市駅にまっすぐ向かうことにした。それより何より、コインロッカーに預けた荷物をピックアップしなければならない。大街道は松山一番の繁華街だろう。ここでも人々の喧騒の中をゆっくりと歩く。やがて駅にたどり着き荷物を取り出したが、道後温泉で買ったお土産の分だけ大荷物になってしまった。空港行きのバスが止まっていたが1本やり過ごし次の車で座っていくことにした。バスはわりと頻繁に出ているので、そんなに待つことはなかった。そそくさと乗り込み荷物を抱え込むようにして座席に着く。バスの横では市内線が入れ替わり立ち代り忙しそうに回転している。長丁場だった全国行脚もこれで本当に終わりとなった。無事終わってよかったなとホッとする一方でとても寂しいものを感じた。正直、気持ちよく成し遂げたという達成感はあまり感じてない。割り切って次に何をすべきなのか考えていこうと思う。(余談:実は当時いた職場を去ろうと踏ん切りをつけたのは、発車を待つバスに座って横の路面電車を眺めてたまさにこの瞬間でした…。)
路面電車と並行しながらバスはJRの駅を経由して空港へ向かっていた。「福岡行きの飛行機に間に合うかしら?」脇に立ってる人の会話が聞こえてくる。「上ったらと思ったらすぐ下りちゃうけど、陸続きじゃないし船も考えられないから、、、」なるほどそうなのか。(感心してどうする?)空港についても何もすることはなかったのでチェックイン機を通しておくことにする。冷やかし半分で空き座席の状況を見たら見事なまでに埋まっていた。なぜか後方に1ヶ所空き席があるのでそこを取ってみた。東京、大阪へのキャンセル待ちの案内がひっきりなしにアナウンスされていたが、今日はとんでもなく混んでいるらしい。手荷物の検査窓口も大渋滞を起こしていた。こんなひどい混み様はゴールデンウィークか盆暮れくらいだと話してる人もいた。自分だけかもしれないが、ひとりでいると他人の会話が耳に入ってきて妙なことを覚えていることがある。「松山のお酒といえば梅錦、これが一番!」というのはなぜか強烈に覚えている。
松山を発ち東京に着く頃はすっかり暗くなっていた。おかしな場所で飛行機が止まったなと思ったら、そのままタラップで降ろされた。まだバスで移動するパターンがあるのか、、、東京湾から吹きつける海風はとても冷たく感じた。
伊予鉄道は松山の中心部を巡る路面電車=市内線と、郊外の3方向へ延びる郊外線とで大きく分けられている。先に郊外線を端から攻めていく。伊予鉄のプリカを記念品代わりに購入し早速使うことにする。まずは横河原を往復して松山市に戻り、あらためて南下する。終点の郡中港駅はJRの伊予市駅に程近いところにあるのでそこからはJRで松山駅へ戻ってきた。少し距離があるが大手町駅まで歩き、北へ延びる郊外線の高浜線に乗り換える。駅のところで市内線の路面電車と郊外線とが平面交差している。この配線は珍しいかもしれない。(よね?誰か教えて!)道幅の広い国道バイパスやJRの路線を立体交差で乗り越える。新参者は諸先輩方に敬意を表して道を譲り、上をまたぐしきたりがあると聞いたが、はたしてそうなのか?終点の高浜は松山観光港に接続するような形でここから航路が続く。とりあえず今回は引換えすことにするが、消防車が何台か止まっていて野次馬らしき群集もいたので火事でもあったのだろうか?一旦途中で降りてJRの三津浜駅へ歩くことも可能のようだったが、JRの方の本数が少ないのでやめておく。終点の松山市駅まで戻ってきて郊外線は完乗となった。
市内線は初日にぐるっと一周していたのでそこは省略し、まずは道後温泉へ行ってみることにした。もう少し余裕があれば温泉に浸かってもよかったが、今回はパスにしておく。駅近辺の温泉街はお土産屋などがところ狭しと軒を連ねている。目的などなくこういう華やかなところをいろいろ見てまわるのは楽しい。ちょうど正午になり、からくり時計のデモンストレーションを見物することができた。観光客ばかりが取り囲んでいる。昼食に四国最後のうどんを食べる。どこで食べても四国のうどんはハズレが少ない。食後のデザートにかわいいミカンがちょこんとついていた。愛媛らしい演出とでも言っておこう。最後に残った1系統を乗り通し、これで伊予鉄道はまわり切ったことになる。
