■旅日誌
[1997/4] 季節外れの大雪
(記:2003/4/28 版:2022/1/3)<
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東北地方はついこの間も行ったばかりなのですが、出張ついでにぐるっとまわってくることにしました。特に今回は下北交通を目指して北の果てへ向かいました。ところが、都会からきたよそ者を跳ね除けるかのように、思わぬところで季節はずれの大雪に見舞われました。
 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
山形
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
山形、奥羽本線/こまくさ、大曲、角館、秋田内陸縦貫鉄道、鷹巣、青森、八戸
無事山形でのお仕事を終え、久々にもらった休暇を絡めて東北地方の未開の路線をぐるっとまわってくることを考えていた。昨日から曇よりとした空模様が続いており、東北地方のこのあたりではまだまだ冬の感じがしていた。先月は春を感じていたというのに皮肉なものだ。ちょうど自分がいる山形市の中心部の上空だけ雲が切れていたようだが、天気予報によるとあちこち雪の予報が出ている。今日も寒々として冷え切った1日だった。関東地方は桜の盛りは過ぎてしまったが、こちらはこれからといったところである。
朝一のこまくさで北へ向かう。もちろんこんな時間なので新幹線の接続はないが、予想以上に利用客がいる。(後日談:当時の山形新幹線の終点は山形で、その先は在来特急が接続するような運用でした。その後、延伸区間の旅日誌はこちらをご覧ください。)山形を出るときはそうでもなかったが、ひと駅ひと駅停車するたびに乗り込んでくる人で席はどんどん埋まっていく。どの辺まできたか分からないが、平らな地形から山間の風景に変わったあたりから外は冷たい雨が降り出していた。朝早かったのでちょっとボーっとしていたが、どうも列車が動いていない気がする。単なる上下交換かなとも思ったが、まがいなりにも特急なのでこんなに長い間動かないのも変だ。そのうち、未明に保守車両がトラブルを起こして、その影響でダイヤが乱れてるとのアナウンスがあった。何本か間引き運転をしながらこの特急を走らせているらしい。この先どれくらいあるのか分からないが、大曲までこの特急が各駅に停まって普通列車の救済をとるとのこと。まぁ大変…。
律儀に停車を繰返してきたが、駅間も長くスカスカのようなところだったので20分程度の遅れで大曲に着くこととなった。最初は余裕があったので一旦秋田へ出てこまちで折り返す予定でいたが、おかげで大曲でギリギリの接続となった。とりあえずこいつに間に合ったのでこの先のスケジュールへは影響しない。角館でひと息入れて少々時間を潰す。桜で有名なところだと聞いていたが、まだ一足早いようで硬いつぼみしか確認できない。角館からは秋田内陸縦貫鉄道を乗り通すことにしている。今度の便には急行の肩書きがついており、ちょっとしたサロンのようなスペースもある。ただ、利用する客は少なく寂しい感じがした。秋田内陸縦貫鉄道はいうまでもなく三セク転換路線だが、北側と南側で盲腸線だったところを1本につなげ開通に至った路線で最後に残った真ん中らへんに長大なトンネルがある。いかにも秋田美人を感じさせる車掌さんが、時折そんなことを案内していた。阿仁合の山越えは本当に熊が出てきても不思議でないようなところだったが、やはり採算性を考えると複雑なものを感じる。鷹巣について、ふと携帯を見ると着信履歴が上がっている。圏外のところにでもいたのだろうか、未応答を認識したようでメッセージが表示されていた。(後日談:角館に再訪したときの様子はこちらをご覧ください。)
鷹巣ではそんなに待たされずにいなほに乗り継ぐことができたが、駅で待ってる間はとても4月とは思えないほど寒かった。青森駅で東北線に乗り換えるのだが、風も強く自由席を待つ人も皆たまらず待合室に避難している。気がつけば横殴りの雪が舞い出していた。函館からのはつかりは何事もなかったかのように定刻通りにやって来た。一斉に乗り換えが起こり席に着いてようやく落ち着いた感じがした。今日は八戸に宿をとってあったのでもう少し東に移動することになる。
