■旅日誌
[1998/1] 訪阪雪中強行軍
(記:2003/3/25 改:2021/1/1)
(記:2003/3/25 改:2021/1/1)

大雪のなか久しぶりに関西へ出張しました。当初2ヶ所まわる予定でしたが日程が合わず、この月は2回大阪を行き来することになってしまいました。とりあえずの1回目でしたが、天気予報によると関東地方は大雪の恐れありということで早めに東京を脱出することにしました。逃げ出すことは成功したのですが、後半の予定が狂いその場で急遽変更という場面もありました。ちなみにこの年の1月の東京は、なぜか木曜日に雪に見舞われることが多かったです。
1日目
大阪に出向くのは久しぶりである。折角関西まで出てくるので、別プロジェクトの方で協力してもらってる営業拠点と抱き合わせで訪問することを考えていたが、結局日程が合わずそちらは見合わせることにした。大津の工場へも随分前から訪問の機会をうかがっていたので1日でも早く話しをしたいと思っていた。なので今回はやむを得ず2回に分けて大阪を往復することにした。
天気予報で関東地方が大雪になるかもしれないと聞いたため、1/15の祝日に移動することを思い立った。朝起きてみると、見事なまでに雪である。新幹線は元気に動いてくれてるのだろうか?途中新幹線の特急券を買ったときも何も言われなかったのでとりあえず新幹線は大丈夫と判断した。休日なので人の動きは少ないが、大雪ということでみんな浮き足立ってる感じがした。何はともあれ東京駅に来てみると、下り列車は定刻通りに発車しているようである。箱根の手前で減速しているため、下りは小田原を抜けるのに遅れが出ており、当然上りは東京近くで遅れが生じているとのことだった。雪模様ということで外気温はとても低く、吹きさらしの中で列車を待つのは無理だった。早く列車に乗り込みたい。普段どれくらい混むのか分からないが、自由席はほぼいい感じで埋まっており、隣には外人さんと日本人の2人組みが座ってきた。陶磁器の写真がたくさん載ってる美術本を見ながら盛んに何か話をしている。東京駅を定刻に出発し、しばらくは低速で流していく。多摩川を渡って加速するかなと思われる区間へ差し掛かってもまったく加速をしなかった。(余談:実は自宅が新幹線沿線にあり、この日はかなりゆっくり走っていたのではっきりと自分の家を確認することができました。)新横浜を通過しても、まだダラダラと流している。車窓は真っ白な世界が広がっている。名古屋までノンストップなのだが、パンタグラフや床下に付着した雪を払い落とすために小田原に臨時停車するとアナウンスが入った。もちろん、臨時停車といっても旅客扱いしないので乗り降りはできない。長い棒やハタキのようなものを手に持った係員が右往左往している。所要時間は5分くらいだったが、すべての列車にこれをやってるのかと思うととてもご苦労なことだ。熱海を抜けるとすっかり雪景色は終わっていた。関東に雪が降るというのは、いつもの冬型の気圧配置ではないので関が原越えで雪に見舞われることはなく、結局新大阪には20分遅れくらいでの到着となった。
関西空港が開港してから大阪へ来たのは初めてかもしれない。まずは関空へ直通する快速に乗ることにする。なぜか京橋が始発なのか分からないが、大和路線もぐるっと環状線を回っていたっけ?環状線内はもたもたしていた感じが強かったが、天王寺を出てようやくそれらしい走りになってきた。徐々に景色が郊外のものになってくるが、空を見渡すと天気が悪いことがよく分かる。日根野で西に折れ、関空を目指す。どんな配線になっているのか少々興味があったが、りんくうタウン駅で南海と合流しその先が路線を共用していた。それにしても、聞いてはいたが空港の手前は本当に何もないようだ。関空に通じる橋はまさに海の上を渡るという感じだが、天気が悪くて視界がまったく利かない。そのうち空港が"島影"として見えてきた。本当にこんな"つくり"であっているのだろうか、よく分からん。ここまで来ておいてなんだが、別に関空には用はなかったので来た道を戻る。羽衣支線が未乗だったので1区間だけ乗りつぶしに向かう。東羽衣駅は高架の駅で、その先は何にもありません!みたいな感じでぶった切れていた。
