■旅日誌
[2008/8] ノスタルジック・ジャーニー
(記:2008/10/25 改:2015/11/1)
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ある日のこと、ダメ元で急行あおもりの空席照会を掛けてみたところ、たまたまキャンセルが出ていたようで、予約が取れてしまいました。相変わらずの忙しさで夏休みも返上だったので、ダメならいいや…と思っていましたが、どうにか週末お休みを取ることができました。そんなわけで、大阪へ寄ってから夜行列車の雰囲気を堪能してきました。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
和歌山電鐵、貴志、通天閣、大阪城
強制的にでもオン・オフつけないとやばそうだったので、今月も1回だけ週末を完全休養にすることにした。休養と言っても、体を休めることよりメンタルなところでへばりかけていたので、タイミング的には気分転換にはなりそうである。先月の渡道もそうだったが、今回もあまり緻密な計画を立てる余裕がなかったので、その辺はまぁ適当に考えて行動することにしよう。とりあえずの目的地は大阪なので、新幹線での移動を考えたが、朝早い時間のANAの関空便にちょっと気になることがあったので、そいつを確かめておくことを考えてみた。
羽田空港
ANA141便というとその筋の方には名が通っているらしいが、実はこの便には国際線の機材があてがわれている。どうやら関空からアジア方面へ向かうために、羽田からフェリー代わりに朝と夕で往復するらしいのだが、その際に上級クラスのシートは普通席として開放されるため、早い者勝ちではあるが、普通運賃で利用することができる。Webサイトで確認してみるとビジネス割引が効いた状態でちょうど残席1が出ていたので早速押さえておくことにした。窓際席ではなかったが、CLUB ANAのシートに座れるのでちょっとお得な気分である。ということで、ここで関空行きが決定した。
ANA・NH141便・関西行き
座席はビジネスクラスだがサービス内容は通常通りなので、食事や特別な飲み物が出るわけでもない。でもまぁ、1時間程度とはいえ座っているだけでもありがたい。相変わらず貧乏性根性丸出しだ。(笑) 早朝の羽田は毎度のことだが、出発を待っていると、STAR ALLIANCEカラーの新しいB737-800など珍しい機材にもお目にかかることができた。さてと、関空行きはどこだ?と探してみると、「ようこそJAPAN!」のロゴがあしらってある機材だった。もっと新しい機材へのシップチェンジをひそかに期待していたが、あまり贅沢を言ってはいけない。大阪=伊丹というイメージを強く持っていたが、意外にも今度の関空便はほぼ満席だった。
わかやま電鉄・おもちゃ電車
予想通り関空には早着、これならギリギリで1本前のバスに乗れそうである。広い建物の中を足早に通り抜け、リムジンバスで和歌山へと向かう。これまで関空を経由して出発したことは何回かあったが、関空へ降り立ったのは初めてである。更にいうと、鉄道以外の乗り物で橋を渡るのも初めてのような気がする。バスは高速道路を快調に進み、気がつけば和歌山市街を走っていた。ここのところ常態化していた睡眠不足には勝てず、ずっと眠りこけてしまった。
貴志駅・たま駅長
バスが到着する和歌山駅東口は"裏手"にあたるようでどこかこじんまりしている。今回まず最初に行こうと思ってる場所は、猫の駅長で有名になった貴志川線貴志駅である。時刻表を見ると、ちょうどいま電車が出発しようとしているところだった。とりあえず急いでホームに向かうとおもちゃ電車が出発するところだった。事前に調べたところでは、次のいちご電車に乗る予定だったので、1本前のバスに乗れたおかげで思わぬ"収穫"だったようである。
わかやま鉄道・いちご電車
車内に入ると、なるほどこれは子供が喜びそうな派手な改装がしてあった。貴志川線にはもう何年も前に南海だった時代に来たことがあったが、その後廃止話が持ち上がり、地元の熱心な活動があったおかげでいまではすっかり様子が変わっている。猫の駅長といい、ラッピング電車といい、ローカル線でありながら頑張ってるな…と思わず応援したい気になってくる。これまた派手なイスに腰を下ろし、少し落ち着くことにしよう。ここまでタイトな乗り継ぎだったので、ふと我に帰ると何か忘れていたことに気がつく。しまった、一日乗車券を買っておくんだった…。でも、あっちの改札口にはそれらしい素振りもなかったしな、、、しょうがない、まぁ、いいか。
