■旅日誌
[2005/9] 混沌と喧騒の国、インド
(記:2005/10/15 改:2021/7/1)
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本当に突然でしたが、仕事の関係で急遽インドへ行ってきました。ある会議でのこと、しばらく議論して煮詰まったところで「そうだお前行け!」という感じで決まったときには、既に出発予定まで1週間を切ってました。いつそうなってもいいようにビザだけは準備してたものの、旅の準備もままならないまま2週間の予定で出国しました。もちろん遊びではないので旅行を楽しむ余裕はほとんどありませんでしたが、それでも貴重な経験をさせてもらいました。結局2週間を越える滞在になってしまいましたが、混沌と喧騒の国、インドを垣間見ることができました。
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 番外編・その1
ルート概略
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インド・ハイデラバード
あまりにも唐突だったので、準備が追いつかないまま出発前日を迎えていた。仕事の準備も不足気味で気がかりだったが、それより何より旅支度すらロクにできていない。結局、帰宅できたのが当日の午前4時。帰りが早朝になってしまうのはそれほど珍しいことでもないのだが、朝10時前の成田エクスプレスには乗らなければならないので、ゆっくり休むことができない。自分で言うのも何だが、このようにホームページに旅日誌を書くくらいなので旅慣れたつもりではいるが、海外となると事情が違ってくる。実はここで白状すると、海外へ行くことを計画すると直前になってことごとくキャンセルされるという不思議なジンクスを持っており、いままでそんな経験を何度繰り返したか覚えてない。おまけに特異体質のおかげで、食事事情の違う場所へ出掛けるのを自ずと避けていたこともあり、海外は毛嫌いする傾向にあった。だが今回は事情が事情で半ば命令に近い形だったので、余計なことを考えるヒマもなかった。(後日談:その後、プライベートでインドを再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
インド・ハイデラバード・チャールミナール
今回の出張先はインドのハイデラバードという都市である。日本からの直行便はない。同じインドでもニューデリーやムンバイなら直行できるのだが、そこからドメスティックに乗り継ぐが、あるいは違う国でトランジットしなければならない。以前行った人の話によると、シンガポールかマレーシア経由が比較的素直だろうとのことで、今回はクアラルンプール経由で行くことに決めてあった。成田からクアラルンプール空港までは7時間、トランジットが約3時間、クアラルンプールからハイデラバードまでは4時間ほどである。結構な長旅だ。運よく勝手知った方との同行だったので不安はまったくなかったが、団体のパックツアーとは違って自分で段取りしなければならないのはいい経験になったかもしれない。(後日談:クアラルンプールにはあらためて訪問する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
インド・ハイデラバード
寝坊してしまうことを考えると怖かったので睡眠をとるかどうか迷っていた。それでも2時間くらい仮眠をとっただろうか、気分が優れないまま家を出ることになる。こんな状態だというのに、2、3日前にはあれほどひどかった風邪もどうにか奇跡的に治まったようだった。これから何日間の滞在になるか分からないが、とりあえず1週間分の荷物だけ持っていくことにした。満席の成田エクスプレスの車内で同行する方に合流して一路成田空港を目指す。九州に台風が近づいており関東地方も天気がよくない。体調不良に寝不足、正直、この先が思いやられる。そうか、NEXは初乗か…。だからどうってことでもないが、妙なことを思いつく。NEXの混雑のわりには、成田空港はまったくのガラ空きだった。チェックイン時にANAのマイレージに付け替えることもできますが…と思わぬことを聞き、その場でお願いする。乗り継ぎ便や帰りの便についても申請すれば付けてもらえるらしい。ちょっとラッキーかもしれない。手続きを済ませ、出発までの時間をラウンジで過ごす。中に入ると人っ子ひとりおらず、拍子抜けしてしまった。マレーシアへは定刻の出発となった。外は低い雲が立ち込めて雨模様である。いよいよ日本を発つことになる。
インド・ハイデラバード
どこぞで見かけたが、東南アジアへはシンガポール航空の評判が常に高く、マレーシア航空もそれに次いで人気があるという。ANAとのコードシェア便だったこともあり(当時)日本人スタッフも乗り込んでいた。キャビンアテンダントの服装は民族衣装風のタイトなもので、ここまで来たらもう流れのまま行くしかないな、といった気分になっていた。さて、ちょうど昼食どきなので食事を楽しむことにする。スタータに出てくるマレーシア風サテー(追記:焼き鳥というか、串焼きのようなもので、ピーナッツソースが添えてあります。)は一食の価値ありと聞いていたので少し期待してみる。メインコースには日本食のオプションもあり、しばらく日本食は食べられないだろうと、あらためて決心を固める。食事が終わってしまえば、あとは寝不足解消に走るだけだ。そうそう、インドと日本との時差は3時間半。(ちなみにマレーシアとは1時間)時差ぼけするほどのものではないが、それより何より体が休息を求めてどうにもならない状態だった。やはり台風の影響で途中揺れることもあったがそれ程のことでもなく、定刻でクアラルンプールに到着した。とてもきれいな新しい空港である。ラウンジに直行して休憩をとることにする。ラウンジも広くとてもきれいで申し分ない。シャワー施設が使えるとのことなので、まずはさっぱりしておくことにした。今日ここで乗り換えて、現地に着くのが向こうの夜中1時過ぎになる。先はまだ長い。
インド・ハイデラバード インド・ハイデラバード
