■旅日誌
[1999/10] 紅葉を追いかけて
(記:2003/1/17 改:2010/12/31)
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忙しさの反動かもしれないが、うまく休暇が取れそうだったので月曜日をおさえて3連休とし、どこかに出掛けることにした。最初はあまり遠くないところかな?と思ったのだが、もしかしたら少し北に行けば紅葉が見られるかもしれないと勝手に信じ込んで、結構"北"の方を目指すことにした。とはいえ、3連休分でそれなりに手ごたえのあるコース設定というのもいきなりでは思いつかないものだった。
 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
秋田、大鰐、弘南鉄道大鰐線、弘前、八戸
秋田新幹線は久しぶりかもしれないな、、、途中停車駅を省略していくこの速達タイプの便は上野にも止まらないが、地上に出て飛鳥山のあたりを通過するときにそう思った。秋晴れの中、埼京線と並行する区間では遠く富士山も見えた。乗り込む間際に買ったお弁当を開き、いつものように日常からの逃避行に浸る。たった3日間ではあるが、こうしていられる時間はとても貴重だ。盛岡から「下」におりてから山越えに入る。期待通り紅葉がきれいな箇所がいくつもあり、車内から歓声が上がるほど見事なところもあった。
優等列車だけあって秋田の乗り換えも考慮されており、奥羽本線の特急への接続時間もわずかだった。北上するにつれ秋が深まってることが感じられる。車窓の風景は、紅葉というよりも灰色がかったイメージに近くなってきた。まずは大鰐温泉で降りて弘南鉄道に乗り継ぐ。そう、ここでも元東急が現役として働いている。何とも懐かしい顔に再会だ。終点の中央弘前駅はJRの駅とは離れており、最初歩こうかとも思ったが地図も持っておらず予習もしてなかったので近くを歩きまわってからタクシーを利用することにした。ライオンズが優勝したのでデパートの近くは車が混雑してるね、と運ちゃんが言っていたことはよく覚えているが、結局どんなところを通ったのかさっぱり分からなかった。タクシーでショートカットして正解のようだった。だが弘前駅では次の列車が到着するまで時間が余ってしまい、少々もてあそび気味になっていた。
秋田方面からの普通列車は随分と早くに入線してきた。ここで時間調整をするらしい。JR東日本乗り放題の切符だったので、もちろん特急列車がやって来てくれれば一番いいのだが、そんなに都合がいいようにはいかない。評判のあまりよろしくないロングシートの列車に乗るしかない。走りっぷりは申し分ないのだが、学校帰りの集団で思いっきり混み混みだった。随分日も短くなったみたいで青森へ着く頃には既に薄暗くなっていた。今日の宿は八戸にしてあったので、もう少し先へ移動する必要がある。次のはつかりから新幹線に乗り継いだとしても今日中に東京へ着くことはできない時間帯になっていた。
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
八戸、磐越西線/ビバあいづ、喜多方、会津若松
思いもよらぬアクシデントがあったため、今日の行程は一部予定から変更せざるを得なくなっていた。ただ、もともと時間に余裕はあったので基本的にはそう外れることはない。実は土砂崩れか何かで路盤が流されたとかで、東北本線の一部区間が不通になっていた。昨日、東京で新幹線に乗るときにも分かっていたが、相当重症で復旧に何日もかかるという。代行バスがフル稼働していたので本格的にヤバイ状況のようだった。昨日八戸駅で乗り換えたついでに情報収集しておいたが、代行バスの出る時間がどんなものなのか、盛岡までの所要時間はどれほどなのか、大体の見通しをつけておいた。
代行バスは八戸インターから八戸道→東北自動車道を経由して盛岡まで向かうルートを、鉄道よりも1、2時間余計にかけて結ぶような設定になっていた。東北自動車道からもところどころ紅葉が見られたが、天気はあまりよくなく岩手富士の雄大な姿を拝むことはできなかった。代行バスはいろんな会社から召集されており、自分が乗ったバスは仙台ナンバーだった。盛岡駅でも八戸方面に向かう人の数は多く、駅員が乗客の誘導に振り回されていた。天災とはいえたまったものではない。八戸で聞いた時間よりも実際の代行バスの所要時間はかなり短かく、盛岡では中途半端に時間が余ってしまった。
MAXの2階席で昼食をとり、このまま郡山まで行くことにしてある。初代MAXに比べ随分座席のあんばいはよくなっているようにも思う。自由席だったこともあり停車駅での人の出入りは意外と多く、長い距離を乗り通す人の方が少ないようだった。長距離の移動には指定か速達便を利用するのであろう。郡山で磐越西線に乗り換える。ここでは唯一ビバあいづと名付けられた特急が走っているが、予備車もなく定期点検のときには運行そのものを取りやめてしまうという孤独な運用についていた。そう聞くと何となく気になってしまい、今回時間が合いそうだったので乗ってみることにした。まだ特急会津と名乗ってた時代には、何かその響きに特別なものを感じていたが、東北新幹線開通後しばらくして姿を消してしまっていた。
郡山駅でしばらく時間を潰し、ビバあいづを待つことにした。やってきたのは化粧直しされた車両だった。遠目にはちょっと珍しい車両にも見えるが、実際乗り込んでみれば単なる年季ものの車だった。日曜日だというのにガラガラである。花形の時代もあったのかな?などと思いながらこいつに終点会津若松までお世話になる。特急車両が運用につけない日には格下げで同じ筋を快速が運転するようだが、この特急料金はどういう意味があるのだろうか?あまり深いことは考えないようにしておこう。新幹線で南下するにつれ天気はよくなり、磐梯山の眺めは素晴らしかった。
