■旅日誌
[1999/3] 九州前の小旅行
(記:2003/1/26 改:2010/12/31)
(記:2003/1/26 改:2010/12/31)

折角のまとまった休みなので長期滞在でどこかに行くことを考え、北海道と九州でどちらにするかで迷った挙句とりあえず九州を攻めることにした。これで「北海道」は最後に美味しいとこをとっておく形になったしまったかもしれない。九州に決めたのはいいのだが、なんとなく休みの後半にプランしてしまったので、どうもその前に間延びした感じがして、じゃぁということでこれまで意外と空白のように思えた中京圏へ出向くことにした。
0日目
人によって受取り方は違うかもしれないが「大垣夜行」という響きには何かセンチメンタルなものを感じてしまう。いつからか、この大垣夜行も座席指定制になりムーンライトながらなんてお洒落な名前が付けられていた。ただ名前が変わっただけでなく特急クラスの車両も投入され、明らかにサービスのグレードアップの意思が感じられる。恐らく夜行バスを意識してのことだろうが、東名阪といういわば日本の屋台骨なだけに、その移動手段にはいろいろなバリエーションがあっていいと思う。理屈っぽい言い方になってしまったが、要はムーンライトながらに乗ったことがなかったので、いつか1回くらいは乗っておきたいと思っていただけのことである。(後日談:このときは思いも寄りませんでしたが、そのムーンライトながらは2009年3月臨時列車に降格となってしまいました。なお救済臨に乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
といってもこの人気列車の指定券は、時期によってはプラチナチケットになる。途中から自由席区間へ割込むという手はあるが、小細工に頼るような面倒なことはしたくない。休みを取る期間は随分前から狙いを定めていたので首尾よく指定を確保するよう努めていた。全国行脚が終わった後は、仕事の方も完全に堤防決壊状態(謎)だったので、何の抵抗感もなく休みをばばーーんと1週間も取ってしまっていたのだ。会社を辞める決心で就職活動を行っていたのは事実だったが、完全に会社を辞めるわけではないが年度明けからは、運良く(後日談:後で思えば運悪くだったかも?)今の職場を離れ次の働き先へ赴任することも決まっていたので、気分はとても晴れ晴れしていた。実はこの日の昼間も残り少なくなった残件整理をしていた。う~~ん、何の話してるんだっけ???
といってもこの人気列車の指定券は、時期によってはプラチナチケットになる。途中から自由席区間へ割込むという手はあるが、小細工に頼るような面倒なことはしたくない。休みを取る期間は随分前から狙いを定めていたので首尾よく指定を確保するよう努めていた。全国行脚が終わった後は、仕事の方も完全に堤防決壊状態(謎)だったので、何の抵抗感もなく休みをばばーーんと1週間も取ってしまっていたのだ。会社を辞める決心で就職活動を行っていたのは事実だったが、完全に会社を辞めるわけではないが年度明けからは、運良く(後日談:後で思えば運悪くだったかも?)今の職場を離れ次の働き先へ赴任することも決まっていたので、気分はとても晴れ晴れしていた。実はこの日の昼間も残り少なくなった残件整理をしていた。う~~ん、何の話してるんだっけ???