あまり大きい声では言えないが、どうやらツアーエージェントにディスカウントオファーがあったようでマレーシア行きもハイデラバード行きもアップグレード扱いされていた。これはありがたい。特にハイデラバード行きでこのクラスを利用する人は、ほとんどいなかった。再び食事になり、もういちどあのサテーを食した後、メインはいよいよエスニックな雰囲気が漂ってきた。嫌いじゃないが、食べ慣れないせいかどことなく落ち着かない。再び爆睡するものの、成田からの7時間よりもこちらの4時間の方がはるかに長く感じられた。やがて街の灯がはっきりと分かるようになり、ハイデラバードのランドマークと聞いてた大きな湖が見えたところで、いよいよ来たな…という気分になった。クアラルンプールでは恐ろしく静かなランディングだったが、ハイデラバード空港へは、日本の国内線のように急減速しての着陸だった。飛行機を降りて空港の建物に入ると、お世辞にもインターナショナルエアポートとは思えないほど暗く古い建物だった。数年後には新しい空港へ移るらしいが、何とも寂しい場所である。何というか、30年前の小学校の校舎といった感じである。ごちゃごちゃっとした狭っ苦しい部屋へ入るとそこがイミグレーションで、運悪く遅れた前の便とバッティングしてしまい通過するだけで1時間以上待たされた。よく「インド待ち」という言い方をするらしいが、入って早々この状況である。いやぁ、参った。(後日談:ハイデラバード空港ですが、その後2008年にラジーヴ・ガンディー国際空港として全く新しい空港へ移転することになりました。
インド・ハイデラバード インド・ハイデラバード
心配された荷物のピックアップも無事クリアして、建物の外へ出る。時間にして午前1時を回ったところだというのに、出迎えの人の多さとこの雰囲気には圧倒される。それでも座席のアップグレードのおかげで長旅の疲れはまったくなかった。幾重にも重なったインド人に取り囲まれた状況で、迎えに来ていただいた現地コーディネータの方に導かれピックアップの車に乗り込む。周囲を見回すと文字通り別世界がそこにあった。もう深夜なので賑やかさはないが、見るものすべてがまるで映画のセットのようだ。慣れないせいか不思議な感覚だ。詳しくはまた後で書くとして、何しろ車の走り方も半端じゃない。ホテルに到着してチェックインしたときには午前1時半をゆうに過ぎていた。それにしても立派なホテルである。これについても後で触れることにしよう。
インド・ハイデラバード
 番外編・その2
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
インド・ハイデラバード
インドのイメージというと、人口が多いとか、カレーだとか、ガンジス川だとか、マハラジャだとか、まぁどれも先入観のようなものでしかない。最近ではIT先進国と言われているように、秘めたるパワーは底知れないのは確かだ。ただこれだけの大国なので人種の"るつぼ"であることは間違いなく、準公用語は十数種類あるらしい。ちなみにインドの通貨単位はルピーで、お札の裏にはそれぞれの言語で説明が書いてある。物価は日本の5~10分の1程度だろうか、レートはルピー価格を2.5倍すれば日本円といった計算で大体あっている。ひところのような露骨な人種差別はなくなったというものの、富裕層と貧困層の差が激しいのは確かである。ただ、格差という意味ではどの国も多かれ少なかれそのような事情を持っているのではないだろうか。さて、今回の訪問先であるハイデラバードは南インドに位置し、いわゆるデカン高原にあたり標高は500mほど、気候としては意外と過ごしやすい。真夏の一番厳しいときだと最高気温は40℃近くなり雨季の湿度の高さは憂鬱そのものだが、今回訪問した9月は乾期ともいわれ9~11月は一年中でもっとも過ごしやすいという。現に最高気温が30℃を切る日も珍しくなく、東京の方がよっとぽど暑かったくらいだった。
インド・ハイデラバード
インドの首都はいうまでもなくニューデリーである。ハイデラバードはインド5番目の都市とも言われている。もちろん街の規模としてはデリーやムンバイには到底及ばないもの、治安や"きれいさ"はハイデラバードの方が良好であるらしい。何となく街全体の生活レベルは高いようである。走ってる車を見ても、新しくてきれいな車が多いことに気がつく。(余談:日本の車もとても人気があり、SUZUKIがトップシェアです。)他の大都市のようにスラム街がそこかしこにあるかというと、そういうわけでもなさそうで、物乞いの数も断然に少ないという。ハイデラバードの街をちょっと移動すると分かるが、高い建物というのがまったくない。これは空港が都心部のすぐ近くにあるためだとされている。ちなみにあの貧素な空港は2~3年後をメドに郊外へ移転し、立派なものに衣替えする計画は本当に進行中らしい。そうすると街の様子は一変するであろう。また、郊外にはハイテクシティが建設途中にあり、第二のバンガロールというか、インドのシリコンバレーを目指して世界有数のIT企業が集結しつつある。休日ちょっとだけ目にすることができたので、これについてはまた後で触れることにしよう。
インド・ハイデラバード
ハイデラバードの街の中央にはフセイン・サガール湖という大きな湖があり、北側の新しい街並みと南側の古い町並みの二つの顔を持つ都市である。フセイン・サガール湖の中には大きな仏立像があり、ハイデラバードの第一のランドマークと言っていい。ハイデラバードにいると同じ説明を繰り返し何度も聞くことになるが、2、3年前洪水で流された仏立像を今の位置に引き上げたという。インドの宗教はヒンズー教が一番多いが、ハイデラバードは「イスラム教と出会う地」とも言われてるように、イスラム色が強いのも特徴である。街中でも場所によっては黒い衣装で顔まで隠した女性の姿をよく見かける。また同じ民族衣装のサリーでも派手目系の色合いが多いでよく分かる。そのイスラム地域の中にあって象徴的な建物がチャール・ミナールである。チャール・ミナールとは「4つの尖塔」という意味で、中を見学することできる。1回だけ見学する機会があったので登ってみたが、その周辺ももっとじっくり回ってみたいものだと思った。
インド・ハイデラバード