南海に乗り継ごうと思い一旦外へ出ると雨が本格的に降り出していた。計画も予定も何にもなかったので、あとは適当にもどることにする。特にあてもなく上り方面に乗ってから、阪堺電軌の一部が未乗だったことを思出し住吉大社で降りることにした。阪堺のホームはいかにもという雰囲気の平屋のつくりだった。以前、阪堺電車に乗ったのはいつだったか忘れたが、路面電車はガタゴトガタゴトとマイペースを決め込む。しばらくして賑やかになったなと思ったら、天王寺に到着するところだった。天気もよくないので迷ったが、少し欲張って桜島線を往復しておくことにした。ということで、今日はここまで。(後日談:住吉大社を再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
天気予報で関東地方が大雪になるかもしれないと聞いたため、1/15の祝日に移動することを思い立った。朝起きてみると、見事なまでに雪である。新幹線は元気に動いてくれてるのだろうか?途中新幹線の特急券を買ったときも何も言われなかったのでとりあえず新幹線は大丈夫と判断した。休日なので人の動きは少ないが、大雪ということでみんな浮き足立ってる感じがした。何はともあれ東京駅に来てみると、下り列車は定刻通りに発車しているようである。箱根の手前で減速しているため、下りは小田原を抜けるのに遅れが出ており、当然上りは東京近くで遅れが生じているとのことだった。雪模様ということで外気温はとても低く、吹きさらしの中で列車を待つのは無理だった。早く列車に乗り込みたい。普段どれくらい混むのか分からないが、自由席はほぼいい感じで埋まっており、隣には外人さんと日本人の2人組みが座ってきた。陶磁器の写真がたくさん載ってる美術本を見ながら盛んに何か話をしている。東京駅を定刻に出発し、しばらくは低速で流していく。多摩川を渡って加速するかなと思われる区間へ差し掛かってもまったく加速をしなかった。(余談:実は自宅が新幹線沿線にあり、この日はかなりゆっくり走っていたのではっきりと自分の家を確認することができました。)新横浜を通過しても、まだダラダラと流している。車窓は真っ白な世界が広がっている。名古屋までノンストップなのだが、パンタグラフや床下に付着した雪を払い落とすために小田原に臨時停車するとアナウンスが入った。もちろん、臨時停車といっても旅客扱いしないので乗り降りはできない。長い棒やハタキのようなものを手に持った係員が右往左往している。所要時間は5分くらいだったが、すべての列車にこれをやってるのかと思うととてもご苦労なことだ。熱海を抜けるとすっかり雪景色は終わっていた。関東に雪が降るというのは、いつもの冬型の気圧配置ではないので関が原越えで雪に見舞われることはなく、結局新大阪には20分遅れくらいでの到着となった。
関西空港が開港してから大阪へ来たのは初めてかもしれない。まずは関空へ直通する快速に乗ることにする。なぜか京橋が始発なのか分からないが、大和路線もぐるっと環状線を回っていたっけ?環状線内はもたもたしていた感じが強かったが、天王寺を出てようやくそれらしい走りになってきた。徐々に景色が郊外のものになってくるが、空を見渡すと天気が悪いことがよく分かる。日根野で西に折れ、関空を目指す。どんな配線になっているのか少々興味があったが、りんくうタウン駅で南海と合流しその先が路線を共用していた。それにしても、聞いてはいたが空港の手前は本当に何もないようだ。関空に通じる橋はまさに海の上を渡るという感じだが、天気が悪くて視界がまったく利かない。そのうち空港が"島影"として見えてきた。本当にこんな"つくり"であっているのだろうか、よく分からん。ここまで来ておいてなんだが、別に関空には用はなかったので来た道を戻る。羽衣支線が未乗だったので1区間だけ乗りつぶしに向かう。東羽衣駅は高架の駅で、その先は何にもありません!みたいな感じでぶった切れていた。