1日目
確かに4人向かい合わせの固定ボックスシートに比べれば、このシートの方がはるかに楽だった。だが、熟睡ができるか?と言われればそうでもないが、この気だるさこそが夜行に乗ってきた実感とも言えよう。(なに、違うって?)で、何しに名古屋まで来たのかあまり真剣には考えていなかったが、廃止のうわさがあるところをただ単に行ってみようと思っていた。とりあえず今回取れた1週間の休暇は九州へ行くためのものであって、思わず手を出したムーンライトながらはほんの前菜程度と考えていた。
何かと中京圏は変わり者文化のように言われる。道路と鉄道の幹線が同じ橋を共用するというのは奇妙としか言いようがないが、犬山のあの橋も長い歴史にピリオドを打ち、分割されることが決まったという。まずは思いつき程度で瀬戸線の大曽根で降りて上飯田駅まで歩いてみた。地下鉄の工事を行っていたが、完成すれば交通事情は随分かわるだろう。長い距離歩いたので、おかげで目が覚めた。(笑) 小腹がすいたので軽く食料を調達し小牧線を北上し犬山を目指す。日本一の大赤字線と名高い(?)桃花台新交通に乗ってもよかったが、ついつい見逃してしまった。当たり前なのだが、あまり計画を立てないでいるとこういう見逃しは避けられない。犬山駅で乗り継ぎ、まず最初の目的地である犬山橋を渡ることにする。実際通ってみてやっぱり不思議な感じはした。ここは1日中見てても飽きないという人もいるが、歩き疲れていたので途中下車するのは止めにした。そのまま新岐阜まで乗り通す。
ここへ来る直前に気がついたが、岐阜は名鉄が路面電車として中心部から郊外へ路線を延ばしている。美濃町線と呼ばれる路線の終点の手前数駅区間が近々廃止されるとのことで、今回様子を見にきてみた。市内の繁華街を抜けるといわゆる田舎の風景と変わり、なかなか風情のある雰囲気が伝わってくる。日本一の車メーカーのお膝元に近いだけあって自動車はバンバン走っているが、日本の原風景のようなものを感じた。名鉄の車両も小振りで可愛いもので風景にマッチしている。途中、関駅で後続の列車に乗り換え終点美濃町を目指す。関から美濃町までは岐阜長良川鉄道が並行しており、転換路線として代用がきくため廃止になったと聞いた。ただ、途中駅の間隔が合わないため、いくつか駅を新設をしてつじつまを合わせるような処置もとられるという。各方面の苦しい立場というものが見えてくる。終点の美濃町は古きよき時代を思わせるつくりで、密かに人気があることも納得できた。廃止間近とあって多くの人の訪問を受けていた。
ここからまた岐阜の中心を抜けて別の方向へ行ってみることにする。美濃町が廃止されるなら、こっちも廃止されるのではないかと思っていた。(後日談:残念ながら末端部分は廃止され、その後も岐阜市内線の大粛清が行われてしまいました。)来た道をとりあえず徹明町まで戻り、あらためて黒野行きの電車に乗る。こちらもしばらくは路面電車の様相で橋を渡ったりするところはなかなか絵になっていた。途中から専用路線区間に入りやがて黒野までやってきた。一応ここまではわりと頻繁に往復しているようだ。黒野から先は比べものにならないほど便数が減り、谷汲と揖斐の両方を単に往復するだけで2時間くらいかかってしまう計算だった。もちろん、どちらも距離的にはそんなにない。最初に谷汲まで行ってみることにした。ここでも年季ものの小振りの車両が活躍している。川の向こう岸には樽見鉄道が走っているのが見えた。終点の谷汲もまた風情のある古さを感じさせる駅だった。再び黒野に戻り、本揖斐行きの列車を待つことにする。谷汲行きと同じ車両が既に入っていが、発車まで何十分も待つことになった。岐阜方面へは何本も出ているのに、こちらはひたすら発車を待たなければならない。やがてこちら側も揖斐へ向けて発車した。走り出してしまえば、そんなに時間もかからず本揖斐駅まで来てしまった。夜行でやってきてそのまま乗りつぶしに突入し、まったく地理的な知識のないところを行き来し、おまけに途中で何十分もボーっと発車の時間を待ったりしていたため、すっかり時間の感覚が麻痺していた。気がつけばお昼はとうに回っていた。どおりでお腹も減るわけで、どこかコンビニでもないかと思ったが全くそんな雰囲気はない。ここから近鉄養老線の揖斐駅までバスが出ていたのは記憶にあったが、次の便の時刻を確認すると1時間ほど待ち時間がある。余計お腹も減ってきたように思い、近くのスーパーで何でもいいから食料を買い込み時間を潰すことを考える。
