■旅日誌
[1997/10] 山形んんまい!
(記:2003/4/12 改:2009/11/29)
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仕事の方で、かねてから気にしていたところにようやく行くことができました。以前お世話になった方にもお会いして、仕事の話も進めたかったのでとてもよい機会になりました。季節的にも清々しく久々にお会いした方にもご馳走してもらったりと、山形へは何回か足を運びましたが一番印象に残る出張でした。(ぉぃぉぃ、何しに行ってるんだか?!?!)
 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
高畠、米沢、山形
なぜか山形へ行くときはいつもわくわくしている。今回も久しぶりに旧知の方とお会いできるとあって、遠足前の子供のようにウキウキ気分に近いものを感じていた。もちろん仕事の用事で行くわけだが、なかなか都合がつかず随分と引っ張ってしまった感はあった。それにしても、なぜか山形の人は初めて会うのにそう感じさせない人が多いように思う。
高畠に停まってくれる新幹線は意外と少ない。米沢で降りて鈍行で行っても構わないのだが、とりあえず時間が合いそうなやつを選んでみた。お昼ちょっと前に工場に入って、午後をまるまる使ってあれこれしようと考えていた。東京駅には、それほど早い時間に行く必要もないので気持ち的にも余裕があった。自分勝手な尺度でみると、東京、山形間は、距離的にも時間的にもちょうど場所にある。車窓も新幹線でガンガンいくかと思えば、奥羽山脈の難所越えありと変化があって飽きない。季節的にも、新緑、盛夏、紅葉、雪景色など時期によって様々な表情を見せる。まだ紅葉には早いが、これから秋本番を迎えるところで季節的にはとても気持ちの時期だった。
高畠駅で降りたのは自分を含めて3人だけだった。JR東日本の経営する宿泊施設があるが、商売的には果たしてどんなものなのだろうか?駅まで迎えを出しましょうか?と声を掛けていただいたが、場所は大体分かっているし十分歩ける距離だったので、ひとりでぽこぽこ向かうことにした。駅前から離れるにつれ人の姿はなくなり、気がつけば工場の正面まで来ていた。敷地の中は右も左も分からないので、守衛を通じて入り口まで来てもらうよう呼び出しをかける。ここで見覚えのある懐かしい顔に再会することができた。余裕があるとはいえ、時間がもったいないのであれこれと話をしていくことにする。
お昼休みをはさんで仕事を再開する。こちらから持ってたものを次から次へと紹介し、何だか一方的な話しばかりだったような気もする。時折休憩をはさんで窓の外に目を向けたりしたが、そよそよと気持ちのいい風が入ってくるのが心地よかった。近くの雑木林で木々の葉が触れ合う音が聞こえてくる。1、2週間前が稲刈りのピークだったとかで、そのときは何ともいえない香りがしていたという。目と耳と鼻、そして肌で季節を感じるという話を聞いた。手許に用意したものすべて片付けたらちょうど夕方のいい時間になっていた。
ちょっと移動しましょうか?と誘われ、そう大したもんじゃないけどね…と案内されたお店で米沢牛をご馳走になる。確かに身震いするような超高級料理店というわけでもないが、それでもかなり広い屋敷風の建物に入り、通された座敷に陣取りすき焼きやら何やら普段ではありえないような豪勢な食事に舌鼓を打った。何杯かのお酒も手伝って、あれこれいろいろ話をしてあっというまに2時間、3時間と経っていた。かつて自分のいた部署に出向で来られてしばらく一緒に仕事をさせていただいた方なので、こうしてこちらからやってきて歓迎されるのはとても嬉しいことだった。最後は米沢駅まで見送りに来てもらい、宴の余韻を惜しむような気持ちでつばさに乗り込んだ。(余談:結局、自分の方が会社を移ってしまいましたので、直接お会いするのもこれが最後でした。その後もバリバリ活躍されてたことと思います。)
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
山形、山寺、米沢
今回の出張は高畠工場がメインだったが、折角山形まで来たので山形工場の方にも顔を出しておくことにした。来たら来たでやはりそれなりにすることはある。とはいうものの、朝一で入ったので午後適当な時間で引き上げさせてもらうことにした。というわけで、ちょっとした空き時間ができた。実は前々から山寺に行ってみたかったのだが、この時間なら明るいうちに"登る"ことができそうだ。北山形から仙山線で移動し山寺駅で降りる。駅から続く狭い道には、ぽつぽつとお店がある程度で田舎の風情が漂っている。やがて"ふもと"までやってきて、ここから山登りに差し掛かる。ここは一気にいった方がいいなと思い、休まずハイテンポで登ることにした。息が上がる程とまではいかないが、それなりに手ごたはある。(笑) ふと周囲を見回すと素晴らしいパノラマが広がっていた。一応(?)お参りを済ませ、あらためて周囲の山々を見渡してみる。これまでも仙山線から何回も見上げたことがあり1度は登ってみたいと思っていたが、これほど素晴らしい場所だとは思わなかった。(後日談:山寺に再訪したときの様子はこちらもご覧ください。)