南海に乗り継ごうと思い一旦外へ出ると雨が本格的に降り出していた。計画も予定も何にもなかったので、あとは適当にもどることにする。特にあてもなく上り方面に乗ってから、阪堺電軌の一部が未乗だったことを思出し住吉大社で降りることにした。阪堺のホームはいかにもという雰囲気の平屋のつくりだった。以前、阪堺電車に乗ったのはいつだったか忘れたが、路面電車はガタゴトガタゴトとマイペースを決め込む。しばらくして賑やかになったなと思ったら、天王寺に到着するところだった。天気もよくないので迷ったが、少し欲張って桜島線を往復しておくことにした。ということで、今日はここまで。(後日談:住吉大社を再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
2日目
まだ午前中はフリーだったので、ちょっと早起きして気になるところをチェックしに行くことにする。JR難波駅と改称された…などと書くとしばらく来てないことがばれてしまうが、昔はこんなハイカラな駅ではなかったように思う。昔立ち寄ったときは時間帯が悪かったのか薄暗く、華やかなところから随分と距離のあるところに位置していた印象が強い。そんなことはさておき、朝早いせいか関西線も環状線も比較的空いている。大阪で下りの新快速を捕まえしばらく西へ向かうことにする。とりあえずの目的地である兵庫駅は、どの種類の列車が停車するのかよく分かっていないので慎重にあたりをつけることにした。そのうちラッシュのピークがやってきて、身動きが取れなくなってしまった。まぁそれでもなんとか乗り換えて兵庫駅までやって来た。目指す和田岬支線(という呼称が正しいかどうかは分からない)のホームは高架ではなく地上に位置している。この路線についてはわざわざ説明を加えるまでもないと思うが、1区間だけそれも朝夕通勤時間帯だけにしか運転されない。それも専用のキハが運用についている。(後日談:その後、ここも電化されました。)終点の和田岬駅は無人駅なので、兵庫駅で出札を済ませるつくりになっている。東でいえば鶴見線がそっくりだ。次の和田岬行きは間もなく出るところで、既に車内は満員の状態だった。片方の扉は完全に閉鎖されており、長大編成のキハは十分使い古されたもののようだ。もうこの線区専用でしかあり得ない状態だ。扉が閉まりブルブルとエンジン音が響き渡って出発となる。左に緩やかにカーブし工業地帯の中を進んでいく。非力なエンジンはすぐにノッチオフされ、さほど加速をしない状態であとは惰性で走っていた。程なくして終点の和田岬駅へ到着した。列車の外に出るとホームの柵は所々途切れており、みなバラバラと降りていく。駅舎自体は先頭の方にあるのだが、あまり意味をなしてない。聞くところによると、東西を結ぶ地下鉄が建設中でここらにも駅ができるという。そうなればこの駅も廃止されても不思議ではない。(後日談:その後廃止されることもなく健在といっていいでしょうか?)ここにいても仕方ないのですぐに戻ることにした。帰りはガラガラで、使い古しの席に座ってみるととても硬いシートだった。これでまた気になる区間を制覇したことになるが、さてどこかで朝食をとってから仕事に向かうとしよう。
地方の人が東京の地理をよく知らない例えとして、横浜や埼玉や千葉を東京と一緒くたにしちゃう笑い話があるが、実は東京の人だって大阪と神戸と京都の区別がはっきりついてないのではないかと思うこともある。というか、自分だってどうかと言われればそれに近い。ということで兵庫まで来てしまったが、仕事をする場所は京都を通り越して琵琶湖に近くだったりする。(笑) 仕事の方は前々から積っていたこともあって、とても有意義に話を進めることができた。これで次にいい形でつなげられたように思う。もちろん、ことあるたびごとに足を運ぶことはできないので、やり方を考えながら…となってしまうが、1ヶ所だけ彦根の工場にも顔を出してぜひ話をしてきて欲しいと要望されてしまったので、そちらはまたあらためて来ようと思っている。
今回は久しぶりの関西ということもあり、帰京する途中に寄り道をするつもりだ。石山から普通列車を乗り継いで名古屋まで移動しておくことにしているが、米原あたりで日が暮れてしまった。名古屋に到着する頃には疲れ切った空気が車内に満ちていた。