ようやく揖斐行きのバスがやってきた。川を渡る橋の位置関係から、ある程度迂回しないと目的地へは行けないようだ。もしかしたら1時間もあれば歩き通せたかもしれないが、ここは無計画に歩き出さなくて正解だと思った。近鉄養老線にも乗る機会はまったくなかったので、今回はいいチャンスだったかもしれない。揖斐駅はどん詰まりとも言える駅で、ここから大垣方面の列車に乗る。今日お世話になった名鉄の車両があまりにも印象深いものだったため、近代的な近鉄車両はとても味気なく感じた。今日の宿は金山に決めていたので大垣から東海道線を使ってしまえばすぐについてしまう。ちょっと遠回りかもしれないが、さらに養老線を乗り通して近鉄経由で名古屋に戻ることにした。同じ養老線という名前はついているが、大垣を境に別の線区のようになる。こちらは山あいの風景が続いていた。桑名に着いたときはすっかり日も落ちており、夜行の疲れも手伝ってぐったり来ていた。
何かと中京圏は変わり者文化のように言われる。道路と鉄道の幹線が同じ橋を共用するというのは奇妙としか言いようがないが、犬山のあの橋も長い歴史にピリオドを打ち、分割されることが決まったという。まずは思いつき程度で瀬戸線の大曽根で降りて上飯田駅まで歩いてみた。地下鉄の工事を行っていたが、完成すれば交通事情は随分かわるだろう。長い距離歩いたので、おかげで目が覚めた。(笑) 小腹がすいたので軽く食料を調達し小牧線を北上し犬山を目指す。日本一の大赤字線と名高い(?)桃花台新交通に乗ってもよかったが、ついつい見逃してしまった。当たり前なのだが、あまり計画を立てないでいるとこういう見逃しは避けられない。犬山駅で乗り継ぎ、まず最初の目的地である犬山橋を渡ることにする。実際通ってみてやっぱり不思議な感じはした。ここは1日中見てても飽きないという人もいるが、歩き疲れていたので途中下車するのは止めにした。そのまま新岐阜まで乗り通す。
ここへ来る直前に気がついたが、岐阜は名鉄が路面電車として中心部から郊外へ路線を延ばしている。美濃町線と呼ばれる路線の終点の手前数駅区間が近々廃止されるとのことで、今回様子を見にきてみた。市内の繁華街を抜けるといわゆる田舎の風景と変わり、なかなか風情のある雰囲気が伝わってくる。日本一の車メーカーのお膝元に近いだけあって自動車はバンバン走っているが、日本の原風景のようなものを感じた。名鉄の車両も小振りで可愛いもので風景にマッチしている。途中、関駅で後続の列車に乗り換え終点美濃町を目指す。関から美濃町までは岐阜長良川鉄道が並行しており、転換路線として代用がきくため廃止になったと聞いた。ただ、途中駅の間隔が合わないため、いくつか駅を新設をしてつじつまを合わせるような処置もとられるという。各方面の苦しい立場というものが見えてくる。終点の美濃町は古きよき時代を思わせるつくりで、密かに人気があることも納得できた。廃止間近とあって多くの人の訪問を受けていた。
ここからまた岐阜の中心を抜けて別の方向へ行ってみることにする。美濃町が廃止されるなら、こっちも廃止されるのではないかと思っていた。(後日談:残念ながら末端部分は廃止され、その後も岐阜市内線の大粛清が行われてしまいました。)来た道をとりあえず徹明町まで戻り、あらためて黒野行きの電車に乗る。こちらもしばらくは路面電車の様相で橋を渡ったりするところはなかなか絵になっていた。途中から専用路線区間に入りやがて黒野までやってきた。一応ここまではわりと頻繁に往復しているようだ。黒野から先は比べものにならないほど便数が減り、谷汲と揖斐の両方を単に往復するだけで2時間くらいかかってしまう計算だった。もちろん、どちらも距離的にはそんなにない。最初に谷汲まで行ってみることにした。ここでも年季ものの小振りの車両が活躍している。川の向こう岸には樽見鉄道が走っているのが見えた。終点の谷汲もまた風情のある古さを感じさせる駅だった。再び黒野に戻り、本揖斐行きの列車を待つことにする。谷汲行きと同じ車両が既に入っていが、発車まで何十分も待つことになった。