浜寺公園駅
終点の貴志駅へ到着すると、既に改札口のあたりに人だかりができていた。早速お目当ての駅長さんを拝みに向かう。と、おや?お疲れモード、、、周囲の喧騒をよそにドカッと横たわっていた。このたま駅長だが、もともとこの駅に隣接した商店に身を寄せていた猫で、貴志川線の移管が決まったあと一時"退去命令"が出たものの新会社に"居候の許可"をもらって、いつしかそれを縁にこの駅の話題の主になってしまったという逸話を聞いたことがある。この貴志川線に廃止話が出たとき、真っ先に地元が立ち上がり、その熱心さを買っていまのオーナーである岡山電気軌道が引き受けを決断したという。そういった地域密着の下地もあって、たま駅長の誕生といった話題も自然と出てきたようにも思う。駅長の効果は抜群で、乗客数は増加、関連グッズの売上もバカにならないらしい。現在の肩書きは管理職相当のスーパー駅長、正式な辞令も出ていて、お給料は1年分のキャットフードだとか。お休みは日曜日だがイベントごとにも結構忙しいらしい。ちなみにたま駅長のほかにも、2名の助役がいるのだが、こちらは人見知りが強くほとんどゲージに籠もりっ切りとのことらしい。(後日談:たま駅長ですが、2015年5月に亡くなりました。長い間、ご苦労様でした。)
阪堺電気軌道
たま駅長にも無事会えたので、次の電車で戻ることにした。先程のおもちゃ電車を見送ると、もうひとつのラッピングトレインであるいちご電車が入ってきた。貴志川町の名産であるいちごに由来するもので、白地に赤のイラストや文字が描かれている。車内の装飾もこれまた凝っていた。電車が到着するたびに人が入れ替わるのだが、それにしても駅長は大人気である。そんな様子を尻目に貴志駅を後にすることにした。
通天閣
帰りのいちご電車ものんびりしたもので、田舎のローカル線のテンポもまた悪くない。少し時間があったので、終点のひとつ手前の田中口で降りて、電車を見送る。その後、町中を数分歩き数年前に来たときの記憶を思い出しながら、お昼に決めていたラーメン屋を探すことにする。周囲の風景もあまり変わってないようで特に迷うようなこともなく、あのときと同じように行列ができていた。特に急ぐわけではないのでとりあえず列に並んで席が空くのを待つことにしよう。決してきれいとは店構えの周囲には独特の匂いが漂っていた。
通天閣からの眺め
どこか懐かしいお店をあとにして和歌山駅へ戻ることにする。紀勢線で和歌山市駅へまわり、南海電車で北上していく。途中で2回列車乗り継いで浜寺公園駅で下車する。すっかり忘れていたが、登録文化財建築物として登録されてるだけあって立派な駅舎は歴史を感じさせる。高架化が決まったやに聞くが、この駅はどうなってしまうのだろうか?そんな思いを残して阪堺電車の駅へと向かう。浜寺駅前は駅というより停留所の風情で、横を走る国道の交通量とは対照的に誰もいない場所で次の電車を待つことになる。ほどなくしてやってきたのはかなりの年季ものと見えて、何やら説明書きまでしるしてあった。折り返しの時間を使って運転手さんがバケツに水を汲んで車体に水をかけたりして、もう少ししばらくのんびりとした時間を過ごす。そんなこんなで発車時刻を待って出発する。最初は貸切状態だったが、途中ポツンポツンと人を拾っていくと結構な込みようになっていた。
通天閣・ビリケンさん
住吉大社の前を通過し、ここで堺市内から大阪市区間へと入ってくる。通しで乗るのはよっぽどの物好きだけのようで、ほとんどの人が降りていってしまった。阪堺電車は専用軌道と道路との併用軌道がほぼ半々あり、大阪でみられる唯一の路面電車である。下町風情を残しながら走るスピード感は今どきの乗り物とはちょっと異質のものだが、でも逆にそれがホッとさせてくれる。と、よそ者の勝手な感想はそれくらいにして、終点の恵美須町でここまで運んでくれた電車に別れを告げる。さて、ここへ来るのはいつのこと以来になるだろうか?じっくり思い出してみると、、、社会人になる直前のことなのでもうウン十年の前のことになりそうだ。卒業旅行というか2、3日使って関西方面を駆け足で巡った貧乏旅行…って、あれ以来か。(苦笑)ひょんなことから、新人研修のときに知り合った関西の友人の言葉を思い出していた。「そりゃぁ~いまどき、新世界なんて誰も近寄らへんよ!」
新世界・通天閣
