■旅日誌
[1998/3] 東日本大まわり
(記:2003/3/19 改:2011/1/3)
(記:2003/3/19 改:2011/1/3)

あまり乗り得ではないのですが、JR東日本の3日間フリーを購入して攻めあぐねてたところをまわってきました。特に岩泉線はノドの奥にひっかかった魚の小骨のようなもので苦戦が予想されましたが、この機会に足をのばすことにしました。なぜか行きは長野新幹線で帰りは山形新幹線というおかしなルートです。
1日目
今回の大まわりも無意識のうちに乗りつぶしのためのルート取りになっていた。長野新幹線というものも開通してから初めて乗り通すことになる。年度も押し迫ったこの時期に休暇をとる余裕はあるのか?とよく言われるが、逆に年度で切り捨てになる有給休暇が何十日もあるので、意地になって1日だけでも消化してやろうというのが実は本音だったりする。まぁそれはともかく、今回の旅の始まりは普段の土曜日の朝のことだった。
東京駅で長野行新幹線を待つことにする。いまどき"長野行き…"などと呼ぶ人もいない。既成事実としてこの新幹線は長野新幹線の名で通っている。山陽新幹線だって世の中的には大阪から先を何となくそう呼んでいるし、何も山陽新幹線が東京から出てなければならない理由はどこにもないし、だからといって不自然だとも思わない。それと同じで、本当に北陸まで延びたときにその先を北陸新幹線と呼べばいいと思うのだが、何をそんなにこだわっているのかちょっと不思議である。そんなことはどうでもよくて、早速入線した真新しい車両に乗り込んだ。過密ダイヤなのですぐに発車となるが、あまりにも静かだったので動き出した瞬間が分からなかった。埼京線との並行区間を抜け大宮を出るとグングンとスピードを上げる。ここまで来てようやく新幹線の加速を感じとれることになる。高崎の先でちょっと話題になった高速分岐ポイントを抜けて軽井沢方面へ折れる。ああ、これか…といった感じたところで峠の釜飯を売りに来た。確かに車内での販売には不向きのようだった。豪快にトンネルを突っ切り勾配をグイグイと登っていく。弾丸列車の中にいてはまったくそのようなことは感じない。旧碓氷峠越えのことを考えるとまさに力でねじ伏せたようなものかもしれない。トンネルを過ぎればあっという間に軽井沢に出てしまう。減速して流す距離がしばらく続いての入線になるが、まだまだ余裕綽々といったところをアピールしてるようにも思えた。速達タイプの便だったこともあり、こんなに早く長野に着いていいものか不思議な感じもしてきた。
大抵の場合、優等列車の乗り継ぎは都合のいいようにできているので、長野でバタバタと慌しく在来線の接続列車に乗り換えなければならない。新幹線に接続をとる信越線のリレー快速はつい先日まで特急として第一線で活躍していた車両だった。側面にもASAMAの文字が読取れる。普通列車なので座席のカバーは取り外されてしまっており、余計不自然さを感じる。まずは座席を確保し、数分の乗り換え時間ギリギリのところでお昼のための弁当を購入した。選んでいる余裕などまったくなかったので、自分でもどんなものを買ったのか分からなかったが、フタを明けると中には押し寿司のようなものが並んでいた。味は悪くはないのだが、あまりにも律儀に詰められていたのでとても食べづらい。失礼だが、これは企画倒れの部類に属してないかい??だからといって別に気を悪くするものでもない。そんなこんな勝手に思いを馳せながら列車に揺られたくて、こうして出掛けてきたわけだ。妙高高原など全国的に名の通ったところが沿線には多く、確かにこの路線の景色は素晴らしい。新幹線でスピードを求めるのも分からないではないが、勾配がきつい箇所をこのくらいの速さで走り、流れる車窓を眺めるのもいいと思う。終点の直江津に到着しこれで日本海側へ出てきたことになる。