そよそよと吹く秋風で体がクールダウンした感じがしていた。このままボーっとしているとそれこそ何時間でも過ごせそうだったので適当なところで切り上げることにした。山形に宿をとってあったので、このまま戻ろうかとも思ったのだが、多少余裕があったので特に理由はないが昨日も通った米沢を往復する。昨日あれほど喰ったというのに、飽きずに牛肉弁当を買ってしまった。そう、引っ張ると暖めてくれるやつである。こいつも1度試したいと思っていたので思わず衝動買いをしてしまった。
 3日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
米沢、米坂線、新潟、関屋、新潟交通、月潟、五泉、蒲原交通、蒲原、新潟
今日は場所をかえて新潟方面へ出るつもりだ。みたび米沢まで出てきて、米坂線で新潟を目指す。以前、米坂線に乗ったことがあったが、そのときは夜遅い時間になってしまったため、あらためて昼間に通ってみたいと思っていた。一旦、山形鉄道と合流して、また南北に分かれていく。三セク転換前は兄弟みたいなものだったが、今では独立して違う会社の路線である。しかし、線路の一部は共有という形をとっており何とも割り切れない。米坂線の通過する地域は日本でも指折りの豪雪地帯であり、急斜面の目立つ山々が連なっている。そういえば、昔ここを通ったときは3月初旬であったが、かなり雪が降っていたように記憶している。坂町まで下りてくると、日本海は随分と近い。路盤がよくなったためか、ここから急にすっ飛ばし始める。快速列車は、定刻で白新線回りで新潟に到着した。
今回は新潟を走っている私鉄の乗りつぶしを考えていた。廃止のうわさも聞こえてきているので、前々から訪れてみたいと思っていたところではあった。(後日談:案の定、程なく廃止されてしまいました。)新潟駅で慌しく越後線に乗り換える。乗り継ぎのタイミングがよすぎるのもこういうときは困りものだ。信濃川を渡り関屋で一旦降りる。ここから新潟交通の東関屋駅まではちょっと距離があって分かりづらい。関屋から信濃川を渡って新潟の中心部へ乗入れるのは、夢で終わってしまうのだろうか。電車とバスを乗り継ぐような構造の駅で次の便を待つ。車庫がすぐそこにあり年季ものが揃っている。実際やってきた月潟行きも床が木張りのものだった。乗り心地は決していいものではないが、沿線風景や駅の雰囲気も含めまるでタイムスリップしたような錯覚に陥る。時折ゆっさゆっさと揺られ、僅かに開いた窓から入り込んでくる風も心地よい。わざわざ遠回りして本当によかったなと思う。かつては、もっと先まで路線が延びていたが、終点の月潟駅はとても中途半端な感じがした。
新潟交通を往復し、関屋でバス乗り継ぎ扱いを受け新潟駅まで戻ってきた。今日はもうひとつ古い私鉄を乗りに行こうと思っている。信越線で新発田へ出て、更に五泉まで磐越西線で向かう。ここから蒲原交通に乗り換える。JRのホームの向こうに一段低く感じるホームがあり、右に直角に曲がって線路が続いている。こちらもかつては長い路線が引かれていたが、いまではわずか三駅しか営業をしていない。しばらくして折り返し蒲原行きの電車が入ってきた。やはり年季もののようで、新潟交通ともいい勝負だ。(後日談:残念ながら、こちらも程なくして廃止となってしまいました。)五泉駅を出発してカーブを抜けると、あとはほぼ一直線になる。並行する国道を走る車は、バンバンこちらを抜いていく。正直、廃止もやむなしと思わざるを得ない。あっという間に終点の蒲原に着いてしまった。駅舎も相当古そうだが、なかなか雰囲気のあるところだった。夕方だったせいか意外と人は多く賑やかで、駅という役目を担っていることがよく分かる。すっかり日も暮れてしまったが、今日は新潟までもどることにしている。直通の急行バスも出てるようで、分が悪い材料ばかりが目立ってるようにも思えてきた。路盤が悪いか、無理に飛ばそうとしてるのか、縦揺れも横揺れもひどく、ときどきパンタと架線の接触が離れるのか、バシ、バシっという音をたてて車内灯が点いたり消えたりしていた。
ここまで来たルートをそのまま逆にたどり新潟へ戻る。途中、新発田で乗り継ぎ時間があったので、改札の外に出てみた。雪国らしく駅周辺の道路は融雪用の放水設備が張り巡らされている。暗くなっていたせいか、古い街並みはとても落ち着いて見えた。新潟でなく、この辺に宿をとっておけばよかったかな?と、ふと思った瞬間であった。