ハイデラバードの交通事情についていうと、何といっても車の運転マナーが気になって仕方ない。マナーというより、ルール自体あるのかないのかよく分からない。車線やセンターラインを無視するのは当たり前、少しでも隙間があれば割り込んで先を急ぐといった具合で、何よりどの車も常にラクション鳴らして走るため24時間どこにいてもうるさくてたまらない。噂によるとインドは世界で3番目にクラクションを多用する国とかで、進出した頃のHONDA車はクラクションから壊れていったため耐久性を3倍に高めたという逸話も聞いた。だからといって狂気乱舞、殺気立ってるかというとそうでもない。クラクションを鳴らすのは相手を威嚇するためではなく、自分はここにいるぞ…という存在を相手にアピールするためのものらしい。また強引な割り込みのようであっても、実はみな同じペースで器用に運転してるとみられ、それはそれでいいようだ。現に走ってる車の何割かはドアミラーを倒したままで左右や後方の確認はあまりしないが、流れが滞ることは意外に少ない。市街地を走るバスは、とても古くてみすぼらしいものが多く、ちょっとこれに乗る気はしない。バス停らしきものも街角にあるが、時刻表は何となくあってないようなものらしい。入り口に数珠繋ぎでになった光景をよく目にするが、いつ料金を払うのか、もしかしたら払わなくても構わないのかよく分からない。地元の人の話によると、車掌が乗車していて料金を徴収するらしいが、あのような状態で車内を動き回ることはできないと思うので、実に不思議なものである。しかし、ハイデラバードのバスターミナルはインドで一番立派だと言われ、プーネに向かう長距離バスなどは大繁盛らしい。タクシーも走ってはいるが、はっきりいってどれがタクシーかよく分からなかった。タクシーよりもリクシャー(日本語の"力車"が訛ったらしい)と呼ばれる乗り合いのミニカー(?)が一般的だが、外国人は利用しない方がいいらしい。一方で鉄道もインドではメジャーな移動手段で、ハイデラバードもターミナル駅から湖を周回するような形で路線が延びている。ただ、列車が走っているのを見かけたのは一度きりで(というより、あまり外出していないので定かでない)どうもハイデラバードはあまり鉄道のつなぎはよくないようだ。ニューデリーまでは30時間はかかると聞いたこともある。ハイデラバード空港からは、もちろん国内線が主要都市に向かって出ているが、どれくらいの頻度で出ているのかはちょっと分からなかった。
インド・ハイデラバード インド・ハイデラバード
一般的な日本人にとって、インドでの食事事情については苦労させられることが多い。香辛料をふんだんに使ったカレー料理は、ひ弱な胃腸を持つ日本人には刺激が強すぎて間違えなくお腹を壊すことになる。決して衛生状態もいいとは言い切れず、そこへきて過度に"過保護"状態にある日本人にとってはなおさらだ。インドに限らず海外に出たときは、まず"水"で苦労することになるが、インドに滞在する場合もミネラルウォータは絶対に手放すことができない。ミネラルウォータといっても実際は工場で精製された水で、コカ・コーラやペプシなど安心できるブランドは3つくらいしかない。ミネラルウォータ自体は決して高いものではないが、中には単にフィルタを通しただけの水もあるらしい。ところで、一言にインドと言っても、北部、南部、西部といった具合で食事の様子は大きく違うときく。細かいことはよく分からないが、日本人が想像するインド料理というのは北方系の一部の富裕層の食事に近いらしいが、ここハイデラバードは南インド地方であり、日本人には少々馴染みが薄い。基本的にはカレーとロティの組合せだが、お米も広く一般的によく食べられてるようだ。ロティというのは粗く挽かれた小麦粉を薄く焼いたもので、いわゆる強力粉をベースにしたナンに似ているものの食感はまったく違う。もちろんナンを口にする機会も少なくないが、日本人が思い浮かべるような大きくてもちもちっとしたナンはまったく見かけない。普段食事に出てくるロティの大きさは小型で、口当たりもナンよりはるかに軽く消化もいい。意外とパリパリっとしたものや、しっとり感のあるものなど、場数を踏むと違いが分かってくる。特に印象的だったのは、ロマリ・ロティといって極薄に焼かれたものだった。(ちなみにロマリとはハンカチの意味)インド人と同席すると分かるが、右手だけ使って器用にロティをちぎって、カレーと具を包み込むようにして口に運ぶのがマナーである。ちなみに左手は不浄の手なので食事どきは使わない。最初は見様見まねだったが、何回かやってるうちに無意識でちぎって食べるようになってしまった。
インド・ハイデラバード インド・ハイデラバード
当たり前だが、カレーはどこにいっても出てくる。後付の知識だが、カレーというのは食事一般のことを指すらしい。カレーに限らずインドの食べ物は、肉を使うもの=ノンベジと使わないもの=ベジの2つに明確に分けられている。スーパーの食品売り場でも、赤い日の丸(マーク)のついたものがノンベジ、緑の日の丸(マーク)のついたものがベジといった具合で、ベジマークの付いた歯磨き粉が売られてるくらい、その徹底振りには関心する。ちなみに、ベジ=肉を口にしない、というのは信仰的な意味合いが強いらしく、どんなに酒をガブガブ飲もうが、タバコをプカプカ吸おうが、オレは忠誠心が強いから絶対にベジしか口にしない…といった言い方をする。この辺の感覚は日本人には理解できない。ちなみに、特に宗教的な理由がなければノンベジということになるのだが、よく知られてるようにインドでは牛は神のつかいとされているので、その肉を食うなんてことはあり得ない。またイスラム教では豚を嫌う傾向にあるので、豚肉がテーブルにあがることもない。よってチキンがメインとなる。他にはマトンが使われることも多いがパサパサした食感がいまいちで、結局来る日も来る日もチキンを口にすることになる。長期滞在した人に言わせると、カレーと鳥肉はもういい…となるわけである。さて、そのメインとなるカレーだが、スパイシーで刺激的な辛さはいうまでもなく、香りの強いもの、時間差でじわじわくるもの、辛さはないが妙に汗が出てくるものなど、多種多様でその奥深さは計り知れない。もちろん、お店によっても、あるいは日によっても(料理人によっても?)その味はまちまちで、そういった違いを味わってみるのもまた楽しい。ただ、量を間違えるとお腹にくるのは必至で、ルーだけばかすか食べるのは自殺行為に近い。
インド・ハイデラバード インド・ハイデラバード
