■旅日誌
[2012/7] 栄枯盛衰、無常迅速
(記:2012/8/11 改:2015/11/1)
(記:2012/8/11 改:2015/11/1)
今年は日本でも格安航空会社(LCC)が3社一気に立ち上がり、にわかに競争激化の様相を呈してきました。気軽に飛行機に乗れるということはとても魅力的ですが、迎え撃つ既存のエアラインはどう対応するのか?も興味があるところです。今回はその手始めとしてPeachを利用してみることにしました。今回はいくつかある就航地から長崎を選択、ついでと言っては何ですが折角なので軍艦島を訪れてみることにしました。そして終焉が近いといわれてるJALのMD-90ですが、期間限定で長崎便に復帰するというのであわせて乗っておくことにします。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
ここのところ梅雨前線の影響で全国的に荒れ模様な日が続き、天気予報によるとこの週末もどうやら危ないらしい。仕事の方もあれこれ追われることが多く、お出掛けするような状態ではなかったが、思い切って流れを断ち切ってみることにした。とはいえ出発前日になってもぱっとせず、どうにか終電で帰ってこれたものの週末金曜と重なり、遅れに拍車がかかるはで家に着いたときはとんでもない時間になっていた。う~ん、この切り札は切りたくなけど仕方ない、あと2時間なら寝ないで起きたままでいよう。そんなわけで身支度を済ませたりして夜が明けるのを待った。さて、今回のお目当てはLCCで名が知れてきたPeachの初乗にある。関空ベースなので、関東人としてはまずはそこまで行かなければならない。格安航空会社に乗るためにわざわざ飛行機を利用するというのもおかしな話だが、いつものことなので深く考えないようにする。というわけで、朝一の関空便といえばこれ…国際線の間合い運用のNH141便を利用、予約したのが遅かったのでビジネスクラスが普通席で開放されるお得席にはありつけなかったが、今日もハミングバードで大田区上空の遊覧飛行から始まる。(余談:前回のハミングバード・ディパーチャーはこちらをご覧ください。)
関空到着は9時前でありながら乗り継ぐPeachの長崎便は14時とかなり間が空いてしまう。そこで、地図を見て何となく水間観音へ行ってみることにした。ここで変化球を…と思い、昨晩寝ないでいた時間を使ってJR阪和線の和泉橋本でコミュニティーバスに乗り継ぐルートをひねり出していたのだが、昨日からの大雨でJRのダイヤはズタズタ、わすか数駅の移動だったのが、阪和線の普通電車は牛歩状態となり和泉橋本駅に着いたときは既に後の祭り、乗り継ぐはずのバスは疾う行ってしまったらしい。戻ろうにも阪和線のダイヤは怪しいし、ここで退路を断たれた格好になってしまった。しょうがないか、、、無茶を承知で適当に歩き出してみる。運よく水間鉄道の清児駅にたどりついたので、結果オーライということにして予定してた段取りに引き戻す。
随分と前のことになるが、水間鉄道には乗りつぶし目的でいちど来たことがある。そのときは水間観音駅をひと目見てとんぼ返りしてしまったが、今日は折角なので水間観音まで足を延ばしておく。オリジナルの雰囲気を残しつつも派手に改造された電車で終点の水間観音駅まで行き、その先は歩いて水間観音を目指す。関東の人間にとってはあまり馴染みのない場所だが、雰囲気のある古刹は一見の価値ありだろう。雨上がりのしっとりした感じの水間観音を後にして、帰りは素直に水間鉄道に乗って貝塚へ出て、あとは南海で関空まで戻ってきた。あれ、JRの駅はシャッターが下りてるようだけど再開のメドなしだって??はるかを含め、とうとうお昼前には全面運休になってしまっていた。