日は西に傾きかけていたが、会津若松からもう少し先に足を伸ばすことにする。あまりにも安易な発想だが、喜多方まで行ってラーメンでも…というわけだ。だが、ビバあいづにタイミングを合わせるために郡山で時間を潰し過ぎたこともあって、喜多方駅に着く頃には日没間際だった。喜多方まで電化区間なのだが、ビバ…はここまで来てくれない。乗り換えたのは更に先まで行く列車だったが、地元の通学の学生さんと一緒に揺られてやってきた。徐々に気温も下がってきていたので街歩きのようなことは止めにして駅前で適当なお店を見つけることにする。別にラーメンフリークでも何でもないので味にうるさいわけではないが、あっさり系ラーメンはまぁまぁ美味しかった。今夜の宿は会津若松に取ってあったので、来た道を戻らなければならない。次の快速は喜多方始発だったが、もう少し先まで行くとビバあいづをもう一度捕まえられそうだったので、リバウンド状態で行ったり来たりをしていた。フリーの切符を持ってるとついわけの分からん行動に出てしまう。(後日談:会津若松と喜多方へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
 3日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
会津鉄道、野岩鉄道、東武鬼怒川線・日光線・伊勢崎線、浅草
今日はおまけの1日と最初から割り切っていた。会津鉄道から東武に抜けてただ東京方面に帰るだけなのだが、1度このルートを使ってみたいと思っていた。会津街道という言葉があるのかどうか分からないが、かつてこのルートで更に米沢、山形方面を目指す構想もあったという。歴史のいたずらでこちらがメインルートになっていれば、今の東北地方の地図は大きく違ったものになっていたかもしれない。
厳密にいうとふたつ先の西若松まではJRの戸籍のままだ。会津鉄道も三セクへの転換路線なのでオレンジカードが使えそうか自動販売機を確かめてみると、思いっきり先の野岩鉄道まで通しで買えてしまう。運賃が高いのは気になったが気持ちよく(?)オレンジカードを消化することができた。今日は本当にゆっくりでよかったのだが、ついつい早起きをしてしまった。SLに代表されるようにここではイベント列車の運行が結構有名だが、駅についたときにちょうどトロッコ列車が出て行くところだった。ぱっと見た感じはガラガラであったが、今にも雨が降りそうだったので今日は止めておいて正解だろう。発車までまだ間があったが、会津鉄道の車両は既に入線していたのでそちらで待つことにした。どうやら乗務員は出発から会津鉄道が担当するらしい。随分と待っているうちにとうとう雨が降り出してしまった。ここでも紅葉が見られるのかな?と漠然と思っていたが、霧のような霞みのような感じで先に進むにつれ視界が悪くなってくるだけだった。
会津田島から先は電化区間になり、ここで浅草行きの東武快速車両に乗り換えとなる。ほとんどの筋が数分の乗り継ぎ時間になっているため便利なのだがちょっと慌しい。もちろん1本落としてその次の列車という手もあるが、天気もあまりよろしくなかったのでそのまま乗り継ぐことにした。ここで見る浅草行きの方向幕には何だか違和感も感じるが、思えば浅草からここまで1本で来れてしまうわけだし、会津若松まで1本のレールでつながっているのだから、もっとイベント性の高い列車があっても面白いかもしれない。普段の生活圏からしても東武とはあまり接触点がないのだが、このクロスシートの快速列車はまったく馴染みのない車両であった。会津高原駅で会津鉄道から野岩鉄道に戸籍が変わり乗務員も交代した。ちょこちょこと時間調整で停車するのでなかなか先へ進めない。列車運行上の始発・終着駅と実際の会社の区分けが微妙に違っており、各社ごとかなり頻繁に車内検札を行っていた。悪いことを考えれば、会津からキセルができてしまうので当然といえば当然かもしれない。野岩鉄道は鬼怒川から延びてきた東武線と旧会津線との間を取り持つ感じで比較的新しく建設されたということもあり、地形を無視した無理な作りが多かった。トンネルの中に駅があったり、大きな橋がかかっていたり、勾配のきついトンネルがあったり、某公団様のご都合優先主義が見え隠れする。ざっと素通りしただけだが、会津街道筋は観光地としてもポテンシャルが高い様に感じた。もっとアピールしてもいいのではないだろうか?(後日談:マニアックなところで、人気のあった名鉄/高山線直通の北アルプスが廃止になりましたが、会津鉄道に払い下げられました。そのAIZUマウントエクスプレスも引退が決まったとのことです。)
どこから東武線籍になったのか分からないうちに、鬼怒川温泉でスペーシアとご対面となった。そちらに乗り換えてもいいのだが、わざわざ指定を取るのも面倒だったのでこのまま浅草まで乗り通すつもりでいた。鬼怒川沿いのきついカーブをいくつか抜け下今市で日光方面からの列車を待つためにしばらく停車する。スペーシアにまず抜かれ、更に待った後あらためて快速がやってきてこの列車の後ろに増結された。何十分も待たされたが、今日なら時間は有り余る程あるわけだし、気持ちの焦りもないので非常に穏やかにしていられた。非日常を感じる瞬間でもあったが、人生余裕が大事なのかもしれない。(笑) しかし、走り出したら格下の普通列車などがんがん蹴散らし、見事な走りっぷりで浅草までやって来てしまった。そうだ、せっかく浅草まで来たのだから寄り道して街歩きでもして行こう。(後日談:スペーシアに乗ったときの旅日誌はこちらを、AIZUマウントエクスプレスに乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)