レストランに入るとお店の人がサーブをしてくれる、いわゆるマハラジャ気分の上げ膳据え膳も当たり前のように行われるのだが、さっとランチを済ませたい場合や気軽なサパーでいいようなときには、セルフサービスのビュッフェを利用することも考える。というか、高級なレストランでもビュッフェスタイルな場合もあり、試し切れないほどの種類のカレーと目移りしてしまうほどのデザートが並んでいて、その中から自分のペースで好きなだけ選べるのもまた悪くない。一般的なビュッフェだと、左右対称にベジとノンベジのカレーが数種類置かれていて、自分の好みでお皿にサーブしてくることになる。普段はノンベジでも、おいしそうなダル(豆)のカレーやほうれん草のカレーなどがあればそちらに手が伸びることも珍しくはない。また、お米の料理や炒めものの麺類も並んでいることが多いので、それらも一緒にとってくることになる。大抵の場合ロティは別に席に運ばれてくるので、焼き方や好みを伝えて注文しておくとよい。一般的にインドでは食事にかける時間がとても長く、昼食でも1時間はゆうに使ってしまう。本格的なディナーとなると3時間でも4時間でも費やすようで、スタータ(前菜?)だけで1時間過ごすのもざらだという。事情をよく知らない日本人は、いろいろ出てくるスタータとスープだけでお腹いっぱいになることだろう。インドの人に言わせると、会話を楽しむのが食事の目的なので3時間でも全然長くないそうだ。蛇足だが、バーやパブで2時間ほど飲んでから夕食に出かけることも珍しくないと聞いた。いやぁ悠久の国の国民性ですね。
インド・ハイデラバード
インド料理にビリヤニと呼ばれるピラフに似たものがある。特にハイデラバードのビリヤニは名物と言ってもいいらしく、他の地方にいってもわざわざ「ハイデラバード・ビリヤニ」と呼ばれるくらい有名な料理である。ご他聞にもれずスパイシーであるには変わらないが、日本人にも受けがいい料理のひとつといえる。伝統的なビリヤニはマトンを使ったノンベジのものだが、チキンもまた悪くない。インドで使われるインディカ米は、いわゆるタイ米よりももっと細長く水分が少なく独特の香りがするのが特徴である。一度だけビリヤニの有名なお店に行ってみたが、これはなかなかのものだった。あと気になったのは、お米にヨーグルトをかける場面を結構目にしたが、ちょっと違和感を覚えた。ヨーグルト自体は、刺激物を"流す"意味でも好んで食されるようである。それからデザート類の多さもまた特徴的で、正体不明の暖かいものにもよく遭遇した。普通のケーキやアイスクリーム類もよく食べられてるようで、濃くって辛いものを食べたのだからバランスとるのが必要でしょ…みたいなことを言う。なら、どうして両極端なの?と思ってしまうのだが…。
インド・ハイデラバード
毎回カレーだとさすがにつらくインド料理以外のものを探してみたところで、チャイニーズらしきものが多少あるだけで、日本料理はまったくなかった。どんな料理もインド人のシェフの味付けなので、というか外人がいない=客はインド人ばかりなので、おのずとニーズは決まり、結果どこもスパイシーなものばかりになる。中華なのになぜかキムチと称して、キャベツにケチャップと唐辛子であえたものが出てくるのは不思議だった。ハイデラバードでは見かけなかったが、数少ないインドのファーストフード店では、ビーフが使えないのでメニューに苦慮しているようなことを聞いた。わずかばかりではあったが、ピザ屋を利用してみたものの、やっぱりスパイシーなチキンだった。一軒だけ、最近できたお店で日本語の怪しいキャッチフレーズが店内にこれでもかと張り出されてたところがあったが、日本料理を扱うお店ではなかった。(余談:メニューに"寿司"がありましたが、怪しさ最上級なので遠慮しておきました。)
インド・ハイデラバード
インドで一番お目にかかるお茶はチャイというミルクティーである。ホテルの朝食で黙って座っていると、いつの間にかミルクティーがサーブされる。インドの人は砂糖を多用する傾向にあり、カップ一杯のお茶に2~3袋の砂糖を入れる光景を普通に見かける。あと絶対に日本では味わえないと思ったものにマサラ・ティーと呼ばれるものがある。これはスパイスの効いた濃いミルクティーで、これがまたなかなかいけている。インドではあまり冷たい飲み物というものにこだわらないようで、例えばレストランで冷たいミネラルウォータやコーラが欲しい場合は、わざわざ「チルド・ワン、プリーズ…」と言わないと持ってきてくれない。また、ビールなど冷えてるかどうか客が確かめる手順があるので、お店の人がビンを目の前に突き出してきたら手で触って「ティケ」(OKの意味)と答えればいい。ダメならチェンジである。ちなみに飲み物に氷が入ってきた場合は要注意で「この氷はミネラルウォータで作ったか?」と確認しておかないとあとでえらい目に遭う。ついでだが、チャイの他に気になった飲み物はやはりラッシーだろうか。まぁ濃い目のヨーグルトの飲み物といった感じで、季節もののフレッシュマンゴーのラッシーは秀逸である。
インド・ハイデラバード
それからインドで忘れてはならない飲み物としては、キングフィッシャーというブランドのビールがある。日本でも有名なので特に説明は必要としないが、飲み口は軽く普通にガブガブ飲めてしまう。他にも地のウィスキーも数多いと聞いた。普段の疲労も蓄積していた上に胃腸もお疲れ気味だったので敢えてお酒は控えていた。後になって思ったのだが、お腹を壊す原因には刺激の強い香辛料でやられたところにアルコールを摂取していたこともあるのではないだろうか。お酒の値段は日本とそう変わらず、お酒に限らず輸入物は原価が一緒なので、そういった意味でも日本とまったく変わらない印象だった。また、自分はタバコをまったく吸わないのでよく分からなかったが、インドでタバコを買える機会はとても少ないようだ。インドに限らずどの国も一緒だと思うが、禁煙のレストランも多く分煙が一般的となっている。
インド・ハイデラバード
食事が終わるとフィンガーボールで右手を洗う習慣があり、周囲にならってやってみることにした。手を入れらない程の熱いお湯には厚切りのライムような柑橘系のものが浮かび、それをほぐすようにして指先を洗う。すると不思議にもあのきついカレーの臭いがとれてしまう。それから食後の必須アイテムはアフターミントである。例えが違うかもしれないが、焼肉の後に噛むガムのようなものかもしれない。大抵の場合、緑色をした青臭いやつと砂糖がまぶしてある白っぽい2種類がテーブルに置いてあり、スプーンを使って手にとって、適量口の中に入れしばらくくちゃくちゃする。それを2、3回繰り返すと不快な口臭が後を引くとことがなくなる。もちろんおいしいものではないが、2、3日するとこれも習慣づいてしまった。
インド・ハイデラバード
