■旅日誌
[2011/9] がんばろう!東北~盛岡・やまびこ編
(記:2011/11/12 改:2012/8/11)
(記:2011/11/12 改:2012/8/11)
先日、復活運転されたひばり号で仙台へ行く機会がありましたが、今回はやまびこ号で盛岡を目指します。懐かしい国鉄色に戻された485系で東北本線を北上し、翌日には新規開業した東北新幹線の八戸-新青森の初乗を果たし、さらには函館まで足を延ばしてきました。そして最後に思わぬサプライズが待っていました。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
前振りの通り、およそ1ヶ月前に復活運転されたひばり号で仙台を往復する機会があったが、今回も似たような企画でやまびこ号に乗ってみることにした。いずれもJR東日本が企画した団体臨時列車で、東北地方を元気づけるための企画と言っていいかもしれない。前回同様、国鉄色に戻された485系が充当され、延々と9時間かけて東北本線を盛岡まで北上、、、と、まぁ長丁場の乗車になる。思い起こせば、やまびこ号の名前は東北新幹線の盛岡開業時にも継承され今に至るが、はつかりやひばりなどに比べるとやや目立たないイメージもあったように思う。ひばり号同様、個人的に特別な思いがあったわけではなかったのだが、昼間の在来線でこれだけ長距離に乗るという機会もそうそうないので、思い切って参加することにした。
天気予報によると台風の進路はまっすぐ日本の方角を指していて、この週末は東日本に上陸する恐れがあるとのことだった。タイミングが悪ければちょうど東北地方を北上している時間帯に直撃をくらうかもしれない。心配しても仕方ないよね…という根拠のない楽観的な気持ちが先に立ち、とりあえず申し込んでしまったのだから、と自分に言い訳しながら思い切って出掛けることにした。というわけで、初日=土曜の午前中に上野駅へ向かう。相変わらずこの手のイベントに付きまとう喧騒をよそにやまびこ号は上野駅13番ホームを出発、重苦しい空模様の下、列車はみちのく路を目指していく。仙台に比べると距離もあり、席の埋まり具合が気になったが、思いのほか空席は見当たらなかった。この先の沿線でもところどころ列車を見守る人の姿があったので、それなりに注目はされているようだ。気になる台風の動きだが、予想よりも動きが鈍く、東京、埼玉あたりはまだ天気は穏やかだった。しかし、場所によっては強い風や雨に出くわすことも十分に考えられ、現に黒磯駅に到着するとバケツをひっくり返したような大雨に見舞われ、電源切替で車内が暗くなったことも手伝い、先行き不安を覚える。その後も、雨は降ったり止んだりを繰り返すこととなった。(後日談:今回の台風は動きが非常に遅く、紀伊半島を中心に甚大な被害が起きてしまいました。被災された地域の方々にお見舞い申し上げます。)
臨時列車のため、どこかのんびりとしたダイヤが組まれており郡山や仙台では比較的長時間の停車もある。そのたびごとに、乗ってた人はホームに出て列車の撮影をしたり買い物をしたりと団体専用列車にありがちな光景が繰り返されていた。車内では、オリジナルグッズの販売や列車をデザインしたお弁当が配られたりと、こちらもひばり号のときと似たような演出があった。新幹線ならあっという間に通り過ぎてしまうところを昔はこんな風に時間を掛けていたのかな…などと車窓を眺めながら考えてみたりもする。チケットが送られてきたとき、食事用と記されたバウチャー券が2枚入っていたのが気になっていたが、一関駅で停車するあたりで軽食が配られる。どんなものか思えば、意外にもしっかりしたお弁当で少々弄びながらも結局そいつを平らげてしまった。なるほど、実質、二食付きというわけか…。