 4日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
前橋、上毛電鉄、桐生、わたらせ渓谷鉄道、間藤、大間々、赤城、東武桐生線・伊勢崎線、北千住
朝一の新幹線に乗ってお昼に帰ってもあまりにも芸がない…といつもの悪いクセで捻り出てきたルートはなぜか普通じゃない。(笑) この時期、季節運転で日曜だけ水上行きの快速列車が設定されていてこいつのお世話になることにする。分かる人には分かるが、上越国境越えをしてくれる列車は1日に数える程しかなく、自分のような物好きにはこのような運用が入るのは貴重なことだったりする。新潟を朝早く発つので山登りにでも行く人のためのものなのか分からないが、ムーンライトの車両そのもののようだった。(後日談:当時のムーンライトは旧式の急行電車の車両の座席を改造しただけのものです。)こいつを利用する人は少なく、ガラガラのまま新潟を後にする。一応、快速列車の扱いなので、時刻表上はいくつも駅を通過することになっているのだが、定期列車の合間をぬっての運用のため一向にスピードを出す気配がない。おまけに、貨物列車にも遠慮がちで、妙なところで追い抜きのために道を譲ることもしばしばだった。そうこうしてるうちに越後湯沢を過ぎ山越えに入る。この区間はムーンライトで通ったことがあるにはあるのだが、もちろん外の景色をまじまじと見たことはない。右に左にカーブを切りスキー場をいくつも横目で見ながら進む。ここは難所越えだということがあらためて分かった。新幹線が開通する前は特急と急行が頻繁に走っていたわけで、高規格の立派な路線が過去の栄光を物語っているようだった。
水上へ着いてみて、ここが新潟と高崎の管轄の境だということが分かる。ここまではもてあそび気味でゆったりと座ってこれたが、ロングシートの2両編成押し込まれ、文句をたれている人もいた。ともかく押し合い圧し合いで1時間ほどガマンを強いられる。高崎までは行かずに新前橋で降りて両毛線に乗り換え、前橋に出るために横道にそれることにする。次に向かう先の上毛電鉄はJRの前橋駅からは少し離れたところに駅がある。歩いても行けそうだったのでとぼとぼと中央前橋駅まで向かうことにした。バスも出ているが時間の余裕もあったのであまり気にはしない。(後日談:最近じゃワンコインバスが両駅を結んでいるようですね。)
駅前はそれなりに建物などが多かったが、駅のホーム脇の用水路はちょっと雰囲気があった。前橋を後にするとすぐに田舎の風景にかわる。特に目立ったものもなく、のどかな田園の中をひたすら走り続けていた。振り返ると昨日までヘビーな食事が多かったので、胃腸が重力を感じていた。(苦笑) 前橋ほどではないが、終点の西桐生駅もJRの駅からちょっと離れたところにあった。降りる人は一斉にそちらに向かって歩いていくので自分もその流れにのっていく。桐生からはJRではなく、わたらせ渓谷鉄道に乗り継ぐことにしていた。旧足尾線からの三セク転換路線で、どちらかというと生活路線というより観光路線に近いように思えた。桐生駅は既に足尾方面行きが入っていた。JRと同じ改札で、端っこのひとつがわたらせ渓谷鉄道のホームだった。発車間際だったので席はほとんど埋まってしまっている。何気なく、すぐに降りそうな人を探しながらとりあえず様子を見ていた。やはり、停車するごとに人が降りていくので、そのうち席側に移ることができ、渓谷沿いの風景を目にすることができた。それでも足尾方面に向かう観光客は多く、それなりの乗車率のようである。そのうち地元の方だろうか、沿線のお土産品や野菜などを車内で売りにきた。元気のいいおばちゃんが積極的に売り込んでいる。ちょっとうるさかったが、まぁそういうものだろうと思い軽く流す。足尾銅山といえば、小学校の教科書にも出てくるほど有名なところだが、遠目には美しい渓谷が続いていた。足尾でほとんどの人が降りてしまったが、1駅先の終点間藤まで行ってそのまま戻ってくることにした。これで完乗だが抜け道がないのでそのまま往復することにした。(後日談:その後、わたらせ渓谷鉄道を再訪する機会がありましたが、旅日誌はこちらをご覧ください。)東武線桐生線に乗り継げそうだったので、帰りは大間々駅で降りて赤城駅まで歩くことにする。東武線も攻めあぐねているので、なんとなくいい機会だから回ってみることにした。1キロ程だろうか、またもとぼとぼ歩いて赤城駅までたどり着いた。さすがにここまでくると東武線といえどローカル色が強く1時間に1、2本くらいしか本数がない。東武色の車両を目の前にするともう少しで帰れそうに錯覚を起こしてしまうが、実はここからまだ距離がある。