今回の滞在では幸いにもお腹を壊すといった場面に遭遇しなかったのだが、ある人に言わせればそれは奇跡だという。汚い話で大変申し訳ないのだが、胃腸が悲鳴を上げていたのは確かでトイレに行く回数は増えたが、それならトイレを済ませればいいだけの話である。本当に辛い状態となると、身動きがとれないくらいの腹痛を伴う。そうなると市販の薬なんかはまったく無意味で、まずは現地の医者に診てもらい、薬を出してもらうのがいいとされている。外国人には珍しいことではないらしく、細菌性のものとなると現地で処方される抗生物質を飲むのが快方への最短の近道だと聞いた。日本人には意外思えるかもしれないが、インドの医学レベルは高い部類にあるという。それから気にかけなければならないのが、蚊を媒体にした伝染病である。インド渡航には予防接種のようなものは不要だが、ひとたび洪水が起きると日本脳炎などの伝染病が蔓延するので、黒い縞々の蚊には注意が必要だ。
インド・ハイデラバード
さて、ここまで書いたことを振り返ると何だか観光に来たようだが、今回はホテルと仕事場の間を日々行き来するだけだったので、2週間以上の滞在だったが何か見てまわる時間がとれたのは2日だけだった。それでも数少ないチャンスとしては、食事に行くときに車の中から街の様子を見ることだったろうか。あとは人づてに話を聞いてみることだった。ホテルから仕事場へはほんの目と鼻の先なので歩いて行きたいくらいだったが「道路を渡る」ということも心配してもらい毎日「1分間」の通勤時間を味わうことになった。
インド・ハイデラバード
今回泊まったホテルは先方でコーディネートしてもらったところなのだが、ハイデラバードでもっとも有名なホテルのひとつだったらしい。そのホテルチェーンはスタンダードなクラスから、ビジネスホテル、リゾートホテルといくつかあり、そのうちの一番ランクが高いところを選んでもらったようだった。一度だけレストランで食事をしてみたが、ぼったくりのような値段には少々驚いた。ただ、それだけにサービスのレベルは非常に高く、実際宿泊客は外国人ばかりで、ホテルにいるときはここが本当にインドかと思うくらいの場所だった。特にスタッフの教育の徹底ぶりはたいしたもので、すれ違いざまに笑顔で"Good morning, sir."と声を掛けられることは当たり前、ただのベッドメーク係りでさえ、いつまでお泊りですか?サービスの具合はどうですか?問題はありませんか?と実にこまめに質問してくる。朝食のときもそんな感じで、部屋番号を質問された翌日には名前で挨拶されたり、毎日来てるうちに顔を覚えられ(特徴の少ない黄色人種だというのに)何を飲みたいか言わなくても通じるようになる。失礼ながら日本のホテルとはまた違った経験をこんなところでさせてもらうとは思いもよらなかった。プールがあったり、スポーツジムやエステがあったりと、日本にはなかなかないコンセプトのホテルだっと思う。部屋のランクは一番スタンダードなものだったと思うが、それでも部屋の広さは一人でいるには落ち着かない程で使い勝手も悪くなかった。逆にキングサイズのダブルベッドは最初慣れるに時間がかかった。(笑) 毎朝新聞は運ばれてくるし、アメニティーグッズはもちろん、使い捨てのスリッパまで常備してあった…といえばそのレベルが分かっていただけるだろうか??それから一番助かったのは、ベッドメークされて戻ってみると必ず2リットル分のミネラルウォータが500mlのペットボトルで揃えられていることだった。何しろコンビニのようなものがまったくないので…。(後日談:ひょんなことで、別の場所でこのホテルチェーンを利用する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
ガネーシャ祭・ガネーシャ像 ガネーシャ祭
たまたま到着した翌日がガネーシャ祭りの初日で身動きとれず、ホテルの中を見て回ることくらいしかできなかった。もちろんインターネット接続サービスが使えるのでコミュニケーション面では不自由しないし退屈しのぎもできたが、休みの日に何時間もそれだけで過ごすわけにもいかずTVもつけてみた。CS放送は50チャンネルほどあり、CNNやBBCも見ることができる。映画チャンネルに合わせれば、一度くらい見たことのある映画をやっているので、台詞は完全に理解できなくても何となく話の筋は分かる。アニメやスポーツチャンネルも同様だが、クリケット中継を専門にやってるチャンネルだけはルールが分からないだけにどうしようもなかった。ただこれだけではつまらないので、言葉は分からなくてもバラエティー番組やニュース番組を見てみることにした。意外にもバラエティー番組はほとんどなく、たまたま見つけたのが"ファイナルアンサー"だった。ルールはまったく一緒で、効果音まで同じものを使っていたが、最近は同じ企画を海外でやることは珍しくないらしい。司会者は日本の某M氏とは違い渋めの人だったが、他のCMへの出演具合を見ると、インドでもっとも有名な2枚目ベテラン俳優の一人のようだった。ただ"ファイナルアンサー"というキーワードは出てこなかったのが唯一の違いだったか。あとは、同じ映画チャンネルであっても、インド映画ばかりやってるところはまた違った意味で興味をそそられた。何を言ってるかよく分からないのだが、甲高い声の女性が何分間も歌っていたり、話の筋を無視してお構いなしに集団で踊っていたりと、インド流エンターテインメントについつい見入ってしまった。
インド・ハイデラバード
インドにはチップの風習がないという人もいるが、決してそんなことはない。レストランでの支払い方法などは他の外国に行ったときとさほど変わらない。サービスに納得がいけば、端数を丸めるくらいに5~10%乗せた金額を書き込んでサインすればそれでよい。ホテルのベッドメークや荷物を運んでもらった場合も同様である。ただ、例えば空港のような場所でトイレの手洗いの蛇口を横からひねられたという場面を考えると、それはまた意味が違うので気にいらなければ他の場所へ移動して無視すればいい。街角で物乞いにあうこともあるが、心が痛んだと思えば小銭でも渡せばいい。ただし周囲を囲まれて身動きがとれなくなり、逆に"たかり"にあう危険があるのでやめておいた方が無難だ。人づてに聞いたので理解が正しくないかもしれないが、インドには"施し"という文化がある。これは単にお金や食べ物を恵んでやるのではなく、少しでも余裕のある人や会社は、仕事を作ってそういうところへ還元するという、いわば社会通念のようなものである。普通の家でもお手伝いさんを雇うことをしてみたり、会社には雑用係りを専門にするための人を配置するといった感じである。困った人には手を差しのべる、お金を渡してあげる、というのは日本的な発想のようだ。巨額な負担をしてるのに「日本はお金を払うだけじゃないか」と国際社会から非難されるのは、根本にあるそういった日本人の考え方が理解されないためなのではないだろうか?