ところどころで強い雨に見舞われたものの、列車は特に遅れることもなく終着の盛岡へ到着した。上野駅を出発したのは朝の9時だったが、いまはもう夕方の6時をまわっている。しとしとと弱い雨が降り、あたりはすっかり暗くなっていた。ホームでは横断幕をもった駅職員のお出迎えがあり、折角なので列車をバックにその様子を写真に収めておくにした。あらためて振返ると、9時間の長旅も過ぎてしまえば短かかったようにも思える。こうしてやまびこ号の復活運転は幕を下ろした。
今回のツアーは盛岡駅での解散となり、帰路は特に決められてなかった。先月はひばり号で仙台へ来たばかりなので東北本線のかなりの部分がかぶるため、やまびこ号に触手を伸ばすのか迷っていたのだが、八戸-新青森間が未乗だったよね…という悪魔の囁きに負けてしまい、気がつけば申し込みをしていた。というわけで、とりあえず今日は日帰りせず、盛岡にとどまることにする。"軽食"だったはずのおにぎり弁当のが意外と響き夕食は軽めに済ませようと考え、駅近くで盛岡冷麺でも探すことにした。ちなみに今回のツアーを予約したのはソウル滞在中のことで、日本で韓国のチケットを購入してたかと思えば、逆にソウルで日本のツアーを申し込むという、まぁわけの分からん行動を繰り返してたことになる。付け合せのキムチに舌鼓を打ちながら、そんなどうでもいいことを考えていた。
2日目
旅の目的と手段が逆なのは今に始まった話しではないが、昨日は盛岡へ来るのが目的ではなく、特急やまびこ号に乗ることが目的だったのでとりあえずここから引き返さなければならない。と言いながら、悪魔に魂を売った(?)流れから、これから東京とは逆方向を目指すことになる。それはそうと、忘れてはならない一番の心配ごとだった台風はというと、さらに予想に反してかなりゆっくりとしたスピードで西日本が影響を受けるらしい。被害が拡大しなければいいが、そのせいで東日本は今日も平静を保っている。というわけで、盛岡始発の朝一のはやて293号に乗り込む。こんな時間なので自由席として開放された普通車はどこもガラガラ、トンネルの合間で見える景色はどこかのんびりとした様子だ。そして八戸を過ぎた後、新青森までの未乗区間の初乗を果たす。昨日のやまびこ号で過ごした9時間に比べるのはちょっと違うと思うが、あまりにもあっけなく終わってしまい物足りなささえ感じる、、、って、違うだろ?!(後日談:あらためてはやぶさに乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
新青森駅は青森の中心部から随分と離れた場所にあり、アスパムの三角形の建物がかすかに見える程度だった。盛岡出発が早かったせいでまだまだ時間に余裕があり、来る直前までどうしたものかと迷っていたが、結局、新青森での乗り継ぎがいいというだけで、北海道まで行ってみることにしていた。はやて293号を降りたあと、すぐさま奥羽線のホームへ向かい、停車していた白鳥93号に乗り換える。列車は青森までのひと区間は座席の向きを逆にしたまま進み、スイッチバックする形で津軽海峡線へと入っていく。津軽海峡が見えてくる頃には日も差すようになり、車窓から見えた海はキラキラと光っていた。
青函トンネルを抜け北海道へと上陸、後ろを振返ると津軽半島の姿がうっすらと見ることができる。朝聞いた情報によると、今日の北海道は台風と前線の影響で全道的に大荒れ、ただし函館近辺だけは概ね天気は良好との予報が出ていた。今回もまた、行く先だけ好天という不思議なパターンにはまりそうだ。しかし、海の向こうに見える函館山の頂ではすっぽり雲をかぶっていたりと、穏やかな日和というわけでもなさそうである。特に何もせずぼんやりしてるうちに列車は五稜郭駅を通過、定刻で函館駅へと到着した。この先道内を乗り継ぐ人、函館で下車する人など行き交う中、白鳥93号を後にする。新幹線が青函トンネルを通るようになれば、こんな光景もみられなくなってしまうのだろうか?