地方の人が東京の地理をよく知らない例えとして、横浜や埼玉や千葉を東京と一緒くたにしちゃう笑い話があるが、実は東京の人だって大阪と神戸と京都の区別がはっきりついてないのではないかと思うこともある。というか、自分だってどうかと言われればそれに近い。ということで兵庫まで来てしまったが、仕事をする場所は京都を通り越して琵琶湖に近くだったりする。(笑) 仕事の方は前々から積っていたこともあって、とても有意義に話を進めることができた。これで次にいい形でつなげられたように思う。もちろん、ことあるたびごとに足を運ぶことはできないので、やり方を考えながら…となってしまうが、1ヶ所だけ彦根の工場にも顔を出してぜひ話をしてきて欲しいと要望されてしまったので、そちらはまたあらためて来ようと思っている。
今回は久しぶりの関西ということもあり、帰京する途中に寄り道をするつもりだ。石山から普通列車を乗り継いで名古屋まで移動しておくことにしているが、米原あたりで日が暮れてしまった。名古屋に到着する頃には疲れ切った空気が車内に満ちていた。
3日目
今日もしばらく快速、普通列車を乗り継いで東海道線を東に進んでいく。牧の原台地の下を新幹線はトンネルで一直線にぶち抜いているのでさほど気がつかないが、在来線は大きく北へ食い込んでる。そこから大井川沿いに北上する形で大井川鉄道の路線が敷かれている。SLの運行やトロッコ車両など、観光ポイントとしても昔から有名なところではあるが、気がつけばここも未乗のままだった。それこそガキの頃、友達に誘われて来ていていても不思議ではないようにも思えたが、確かにここへ来た記憶はない。いつものように、そんなことはどうでもよくて、"わざわざ"やってきたのでとりあえず乗りつぶしにかかるとしよう。
東海道線の金谷駅はとても風情のある田舎の駅の印象だった。が、有名なところでもあるので人造の"小奇麗さ"が目立ったようにも思う。早速、大井川鉄道の切符を買うことにする。当り前のように自販機を探したが、窓口での購入となった。往復にするか?と聞かれたが、終点の井川からバスで静岡に抜ける予定だったので片道だけ買うことにする。改札口に向かう途中でおつりをもらいすぎていることに気がつき、慌てて窓口に戻る。5000円札で支払ったのに、おつりの1000円札に混じって5000円札が含まれていた。1万円と勘違いしてませんか?と正直に申し出て5000円札を返してきた。別に偽善者を気取るわけでもないし、大井川鉄道という会社の救済者になろう、などと偉ぶるつもりもないが、こんな形で5000円もうけさせてもらっても仕方ないので素直にお返しすることにした。で、戻ったついでにこの先の昼メシのことが何となく気になったので、とりあえず弁当を買っておく。
大井川鉄道と一言にいっても千頭までのいわゆる普通の旅客扱いの電車が往来する区間と、その先のトロッコ列車になる区間に二分される。SLも千頭までの区間を走っているが、各地で活躍した名車がそれとなく運行に当たっており、それを見てるだけでも楽しく感じる人もいるという。特に関西の私鉄出身の花形特急列車がかつての威風堂々とした姿で活躍している。自分が乗ったのはかなり年季の入った車であったが、途中上下交換で行違いになる車両をみると、確かにバラエティーに富んでいた。変化の少ない風景の中、1時間ほどで千頭に到着した。
とんがりお屋根の建物が視界に入ってきた。千頭駅は新しく明るいイメージの強い駅舎だった。入組んだ留置線にはいろんな車両が停留している。ここで井川線に乗り換えることになる。分かっていたとはいえ、車両はとても小さく頭を屈めないと中に入れない。車内も膝を付き合わせるほどの狭さだ。後方に連結された機関車に押されながら登りにかかる。土曜のお昼間近ということもあってか、小学生が下校の足としてこの便を利用しているようだった。みなすぐに降りてしまったが、バスもないようなところなのだろうか?カーブがきつくレールとの摩擦音を軋ませながら地を這うようにゆっくりと進んでいく。もともと井川ダムを建設するための路線だったが、今はこうして観光路線として運行されているというわけだ。