さぁ、本筋に戻ってそのPeachを利用することにする。いつだったか、ふと飛行機に乗った回数を数えたことがったのだが、それ以来ひそかにカウントしてたところ、次のPeach/MM175便というのが人生200回目のフライトになった。多いのか少ないのかは分からないが、随分と乗ったものだ。Peachの搭乗口は少し離れたエアロプラザにあり、知らないと迷ってしまうかもしれない。搭乗手続きはいたってシンプル、自分で印刷してきたバーコードを機械にかざすか、予約番号を手で入力するとレシートのような搭乗券が出てくる。ちょっと注意しなければいけないのは、手荷物は自分で扱わなければならず、締め切り時間を過ぎれば容赦なく予約は無効になってしまう。現在は"仮住まい"らしいが、セキュリティチェックを受けたあとの待合室は非常に質素だった。搭乗機まではバスに乗って移動するのだが、建物の階段を下りて狭苦しい屋外のようなところでもういちど待たされ、前方席・後方席に別れてバスに分乗する。飛行機に乗るときの順番を考えバスの並び順が調整されたり、一旦一般道に出てあらためて空港の敷地内に入るので空港職員によるバスの外観チェックがあったりと、とにかくやたら待たされる。安く済ませるためなら仕方ないか…。
今年は日本のLCC3社が一気に立ち上がることで注目を集めており、その先陣を切ったのが香港系のキャリアであるPeachAviationだ。インターネットを使わないと手数料が割高だったり、座席の事前指定にも料金をとったり、可能な限りサービスを有料化したり、海外のLCCとしては当たり前のことが日本でも受け入れられるのだろうか?客室乗務員のすべき仕事を増やす、新造の小型機(A320)で機種は統一する、座席の間隔を狭め定員を増やす、折り返し時間は短縮する、ナイトステイはしないなど、機材の振り回しも徹底的に効率化が図られ、随所にコストダウンのための工夫が見られる。でも、やはり利用者として一番気になるのは座席の狭さかもしれない。中途半端に身長があるので、これはきっついなぁ~という印象は否めなかったが、いいとこもって2時間が限度だろうか?ただ、ある程度の経験はつんできたとみえ、客室乗務員は言われるほど手際が悪いようには感じなかった。話のネタ程度に機内食(弁当形式のデリ)を買ってみたが、コンビニで500円出す方がいいかもしれない。それとスケジュール遅延や機材トラブルによる欠航リスクも心配のタネだが、まぁそれら諸々承知の上、LCCをうまく利用するのはありかな?と思う。そんなわけで、次は別のLCCも乗り比べてみたいものだ。(後日談:その後、Peachの国際線に乗る機会がありました。旅日誌はこちらをご覧ください。)
フライト自体は特に変わったこともなく、とりあえず無事に長崎空港には到着した。関空での出発にえらく時間をかけていたが、20分程度の遅れなら、まぁ許容の範囲内だろうか。だからといって何かあってもらっても困るけど、、、長崎市内まではバスで移動、ちょっと早めにチェックインを済ませ、今日は稲佐山へ行ってみることにした。市街からみて稲佐山は長崎港を挟んだ向こう側にあり、函館、神戸と並んで日本三大夜景とも1000ドルの夜景ともいわれてるらしい。そんなことはどうでもいいのだが、主要ホテルをまわる無料の送迎バスが利用できるとのことで、何便かあるうちの一番早い便を予約しておいた。大型の観光バスは何ヶ所かまわるうちに満員になり、ロープウェイの稲佐山麓の駅まで送ってもらう。山頂には数分で到着、少し離れた場所ある展望台まではここから歩いていく。そして展望台を屋上まで上がり、360度開けた景色に目を向ける。今日は運よく天気も穏やかでゆっくりできたが、風が強い日は大変かもしれない。一年でも日が長い時期だったので日が暮れる前の景色と夜景の両方を楽しむことができた。帰りもロープウェイからバスに乗り継ぎ戻ってきたが、無料で楽させてもらった上に往復のロープウェイ代も割引になったりと、こいつはとってもお得なサービスだ。ちょっと遅めの晩御飯になってしまったが、おっとここで会社から突然の電話が、、、逃げ切ったつもりだったけど一体何が…。