記憶をたどってみると、前回北海道に来てから2年以上経っており、本当に久々のような気がする。と言いつつ、滞在時間は数時間程度と本当にこれで滞在したと言っていいのか怪しいものだが、適当に街歩きでもしておくことにしよう。函館駅を降りたあと、何となく朝市の中を突っ切って、まずは函館山に向かって歩いて行くことにした。再開発された赤レンガ倉庫のあたりはまた後で寄ることにして、函館山の山麓の方へと向かっていく。坂道を登り、ふと来た道を振返ってみると、函館らしい風景を目にすることができる。いやぁ、何だか観光してる気分になってきたぞ…。(苦笑)どれくらい歩いたか分からないが、とりあえずロープウェイ乗り場に到着、もっと涼しいかと思ったが、意外と蒸し暑く気がつけば汗が噴出していた。
列車からも見えたように函館山の頂はガスがかかり、残念ながらコンディションはあまりよくないらしい。確かに麓からみても、山頂付近は雲が風に流されているのが分かる。そうはいっても折角ここまで来たので、とにかく頂上まで登ってみることにした。ロープウェイに乗ってる間は視界も良好で、函館の街並みがよく見えたのだが、山頂に着く頃にはすっぽりと雲に覆われてしまい、ほとんど何も見えない状態だった。そういえば、地元出身の友人の案内で初めて函館山に登ったのはいつのことだっただろうか?台風の影響も多分にあったようで、風がとても強く時々ロープウェイの運転も間引かれているようだった。残念ながら天候の回復は望めそうにないし、仕方ない、麓まで戻ることにするか…。まぁ、途中でも景色は楽しめたので、とりあえずそれでよしとしよう。
函館山から戻ってきたあとで街歩きを再開し、もうしばらくぶらぶらしてみることにした。元町と呼ばれるあたりは、お寺や教会、学校などがぎゅっと集まった感じで函館らしい場所のひとつにも数えられている。元町公園を抜けて再び坂道を降りて行くと路面電車が通り過ぎていく。途中、日本最古のコンクリート電柱なんてのもあったり、海沿いを歩いたりしてるうちに再び金森赤レンガ倉庫へとやってきた。確かに時代を感じさせる雰囲気は残っているものの、どこか俗っぽい感じもしないでもないな…。さてと、何だかんだ言いながらもこうやって函館までやって来たことだし、最後に昼食だけは少々奮発してみるか、、、と、そんな感じで時間は過ぎていき、ここからはバスで函館空港まで移動する。
今日は空路、東京へと戻ることにしている。時間的にもまだ余裕はあったが、明るいうちに帰ろうと思い、ちょっと早めの便を予約してあった。あとは乗ってしまえば、さほど時間もかからず東京に着くことができるはずだ。15時半をまわりJL1168便は定刻に出発、上空に上がるとちょうど津軽海峡をはさんで北海道と本州の様子が見えた。機内サービスが始まり窓の外に目をやると、日本海側の地形がよく分かる。蛇行する米代川や八郎潟、男鹿半島などまるで地図で見てるようだった。普段はあまり意識したことはなかったが、主翼のやや後ろの座席からみえる翼のレジ番号(JA8265)がどうしても気になり、地上の景色をバックに何枚か写真を撮っておくことにした。
ごくごく普通のフライトと思いきや、羽田に着陸し指定スポットまでタキシングされる途中で普段とは違う雰囲気でアナウンスが入る。「参考までにお伝えしますが、当機=B767-300型・登録番号JA8265番は本日のフライトをもちましてJAL便としての運航を終了することになりました。昭和62年以来、24年間飛び続け無事に役目を果たすことができましたことを感謝いたします。」確かこんな感じだったかと思うが、不意の出来事に機内は拍手に包まれる。マニュアルにはないアドリブ的なアナウンスだったが、スポットインする直前、それまで晴れてたのがウソのように突然スコールのようなにわか雨が、、、それはまるで涙雨のようにも思えた。マニアの心(?)をくすぐるナイスな演出というか、ありがとうジャンボのグアムの帰りのことを思い出したのは言うまでもない。B767-300も退役してしまうのかと少し意外に思えたが、ANAに続きJALもB787を導入する計画があり、中型の機材についても玉突き的に旧タイプのエンジンを積んだものから順次引退させるようだ。東日本大震災の影響でA300-600Rの退役が一時先延ばしになったと聞くが、少なからずそういう影響もあったのだろうか?それにしても、相変わらずの不思議な引きには我ながら感心するばかりか??