岐阜方面へは何本も出ているのに、こちらはひたすら発車を待たなければならない。やがてこちら側も揖斐へ向けて発車した。走り出してしまえば、そんなに時間もかからず本揖斐駅まで来てしまった。夜行でやってきてそのまま乗りつぶしに突入し、まったく地理的な知識のないところを行き来し、おまけに途中で何十分もボーっと発車の時間を待ったりしていたため、すっかり時間の感覚が麻痺していた。気がつけばお昼はとうに回っていた。どおりでお腹も減るわけで、どこかコンビニでもないかと思ったが全くそんな雰囲気はない。ここから近鉄養老線の揖斐駅までバスが出ていたのは記憶にあったが、次の便の時刻を確認すると1時間ほど待ち時間がある。余計お腹も減ってきたように思い、近くのスーパーで何でもいいから食料を買い込み時間を潰すことを考える。
ようやく揖斐行きのバスがやってきた。川を渡る橋の位置関係から、ある程度迂回しないと目的地へは行けないようだ。もしかしたら1時間もあれば歩き通せたかもしれないが、ここは無計画に歩き出さなくて正解だと思った。近鉄養老線にも乗る機会はまったくなかったので、今回はいいチャンスだったかもしれない。揖斐駅はどん詰まりとも言える駅で、ここから大垣方面の列車に乗る。今日お世話になった名鉄の車両があまりにも印象深いものだったため、近代的な近鉄車両はとても味気なく感じた。今日の宿は金山に決めていたので大垣から東海道線を使ってしまえばすぐについてしまう。ちょっと遠回りかもしれないが、さらに養老線を乗り通して近鉄経由で名古屋に戻ることにした。同じ養老線という名前はついているが、大垣を境に別の線区のようになる。こちらは山あいの風景が続いていた。桑名に着いたときはすっかり日も落ちており、夜行の疲れも手伝ってぐったり来ていた。
2日目
気分は晴れ晴れしていたが、この日は朝から春の嵐だった。普段の行いが悪いせいだろうか、雨だけでなく強い風が吹き荒れている。今日の予定は昨日以上に何も考えていなかった。とりあえず名鉄に直通する地下鉄からスタートして豊田の近辺をかすめてみることにする。豊田市駅など高架に位置する駅は風通りがよすぎる程だった。ラッシュアワーを避けるために、ちょっと遅めのスタートにしていたので人の姿は少ない。知立で三河線を乗り継いでいこうと思ったのだが、思いのほか列車の本数が少ないようで西尾まわりで蒲郡まで行くことにした。スタートが遅すぎたかな?西尾駅で運行形態が変わるため乗り換えとなる。雨はそれほど強くないみたいだが、ここも高架の駅だったため激しく風が通り抜けていた。吉良吉田で三河線の気動車と接続するが、やっぱりあっちまわりの方が変化があって楽しかっただろうか?遠くに海を眺めながら蒲郡駅までやってきた。
ここ1、2年くらいで、折をみて東海道沿いにある小規模な私鉄を攻めてきていたが、ひとつ残していたところがあったので今回ついでにまわってみることにした。蒲郡から豊橋で1本乗り継いでまずは新所原で降りる。天竜浜名湖鉄道で西鹿島へまわって遠州鉄道をまわってみようと思っている。この時間の東海道線はギャンブラーなおっさんたちに占領されており、春休みを利用して旅行中の学生相手にさかんにからんでいた。そういえば、この辺はその手の施設が多い。蒲郡駅で天竜浜名湖鉄道の時刻を確認しておいたが、新所原では乗り継げないと思っていた列車に間に合ってしまった。東海道線の迂回路として国鉄二俣線が設置されたと聞いたことがあるが、その役割も微妙になって最終的には第三セクターに転換されてしまった。天浜線には昔来たことがあったが、裏浜名湖の景色はとても素晴らしかったことを記憶している。乗り換え時間がもう少しあれば弁当でも買って雰囲気にひたっておきたかった。
西鹿島での遠州鉄道への乗り換えも慌しかった。芸術的とも言われる12分ヘッドのダイヤは知っていたので1本落とせばよかったのだが、周囲が走っていたのでつられて勢いで飛び乗っていた。浜名湖の風景に比べれば素晴らしい眺めなどというものではなかったが、沿線に根付いた存在であることは何となく感じ取れた。終点の新浜松付近は高架になっており、いつも新幹線から見ているあの高い建物を別の方角から見ることになった。風は多少弱くなっていたが、まだ雨はしっかり降っていた。昼飯の機会を逸していたので新幹線で何か食べることに決める。旅先だろうが食事はしっかりとること、これは基本だ。(笑) 雨が強かったので屋根のないところは自ずと避けていた。面倒なのでデパ地下のようなところをウロウロしていたら、うなぎを売っていたので何も考えずに買ってしまう。浜松だから地のものだという裏づけはまったくないが、まぁ別にどうでもいい。早くメシにしよう。