終点の井川駅は木造の落ち着く感じの駅だった。こじんまりしているが、有人のお土産屋も店を連ねている。シーズンオフということもあり、いまこの駅で降りたのは4人しかいなかった。あたりをキョロキョロ見回しながら、とりあえずダム湖の見えるところに行ってみる。とても静かだ。いつも喧騒とした中で生活してるせいか、静寂というのがこんなに心地いいものかとあらためて感じてしまう。一応、バスの乗り場と時間を確認しようと思いバス停まで戻ってみると、大雪の影響で本日運行中止とぶっきらぼうな張り紙が…うぅぅ、やられた。さっき乗ってきた井川線はたった今折り返しで出ていったばっかりだ。あとは、、、1時間もすれば次のが来るみたいだが、それが今日の"最終便"になる。危ない、危ない。そうと決まればもう仕方ないので、ボーっと過ごすことにしよう。再び湖面を見渡せるところまで来て、金谷駅で買った弁当を開く。何の変哲もないありきたりの幕の内弁当だったが、妙にありがたく感じてしまうから不思議だ。何が起きるか分からないから、先を見越した食料調達は鉄則である。(笑) 向こう岸かダムの上流か行先は分からないが、渡し舟が出て行った。渡し舟と行っても、手漕ぎのギーコギーコではなくモーターボートのようなものだが、静寂の中1本の"筋道"を残して湖面を進んでいった。車は結構行き来しているようだが、歩いている人はまったくいない。近くに電力館というものがあるので、時間つぶしもあって入ってみる。当然、見学者なんて誰もいないので受付のお姉さんはヒマに違いないと思うが、別に退屈して仕方ない…という素振りもなく手元の本に読みふけっていた。自分でもどうやって時間を過ごしたのかはよく分からないが、井川線が到着しそうな時間になったので駅に戻ることにした。それこそこれを逃したら笑い事ではすまない。
バスで静岡市街に抜けることしか考えていなかったので再び井川線に乗るとは思わなかったが、他に選択肢がないのでまたトロッコ列車にお世話になる。しばらくして井川駅を出発した。本当に何にもしないで時間を過ごしたが、とても贅沢をさせてもらったような気分である。帰りもまた車輪を軋ませながらカーブを右、左と進んでいく。ただ行きと違ったのは、車掌がよくしゃべることだ。ここの景色はどうだとかいう観光案内から、面白いのかそうでないのか微妙な駄洒落など、何しろよくしゃべる。途中有名なアプト式の区間でも、こと細かに説明をしてくれる。このままだと井川線の一部が長島ダムの底に消えてしまうが、迂回の転換路線と電源公団(?)の資金でこしらえた、ただ、とても急勾配だったので常識では考えられない程の投資をして1区間だけアプト式になった、などまじめな話がしばらく続いた。確かに遠くに見える区間の勾配は、まるでジェットコースターのようでもあった。前もって知識があればそんな説明もかえって大きなお世話だったかもしれないが、気がつけば聞き入ってしまった。最後のくくりは「今頃来るなんて、なんて中途半端な奴だ、もっと早くに来い!」などと冗談で叱られてしまった。そうこうして飽きることもなく、千頭駅まで戻ってきた。井川駅でバスが運休してた事実を知ったときはさすがに不安に思ったが、ここまで来れば一安心である。ここで乗り継いだ金谷行きの列車は、旧京阪特急の車両のようだった。金谷駅へたどりついたときは日もとっぷり暮れており、山間の小駅は寒々としていた。(後日談:SLとあわせて再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
東海道線の金谷駅はとても風情のある田舎の駅の印象だった。が、有名なところでもあるので人造の"小奇麗さ"が目立ったようにも思う。早速、大井川鉄道の切符を買うことにする。当り前のように自販機を探したが、窓口での購入となった。往復にするか?と聞かれたが、終点の井川からバスで静岡に抜ける予定だったので片道だけ買うことにする。改札口に向かう途中でおつりをもらいすぎていることに気がつき、慌てて窓口に戻る。5000円札で支払ったのに、おつりの1000円札に混じって5000円札が含まれていた。1万円と勘違いしてませんか?と正直に申し出て5000円札を返してきた。別に偽善者を気取るわけでもないし、大井川鉄道という会社の救済者になろう、などと偉ぶるつもりもないが、こんな形で5000円もうけさせてもらっても仕方ないので素直にお返しすることにした。で、戻ったついでにこの先の昼メシのことが何となく気になったので、とりあえず弁当を買っておく。