八戸線に乗り継ぎ、本八戸で降りて市街中心部まで歩く。前回、ここへは来たばかりなので距離感はある程度つかめている。役場の前を通ると新幹線誘致の看板やら何やら立っている。本当に八戸に新幹線が来るのだろうか?(後日談:無事と言っていいかどうか分かりませんが、盛岡から八戸、新青森までフル規格で伸張されましたね。その後、延伸区間の旅日誌はこちらこちら、そしてこちらをご覧ください。)賑やかなところまで来ると、夕陽もさして来て寒さも若干和らいだような感じがした。明日は晴れるといいな、と正直に思った。
 3日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
野辺地、大湊線、下北交通、大畑、大湊、青森、盛岡、花巻、北上
朝起きてみると、晴れるといいな…どころではなく、願い叶わずあたり一面が雪に覆われていた。空からは湿ったボタ雪が降り続いている。春先の雪は東京でみるようなベタベタした感じの雪で、気温は低くとても歩きづらい。本八戸駅までタクシーに乗ろうか迷ったが、その場の勢いで歩き始めてしまった。へぇこらしながら駅についてしばらくしていると、徐々に雪の方は弱まってきて八戸線に乗ったときには既に止んでいた。もう少し早いか遅いかすれば…といってもどうしようもない。青森県といってもいま現在の行政区分がそうなってるだけで、歴史的なことを考えると地方による文化の違いがあるという。県庁所在地よりも八戸市の方が規模が大きいとも聞くが、東北線の八戸駅はその八戸市の中心からまったく外れたところにある。次のはつかりを待っていると、15~20分の遅れが出ているとのアナウンスがあった。八戸駅の周辺は雪の様子はなかったが、北西寄りの風が吹きつけていて、いつ雪が降ってきても不思議でないほど寒かった。やがて、前面に雪の残骸を貼りつけたまま函館行きの特急が入ってきた。今日はこれから下北半島を北上してみるつもりだが、果たして列車は動いてくれてるのだろうか?はつかりは回復運転を試みるも、大きく時間を挽回するのは到底無理なことで、三沢を過ぎたあたりから本格的な雪模様となり、あっという間に吹雪の中に入ってしまった。野辺地についても雪は降り続いている。雪に慣れてないせいか、えらいこっちゃと思っていたが、もう少し後続を待って大湊線は出るという知らせがあった。あちこちの遅れが影響してかどうかわからないが、車内は満員である。仕方ないので運転席の裏の「かぶりつき席」で前方の景色でも眺めていくことにする。やがて青森発の下りの普通列車と接続をはかって大湊行きの快速は発車となった。こちらも15分程度の遅れが出ていたようだが、なぜか運転手は張り切ってるようにも見える。大雪だったのは野辺地駅のほんの近くだけで、ウソのように雪はなくなっていた。ますます元気づいたか、運ちゃんの回復運転にも力が入る。決してよろしいとはいえない路盤の上を105キロ超ですっ飛ばしていく。線形は完璧に頭に入っているのだろうか、コーナー攻めの減速もちょろいもんよ!と言わんばかりにこなしている。そうこうして下北駅に着いたときには、定刻に近いところまで回復していた。ここは迫力のある走りに感謝しておこう。
ここで、今回の目的のひとつでもある下北交通に乗り換える。ホームは隣り合っているのだが、柵で完全に仕切られてしまって、ホームの端っこでしか乗り換えができない。駅員が立って慌しく乗り換え客をさばいていた。転換後、大湊線との間のレールも剥がされてしまったようだ。相当使い古されたキハは寂しげに乗り換え客を待っていた。外観だけでなく木張りのアコモも年季を感じさせる。下北駅を南向きに発車しくるっと北向きに進行方向を変えた。ゆっさゆっさと進んでいくスピード感が何ともローカルな気分にさせてくれた。よそ者だからそんな勝手なことを言ってられるのかもしれないが、ご多分に漏れず経営状況は楽なものではなく、いつ廃止されても仕方のないことろまで追い込まれていると聞いたことがある。本州最北端を走る列車は、何もかもが物悲しいものだった。やがて海の見えるところまでやってきて終点の大畑駅に着いた。(後日談:残念ながらここも廃止されてしまいましたね。ただ、何かのTV番組で見たのですが(ダーツの旅だったかな??)番組が突然訪ねていって、大畑駅跡で客待ちしていたタクシーの運ちゃんに話し掛けると昔大畑線の運転手だったとかで、何年振りかでキハに灯を入れ少しだけ構内を動かしたシーンには思わず感動してしまいました。)