直江津駅は全面的な立替え工事をしていた。駅舎はプレハブの仮のもののようである。どこが待合室だかもよく分からず、とても狭苦しく営業していた。これまで順調過ぎるくらいのペースで来れてしまって、ここで一気に乗り継ぎが悪くなる。今日は秋田まで抜けたいのがだが、それこそ新潟から東京まで新幹線で戻り、東北新幹線で北上しても結果的には違わないのではないかと思う。もちろんそんなことはしないが、とりあえず犀潟まで往復することにした。ほくほく線は犀潟駅で分岐しているが、駅自体はとてもこじんまりとしており、いかにも田舎の駅といった様相である。犀潟からの戻りはちょうどほくほく線の車両に当たり電Go!ゲームを思い出さずにはいられない。(笑) 再び直江津まで戻ってきたが、まだ乗り継ぎには時間があった。徐々に人が動き出すような雰囲気なってきたので、できるだけ列の先頭の方に並ぶようにする。今度は長距離の移動になるのでここで弁当を買っておくことにした。ちょうどホームで立ち売りしていたこともあり、またもや慌しく購入することになってしまった。
今度の列車は特急白鳥になる。説明するまでもないが昼間の在来特急としては最長の距離を走り抜けるやつだ。これまでも、白鳥には何回かお世話になったが、もちろん全区間乗通すようなことはできるわけもない。今回も途中だけだが、それでも十分長距離乗り通すことになる。(後日談:ご承知の通り、残念ながら白鳥号はこの形での運用から引退することになりました。思えばこれが乗り納めだったわけです。)自由席は思ったより混雑しており、列の先頭に並べたおかげで席が確保できた。が、直江津から乗った人はほとんどが立っている。新潟に到着したところで大きく客の入替えがあった。ここで進行方向が逆になり、いま座ってた席がこんどは海側になる。この時間帯だと日本海に沈む夕陽が眺められるかもしれない。
白新線から羽越本線に入り、しばらく日本海に近いところを北上する。春の日本海は荒れるでもなく遠目にはとても穏やかに見えた。だが夏の表情とも違って、まだ寒々とした雰囲気が漂っていた。ここからは閑散としたところが多くなり、明らかに降りる人の方が乗ってくる人の数よりも多い。当然、車内にいる乗客の数は減ってくるのだが、夕方になって徐々に暗くなると余計寂しく感じてくる。時折見える日本海に夕陽は沈んでいった。以前鶴岡に来たことがあったが、すっかり暗くなっていたため車窓の風景はあまりよく分からない。頃合を見計らって直江津で買った弁当に手をつけることにした。長野同様、自分が何を買ったか覚えてなかったが焼き魚弁当と書いてある。折を解くと、中には輪切りになった鮭が中心に鎮座している。かなりのサイズでほどよく脂がのっている。意外とこれが美味で、これまた予想外と言っては失礼だがこんなに質の高い弁当を何気に売っていたのかと今になって感謝したくなった。
秋田に到着するとすっかり夜になっていた。外へ出ても人影はまばらだった。予約を入れた宿まで歩いて向かうことにする。しばらく進むと、外人が何やら話し掛けてくる。怪しさ100点満点だ。(笑) 宗教を信じるか?って言われても、この世に信じられるものなんてあるのか、逆に聞き返したくなった。無駄な議論などしたくはないので、地元の人間じゃないよ、自分はYOKOHAMA CITYから来たんだよ!とこちらもわけの分からんことを言い残しその場を立ち去った。結局、駅から宿に着くまでにすれ違った人間はあの外人だけであった。
東京駅で長野行新幹線を待つことにする。いまどき"長野行き…"などと呼ぶ人もいない。既成事実としてこの新幹線は長野新幹線の名で通っている。山陽新幹線だって世の中的には大阪から先を何となくそう呼んでいるし、何も山陽新幹線が東京から出てなければならない理由はどこにもないし、だからといって不自然だとも思わない。それと同じで、本当に北陸まで延びたときにその先を北陸新幹線と呼べばいいと思うのだが、何をそんなにこだわっているのかちょっと不思議である。そんなことはどうでもよくて、早速入線した真新しい車両に乗り込んだ。過密ダイヤなのですぐに発車となるが、あまりにも静かだったので動き出した瞬間が分からなかった。