インド・ハイデラバード
インドは祝日が多い。到着早々のガネーシャ祭りは前に書いた通りだが、ガネーシャというのは象の顔をした神様のことで、毎度ながら詳しいことは有識者に譲るとしよう。期間中、このガネーシャ像が街のあちこちに飾られる。最終日には水のあるところ、例えば海や川に行って流されるのが慣わしようだ。ここハイデラバードで水辺といえばもちろん湖である。今回はガネーシャ祭りのクライマックスが週末にあたっていたのでぜひ見学に行きたいものだと考えていたが、街は喧騒として危険なので出歩かない方がいいと何人もの人に止められてしまった。そんなわけで、残念ながらその日はホテルに缶詰だった。それでも冒険したかったが、何しろ自由に出歩く"足"がないので諦めた。仕方なくTVでその様子を見ていたが、やっぱり実物を見学したかったものである。
インド・ハイデラバード
滞在中に一日だけ完全フリーな休日があったので街を案内してもらった。といっても、ここハイデラバードは観光地ではないので、正直なところ見てまわるような場所は少ない。また日曜はお店が閉まってしまうことが多いので、買い物に行くことはできなかった。ハイデラバードの中央にはハイデラバード・セントラルというデパートがあり、そこへ行けばとりあえず何でも揃う。まぁ、日本でいったらイトーヨーカドーのようなショッピングセンターといった感じで、そこへは用足しに2、3度足を運んでみた。品揃えも豊富で休日はとても賑やかだった。前にも書いたように物価は日本に比べ安いが、衣料品など質は決して悪くなく、逆に凝ったデザインもみかける。スーパーのような食料品売り場へ行っても品物は豊富で、まぁ見てて飽きない。お土産になりそうなものをいくつかここで買っていった。
インド・ハイデラバード
ハイデラバードで有名なものに真珠があげられる。なぜだか分からないが天然物の真珠がここハイデラバードに集まり加工されるという。ハイデラバードの真珠はインド一いや世界一だという人もいるが、日本でみる真珠のように妙に粒が揃った養殖物とはまた違った味わいがあり、価値観が分かれるところだ。一度だけ買い物に付き合ったが、一見質が悪そうに見えるもののそれは天然物にしかない素材個々の特徴であり、オリジナリティといった味わいの一種と理解していい。もちろん値段は日本に比べれば格段に安く、価格交渉もかなり大胆にやられることになる。最初は何も知らない日本人だと思って、粗悪な品物を法外な値段でふっかけてくる。ただ時間をかけるうちに次から次へと無造作と出され、だんだん目を見張るような出物にあうことになる。こちらも1/3くらいの値段で様子をみたり、店を出るようなしぐさをしてみたりと、電卓片手にやり取りすることになる。そのうち落としどころが見えてきて、最後に人数でも品物数でもいいからボリュームディスカウントだといってもうひとがんばりするといった具合だ。ただし外国人だけだと心もとないので、できれば現地の事情をよく知った人間に付き合ってもらった方がいいのは間違えない。落としどころが分かるだけでなく、相手の出方の様子もかなり違う。それからお土産ものとして、サリーを購入していくことも少なくないようだ。外国人はもちろん着用するのが目的でなく、記念品というか、見た目の美しさを楽しむもの、あるいは生地として他への転用(失礼ながらテーブルクロスやカーテン、仕切りの目隠しなど)を考えてお土産に買われることが多い。ちょっとした高級店でウィンドウショッピングするだけでも行くだけの価値はあり、ハンドメードの織り、刺繍などじっくり見てると本当に欲しくなってくる。サリーには主にシルクとコットンの2種類に大別され、最高級のシルクものも記念のお土産としては申し分ないし、コットンものも洗濯できるのでちょっとしたものに転用することを考えても楽しい。
インド・ハイデラバード インド・ハイデラバード
インドはIT先進国と言われているように、コンピュータ産業はこれからの花形産業であることは間違いない。アメリカやヨーロッパのオフショア開発拠点としてインドの注目度は上がる一方だ。最近は日本との取引も増えてるというが、規模的にはまだまだらしい。特に品質や納期に対する認識は日本人の妙な細かさとは肌が合わず、プロジェクトとしてはいい結果が出せないでいることが多いという。どこぞの記事の聞きかじりだが、「黙っていてもそれくらい気を利かせろ」といった感覚的なものの言い方をするのは日本人の特徴で一見繊細なように思えるが、実は逆で自分で意思表示できないという意味では大雑把と見られても仕方がない。ハイデラバードは、バンガロールやムンバイのようにIT先端都市という感じではないが、ここ2、3年の躍進はめざましいものがある。特にハイテクシティ(HITEC City=Hyderabad Information Technology Engineering Consultancy City)はインドでもっとも注目度の高いIT先端都市といえるかもしれない。インドのシリコンバレーとでもいっておこうか、世界的にも注目を浴びている。興味があったので休日に車で案内してもらったが、辺境ともいえる土地にあまりにも斬新でそれも見上げるほど巨大な建築物が忽然と現れるのには圧倒されてしまう。それも高台のすぐ隣はのら牛がウロウロしてるスラム街だったりと、まさにいまのインドを象徴しているといっても過言ではないだろう。ハイテクシティの中を行くと、まだまだ建設中の建物が多く、最終的にはどれくらいの規模になるのか想像もつかない。マイクロソフト、オラクルといったようなビッグネームが名を連ねており、まさに言葉を失う。こういった光景を目の当たりにすると、日本は先進国だなどのんびりとしたことは言えなくなる。
インド・ハイデラバード
他にも有名な寺院や映画村などあるらしいが、最後にハイデラバードのランドマークでもあるフセイン・サガール湖を案内してもらった。ここで初めて知ったのだが、あの仏立像の立つ場所へは船で渡ることができる。折角なのでその船に乗ってみることにする。遊覧船もここからだけでなく方々から出てるとのことだった。何分か待たされて船に乗り込み、ふと気がつくと当たり前だがすっかりインド人に囲まれていた。島に上陸すると、目の前にあの仏立像が建っていた。早速記念撮影をして周囲を見回す。遠くの小高い丘に立つ台形の建物が自分の泊まってるホテルだということはすぐに分かった。夏の暑い時期は湖の周りは悪臭が漂うらしいが、その日も気温はそれほど上がらずとても過ごしやすかった。そんなこんなでしばらくたたずんでいたら、突然ある集団に記念撮影しませんか?と声をかけらた。ここハイデラバードでは外国人は珍しいらしく、こうして記念に写真を撮ることがあるという。何だか不思議な気分だ。続いてドイツ人を見つけたらしく、再び記念撮影を行っていた。
インド・ハイデラバード