折り返しの便までしばらく時間があるので、大畑駅を離れてそこらをぶらっと歩きまわってみることにした。ここも最果てという印象のする風景が続いている。ちょうどお昼どきだったので何でもいいから食料を調達し、駅に戻って食事にした。(後日談:何年か後に車で大間まで行く機会がありました。東京からのロングランでしたが、そのときに大畑はまだ最果てではなかったことがよく分かりました。ついでに…そのまた何年後かに大間に行く機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)アイドリングも切られていたようだったが、あらためてエンジンが掛け直された。もうしばらくここでのんびりしていたが、わずかばかりの客のための出札が始まり先程と同じキハに乗り込む。わずか1、2時間の滞在だったが、少々感傷的な気分にさせられてしまった。
もうあとは南下するしかないのだが、大湊まで行っても同じ折り返しの便になるので1駅ではあるが往復することにする。そういえば、転換前の大畑線は大湊駅が始発駅だったと思う。釜臥山の姿を背後に見ながら、さらに南下してきた。以前乗ったときもそうだったが、キハ単行の車内はとても混雑していた。時折右手に見える海の景色は冬のような様相で白波が立っている。野辺地に到着したときは、朝の大雪はウソのようにおさまっていたが気温はまだ低いようだ。進行方向が変わり本線に乗り入れて青森を目指す。さすがに高規格の路線だけあって快調に飛ばす。快速列車というわけか、途中停車する駅でどんどん人が乗り込んでくる。結果、車内はますます混んでしまっていた。
今日は青森県からやや南下しておく予定なのでわざわざ野辺地から青森駅まで出なくてもいいのだが、乗り換えに余裕があったのでちょっと遠回りをすることにした。ここでつかまえるはつかりは、昨日と同じ筋で函館からやってくる。弱々しいが日差しがわずかに差し込んできて、昨日のような横殴りの雪は降ってきそうにない。入線してきたリニューアル車両は、あとで何気なく筋を確認したら今朝八戸から野辺地までお世話になったやつだった。別に計算したわけではないが奇遇である。朝は気がつかなかったが、うわさ通り更新車の乗り心地は随分と改善されていた。おかげで盛岡までの所要時間も短く思えてしまうから不思議だ。今日は北上まで移動する。結局到着時刻は同じになってしまうのだが、盛岡で花巻線へ向かう急行に乗り継げるので花巻までこいつで行くことに決める。だんだんグレードダウンして最後は評判のよろしくないあの普通列車で北上入りすることになった。
 4日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
北上線、横手、秋田、男鹿線、男鹿、秋田新幹線
昨日、一昨日のことを考えると寒いという程のものでもないが、弱い雨が降っていて清々しい気分とはいかなかった。今日はまず北上線で秋田へ抜けることにする。初めて北上線に乗ったときは、乗り継ぎのタイミングをミスってしまい印象も薄く、いい記憶が残っていない。車窓からは錦秋湖なども見えて景色がいいはずなのだが、なぜかいいイメージがなくそんなはずはないと思い今回の行程に組入れていた。秋田新幹線の工事が佳境に差し掛かったとき、迂回路線として使用されていたことは記憶に新しいが、もともとは単なるローカル線でしかないようだ。今日は天気の回復を祈って西へ進むばかりだった。
のんびりこんと眺める錦秋湖はとても穏やかに見えた。温泉場も多く、こういうところはゆっくり来るべきだと思った。横手でこまくさに乗り換え秋田へ向かう。思えばこのこまくさも2、3日前に乗った筋であるが、なぜかまったく違った印象を覚えた。秋田からもう少し先を目指し、今回最後の乗りあるきである男鹿線へ向かう。戸籍上はふた駅先までが羽越本線なのだが、すべて秋田発着となっている。何両編成か数え切れないほどの長大編成だったのは予想外だった。本線から分かれ男鹿線に入ったとたんに、不法投棄のゴミがやけに目立つ。どうにもならないのだろうか?干潟のイメージが強かったのは明らかに先入観だったようで、山あり川あり田んぼありの風景が続く。終点の男鹿駅の敷地は広く、停留のための引込み線がいくつもあった。かつてはここが起終点の急行列車、特急列車があったようにも思うが、いまはだだっ広いだけの構内だった。ここも往復するだけが目的だったのでこのまま引返すことにする。同じ編成で戻ることになったのだが、連結された車両の数は半分くらいに落とされていた。
昼過ぎにもかかわらず、日差しは弱々しくどことなく寒々としている。今日はここからこまちの上りで東京まで乗り通すことにしている。同じところを行ったりきたりの行程だったが、思い切らないと来れないようなところを中心に回ることができたのは大きな収穫かもしれない。これで、出張ついでの未乗区間乗り歩きも間違えなくクセになりそうだ。