埼京線との並行区間を抜け大宮を出るとグングンとスピードを上げる。ここまで来てようやく新幹線の加速を感じとれることになる。高崎の先でちょっと話題になった高速分岐ポイントを抜けて軽井沢方面へ折れる。ああ、これか…といった感じたところで峠の釜飯を売りに来た。確かに車内での販売には不向きのようだった。豪快にトンネルを突っ切り勾配をグイグイと登っていく。弾丸列車の中にいてはまったくそのようなことは感じない。旧碓氷峠越えのことを考えるとまさに力でねじ伏せたようなものかもしれない。トンネルを過ぎればあっという間に軽井沢に出てしまう。減速して流す距離がしばらく続いての入線になるが、まだまだ余裕綽々といったところをアピールしてるようにも思えた。速達タイプの便だったこともあり、こんなに早く長野に着いていいものか不思議な感じもしてきた。
大抵の場合、優等列車の乗り継ぎは都合のいいようにできているので、長野でバタバタと慌しく在来線の接続列車に乗り換えなければならない。新幹線に接続をとる信越線のリレー快速はつい先日まで特急として第一線で活躍していた車両だった。側面にもASAMAの文字が読取れる。普通列車なので座席のカバーは取り外されてしまっており、余計不自然さを感じる。まずは座席を確保し、数分の乗り換え時間ギリギリのところでお昼のための弁当を購入した。選んでいる余裕などまったくなかったので、自分でもどんなものを買ったのか分からなかったが、フタを明けると中には押し寿司のようなものが並んでいた。味は悪くはないのだが、あまりにも律儀に詰められていたのでとても食べづらい。失礼だが、これは企画倒れの部類に属してないかい??だからといって別に気を悪くするものでもない。そんなこんな勝手に思いを馳せながら列車に揺られたくて、こうして出掛けてきたわけだ。妙高高原など全国的に名の通ったところが沿線には多く、確かにこの路線の景色は素晴らしい。新幹線でスピードを求めるのも分からないではないが、勾配がきつい箇所をこのくらいの速さで走り、流れる車窓を眺めるのもいいと思う。終点の直江津に到着しこれで日本海側へ出てきたことになる。
直江津駅は全面的な立替え工事をしていた。駅舎はプレハブの仮のもののようである。どこが待合室だかもよく分からず、とても狭苦しく営業していた。これまで順調過ぎるくらいのペースで来れてしまって、ここで一気に乗り継ぎが悪くなる。今日は秋田まで抜けたいのがだが、それこそ新潟から東京まで新幹線で戻り、東北新幹線で北上しても結果的には違わないのではないかと思う。もちろんそんなことはしないが、とりあえず犀潟まで往復することにした。ほくほく線は犀潟駅で分岐しているが、駅自体はとてもこじんまりとしており、いかにも田舎の駅といった様相である。犀潟からの戻りはちょうどほくほく線の車両に当たり電Go!ゲームを思い出さずにはいられない。(笑) 再び直江津まで戻ってきたが、まだ乗り継ぎには時間があった。徐々に人が動き出すような雰囲気なってきたので、できるだけ列の先頭の方に並ぶようにする。今度は長距離の移動になるのでここで弁当を買っておくことにした。ちょうどホームで立ち売りしていたこともあり、またもや慌しく購入することになってしまった。
今度の列車は特急白鳥になる。説明するまでもないが昼間の在来特急としては最長の距離を走り抜けるやつだ。これまでも、白鳥には何回かお世話になったが、もちろん全区間乗通すようなことはできるわけもない。今回も途中だけだが、それでも十分長距離乗り通すことになる。(後日談:ご承知の通り、残念ながら白鳥号はこの形での運用から引退することになりました。思えばこれが乗り納めだったわけです。)自由席は思ったより混雑しており、列の先頭に並べたおかげで席が確保できた。が、直江津から乗った人はほとんどが立っている。新潟に到着したところで大きく客の入替えがあった。ここで進行方向が逆になり、いま座ってた席がこんどは海側になる。この時間帯だと日本海に沈む夕陽が眺められるかもしれない。