最後に案内された場所は何という地名だかさっぱり分からなかったが、東京でいうならお台場といったらいいだろうか。ウォーターフロントのこの地域には新しい施設やレストランが次々とオープンし、休日を過ごす若者や家族連れで大賑わいだった。たまたま近くで、ハンドクラフトの展示即売会のイベントをやっており、しばらく時間をつぶすことになった。インドの娯楽といえばやはり映画が真っ先にあげられ、街角に立つ大きな看板には広告類のものと映画のとが混在している。ここにもハイデラバードにも映画村のような施設があるときいた。最近できた大きな映画館についても「この建物には階ごとにスクリーンがあるんだ!」と自慢話として何度か聞かされた。日本人にとっては別に珍しいことではないのだが、まぁそういうことなのだろう。折角なのでその建物の中に入ると、これまた物凄い人の数だった。各階へはエスカレータがあるのだが、なぜか上りしかない。どこかおどおどした様子の人が多く気なったが、エスカレータは珍しい乗り物だということをあとからきいた。各階を見て回ると、映画館のほかにもブランド物のお店やファーストフードのお店、ゲームセンターなどがある。アーケードゲームはどれもこれも数年前どこかで見たことのあるものばかりで、中には説明文が日本語のままだったりする。こうしてセカンドユースとして使われているとは思いも寄らなかった。来る日も来る日もホテルと仕事場との往復ばかりだったので、この日はとてもいい気分転換になった。
インド・ハイデラバード
 番外編・その3
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
インド・ハイデラバード
今回の滞在は3週間弱で、長かったといえば長かった。数日前に帰国便をブックしてもらい最終日を迎える。夜遅いフライトなので最終日も仕事をしてから帰国することになった。空港へは早めに行った方がいいということなので、お世話になった方々への挨拶は慌しいものになってしまった。最後に記念のものまでもらってしまい恐縮したが、いつもの車で空港まで送っていただく。夕方で渋滞する中、最初に空港に着いてこの車にピックアップしてもらったときのことを思い出す。途中で合流した日本人スタッフはまだ居残りなので心細いが自分ひとりでの帰国となった。時間は遅いが飛行機に乗ればすぐに食事になるので、最終日の夕食はとらないで出発する。この時期としては季節はずれのサイクロンが心配されたが、どうやら2、3日前に通過していったようだ。
ハイデラバード・フセイン・サガール湖
到着したときと同様、空港の建物は取り巻きの群集でごった返していた。荷物を持ってその中を掻き分けていく。どうしても体や荷物が人に当たってしまい、そのたびににらみ返されるのがとても怖い。今回コーディネートでお世話になった方ともここでお別れだが、そんな感じだったのでろくに挨拶もできなかった。パスポートとチケットを見せて建物へ入る。一般の人は中に入れないのでとりあえずホッとする。しかし、ここからが実は難関だったりする。前もって段取りを聞いていたが、やはり少々不安だ。説明が書いてあるわけでもなく、質問しようにも通じるかどうか分からない。最初にチェックインバッゲージをX線に通すと、電器屋で大きな買い物をしたときのように機械を使って荷物はグルグル、バシッと頑丈なビニール帯で封印される。それでも「そっちのバッグは持ち込みか、チェックインするものは他にないか」と、しつこく質問される。次に航空会社のロゴを頼りにチェックインカウンターの"屋台"を探す。とりあえずチケットを差し出すもどうも様子が変だ。覗き込んで何をやっているのか見てみると、人のよさそうなお姉さんは乗客リストと格闘していた。本当にブックされてないのでは?と不安になるほど探しまくるも、自分の名前を見つけることができずにいる。I`m sorry..と微笑まれてもこっちも必死なので(笑)、結局自分でリストを調べて「俺の名前はコレだ!」と申し出る始末。すっかり舞い上がったお姉さんはちょっとだけ手順を抜かしてしまったらしく、隣にいたバッゲージ係りの兄ちゃんが運よく気がついて、その場を離れて10歩ほど歩き出した自分のところまでわざわざ呼び止めに来てくれた。不安は募るまま、次のイミグレーションに向かう。カウンターに書いてある便名はまったく目立たず最初は気がつかなかったが、ここで出国カードが取り上げられ無造作にパスポートとチケットだけが返ってきた。聞いてた順番と違うがまぁ仕方ない。次の関門であるセキュリティチェックがまたよく分からない。とりあえず並んでみて「お前の便はまだ早い!」と一回怒られておく。あとで思えば、ここで待ってる時間が一番不安だったかもしれない。順番が来たのか係りの人が大声で叫びだすものの、何のことだかさっぱり分からない。周囲の人の手荷物タグを見て同じエアラインであることを確かめ、もう一度並んでみる。どうやら自分の便の番らしい。ゲートを通りお立ち台にあがって全身チェックを受ける。妙な気分だ。ここ20~30年、インドは戦争状態にある国ということはあまり知られてないが、最近ではテロのニュースもよく聞く。そうなると出国どころか外出もできなくなるらしく、まぁチェックが厳しいくらいで済めばそれでいい。手荷物をX線に通し搭乗券と荷物タグにスタンプを押してもらう。これがないとスタンプラリー失格となり、飛行機には乗れないことになる。どうにか一連の流れをクリアできたようだ。
フセイン・サガール湖・仏立像 フセイン・サガール湖・仏立像
早く着き過ぎるくらいでちょうどいいと聞いていたが、なるほど納得がいった。セキュリティエリアまで到達してしまえば、あとは飛行機に乗れる時間を待つだけである。それにしても狭い場所だ。単に古いとかいう話じゃなくて、本当にここがインターナショナルエアポートかと思ってしまう。しばらくすると前の便の出発時間になったようで、搭乗口に向かってさぁーっと人が移動しだした。TVモニターにはフライトインフォメーションが流れているものの、だからといって何の役にも立ちそうもない。小さな免税店らしきものもポツンとあるが、とても中に入りたくなるような雰囲気ではない。別の場所には横浜駅西口の地下街にあるミルクスタンド(うゎ、ローカル!!)に似たカウンターがあって飲み物を売っていたが、手持ちのルピーは残ったメンバーにすべて渡してしまったし、何よりどんなものが出てくるのか怪しすぎて到底試す気にはならなかった。さすがに腹が減ってきたので差入れの救援物資にあったカロリーメイトとあらかじめホテルから持ち出してきてたミネラルウォータで気分を紛らわす。そうこうして時間になったのかどうなのか分からないまま、予想通り何となく雰囲気で搭乗することになった。便名表示は前のまま、時刻表示もあったのか覚えてないが、かろうじてアナウンスを聞き取りあとは周囲の様子をみて行動する。これでようやくインドから出国できることになった。
ハイデラバード・フセイン・サガール湖