大井川鉄道と一言にいっても千頭までのいわゆる普通の旅客扱いの電車が往来する区間と、その先のトロッコ列車になる区間に二分される。SLも千頭までの区間を走っているが、各地で活躍した名車がそれとなく運行に当たっており、それを見てるだけでも楽しく感じる人もいるという。特に関西の私鉄出身の花形特急列車がかつての威風堂々とした姿で活躍している。自分が乗ったのはかなり年季の入った車であったが、途中上下交換で行違いになる車両をみると、確かにバラエティーに富んでいた。変化の少ない風景の中、1時間ほどで千頭に到着した。
とんがりお屋根の建物が視界に入ってきた。千頭駅は新しく明るいイメージの強い駅舎だった。入組んだ留置線にはいろんな車両が停留している。ここで井川線に乗り換えることになる。分かっていたとはいえ、車両はとても小さく頭を屈めないと中に入れない。車内も膝を付き合わせるほどの狭さだ。後方に連結された機関車に押されながら登りにかかる。土曜のお昼間近ということもあってか、小学生が下校の足としてこの便を利用しているようだった。みなすぐに降りてしまったが、バスもないようなところなのだろうか?カーブがきつくレールとの摩擦音を軋ませながら地を這うようにゆっくりと進んでいく。もともと井川ダムを建設するための路線だったが、今はこうして観光路線として運行されているというわけだ。
終点の井川駅は木造の落ち着く感じの駅だった。こじんまりしているが、有人のお土産屋も店を連ねている。シーズンオフということもあり、いまこの駅で降りたのは4人しかいなかった。あたりをキョロキョロ見回しながら、とりあえずダム湖の見えるところに行ってみる。とても静かだ。いつも喧騒とした中で生活してるせいか、静寂というのがこんなに心地いいものかとあらためて感じてしまう。一応、バスの乗り場と時間を確認しようと思いバス停まで戻ってみると、大雪の影響で本日運行中止とぶっきらぼうな張り紙が…うぅぅ、やられた。さっき乗ってきた井川線はたった今折り返しで出ていったばっかりだ。あとは、、、1時間もすれば次のが来るみたいだが、それが今日の"最終便"になる。危ない、危ない。そうと決まればもう仕方ないので、ボーっと過ごすことにしよう。再び湖面を見渡せるところまで来て、金谷駅で買った弁当を開く。何の変哲もないありきたりの幕の内弁当だったが、妙にありがたく感じてしまうから不思議だ。何が起きるか分からないから、先を見越した食料調達は鉄則である。(笑) 向こう岸かダムの上流か行先は分からないが、渡し舟が出て行った。渡し舟と行っても、手漕ぎのギーコギーコではなくモーターボートのようなものだが、静寂の中1本の"筋道"を残して湖面を進んでいった。車は結構行き来しているようだが、歩いている人はまったくいない。近くに電力館というものがあるので、時間つぶしもあって入ってみる。当然、見学者なんて誰もいないので受付のお姉さんはヒマに違いないと思うが、別に退屈して仕方ない…という素振りもなく手元の本に読みふけっていた。自分でもどうやって時間を過ごしたのかはよく分からないが、井川線が到着しそうな時間になったので駅に戻ることにした。それこそこれを逃したら笑い事ではすまない。
バスで静岡市街に抜けることしか考えていなかったので再び井川線に乗るとは思わなかったが、他に選択肢がないのでまたトロッコ列車にお世話になる。しばらくして井川駅を出発した。本当に何にもしないで時間を過ごしたが、とても贅沢をさせてもらったような気分である。帰りもまた車輪を軋ませながらカーブを右、左と進んでいく。ただ行きと違ったのは、車掌がよくしゃべることだ。ここの景色はどうだとかいう観光案内から、面白いのかそうでないのか微妙な駄洒落など、何しろよくしゃべる。途中有名なアプト式の区間でも、こと細かに説明をしてくれる。このままだと井川線の一部が長島ダムの底に消えてしまうが、迂回の転換路線と電源公団(?)