白新線から羽越本線に入り、しばらく日本海に近いところを北上する。春の日本海は荒れるでもなく遠目にはとても穏やかに見えた。だが夏の表情とも違って、まだ寒々とした雰囲気が漂っていた。ここからは閑散としたところが多くなり、明らかに降りる人の方が乗ってくる人の数よりも多い。当然、車内にいる乗客の数は減ってくるのだが、夕方になって徐々に暗くなると余計寂しく感じてくる。時折見える日本海に夕陽は沈んでいった。以前鶴岡に来たことがあったが、すっかり暗くなっていたため車窓の風景はあまりよく分からない。頃合を見計らって直江津で買った弁当に手をつけることにした。長野同様、自分が何を買ったか覚えてなかったが焼き魚弁当と書いてある。折を解くと、中には輪切りになった鮭が中心に鎮座している。かなりのサイズでほどよく脂がのっている。意外とこれが美味で、これまた予想外と言っては失礼だがこんなに質の高い弁当を何気に売っていたのかと今になって感謝したくなった。
秋田に到着するとすっかり夜になっていた。外へ出ても人影はまばらだった。予約を入れた宿まで歩いて向かうことにする。しばらく進むと、外人が何やら話し掛けてくる。怪しさ100点満点だ。(笑) 宗教を信じるか?って言われても、この世に信じられるものなんてあるのか、逆に聞き返したくなった。無駄な議論などしたくはないので、地元の人間じゃないよ、自分はYOKOHAMA CITYから来たんだよ!とこちらもわけの分からんことを言い残しその場を立ち去った。結局、駅から宿に着くまでにすれ違った人間はあの外人だけであった。
2日目
日本海を北上してきておきながら、なぜか今日は太平洋側に向かって未乗路線をひとつ片付けることにしていた。岩泉線はなかなか手強いやつで、こいつにターゲットを絞ろうとするととにかく1日費やさなければならない。東京から来ようが、盛岡から始めようが、丸1日あてないと済みそうもなく、秋田からスタートしてもそれは同じことだった。ということで、まずはこまちで盛岡へ出ることにする。いわゆる"在来線"の区間は不思議と距離が短く感じられるが、盛岡へ出て山田線を待つことにした。岩泉線の沿線にでも宿をとらない限り、午前中比較的早い時間に盛岡にいても再びここへ舞い戻れるのは夜遅い時間になっている。山田線自体も本数がとても少なく、より一層条件をシビアにしている。まぁそこは腹をくくってこなして行こうではないか。(笑) 何はともあれ、お昼前に宮古に着くことはないので、種類が豊富で有名なここ盛岡駅で弁当を買込み途中車内でそれにありつくことを考える。それにしても毎度のことながら弁当を選ぼうとしても目移りしてしまう。
午後のこれまた中途半端な時間に宮古に着いてしまったが、次の岩泉線は夕方近くに宮古から直通で出ることになっている。それまで宮古の町なかをぶらぶらしてみることにした。ちょっと遅めのお昼という手もあったが、食べれるときに食べておく、というのは守っておいた。それともうひとつ、ちょっとでも迷ったら次の食事は調達できるときにしておくべし!というのもあって、宮古で食料を調達しておくことにした。さて、いよいよ岩泉線の便を待つことにする。やってきたのはもちろんキハ単行で、しばらく宮古に留まったのち、岩泉へ向けて出発する。茂市までは山田線の戸籍だが、宮古側からまっすぐ敷かれた線路を見るとどっちが本線だが勘違いしても不思議ではない。茂市では盛岡からくる便を待ち合わせるために、しばらく停まっていた。ということで、盛岡からもっと遅い時間に向かったとしてもこいつに間に合うわけでもある。ともかく定刻に茂市を発って岩泉線に入った。徐々に人里離れたところに分け入って行く。噂どおり、秘境度の高い駅が続く。乗り降りする客はいないにも関わらず律儀に各駅に立ち寄りながら進む。この季節だからさほど感じることもないが、雪深い時期だったらどうなるのだろうか。終点の岩泉は割と立派な駅だったが、無人駅で閑散としていた。このまま1時間後に折り返しで茂市に向かうことになる。時間がうまくいけばもちろん龍泉洞など行ってみたいと思うのだが、運行形体がこんな形ではどうしようもない。山間を進んでいくため日暮れは早く、茂市へ戻ったときにはすっかり暗くなっていた。(後日談:岩泉線を再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