時差も手伝って、いま現在は何時と考えればいいのかよく分からない。とはいうものの、普段から時計を持たない性分なので、逆にこういうときは余計な気をまわさなくていい。帰りもクアラルンプールを経由するルートである。ただ、トランジットが7時間と少々かったるい時間を過ごさなければならない。指定された座席に着き出発を待つ。ウェルカムドリンクを受け取り、ようやく帰れるという実感がわいてきた。インド人ではないCAの笑顔が妙に印象的だったが、プッシュバックされて機体が動いた瞬間、正直ホッとした。無事ハイデラバード空港を離陸し、眼下の街並みを横目でちらっとだけ見る。湖の周回道路はその名の通りまさにネックレスロードだった。機内での食事は行きと同じくエスニックなテイストだったが、スタータのサテーが妙に懐かしく感じた。ただインド発の便ということで、チキンづくしとマトンの追い討ちからは未だ解放されていない。アルコール類はあえて断り、それでも黙々と食事をする自分がいた。「パンのおかわりは?」、「このガーリックブレッド、いいね!」ベタな日本人のはずなのだが、日本語を使うという感覚を失い自然とそんな会話が成り立っている。落ち着いて考えてみると妙なものである。いやぁ、こんなにも周囲を異国の人に囲まれて外国の国際線に、それもあんな強烈な空港からたった一人で乗るなんて、そうそうあるもんじゃないなと思った。メニューの中に"oolong tea"の文字があったような気がしたので思い切って声を掛けてみると「フレーバーティーは2種類だけ積んであるけど、どうする?」といった答えが返ってきた。よし試そう…と答えると、確かに緑色のティーバッグの袋が2つトレーにのって目の前に差し出された。そのうちの右側は、なんと縦書きで"伊藤園"と書いてあるではないか!思わず笑顔で"This one, please!"と告げると、すぐに熱々のお茶が運ばれてきた。取っ手つきのティーカップだが、まぁそんなことはいい。早速すすってみると確かに日本茶だ。「なぁ~に、やるじゃんマレーシア航空!」とりあえず心の中でそう叫んでおく。こんなにありがたいティーバッグの日本茶は飲んだことがなかった。
ハイデラバード空港 ハイデラバード空港
フライトは順調で4時間程でクアラルンプール空港へと到着した。睡眠をとるにはちょっと時間が短かく、中途半端なところで起こされた気分だ。重い体を引きずりながら空港内を移動すると、マレーシア時間で朝4時半をまわったところだった。当然人など歩いているわけもなく、乗り換え待ちでイスに寝てる人が少々いる程度だ。どの店もシャッターは下りたままで、大きなお店が1件だけやってるのかやってないのか分からないような感じだった。特にやることもないので、まだまだ随分先だが乗り継ぎ便のチェックインを済ませておく。東京で買ったYクラスのチケットを払い戻してコネを使ってインドでCクラスのチケットを買うとなぜか経費削減になるので、とりあえずそうしてもらってあった。そんなわけで帰りも行きと同じ、気楽にラウンジのお世話になる。さすがにこの時間だとラウンジも数えるくらいしか人はいなかった。外はまだ暗く、ゆったり場所を占有しいくつか選んだ飲み物を試してみる。しばらくボーっとして思い立ったようにシャワーを利用しにいく。時間はたっぷり過ぎるほどあり、自分としてはかなりのスローペースだったような気がする。気分すっきり眠気も去り、さっぱりした状態で戻ってみるとそこそこ人が増えだしていた。何だか食べてばっかりだが、ビュッフェを利用して朝食にする。ここでも普段の自分とは違うスローペースの朝食だった。そうこうしてるうちに席は埋まってきてとても賑やかになっていた。週末の朝一の慌しさというか、各方面へ向かう便のアナウンスが引っ切りなしに繰り返されている。信じられないことにハイデラバードでチェックインするときのバッゲージタグは手書きなので、クアラルンプールでバッゲージトレースをかけた方がいいと聞いていた。おまけにあのお姉さんの手書きとくれば不安は拭い切れないので、ここで確認してみることにする。ラウンジの受付へ行って話しかけると、最初はイージー!とか言って調子よく端末叩くものの、そのうちあちこち電話しまくり表情が曇ってきたところで「あと1時間ラウンジで待てる?」というつれない返事。1時間したらフライトなんだけど…。もう面倒なのでバッゲージトレースは諦める。モノレールにのってドメスティックの入っているメインターミナルに行ってみようとも思ったが、なんだか体がだるいのでそこらのお店を見たりして時間を過ごすことにした。そうだ、職場のお土産をここで買うんだった。インド土産じゃないが、ここならカードも使えるし何しろ持って歩く距離も短いので、まぁいいだろう。(後日談:その後、クアラルンプール国際空港を利用する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
ハイデラバード空港
クアラルンプール空港は日本人の設計によるものだという。それも関空をデザインした人で、どこなく雰囲気は近いものを感じる。所々に日本語の案内表示が書き加えてあって分かりやすい。連休の影響もあるのか日本人の姿も多く、あちこちから日本語の会話が聞こえていた。何となく日本へ戻れる時間が近くなったような気がする。出発の時間が近づいた頃、アナウンスが入り搭乗口が変更になったことを告げていた。外は見事に晴れ渡り、このまま帰るにはもったいないくらいだ。一方で日本では台風が近づいており、前日念のため航空会社に聞いてみたら、クアラルンプールは定刻に出発して最悪何か問題があれば降りる場所を変更するという。そういうアクシデントは勘弁願いたい。これから乗る便はお昼前に発って夜に成田に到着する。帰りのこの便もANAとのコードシェア便で、行きと同様日本人スタッフも乗り込むようだ。座席はほぼ満席、客の大多数は日本人とみていい。チケットを見せYクラスとは別のゲートから搭乗する。正直なところ少々優越感を感じる。席に着き何週間ぶりかの日本語文字の新聞に目を通す。本当に食べてばかりでいるが、通算4回目のサテーからスタートして一通りの食事を済ませる。箸を使って日本の米のメシを食らうのも随分と久しぶりのことだった。帰りの便の座席はカプセルタイプのもので、最後までゆっくりくつろげてよかった。食事が終わってしまえばあとは眠気に勝てるわけもなく、ひたすら眠り続けるだけだった。沖縄のあたりまできていよいよ日本へと戻ってきたところで茶菓がサーブされる。どうやら台風直撃は免れたようだが、途中の気流は相当悪いらしい。慌しくデザート類が片付けられ、明らかに飛行機の揺れも大きくなってきていた。徐々に高度が下げられ成田まであと40分くらいのところだったろうか、最後はアテンダントも着席するよう指示が出されジェットコースターのように上下する飛行機の中、水が飛び散るコップをひたすら手で押さえながらじっと着陸を待つことになってしまった。通路をはさんで隣に座ってた図体のでかい外国人のおやじは、なぜか急にびびり出して仕舞いには腹式呼吸を始める始末。そのうち痙攣して死んでしまうのでないかと、台風よりよっぽどこちらの方が怖かった。そんなせいで最後は落ちつくことができなかったが、意外にも成田へはほぼ定刻で到着することができた。
マレーシア・クアラルンプール空港
連休だけあって成田空港はとても混雑していた。入国手続きを済ませ、あとは心配だったバッゲージがピックアップできるかどうかである。かなり長い時間待たされ、ある人の名前が書かれたロスト案内を3周見たときはさすがにやばいかな?と思ったが、ようやくあの帯で封印されたバッゲージが出てきた。それにしてもこの手書きのタグでよく戻ってきたなとあらためて関心してしまった。通関を済ませたとこで時間は8時近くになっていた。いつだったか、成田空港へ送迎に行ったりしたこともあったが、逆に今日は迎えに来てもらったのでこの時間でもゆっくり帰れることができる。こればかりは助かった。やっぱりみんな静かに車を運転してるよ!!これが日本に戻った最初の感想だった。
マレーシア・クアラルンプール空港