の資金でこしらえた、ただ、とても急勾配だったので常識では考えられない程の投資をして1区間だけアプト式になった、などまじめな話がしばらく続いた。確かに遠くに見える区間の勾配は、まるでジェットコースターのようでもあった。前もって知識があればそんな説明もかえって大きなお世話だったかもしれないが、気がつけば聞き入ってしまった。最後のくくりは「今頃来るなんて、なんて中途半端な奴だ、もっと早くに来い!」などと冗談で叱られてしまった。そうこうして飽きることもなく、千頭駅まで戻ってきた。井川駅でバスが運休してた事実を知ったときはさすがに不安に思ったが、ここまで来れば一安心である。ここで乗り継いだ金谷行きの列車は、旧京阪特急の車両のようだった。金谷駅へたどりついたときは日もとっぷり暮れており、山間の小駅は寒々としていた。(後日談:SLとあわせて再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
4日目
今日も未乗路線を求めて寄り道の帰路になる。東海道本線で吉原まで出てまずは岳南鉄道を乗りに行く。吉原駅にちょうど折り返しの便が到着したところだった。日曜ではあるが、学生を中心にこれからどこかへ向かう人の波とすれ違う。製紙工場だけではないと思うが、沿線は大きな工場が続く。ワンマン・単行可能に改造された車両は元井の頭線とすぐに分かった。通学で利用していたこともあり懐かしさを感じた。それ以上に懐かしさを感じたのは、元東急の青カエルの姿も目にしたときだったが、こちらは随分前に現役を引退したようですっかり雨ざらしになっていた。もう少し用心深くしていれば現役のころに訪れることもできたであろうか?終点の岳南江尾駅は新幹線をくぐったところにあった。駅舎はガタがきはじめているようで、お世辞にも手入れが行き届いてるとはいえない。折り返しの待ち時間中にも何本か新幹線が行き来していたが、何かおかしい。新幹線の向こうに高い山並みが見えるが、自分が思い込んでいた東西南北の方角が180度違ってることに気がついた。頭の中で軌道修正しながら吉原駅まで戻ってきた。
今日はここから富士山の西側を通って山梨方面へ抜け、富士急にでも寄ってみることにしている。ただ、河口湖方面のバスは新富士駅からしか出ていないので、まずは東海道線で富士駅まで戻ることにする。富士駅から新富士駅までバスがないか探してみたがありそうにもない。タクシーを利用してもよかったが、時間に余裕があったので歩いてみることにした。決して近いとは言えないが、そんなに距離があるわけでもない。T社の工場の赤い看板塔を目印に歩き出したはいいが、どこかの工場の排煙のせいか不快な臭いが鼻を突く。普通に住宅が立ち並んでいるが、自分には住めないと思った。
特に迷うこともなく新富士駅に到着した。たとえどんなに田舎の駅であっても新幹線の駅となれば長大な構えをしており、ここ新富士駅も立派な姿をしている。早速バスターミナルをざっと見回して時刻表と乗り場を確認するが、、、ガーーン(後日談:最近では、あまりこういう表現は使わないですね。その後、あらためて来たときの旅日誌はこちらをご覧ください。)ここでも大雪の影響でバスは運行中止との御ふれが出ている。ということで、出ないものは出ないので、ここは諦めるしかない。さて中途半端な時間に、これまた中途半端なところで予定が真っ白になってしまった。ここからだと伊豆近辺が帰り道の途中にもなるのだが、伊豆急は数え切れない程乗っているし、伊豆箱根にしたって何か最近乗ったような気がする。もうしばらく考えてみて、小田原から出てる大雄山線には乗ったことがないということが捻り出てきた。新幹線でちょいと行けば小田原だし、往復しても何時間もかかるわけでもない。今日はもう早めに帰宅すればいいだけなので、迷わず修正ルートをこいつに決定した。待つといっても、こだまだって1時間に1、2本は出てるので別に問題でも何でもない。