静寂の中列車を待つ。ここから山田線で盛岡へ引き返す。山の中はもちろん街灯などなく、真っ暗な闇の中をキハはエンジンをうならせながら先へ進むのであった。やはり食べ物を前もって買っておいて正解のようだった。食事をすませ、それでも何もすることがないので帯同していた雑誌を読みはじめた。めぼしいところはすぐに読み通してしまい、あたりを見回してもやっぱり暗闇だけなので、もうしばらく退屈な時間を過ごすことになった。当初この日の宿は盛岡にとろうかと考えていたが、日曜の夜だけこんな時間に盛岡から東京を目指す新幹線が設定されていたのでこいつで仙台までいくことにした。(後日談:なぜこんな便が設定されていたのかは、いまとなっては謎というべきでしょうか?)仙台に降り立ったときは深夜のとんでもない時間のように思えたが、まだ10時だった。やはり東京に比べちゃいけないのかな??
午後のこれまた中途半端な時間に宮古に着いてしまったが、次の岩泉線は夕方近くに宮古から直通で出ることになっている。それまで宮古の町なかをぶらぶらしてみることにした。ちょっと遅めのお昼という手もあったが、食べれるときに食べておく、というのは守っておいた。それともうひとつ、ちょっとでも迷ったら次の食事は調達できるときにしておくべし!というのもあって、宮古で食料を調達しておくことにした。さて、いよいよ岩泉線の便を待つことにする。やってきたのはもちろんキハ単行で、しばらく宮古に留まったのち、岩泉へ向けて出発する。茂市までは山田線の戸籍だが、宮古側からまっすぐ敷かれた線路を見るとどっちが本線だが勘違いしても不思議ではない。茂市では盛岡からくる便を待ち合わせるために、しばらく停まっていた。ということで、盛岡からもっと遅い時間に向かったとしてもこいつに間に合うわけでもある。ともかく定刻に茂市を発って岩泉線に入った。徐々に人里離れたところに分け入って行く。噂どおり、秘境度の高い駅が続く。乗り降りする客はいないにも関わらず律儀に各駅に立ち寄りながら進む。この季節だからさほど感じることもないが、雪深い時期だったらどうなるのだろうか。終点の岩泉は割と立派な駅だったが、無人駅で閑散としていた。このまま1時間後に折り返しで茂市に向かうことになる。時間がうまくいけばもちろん龍泉洞など行ってみたいと思うのだが、運行形体がこんな形ではどうしようもない。山間を進んでいくため日暮れは早く、茂市へ戻ったときにはすっかり暗くなっていた。(後日談:岩泉線を再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
静寂の中列車を待つ。ここから山田線で盛岡へ引き返す。山の中はもちろん街灯などなく、真っ暗な闇の中をキハはエンジンをうならせながら先へ進むのであった。やはり食べ物を前もって買っておいて正解のようだった。食事をすませ、それでも何もすることがないので帯同していた雑誌を読みはじめた。めぼしいところはすぐに読み通してしまい、あたりを見回してもやっぱり暗闇だけなので、もうしばらく退屈な時間を過ごすことになった。当初この日の宿は盛岡にとろうかと考えていたが、日曜の夜だけこんな時間に盛岡から東京を目指す新幹線が設定されていたのでこいつで仙台までいくことにした。(後日談:なぜこんな便が設定されていたのかは、いまとなっては謎というべきでしょうか?)仙台に降り立ったときは深夜のとんでもない時間のように思えたが、まだ10時だった。やはり東京に比べちゃいけないのかな??