まだまだ時間に余裕があるが、飛行機の予約も取れているので安心してられる。前々から目をつけていた松山城へ登ってみることにした。乗り継ぎ券をもらい民家の軒下のようなところをもう少し移動し、適当なところで降りてみた。松山城は小高い丘の頂上に位置しロープウェイで上まで登ることができる。少し歩いてみてロープウェイ乗り場はすぐに見つかった。山の上といっても台地のようなところで、城の敷地はとても広い。土産屋や休憩所が数多く並び、3連休ということもあって多くの観光客が押し寄せていた。当然ここまで来たのだから城の中も見学させてもらうことにする。狭い階段を上り天守閣の一番高いところまでやってきた。天気がよく気温も上がっていたので天晴れ、爽快!ってな感じだった。遠く海の方から内陸の道後温泉の方まで何も遮るものはないので、見晴らしは最高だった。一方で、どんなに考えてみても今日は帰らなければならないという現実は揺るがない。ふと我に返り寂寥感を覚える。何十分くらいいたか分からないが、後ろ髪を引かれつつこの絶景を後にする。(後日談:松山に再訪したときの旅日誌はこちら、あるいはこちらをご覧ください。)
ロープウェイを下ってきてそれからどうしようかと思ったが、空港行きのバスが出ている松山市駅にまっすぐ向かうことにした。それより何より、コインロッカーに預けた荷物をピックアップしなければならない。大街道は松山一番の繁華街だろう。ここでも人々の喧騒の中をゆっくりと歩く。やがて駅にたどり着き荷物を取り出したが、道後温泉で買ったお土産の分だけ大荷物になってしまった。空港行きのバスが止まっていたが1本やり過ごし次の車で座っていくことにした。バスはわりと頻繁に出ているので、そんなに待つことはなかった。そそくさと乗り込み荷物を抱え込むようにして座席に着く。バスの横では市内線が入れ替わり立ち代り忙しそうに回転している。長丁場だった全国行脚もこれで本当に終わりとなった。無事終わってよかったなとホッとする一方でとても寂しいものを感じた。正直、気持ちよく成し遂げたという達成感はあまり感じてない。割り切って次に何をすべきなのか考えていこうと思う。(余談:実は当時いた職場を去ろうと踏ん切りをつけたのは、発車を待つバスに座って横の路面電車を眺めてたまさにこの瞬間でした…。)
路面電車と並行しながらバスはJRの駅を経由して空港へ向かっていた。「福岡行きの飛行機に間に合うかしら?」脇に立ってる人の会話が聞こえてくる。「上ったらと思ったらすぐ下りちゃうけど、陸続きじゃないし船も考えられないから、、、」なるほどそうなのか。(感心してどうする?)空港についても何もすることはなかったのでチェックイン機を通しておくことにする。冷やかし半分で空き座席の状況を見たら見事なまでに埋まっていた。なぜか後方に1ヶ所空き席があるのでそこを取ってみた。東京、大阪へのキャンセル待ちの案内がひっきりなしにアナウンスされていたが、今日はとんでもなく混んでいるらしい。手荷物の検査窓口も大渋滞を起こしていた。こんなひどい混み様はゴールデンウィークか盆暮れくらいだと話してる人もいた。自分だけかもしれないが、ひとりでいると他人の会話が耳に入ってきて妙なことを覚えていることがある。「松山のお酒といえば梅錦、これが一番!」というのはなぜか強烈に覚えている。
松山を発ち東京に着く頃はすっかり暗くなっていた。おかしな場所で飛行機が止まったなと思ったら、そのままタラップで降ろされた。まだバスで移動するパターンがあるのか、、、東京湾から吹きつける海風はとても冷たく感じた。