その新世界をきょろきょろしながら通り抜け、折角なので通天閣に登っておくことにした。あのときはかなり寂れたイメージが強かったが、ここ2、3年、なぜか再び活況を帯びているという。確かに今日も若者やら団体さんやら家族連れやらそこここでごった返している。寄席か何かの呼び込みを掻き分け列に並ぶと何と40~50分待ちと出ている。おいおい寂れてるどころじゃないぞ!ここまできたら…ということで意を決して並ぶことにした。ビリケンさん生誕100年とか何やら怪しい展示物を尻目に数十分待たされた後、ようやくエレベータに乗ることができた。すっかりおのぼりさん状態の観光客と化し、しばらく大阪の景色を楽しむことになった。最後に、本物のビリケンさんに触れて願掛けしておく。20年前のことはあまり覚えていないが、すっかり人気ものになっていた。通天閣を降りたあともたこ焼きなど試しながら、しばらく近くの怪しい世界を楽しむことにした。
大阪城
少し距離はあるようだが、天王寺駅まで歩いていくことにする。先程の喧騒がウソのようだが、天王寺公園の脇を通り過ぎていく、、、あれ確かここって怪しいカラオケとかで大賑わいしてたところじゃなかったっけ??すっかり様変わりしてしまった場所を抜けて天王寺駅へとたどり着く。少し歩き疲れたがもう1ヶ所観光しに地下鉄で移動する。谷町筋線で数駅北上し、天満橋で地上に出るとそこは府のお役所街だった。もちろんこんなところに用はないので、お堀の方へと向かう。広々としてところへ出てくると大阪城の天守閣が視界に入ってきた。ということで、今日はおのぼりさんに徹することにした。
大阪城からの眺め
特に理由はなかったが、これまで大阪城へ近づいたこともなかったので、今回何となくお城めぐりをしてみることにした。近づいてみると思ったより立派な構えをしている。(これは失礼か…)早速中に入ってみる。数多くの展示物があったが、とりあえず天守閣の一番高いところへ登っておくことにする。毎度ながら、お城のぱぁっと開けた景色はたまらなく気分がいいものである。四方どこを見ても建物、また建物である。それにしても大都会だけあって、建物があっていいものかと思う。ひと頃は仕事で大阪へ来たこともあったけかな…などと大阪城ホールからOBPの方角を眺めて思い出していた。そんなこんなで天下びとの気分でしばらく時間を過ごすことになった。
淀川花火大会
日も西に傾き、そろそろ下界に戻ることにした。今夜のお宿はこの旅のメインでもある臨時急行・あおもり号、発車時間までまだしばらくあるがとりあえず大阪駅へ向かうことにした。大阪城から森ノ宮へ抜け環状線に乗り込む。平日のラッシュ時ならともかく、休日だというのに凄まじく混雑しており、列車も遅延が発生していた、どうもJR西日本の対応は甘いのではないか?と思ってしまうが、それでも無理して満員電車に乗り込むことにした。わずか数駅だというのにヘロヘロになって大阪駅へ到着する。先程から気になっていたが浴衣姿が目立つ。どうも淀川の花火大会があるようだ。まぁ自分は今夜大阪を経つのであまり関係はないが、人ごみだけは勘弁願いたい。ひとまず落ち着いてネットができそうな場所を見つけることにしよう。
急行・あおもり
方向的に失敗したかもしれないが、阪急梅田方面へ出てひと休みする。相変わらず人の流れは途絶えないでいる。そろそろいいかな?と思い、梅田の地下街で今夜と明日朝の食料を調達しておくことにしよう。そこらをウロウロして最後に大阪駅へ出ると、外は土砂降りの大雨である。あれ?花火大会は大丈夫??などと心配しながら、大阪駅のホームへ出ると、ビルの谷間から打ちあがる花火を見物することができた。しかしこの雨じゃ見てる人も大変だと思うのだがさ…。結局ホームで花火見物をしたあと、急行あおもりの入線時間となってしまった。やがて3点ライトを照らしてあおもり号がゆっくりとやってきた。知ってか知らずしてか、多くのギャラリーがカメラを構えている。このあおもり号だが、毎年帰省の時期に不定期に運行される臨時列車で、ことしはわずか1往復しか設定されていない。噂によると、今年が最後という話もあり、もしそうなら…と思って今回思い切って行動を起こしたわけである。いずれにせよ、運よくチケットが取れたことに感謝しながら、夜汽車の雰囲気を楽しむことにしよう。(後日談:その後、きたぐにに乗る機会がありましたが、旅日誌はこちらをご覧ください。)
急行・あおもり
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
急行あおもり、青森