3日目
今日で東北地方の未乗路線を制覇することになる。どうしても到達難易度が高いところが残ってしまったようだ。今日は普通の月曜日であり、ここ仙台も都会の朝の通勤風景である。やはりこういうときの休暇モードは優越感を感じる。(後日談:随分レベルの低い優越感だこと…)わりとゆっくりとスタートし、そこらで朝食をとることにした。せわしない空気の中、自分ひとりのんびりしてるのもそれはそれで居心地がよろしくない。
表口とはまるで雰囲気の違うところに仙石線のホームはひっそりとたたずんでいる。(後日談:地下化が完成しましたので、いまではすっかり様子も変わってしまいました。)何回かここへは来たことがあるが、かつては都会の第一線で活躍していたであろう車両が集結している。何か異質なものを感じる。仙石線の快速でまずは一直線に石巻を目指す。途中、松島の近くで東北本線と交差する箇所があるが、かつては違う会社線だったであろうことはすぐに分かる。そういえば、通過するばかりで松島に訪れた記憶はない。"国電のお古"の車窓は太平洋のパノラマが続き、1時間ほどで石巻へ到着した。降りていく人、通学で学校へ向かう人、石巻線へ乗り換える人、みなそれぞれの目的地を目指して改札の方向へ歩いていた。(後日談:あらためて松島へやって来る機会がありました。旅日誌はこちらをご覧ください。)
ここ石巻から女川までのわずかな区間が未乗部分だった。どこかへ抜ける通り道でもないし、もちろん用事などあるはずがないので来たことがないのは当り前と言えば当り前だ。座席が間引かれた車両に乗り込み、しばらくの間発車を待っていた。この先は海が陸地に入り組んだような箇所が多く、どういう用途で使われたのか分からないがホタテにの貝殻がそこらじゅうに積み上げられていた。何万年もすれば遺跡として発掘されるのであろうか?終点の女川駅は、海に面してどんずまった町にある。外へ出てみて岸壁沿いをしばらく散策し、折り返しの便で来た通りのルートで仙台駅まで戻った。風光明媚とはいえ、同じような景色ばかりだとちょっと飽きも感じてきていた。これで目的は果たしたが、まだ時間に余裕があるのでお気に入りのルートで帰京することにしている。
仙台-山形間はだいたい列車で1時間ほどの距離のところにあるが、蔵王をはさんで山の西と東に隔てられている。直線距離ではたいしたことはないが、山越えになるのでそうたやすく行き来することもできないようだ。すでにお気づきの方がいるかもしれないが、山形好きな自分にとっては仙山線のルートはお気に入りのひとつでもある。ということで、今回は少し余裕もあったので山形を経由して帰京することにしていた。平日昼間ではあったが仙山線は意外に込んでいて、座席はほぼ埋まっておりワンボックス占有というようなことはできなかった。面白山高原を抜け、山寺を右手に見ながらやがて山形の市街に入ってくる。山形新幹線は乗り継ぎの列車とタイミングがいいとかえって混雑度が増してしまうので、ちょっと間が空いたくらいが都合いいことは知っていた。この仙山線の快速からの乗り換えもタイミングはいい方なのでやはり新幹線の自由席は混雑してしまった。それにしても、3日間のフリー切符を手にした人が多く、月曜日の昼間だというのにこんなに混雑しているのは少なからず影響しているのだろうか。(後日談:あらためて山寺を訪問したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