2日目
折角、長崎まで来たので少しオプションをつけることにした。ここも前々から気になっていた場所のひとつで、いつかは行ってみたいと思ってたところである。今日これから向かうのは通称軍艦島、正確には端島という名前の小島で、かつて炭坑で栄えたがいまは廃墟の島として名が通っている。軍艦島には長崎港から専用のツアー船で往復することになる。数年前から正式に見学が許可されたとのことだが、天気が悪かったり、少しでも波が高ければ上陸はできない。うわさによると年に120日程度しか上陸できないとかで、今日は7月に入って初めて、およそ1週間ぶりの上陸だったと聞く。(独り言:今日は運がよかったとのことでしたが、当然、、、晴れ男ぶりは健在でした。)今回申し込んだのは、いくつかあるうちからやまさ海運さんを選択、人気のコースだけあって前もってWebサイトから予約を入れておいた。朝8時半前、集合場所の大波止ターミナルに向かい、料金とともに誓約書を提出して手続きを済ませる。
どうやら右側の座席がいいらしいとのことなので素直に右側を確保する。200人乗りくらいの結構大きな船だったが、席はある程度埋まっていた。船内には軍艦島に関する写真がや記事などがずらりと張り出されており、時折プロジェクタを使ってDVDも流していた。著作権の問題があるので写真は撮っちゃまずいらしい。今回乗ったマルベージャ3号は長崎港を出港し50分ほどで軍艦島に着く予定だ。今日は本当に天気もよく、ベタ凪に近い絶好なコンディションなのでこれなら上陸はできそうだ。逆に天気がよすぎて熱中症に注意するよう案内があったくらいだったが、貸し出し用の麦藁帽子が準備されていた。さて、軍艦島に向かう途中も船内放送で周辺の案内があるので、時間をもてあそぶようなことはない。三菱重工長崎造船所・立神工場、女神大橋、三菱重工長崎造船所・香焼工場、伊王島など見てるだけでも飽きない。こちらもかつての炭坑の島だった高島を過ぎると、やがて中ノ島の向こうに軍艦島のシルエットが見えてくる。
軍艦土佐の形に似ているところから、いつしか軍艦島と呼ばれるようになったという。軍艦島は炭鉱の島で、そのルーツを探ると江戸時代までさかのぼるらしい。かつては5000人以上の人が実際に暮らしてたそうで、人口密度は当時の東京の約9倍、住居はもちろん学校や神社、病院まであったという。海が荒れれば外との接触は絶たれ孤立してしまうが、石炭にわいていた時代、島の暮らし振りは決して悪いものではなく、当時としては最先端だったであろう鉄筋コンクリートづくりの集合住宅や、いわゆる三種の神器といわれた電化製品も普及していたらしい。もちろんいまでは廃坑で無人島となってしまい、風雨にさらされ廃墟と化してしまったが、遠目には当時の建物の姿をはっきりと見ることができる。歴史的価値が見直され、世界遺産暫定リストにも掲載されているという。船は無事にドルフィン桟橋に接岸、係留作業は慎重に行われる。そうか、固定式の桟橋だから50センチ以上の波になると危険と判断されるのか…。さぁ、これからいよいよ軍艦島に上陸するぞ、、、ひとりひとり順序よく足元に注意して進んでいく。
見学できる場所は島の西側に3ヶ所あり、2班に分かれてまわっていく。建物は崩壊する危険もあり近くには立ち寄れないが、見学通路の範囲内であれば安全が確保されている。それでもヒールやかかとの安定しない履物、傘類(日傘も雨傘も)はNGとのことだった。それぞれの見学広場ではボランティアの方がいて、炭鉱の仕組みや島の人々の暮らし振り、あるいはどんな建物があったのかなど説明を受ける。そもそも炭坑というのはどんなところだったのかもよく分かってなかったような気もして、認識をあらたにすることになった。島に滞在できたのは1時間ほどで、見学できる場所も限られた範囲だったが、それでも実際にこの目でできたのはとても貴重な機会であった。一部には廃墟マニアなる呼び方もあるらしいが、ぜひここは現地に来て歴史的、文化的価値を実感して欲しい。
