■旅日誌
[1996/3] 早春の新潟路へ
(記:2009/3/26 改:2015/11/1)
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思い立って新潟の未乗路線を制覇することにしました。夜行で出発して翌日帰ってくるので実質日帰りです。春はそこまでやってきてましたが、寒かったり、暖かかったり季節の変わり目といったところでした。
 0日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
高崎、上越線・信越本線・白新線/ムーンライト
思い立って新潟の未乗路線の制覇することにしていた。18切符を何枚か購入し、そのうちの1枚を消費する。この時期ムーンライトの人気は高いので、早めに指定を押さえておかなければならない。いつぞやと同様、高崎線の途中で日付が変わるのにタイミングを合わせ、あらためて高崎駅のホームでムーンライト待つことにした。3月とはいえ、こんな深夜では外はかなり寒い。(後日談:その後、再びムーンライトに乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
新発田、羽越本線、新津、越後線、吉田、弥彦線、弥彦、小出、只見線、会津若松、磐越西線、郡山
予想通りムーンライトは混雑していた。満席のまま新潟へ向かう。浅い眠りの中、運転停車しているのを何回か確認しながらやがて夜が明けていった。翌朝新潟駅で大半の人が降りていった。ここで全車指定は解除され、座席を回転させ適当にワンボックスを作ってしばしくつろぐ。外はどんよりとしてまだまだ薄暗い。みぞれ模様の中、新発田でムーンライトを後にした。外の気温はかなり低く先程までの車内との落差のせいか、えらく寒く感じる。なぜか年代ものの急行型車両がそこに止まっていた。どれくらい待たされただろうか、新発田-新津間の羽越線をショートカットする始発電車で新津へ戻る。遠くまで田んぼが続く中、この単線の路盤はあまりよろしくなく、よく揺れる。デルタ線をくるっと回って再び上越線で新潟駅へやって来た。冷たい水で顔を洗うと一気に目が覚めた感じがした。そろそろ人々が始動し始める時間である。
今日最初の未乗線である弥彦線に乗るため、越後線で西へ何駅か移動する。明け方のみぞれは上がり、徐々に晴れてきていた。吉田駅で弥彦線に乗り換え、最初に弥彦駅を往復する。弥彦駅はローカル線の終着駅にしては立派なつくりをしている。そういえば、小学生のときだったか親戚の人に連れられてここらへ海水浴に来たことがあった。そのときにで弥彦山へ登ったような記憶がある。弥彦線は典型的な盲腸線であり、このまま折り返す。折り返しは東三条行きなのだが、吉田駅で時間調整のため何十分も停車することになった。柔らかな日差しが車内の温度を上げ、ポカポカしてとても心地よかった。自然とうたた寝をしてしまい、発車のときのガクンという揺れで目が覚めた。その後も春の陽気の中、のんびりと列車は停車を繰り返していった。新潟にはこんな感じのローカル線がいくつもあったはずだ。今ではすっかり廃止され少々寂しい感じがする。
東三条で長岡行きに乗り換える。もう少し睡眠を補うため、ここは寝ておくことにした。そういえば朝から何も食べていなかったが、長岡駅で駅ソバを試すことにした。再び上越線に乗り小出駅まで移動する。今回のメインイベントである只見線へ乗り換えるためだが、珍しく乗り継ぎのタイミングが良すぎてちょっと慌しい。まともに乗り通そうとすると、1日に2、3本くらいしか筋がかなく、なかなかハードルの高い場所である。計ったかのように周囲はダッシュして関取り合戦が繰り広げられた。運よく自分はそれに勝つことができたが、座席は程なく埋まった感じだ。これから長丁場になる。
只見線は山間を行くかなり長距離の路線である。本数は少ないし乗客も少なくよくこれで成り立つものだと思うが、豪雪地帯では道が雪に閉ざされることもしばしばあり鉄道が重要な交通手段となると聞いたことがある。普通なら鉄道の方が道路よりも先に雪に阻まれそうなイメージがするが、ここはまったく逆らしい。ところどころ根雪が残る中、車窓は単調な景色が続き車内の空気もどよーんとしてきた感じだ。眠りこくって折角の只見湖の景色を見逃す人も少なくなかった。只見駅で上下交換のためしばらく停車することになった。意外だったのは、明らかによそ者と見られる人の割合も多く、皆乗り通しを目指しているようだった。
本当に長い時間をかけて、終点の会津若松へ到着した。ただ、乗り通してみれば意外と早かったような気もする。ぜひまた来たいものだと思った。今回はここから磐越西線を乗り継いでまっすぐ帰ることにする。郡山から新幹線を利用すればさらに早く帰京できるのだが、ここもケチ臭く鈍行を乗り継いでいくことにしよう。時間の過ぎ方は同じなはずなのに、只見線よりも東北線の方が時間がかかるように感じてしまうのは言うまでもないことだった。(後日談:その後、只見線でSLに乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)