赤湯駅の北側のぱぁっと広がった風景が一番のお気に入りで、ここを通るたびに来てよかったなと感じることが多い。米沢-福島間の難所越えもそうだし、山形新幹線の車窓は見所が多く飽きさせることがない。わずかばかりの3日間の旅だったが、のんびりできて来てよかったなとあらためて思っていた。
表口とはまるで雰囲気の違うところに仙石線のホームはひっそりとたたずんでいる。(後日談:地下化が完成しましたので、いまではすっかり様子も変わってしまいました。)何回かここへは来たことがあるが、かつては都会の第一線で活躍していたであろう車両が集結している。何か異質なものを感じる。仙石線の快速でまずは一直線に石巻を目指す。途中、松島の近くで東北本線と交差する箇所があるが、かつては違う会社線だったであろうことはすぐに分かる。そういえば、通過するばかりで松島に訪れた記憶はない。"国電のお古"の車窓は太平洋のパノラマが続き、1時間ほどで石巻へ到着した。降りていく人、通学で学校へ向かう人、石巻線へ乗り換える人、みなそれぞれの目的地を目指して改札の方向へ歩いていた。(後日談:あらためて松島へやって来る機会がありました。旅日誌はこちらをご覧ください。)
ここ石巻から女川までのわずかな区間が未乗部分だった。どこかへ抜ける通り道でもないし、もちろん用事などあるはずがないので来たことがないのは当り前と言えば当り前だ。座席が間引かれた車両に乗り込み、しばらくの間発車を待っていた。この先は海が陸地に入り組んだような箇所が多く、どういう用途で使われたのか分からないがホタテにの貝殻がそこらじゅうに積み上げられていた。何万年もすれば遺跡として発掘されるのであろうか?終点の女川駅は、海に面してどんずまった町にある。外へ出てみて岸壁沿いをしばらく散策し、折り返しの便で来た通りのルートで仙台駅まで戻った。風光明媚とはいえ、同じような景色ばかりだとちょっと飽きも感じてきていた。これで目的は果たしたが、まだ時間に余裕があるのでお気に入りのルートで帰京することにしている。
仙台-山形間はだいたい列車で1時間ほどの距離のところにあるが、蔵王をはさんで山の西と東に隔てられている。直線距離ではたいしたことはないが、山越えになるのでそうたやすく行き来することもできないようだ。すでにお気づきの方がいるかもしれないが、山形好きな自分にとっては仙山線のルートはお気に入りのひとつでもある。ということで、今回は少し余裕もあったので山形を経由して帰京することにしていた。平日昼間ではあったが仙山線は意外に込んでいて、座席はほぼ埋まっておりワンボックス占有というようなことはできなかった。面白山高原を抜け、山寺を右手に見ながらやがて山形の市街に入ってくる。山形新幹線は乗り継ぎの列車とタイミングがいいとかえって混雑度が増してしまうので、ちょっと間が空いたくらいが都合いいことは知っていた。この仙山線の快速からの乗り換えもタイミングはいい方なのでやはり新幹線の自由席は混雑してしまった。それにしても、3日間のフリー切符を手にした人が多く、月曜日の昼間だというのにこんなに混雑しているのは少なからず影響しているのだろうか。(後日談:あらためて山寺を訪問したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
赤湯駅の北側のぱぁっと広がった風景が一番のお気に入りで、ここを通るたびに来てよかったなと感じることが多い。米沢-福島間の難所越えもそうだし、山形新幹線の車窓は見所が多く飽きさせることがない。わずかばかりの3日間の旅だったが、のんびりできて来てよかったなとあらためて思っていた。