他のツアーのスケジュールもあり時間厳守で島を離れることとなった。その後も船はゆっくりと軍艦島の周囲をまわり、船上からの見学となる。特に建物が密集している東側についても、こと丁寧に説明があった。そうこうしてるうちに帰港の時間となり、名残惜しいが船は長崎港へ向けて帰途に就くこととなった。帰り道もしばらくは船の後方に島影を見ることができるのだが、こうしてあらためて見ると軍艦そのもので、あの廃墟は何だったのだろうか?やがて島影は遠のき、軍艦島の姿は視界から消えていった。
軍艦島ツアーを終え、長崎港に戻ってきた。まだお昼前だし折角なので長崎観光でもしてみようか…。とりあえず思いつきで大浦天主堂とグラバー園へ行ってみることにした。何年か前に長崎市内を見てまわったとき、なぜかここは素通りしてしまった記憶がある。大波止から電車を乗り継いだあと、観光地っぽい坂道を登った先に大浦天主堂が見えてくる。さらに階段を登り建物の中へと入り、休憩がてらここでしばらく時間を過ごすことにした。ステンドグラスの極彩色には何だか惹かれるものがあるなぁ~。続いてグラバー園に向かい、旧グラバー邸など歴史ある建物や遠くの景色を眺めながらしばらく散策する。レトロな衣装をレンタルしてる人が意外と多いけど、まぁ気分の問題か…。まだまだ歩けそうだったので、表通りから少し入った静かなところを繁華街に向かって歩いてみた。中華街からは外れた、どこにでもありそうな地元の中華料理屋さんでやや遅めのお昼にする。「時間がかかるけどよかかね?」少々ぶっきらぼうな対応だったがちゃんぽんを注文、15分くらいして出てきたちゃんぽんはあっさり目の素朴なものだった。インパクトに欠けるという言い方もできるけど、飽きがなく繰り返し食べたくなる味というのは実はこういうものなのかもしれない。路面電車で長崎駅まで戻る。
長崎市内にギリギリまでとどまる理由はないので、適当なところで切り上げることにした。空港まではリムジンバスに乗れば楽に移動できるのだが、ちょっとひねりを入れて列車で移動してみる。長崎駅から諫早を経由して大村まで移動し、そこから路線バスを利用するルートが考えられるのだが、問題は列車のタイミング、、、ざっと時刻表を見てみると長与まわり(旧線経由)でも行けそうだ。よし、こいつにするか…。先を行く特急列車や快速列車を見送りハウステンボス塗装の車両がやって来た。長崎の街に別れを告げ山間の風景を抜けるとやがて大村湾が見えてくる。意外とここの車窓もお気に入りだったりして、まったり過ごすのにちょうどいい。諫早駅で時間調整のため十数分停車、その後大村線に入り大村駅で列車を降りる。駅前のバス停でもよかったのだが、バスセンターまで行って空港行きのバスを待つことにした。
帰りは長崎空港からJAL便で東京へ戻ることにしているのだが、実は今回の長崎訪問には、もうひとつ別の理由があった。退役に向かってカウントダウンとなってしまったMD-90の惜別搭乗、、、7月に入って定期便としてはめっきり本数が減ってしまった中、なぜか期間限定で長崎便が復活設定されており、思わず予約を入れてしまった。地方路線向きのこの機材は、性能、使い勝手ともにいまでも十分通用すると思うのだが、機種集約のためリストラ対象となり、時代の波に飲まれた形で近々退くことが決まっている。旧JAS時代の黒澤レインボーのことは遠い記憶にしかないけど、スラッとした一直線の胴体、後翼に配したエンジンなど、独特のフォルムが印象的で、ふーっと加速して、急角度ですーっと上がる感覚は他にはない雰囲気を持っている。普通の旅客機が普通車セダンならこちらはスポーツクーペといったところだろうか?それでいながら前方席の静かさは快適で、もうこの飛行機に乗れなくなってしまうかと思うとちょっと残念に思えてならない。強い夕日の中、折り返し待ちの機体のレジ番号=JA8020がかすかに見える。さぁ、最後までよろしく頼むよ!!