この時間帯には浜松と新横浜の両方に止まるひかりはないので、こだまを待つことになる。そのためのぞみやら何やらバンバン通過していく。浜松駅は緩やかなカーブになっているせいか、とても迫力があった。中にいると感じないが、とんでもない物に乗っているのだなと感心してしまう。やがて列車が入ってきた。昼飯探しに迷ってんなければひとつ前の0系の便に乗れてたかもしれない。100系が入り始めたころなどは"ハズレ"とまで言われた旧型車両も東海道から姿を消そうとしている。(後日談:その100系もついに姿を消してしまいました。これも時代でしょうか…。ちなみに、山陽新幹線の0系引退のときの旅日誌はこちらをご覧ください。)マイノリティーも希少価値となれば珍重され、少々矛盾も感じる。そんなことを思いながら産地のわからないうなぎの弁当を開けてみた。ほのかに暖かい感じが残っていてちょっと嬉しかった。やはり自分は貧乏性なのだろう。
ここ1、2年くらいで、折をみて東海道沿いにある小規模な私鉄を攻めてきていたが、ひとつ残していたところがあったので今回ついでにまわってみることにした。蒲郡から豊橋で1本乗り継いでまずは新所原で降りる。天竜浜名湖鉄道で西鹿島へまわって遠州鉄道をまわってみようと思っている。この時間の東海道線はギャンブラーなおっさんたちに占領されており、春休みを利用して旅行中の学生相手にさかんにからんでいた。そういえば、この辺はその手の施設が多い。蒲郡駅で天竜浜名湖鉄道の時刻を確認しておいたが、新所原では乗り継げないと思っていた列車に間に合ってしまった。東海道線の迂回路として国鉄二俣線が設置されたと聞いたことがあるが、その役割も微妙になって最終的には第三セクターに転換されてしまった。天浜線には昔来たことがあったが、裏浜名湖の景色はとても素晴らしかったことを記憶している。乗り換え時間がもう少しあれば弁当でも買って雰囲気にひたっておきたかった。
西鹿島での遠州鉄道への乗り換えも慌しかった。芸術的とも言われる12分ヘッドのダイヤは知っていたので1本落とせばよかったのだが、周囲が走っていたのでつられて勢いで飛び乗っていた。浜名湖の風景に比べれば素晴らしい眺めなどというものではなかったが、沿線に根付いた存在であることは何となく感じ取れた。終点の新浜松付近は高架になっており、いつも新幹線から見ているあの高い建物を別の方角から見ることになった。風は多少弱くなっていたが、まだ雨はしっかり降っていた。昼飯の機会を逸していたので新幹線で何か食べることに決める。旅先だろうが食事はしっかりとること、これは基本だ。(笑) 雨が強かったので屋根のないところは自ずと避けていた。面倒なのでデパ地下のようなところをウロウロしていたら、うなぎを売っていたので何も考えずに買ってしまう。浜松だから地のものだという裏づけはまったくないが、まぁ別にどうでもいい。早くメシにしよう。
この時間帯には浜松と新横浜の両方に止まるひかりはないので、こだまを待つことになる。そのためのぞみやら何やらバンバン通過していく。浜松駅は緩やかなカーブになっているせいか、とても迫力があった。中にいると感じないが、とんでもない物に乗っているのだなと感心してしまう。やがて列車が入ってきた。昼飯探しに迷ってんなければひとつ前の0系の便に乗れてたかもしれない。100系が入り始めたころなどは"ハズレ"とまで言われた旧型車両も東海道から姿を消そうとしている。(後日談:その100系もついに姿を消してしまいました。これも時代でしょうか…。ちなみに、山陽新幹線の0系引退のときの旅日誌はこちらをご覧ください。)マイノリティーも希少価値となれば珍重され、少々矛盾も感じる。そんなことを思いながら産地のわからないうなぎの弁当を開けてみた。ほのかに暖かい感じが残っていてちょっと嬉しかった。やはり自分は貧乏性なのだろう。