本日の急行あおもりは満席の予約が入っているとのこと、寝台特急の日本海が2往復から1往復に減便された影響も少なからずあるのではないだろうか。583系といえばかつては夜行だけでなく昼間の特急にも使われていた車両で実にうまくできている、といまさらここで話題にする話でもない。今日は全車寝台なので座席車はないが、以前は座席に戻す作業も行われていたらしい。この車両は急行きたぐにに使われる編成と同じタイプで、違うところといえばグリーン車の一部が共有スペースになっているのと外装のロゴがSuper Express Resort Expressとなってるくらいである。(余談:シュプール号として使われていた編成のようです。)ちなみに1両だけあるグリーン車はサロンカーとして開放されており、誰でも利用できるようになっていた。今回たまたま取れたのが上段だったので起きてる間はサロンカーを利用させてもらおうと考えている。とまぁ、考えることはみな同じようで、出発前に席はほとんど埋まってしまった。
急行おおもり
それでも何とか空いてる席を見つけて夕食を済ませておくことにした。宴会モードの団体、怪しげなマニアックな話に花を咲かせる者たち、しばらく賑やかな時間は続く。臨時列車の宿命だろうか、途中駅で運転停車して後続の列車に道を譲ってばかりいたが、湖西線に入ってからは少しペースは上がっただろうか。暗いのではっきりしないが右手の琵琶湖が見えなくなった頃には周囲の人も減ってきて、そろそろ自分も寝ることを考える。実は三段式の寝台は初めての経験なのだが、上段となるとそれなりの高さがあることをあらためて感じる。まぁ寝るだけなのでもぐりこんでしまえばどうでもいいことだが、それにしても着替えるのもままならない。が、しかし、この不自由さがまた非日常的でたまらない。(笑)相変わらず仕事のことが頭のどこかに残ってる感覚はぬぐい切れなかったが、列車の揺れに身をまかせ、眠りに落ちるのを待つことにした。熟睡とはいかないものの、しばらくはリラックスした状態が続いたようだった。もし起きれれば…と漠然と思っていたか、ふと目を覚ますともう間もなく直江津に到着するところだった。とりあえず着替えをして一旦外に出てみることにする。直江津で担当が西日本から東日本に替わり、それと合わせるためか、列車はしばらくこの駅に停車する。深夜のホームへ出て、外の空気を吸ってからもうひと眠りすることにした。
急行あおもり
次に目を覚ましたときには既に夜が明けていた。このまま狭い寝台で窮屈な思いをするのもつらいので、人が集まってくる前にサロンカーへ場所を移すことにしよう。まだ十分に早いと思ったが空いてる席は少なく、たまたま昨日座れた席が空いてたので、再びそこに着席することにした。車窓左手には笹川流れの景色が続いており、きらきらうえつで通ったときのことを思い出す。鶴岡、酒田とこまめに停車を繰り返していくものの、買い物をするには停車時間が短く、夜行の長距離列車だけに車内販売がないのはつらい。山形から秋田に入り、日も高くなってくる。秋田駅の小休止を狙って、列車の写真など何枚か撮っておくことにした。その後も急行あおもり号は順調に北上を続け、定刻で青森駅に到着、着いてしまえば16時間などあっという間だった。
急行あおもり
青森駅に到着したあおもり号は少し誇らしげにも見えた…なんてのは少々言い過ぎだろうか?と、ここで一晩お世話になった列車を見送る。先月に引き続きく青森訪問となってしまったが、今回は早めに帰京しようと思っている。新幹線の乗り継ぎ時刻から逆算すると、乗る列車は自ずと決まってしまうのだが、まだ気持ち余裕があったので、一旦弘前へ戻って、特急つがるに乗り継ぐことにした。ロングシートの普通列車に乗って、一旦弘前まで舞いもどり、始発のつがるに乗り込む。席に着いたものの、ちょっと違和感あるな?と思ったら、青森で進行方向が逆になるため、弘前を出発するときから席の向きが逆になっていた。弘前を出て右手に岩木山を眺めながら再び青森へ向かう。
青森駅
つがるは途中停車する駅も少なく八戸まではあっという間だった。乗り継ぎのはやての出発時間まであとわずかなので、大忙しで乗り換えをする。とりあえず夕食のお弁当だけ確保して、それでもギリギリでの乗り継ぎとなってしまった。これじゃお土産なんてあさってる余裕はない。席に着く前に列車は動き出していたので、本当にぴったりの乗り継ぎである。さて、もうあと数時間すれば東京にいることになるが、明日からのことを思うとやはり憂鬱な気分になってしまう。そうなるとこの新幹線のスピードも、逆に恨めしく思えてきた。もっと旅を続けていたいのに…と。
特急つがる