まさかここから乗るとは思わなかったが、日曜の午前中のこだまはガラガラだった。小田原には1時間もかからず着いてしまったが、小田原で降りると人が多くとても賑やかな感じがした。静かなところに身をおく時間がながかったせいだろうか。大雄山線行きの列車は結構頻繁に出ていた。車両も近郊型の姿をしている。味も素っ気もないが、すぐに終点の大雄山駅についてしまった。本当ならここから山登りをすべきところなのだろうが、そういう目的でないのでそのまま引き返すことにした。
小田原まで戻ってきたところで、時間はまだ正午だった。いろいろ回ったわりには時間が過ぎていない。まったく理由はないが何の気なしに熱海まで行くことにしたが、いざ来たところでやっぱり何もすることはなかったりする。(笑) とりあえず適当なところでお昼を済ませることにした。熱海駅まで戻り、ちょうどダブルデッガーの快速に時間があったのでそいつに乗って帰ることにした。2階席に腰を据えるが、さすがに狭い。眺めは悪くないが、ガラスに張られたフィルムが歪んでいるせいか、窓の向こうに見える物の形が微妙に変形している。小田原を過ぎて湘南地域を抜けたあたりから未だ融けないで残っている雪がちらほら目についてきた。思いのほか振り回された犯人はまだまだたくさん残っていた。
今日はここから富士山の西側を通って山梨方面へ抜け、富士急にでも寄ってみることにしている。ただ、河口湖方面のバスは新富士駅からしか出ていないので、まずは東海道線で富士駅まで戻ることにする。富士駅から新富士駅までバスがないか探してみたがありそうにもない。タクシーを利用してもよかったが、時間に余裕があったので歩いてみることにした。決して近いとは言えないが、そんなに距離があるわけでもない。T社の工場の赤い看板塔を目印に歩き出したはいいが、どこかの工場の排煙のせいか不快な臭いが鼻を突く。普通に住宅が立ち並んでいるが、自分には住めないと思った。
特に迷うこともなく新富士駅に到着した。たとえどんなに田舎の駅であっても新幹線の駅となれば長大な構えをしており、ここ新富士駅も立派な姿をしている。早速バスターミナルをざっと見回して時刻表と乗り場を確認するが、、、ガーーン(後日談:最近では、あまりこういう表現は使わないですね。その後、あらためて来たときの旅日誌はこちらをご覧ください。)ここでも大雪の影響でバスは運行中止との御ふれが出ている。ということで、出ないものは出ないので、ここは諦めるしかない。さて中途半端な時間に、これまた中途半端なところで予定が真っ白になってしまった。ここからだと伊豆近辺が帰り道の途中にもなるのだが、伊豆急は数え切れない程乗っているし、伊豆箱根にしたって何か最近乗ったような気がする。もうしばらく考えてみて、小田原から出てる大雄山線には乗ったことがないということが捻り出てきた。新幹線でちょいと行けば小田原だし、往復しても何時間もかかるわけでもない。今日はもう早めに帰宅すればいいだけなので、迷わず修正ルートをこいつに決定した。待つといっても、こだまだって1時間に1、2本は出てるので別に問題でも何でもない。
まさかここから乗るとは思わなかったが、日曜の午前中のこだまはガラガラだった。小田原には1時間もかからず着いてしまったが、小田原で降りると人が多くとても賑やかな感じがした。静かなところに身をおく時間がながかったせいだろうか。大雄山線行きの列車は結構頻繁に出ていた。車両も近郊型の姿をしている。味も素っ気もないが、すぐに終点の大雄山駅についてしまった。本当ならここから山登りをすべきところなのだろうが、そういう目的でないのでそのまま引き返すことにした。
小田原まで戻ってきたところで、時間はまだ正午だった。いろいろ回ったわりには時間が過ぎていない。まったく理由はないが何の気なしに熱海まで行くことにしたが、いざ来たところでやっぱり何もすることはなかったりする。(笑) とりあえず適当なところでお昼を済ませることにした。熱海駅まで戻り、ちょうどダブルデッガーの快速に時間があったのでそいつに乗って帰ることにした。2階席に腰を据えるが、さすがに狭い。眺めは悪くないが、ガラスに張られたフィルムが歪んでいるせいか、窓の向こうに見える物の形が微妙に変形している。小田原を過ぎて湘南地域を抜けたあたりから未だ融けないで残っている雪がちらほら目についてきた。思いのほか振り回された犯人はまだまだたくさん残っていた。